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タグ:合唱指導法
01
September
2024
2024
【2024】よびごえ日誌 vol.10 夏休み番外編
みなさん、こんにちは。夏休み番外編2度目の小田です。8月28日に、青森県つがる市内の某中学校にて、合唱の授業をさせていただいたため、記録として残しておきたいと思います。
最初にご連絡をいただいたのは、今年の5月中旬、合唱指導を頑張りたい!という音楽科の先生からのご連絡でした。昨年からご相談を受けており、女声の先生なのですが、当時は特に男声への指導に悩みがあるとのことでした。各学年1学級で、今回は、それぞれの学年での授業を1回ずつ持たせていただきました。今回は、全学年に対し、「基本的な発声を学ぼう!」というテーマで授業をしてほしいとのことでした。
第一印象として、どの学年も、話を聞く態度、言われたことに挑戦してみる姿が素晴らしく、めちゃくちゃ授業しやすかったです。
中学生を教えるとき、特に部活動ではなく、授業での指導を行うときは、当たり前ですが、様々な生徒がいることを前提として、指導を行います。例えば、そもそも音楽が好きではない子(自分からは音楽を頑張れない子)や、好きだけれども目立つことは避けたい子、先生の話が長いと情報が頭に入ってこない子、反対に、ものすごく音楽が好きな子、これをもっと頑張りたいという意識がはっきりしている子などです。
授業の鉄則である、
無駄なことは話さない
大事なことは短く・簡潔に
時間配分は計画的に
を守りながら、あとは子どもたちの表情や反応を見ながら、授業を行いました。
発声について、細かく話せるネタはたくさんありますが、大事なことは、「1回の授業で」「何をどこまで伝え、できるようにするか」、ということだろうと思います。知ってることは何でも伝えるのが良い先生ではありません。伝えるだけ伝えて、できない、というのは、「何ができるようになった授業なのか」分からないからです。
教育介入は、介入した成果(何ができるようになったか)がポイントになってきます。
今回は、多くの場合に改善がみられる「発声のポイント」とその実践を、生徒と、音楽科の先生にもお伝えできることをねらいとし、特に、生徒だけでも自主的にすぐに実践できる内容にしたいと思って、考えました。
発声のポイントは、発声練習をしながら、以下を1つ1つ順番に伝えていきました。
1.姿勢
2.口の開け方
3.ブレス
4.息のスピード
(5.調音ポイント)
ドレミレドーの発声をa母音で行い、半音ずつ上がり、途中から下がってくる、という一般的な発声練習を用いながら、「(これまでに)先生に教えてもらった正しい姿勢になっているかな~?確認してみよう。その姿勢が崩れないように意識しながら発声練習をするよ」というスタートから、いくつか発声を進めると、「姿勢はみんな大丈夫そうだね。これから1つ1つ、新しいことを伝えていくよ。まず、口の開け方なんだけど、奥歯と奥歯の間を 2cm 開けるとすごく声が変わるんだよ。みんな、2cmってどれくらいかな?手でやって見せて。お、みんな2cmってだいたいそれくらいだよね。それをそのまま奥歯の横に持っていって、その幅の分、口を開けられるかな?そうだね、すごい口を開けるんだね。僕も2cm開けてみると、しゃべっている声もこんなに変わるんだよ!みんなも、2cm開けた状態の声のまま歌えるかなぁ?やってみよう。」という具合に、発声練習を進めながら、1つ1つ、ポイントを伝えていきました。まず、覚えてほしい、感じてほしかったのは、奥歯と奥歯を開けると声が変わる、ということでした。2cmというのはあくまでも例です。科学的な根拠があるわけではありません。ただし、1cmでは狭く、あんまり音色も変わりません。3cmだと、特に中1の場合、顎に負担がかかる危険もあったためNGと判断しました。2cmは、ちょうどよさそうな数字として選んだものです。
ブレスについて、鼻から吸うことは、先生からすでに指導がなされていたため、鼻からの吸い方が2種類ある話をしました。勢いよく吸って、ノイズが鳴る吸い方を示し、マネをさせる活動から、つぎに、ノイズが鳴らない、静かなブレスをマネさせました。その両方が全員出来ることを確認したのちに、ノイズが鳴る方は、実は息はたくさん吸えないこと、ノイズが鳴らない静かなブレスはたくさんの息が吸えることを説明し、歌には、静かなブレスが良いことを伝えました。
ブレスについてはもう1つ、時間をかけて吸おう!ということを伝えました。肺に空気をためておくことは、歌のもっとも基本的なことであり、酸素の量が無ければ、長いフレーズを歌うことはできません。指導の場では、一瞬で吸うのではなく、2秒かけて吸おう、ということを伝えました。これも、僕がブレスを目の前で例で見せて、一瞬で吸うバージョンと、2秒かけて吸ったバージョンの違いを理解してもらおうと努めました。
発声練習の中で、1フレーズ歌い終わると「はい、もう次のブレスのこと考えるよー。2秒吸えてるかなぁ?」「どこかで鼻が狭いブレスの音がするよー 静かなブレスを意識するよー」と、声掛けを行い、自分で意識できるように働きかけました。
ブレスについて、おおよそ全員が意識できるようになってきたら、次は息のスピードの話をしました。
リコーダーの例を出し、「リコーダーの低いドの音と、高いドの音はどちらが出しやすかった?」と質問してみると、だいたいどの学年もありがたいことに「低いドの方が息が難しかった」と答えてくれ、「低い方が息をゆっくりにする必要があったから、息のコントロールが難しかったんだね。」という風に、「息のコントロール」というキーワードを出しながら、低い音は息がゆっくりで、高い音は息が速いことを伝えました。これはフルートやトランペットといった、息を用いる楽器であれば共通したものであること、そして人間の声も共通していることを伝えました。「高い音が苦しくて出ないという人いる?」と質問すると、何人かは手を挙げてくれ、「もしかすると、これができるようになるとつらくなく高い音が出るようになるかもよ?」と学びの展望についても触れながら、進めていきます。
右手でも左手でも良いので、人差し指を鼻に当て、ゆっくりした息の場合は、人差し指に当たる息が温かく、ノイズが小さいことを全員で確認します。その次に、速い息の場合は、ノイズが大きいことを全員で確認します。その次に、ゆっくりした息からはじめてだんだんと息が速くなる(小さいノイズからだんだんノイズが大きくなる)練習をし、その後に、強いノイズがキープされる練習を行います。全員で練習をするときは、ブレスは2秒かけて吸うことを思い出させながら実施します。
ここまでできたら、息のスピードと声の関係について説明します。ゆっくりした息の場合は、柔らかい声になるが、速い息の場合は、最初から強い音が鳴ることを、実際に声を出しながら説明します。ここで、ポイントとなるのが息は速いのに、声が柔らかいという誤ったパターンを先に見せておくことです。僕の経験上、これを説明せずにやると、ぐちゃぐちゃになったり、説明に余計な時間がかかることが多いです。今回も最初から例としてそれを示すと、「息のスピードと声がなんか違う」ということに気づいてくれ、自分がやるべきことをより細かく理解してくれた様子でした。
ここまで説明したらば、まずは人差し指を鼻に当て、速い息で勢いを持続させる練習をし、その次にすぐ、その速い息の使い方のままドレミレドーをa母音で歌う発声で歌ってごらんと言い、進めていきます。1発目でうまくいく学年もあれば、どうしても、歌になると息が弱くなる学年もありましたが、大事なのは、違ったらすぐに止めることと、「僕に聴こえるのはこんな感じだよ」と、マネをして返すことです。マネをすると、「あ、たしかに息を速くしたいのに、歌になると違ってた」と気づいてくれます。それを繰り返していき、良かったものがあれば「それだね!」とすぐさま伝え、「これでいいのか!」という安心感を生徒に与えながら、正しい体の使い方が連続的にできるようになるまで見守ります。そうして、ある程度息のスピードが意識できるようになれば、復習も兼ねて、「奥歯と奥歯2cmあいてるかな?」「ブレスは音がしないで2秒吸うよ」「姿勢は大丈夫かな?」と声をかけていきます。
1,2年生は、ここまでがだいたい20分でできました。
できたところで、復習をします。僕からさんざんキーワードを聞いていたからか、「発声のポイント、大事なことを復習するよー。奥歯と奥歯の間は?」「2cm!」「ブレスの時に音はする・しない?」「しない!」「ブレスは何秒?」「2秒!」「息のスピードは速い・遅い?」「速い!」と、本当に、ぽんぽんと2つ返事ですぐ返してくれました。
この後は、各学年ごとに異なる合唱曲に取り組んでいたため、それぞれの曲でもこれらの発声が意識できるか応用していく時間にしました。
3年生は、声がそもそもよく響いていたのと、上記が15分くらいでできてしまったため、調音ポイントというプラスアルファの話と実践をしました。私たち人間の楽器としての不思議と、「響く場所をイメージする」ことで大きく声が変わることなどを、鼻腔の奥のポイントを実際に生徒と共有しながら進めていきました。なかなか、これは言葉として書くのが難しいため、省略しますが、声がどんどん変わっていき、つがるの子たちは、やっぱりいい声をしているなぁと感動しました。
音楽の先生が、普段から「振り返りシート」を毎授業で書かせていたことから、授業の最後は振り返りシートを書く時間を取りました。のちほど全学年分見せていただいたのですが、今日僕が伝えたことを、多くの生徒が振り返りシートに書けていました(とっても安心しました)。
声楽を教える場合、先生のいい声を聴かせ、鼻の前の方で響かせるんだよ、マスケラ!、アペルトして、ジラーレだ!、というのは本当にいろんな現場で耳にしますが、決してそれらを批判するわけではありませんが、場合によってはそれらが言葉遊びになってしまい、ジラーレという言葉は知っていても、できないという教育をしてしまっていないか、そこには常に反省的になる必要があると思います。かえって、僕の今回のやり方は、見方によっては陳腐で、声楽の本質を何も伝えていないということもあると思います。
ただ、今回の授業の条件として僕が介入できるのは1回だけであり、だからこそ重視したのは、その1回で、明日も生徒が教師の力を借りずに自ら復習でき、生徒によってあまり理解に差が出ない知識と感覚を提供することでした。奥歯を2cm開けることは、生徒によって差が出づらいと思いますし、2cm開ける前と後とではサウンドが異なることは多くの生徒が理解できる感覚に思います。一方で、例えばジラーレという言葉は、まず言葉の意味が分かる子と分からない子で分かれると思いますし、正しくジラーレができている状態を運よく掴めたとしても、それは、ブレスの仕方や、鼻腔の広がりとキープ、息の回し方などがすべて正しく嚙み合った瞬間的な状態であるため、生徒によっては、そのどこかだけを切り取って覚えてしまった場合、先生の指導があればうまくできても、一人でやるとなんかうまくできない、という状態になってしまいます。僕がずっとそばについていれるならばそれは問題のない指導(むしろ素晴らしい指導)に思いますが、1回しか介入できない状態で、そうした指導をする場合、音楽科の先生にも迷惑が掛かりますし、生徒は「よく分からなかった」で終わってしまう、無責任な指導に陥ってしまう危険性もあります。
1回限りの限定的な介入における、中学校の全学年を対象とした発声指導の記録を残しましたが、数年後、また僕の考えも変わるかもしれません。いつの日かのための記録として、書きっぱなしの文章を残しておきます。
最後に、中学校の帰りに見た景色が美しかったため、写真も残しておきます。…
22
August
2024
2024
【2024】よびごえ日誌 vol.9 夏休み番外編
B類1年加藤優奈です。初めてのよびごえ日誌は、某高校のコーラス部訪問を通して感じたことを書きたいと思います!(推定読了時間は 2 分です、お付き合いください笑)
私は中学、高校で合唱部に所属していました。純粋に歌うことを楽しんだ時期、大会の結果に一喜一憂した高校時代、多くの人や音楽との出会いを経て、「合唱」についてどこか俯瞰的に考えるようになった今日この頃です。今回訪問した高校のことは高校時代から存じ上げていたので、練習の様子を見学できることをとても楽しみにしていました。音楽的にも人間的にも大変素晴らしい活動に出会うことができ、とても刺激的な時間でした。はじめに、彼らの演奏自体の魅力については、私の言葉では表しがたいと感じたため省略いたします。
今回の訪問で印象的だったのは、すべての行動がシステム化されていたこと、多くの生徒さんが音楽についての高度な知識、技能を持っていること、それを言語化して仲間に伝える能力に長けていたことです。まず音楽室に案内されると、いくつかのホワイトボードや黒板が目に入ってきました。その日の練習計画が分単位で書かれたもの、各パートの課題と目標が書かれたもの、歌詞解釈のメモがされたもの等がありました。あらゆる事項を可視化することで、指示を待たず、各々が今するべきことに注力できる…なんと合理的でハイレベルな空間なんだ!!と衝撃を受けました。ほかにも、部員の出欠確認、通し練習の録音と再生、事務連絡といったあらゆることを、生徒さんが分担して確実に行う姿がありました。まさに社会の縮図ではないでしょうか。指導者の裁量で「高校生はこれだけしていればよい」と決めつけてしまうことはあまりにもったいない…小田さんが以前おっしゃっていたお話を思い出しました。
また、隙間時間に筋トレをする男子生徒さん、先輩にアドバイスを求める生徒さん、廊下で発声練習をする生徒さんなど、各々が自主的に練習に取り組んでいました。そして音楽的な知識と技能を持つ生徒さんが非常に多いです。さすが強豪校です。ロングトーンのコツや表情と響きの関係、子音の立て方などに言及する姿は、既に立派な指導者だと思いました。
彼らを見ながら、もし自分がこうした集団の指導者になったら…と考えていました(なんとおこがましい)。私は、角が立たない物言いにするために回りくどい表現をしてしまうのですが、頭の切れる生徒さんにそうする必要はないのです。「いい音楽をする」という揺らがない共通目標があり、その達成に向けた「根拠のある端的な指導」を求めているように感じました。なんだか冷たい書き方をしましたが、決して薄情な方々ではありません。差し入れのお菓子に歓声をあげる場面や、本番前の緊張を共有する時間は、人間味あふれるひとコマでした。楽譜の山のとなりに置かれた数学の問題集(と赤本)を見て、部活と勉強の両立を高いレベルで目指しておられる某高校のカラーがうかがえました。先生は、彼らが音楽だけに生きてはいないことをご存じのうえで、高校生活に合唱という彩りを添え、生徒さんを精神的に支えていらっしゃる存在だと思いました。たった 3 時間見学しただけの私が述べるのは恐縮ですが、以上が部活動や指導について考えたことです。
音楽的なことについては、先生の「男声も女声も(男性、女性?)、同じからだなんだから、一緒に教えてもらえばいいじゃない」というお言葉が特に印象的でした。音楽、こと声楽は性差を感じやすい活動だなと思っていましたが、それを過度に意識する必要はないと学びました。小田さんのおっしゃる、声楽は性別を問わず、身体をあけて息を流すだけの営みであるのだ、というお話をリアルに感じました。ぶっちゃけた話、私は男性を羨ましいと思うことがあります。女性でテノール歌手の方は稀有な存在ですが、カウンターテナーの方は何人もいらっしゃる(≒女声の音域の指導を実践的に行える)ことからも、男性のほうが混声合唱の指導に向いているのではないか、と思ったこともありました。しかしよびごえでの活動を通して、合唱指導には実践だけでなく理論も必要なのだという、当たり前のことに気づかされています。私は男性の声を出すことはできませんが、発声の仕組みを学ぶことはできます(そもそも声は一人ずつ違いますから、女性なら、ソプラノなら理
解できるはずだと思い込むこと自体が危険なのかも?と書いていて思いました)。これから様々な理論を学び、それを言語化する力を身につけていきたいです。
最後に、指導者にとって最も大切なことは性別や年齢ではなく、人間性なのだと感じました。後日行われたコンクール本番を見に行き、某高校の演奏を聴いてきました。我々は本番直前期にお邪魔したのですが、その日の通し練習では先生からも生徒さんからもいくつかの指摘がありました。帰り道に小林さんもおっしゃっていましたが、先生に対しても意見を言える雰囲気、それを受け入れてくれる先生のあたたかさが、あの一体感を生んでいるように思えます。そして本番、相変わらず素晴らしい演奏を披露されました。以下は私の主観ですが、あの時指摘があった諸々の課題が改善されており、本番直前まで成長し続けているチームなんだなぁと心にくるものがありました。指揮を振る先生の腕は、大きくは動いていませんでした。指揮者と歌い手の間にある確かな信頼関係によって、あの音楽は生まれているのだと思いました。先生に心からの敬意を表します。
小田さん、某コーラス部の先生と生徒さん、この度は素晴らしい機会をありがとうございました。そして 4 人の先輩方と一緒に、東京から某都市へのプチ旅行に行けたことを嬉しく思います。ここに記しきれなかった学びも多くあります。
1年前、受験勉強の合間によびごえ日誌を読んでいた私は、こんな経験ができるなんて思ってもいませんでした。今本当に楽しくて幸せです!秋学期もどうぞよろしくお願いいたします。 加藤優奈…
20
August
2024
2024
【2024】よびごえ日誌 vol.8 夏休み番外編
みなさん、こんにちは。小田です。昨日の勉強会に参加された皆さん、本当にお疲れさまでした!音源はまた後日もらえるものでしょうか?勉強会そのものの企画・運営をくださった室伏さん、小林さんをはじめ、参加団体の皆様等、すべてのみなさんに、感謝しています。こうした機会をつくってくださったこと、本当にありがとうございました。
さて、今日は、よびごえ初の試みとして、東京を飛び出し、とある高校のコーラス部さんの練習を見学させていただきました。今回のよびごえ日誌では、そのことについて綴ろうと思います。長くなると思いますが、僕の記録のためにも、感じたこと、考えたことの一部分を書き残したいと思います。
昨日、一足先に高校さんにお伺いし、稽古を見させていただきました。最初に目にしたのは、部活が始まる前に筋トレをしていたり(僕が見たのは腹筋)、楽譜を見ながら確認している姿だったり、小さなキーボードを持って1人1人が発声練習をしている様子でした。音楽室のこの感じ、「なつかしい!」というのが真っ先にありました。ノスタルジックな書き方をしたいわけではありませんが、高校生の頃、僕は一日中合唱について考えていたと言っても過言ではないくらいに、合唱が大好きで、授業中も、内容に不安が少ない教科については、「今日のパート練で何やろうかな」「あそこが歌えてないからもう少しこうしたいんだけど、どうやったら声が変わるんだろうか」と、そんなことを考えながら、窓の外を眺めていたことを思いだします。部活後の音楽室も好きで、男声でパート練をしていると「はよ帰らんかい~」と言われて帰っていたのを覚えています。大学にいると忘れがちな、現場の「匂い」とでも言いましょうか。大学の講義や教科書、論文には無いリアルです。
発声練習は、その流れが身体に染み込んでいるスムーズさで、無駄がなく、発声練習後は、ペアになっていた先輩が後輩に助言をするという、「教える」活動が組み込まれていました。「教える」ことには、知識も技能も求められますし、その人の言うことを聞こうという信頼関係も求められます。とりわけ、パート練を引っ張っている生徒さんは、声楽のアカデミックな用語をかなりご存じでいること、また自身の声について、課題と改善を明確に言語化できているのが印象的でした。
「響きを高く」「落とさない」、これは先生が繰り返しおっしゃっていた言葉です。とにかく生徒一人一人がより良い発声を目指しているし、その意識が徹底されていることが、なによりも素晴らしいと思いました。2日間の見学を通して、「より良い発声を追究し、声を使いこなすことが部員の仕事」、「より良い声と音楽を導き、モチベーションや心を支えることが先生の仕事」、それぞれが良い仕事をしたいと高みを目指している、そんな会社のようにも感じました。
僕にとって、今回訪問させていただいた高校さんは、特別な思いがある高校さんでした。高校生の時から、今に至るまで、18年くらい、ずっと頭にあり、録音や映像で拝見していました。高校の頃は、電車で40分くらいかけて通学していたのですが、MD、それからMP3プレーヤーなるものが流行っておりまして、合唱曲だけのMDや、MP3プレーヤーのリストを作って、その高校さんの演奏を、毎日、何回も何回も繰り返し聴いていました。
「やっぱり生は違う」。そんな当たり前のことですが、言葉では足りないほどの大きな感動がありました。思い出補正もあったのかもしれませんが、音楽室に響いていた音楽は、決してコンクールのための音楽でない、誰かの心に届けるための音楽だと感じましたし、大きな愛のある音楽でした。
さて、部活動の始めから終わりまでの流れについても、勉強になるものがありました。体操は無く、早速に➀発声が始まり、➁パート練からの➂全体練、コンクール間近ということもあってか➃録音通しからの➄返し練、⑥事務連絡等を済ませたら、最後は⑦自主練時間があって解散というものでした。
個人的な注目は、体操が無いことと、最後に自主練時間が予め組み込まれていることでした。体操は、多くの学校で形骸化しやすく、また運動部の筋トレや、体育の授業の準備運動をそのまま持ってきているような学校もあるため、生徒の中で、体操をやることと歌が上手くなることとがどのように関係しているのかを実感しづらいという点で、取り扱いが難しい活動だと感じています。その点で、どんな体操をしているのかな、と気になってはいたのですが、まさか、無かったので、「合理的!」と僕の中ですっと理解ができました。別に、体操があろうがなかろうが、ちゃんと中身の濃い活動していればいいんだ、というように捉えました。
最後の自主練の時間は、きっと、その日の学びを自分の力で整理したり、発展させるために設けられていたんだと、推測しています。そう考えると教育学的にはとても合理的です(学びの定着)。「今日もやりきった!終わった~」ではなく、「今日言われたことを整理して帰ろう 分かんなかったら先輩や先生もいるから聞いて、分かるように/できるようになってから帰ろう」、そうしてまた次の部活の前に自分一人で復習して、発声➡パート練➡全体練をして、また一人で整理、発展させる・・・こうしたサイクルは、非常に勉強になりました。大学生でこれをやろうとすると、「活動終わったからかーえろっ」となってしまうような気もしますが、よびごえのみなさん、後期の活動から試してみるのはどうですか…?
自主練の時間が終わっても、先生に質問をしていたり、次の部活に向けて打合せをする姿もあったり、音楽室が閉まっても、廊下でその日の指摘事項を一緒に声を出しながら確認していたり……、ずっとどこかで歌声が聴こえ、真剣さと穏やかさの入り交じった空間でした。
ここに書ききれないのは、あの、圧倒的な「響き」でしょう。
練習を見させていただきながら、春こんの時に、ほぼ毎年僕が「いま何割ぐらいで歌ってる?8割か9割にして」と言っていることを思い出していました。「ここは音量記号はピアノだけど、和音を鳴らさなきゃ」「もっとしっかり出して」と先生がおっしゃっていたことも、「そうなんだよな、息が流れて声量がある程度ないと、和音って鳴らないんだよな」と、共感していました。完全音程をしっかり決めたり、子音や母音のトーンをそろえることで和音が鳴る土台(準備)ができていれば、あとは声が正しいポジションに入れば、和音は一気に鳴り始めます。それが曲のエネルギー(legato)と重なると「音圧」という、ビリビリ、というものを体感できるまでに空気が鳴り始めます。よびごえのみなさんも、「音圧」のある合唱を、毎年春こんでは経験できていると思いますが、「もっとできる」、そう思いました。少人数でも鳴らすことはできるので、ここは僕の宿題でもありますし、みなさんと一緒に、もっと合唱の可能性を探してみたいポイントでもあると思いました。
ここで私たちが一緒に考えたいのは、「教師に求められる力とは何か」、ということです。
今回は、先生ご自身が声楽についての高度な知識・技能をお持ちでいらっしゃり、男声女声問わず、「人体の構造」という共通点から、発声をご指導されていました。僕個人の経験として、声楽は極論、男女問わず「身体をあけて息を流すだけだ」と習ったこともありますが、細かいことはさておき、つまりはそういうことなんだと思います。息の方向や、頭の中での母音のポジションのイメージを間違えると、声は平べったくなり、響きもきつくなりますが、十分に息を吸い、吸った通りの道を通って息が流れ出て、その道沿いに母音を置き、目の方向へ、それから前へと、どんどん息と母音が流れていけば、声は柔らかく、頭蓋骨全体がまろやかに響きますし、それは男声も女声も違うことはありません。そんなことを、ものすごくシンプルに、実演とともに要点をおさえてご説明されている先生のお姿から学ぶことはものすごく大きかったです。
こうして書くのは簡単ですが、これについて、それができるようになるまでにどういった困難さが起こりやすいのか、ということを予測して、それら1つ1つへの対処法をカードとして持っていくことが、まずは教師の力と言えますね。例えば、「なかなか声が前に出ないとき」「声のポジションが低くこもっているとき」「あごや舌の力が抜けないとき」「高音における息のスピードが遅いとき」「一番低いバスの低音が散ってまとまらないとき」にどんな手立てをもって関われるか、みなさんだったらどう指導するでしょう(これらはこの2日間で実際に相談を受けたものでした)。短時間で解決できるようなものはさくっと直してしまうのがベストですが、なかには筋力が必要なものや、感覚の洗練が必要なためにどうしても時間がかかるものもあります。その場合は、できるようになるまで介入し続ける必要があります。重要なこととして、小学生だとしても、高校生だとしても、声に関わる以上、健康に問題を起こしてはいけません。「声とその学びに関する正しい知識と判断力」が、教師には求められています。
教師の力は、そうした声に関する知識や技能だけではなく、作品の解釈やそれを伝える指導力、また生徒の目線で相談しやすく、受け止めてくれるような包容力もあるのではないかと思います。知識や技能を超えて、人間性までをも言い始めると、人それぞれという議論に陥りやすいですが、しかし、結局は、人となりこそがその場の雰囲気のベースとなることは否定できないのではないでしょうか。加えて、知識や技能に基づく的確な指導と、コンクール等における外部評価も総合して、教師と生徒との間に確かな信頼が構築されていくのではないかと思います。このような人となりや信頼の構築も、教師の力として捉えておきたいです。
よびごえのみなさんが、大学生のうちにできることは、まずは「発声に関する確かな知識と技能を学ぶこと」、そして「1曲でも多く、様々な合唱曲をしっかりと勉強・演奏すること」だと思います。それは声楽が専攻であるかどうかを抜きにして考える必要があります。なぜなら、これからみなさんが未来に出会うであろう児童・生徒からすると、みなさんが何専攻だろうが関係ないからです。先生は先生なのです。
最後になりますが、この日誌を書いている僕が、いま強く感じていることは「責任」です。冗談でなく、いつかこの先、「昔の人は部活で合唱やってたらしいよ」という時代がやってくるのではないかと危惧しています。そもそもの日本国の人口減少問題もありますが、おそらくコロナや部活動の地域移行の影響を大きく受けた合唱人口の減少があり、1980年代ごろから今日に至るまで、合唱界は、大規模から中規模、小規模へと、どんどん縮小してきた歩みがあります。コンクールの是非が議論としてあるのはいったん横に置いたとして、コンクールが成り立たないほどに日本国における合唱分野の縮小が起きたとき、そのあとは急速に合唱分野はかつての活気を失っていくことになろうと思います。そんな未来が来ないと良いなと思いますが、30年後(2054年)、というリアルな数字もざっくりと頭には浮かんでいます(よびごえのメンバーは、まだ現役で働いているはずですね)。
そこで考えなければいけないのは、「合唱は生徒の何を育てていたのか」という、合唱の教育としての価値(意義)なのだと思います。合唱という活動の価値を整理し、説明・説得できなければ、守る必要のない活動になるため、社会の流れに従って、自然消滅することになるでしょう。
今回訪問をお許しくださった高校の生徒さんを見ると、合唱をしたからこそ開発された知識や技能、態度は、非常に多くあったのではないかと考えています。それが、将来どのように活かされ、接続されるのかということはいったん横に置いて考えるのが良いと思いますが(なぜなら来るべき将来で求められる力は常に変化しているから)、「合唱を通して何が育ったのか」、この問いを持ちながら、今日の見学を振り返ってもらった時、みなさんの頭には何が思い浮かぶのでしょうか。またぜひ教えてください。 東京学芸大学で学んだみなさんが、これからの日本国の合唱と教育の最先端に立ち、全国の児童・生徒と、価値ある合唱活動をしていってほしい、そうしたみなさんの学びを支え、応援することが僕の仕事ですし、責任でもあると思っています。これは、とてもとても重い仕事ですが、これからの日本国の合唱と教育を考えたときに、ものすごく大切な仕事だと思っています。
そんなことを言いつつも、どうか引き続き、気を張らずにのびのびと合唱と教育を学んでいってもらえればと思いますが、「合唱を通して人を育てること」を、みなさんとの実践を通して、もっと一緒に考えていけると嬉しいなと思っています。
今日一日、本当にお疲れさまでした。
また後期に元気にお会いしましょう! 小田直弥…
05
July
2024
2024
【2024】よびごえ日誌 vol.5
こんにちは◎2年の小林です。7月5日の稽古記録として、ひとつ日誌を残そうと思います。
今回は、現在取り組んでいる2曲のうち「僕が守る」の歌詞解釈に重点を置いて稽古を行いました。
“歌詞解釈”はよびごえの特徴的な活動のひとつであると僕は思います。歌詞について、曲の背景について、よびごえメンバー同士で考え話し合う-決して多くはない稽古の時間を歌の練習以外に使うというのは、ひとによっては抵抗を感じることかもしれません。実際僕も、よびごえに入る前まではいわゆる”練習至上主義”で、結局のところ練習の質と時間が演奏に直結する!!だからとにかく練習しよう!!!という考え方の人間でした。先に断っておくと、いまでもそれは大きくは変わっていません。大きく変わってはいませんが、よびごえの話し合い活動の有効性は確かに感じています。どんな風に有効で合唱が良くなるのか説明するのは難しいですが、少なくとも楽譜を読む視点が増えることは間違いありません。
以下、小田さんが送って下さった【「僕が守る」の詩の大枠を掴むための観点】を書いておきます↓
1.この詩って、「僕」目線の、「僕」と「君」の物語と言えると思うけど、「君」との関わりの中で、「僕」はどういう人でありたいと思っているのか?
2.詩の中に4回登場する「君」は、同じ人?それとも違う人?
3.つまるところ、この詩の持っているメッセージってなんなんだろう?(みなさんが演奏を通して、お客さんに伝えるべきメッセージ)
僕のグループでは出てきた他の話題から詩を考える時間も少しですがありました。印象に残ったのは、「『守る』とはなにか?」という話題です。誰かを命の危機から救うことは「守る」ことかもしれないけど、そんなことはいま生きていて起こることではない。でも僕たちはきっと誰かに守られているよね、それってどういうこと?そばにいることは「守る」こと?などなど色んな意見が出ました。
この詩の解釈における、好きだなと思った捉え方は「守る」ことは「肯定する」ことである、というものです。詩にでてくる「僕」は、想いや考えを誰にも認めてもらえない中(心細くて伸ばした手がどこにも触れない時)、「君」に認めてもらえたことをずっと憶えている。第三連からも、壮大な「肯定」であると読むことができる。そして最後(次は僕が 誰かを守りたい)、きっと「僕」は「君」のようにだれかを肯定して、受け入れられるひとになりたいと思っている。詩に触れるひと誰もが「僕」にも「君」にもなり得る、この詩の解釈として個人的にとてもしっくりきました。いっしょに話し合ってくれたななみんとめいめいのおかげです。
文章で説明するのは難しいですが、こういった話し合いの活動が有効になるのは「全員お互いの顔と名前が一致する関係であれる人数規模であること」、そして「音取りという作業にそれほどの時間を有さなくてよいこと」は少なくとも必要かなと個人的に思います。練習への取り入れ方は考えものです。
気取った堅い文章を書いてきてしまいましたが、最後にこれだけ書いて締めようと思います。
よびごえの話し合いはとっても楽しいです。これに尽きる、まで言ってしまうと大袈裟ですが、これからも大切にしていきたいなと心から思います。ここまで読んでくれてありがとうございました◎
小林翔人…
21
June
2024
2024
【2024】よびごえ日誌 vol.3
みなさん、こんにちは。小田です。前回のよびごえ日誌では、次回は新喜さんがご担当くださることになっておりましたが、今日は僕が書きたい!と思い、私の方で書かせていただくこと、申し訳ないです。新喜さんのよびごえ日誌を、ぜひまた楽しみにしていただけると嬉しいです😌
さて、今年度のよびごえは、新しいメンバー6名をお迎えし、8月19日に東京学芸大学芸術館で開催される本番に向けて、稽古を開始しています。
演奏曲は2曲です。
「僕が守る」(作詞:銀色夏生、作曲:上田真樹)
「あの空へ~青のジャンプ~」(作詞:石田衣良、作曲:大島ミチル)
この2曲の共通点は、いずれも、NHK全国学校音楽コンクール高等学校の部の課題曲だったことです。しかしこの2曲は、「合唱」において、ずいぶん異なる魅力をもった作品だと思っています。この2曲について、それぞれを解説したい気持ちがとてもありますが、今日の稽古に焦点を当てて、書きたいと思います。
今日は、新体制になってから、4回目の稽古でした。
2曲とも、音とりの段階は終わり、今日は「青のジャンプ」のスキャット部分で何をやるか、ということを研究したり、話し合ったり、試してみたり、という時間でした。
活動の流れは以下の通りです。
19:00~19:05 発声
19:00~19:20 女声・男声別 「青のジャンプ」の復習
19:20~19:35 全体 練習
19:35~19:50 「青のジャンプ」のスキャット部分の映像を10団体分見てみる
19:50~20:00 2グループに分かれて話し合い
①どこからどこまで、スキャットをする?
②具体的に何をやる?
20:00~20:15 全体 話し合った内容のシェア
20:15~20:20 全体 王道のスキャットを試してみる
20:20~20:30 全体 最初から最後まで通してみる
20:30~21:00 振り返り
今日の活動で特筆すべきは、スキャットの話し合いの内容でしょう!
グループ1,2の意見は次の通りでした。
グループ1
・72~83小節までが自由に動く範囲かなぁ。
・72小節~予兆があって、74小節のShout!でスイッチが入って、76小節~自由にって感じ?…
28
August
2023
2023
保護中: 【2023】よびごえ日誌 vol.6 今年の夏は高校訪問
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May
2023
2023
【2023】よびごえ日誌 vol.1
こんにちはお久しぶりです。3年A類の丸です。遅くなってしまいましたが新歓稽古、新歓コンの日誌を担当させていただきます。それよりもまず、今年度団長は私と大野になりました。この場をお借りして挨拶させていただきます。まだまだ新体制になって慣れないことばかりですが、執行代で協力して参りますのでよろしくお願いします。
そして、今回の新歓稽古、新歓コンにいらしてくれた新1年生のみなさん、何より私たちの演奏を聴いてよびごえに入団してくれたみなさん、本当にありがとうございます!これからみんなで新しいよびごえのハーモニーを奏でていきましょう。
それでは本題に移らせていただきます。まずは新歓稽古について。今年度の新歓稽古では相澤直人先生の「ぜんぶ(卒業式バージョン)」を取り扱いました。この曲を扱うのは私がよびごえに入団して2回目でしたが、歌う度にその時の境遇や生活環境で歌い方が変化するので、何度勉強しても面白い曲だと思います。感情についての歌詞が書かれているため、その時々の感情に少しばかり左右されてしまうのかなと(浅はかな考察ですみません)。
1回目の新歓稽古では「繰り返しをどう表現するか」という問いから、繰り返しの「大切なものはぜんぶここにある」の p を最初とどう表情を変えるか考えました。私は、最初が他者に自分の大切なことを伝えていて、繰り返しは自分自身に言い聞かせているようなイメージを持ちました。語りかける距離が違うような感覚です。他にも噛み締めているのではないかと言う意見や、広さが広いところから狭くなったなど、たくさんのイメージや意見が出て、面白かったです。さすがよびごえだなぁと実感しました。来てくれた1年生は曲にしていない歌詞にまで着目して意見を述べてくれて、ほんとに初めて参加したの!?と思うほど考えがまとまっていました。私が入りたての頃はなんとか意見を言うことで必死だったので、本当に感心してしまいました。よびごえの活動が凝縮されたような、新1年生にとっても私たちにとってもいい新歓稽古になったのではないかと思います。
ここからは新歓コンについて。新歓コンではここ最近お馴染みの「白日」そして中学校の合唱コンクール等では定番の「時の旅人」の2曲を歌わせていただきました。こちらの練習は団員みんな忙しい中時間を見つけて隙間時間に集まって練習しました。忙しい中協力してくれた槇さん、藤原さん、本当にありがとうございました。
「白日」はやはりいつもポップス×合唱の難しさに悩まされます。ポップスのビート感は感じ取りつつ、発声は合唱っぽく。16部音符の細かいリズムをうまく捉えて和音をはめるのはとても難しいなと改めて感じました。ですが何度も練習した曲なので、ポップス特有のノリと勢いでうまく歌い切れたのではないかと思います。「時の旅人」は直前の稽古まで重点的に和音をきめることを練習しました。子音を発する時からすでに次の音をイメージし、子音の段階で音を鳴らしているようなイメージ。そして階段のように音程関係をはっきり意識して歌うこと。この2点に気をつけるだけで音程が格段に良くなりました。また自分が和音のどの音を歌っているのかを意識する。これもやはり大切なことだと改めて感じました。新1年生が歌ったことのある、聴いたことのある曲だからこそ基本が疎かになってはいないか、当たり前ができているかを聴かれてしまうなと思いました。本番ではどちらの曲も練習通りに歌い上げることができたと思います。来てくださった1年生が私たちの「白日」と「時の旅人」を聴いて、少しでも思うこと・考えることがあったら嬉しいです。
これからは新体制で合唱祭に向けた稽古が始まります。昨年度とは違うよびごえの色に期待しつつ、自分がやるべきことを全うしていきます。そして団長としてよびごえを引っ張っていけるよう精一杯頑張ります。今年度もよろしくお願いいたします。 丸大喜…
15
December
2022
2022
【2022】よびごえ日誌 vol.11
こんにちは、お久しぶりです。2年A類の一柳です。今回の練習では、ソレラン(Soleram)の歌詞について深め、話し合う活動を行いました。
ソレランはインドネシア語の曲ですが、団員にはインドネシア語が分かる方がいらっしゃらないので、今シーズン全員まずは訳を書くところからのスタートとなりました。
感じたのは、言葉が分からないと、訳してみたところでそのニュアンスなどが分からなく、直接的な意味しか分からないことです。しかしさすが、そんな中でも想像力豊かな団員達からは様々な面白い歌詞解釈が出てきました。
最近は音とりとダンスに追われるに追われる日々だったので、久々の、よびごえらしさが存分に詰め込まれた活動だったような気もします。
“よびごえらしい”活動…そういえば、よびごえの理念とは、ただ合唱すること、合唱が上手くなることではなく、合唱と教育について考えることです。
ここから、非常に私的な事柄になってしまうのですが、私自身、最近合唱を教える、ということが全く分からなくなってしまって、あらためてそれについて考え直す日々でした。
合唱指導は、合唱を上手くするという明確な目的があります。しかし合唱を教えるというのは、合唱指導が全てなのか。もし合唱指導がすべてでないとしたら、合唱を教えるとはどのようなことなのか。もし合唱を通して教育に取り組むという視点で考えたら、何を目指すのか。合唱に取り組むことで、生徒達に何を得てもらいたいと考えるのか。
正解はないですが、とても大事な問だと思います。最近自分なりの答えが若干つかめたような気もしますが、それは今の自分にとってのもので、正解はないですし、今後も考え続けていきたいです。
あと春こんまで2か月、長いようであっという間なのだと思います。
このメンバーで過ごせる時間を大切にしていきたいです。
追伸:この日ではなくて次の日の稽古なのですが、三年生が披露してくださった歌があまりに素敵でした…!心温まる演奏をありがとうございました🌼 一柳…
15
November
2022
2022
【2022】よびごえ日誌 スタコン練習編03
こんにちは。B類3年藤原改です。今日はスタコン本番に向けた最後の練習で、本番曲の「Salve regina」「白日」を練習しました。本番前最後の練習ということで、今回は細かい表現以外にも本番への向かい方について意識するような稽古になりました。
【Salve regina】
・響きを小さく作らない!自分たちの近くで響きを揃えようとせず、空間全体に響かせて「観客を包む」
・合わせるために遅くなる/小さくなることはないように!基礎はなっているからこそ前向きに歌う
・歌詞の単語間のエネルギー(修辞学的な意識)を大切に
・音/音程が何かを象徴すること・その違いを理解する
・語尾の処理を適切に行えるような場所/深さのブレスを心がける
【白日】
・この曲全体のトーンはどう設定するべき?
「諧謔的な(全てを見下ろすトーン)」「強め」「乱暴に見えて本当は傷ついてる」etc… 何かしらの意思を持つ
・原曲を踏まえた曲中でのテンポ変化について共通認識を持つ(ピアノの8ビートによるテンポキープ!)
・各声部のバランスと音程の最終確認
本番に歌うメンバー全員での稽古が実施できたため、バランスや音程など地盤となる音楽づくりの部分については念入りに確認が行えました。男声パートを担当している私個人の実感としては、混声四部合唱に比べて混声三部合唱の方が男声パートが担当する役割/音域が広く、根音として全体のハーモニーを支えるのか(混声四部合唱におけるBassの標準的な役割)、内声のような役割を果たすのか(SopとPianoの左手がそれぞれ外声の役割を果たしてアルトパートと男声パートで内声を担当する、といった動きは混声三部合唱にありがちだと勝手に感じています)、それぞれの役割に応じて声量感がかなり異なるため、すごく練習を始めたころは頭を使って歌っていた記憶があります。
7月の合唱祭に向けて取り組み始め、もう半年間この曲と向き合ったわけですが、だいぶそういった点については無意識に演奏できるようになってきたなと感じました。
ただ、だからこそ変な癖がついてしまった部分には気づきにくくなっているのもまた事実でした。音楽づくりの点においては、そういった癖をとり改めてこの曲の細かい部分と向き合う作業ができたなと感じています。
また、今回の稽古は「本番への向かい方を意識する稽古になった」と前述しましたが、それは前の段落で述べた「音楽面の最終調整」と別に、「本番の演奏を意識した稽古」たらしめる何かがあったからだと感じます。
それは具体的な文言が、というよりは稽古全体の雰囲気(小田さんの発言の端々から、また、団員の姿勢から)なのかなと思いますが…具体的にはあまり答えが出ません。
でもこの「本番前最後の練習」特有の感覚は、かなり経験した事があるものです。特に、何日も何か月も、たった1曲2曲に費やして練習していた中学高校の合唱部時代はいつも存在する感覚でした。
一度練習のすべてを手放して、頭に、身体に染みついている音楽を精一杯表現するような感覚。今回の稽古でも「練習してきたことは全部忘れて」という発言がありましたし(前後を省略しているせいで誤解を招いたら申し訳ないですが)、今までも様々な先生にそう言っていただいた記憶があります。そしてなぜだか、そうやってのびのびと楽しんだ演奏の方が九割九分上手くいくんですよね…。
指導者側の立場で考えると、この「本番前最後の練習」で児童生徒にどういった声がけを、指導をするかはとても本番の状態に関わると思います。絶対的な正解があるわけではなく、対象とする集団の年齢や雰囲気、本番の目的などによって変化するものだと思いますが、児童生徒たちにとってその時その時の本番がより素敵なものになるための一助となれるように、都度考えていきたいなと感じました。
私の怠慢で日誌の筆がなかなか進まず、気づいたらもう本番当日ですが、のびのびと演奏出来たらなと思います!
次回の日誌もお楽しみに! 藤原…
02
October
2022
2022
【2022】よびごえ日誌 合唱祭辞退と夏休みインライ編📷
今年度、よびごえの夏休みの活動は、1.2年生チームと、3年生チームに分かれて実施しました。今年度の夏休みの活動の背景には、よびごえ結成以降、途絶えることなく出場していた東京都合唱祭への出場ができなくなったことがあります。今年もたくさんの新しいメンバーがよびごえの活動に加わってくださり、団としても声が新しくなったので、合唱祭では自分たちで合唱を創る活動を楽しめる曲、これからの合唱活動の基盤となる「音楽」を考えられるような曲と願いを込めて、King Gnuの「白日」の合唱編曲版、K. Bikkembergs作曲の「Salve Regina」を演奏予定でした。
白日とSalve Reginaと聞くと、「え、ほぼ真逆の曲やん」と思われるかもしれません。その通りです。
でも、実はこの2曲、いずれも混声3部合唱の作品であるからこそ選んだという理由もあります。
音楽作品の類似もしくは相違を見ようとするとき、例えばポップスや宗教曲といった「ジャンル」の視点や、混声3部合唱や同声2部合唱など「編成」という視点からも見ることができます。今回の2曲はジャンルという視点から見たときには相違が認められますが、編成という別の視点からみると類似が認められるという位置にあります。今回の2作品は、この2作品の組み合わせだからこそこうした複雑さをもつわけで、「え、ほぼ真逆の曲やん」と最初に思った方がいれば、合唱祭の本番が終わるころには「あ~この2曲はたしかにこういう視点から見ると全然違うけど、こういう視点から見てると似てるよね~」と、作品間の複雑性を実感をベースに当たり前に語れるように変化してくれたら、それは俗に「成長」という言葉に当てはめてもよいのかな、と思っていました。
もちろん、そんな概念的なことを学びと限定せずとも、ポップスを合唱として演奏することの難しさを肌で感じ、どうすれば解決できるのかという解決学習の意図もありました。音楽の仕上げ方という意味では普通の合唱作品のように詩からのアプローチではなく、音そのものの「ノリ」(みなさんの口からもたくさん出てきましたね)やビート感など、そういった方法でのアプローチも有効であることを共有できました(音楽言語からのアプローチ)。一方で宗教作品を扱うときには、やはり言葉の壁はあると思いますが、今日の主流な合唱指導のスタイルである詩からのアプローチを共に学ぶ時間にできたように思います。単語のアクセントや単語と単語がつながるときはどの言葉が大事なのかという、単語のもつアクセントと、文章としてのアクセントの違いから音楽をつくっていけるというアプローチも行いましたし、言葉の意味論からせめる場合は、やはりキリスト教に視点を向け、その世界を前提として、マリアとはどういった存在なのか、そういったマリアに対し私(作品の中での私)はどう思っているのか、ではそういう思いはどういう声で歌われるべきなのか、では具体的な歌唱としてはどういう技を使って歌うのか(ここにフォルテやピアノ、暗い声、明るい声が位置づいてきますね)、というふうに進めていくことができました。このアプローチの根幹は、指導者主導ではなく、指導者はファシリテーターになっているというところにあると思います。僕からは情報と問いを投げかけ、実際にマリアがどういった存在なのか、作品中の私であればマリアに対しどういう感情を感じるのか、それはみなさんに委ねました。
そんな音楽言語的アプローチや詩からのアプローチなど学びの仕掛けを準備していたということと、みなさんもきっと、稽古の中でたくさんのことを感じ、考えてくれたこの2曲を合唱祭で発表できなかったことに残念な思いもあったと思います。一方で、しょうがないことでくよくよしても前には進めないので、みなさんで挽回の機を考えてもらった結果、1.2年生から出てきたアイデアが「インスタライヴ」(インライ)でした。
よびごえ初のインライは、以下にて開催予定です。
ちなみに明日のインライの曲はすべて混声3部です(1.2年生の作戦だったのでしょうか?)。編成としてはすべて同じ。だけどもジャンルも違えば、作品に与えられたテーマも違う。教育目的で書かれた作品とそうでない作品など、様々な視点を感じさせる曲たちから、演奏とナレーション(司会)を通してどれだけの合唱の広がりをお客さんと共有できるのか。僕も、みなさんのインライから合唱を楽しみたいと思います。
全力での真剣勝負、よい本番になりますように願っています。
Instagram Live!!
👉 yobigoe_tgu_chorus
👉 10月3日(月) 19時 スタート
👉 君とみた海(若松歓作詞作曲)
白日(常田大希作詞作曲、田中和音編曲)
With You Smile(水本誠作詞作曲、水本英美作詞、富澤裕作曲)
Salve Regina(K. Bikkembergs作曲)
虹(森山直太朗/御徒町凧作詞作曲、信長貴富編曲)
(司会の音量チェック中)
3年生の夏休みの活動は、勉強会を開催し、3年生は3年生での合唱を行っていました。
僕が忙しさを理由によびごえ日誌を更新できていないという怠慢でしかないのですが、時間を見つけてアップしますので、3年生の皆さん、ご容赦ください…。 小田直弥…
20
May
2019
2019
【2019】よびごえ日誌 vol.003
2019年度も本格的に稽古が進み始めました。みなさんには申し訳ないながらも、私が稽古に参加できる日が少なく、ほとんどの稽古を団員が担ってくれています。
音が取れるようになること、全パートと合わせる中で自信をもって歌唱できるようになること、まずはこれらの目標に向けてどのような手順を使えばよいのか、一人一人が試行錯誤をしているのではないかと感じています。
今日の稽古は少しだけ顔を出すことができたため、伊藤さんが指導しているところから見学ができました。楽譜に書いてある音と、実際に鳴っている音を聴き比べながら丁寧に音を合わせていく稽古でした。1フレーズ歌い終わると、団員からは「ここの音が取れないんだよね…」「ここはこんな感じでいきますね」など、パート内で声が漏れ、全体の指導を受けていながらも、音楽が少しでも良くなるように自分たちでも工夫をし、1人1人が主体的な試行錯誤をする場となっていました。
私も少しだけ稽古に首を突っ込みましたが、そこではアカペラの曲に伴奏をつけて弾いてみたり、「この曲の良いところを5つ言ってみて!」とアルトに答えてもらったり、どうしてみんなはこの曲を柔らかく歌おうって思ったの?(どうして荒く歌ってはいけないのか)、と曲のイメージを生成するためのアクションや質問を重ねました。
どうしても常套的な合唱指導はまずテクニック面を音楽の本質から切り離して稽古し、ある程度安定してきたときに曲の解釈、表現の仕上げを行う傾向があります。これは1つの方法として確立されていますし、まずは正確に歌えないと本番上手に歌えないのではないか、という不安が残るがゆえに定評を得ているのではないかと、個人的には感じています。
三善晃は、自身が譜読みを行う際に、曲が何を言わんとしているのか、どんな音楽的な世界がそこに拡がっているのか、イメージを十分に形成したうえで、その世界観に到達できるための稽古を重ねることを推奨しています。この考え方を上記の従来の指導法と突き合わせてみると、従来の指導法では「音取り➡曲の解釈➡表現の調整(仕上げ)」、三善流だと「曲の解釈➡音取り+表現」となります。どちらが良いか、それを安易に断言することはできませんが、少なくとも両者では、そのプロセス間での「合唱体験」が異なることは重要な点です。
従来型の指導法は、合唱作品を仕上げるための要素を分断し、1つずつ丁寧に積み上げていこうとする傾向がある反面、それ以外の要素を排除するという側面も持っています。そのため、音をとる段階では、曲の内容は知らなくても実施できる、という状況が生まれます。
一方、三善流の場合は、曲の世界観や背景を分かったうえで音をとるため、要素が混同しているとも言えます。しかし、音をとる段階から作品の世界に自身の身を置くことができるため、淡々と音をとる際にも、その音の質感を考慮することができます。
つまり両者について、音取りという活動の質が異なり、それゆえに団員の「合唱体験」は異なっている、と言えるでしょう。
たった1つのプロセスの違いでも、合唱という場の意味は変わってきます。
まずは様々な合唱指導のスタイルを経験し、自分でも実施してみることはとても大事です。そうした試行錯誤を重ねること、またその試行錯誤を目前にすることで、団員1人1人が成長していくことを期待しています。
そんなことを思いながら稽古の見学や実施を終え、振り返りでは、詩について意識が向いていなかったこと、詩を振り返ると丸い言葉が多いこと、「ゐ」が使われているのが良い!という詩に目を向けた意見や、次に来る和音が予測できないから音取りがしづらい、合唱も声楽の発声で良いと言われるけどよくわからないという歌唱技術に着目した意見、全体の前で指導することの難しさを実感したという指導法に関する意見などが出ました。
それぞれの課題をとりあえず共有してみる、というところから、自分の課題を誰かの頭が考えてくれる、ということが始まります。自分の課題を自分の力で解決することも大切ですが、時には、誰かの頭を借りて一緒に考えてもらうことも良いかもしれません。そうして、仲間ができていくのかもしれませんね。
5月病、梅雨に負けずにがんばりましょう!
小田…