よびごえ日誌


2025.01.05 【2024】よびごえ日誌 vol.17
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こんにちは。ご無沙汰しております、4年一柳です。あけましておめでとうございます。寒い毎日ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
 
さて、しだいに寒さを増す季節とは反比例に、よびごえ稽古は段々と熱を帯びてきて、この日は「あい」の歌詞解釈に入りました。「あい」は、先日お亡くなりになられました、谷川俊太郎さんの詩です。谷川俊太郎さんの詩には、音楽がつけられているものが非常に多くあり、JASRAC(日本音楽著作権協会)への登録楽曲数は武満徹の544曲や三善晃の1490曲、同じ詩人であればまどみちおの1290曲をはるかに上回る、2857曲(本学教授 中地雅之編著「声が世界を抱きしめます」参照)にも上ります。よびごえでこの曲を扱うことに決めたのは、谷川さんが亡くなられるよりも前のことでしたが、はからずも今回このタイミングで谷川さんの詩と向き合うこととなりました。谷川さんのご冥福をお祈りしながら、谷川さんが世に残されたこの作品と、しっかり向き合っていきたいと思います。
 
この詩は、ただひたすらに、「あい」について、谷川さんらしい簡潔な言葉で、短文を連ねていく形で綴られています。一見単純でわかりやすいようで、読み終わった頃にはよくわからなくなってしまう、そんな感じがします。すごく自分を重ねて共感することができるようで、でもどこか自分を超えたところにある気もします。だからこそ、一つひとつの言葉を何度もかみしめて、その中に垣間見える「あい」を浮かび上がらせたくなりますし、でも何度かみしめてもその像を決めきることのできないもどかしさに、考え続けたくなります。ふと、それが、「あい」の本質なのかもしれない、と考えたりもします。そんな詩です。
 「あい」って、何なのでしょうか。私はまだ20代ですが、考えることがあります。小さい時には、周りの大人がよく使いたがる、大切にしたがる言葉、と感じていました。絵本にも、ディズニー映画にも、なんにでも大切なときによく出てくる言葉。そのときの私には、それがすべてであって、でもそれで「あい」の意味を知っているような気がしていました。「あい」は、「大好き」に似た、素晴らしいものなんだな、という印象でした。今、たった20年でも、人生が進むにつれて、色々な気持ちを味わって、「あい」という言葉が、前とは違ってみえる気がします。小さい時のようにポジティブ一色のようには今は感じられませんし、「大好き」とも異なる、より包括的な、大きなものに思えます。今の私にとっての「あい」は、小さいとき描いていたようなバラ色だけではなくて、きゅっと胸が痛むようなところもありますが、その代わりに加わった深みは前よりももっと、大切にすべきものに感じます。きっと、これからも少しずつ、様々な瞬間を経て、自分にとっての「あい」は変わっていくのでしょう。
 
私の名前には、最後に愛が入っています。そのせいで読みづらく、かつて恥ずかしいと感じたこともありましたが、今はなにより大切にしたい名前です。小田さんからいただいた、「この曲は私そのものでもある」という言葉の重みとありがたさを胸に、今の私なりに歌いきることができたらと思います。
団員一人ひとりの「あい」が重なり、交わって、どんな「あい」となっていくのか、楽しみに見守っていただけましたら幸いです。
 
それでは、団員の皆様、年明けの稽古でまたお会いしましょう!今年も皆様にとって、よい一年となりますように🐍🎍

一柳優里愛