よびごえ日誌


2025.03.21 【2024】よびごえ日誌 vol.28
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こんにちは。教職大学院1年の藤原改と申します。今期の春こん。によびごえが出演するにあたって,ありがたいことに小田さんからお声がけいただき,(一度卒団した身分ではあるのですが)参加させていただく運びとなりました。
そんな私もよびごえ日誌を書いてよいとのことでしたので,この半年ご一緒させていただいた上で感じたことを記したいと思います。
 
私がよびごえに入団したのが学部の1年生だった頃(2020年4月)であり,(当たり前のことではありますが)5年経った今,メンバーは全員入れ替わりました。そんな今だからこそ感じるのが「部活動における『伝統』とは何か」ということです。
 
よびごえのメンバーに対しては何度も話したように,この半年間を皆さんと過ごす中で私はよびごえの先輩方の歌声や発言,考え方が何度もよぎりました。それは練習中に限った話ではなく,気遣いにあふれた連絡,きめ細やかな運営,本番の日の雰囲気…全ての場面に,不思議なほどに存在していました。そして私はここに,「伝統」のようなものを感じました。
 
少し自分のバックグラウンドの話をしますが,私は中学校・高校と,それぞれ合唱部に所属していました。そしてどちらの合唱部にも,形は違えど「伝統」が存在していました。合唱指導に対して強い思い入れがある先生が,発声に関する技術的なことから生活態度まで含めて独自の「こだわり」「論」のようなものを生徒に流布し,生徒が先輩から後輩へ代々伝えていく。(そしてそれは,時にその先生がいなくなってからも続く)そうした「伝統」を守ることが,その部活にとってのスタンダードだったように思います。
ただ私は,その「伝統」に納得できなかった部分“も”ありました。様々な経験・勉強を重ねていくうちに,かつて「伝統」として絶対視されてきた発声法が,表現が,行動規範が,唯一の正解ではないことを知りました。しかし,全員が一つの指針のもとに行動できるというのは,いい面もあるのだと思います。そんなことを考え悩みながら,大学に入学しました。
 
前述した中学校・高校の部活動にあったような「伝統」は,私が5年間よびごえで過ごして感じた「伝統」と大きく異なる気がします。両者を踏まえて,「伝統」に対しての考えを述べるのであれば,「伝統」は決して固定的なものではなく,時代や環境,そしてメンバー一人ひとりの考え方や経験によって,常に新たな形へと変容していくというものだと思います。
先輩たちが築いてくれた数々の慣習や技術は確かに尊重すべき宝であり,その一方で,それらをただ盲目的に受け継ぐのではなく,自分たちの色を付け加えていく余地があるのではないか,と私は感じています。そしてそれができてきたのがこの「よびごえ」なのだと思います。
日々の練習で感じる小さな発見や,リハーサル中に交わす何気ない一言一言が,未来の「伝統」の一部になっていく。そこには,先輩たちや小田さんが語りかけてきた情熱や,時に厳しくも温かい指導のエッセンスが確かに息づいていますが,それを単に繰り返すだけでなく,私たち自身の解釈や工夫を加えることで,より豊かな表現へと昇華させることができるはずであり,少なくともよびごえにおいてはそういった場面がたくさん見られたように思います。
また,私が感じたもう一つの側面は,伝統というものが「手段」になってしまう危険性です。既存のやり方に固執するあまり,自分の内面や個々の表現が犠牲になる状況は,決して理想的な状態ではありません。むしろ,伝統を大切にしつつも,それに縛られることなく,常に自分自身の表現や新しい挑戦を追求する姿勢こそが,真の意味で伝統を次世代へと生かしていく鍵なのではないでしょうか。

 

半年間,もとい5年間よびごえで歌わせていただく中で,この団全体からそういった姿をたくさん学ぶことができました。これを還元していくことはきっと容易ではないですが,自分なりに頑張っていきたいと思います。

 

沢山の経験をありがとうございました!またどこかで!

藤原改