よびごえ日誌
2025.01.29
【2024】よびごえ日誌 vol.20
タグ:春こん
今回初めてよびごえ日誌を執筆させていただきます、B類音楽1年の石川花世です。まずは卒業演奏会を無事に終えられた4年生のみなさん、本当にお疲れ様でした。あっという間に2024年度の授業が終わろうとしていますが、皆様いかがお過ごしでしょうか?1年前、まだ高校生だった私は共通テストを終え、2次試験対策に奮闘する日々であったことを思うと、今こうして東京学芸大学で学ぶことができていること、とても幸せに思います。たくさんの出会いがあったこと、たくさんの経験をすることができたこと、なによりも毎日が音楽に囲まれていたこと、本当に充実した1年でした。こんなに感慨に浸っていますが、よびごえの稽古は春こんに向けて熱が帯びてきています。
さて、前置きが長くなりましたが、私は1月某日に、某中学校の合唱部に見学に行かせていただきました。某中学校の部活動の様子や先生がおっしゃっていたことなどはわかる人にはわかってしまうため省略させていただきますが、中学生の純粋な歌声に心が浄化されていくように感じる時間でした。このことを踏まえ、学校現場において合唱の指導をする上で大切な要素をいくつか取り上げて、考えを深めたいと思います。
まずは発声について。良くも悪くも子どもたちは指導者の歌声に似ていきます。私たち自身がなるべく正しい発声方法で、なるべく美しい声を出すことはもちろんですが、ここで問題となるのは、子どもたちに指導する際にいわゆる声楽的な発声ではなくノンビブラートで歌う必要があるか否かについてです。小田さんも前期におっしゃっていたように、合唱と声楽で声を使い分ける必要はないと思っていますし、実際に使い分けているつもりもありません。本学の授業の中でも、横隔膜は感情とリンクしている、ゆえにビブラートのついた歌は感動すると言われたこともあります。一方、ビブラートがあることによって合唱にならないという指導者もいらっしゃいます。子どもたちの年齢にもよりますが、実際に私の地元の合唱団でも指導者のビブラートを真似してしまう子もいました。これは、これから様々な指導経験を積んでいくうえで回答が出せればと思っていますが、中学生以下は少し気にする必要があるかもしれないというのを私の今の時点での回答とさせてください。あくまでこれは目安で、実際は目の前にいる子どもたちに合った指導が必要であることは忘れてはなりません。
続いて、子どもたちに音楽的な指導をする際のアプローチの仕方について。加藤さんも振り返りでおっしゃっていたように曲あるいはフレーズに求める抽象的なイメージ、そうするためにどのようなプロセスを踏まえるのか、の2点を考慮する必要があります。子どもによっても年齢によっても経験してきたことが違うため、子どもたちにどのような声掛けをしたら、どのような音楽となって返ってくるのかは違うかもしれませんが、小田さんのように誰もが共通のイメージを持ち、表現に繋げられるような声掛けができるよう、言葉の引き出しを増やしたいと思っています。
初めてのよびごえ日誌は語彙力が足りず、稚拙で辿々しい文章になってしまいましたが、お付き合いいただきありがとうございました。これからの3年間もどうぞよろしくお願いします!