よびごえ日誌


04
March
2024

【2023】よびごえ日誌 vol.13

こんにちは、1Bの柳本泰佑です。よびごえ日誌なるものを初めて書いてみようと思います。私は他のメンバーのように文才がないので、稚拙で短い物となりますが、見返すときの未来の自分は優しいですよね?許してください。
 
よびごえに入って一年間、多くのことを学んだと思う。音程の取り方、和声の感じ方といった細かい技術から、音楽の形而上的な事柄まで。小田さんだけでなく、他のメンバーからも学ぶことがたくさんあった。よびごえの文化である、「振り返り」はよくできたものだと思う。その日に得た学びというものを、言語化というプロセスまでもっていき相手に伝える。一度言葉に変換できたものは忘れないし、その後の音楽活動の糧にできる。聞く人は、その人の人となりや価値観、音楽的な気づきを受け取ることができる。「振り返り」という時間が、歌い手の、そして合唱団の音楽を潤沢にしていることに気づいた。そしてよびごえ日誌もまさに振り返り。でもなかなか手を付けられず今日まで来てしまった。小田さんが下さったせっかくの機会を大切にしないとね。
 
春コン、お疲れさま。2曲とも、音程はすこぶる取れないし、味わい方を知らないと面白くもない、難曲でしたね。でも、これらの曲だからこそ、今まで以上に音楽に向き合えた。そしてまた、一つの言葉に出会った。それは「音楽が、技術に先行する」というもの。すべての音楽活動には、技術と音楽性の2つの要素が存在する。しかし、そこには順番があり、常に、こうしたいという音楽の理想の形が先にあって、それを実現するための手段として技術が待ち構えている。とかく、技巧的で、常人にはできない芸当をやってのける人が「うまい」や優秀と思われることが多い。でもそれは、技術が音楽性をおいて独り歩きしているように私は感じる。音楽を志す者は常に、どんな音色、風景、ニュアンスで、というものを頭の中で音響を正確に再現し、それと現実とのギャップを、技術を用いて埋めていく工程を繰り返す。そうしていく中で、自分自身がその音楽の良さを味わえるようになる。ここまでくれば、どんな音を聴いてほしいのか、何を表現したいかが明確になるし、そのころには身体もついてきてくれる。その結果、予定調和ではないその人の「心」から湧き出る音楽をステージの上で表現することができるのだと気づくことができた。一つ、その人の音楽性の高さや音楽の才能と呼ばれるものがあるならば、それは、その人が頭のなかで、ものすごく素敵で人の心を揺さぶるような音楽を創造できる力のことだと思う。
 
ほかにも学んだことは多くありますが、全部書くと全くまとまらなくなってしまうし、読み返す気がかなり失せる気がするのでこの辺で終わりにします。
 
小田先生、そしてよびごえの皆さん、この一年間ありがとうございました。これからもお世話になると思います。よろしくお願いいたします。 柳本泰佑…
01
March
2024

【2023】よびごえ日誌 vol.12 選曲への考え方

こんにちは。小田です。
よびごえ日誌について、僕も更新ができておらずに申し訳ありませんでした。
※ごめんなさい、超長文です。
 
今年度は2月12日に春こん。を終えることができ、誰一人欠けることなく演奏できたことをとても嬉しく思っています。また当日はOGの先輩が応援に駆けつけてくださり、とてもありがたかったです。
 
今回の自由曲は以下の2曲。
 
混声合唱のための『だるまさんがころんだ』より「Ⅰ」(矢川澄子詩/長谷部雅彦曲)
混声合唱のための『風の馬』より「第3ヴォカリーズ」(武満徹曲)
 
相変わらずよびごえでは、「今年はこの曲をやるのね!」ではない、「???なんだこの曲は?」という選曲になりました。悩みに悩んだことは、前回のよびごえ日誌で書いた通りですが、改めて、今回の選曲のポイントを、記録として書いておきたいと思います。
 
  
➀いまいるメンバーでなければできない作品であること
➁いまもっている能力ではできない作品であること
➂数か月をかけて取り組むに値する内容や背景をもった作品であること
➃聴衆とも合唱の良さを分かち合える作品であること
 
 
とても初歩的な話をするならば、「(小田が)やりたい作品だから」「流行っている作品だから」ということではなく、教育的に価値ある作品であるかどうか、つまりは取り組むことでよびごえメンバー1人1人に何かしらの変化が期待できるかどうかを検討するための観点とも言うことができるかもしれません。
 
➀いまいるメンバーでなければできない作品であること
音域や声質といった技術面や、メンバー同士でのコミュニケーションのスムーズさや困難な状況下における粘り強さといった人間性やメンタル、詩や音楽への柔軟な発想(解釈)ができるという想像力や創造力など、いくつかの側面から、まずは、メンバ―1人1人の強みやこれから伸ばしていきたいところ、団体としてのポテンシャルを総合的に考えることが重要です。
合唱はチームであることから、一人ひとりがすべての観点で高い能力をもっている、ということが求められるわけではありません。あるメンバーが技術面で高い能力を持っていれば、その人がある程度は技術面で団をリードしてくれるかもしれません。一方で技術面はもう少し伸ばしていきたいけれども、想像力や創造力はキラりと光るものをもっている方もいますね。場を和ませたり、笑いをおこすことのできる方もとても貴重です。
いまのチームを構成する一人一人はどういうことが強みで、グループとして見たときにはどういう強みや課題をもったチームなのか、ここまでを整理すれば、あとはメンバー一人ひとりの強みが十分に発揮できるように、そして課題はちょっとでも自信に変えていけるような、そうした選曲ができれば、今いるメンバーで演奏する価値が生まれてくるように思います。
逆に言えば、そうしたメンバーやチームの分析無くして選曲をする場合、本当にこのメンバーで演奏する価値とは何だったのかを見失うときが来るかもしれません。仮にものすごく明るいキャラクターの方が集まっている団に、「戦争の苦しみ」をテーマとする曲を選んだとして、技術的にはクリアできたとしても、それを私事として捉え、仲間とともに心から共感して歌うことはできないかもしれません。「団に合った選曲を!」と合唱祭や春こん。の講評で言われることがありましたが、それは決して技術面だけのことではないように思います。
 
➁いまもっている知識や能力ではできない作品であること
教育機会として考えたとき、僕は現メンバーが今はもっていない力(知識や能力)だけれども、約5か月かければきっとできるようになるような力を想定して、「できなかったことが、春こん。を通してできるようになる」ということを重視しました。例えば、今回は、いくつかのことを念頭に置きました。ぱっと思いつく例を挙げると、「変拍子は苦手だったけど、少しは慣れた」「無調は音がとれなかったけど、少し感覚が分かった」「自分のパートが1人だとしても自信をもって歌えるようになった」「発声のメカニズムを理解して歌ってみると、いつもとは違う声を出せるようになった」「楽譜を見たときにできなさそうな不安があったけど、いまは似たような楽譜を見てもそこまで不安を感じなくなった」「これだけ難しい曲をあきらめずに演奏できたんだから、もうほとんどの合唱作品は怖くなくなった!」…というような変化をしてほしいな、というものです。
すでにもっている能力で十分に取り組める作品の場合は、教育としての価値に限定して考えれば、そこまで選曲の優先度は高くないように思います。これは、「そもそも教育とは何か」というとても大きなテーマとも関わりますが、自然発達の過程でできるようになることは、特別な教育介入をせずとも自然に獲得されるため、あまり介入の必要性は無いように思います。しかし、自然には気づけなかったり、身につかないようなこと、もしくはいつかは気づくかもしれないけど時間がかかる可能性が高いもの(例えば慣性の法則や三角形の面積を求める公式など)は、自然に気づくのを待たずに先人の研究成果を先に教えることで効率的に他のことを学ぶことが可能になります。そうして、いろんなことを知り、できるようになるよう介入していくことが、教育を受ける側にとっては将来の選択の幅を広げたり、自分らしい生き方を支援していくことにつながるのではないかと思います。(逆に言えば、何か新しいことを知ったり、できるようになるわけではない介入は教育ではないとも言えます)。
約5か月間でどの程度の力がつくと予測ができるか(変化を期待できるか)、それはやはり、選曲前のメンバー一人ひとりへの十分な観察と、メンバー一人ひとりへの信頼があってこそのように思います。予測ができない場合、何が起こるかというと、メンバーの能力と作品に取り組む期間に対して、不釣り合いな高度な能力が求められる作品を選曲してしまうことや、反対に簡単すぎる作品を選曲してしまうことが考えられます。このどちらにもメンバーに対するデメリットがあります。もし作品が十分に飲み込めなかった場合は達成感が得られず、また人によってはそれを失敗体験と感じるかもしれません。反対に簡単すぎる場合は、飽きてしまう、というのがよく見られます。モチベーションを維持できないということです。このあたりは、教育実習に行かれた方は、指導案作成時や実際の授業でご経験をされているかもしれません。
 
➂数か月をかけて取り組むに値する内容や背景をもった作品であること
中学校における校内合唱コンクールでも、各校種におけるクラブ活動や部活動における合唱でも、この点は重要になってくると思います。音楽科の授業を考えると、年間で限られた時数の内、一定の時間を割くに値する内容や深みのある作品かどうか、クラブ活動や部活動においては、連日の練習を行ったことを生涯の中で位置づけたときに、価値のある作品であったのか(人生で出会って良かった作品なのかどうか)、ということはよく言われることに思います。
作品に取り組む中で、最初は音を取ることや、合わせをすることに必死な状態だったものが、どんどん作品に慣れていったときに、「響き」に特に美しさがある作品の場合は、丁寧に練習するほどに声を重ね合わせることの素晴らしさを感じられるかもしれません(例えばE. Whitacreの”Sleep”は響きが美しいです…!)。詩の意味が分かることで、「こう歌いたい!」が出てくる作品の場合は、詩の解釈やそれを表現につなげていくことで、解釈することや自分とは違う意見を取り入れながら演奏を一緒につくっていくことの楽しさを感じられるかもしれません。そうした、数か月をかけることでどんどん合唱することの良さが分かっていくような作品でなければ、どこかで合唱団はエネルギーを失っていくように思います。
一時期は、哲学的な詩や社会問題、日本古来の文化等をテーマとした詩をもつ合唱作品が国内で数多く生まれました。三善晃で言えば『オデコのこいつ』や「わりばしいっぽん」、南安雄の『日曜日~ひとりぼっちの祈り~』、間宮芳生の「合唱のためのコンポジション」シリーズ、鈴木憲夫の『永久ニ』といったものです。今は、詩の内容面は昔ほど多様さはなくなったように感じています。一方で、響きの美しさの面では、今の時代の方が個人的には色彩が華やかになったように思っています。三宅悠太や土田豊貴、横山潤子の作品のように、響きがかっこいい曲はどんどん生まれているように思います。(余談ながら、作品のもつ響きが変わってきた分、求められる声のポジションも変わってきましたし、作品で想定されている合唱団の規模も、楽譜をみると変わってきたなぁとも感じます。)
数か月をかけることでしか気づくことのできない合唱の良さをもっている作品かどうか、それは教育の観点からは見逃せないものでしょう。
 
➃聴衆とも合唱の良さを分かち合える作品であること
演奏者として忘れてはいけないのは、演奏するとき、そこには聴き手がいることです。僕が(比較的)マニアックな作品を選ぶ理由について、どこかでお話したかもしれませんが、よびごえのみなさんが歌ってくださることで、お客さんが「この曲素敵!」「こんな曲が合唱作品としてあったのか」と思ってくれたら、お客さんがもっと合唱を好きになってくれるかもしれませんし、作曲家やその作品の見直しにつながるかもしれません。
その先に楽譜が売れれば、経済活動が付いて回ることになります。副次的ではありますが、これはとても重要なことだと思っています。作曲家の方がまた新しい作品を生み出してくださるきっかけになるかもしれませんし、やはり歌ってもらえることで作品は初めて「生きる」ことになりますので、作曲家の方の活力に直接影響するでしょう。
お客さんが十分に知っている曲を聴くとき、僕の勝手な考えかもしれませんが、過去の名演と比較しながら聴いたりしていることってあるんじゃないかと思っています。それは「粗探しの聴き方」と僕は思っているのと、それは合唱の良さではなく、コンクールに偏った聴き方に思っています。「合唱本来の楽しさ」をコンクールから切り離して聴いてもらうためには、やっぱり、聴き馴染みのない、それでいて内容の深い曲がいいんじゃないかな、とは思っています。
というこの考えは、とある高校の有名合唱部の先生の話をお借りしました。「コンクールで勝てる曲」というのがある、と感じていた時代があるのですが、そのことを思っていた時、全くコンクールっぽくない曲で全国大会に進んだ学校の先生で、その時からずっと「なぜあの選曲にしたのか聞きたい!」と思っていたのが叶った時に伺った話です。
 
 
……、めちゃくちゃ長いやん!と思われるかもしれません。僕も思っています。
しかし、「選曲」(教材選択)という行為は、合唱活動の方向を直接的に決定するものであり、つまりは教育活動の方向を決定するとても重要なことだ、ということをみなさんとシェアしたいと思いました。
コロナ初年度、オンライン勉強会を開催して、「作品を通した体験探究」と題し、「教育的な視点で合唱作品を分析する」という活動を行っていました。その時の記事がよびごえ日誌に残っていますので、リンクを貼っておきます。児童合唱や混声合唱、女声合唱の、さらには社会問題を含むもの、ナンセンス詩、宗教作品、ポップスなどの様々な作品を毎回取り上げながら、グループに分かれて、ワークシートの問いをメンバーと一緒に考え、発表し、そこからさらにみんなで考えるような活動でした。ワークシートも当時のものを参考用に貼っておきます(音源と楽譜もワークシート中のリンクからアクセスできます)。
 
さて、ここまでで4500字という、、、やばい!!と思っています。
今回の春こん。にて実際に選んだ2曲に関する簡単な説明はYoutubeの概要欄に書きましたため、そちらをご覧ください。
 
 
いつぞやに、春こん。が終わったとき、「合唱とはなにか」ということを考えてみてください、ということをお伝えしたように思います。
定義としては、そんなに難しくないとは思います。複数名が、いくつかの声部に分かれて歌唱する音楽の表現形態の1つですが、もちろんそんなことを考えて欲しいわけではありません。…
28
February
2024

【2023】よびごえ日誌 vol.11 春こん。を終えて

こんにちは、1Bの井藤です。
合唱団よびごえに入団してもうすぐ一年経つことを考えると、大学生活1年目があっという間だったな、と感じます。大学に入って自分のコミュニティが以前と比べ物にならないほど広がったことで今までの自分とは違った視点で物事を考えることが多く、教育的な面・音楽的な面共にとても充実した日々を送ることができました。
 
さて、今日のよびごえ日誌は春こんや春こん本番までの稽古について、またこの1年間を振り返って考えたことなどを書いていこうと思います。
 
まずは、春こんお疲れさまでした&ありがとうございました!
今回のよびごえの活動でも、春学期の合唱祭以上にたくさんの経験を積むことができたと思っています。
実は、春こんに向けて動き出した時、私はかなり不安でした。小田さんのLINEの内容、「春こんの曲を覚悟することができた」という文面を見て、「いったいどんな難曲が選曲されたのだろう、僕は歌えるのかな…」と考えていました。
そうして小田さんセレクトを受けた『だるまさんがころんだ』と『「風の馬」より第三ヴォカリーズ』の2曲。どちらの曲も譜読みから難しく、音取り用の音源を小田さん・藤原さんに作っていただき、それを聴いて練習しても初めは全然うまくいきませんでした。さらに2曲とも歌うパートが自分1人になる箇所(『第三ヴォカリーズ』に限っては曲のほとんどの部分・・)があり、「頑張ろう!」という気持ちはあれど「あれ、これ皆と合わせできるのかな…」という不安が大きくなっていきました。1回目のよびごえ稽古では、他のパートの音は聴かずに、まずは自分の音が合わせでも正確に取れるように意識しましたが、やはりうまくいきません。しかし悩んでいるのは自分だけでなく、皆が必死になって練習している光景は自分にとって何より勇気をくれるものでした。
だんだんと練習を重ねる中で正確に音が取れるようになってくると自信が付き、他パートの音源を聴きながら歌えるようにも練習しました。しかし…いざ稽古で合わせてみると、練習の時とは雲泥の差。実際の生の音は歌いながらだととても聴きづらく合わせづらいもので、音源と人の生で聴く声がまったくの別物だということを痛感させられると同時に、毎週の稽古の重要さも身に染みました。
 
そして、待ちに待った(?) 初の小田さんとの対面稽古。改めて気づかされることの連続でした。特に発声では、「空気をどのように吸って・身体のどこに溜めて・どこを通って出ていくか」を意識しながら行うこと、「この高さの音は出ない、と自分自身で決めつけないこと」など、今まで自分が行ってきた発声が如何に無意識に声を出していただけだった、ということが露わとなるようなことばかりでした。いつかの稽古の振り返りで、自分は高校の先生が「本番前に10発10中ではなく100発100中になるように練習しなさい」と言われたことについて話しました。小田さんはよびごえの稽古で皆がわかりやすいように明確に言語化して、つまり理論的に、発声や歌のヒントを提示してくれました。小田さんの教え方から、「100発100中」も大きなイメージではなく、1つ1つの身体の動きやテクニックに理由と方法論を用いて技術を構築していくことで「まぐれ」を無くしていく工程、と捉えられるのではないか、と思います。       
音がそろってくると、今度は歌詞や音程間の解釈に取り掛かりました。まだよびごえに入団して1年も経っていませんが、他のメンバーと意見交換をしながら時間をかけて曲の解釈を深めていく過程は、よびごえならではのとても良い活動だな、と思っています。1人ではきっと気づかなかったであろう新たな表現方法を発見したり、音楽に対する視野が広がったり、様々な視点からの歌詞解釈ができたりと、とても楽しい時間でした。この時間が無ければ、『だるまさんがころんだ』では怖く感じるイメージだった音形が温かく感じることはなかったし、『第三ヴォカリーズ』では曲の流れをはっきりと言語化することはできなかったと思います。
 
そして迎えた、春こん本番。今までの練習や稽古で取り組んできたことが多かったため、成果を出し切れるか、ホールでしっかり響く声で歌えるかと若干の緊張がありました。ですが、「音楽は、最後は心だから」という小田さんの言葉で、楽しく歌い切ることができました。曲の出だしの音量が違うといった点もあると思うのですが、夏に合唱祭で歌った時と同じホールだとは思えない程、第一声を出した瞬間にホールがよく響いていることがわかりました。練習でできたことが100%できた、とは言えないのが本番の怖いところですが、当日1人も欠けずに楽しんで演奏できたことは自身のとても素晴らしい思い出になりました。
 
4月からは大学2年生となりますが、この1年間で学んだことを活かして、自分に足りていない力を付けられる1年にしていきたいと思います。小田さんが春こんに向けたよびごえ日誌に「より良い合唱活動を実施できるようになるためには、たくさんの作品を知っておくことも大切」と書いていました。私が合唱団よびごえの一員として歌ってきた曲は今まで知らなかった曲の方が多く、知識・技術含めたくさんの経験を積むことができました。来年度からよびごえも新たなメンバーとなりますが、新1年生も一員に加わり、より多くの経験を一緒に積んでいけることを楽しみにしています。
 
長々と書いてしまいましたが、これで最後です。お付き合いください。
「教師はネガティブではいけない、ポジティブであれ。」少し言い切った形で書きましたが、稽古で小田さんがおっしゃった言葉です。東京学芸大学で1年学び、入学前より教壇に立つことが楽しみな反面、教師の裏側も思っていた以上に大変そうです。正直に言って、自分はポジティブではありません。理解していても、気が付くとネガティブ方向に偏っていきます。よびごえの活動含め、少なくとも大学4年になった時、このよびごえ日誌に自分がポジティブになれた、といった表現がより多く書かれていることを願っています。
ありがとうございました。
  井藤一輝…
27
February
2024

【2023】よびごえ日誌 vol.10

こんにちは、1Aの小林です。
1年前の今頃はちょうど前期受験を終え、後期受験の不安と闘い、合否発表の日が来るのを震えながら待っていたことを想うと、改めて月日の流れの速さを感じます。あっという間ではあったけれど、この1年は自分にとって出会いと学びと音楽に恵まれた、すてきな1年でした。
 
さて今回は、春こんという1つの行事を終え、年度内の活動が終わった節目ということでよびごえ日誌を書いています。前回の日誌で小田さんからお譲りいただいた稽古の様子を含め、自分なりに考えたことや稽古を通して変わったことをお話しできたらと思っています。お付き合いください。
 
今年の春こんで僕たちが歌ったのは、『だるまさんがころんだ(詩:矢川澄子 曲:長谷部雅彦)』よりⅠと、『風の馬(曲:武満徹)』より「第三ヴォカリーズ」という2曲です。いま、本番前に見たのを最後に久しく開いていなかった楽譜を眺めながら書いています。書き込みがいっぱいです。大変に難解な2曲でした。
 
まずはだるまさんについて。初めて曲名を聞いたとき、知らない曲だ、YouTubeで聴いてみようと思い一番上に出てきた動画をタップしました。流れてきたのはなんと打ち込みの機械音声。衝撃を受けました。一つ下にあった動画からはひとの声が聴こえてきたので安心しましたが、流れていくだるまさんの応酬に?が止まりません。かと思えばそれは参考視聴用の音源だったので1分たらずで終わってしまいました。YouTubeの世界に存在するこの曲の音源は、僕が観測できた限りこの2つだけ。これはやばそうだぞ、と、だるまさんに対する第一印象は不安でいっぱいでした。
風の馬について、こちらは演奏の参考音源にこそ(だるまさんに比べれば)困りませんでしたが、曲の難解さはだるまさんと同等かそれ以上だったように思います。日本語として聴きとれる歌詞がないこと、不安を誘うような和音の連続、そして何より突然やってくる終結部、最初に聴き終えたときはこの曲を自分が歌うんだということを忘れてしまうような呆然とした感覚になりました。
2曲に共通して言えることは、全然好きになれそうになかったということです。
 
譜読みしてみても、合ってるんだか合ってないんだかさっぱりわからないまま稽古は始まりました。みんなといっしょに歌ったらわかるのかな?と思ったりしたこともありましたが、そんなことないどころかむしろ逆でした。こんな難しい曲に挑んでいるのに、先輩方は「よびごえっぽい」「こういうのにもきっとすぐ慣れちゃうよ」「私たちもそんな風にわけわかんない時期があったなァ」とニコニコしていて、マジかよと思いながらついていくので必死でした。
 
後期の活動に入って初めて体験する出来事がありました。対面稽古です。オフラインの小田さんは、勝手に持っていたイメージよりずっと背が高いひとでした。対面稽古を通じて何より強く感じられたことは、自分の声が持っている可能性です。うまく文章にはできないけれど、声域的な意味でも声質的な意味でも、自分はもっと幅を広げられる、それを表現に活かす余地が無限にあるのだという前向きな気持ちになりました。これはよびごえの活動についてだけでなく、ソロで歌うときにも活きています。技術と表現の「分けて考えるべき部分」と「双方向に繋げて考えるべき部分」という二面性、音楽をやっていくうえで不断に挑み続けなければならないこの課題に対するヒントやアイデアをたくさん吸収できた時間でした。
 
年が明けてから、一気に稽古の空気が変わったように自分は感じています。初めのころは「訳が分からない」「音が取れている気がしない」「あってるはずの和音が気持ち悪い」とプラスな考えが浮かぶ兆しがほとんどなかったのに、年明けの稽古からは歌っていて楽しいと思える音やフレーズが1つ、2つと増えていきました。終盤の稽古になって取り入れられた、パートバラバラで2グループに分かれて歌う練習は特に楽しかったです。普段近くで歌うことがないひとたちの声が近くに聴こえて、自分の声部の役回りを強く感じられました。最初は頭がいっぱいで苦しかった通し稽古も、回を重ねるごとに面白くなってきて、ここ決まった!うれしい!!と思えることがどんどん増えていきました。今考えてもとても不思議です。最初は全然好きじゃないとか思っていたのに。
きっとたくさん考えたことを共有して、たくさん気づいて、たくさん歌った稽古の蓄積と、それから小田さんの魔法と計算のおかげだったのだと思います。
 
本番は本当に楽しく歌えました。ホールが鳴っているのが聴こえて、拍手のあと観客の「すごい、、」というつぶやきも聞こえて、表現や技術的にもっとできたことはもちろんあったとは思いますが、充足感の得られる本番になりました。よびごえの一員として出場出来てよかったと、胸を張って言えます。
 
4月からはまた新たな体制で、新しいメンバーで、新しいよびごえが始まります。この1年で先輩方から得られたようなことを周りに与えられるように、そして自分だからこそ与えられることを周りに与えられるように、来年の春こんを終えてまたこの日誌を読み返している自分が今よりすてきな表現者になっているように、新しい1年も大切に豊かに過ごしていきたいです。
 
今頃ちょうど前期受験を終え、後期受験の不安と闘い、合否発表の日が来るのを震えながら待っているであろう次の1年生が、1人でも多く合唱団よびごえに興味を持ち、やがてチームになって、「私たちもそんな風にわけわかんない時期があったなァ」とニコニコ言う側になる日が来ることを願って、今回の日誌を終わります。
ありがとうございました。
  小林翔人…
27
February
2024

【2023】よびごえ日誌 vol.9 はるこんを終えて

今回のテーマは、はるこんを通して合唱について学んだことですので、そのテーマに沿って書いていこうと思います。
 
 さて、音楽には、二つの側面があると私は考えています。一つは純粋な遊びとしての側面。これはそのままの意味合いで、個人が自発的に、自身の心を満足させるために行う状態です。(遊びにも様々な定義がありますが、ここでは“子どもがするもの”や“片手間でするもの”という意味ではなく、行為自体が目的であるものをさします。大和言葉で管弦は“あそぶ”ものであって、英語では楽器がplayするものであることは、音楽のそういった側面を反映しているようにも思います。)もう一つは、人との結びつき、すなわちコミュニケーションや、社会を形成する側面です。こちらは、表現あるいは文化とされる音楽を主に指し、人と共有することをゴールとしています。聴き手、共演者、援助者や教育者、あるいは村や団体などの共同体、故人からのつながりなど、様々な結びつきを生んだり、強めたりするものです。合唱には一般的に、後者の側面を強く持っていると感じます。すなわち、“共有”を重視する側面です。共有物には幅広く様々なものがありますが、その中でも重要になってくるのは曲ではないかと思います。小田さんと、合唱の選曲についてお話ししたことを思い出し、選曲について自分なりに考察したことを述べさせていただきます。
 
 教育者として選曲をするとき、そこにはどのような意味合いがあるのでしょうか。先日見学したある小学校の授業で、選曲について興味深い話がありました。曲を子ども自身に選ばせたとき、商業的に成功しているものが多い、というものです。商業的に成功しているから、自然に耳に入る。多数の人が良いと感じたのは事実かもしれませんが、その成功にかかわっているのは純粋に曲のよさや好感度だけではないでしょう。そうした曲を子ども自らが選んだ時、それは自発性といえるのか、という議論でした。このことは、人が社会すなわち他の人の影響から逃れることができないということを示していると思います。自発性すらも、何らかの人の影響があってこそ、出てくるものであるのかもしれません。そう考えた時、子ども自身に選択をゆだねることも一つの方法ですが、様々な選択肢があることを示し、新しい世界を見せることも教師の重要な役割の一つではないかと思いました。教師が提示した曲によって、子どもは自分の中に新たな文化を内在化させ、そしてそこから外界の新たな文化とつながっていくこともあるでしょう。
 
 今回よびごえで歌った二曲にも、様々な要素が含まれています。二曲に共通する要素として小田さんが述べたのは、「願い」や「祈り」でした。願いや祈り、欲求というものは、生きる根本に深くかかわっているものである気がします。一人ひとり、そこから考えたことは異なったと思いますが、このテーマと選曲は私には、将来を考える時期も重なり、生きる意味を考える時間を与えてくれたと思います。皆さんにとっては、この選曲にはどのような意味合いがあったでしょうか。
 
 
 さて、今回は合唱について学んだこととして選曲というテーマを取り上げ、長々書いてしまいましたが、頭を使った話はおしまいにして、最後に少しだけ気持ちを書かせて下さい。
 
 一年前、一時期は本気でやめることを考えていたよびごえでしたが、一年終わってみるとここまで皆さんと時間を共にできて幸せだったな、と思います。執行代として大したことはできませんでしたが、よびごえを通じて、色々な新しい出会いもありました。卒団された先輩方から、今でも温かい言葉をいただくこともあります。前に、メンバーからなぜ専攻に声楽を選んだのかと聞かれたとき、理由がぱっと思いつかなかったのですが、私が歌が好きな理由は、音楽を通して人とかかわり、つながる時間が好きだったからだったなぁ、とふと思いました。よびごえもたった週に一回の稽古ですが、そうした色々な人との大切な場所の一つになっているし、これからも大切にしていきたいなと思います。そして、これからも合唱を通じて、大切な人や場所を増やしていきたいです。
 
 大変長くなりました。半年分を一気に詰め込んだと思い、お許しください。ここまでお読みくださり、ありがとうございます。 一柳優里愛…
02
November
2023

【2023】よびごえ日誌 vol.9 今年も春こんが始まります

みなさん、こんにちは。小田です。
この前始まったかと思う夏休みも、あっという間に終わり、後期が始まりました。
 
後期の活動としては、春こんでの発表に向けて、2つの合唱作品をみんなで時間をかけて学んでいきたいと思っています。
稽古の様子は次回以降のよびごえ日誌に譲ることとして、今回は、自由曲候補には挙がったけれども、取り上げなかった作品を紹介したいと思います。
 
みなさんが将来、より良い合唱活動を実施できるようになるためには、たくさんの作品を知っておくことも大切に思います。以下、ご存知の作品もあるかもしれませんが、どれも素敵な作品ですため、これを機に聴いてみてもらえると嬉しいです。
そして、この曲だったら一緒に合唱をする仲間と①どんなことに新しく気づくことができそうか、②なにができるようになるか、③これから先の音楽学習を考えたときにどのような役割を果たすか、ということについても考えてみてもらえると、さらに、実用的な学びになろうと思います(作品の教材可能性)。例えば外国の宗教作品であれば、①その宗教ならではの考え方や言葉、ユニークな音響の美しさに気づきがあったり、②純正律の響きを求めて、4度や5度、8度の響きをきれいに響かせることができるようになるかもしれませんし、③そうした学びは、日本の作品を取り扱うときにも4度や5度、8度の響きを意識するきっかけになるかもしれませんね。日本の民謡をモティーフとする作品だったらばどうでしょうか、歴史的な問題を扱った作品だったらばどうでしょうか…、さまざまに考えてみてください😊
 
◆『合唱のためのコンポジションⅠ』(曲:間宮芳生)
日本の合唱界では、新しい作品が演奏される傾向があります。新しいというのは、例えば委嘱作品もそうですが、ご健在の作曲家の作品を指しています。例えば今年のNコンでは高田三郎(1913-2000)の作品を取り扱った学校もありましたが、比較的珍しいように思います。
よびごえのみなさんとの「学び」という観点で考えると、合唱界に携わっていると自然に接することの多い作曲家よりも、間宮芳生を含む、すでにレジェンドになっている中田喜直、武満徹、三善晃といった、過去の一時代をリードした作曲家の作品についてともに学び、今日のコンテキストで捉え直すことは重要な学びなのではないかと考えて、この作品を思いつきました。
『合唱のためのコンポジション』は間宮 芳生(まみや みちお)のライフワークと言って良いと思いますが、その最初の作品はみなさんにはどう聴こえるのでしょうか。僕はこの作品を中学1年生の時に初めて聴いて、中学3年間、ずーっと頭から離れずにおりました。中学生当時の僕には、よく分からないけれども、なんだかすごくかっこいい曲だと感じたのを覚えています。
 

 

 
◆”Cries of London”(曲:Luciano Berio)
1974年に書かれたこの作品は、まもなく50年を経とうとしている今日においても古さを全く感じさせない、緊張感のあるサウンドが特徴です。よびごえメンバーであれば、こうした作品にも取り組めると思いましたが、現代音楽の特徴である著作権の関係で楽譜代が高く、今回はそれを1つの理由として、候補に留まることとなりました……。
 

 

 
◆Mama Afrika(曲:Sydney Guillaume)
ハイチ出身の作曲家による、ハイチそしてアフリカに焦点を当てた作品です。小田はまたこういう曲にすぐ飛びつく…と思われそうですが、たしかに自分でも、こうした、日本以外の、世界や人々の歴史に目を向けられるような作品が好きなのはあるのかもしれません。
コロンブスの航海についてはみなさんご存知に思いますが、さて、コロンブスによって新大陸が発見されたことは、その後の現地人の未来にどのような影響を与えたのでしょう。ハイチは、コロンブスによって発見されたことで、先住民(タイノ人)は絶滅させられ、西アフリカの黒人は、奴隷としてハイチに強制的に連れてこられ、労働を強いられました。
ハイチの歴史はアフリカの黒人たちの歴史でもあり、そしてアフリカは人間の誕生の場所ともいわれる(と作曲家は捉えている)、こうしたテーマを持つこの曲は、よびごえのみなさんとともに学ぶ価値のある、大変に魅力的な作品に思えました。しかし、打楽器が必要なため、春こんでは演奏不可でした…。
 

 
◆『唱歌』より第3楽章(曲:千原英喜)
間宮の『合唱のためのコンポジション』と似た発想の作品ですが、千原の特徴ともいえる、甘美な旋律が含まれている点で、間宮に比べて多分に今日的です。僕もこの曲を歌ったことがありますが、なんとも不思議な作品で、各パートのかけあいにかっこよさを感じたことを覚えています。テキストは トテシャン チリリン など、口三味線の言葉で構成されています。
 

 
◆I Will Lift Mine Eyes(曲:Jake Runestad)
Eric Whitacreというアメリカの作曲家がいるのですが、彼の作品を初めて聴いたとき、とてもびっくりしたのを覚えています。日本では”Sleep”(https://youtu.be/aynHSTsYcUo?si=U8Vg6NEbDnTZe8bP)や”Leonardo Dreams of His Flying…
08
September
2023

【2023】よびごえ日誌 vol.8 中高合唱部との合同練習

さて、再び三年一柳です。私の怠慢により日誌が二つ続けての投稿になってしまいました。またかい!と思われた方、すみません。お許しください。
今年の夏は、小田さんがつないでくださったご縁で、とある中高一貫校の合唱部におじゃまさせていただきました。よびごえと、合唱部の合同練習です。久々に味わう、中高生特有の?熱気といいますか、精彩を放つ感じといいますか…と、合唱部のにおいに、なつかしさを覚えました。Nコンの課題曲を何年ぶりに中高生と一緒になって歌い、私も自身の青春時代を思い出したり。過去なのがなんとも悲しいところです(笑) 実は今でもnコンは毎年欠かさず見ています。部活は私の、まだ長いとは言い難いかもしれないけれどもすべての人生の中で、最高の思い出ですね。ありがたいことです。
そんなことはさておき。今回の指導では、指導&指揮を、弱気な申し出の仕方ではありましたが、なんと自分から引き受けるという私にしては思い切ったことをしました。大まかな方針はあったものの、指導の仕方ややる箇所など、ほぼ指定は何もなかったので、実質自分で考えるような形になりました。部活というものから離れて久しいですし、指揮も合唱の全体指導も未経験でどうしたらいいものか色々悩みましたが、よびごえや大学での学びを生かし、ただの指導というよりは教育であるように努めました。一つ、ただ指導者の言うことに従っていく稽古ではなく、生徒と一緒に考え、対話できるような稽古を、という指示だけ、小田さんからいただいておりました。これはとても大事な考え方だと個人的には感じます。よびごえで何より大切にされていることでもあるのではと思っています。教育は、一人一人の自分というものをもった人を育てることです。教育において、自分の思うとおりに動くロボットのような存在を育ててしまいうることは、怖いことだと感じます。今回の指導を通して、ただ私にとっての上手い合唱をつくることではなく、この子たちを育てるにはどうしたらよいかを沢山考えました。私の指導を通じて、一人でも、何か一つでも成長してくれていたらいいなと思います。
自分が指導側の視点に立ってみて、部活も教育の一環であり、教師の意図やねがいの上に成り立っていることを感じました。教育も、人と人との営みなのですね。そしてさらに、後日行ったzoomでの振り返りでは、部活は人を育てる場であって、ただの技術の鍛錬ではないことを、より強く感じました。自分自身の教育観について、考える糸口をまた一つもらった気がします。
今回は、本当に貴重な、良い時間を過ごさせていただきました。合唱部の生徒さん、先生にとってももしそうであったなら嬉しいです。そして、zoomの時に特に強く感じましたが、よびごえの皆様の考えやアイデア、お人柄にいつも本当に沢山の刺激をいただきます。後輩先輩に関わらず、尊敬できるメンバーです。それでは、そろそろ二つ目の日誌を締めたいと思います。また秋学期もどうぞよろしくお願いいたします! 一柳優里愛…
08
September
2023

【2023】よびごえ日誌 vol.7 春学期の活動を終えて

こんにちは。お久しぶりです。三年になりました、一柳です。
最近は実習に備え、指導案を練る日々です。領域は、自分の専門でもあり、今までずっと考えてきた歌唱にしました。ところが、さて。何をしよう…。私の配当校は、特に指定はなく、どのような内容を教えても良かったので、かえって、避けて通れない、ある問いが生まれ、進まなくなってしまいました。自分は歌の何を、あるいは歌で何を教えたいのだろうか、という問いです。私が教えることによって、歌が上手くなれば、学校教育における歌唱指導は、それで正解なのだろうか。しかしそもそも、上手い歌とはどんな歌だろうか。良い声?でも良い声って何?響く声、大きな声、綺麗な声、深い声…。それとも、聴く人に伝わるものがある歌?それとも、上手いとかではなくて、歌、音楽の楽しさを教える…?次々と疑問が出てくるのです。結果的に、迷った末、学年なども考慮し、今回は伸び伸びと歌により何かを表現する楽しさを学んでもらうことを最終的なねらいとして、授業を組み立てることにしました。考えている過程で、大きなヒントとなったのはよびごえでの学びです。
春学期のよびごえで、一度、比較鑑賞から自分たちの表現について考える機会がありました。私は以前から、鑑賞と表現の往還的な学習をもっと取り入れてはどうだろうかと考えていたので、それを実際に自分で体験できた、有意義な時間でした。歌唱による表現(歌唱にとどまらないとは思いますが)の学び方には、いくつか考えられます。私が考えたのは、四つの分類です。一つ目は、偶然学ぶこと。これは、幼児が声を出していたら歌になって、それを楽しむことであったり、歌っているうちにいつもと違う表現方法ができてしまったりすることが挙げられます。二つ目は、教えられて学ぶこと。これは、想像に難くないでしょう。誰かに教わることにより、新たな表現方法に気が付くことです。三つ目は、試行錯誤による学び。偶然の学びと近いですが、自分の意思による試行錯誤の結果、より良い表現方法を見つけるというものです。そして最後は、聴いて学ぶこと。この四つ目が、学校教育で取り入れることが可能であり、有効な学び方であるにも関わらず、あまり取り入れられていない印象をもったのでした。このことから、振り返りで、表現の獲得について気になったことを述べました。すると、他のメンバーの皆さん、そして小田さんから、ご自身の経験とも結びつけた、面白い意見や考え方が沢山でてきました。それが、表現とはなんだろうか、どのようにして獲得されるのだろうか、と深く考えるきっかけとなりました。
表現にとどまらず、合唱とは何なのか、合唱教育はどうあるべきなのか、よびごえは常に私に考えさせてくれます。そして、よびごえのメンバーから、沢山の気づきやヒントをいただいています。そのような場で学べていることに感謝です。今回、執行代という立場となり、意識していたことがありました。それは、学年関係なく、温かく、安心して学べる場をつくるとともに、誰かの気づきや、誰かの思考のきっかけになるような存在になることでした。私が一年生だった時、三年生の先輩方がそのような存在であってくれたから、それを引き継ぎたいと感じたからです。当時言うことが思いつかずあんなに嫌だった振り返りの時間も、温かい、なんでも言いやすい雰囲気を作って下さり、同時に、自分には考えもつかないような視点や考えを沢山見せてくださいました。小田さんと、歴代の先輩方がともにつくり、引き継いできたのであろうよびごえのよさを、私もまた私なりのやり方で残していけたらと思います。私がそんなことに気を回さずとも、今年の後輩たちからは気づかされることの方が多いですが(笑) 秋学期は四年生の先輩方も戻ってこられるでしょうか。またよびごえの皆様にお会いできるのを楽しみにしています!
大変に長くなりました。ここまで読んでくださりありがとうございます。それでは、これから季節の変わり目に差し掛かりますが、皆様お体にお気をつけてお過ごしください。 一柳優里愛…
28
August
2023

保護中: 【2023】よびごえ日誌 vol.6 今年の夏は高校訪問

この投稿はパスワードで保護されているため抜粋文はありません。
17
August
2023

【2023】よびごえ日誌 vol.5 合唱祭を終えて

今年度から合唱団よひごえに入団しました、B類音楽1年の室伏萌衣です。 これからよろしくお願い致します。初めてのよびごえ日誌では入団してから合唱祭を通しての感想、それ以降で感じたことも含めて自分の考えを書かせていただきます。 (合唱祭以外のことも含めますが、未来の自分への日記、との事だったのでご容赦ください)
 
少しわたし自身のことをお話ししますと、よびごえとの出会いは高2の冬、志望校を決めたあたりだったと思います。大学でも合唱を続けたかったので、大学の合唱団を調べていた時によびごえの存在を知り、演奏を聴いたり、日誌でみなさんの活動や考えを知ったりしました。高校から始めた合唱の恩師から、頭を使って音楽をすることを叩き込まれていたので、「ここだったら自分のやりたい合唱、考え方をより身につけることができる!」と確信しました。それから、よびごえをモチベーションにしつつ受験を乗り越え入団に至りました。
入団した今、上記のことをとても感じています。 小田さんの指導、そしてよびごえのみなさんとの活動は自分の中でとても大きな存在です。
 
合唱祭では、三善晃「かめ」と木下牧子「さびしいカシの木」を扱いました。特に三善晃の曲は今回が初めてで、苦手意識を持っていた反面、ようやく触れることができるワクワク感でいっぱいでした。個人的に和音をはめながら歌うという概念があまりなかったので、自分のパートと8・5・4度の音程の部分に印をつけたことや、3度の音の場合はそこまで音量出さなくてよいということが大変勉強になりました。(恥ずかしながら3度は長調短調決める音だから大きい方がよいと勝手に思っていました…)
よびごえで特に感じるのは、曲に対する想像力がみなさん流石…ということです。毎回みなさんの意見を聞き感動していました。 よりよい音楽をつくるには想像力がとても大切だなと最近感じます。(型にはまった音楽はぬるいというか、、小田さんが以前おっしゃっていた、いつでも新鮮な歌を歌わなければならない、ということにも通ずると思います)このようなことができる合唱団は限られていると思うので本当に楽しかったです。これからも色々な意見を聞くのが楽しみです!
本番はそこまで緊張することなく音楽を感じながら歌うことが出来ました。しかし、ホールが思ったよりも響き、どうしても男声側の声がより遅れて聴こえてしまったので戸惑いが生まれたのが心残りです。自分のテンポを保つ事の大切さを痛感しました。また、講評の先生の言葉の中にもあった、2つの曲の「さびしさ」という”共通点”がわたしの中で薄れていたのも反省です。それぞれの曲のメッセージ性の情報で自分の頭は溢れてしまっていました。この2曲を一緒に歌う意味までもっと考えるべきだったと感じます。これからに活かしていきます。
課題はありますが、合唱祭を通してそれぞれの合唱団の色を体感し「合唱っていいなぁ」と再認識する1日となりました。みなさんと同じ時間を共有することができてよかったです。
 
 
話が変わりますが、母校の部活指導に行ったとき、印象に残ったことがあったのでお話しします。
アドバイスの中で「息のスピードを速めてみよう」と伝えたときに一部の生徒に意味が伝わらず困らせてしまいました。どうしても、合唱に親しい人だとアドバイスを伝えたときに、体をどんな風に動かせばいいか感覚でわかってしまう、曲にどんな印象を与えるか伝わってしまうものです。合唱に触れたばかりの人にも分かりやすい言葉・指導ってなんだろう、と考えさせられる場面でした。 言葉の拙さの改善と、言葉以外でのアプローチ(指揮で導く等…現時点ではまだ夢のまた夢ですが)も行えるようにしていきたいと感じました。
 
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。これからよびごえでたくさん学ばせていただきます!(そしてもっと上手く自分の考えをまとめられるように4年間言語化頑張ります!) 室伏萌衣…
03
August
2023

【2023】よびごえ日誌 vol.4 合唱祭を終えて

はじめまして!今年度から合唱団よびごえに入団致しました、A類音楽1年の小林翔人と申します。合唱祭という初めての本番を終え、今回初めてよびごえ日誌を書かせていただくことになりました。拙い文章になってしまうと思いますが、長い文章にはならないようにしますので最後までお付き合い頂けると嬉しいです。
 
筆者がよびごえの活動に初めて参加したのは1回目の新歓稽古の日でした。新一年生で参加していたのは僕一人でしたが、僕が今こうして団員になっているのはその日の活動でよびごえという合唱団に強く惹かれたからにほかなりません。よびごえの先輩方は皆さん本当に優しくて、真摯に合唱に向き合っていて、僕もこんな風になっていきたいと素直に思いました。そしていつもよびごえの合唱を一緒に創ってくださる小田さんとの出会いも、よびごえに入る大きなきっかけになりました(この文章の提出先が誰あろう小田さんなので、最初に読まれることになることを思うと少し恥ずかしいような気もしますが)。よびごえの稽古ならではの小田さんの指導は、僕の合唱観をより豊かにしてくださっています。今改めて、あの日新歓稽古に飛び入り参加した自分を褒めてあげたいです。
 
さて、冒頭でも少し触れましたが、合唱団よびごえは7月17日に 第78回 東京都合唱祭 に出演しました。僕にとってはよびごえとして参加する初めての本番でした。僕は中・高と吹奏楽部に所属していたので、誰かの前で合唱の発表をした経験といえば学校単位で行われる合唱コンクールくらいしかありません。緊張というよりは、楽しみな気持ちで臨みました。
テノールとして合唱を創る一員となる上で、本番までの稽古で様々なことを考え、試行錯誤を繰り返しました。そんな中で、僕が特に強く意識するようにしたことが2つあります。
1つ目は「念ずれば通ず、は合唱では通じない」ということです。これは新歓稽古の時に小田さんがおっしゃっていた言葉でした。つまり「感情任せで歌うのではなく、楽曲で表現したい情景や感情をどんな技術を使って観客に届けるかを考えて歌わないと、歌を通して伝えたいことも伝わらない」ということですが、これは本番までの稽古を通してよびごえが追求してきた課題の1つです。「かめ」であれば発音やパート間の音量バランス、小学生の男の子が詩に込めた想いをどう歌に乗せるかを考えました。「さびしいカシの木」であれば1番と2番の歌い方の変化、その変化を踏まえた3番の歌い方など、「時間経過」をキーポイントに合唱を創っていきました。
2つ目は「合唱の中での自分の歌のバランスを考える」ことです。非常に個人的な話にはなってしまうのですが、僕は今回テノールパートを1人で担当させていただきました。本当にありがたい機会です。他のパートが複数人いる中で自分の歌がどう聴こえているのか、大きく鳴りすぎていないか、聴こえてほしいところは聴こえているか、練習後に録音を聴いてバランスを確認しました。合唱学習のまさに真っ只中にいる僕にとって、本当に貴重な経験でした。
本番、よびごえの合唱がどんな風にお客様に聴こえていたか知ることは今の僕たちにはできません(それが音楽の面白いところであると同時に恐ろしいところでもあると思います)が、少しでも伝えたかったことが伝わる合唱になっていたらいいなと思います。
この合唱祭が終わった後感じたことは「やっぱり合唱って楽しい!!」でした。稽古を重ねてきたよびごえの合唱を多くのお客様に聴いていただけたことはもちろん、他団体の素晴らしい合唱をたくさん聴けたという点でも楽しい時間でした。よびごえの一団員として活動していくこれからの自分にとって、今回合唱祭に出演したことが大切な経験になったのは間違いありません。よびごえの皆さん、小田さん、合唱祭を運営してくださった皆様、そして聴いてくださったお客様に、改めて感謝の気持ちを伝えたいです。ありがとうございました。
 
「長い文章にはならないようにしますので」などと筆者は書いていましたが、もうここまでで1600字を超える文章になってしまいました。初めてのよびごえ日誌なのでどうかご容赦ください。予告通り拙い文章だったと思いますが、ここまでお付き合いいただき本当にありがとうございます。
これからもよびごえの一員として精一杯頑張ります。今後とも何卒よろしくお願いいたします。 小林翔人…
03
August
2023

【2023】よびごえ日誌 vol.3 合唱祭を終えて

はじめまして!1年B類音楽の井藤一輝です。今年度から合唱団よびごえに入団しました!精一杯活動に取り組んでいくので、どうぞよろしくお願いします!
 
 
今回は初めての日誌となるので、よびごえの活動に対する自分の思いや、入団して初となる合唱祭の感想などを書いていこうと思います。
 
 
さっそくですが、私がよびごえに入団した経緯から話そうと思います。私が通っていた高校は合唱コンクールがなく、またコロナの影響もあったことから、私は高校で合唱を一度も経験しませんでした。だからこそ、大学では合唱もやりたい!と思っていたので、同じ音楽コースの子によびごえの新歓稽古に誘われた時はすぐに参加を決めました。
 
新歓稽古では相澤直人先生の「ぜんぶ」を歌い、特に「詩の繰り返しをどのように表現を変えて歌うか」について考えました。話し合いの際、私は主に曲の元となっている詩から意見を述べました。「ぜんぶここにある」の言葉だけが何度も歌詞に出てきていて、繰り返されるたびに強い思いが加わっているように感じました。他にも、一度目は他者に、繰り返しは自分自身に言っているという意見や広さ・深みが違っているという感じ方など、多くの異なるイメージを知ることができました。今まで詩から曲を考えることがなかったので、とても楽しい経験となり、歌えば歌うほど、考えれば考えるほどいろいろな思いが溢れてきました。
 
新歓稽古という短い時間の中でも学ぶことが多く、合唱そのものだけでなく自分が教える立場になった時に活かせる経験を多く積める、何よりよびごえの活動が楽しい!と思ったことから入団を即決させていただきました。(大野さんへの入団の連絡は少し遅くなりましたが…)
 
入団して間もなくよびごえ新体制の初舞台となる合唱祭に向けた稽古が始まり、「かめ」と「さびしいカシの木」を歌うことになりました。私はどちらも初めて聴く曲でした。2曲とも、『子ども観』をどう表現して歌うか、がとても大事になり、毎週の稽古でとても悩まされる議題となっていたと思っています。「かめ」はアカペラの曲なので各パート入りを合わせるタイミングがとても難しいなと感じていました。稽古が進んでいくに連れて詩の解釈も行い、どの部分をどう歌いたいかを話し合った後に初めて息がピッタリと合う合唱ができたと思います。自分はこう歌いたい、ということを言語化することで初めて、お互いにどの表現が歌詞に合っているかを考えられると改めて気付かされました。また、「かめ」の稽古で私がとても驚いたことが、初めて全パート一緒に歌う時、小田さんが「自分のパートを正確に、自己中心的に歌って」と言ったことです。聞いた時は、自分のパートだけ真剣に歌っていても他パートを聴けなければきれいな響きが作れないのでは、と混乱しました。けれど考えてみれば、いきなり他パートの音と一緒に歌うと自分の音やリズムがズレてしまう、といった問題は中学の合唱練習でも感じていたことで、「他パートが入っても、まずは自分のパートに集中して歌うことを意識する」という小田さんの言葉にとても納得がいきました。
 
「さびしいカシの木」は、1番2番3番(特に1・2番)をどのような変化をつけるかにたくさん話し合いの時間をとりました。また、日本語特有の鼻濁音や子音、特に重要な言葉の最初に多いkの子音を大事に発音することも注意ポイントとして学びました。自分がこの曲でこだわってみた場所は、3番のBassの入りと、その後の全パート共に入る「いまではとてもとしをとり」のところです。Bassの入りはとても暖かく声を出すことを意識しました。始めはうまく音が続きませんでしたが、小田さんや同じパートのアドバイス「胸を開放して、息を広げる感じ」を参考に暖かい声の出し方を考え、表現できたと思います。その後の各パートが同じ歌詞に合流するところは、1小節前のBassの音の流れをたっぷりと歌いたかったため、稽古で指摘をさせていただきました。少し自己満かなぁとも思いましたが、自分はとてもなめらかに歌いやすくなり、反対の声もなかったので同じような意図を持ってくれたのかな、と思ってます(笑)。
 
 
そして迎えた、よびごえとしての初の舞台であり、今までの稽古で学んだことに加えて、何を自分たちは届けたいかを一人ひとりが考えて臨んだ合唱祭!
 
私が合唱祭で感じたことはたくさんありましたが、大きくまとめれば、「やはり音楽って素晴らしい!!」ということです。多くの合唱団が各々の曲に向き合い、表現して合唱を作っている。各合唱団の歌からそれがひしひしと伝わってきて、とても幸せな時間が過ごせました♪
 
私自身も、ステージでの合唱はとても気持ちよく歌えて、歌い終えた時に充足感を感じました。よびごえが2曲に込めた思いが、聴いてくれた人々に伝えられたのではないかと思っています。しかしまだよびごえは新体制になったばかり、講評の内容や自分で練習通りに行かなかったことも含めて、さらに良い合唱が作れるようにこれからも精進していきたいと思います!
 
 
🎵最後に一言🎶
 
小田さんが最後の稽古でおっしゃった「合唱の意味」を、これからの稽古で考えていきたいと思います。私が小田さんの言葉を聞いた時にパッと出たのは、「それぞれの感じ方を共有し、1つの曲を表現していくことの大切さ、楽しさを伝える」といった意見ですが、おそらく小田さんの問いはもっと深いもの、またはもっと単純なものなんじゃないのかな〜と勝手ながら思ってます。自分が教える側に立ち、指導する際に大切なことも、これからの活動で吸収していけたらと思います!
 
 
気づいたらこんなにも長くなってしまっていたので、この辺で書き終えたいと思います。
改めてみなさん、合唱祭お疲れ様でした!また共に頑張って行きましょう! 井藤一輝…
12
May
2023

【2023】よびごえ日誌 vol.2

みなさん、こんにちは。小田です。
新体制最初の稽古を終えました。この日誌では、初回稽古に関する内容と、全よびごえメンバーへのメッセージを書きたいと思います。
 
新体制初の本番は、東京都合唱祭を予定しています。演奏曲は、以下2曲を小田の方で選びました。
 
『小さな目』より 「かめ」
詩:大しま あきひこ
曲:三善 晃
 
『木下牧子アカペラ・コーラス・セレクション』より 「さびしいカシの木」
詩:やなせ たかし
曲:木下 牧子
 
よびごえのメンバー1人1人が作品と向き合い、仲間と向き合い、自分と向き合い、ともに演奏を創っていけるような可能性をもった作品であること、そして、本番当日、演奏を聴いてくださる方1人1人とも「なにか」を共有できる作品であることを念頭に置いて、今回はこの2曲の組み合わせとしました。
 
初回稽古は、「かめさんデー」とし、「かめ」のみの稽古を行いました。時間の内訳は以下の通りです。
 ① 18:50頃~19:05 発声
 ② 19:05~19:20 「かめ」音の確認(女声と男声との2つに分かれて実施)
 ③ 19:20~19:50 「かめ」全体練習
 ④ 19:50~20:00 混声合唱曲『小さな目』について
 ⑤ 20:00~20:15 振り返り
 
①~⑤のうち、③、④について書いていきます。
 
 
③ 「かめ」全体練習
直前のパート練では、女声・男声の2つに分かれて実施したことから、全体練でも同様に、まずは女声、次に男声の歌い方の確認を行いました。(小節番号で示しますので、みなさんも次回稽古までに小節番号を振ってみてください。パート練でも役に立つと思います。)
 
 
-女声-
・1小節目「か」の発音について、「k」に力を入れすぎないこと。
 「k」の子音は、
   1.舌の奥と軟口蓋がくっついた状態から…
12
May
2023

【2023】よびごえ日誌 vol.1

こんにちはお久しぶりです。3年A類の丸です。遅くなってしまいましたが新歓稽古、新歓コンの日誌を担当させていただきます。
 
それよりもまず、今年度団長は私と大野になりました。この場をお借りして挨拶させていただきます。まだまだ新体制になって慣れないことばかりですが、執行代で協力して参りますのでよろしくお願いします。
 
そして、今回の新歓稽古、新歓コンにいらしてくれた新1年生のみなさん、何より私たちの演奏を聴いてよびごえに入団してくれたみなさん、本当にありがとうございます!これからみんなで新しいよびごえのハーモニーを奏でていきましょう。
 
それでは本題に移らせていただきます。まずは新歓稽古について。今年度の新歓稽古では相澤直人先生の「ぜんぶ(卒業式バージョン)」を取り扱いました。この曲を扱うのは私がよびごえに入団して2回目でしたが、歌う度にその時の境遇や生活環境で歌い方が変化するので、何度勉強しても面白い曲だと思います。感情についての歌詞が書かれているため、その時々の感情に少しばかり左右されてしまうのかなと(浅はかな考察ですみません)。
 
1回目の新歓稽古では「繰り返しをどう表現するか」という問いから、繰り返しの「大切なものはぜんぶここにある」の p を最初とどう表情を変えるか考えました。私は、最初が他者に自分の大切なことを伝えていて、繰り返しは自分自身に言い聞かせているようなイメージを持ちました。語りかける距離が違うような感覚です。他にも噛み締めているのではないかと言う意見や、広さが広いところから狭くなったなど、たくさんのイメージや意見が出て、面白かったです。さすがよびごえだなぁと実感しました。来てくれた1年生は曲にしていない歌詞にまで着目して意見を述べてくれて、ほんとに初めて参加したの!?と思うほど考えがまとまっていました。私が入りたての頃はなんとか意見を言うことで必死だったので、本当に感心してしまいました。よびごえの活動が凝縮されたような、新1年生にとっても私たちにとってもいい新歓稽古になったのではないかと思います。
 
ここからは新歓コンについて。新歓コンではここ最近お馴染みの「白日」そして中学校の合唱コンクール等では定番の「時の旅人」の2曲を歌わせていただきました。こちらの練習は団員みんな忙しい中時間を見つけて隙間時間に集まって練習しました。忙しい中協力してくれた槇さん、藤原さん、本当にありがとうございました。
 
「白日」はやはりいつもポップス×合唱の難しさに悩まされます。ポップスのビート感は感じ取りつつ、発声は合唱っぽく。16部音符の細かいリズムをうまく捉えて和音をはめるのはとても難しいなと改めて感じました。ですが何度も練習した曲なので、ポップス特有のノリと勢いでうまく歌い切れたのではないかと思います。「時の旅人」は直前の稽古まで重点的に和音をきめることを練習しました。子音を発する時からすでに次の音をイメージし、子音の段階で音を鳴らしているようなイメージ。そして階段のように音程関係をはっきり意識して歌うこと。この2点に気をつけるだけで音程が格段に良くなりました。また自分が和音のどの音を歌っているのかを意識する。これもやはり大切なことだと改めて感じました。新1年生が歌ったことのある、聴いたことのある曲だからこそ基本が疎かになってはいないか、当たり前ができているかを聴かれてしまうなと思いました。本番ではどちらの曲も練習通りに歌い上げることができたと思います。来てくださった1年生が私たちの「白日」と「時の旅人」を聴いて、少しでも思うこと・考えることがあったら嬉しいです。
 
これからは新体制で合唱祭に向けた稽古が始まります。昨年度とは違うよびごえの色に期待しつつ、自分がやるべきことを全うしていきます。そして団長としてよびごえを引っ張っていけるよう精一杯頑張ります。今年度もよろしくお願いいたします。 丸大喜…
10
March
2023

【2022】よびごえ日誌 メッセージ(堀切)

こんにちは!4Aの堀切です。
 
今回のよびごえ日誌は、書きたいことは沢山あるのになかなか書き進めることができませんでした。それは、書きたいことを文面にした時に、言葉が気持ちから離れていってしまうような感覚が強かったからです。書くために書いているような感覚、という感じでしょうか。普段の振り返りでは、直接話しているという即興性とライブ感で素直なことが話せますが、文章にするというのはそれ特有の難しさがあると感じました。ただ、今回の本番とこの4年間の振り返りを記録として残しておきたいので、できるだけ飾らず素直に書けたら良いなと思います。
 
まずは、今回歌った2曲について書きたいと思います。
今回歌った「Cikala le Pong Pong」と「Soleram」は共にインドネシアの曲ということで、そのアプローチがとても難しかったです。今、私自身やよびごえ全体としての曲に対するアプローチを振り返ると、共通性と固有性という視点が重要だったのではないかと感じます。私は、「Cikala le Pong Pong」を理解するにあたり、日本や自分との共通性に先に注目し、それを基盤として固有性に迫っていったと思っています。少し具体的に書くと、まず日本の結婚式のしきたりや様式と曲とを比べ、相手の家を立てたり形式を尊重したりして、思いとは裏腹なことを言うという共通性があると思いました。その後、では本当の思いとは何なのか、それはどうやって子どもや聴いている人に伝えているのかという共通性を基盤とした視点ができ、それがシンプルなリズムやフレーズを繰り返して没入感を生み出すというインドネシアの音楽の特徴や、踊りも含めたこの曲がもつ民族的なエネルギーの高さといった固有性の理解・体感につながりました。一方「Soleram」の場合は、インドネシアでポピュラーな子ども向けの歌であるということや、インドネシアの国民性と言われている奥ゆかしさが反映された歌詞であるという知識が先にありました。そしてその固有性から曲の背景を捉えた上で、子どもを想う親の気持ちという国を越えた共通性が、曲の世界観や歌っている時の自分の支えになっていたと感じます。私の中でも、曲によってアプローチが違いますし、同じ稽古をしている他のよびごえの方々も、人によって様々なアプローチをしていたのだと思います。どれが正しいということは無く、自分が一番腑に落ちる形で曲に対する理解を深められることが大切だったのだと思います。自分達とは異なる文化や音楽とどう接したら良いのか、その過程を実際に体験できたことはとても勉強になりました。
 
次に、よびごえの活動全体について書きたいと思います。
最初はよびごえの本番までの過程をできるだけ詳しく整理しておこうかとも思ったのですが、何だか違う気がしたので止めました。ここでは、よびごえの活動の自分なりの解釈について書こうと思います。
よびごえでやっていることを私なりに一言で表すと、「表現の主体者として、根拠をもって音楽をデザインすること」だと思っています。これが成り立つためには様々な要素が関係していると思いますが、団員個々の解釈や音楽表現が尊重されること、曲の世界観を理解する機会が保障されていること、この2つが特に重要な要素だと思っています。そして、この重要な要素は、解釈や音楽表現を無理に統一しないこと、曲の世界観について歌詞や背景、音楽から理解した上で、それを音楽表現に還元すること等の、よびごえで大切にしている考え方に支えられていて、そのような考え方がよびごえらしい学びを形づくっているのだと私は解釈しています。また、よびごえにおける合唱に対するアプローチが、そのまま団員同士の関係性の基盤になっていることが、よびごえという合唱集団の人間関係の特徴だと私は思っています。個人を尊重し主体的に行動するというのは集団の理念としてよくあるものだと思いますが、それが指導法と照らしても齟齬が無いというのは珍しいことなのではないかと思います。そして、このような活動をしているよびごえだからこそ、自分らしく学ぶことが誰かの学びや気付きになっているということに、卒業のタイミングで気付かされました。私にとってよびごえでの学びは、色々な要素や視点が混ざりあった多角的で開かれたものだったので、これからも自分の中で反芻しながら学びを深めていきたいと思っています。
 
さらに、私自身の大学4年間について書きたいと思います。
大学4年間を振り返ると、大切にしたものは大切になるということを改めて実感します。例えば、何かやってみたいことや興味があることに思い切って挑戦したことで、それが自分にとってすごく重要なものになったり、自分が変化するきっかけになったりしたことがありました。また、自分が大切にしたいと思っていたことが、色々な原因で大切にしきれなくなりそうだったとき、そのままそれを手放してしまったことも、ここだけは譲れないと大切にしきったことで、自分の揺らがない根幹になったと感じたこともありました。さらに、最初はあまり大切に思えなかったことでも取り組んでいくうちに、気付いたら実は大切なものになっていたということもありました。何かと接するときそこには必ず相手や対象が存在して、自分がした行動の影響を自分も相手も必ず受けるということを忘れないようにしたいと思いました。大学で学んだことを大切にしながら、何かを大切にできる勇気と柔軟性をもって過ごしていきたいと思います。
 
最後に、いつかこの日誌を読みにくるであろう自分に、せっかくのHPの位置づけを生かしてメッセージを残そうと思います。
この日誌を読みにきたということは、おおよそよびごえでの合唱体験をどうにか自分でも実践しようとして、行き詰まってしまったといったところでしょうか。もしよびごえの詳しい練習の様子が知りたいのであれば、他の日誌や当時の楽譜・録音を振り返れば良いと思いますが、そこまで不安になり過ぎる必要はないと思います。よびごえでせっかく学んだことを取りこぼしてしまったと思っているなら、たった4年で全てが理解できるほど合唱は単純ではないし、自分が本当に大切にしたいと思っている理念はちゃんと自分の中に残っていると思うので、安心してほしいです。むしろ、変わり続ける自分の教育観の中で、よびごえで学んだことを捉え直すことこそが、よびごえでの学びを生かすことにつながるのではないかと思います。教育観を確かに、柔軟にもちながら、目の前の子どもをよく見て、ともに学びを作っていってください。
 
本当に最後になりますが、よびごえで関わってくださった全ての皆さん、本当にありがとうございました。よびごえにいられて本当に良かったです!
  堀切彩愛…
21
February
2023

【2022】よびごえ日誌 メッセージ(原田)

こんにちは、3A原田です。
 
春こん。ありがとうございました!
今年も本当にあっという間で、でも私なりにたくさん学んだ稽古期間でした。せっかくなので、去年の私と同じ3つのテーマで振り返ってみようと思います。この間書いたばかりなのに、また長くてすみません……
 
◎歌唱技術について
いつかの稽古の帰り、“発声はファンタジーじゃない”と小田さんに言われたのが印象に残っています。また、稽古では声量で感動させる、という話があって、アルト1全体で求められていたほど声量アップできたのかは分かりませんが、4ヶ月で少しは気持ちよくクレッシェンドできるようになった気がしています。指導者として「もっと元気に!ffで!」という指示をするのは簡単ですが、体をどう使えば大きい声が出せるのか、どんな練習や環境構成が効果的か、まで考えなければいけないな、と実感しましたし、そうして学んだ技術が増えれば増えるほど、曲での表現の幅が増えるのだと思いました。
余談ですが、私は発声中の小田さんの「筋肉と会話して」「ブレスから勝負は始まっている」といったパワーフレーズが好きで、この4ヶ月でも楽しい指導言がたくさんメモできて嬉しいです。「OK?」と優しく聞いてくださるのも好きなので、今度の実習で使ってみたいなと思います。
 
◎曲について
今年取り組んだ2曲は、インドネシア スマトラ島北部のパクパク族民謡と、リアウ諸島の民謡でした。稽古では、詩を一語ずつ訳して、インドネシアの文化にも触れながら、詩の解釈をしていきました。子どもは何歳でどこにいるのか、どんな抑揚をつけたら民謡らしくなるか、この部分にはどんな気持ちが隠れているのか、それはどんな技術で表現できるのか、など、没入感をもって歌うための解釈をたくさんできたように感じています。没入感といえば、先日声楽のレッスン中、突然ゾーンに入ったような、曲の世界観に閉じ込められたような気分になったことがあって、私、成長できているかもしれない……!と嬉しくなりました。表現するには、正解を察することではなくて、自分なりの解釈に入り込むことが必要なのだと最近ようやくわかってきた気がします。教育現場で扱う外国の音楽も、子どもなりの解釈ができるよう文化への理解を深めることで、よくわからないまま綺麗に演奏する、ということはなくなるのかもしれないと思いました。
また、今回は詩と音楽だけではなく、踊りの稽古もありました。視覚的な一体感は強烈でしたし、合わせて作った衣装もインパクトがあって、本番も変なことしてる感じが面白かったです。振りが付いているChikala le Pong Pongでは、詩から踊り方のイメージを膨らませたり、それぞれの動きに込められた意味を感じることで音楽の方向性が決まったりと、それぞれが影響し合ってを曲を作っていることが実感できました。
そして、この2曲は、民謡として誰かの人生の中で実際に歌われている曲という特徴もあります。合唱団ではなくても歌う人がいて、コンクールのステージでなくても歌われるタイミングと場所がある曲。それゆえの難しさがあったとは思うのですが、最後の稽古で“この曲は春こんが終わっても、明日も明後日も歌われる曲だよ”という話があったとき、なぜか少し嬉しくなりました。それは、ステージの本番のために準備する曲があるのと同じように、大切な人のために歌う曲、自分のために歌う曲があって、私の中でそれはどれも同じように大切だから、かもしれません。個人的な意見ですが、私は、“歌いたい”という衝動は本来、ステージ上よりも寧ろ日常の、どうしようもなく悲しいときや嬉しくてたまらないときの方が湧いてくるのではないか、と思っています。そうした衝動を、表現に繋げられたら、言われた通り歌うだけの合唱にはならないのかなあ、と考えたりもしました。音楽科にいるからこそ、日常の中の音楽、生活の中の歌の価値、意味にも気持ちが向けられたらいいな、と思います。
 
◎合唱について
大学に入ってから、たくさんの人のおかげで歌を歌うことが本当に楽しくて幸せだなあと思っています。ですが、それと同じくらい、合唱をすることにたくさん悩んできた気がします。私は歌うと元気になるはずなのに、合唱をするとなんで疲れるんだろう?とか、やっぱりコンクールは苦手だなあ……とか。「合唱が大好き!」と嬉しそうに振り返りをしているよびごえメンバーを見て羨ましく思ったり、声楽ではできることが合唱だとうまくいかなくて落ち込んだりもしました。それでも、合唱は私にとって楽しいものですし、そう思えているのはよびごえのおかげだなと思っています。素敵な環境にいられて嬉しいです。
去年の日誌で「関係性」の話をしたのですが、合唱団の中の関係性というのは、常に変化するものです。去年の私は先輩方に追いつこうと必死で歌っていましたが、今年は逆にパート練を進める立場になって、自分の歌唱技術を頼りにしなければならない場面がたくさんありました。そこには責任感のようなものが生まれていたのだと思います。このような変化が至る所で起こっているのが集団というもので、教育現場での合唱は、そういった関係性の変化が大きく演奏に影響するのではないかと思います。指導者との関係性、曲との関係性もありますね。合唱指導をするということは、広い視野とバランス感覚をもって、そういった変化にも敏感にならないといけません。声を合わせて、と簡単に言うけれど、楽器で音色を合わせるよりも声を合わせるのは感情を消費する作業だよなあと思ったり。これまで素直に歌えていたのに指導者の一言で歌いづらさを感じるということがあれば、逆に歌いやすくなることもあるなあと思ったり。賞がつくと頑張れる人がいる反面、音楽に…賞…?と心がざわつく人もいるかもしれません。歌うことを好きでいてほしい、と願うほど、合唱指導は難しいなあと感じます。
コンクールについては、夏の勉強会で“子どもの学びを支える合唱作品”の重要性を感じるとともに、歌い手が充実感をもてるコンクールへの向かい方について、春こん稽古からもヒントを得られた気がして嬉しいです。価値ある合唱指導、正解があるわけではないですが、歌い手側の思考を促す指導は大切にしたいと思います。絶対的な理想を押し付けられるのではなく、子どもたちが自由に考えてそれを主体的に歌にできる……コンクールに出たことで、その過程を経験できるような指導をしたいです。先生にお守りで貰った金のキーホルダーを見ながら、金賞じゃないとだめなのか…と不思議がっていた私のような小学生も満足する指導ができたら、当時の私も喜んでくれる気がします(笑)。
それにしても、周りのブレスを感じて、自分の声と同じパートの人の声を、自分とは違う音との重なりを感じながら、解釈の受け渡しをし、指揮者の要求にも応えつつ、最終的に伝えるものは空間全体にある音楽で……と考えると、様々な要因を含んだ、複雑で繊細なことをしているんですね。でも、いや、だからこそ、連帯感、親近感、一体感……でしょうか?一緒に歌うことでしか味わえない感動や魅力が合唱にはあって、私はそれが好きなのかな、と思います。
そして、よびごえでの時間はいつも、これまでの人生で一番真剣に、そしてマイペースに合唱と向き合える時間だと思います。こんな書き方をすると、いつものように各方面から考えすぎだの思いつめすぎだのと声をかけられそうですが、寧ろ逆で、こういう時間が欲しかったので嬉しいです。私は小学生にどんな気持ちで歌を歌ってほしいのか、合唱からどんなことを学んでほしいのか、それにはどんな手立てが必要なのか。先生になる前にもう少し深くまで考えてみたいです。
 
改めて、
4年生の先輩方、卒団おめでとうございます。関われた期間は1年ほどですが、先輩と一緒に歌えて嬉しかったです。ありがとうございました!
 
そんな偉大な4年生さんと、優しい同期、頼もしい2年生、かわいい1年生、こんな濃いメンバーで毎週一緒に歌える場所があるってすごいことですよね。いつもありがとうございます。幸せです。
 
小田さん、面白くて新鮮で楽しい稽古をありがとうございました。よびごえからもらったたくさんの学びを、自分なりに広げていけるように頑張ります。
 
春こん。本当にお疲れさまでした!
 
  原田綾乃…
05
January
2023

【2022】よびごえ日誌 vol.12

こんにちは!3A原田です。
2023年もよろしくお願いします!
 
新年一発目の稽古は、小田さんが大学まで来てくださり、Zoom越しではなく対面で行いました。以下稽古の流れです。
 
発声(ハミング・a母音で声量意識!)
2曲通し
2パート練(Sop./Alt.)
全体稽古
振り返り
 
まず発声では、ハミングで徐々に跳躍の幅を広げて息のスピードを速くする練習、a母音でクレッシェンド、fで出す練習をしました。大きい声を出すとき、私はまだ別のところに力が入ってしまったり、息の通り道の意識が薄れてしまったりと、百発百中で気持ちよく大きい声が出せないので、春こんまでの課題だなと思っています。
 
その後は、一度通しをしてから2パート練。そして全体稽古をしました。
 
Cikala le Pong Pongでは、息のスピードを速く、というのと、とにかく輪郭をはっきりすることが個人的な課題だと感じました。全体稽古のなかでは、リズムで勢いを出したり整えたりすることがテーマだったように感じています。フレーズ間の引力への意識だったり、パートごとのリズムを立てる場面だったりという意識が、客席で聴いてくれる方の聴きやすさ、ノリやすさにつながるのだと思います。また、最後のHei!のテンション感についても、もう少し意味を持たせられるといいな、と思います。
 
Soleramでは、勢いを保って大きく捉えて歌うことが重要だなと思いました。そのためにもやはり声量を出せるように練習したいです。また、2パート練でアルト2の声を聴きながら、インドネシア語、マレー語をはっきり伝える意識が足りていないな、と感じました。去年も感じたことですが、外国語に対してはどうしても日本語よりも「伝える」という感覚が薄れてしまうように感じます。言語として音を理解して、それを客席に届けられるように歌いたいな、と稽古を経て感じました。私自身、一人で歌うときはどうしても内的な楽しみ方をしてしまうので、自分の外側へ、伝えるという意識をしながら歌える環境は貴重だなと思います。
 
本番まで日が迫ってきましたが、後悔のないように、よびごえメンバーみんなで曲と向き合えるといいな、と思います。一団員としても、執行代としても頑張ります! 原田…
15
December
2022

【2022】よびごえ日誌 vol.11

こんにちは、お久しぶりです。2年A類の一柳です。
今回の練習では、ソレラン(Soleram)の歌詞について深め、話し合う活動を行いました。
ソレランはインドネシア語の曲ですが、団員にはインドネシア語が分かる方がいらっしゃらないので、今シーズン全員まずは訳を書くところからのスタートとなりました。
感じたのは、言葉が分からないと、訳してみたところでそのニュアンスなどが分からなく、直接的な意味しか分からないことです。しかしさすが、そんな中でも想像力豊かな団員達からは様々な面白い歌詞解釈が出てきました。
最近は音とりとダンスに追われるに追われる日々だったので、久々の、よびごえらしさが存分に詰め込まれた活動だったような気もします。
“よびごえらしい”活動…そういえば、よびごえの理念とは、ただ合唱すること、合唱が上手くなることではなく、合唱と教育について考えることです。
ここから、非常に私的な事柄になってしまうのですが、私自身、最近合唱を教える、ということが全く分からなくなってしまって、あらためてそれについて考え直す日々でした。
合唱指導は、合唱を上手くするという明確な目的があります。しかし合唱を教えるというのは、合唱指導が全てなのか。もし合唱指導がすべてでないとしたら、合唱を教えるとはどのようなことなのか。もし合唱を通して教育に取り組むという視点で考えたら、何を目指すのか。合唱に取り組むことで、生徒達に何を得てもらいたいと考えるのか。
正解はないですが、とても大事な問だと思います。最近自分なりの答えが若干つかめたような気もしますが、それは今の自分にとってのもので、正解はないですし、今後も考え続けていきたいです。
 
あと春こんまで2か月、長いようであっという間なのだと思います。
このメンバーで過ごせる時間を大切にしていきたいです。
 
追伸:この日ではなくて次の日の稽古なのですが、三年生が披露してくださった歌があまりに素敵でした…!心温まる演奏をありがとうございました🌼 一柳…
16
November
2022

【2022】よびごえ日誌 スタコン終了

小田です。小金井祭に出場されたみなさん、本当にお疲れ様でした。
先日、僕が書いたよびごえ日誌で、「Salve Regina」と「白日」を選んだ理由については、少し語ってみましたので、みなさんの演奏を聴いて、合唱の学びの深いところと僕が思っていることについて、少しだけ共有を試みたいと思います。
 
みなさんよりも少し先輩のよびごえメンバーで、吹奏楽と合唱の違いについて、振り返りの時によくご発言くださる方がいました。「合唱にはテキストがある、それを教育資源として活かせるようになりたい」というような趣旨のことをおっしゃっていたと思います。
これについて、異論を唱える方はいないと思います。確かに、吹奏楽と合唱では、テキストの有無は表現の差異として認められると思います。
 
音楽は言葉である、ということについて、みなさんはどの程度、考えたことがあるでしょう。
これについて考えるとき、そもそも「言葉とは何か」ということを考える必要もあるでしょう。
では、改めて問いますが、「言葉とは何か」ということについてみなさんはどの程度考えたことがあるでしょう。また、みなさんは言葉とはなんだと説明しますか?
 
教科書的で明確な答えを探そうとすることよりも、ここではみなさんが普段使っている「言葉」について振り返り、その特性を今一度捉えてほしいことを目的として問うています。
 
 
 
僕の考えです。言葉は、自分以外の誰かに、何かを伝える必要性がなければ発達してこなかったと考えています。
最もプリミティヴなレベルでいうと、何かを伝えあうことが生存状態を維持することに有利であり、そのために時間をかけて複雑に発達させてきたのだと思われます(複雑な情報をより正確に共有できることは生存に有利だったのでしょう)。
つまりは、言葉の本質は、誰かに何かを伝える、ということであって、むしろそれだけの概念なんだと思います。
そう思うと、誰かに何かを伝えるものであれば、そのすべてを「言葉」と呼んで良いと思っています。
 
きっとこうした考えは僕だけのものではありません。書き言葉やしゃべり言葉といった、特定の文化圏で発達した、俗に ~語 と呼ばれるものだけが言葉なのではなく、ジェスチャーも何かを伝えますし、ダンスや美術作品、そして音楽も何かを伝えるので「言葉」なんだという考え方は、古くから西洋を中心に存在していました。
 
~語と呼ばれるものについては、新しい単語が開発されたり、単語と単語をどう結び付けることでどういう意味作用を期待するのかという統語(文法)という考えが発達していくことで、「言葉」としての豊かさを見出すわけですが、音楽はどうだったのでしょう。音楽は、多分にしゃべり言葉や書き言葉の影響を受けることで、音と音がいかに結びつくのか、ということが開発されていったと考えられています。これについては、レナード・バーンスタインの「答えのない質問」がとても面白い視点を与えてくれると思います。図書館で夢中になって毎日視聴覚ブースでビデオを見ていたころを思い出します。バーンスタインとしては、音楽にも文法があって、音と音が結びつくとき、例えばそこにはカデンツみたいなルールがある、それは言葉が 主語と述語 の組み合わせを基礎として多様なヴァラエティを持つことと似ている、というように説明しています。
 
さて、なぜ急に小田がこんなことを言い出したのか、ということにゆっくりと立ち返りたいと思いますが、「Salve Regina」のように私たちの私生活ではなかなか使用しない言語を歌唱するとき、テキストはよく分からないけれども、音楽的にはこういうフレーズで処理したらいいんじゃない?という「直感」が働く人もいるかもしれません。でも、言い方を変えれば、なぜその直感が作動しうるのかというと、音楽とテキストがそれぞれ異なった「言葉」だからであり、合唱作品(歌唱作品)は、そうした2つの言葉が併存するということが形態の独自性となっているからです。
 
声楽作品の作曲様相の歴史的変遷を思うと、歌唱作品にはそもそも2つの言葉(音楽、テキスト)が内在しているということを作曲家の中で自明のこととし、基本的にはテキストのもつリズム感や単語と単語の結びつきの強さの程度、意味などをいかに音楽に自然な形で反映していけるのかということが重要な技法とされてきました。例えば、作品を評する際に「テキストと音楽がよく合ってる」なんて言葉を耳にすることもありますが、まさにそうした価値観のことを指します。しかしもちろん、時代が新しくなるにつれ、テキストの内容について、いかに音楽という言葉によって広がりを持たせられるのか、ということが作曲家の興味の対象になってきます。つまりは、いつまでもテキストに迎合した音楽であることを良しとせず、声楽作品の中での「音楽」の表現を問うようになってきます。歌唱作品を構成する2つの言葉の力関係に変化が起ころうとしているということです。テキスト優位の場合は、音楽はテキストのしもべとなって、ペットのようについていくわけですが、テキストと音楽がともに独自の位置を見出した作品については、例えば「テキストと音楽の結婚」という美しい表現で言われることもあります。
 
つまりは、冒頭で引用したみなさんの先輩の発言を思い返すと、その方がおっしゃっていたのは、吹奏楽と合唱の違いを、表現形態に内在する言葉の数で捉えようとしていたこと、また合唱にはテキストがあるよね、というシンプルな問題ではなく、2つの言葉の関係性をいかに教育的に活用できるのか、ということを言っていたのではないかと思うのです。
 
さて、結論なのですが、「Salve Regina」と「白日」について、2つの言葉の関係性はどうなっていたのでしょうか。実は、一柳さんが初期の稽古の振り返りで少しおっしゃっていたようにも思いますが、この2つの作品については、こうした観点からも異なるタイプの作品であったように個人的には振り返っています。Salve Reginaはラテン語のテキストからアプローチ? 白日はノリや音楽からアプローチ? もしかすると、知らず知らずのうちに、この2つの言葉についてみなさんは直感的に捉え、それを演奏法につなげていたのかもしれません。そんなことを、みなさんの小金井祭での演奏を聴きながら考えていました。
 
最後に、今回の春こんの自由曲。その1曲については3つの言葉が併存していることにはお気づきでしょうか?音楽、テキスト、そして踊り。音楽では何を伝えられるのか、テキストでは何を伝えられるのか、踊りでは何を伝えられるのか。そして、そうした3つの言葉をもつ作品というのは、2つの言葉をもつ作品と比べて、お客さんへの届き方は何かが異なるのでしょうか?いろいろと、楽しく考えてみてください。
 
問いをもつこと、チャレンジすること、よびごえはもっともっと、合唱の本質に迫ることができます。合唱を究めてください。そして、それが将来の子どもたちとの合唱活動のエネルギーになることに心からの願いを込めて。 小田  
15
November
2022

【2022】よびごえ日誌 スタコン練習編03

こんにちは。B類3年藤原改です。今日はスタコン本番に向けた最後の練習で、本番曲の「Salve regina」「白日」を練習しました。
本番前最後の練習ということで、今回は細かい表現以外にも本番への向かい方について意識するような稽古になりました。
 
【Salve regina】
・響きを小さく作らない!自分たちの近くで響きを揃えようとせず、空間全体に響かせて「観客を包む」
・合わせるために遅くなる/小さくなることはないように!基礎はなっているからこそ前向きに歌う
・歌詞の単語間のエネルギー(修辞学的な意識)を大切に
・音/音程が何かを象徴すること・その違いを理解する
・語尾の処理を適切に行えるような場所/深さのブレスを心がける
 
 
【白日】
・この曲全体のトーンはどう設定するべき?
「諧謔的な(全てを見下ろすトーン)」「強め」「乱暴に見えて本当は傷ついてる」etc… 何かしらの意思を持つ
・原曲を踏まえた曲中でのテンポ変化について共通認識を持つ(ピアノの8ビートによるテンポキープ!)
・各声部のバランスと音程の最終確認
 
本番に歌うメンバー全員での稽古が実施できたため、バランスや音程など地盤となる音楽づくりの部分については念入りに確認が行えました。男声パートを担当している私個人の実感としては、混声四部合唱に比べて混声三部合唱の方が男声パートが担当する役割/音域が広く、根音として全体のハーモニーを支えるのか(混声四部合唱におけるBassの標準的な役割)、内声のような役割を果たすのか(SopとPianoの左手がそれぞれ外声の役割を果たしてアルトパートと男声パートで内声を担当する、といった動きは混声三部合唱にありがちだと勝手に感じています)、それぞれの役割に応じて声量感がかなり異なるため、すごく練習を始めたころは頭を使って歌っていた記憶があります。
 
7月の合唱祭に向けて取り組み始め、もう半年間この曲と向き合ったわけですが、だいぶそういった点については無意識に演奏できるようになってきたなと感じました。
ただ、だからこそ変な癖がついてしまった部分には気づきにくくなっているのもまた事実でした。音楽づくりの点においては、そういった癖をとり改めてこの曲の細かい部分と向き合う作業ができたなと感じています。
 
 
また、今回の稽古は「本番への向かい方を意識する稽古になった」と前述しましたが、それは前の段落で述べた「音楽面の最終調整」と別に、「本番の演奏を意識した稽古」たらしめる何かがあったからだと感じます。
それは具体的な文言が、というよりは稽古全体の雰囲気(小田さんの発言の端々から、また、団員の姿勢から)なのかなと思いますが…具体的にはあまり答えが出ません。
 
でもこの「本番前最後の練習」特有の感覚は、かなり経験した事があるものです。特に、何日も何か月も、たった1曲2曲に費やして練習していた中学高校の合唱部時代はいつも存在する感覚でした。
一度練習のすべてを手放して、頭に、身体に染みついている音楽を精一杯表現するような感覚。今回の稽古でも「練習してきたことは全部忘れて」という発言がありましたし(前後を省略しているせいで誤解を招いたら申し訳ないですが)、今までも様々な先生にそう言っていただいた記憶があります。そしてなぜだか、そうやってのびのびと楽しんだ演奏の方が九割九分上手くいくんですよね…。
 
指導者側の立場で考えると、この「本番前最後の練習」で児童生徒にどういった声がけを、指導をするかはとても本番の状態に関わると思います。絶対的な正解があるわけではなく、対象とする集団の年齢や雰囲気、本番の目的などによって変化するものだと思いますが、児童生徒たちにとってその時その時の本番がより素敵なものになるための一助となれるように、都度考えていきたいなと感じました。
 
私の怠慢で日誌の筆がなかなか進まず、気づいたらもう本番当日ですが、のびのびと演奏出来たらなと思います!
次回の日誌もお楽しみに! 藤原…
03
November
2022

【2022】よびごえ日誌 vol.10

A類4年の滝澤です。
11月3日の稽古について振り返っていきます。
 
前回はCの音取りが中心でしたが、今回はSにも触れることができました。
Sは和声的な音楽のため、パート内でピッチを合わせるのに苦労しました。ソプラノ2は半音の動きが苦手ですね…部分練習を重ねるごとに合わせることが難しくなってしまい、最終的にはピッチが高いのか低いのか誰がどうずれているのかも分からない、という負の連鎖が起きてしまいました。ただ、ソプラノ2の楽譜だけを見ると「前の音より半音上がる」という指示のところが、半音上がった先の音がアルト1と長三度になっているので、音が半音上がるという意識よりもアルトを聴いて和音の中で調整しよう、という意見も出ました。自分のパートの音程にこだわるのも大事ですが、視野を広くもって、和音の中の自パートの立ち位置を考えながら歌うということも、今後の合わせ練習で意識していきたいと思います。
 
Sの動画をいくつか見てみているのですが、子どもが衣装を着て歌って踊っているものや、大人が踊っているもの(個人的には日本の民謡や音頭の踊り・またはフラダンスのように見える振り付けもありました)、合唱編曲などいろいろなパターンがありました。また、その動画たちの関係で、世界各国の子守歌にヒットして、様々な国の子守歌のフレーズを聴いてみていたら、際限がなく… どこの国にも基本的に子守歌は不可欠なんだなという浅い感想の段階ではありますが、面白かったのでぜひ皆さんも世界の子守歌を調べてみてください!
 
それから、子どもが歌っている動画をたくさん見ていたら、昨年度演奏した「マザー・グースの三つの歌」を思い出しました。今回のSは、直接子どもの声を意識した発声や発音はしないかもしれませんが、今年度も子どもの純粋さを思い浮かべつつ、それを何か表現できるような合唱にしていきたいです。
 
秋学期、皆さん忙殺されていることと思いますが、週に1度のよびごえ稽古、ぜひ楽しんでいきましょう~
 
次回の日誌は、4年堀切さんにお願いしています。よろしくお願いします♪ 滝澤…
02
November
2022

【2022】よびごえ日誌 スタコン練習編02

こんにちは、A類3年原田綾乃です。今日はスタコン本番に向けた練習でした。
白日、Salve Reginaを練習しましたが、前回に引き続き発声についての内容が多かったように思います。
 
〇白日
ピアノ1/4開 アルトが低くなる場所など他パート音量注意
冒頭ときにはの「き」i母音すぐ鳴らす(息のスピード速く)
同じ音が続いたときの音程高めに
i→aなど、閉口母音から開口母音に移るとき浅くならないよう注意
発声の基本は合唱で、リズムや子音でポップス感を出す
 
〇Salve Regina
子音(語尾、語中)はっきり
5小節目アルトC高めに(C durの根音のようなイメージ) 2度ぶつける
アルト低音はペットボイス(胸に響かせる)を使って
ブレス早めに 3-5秒くらい前に!
 
母音については、チェックポイントを決めて、どこで浅くなりがちなのか、どこで息のスピードが必要なのかといったことを知ったうえで歌うのが大事だと思いました。個人的に、録音などを注意深く聴かないと自分の母音の深さには敏感になれないように感じているので、気を付けたいです。
ペットボイスについては、準備して単体で出すことはできても頭声との使い分けをするのが以前から個人的に課題だと思っていたので、うまくできるようになりたいと思いました。
 
また、今日の稽古では、小田さんが具体的な体の使い方を言葉で説明してくださっているのが印象的でした。
私自身は発声やブレスなどの体の使い方を習得するのにとても時間がかかるタイプなので、最終的には何回も回数をこなすことも必要ですが、頭で理解しているだけでも定着までのスピードや練習の効率は違うと思うので、言語化することも忘れずにいたいです。
指導者側の立場としても、夏休みの実習を経て、範唱で示すのはもちろん、言語化して伝わる指示や発問をすることの重要性を感じたため、体の使い方やイメージの共有の仕方など、伝わる表現を探していきたいです。
 
 
春学期から長く歌っている曲ですが、歌うたびに新しい学びが得られて、着眼点次第でいくらでも練習を広げられるのだなあ、と思います。
合唱祭で披露できなかったものの、ポップスと合唱それぞれのよさについて、宗教曲の解釈について、混声3部合唱についてなど、様々な視点からよびごえらしい演奏をできるようにたくさん考えを深めてきた曲なので、スタコン本番でもよびごえらしい表現をしたいと思います。ありがたいことに秋冬でたくさんの本番があって、抱えている曲もどんどん増えてしまっていますが、よびごえの稽古に来ると、「考えて歌う」ということの面白さについて改めて感じられます。どんな曲も自分なりに解釈して、表現を考えることを止めないでいたいと思います。頑張ります!
 
次回の日誌もお楽しみに! 原田…
23
October
2022

【2022】よびごえ日誌 スタコン練習編01

最近は、急に冷え込んできましたね…!マフラーやセーターを出した方も多いようで、冬が迫ってきていることを感じるこの頃です。
さて、今回は、11月に行われる秋の音楽科スターダムコンサート2022、通称スタコンに向けての練習を行いました。曲は、合唱祭で歌うことが叶わなかった、白日とSalve Reginaの2曲。前回の稽古では、同じ曲でも、発表の場が違えば歌い方や見せ方も同じではないのでは?なんて意見が出て、とても納得させられました。ちなみに、結果として、曲順が合唱祭で予定していたものとは逆になっています。今回の稽古では、発声についてのお話がメインだったかと思います。今回の稽古については、振り返りを皆さんに書いてもらいましたので、以下にまとめて掲載します。
 
稲村さん
白日では、時間をかけてたっぷりブレスを取ることを意識しました。器楽のレッスンでも最近は呼吸が課題なので、大学で学んだことと結びつけながら試行錯誤してみようと思いました。
Salve Reginaは、最大音量を1音1音に乗せ繋げることで、太い流れが見えるような見えないようなという感じに終わりました。ペットヴォイスの仕組みについても少し教わり、ソプラノとアルトの発声の違いについてはじめの一歩を知ることができておもしろかったです。
次に合わせたときに、3年生からの「わー(すごい)」を引き出せるように練習に励みたいです。
 
新喜さん
今回小田さんからアルトパートに向けて胸を使った発声についてのお話がありましたが、その時合唱に様々な声部がある理由を考えました。アルトは身体の重心の方に響かせるイメージを持つけど、ソプラノはそれをしてはいけなくてひたすら高い位置をイメージするという話をお聞きして、そうすることでアルトとソプラノの違いを出すことができ、立体感のある演奏になるのだと個人的に腑に落ちた点があります。たしかに、合唱の声部はその人の音域で分けることになると思いますが、それだけでなくそのパートを最大限に活かす歌い方があることが新たな発見でした。ただ高い低いの概念ではなく、声の質により注目して練習に励もうと思います。
 
萩原さん
《発声》
・始めは一言一言アクセントで歌う。(点と点)
・アクセントとは、クレッシェンドの最速バージョン。
・音量が最大(山?)になったところから常にその音量をキープして歌う。(点どうしを繋げて線に)そこで初めて息がどのくらい足りないのか体感→歌い切れる息の量を考えてもう一度。
・低声の発声の仕方として4パターン
①溝落ちが前後に動く+肋開かない
②‥ が動かない+肋開かない
③鎖骨(肩)が上下に動く+肋開く
④‥ が動かない+肋開く
・④を『ペットボイス』という
↑↑アルトは実践。ソプラノは声が重くなる(?)からNG
 
最後に私(一柳)も少し書かせていただきます。
今回の稽古では、普段歌では感覚ですまされがちな、発声のメカニズムについてのお話がありました。高い音は頭声、低い音は胸声を使うとよく響くこと、胸声の際は胸に響くので、胸に空間が必要なことなどを学びました。その際に出たのが、体格の話。もともと胸の部分の空間が広い方は、低い音が響きやすい傾向にあるということ。触れにくい部分ではありますが、歌は、生まれもった身体や声帯が非常に重要な役割を果たす演奏活動です。自分の力ではどうしようもない部分もあるのかもしれません。学校現場でも、中学校などでは特に、常に考えなくてはならない部分だと思います。でも、それぞれ違う個性のある声で、一つのものをつくる合唱という活動は、面白いな、と改めて感じました。
 
スタコンも春こんもで忙しいですが、寒さに負けず頑張りましょう!
今回はこのへんで。お読み下さりありがとうございました。次回もお楽しみに! 稲村、新喜、萩原、一柳…
20
October
2022

【2022】よびごえ日誌 春こん、開始します。

みなさん、こんにちは。小田です。
 
今日、いよいよ今年度の春こんの稽古を開始しました。
今日の稽古に向けて、会場をおさえたり、キーボードを運んだり、PCの準備をしてくださったり、本当にありがとうございます。
 
まずは、よびごえの稽古が感染拡大の場とならないよう、全員で注意を払いましょう。安全を確保し、安心できる場があってこそ合唱の活動を行うことができます。気になることや不安なことがあれば、誰かに相談することを忘れないでください。
 
ついに今日、自由曲が決まり、来週からどんどん譜読み・合わせを進めていきますが、今回の自由曲は、本当に悩みに悩みました。8月頭から悩みはじめ、ようやくこれでいこうと思えた曲に出会えたのは先週です。自由曲にするからには、その曲が本当に今のメンバーにとって良い学びに成り得るのか、その成立背景や楽譜を分析して、準備をしていました。
でも、今日、みなさんの顔を見て、良い曲を選ぶことができたと、この2か月が報われた思いです。選曲は本当に大切です。それは、これから皆さんと一緒に過ごす時間がどのようなものになるかを決めることに等しいからです。いま、よびごえメンバーと一緒に考えたい作品、そしてみなさんのもってる力が100%ではなく、120%発揮できる曲を探していました。
 
選曲の過程では、いろんな曲が頭をよぎりました。
せっかくなので、候補だった曲のうち、音源がオンラインにあるものについて紹介したいと思います。いろんな曲を知っておくのは悪いことではないので、もしよければみなさんも時間のある時に聴いてみてください。
 
 
“SUITE” de Lorca 全曲
作曲:E. Rautavaara
詩 :G. Lorca
 
以下の動画は混声版の演奏ですが、女声版も演奏される機会が多い作品です。女声版の楽譜の表紙には”児童合唱のための”と付されていますが、日本でいう、子どもたちのための作品のように希望に満ちた、明るいテーマというわけではなく、三善晃における児童合唱作品のように、この世界のリアルが真摯に描かれています。ここでは、いつでも”死”は私たちのことを見つめており、私たちの近くをうろうろしているということです。作曲者自身は「死と生の間に潜む、暗く、重苦しい内容を合唱作品として表現したかった」とのこと。言語は、スペイン語で歌唱されることが多いです。
 

 
 
 
「梟月図」より 青
作曲:鈴木輝昭
詩 :宗左近
 
2004年、僕が中学生のころのNコン高校の部の全国大会で安積黎明高等学校(福島)が自由曲として歌唱していた作品です。その時の衝撃がいまでも残っています。歌唱も大変に素晴らしかったのですが、「なんてすごい曲なんだ!!!」という作品に対する感動があり、鈴木輝昭を意識するようになったきっかけの曲のようにも思います。人の声が重なることで合唱になるわけですが、その重なり方によってこんなにも美しい空間ができるのかと、鈴木輝昭が楽譜の冒頭に書いてある「多層的に広がる色彩」の通り、まさに色が広がっているかのように僕には聴こえました。2群合唱による作品で、同時に女声12部で動く箇所があり、難曲と言えます。
 
【合唱】無伴奏同声合唱のための「梟月図」から 青
 
 
 
「日本の民謡 第2集」より 会津磐梯山
作曲:松下耕
詩 :伝承
 
8人のソリストに加えて、ソプラノ、メゾ、アルトという通常の女声合唱団が必要な作品です。よびごえのメンバーは全国各地から集まっていること、また現在、福島出身のメンバーがいることから、この曲も候補に考えていました。この曲は究極的な〈チームワーク〉が求められる作品に思います。8人のソリストは、十六分音符ずつずれながらロングトーンすることで、音による背景を空間につくっていきます。難しすぎる曲なのですが、国内でこの作品に挑戦する合唱団は少なくありません。
 

 
 
 
「風の馬」より 指の呪文
作曲:武満徹
 
あまりに選曲に悩み、この曲のことも真剣に考えていました。せっかく昨年度は「第1ヴォカリーズ」を取り扱ったので、「指の呪文」に挑戦できれば、なにかが解決するような気もしました。「第1ヴォカリーズ」のモティーフが「指の呪文」でも使用されていたりと、作品間の関連性はあるのですが、実態はまったく別の作品のように、個人的には捉えています。この作品を歌唱できる団体は、日本にはほとんど無いと思います(挑戦することは自由ですが・・・)。
 

 
 
 
「合唱のためのコンポジション 第7番」より マンモスの墓…
02
October
2022

【2022】よびごえ日誌 合唱祭辞退と夏休みインライ編📷

今年度、よびごえの夏休みの活動は、1.2年生チームと、3年生チームに分かれて実施しました。
 
今年度の夏休みの活動の背景には、よびごえ結成以降、途絶えることなく出場していた東京都合唱祭への出場ができなくなったことがあります。今年もたくさんの新しいメンバーがよびごえの活動に加わってくださり、団としても声が新しくなったので、合唱祭では自分たちで合唱を創る活動を楽しめる曲、これからの合唱活動の基盤となる「音楽」を考えられるような曲と願いを込めて、King Gnuの「白日」の合唱編曲版、K. Bikkembergs作曲の「Salve Regina」を演奏予定でした。
 
白日とSalve Reginaと聞くと、「え、ほぼ真逆の曲やん」と思われるかもしれません。その通りです。
でも、実はこの2曲、いずれも混声3部合唱の作品であるからこそ選んだという理由もあります。
音楽作品の類似もしくは相違を見ようとするとき、例えばポップスや宗教曲といった「ジャンル」の視点や、混声3部合唱や同声2部合唱など「編成」という視点からも見ることができます。今回の2曲はジャンルという視点から見たときには相違が認められますが、編成という別の視点からみると類似が認められるという位置にあります。今回の2作品は、この2作品の組み合わせだからこそこうした複雑さをもつわけで、「え、ほぼ真逆の曲やん」と最初に思った方がいれば、合唱祭の本番が終わるころには「あ~この2曲はたしかにこういう視点から見ると全然違うけど、こういう視点から見てると似てるよね~」と、作品間の複雑性を実感をベースに当たり前に語れるように変化してくれたら、それは俗に「成長」という言葉に当てはめてもよいのかな、と思っていました。
 
もちろん、そんな概念的なことを学びと限定せずとも、ポップスを合唱として演奏することの難しさを肌で感じ、どうすれば解決できるのかという解決学習の意図もありました。音楽の仕上げ方という意味では普通の合唱作品のように詩からのアプローチではなく、音そのものの「ノリ」(みなさんの口からもたくさん出てきましたね)やビート感など、そういった方法でのアプローチも有効であることを共有できました(音楽言語からのアプローチ)。一方で宗教作品を扱うときには、やはり言葉の壁はあると思いますが、今日の主流な合唱指導のスタイルである詩からのアプローチを共に学ぶ時間にできたように思います。単語のアクセントや単語と単語がつながるときはどの言葉が大事なのかという、単語のもつアクセントと、文章としてのアクセントの違いから音楽をつくっていけるというアプローチも行いましたし、言葉の意味論からせめる場合は、やはりキリスト教に視点を向け、その世界を前提として、マリアとはどういった存在なのか、そういったマリアに対し私(作品の中での私)はどう思っているのか、ではそういう思いはどういう声で歌われるべきなのか、では具体的な歌唱としてはどういう技を使って歌うのか(ここにフォルテやピアノ、暗い声、明るい声が位置づいてきますね)、というふうに進めていくことができました。このアプローチの根幹は、指導者主導ではなく、指導者はファシリテーターになっているというところにあると思います。僕からは情報と問いを投げかけ、実際にマリアがどういった存在なのか、作品中の私であればマリアに対しどういう感情を感じるのか、それはみなさんに委ねました。
 
そんな音楽言語的アプローチや詩からのアプローチなど学びの仕掛けを準備していたということと、みなさんもきっと、稽古の中でたくさんのことを感じ、考えてくれたこの2曲を合唱祭で発表できなかったことに残念な思いもあったと思います。一方で、しょうがないことでくよくよしても前には進めないので、みなさんで挽回の機を考えてもらった結果、1.2年生から出てきたアイデアが「インスタライヴ」(インライ)でした。
 
よびごえ初のインライは、以下にて開催予定です。
ちなみに明日のインライの曲はすべて混声3部です(1.2年生の作戦だったのでしょうか?)。編成としてはすべて同じ。だけどもジャンルも違えば、作品に与えられたテーマも違う。教育目的で書かれた作品とそうでない作品など、様々な視点を感じさせる曲たちから、演奏とナレーション(司会)を通してどれだけの合唱の広がりをお客さんと共有できるのか。僕も、みなさんのインライから合唱を楽しみたいと思います。
全力での真剣勝負、よい本番になりますように願っています。
 
Instagram Live!!
👉 yobigoe_tgu_chorus
👉 10月3日(月) 19時 スタート
👉 君とみた海(若松歓作詞作曲)
  白日(常田大希作詞作曲、田中和音編曲)
  With You Smile(水本誠作詞作曲、水本英美作詞、富澤裕作曲)
  Salve Regina(K. Bikkembergs作曲)
  虹(森山直太朗/御徒町凧作詞作曲、信長貴富編曲)
 

 

(司会の音量チェック中)
 
3年生の夏休みの活動は、勉強会を開催し、3年生は3年生での合唱を行っていました。
僕が忙しさを理由によびごえ日誌を更新できていないという怠慢でしかないのですが、時間を見つけてアップしますので、3年生の皆さん、ご容赦ください…。 小田直弥…
07
July
2022

【2022】よびごえ日誌 vol.9

はじめまして!1年A類音楽の新喜真由音です。今年度からよびごえに新しく入団しました!今回初めてのよびごえ日誌を書かさせていただきます。これからよびごえの一員として恥じないように活動していきたいと思いますのでよろしくお願いします!
 
今回は7/18の合唱祭へ向けて発声→全体稽古→通し稽古→パート練の流れで練習しました。
 
発声では、まずブレスを使って歌っている時に重心を下に保つことが大切だということを確かめました。その後、音程と母音を付けた発声をしました。その際、低い音は意識しなくても重心がしっかりしていますが、高音になるにつれて音とともに意識も上の方に向かってしまう傾向があります。なので高い音ほど重心を感じる必要があるのだと改めて気づきました。常に上半身だけでなく全身を意識して歌いたいと思います。
 
白日では、初めの女声二部の部分でほとんどの印象が決まってしまうということについて考えさせられました。小田さんに、はじめを大切に愛情を持って歌う、と指摘していただきました。しかしその後に歌ってみると、真面目で原曲のよさが少し失われてしまったという話がありました。私は専攻のピアノでも、「真面目すぎるからもう少し遊び心が欲しい」と言われることがあり、その度に遊び心とは…?と悩まされます。今までにいろいろなことを考えましたが、今回の活動で思ったことは、”リズムや強弱を工夫して面白いものを作ろうとする”だけでは聴いてる人には伝わるものは少ないのだろうということです。自分たちが心からその曲を楽しむ気持ちや「こう歌いたい」という意志の強さなども演奏には大切な要素なのだと感じました。しかし、これはリズムや強弱と違って非常に抽象的なことなので、どうしたら形にできるのかより学んでいきたいと思いました。
 
Salve Reginaでは、先週に引き続きフレーズごとの音色の変化について考えました。パート練習の時、先輩方が「音色の変化といっても明るいと暗い以外に何があるのだろう」と話されてました。私はその時全然思いつきませんでしたが、やはりこれも感情的な部分が大きくなってくるのかなと感じました。まだ考えはまとまらなかったので、本番まで残り少ないですが深めていけたらと思います。
 
よびごえに入団して1,2カ月ほど経ちましたが、議論についての自分の考えの浅さや頭の硬さを痛感しています。もっと積極的に音楽を創り上げていきたいので頑張ります!
 
次のよびごえ日誌は3Bの藤原改さんにお願いしました。よろしくお願いします🙇‍♀ 新喜真由音…
30
June
2022

【2022】よびごえ日誌 vol.8

こんにちは!3年アルトの原田綾乃です。今日は、体操と発声のあと、Salve Reginaと白日の全体稽古を経て本番を想定した通し稽古を行い、最後にパートで気になったところの確認を行いました。
 
 
今日の発声では、体操で無理のない立ち方を確認したあと、決められた拍で息を吐ききるブレスの練習をしました。白日のようなポップスを扱うとこのような基本的なところが崩れてしまうこともあると思うので、丁寧に確認できてよかったです。次にやったハミング→曖昧な母音→母音という流れで響きの位置を確認する練習では、ハミングから母音への間に一つ入れるだけで、ハミングの鼻腔内共鳴の感覚を母音のときも意識できていいな、と思いました。個人的に、普段の練習で発声練習を充実させることができていないと感じているので、本番前だからこそ、個人で練習するときも、発声にもこだわって練習したいと思いました!
 
その後の全体稽古では通し稽古に向けて2曲の確認を行いました。
 
Salve Reginaでは、歌詞の意味に応じて音色を変えるという話がありました。これまでのよびごえの活動でも行ってきたことですが、朗読が先にあって曲が生まれた、という背景を持つ宗教曲ではより一層音色の変化に意味を持たせることが重要なのではないかと感じます。歌詞を読みこんで、自分なりの表現を考えたいです。
 
白日では、音程のことやテンポのことなどの確認とともに、徐々に白日のモードに入るのではなく、切り替えることに気を付けました。今年の合唱祭に向けての稽古では、合唱としてポップスを扱うことについて、発声のことやビート感の出し方の工夫、ポップスと合唱のよさを出せる演奏を目指して試行錯誤しています。私は本番になるとどうしても「成功させなければ」と保守的な演奏をしてしまうので、自分で考えた表現を客席まで届ける意識をしっかり持って、本番まで面白い白日を研究したいです!
 
 
また、通し稽古は本番独特の緊張感を感じられるのと同時に、自分の中に定着していない部分がわかるなあ、と思いました。抜き出して歌えばできるものも、通すとうまくいかないということがよくあるので、本番を見据えて、常にできる定着した表現を増やしていきたいと思います。
 

 
今日の写真は、なつみちゃんお誕生日おめでとう〜ショットです!
素敵な一年になりますように!
 
次回は1Aの新喜さんにお願いしました!お楽しみに!
 
  原田綾乃…
16
June
2022

【2022】よびごえ日誌 vol.7

1番初めは「Salve Regina」を行いました。
まずはキリスト教についてのお話から。キリスト教の曲は、キリスト教についてしっかり理解した上で歌うことが大切で、木下牧子さんの曲を歌う時と同じように歌うと違うものになってしまう、ということを学びました。
 
その後歌詞の意味を確認しました。例えば冒頭では「ごきけんよう、お妃様」という意味になるので、元気よく「ごきげんよう〜!」と歌うのではなく、厳かに歌う、といったように歌詞からの表現を確認しました。
 
 
次に言葉のアクセントとフレーズについて。
日本語で考えると、「おはようございます」という言葉は、もともと「おはよう」と「ございます」の2語で、その二つの言葉と言葉がくっつく統語的エネルギーが発生することで、「おはようございます」という一つの言葉になります。この理論で考えると、Salveとreginaは二つの言葉なのでアクセントはそれぞれ2つですが、統合的エネルギーが発生することで「Salve Regina」と一つになります。つまりSalveと言い始めた時はreginaに向かってエネルギーが発生し、アクセントを持っていくことになります。このように言葉についてじっくり考え、アクセントに向かって一音ずつクレッシェンドをかけるなどして歌い方を工夫していきました。
 
以上のように、言葉の意味とアクセントから歌い方について考えることをするのは私自身初めてで、曲が全く違うものに聴こえるくらい変化が感じられてとても興味深かったです。さらにはっきりとした変化を付けられるようにしていきたいと思いました。
 
次に「白日」です。伴奏と合わせて練習しました🎹
一回通した後小田さんから、「もっと面白い演奏にするにはどうしたら良いか」という問いを頂き、それぞれ個人で考えた後もう一度歌いました。サビのところで少し地声っぽく歌うことや、拍を細かく縦にとることなどの意見が出ました。
 
小田さんが、この「白日」を本番の合唱祭で歌った後、「やっぱり声楽を勉強している人たちだから綺麗、上手だね」と言われたらそれはこの曲をやった意図とは違うよね、とおっしゃっていて、これからの練習でもつねに「面白い演奏」について考えていきたいと思いました。 槇佳絵子…
02
June
2022

【2022】よびごえ日誌 vol.6

発声→サルヴェレジーナ→白日
 
💫サルヴェレジーナ
発音の確認
音楽と宗教について
・科学的ではないこと、説明できないことに理由をつける。
 →安心、平和を見出そうとする。より平和に。
・「いただきます」、「ごちそうさまでした」など、日本は宗教を文化的なものとして扱っている。
・キリスト教について
 キリストはパワーマン、超人的。自分達とは違うすごいひと。
 この世界を変えたのは、キリスト自身か、キリストを生んだマグダラのマリアか。
宗教に関わる音楽に触れるときには、文化的背景をより理解することで曲への理解がより深まる。
 
💫白日
前回までは…「再現的に歌うか、二次創作的に歌うか」
・パートごとに工夫して歌う。
 →前回よりも変化があった!
・一番盛り上がるところは?
 →「L」だ!音量を大きくする?子音を立てる?
・休符の扱い方
・工夫した部分が言葉なしに伝わるように。
 →授業では工夫したところを言語化して共有できるが、演奏会ではそれはできない。
 
個人的な感想
今回の活動で印象的だったことが2つあります。
まず1つ目は、「工夫した場所が言葉なしに伝わるように」というお話です。実際の本番ではここをこうして頑張った!ということは聞いて頂く方々に言葉でお伝えすることができないので、演奏でお伝えするしかありません。その中で私たちが伝えたい表現や音楽はどれくらい伝わるのだろうか…と思いました。また、音楽の目的についても考えました。私はあまり人前で演奏することが好きではなく、自分のために音楽をしている、という感覚で日々演奏しています。しかし、演奏会や試験となると自分のために演奏しているだけでは足りず、何か相手に伝える、という目的が生まれるような気がします。聞き手に伝わる演奏は気持ちの面でも技術的な面でも難しいな、と考えさせられました。
2つ目は曲と曲との切り替えについてです。これについては振り返りの際に多くの方が話されていましたが、私は曲と曲との切り替えに全く抵抗を感じませんでした。なので、切り替えが大変、とお話しされているのを聞いてかなり驚きました。それだけ一つ一つの曲に集中力を持って、こだわりを持って、演奏しているということなのかなと思い、素敵だと感じました。また、ひとつ前の話と通ずることではありますが、歌い手が抵抗を感じるなら、聞き手も同じなのではないかと考えました。曲間の雰囲気や表情、2曲目の曲の始まりなどを工夫して、歌い手も聞き手もみんなが2曲目に入り込むことができるようにしたいなと感じました。 土橋咲良…
19
May
2022

【2022】よびごえ日誌 vol.5

今回のよびごえ日誌は、A類2年の稲村歌乃が担当します。
 
5月19日は、合唱祭に向けた第一回目の稽古でした。合唱祭で歌う曲は、「白日」(詩、曲:常田大希)と「Salve Regina」(曲:K. Bikkembergs)です。J-popと宗教的な作品を並べて歌うことになるなんて、誰が予想したでしょうか。私も稽古が始まる前から、変だな~とわくわくしていました。
 
今回の稽古は白日の音取りが主で、その後にざっと合わせました。音取りではリズムに詰まっている言葉の多さに苦労する場面も。歌詞カードを見てみても、こんなにしゃべっているのだと驚いてしまいました。本番のホールで、言葉や表現をお客様に伝えられるようにはどうしたらよいのか。今回の宿題は、J-popを合唱として歌うときに、どのような発声で歌いたいのかというものです。次の稽古でみんなが持ってくるアイデアが楽しみです。私もたくさん考えます。
今日、特に変わったことといえば、団員が増えたこと(うれしいです…よろしくお願いします)と、4人も見学者の方々がいらしてくださったことでした(これまたうれしい…)。しかも、今日来てくださった見学者の3人は入団してくれるそうです。(‼)これで2年生の同期が全員で7人になりました。(わーい。)
新しいよびごえになってかわったところもあれば、変わらないところもあり、、これからのよびごえで出会える合唱作品、音楽が楽しみでなりません。
 
次回は、3Aの原田綾乃さんです。お楽しみに! 稲村歌乃…
12
May
2022

【2022】よびごえ日誌 vol.4

こんにちは!今回はA類音楽2年の丸大喜がよびごえ日誌を書かせていただきます。今日の稽古は新歓コン前最後の練習で、団員各々が本番に対する意気込みや不安など、様々な感情を抱えながら臨んだ稽古だったのではないかと思います。
 
新歓コンで演奏する二曲「春に」と「彼方のノック」。どちらもthe合唱曲という感じで、この前の春こん。とは良くも悪くも雰囲気がガラッと変わります。有名曲で、音楽に携わる人なら知っている曲であろうからこそ、“ただ上手に歌う”だけではだめなのではないかというのが今日の大きなテーマになったと思います。もちろんいつも考えていることではありますが、いつも以上に考えていたのではないでしょうか。どうすれば新入生たちを惹き付けられるか。よびごえにしかできない演奏、出せない響きを模索した内容の濃い時間だったように思います。
 
初めに、今日の稽古内容をまとめてみます。まず稽古の流れとして、発声、パート練、一曲通して振り返り、一曲通して振り返り、最後に二曲通すという流れでした。次に曲ごとに細かい内容や思ったことを書かせてください。
 
○春に
一曲通した後の小田さんの言葉で少しハッとさせられたのは覚えています。「相当なインパクトがなければ新入生には流される。リズムを正確に、発声、和音を決める。それができるのはお手本のような演奏にすぎない。そうではなく、大学で学んだことでどれだけ変わったのかを伝えなければならない」。これは音楽の本質だと私はいつも思います。上手な演奏をする人が周りにいくらでもいる世界だからこそ、上手なだけの演奏というのは、どこか心に届くものがないなと感じます。そこをベースに自分たちの表現や感情が加わることで初めて聴衆に届く演奏になるのです。しかし私たちは技術を高めることだけに気持ちが向いてしまいがちです。そうではなく私たちは聴衆に何を届けたいのかを考え、それはどうすれば伝わるのかを試行錯誤するのがよびごえという合唱団です。今回も音楽の本質を思い出す機会というのを小田さんが与えてくださったことに感謝したいです。
 
では聴衆に伝わる演奏をするにはどうすればいいのか。挙がったポイントは「歌い始め」でした。「この気持ちは何だろう・・・。」とはじまるわけですが、ここをせーのと拍通りに入るのでは何も気持ちがこもっていません。自分の中にあるもやもや、あるいは言葉にできないものなど、団員それぞれの中にあるものを思い浮かべることで自然と出てくる「この気持ちは何だろう…。」とはじまる方がより伝えたいことが明確になります。初めのインパクトで新入生を惹き付ける演奏に変わったと思います。
 
○彼方のノック
この曲もまず挙がったポイントとして、曲の歌い始めでした。初めで新入生にアッと思わせる。初めが勝負だと私も思いました。ユニゾンの単調なメロディだからこそ気持ちを込めなければつまらない始まり方になるのは目に見えています。やはりどんな曲においても初めと終わりは特に重要だなと感じますね。
 
そしてもう一つ挙がったのは、75小節目でのブレスの有無です。フレーズ感的にはしない方がいいという意見や、母音が同じだから言葉がわかりやすいようにブレスを入れて切った方がいいという意見もありました。このように一つの個所を吟味していろいろな観点から議論するのはよびごえの代名詞だと思いますし、難しいですけどいろいろな考え方が聞けて楽しい時間でもあります。ここでは後者の意見を採用しブレスありの方向で意見が合致しました。
 
今回の稽古ではもう曲が完成していて、通すということを優先していたため、あまり深いところまでできませんでしたが、とてもよびごえらしい有意義な活動になったと思います。これから新歓コンで私たちの演奏が始まりますが(現在時刻5/13.17:35)、どうか私たちの演奏を聴いて、聴きに来てくださっている新入生の皆さんに私たちの思いが伝わったと思ってくれるようなステージにできるよう、頑張りたいと思います。
 
来週は2年A類の稲村歌乃さんによびごえ日誌をお願いしました。よろしくお願いします。 丸大喜…
21
April
2022

【2022】よびごえ日誌 vol.3

こんにちは! 今回のよびごえ日誌を担当するのはA類音楽2年の大野菜々です。
今回は2回目の新歓でした。参加していただいた方々、本当にありがとうございます…(涙)
 
一般的な合唱団とは少し風変りな活動をしているよびごえですが、体験という形で参加していただくことで、1つでも発見を得ていただければ嬉しいなと感じています。個人的にはその楽しさにハマったらもう合唱の楽しさから抜け出せないような気がしています(笑)
 
さて、今回の稽古は主に詩の解釈、そしてそれをどのように技術に還元するのかという点についてをテーマとした活動でした。とはいっても、私が入団してからそのことばかり考えている気がしますね。稽古中に何気なく小田さんから与えられる課題に対して、1年前の私はあっぷあっぷしていたことを覚えています。周りの先輩方が素敵な意見発表しているのを見て、かっけえ、、、と思ったものです。また毎度のことではありますが、小田さんから与えられる疑問が毎回新鮮で、その視点の多さに驚かされています。自分が合唱指導に携わる際に、子ども達にそういった疑問に気づいてもらえるような稽古ができるのでしょうか… まだまだ人生経験が足りないような気がしています。よびごえ歴も1年程度の私ですが、この期間で様々な視点を手に入れることができました。自分の成長を感じる一方で、もう1年もたってしまったのか、と時の流れの速さを痛感しますね。
 
余談が過ぎましたが、ここからは今回の稽古で考えた問いについて記録します。
前回の「ぜんぶ」の稽古でも詩の解釈を行ったので、今回はその続きのような内容でした。今回与えられた課題は、【さくらももこの詩では繰り返されていない部分をどうして相澤直人は曲にする際に増やしたのだろう】という問いでした。2回繰り返される、というのはあらゆる分野においても製作者の強い意図を感じるポイントです。相澤直人はどういった思いでこのパートを作曲したのか、という点を考察しました。
 
そして次に考えるべき点は、じゃあ私たちはどのように演奏を変化させようか、という技術還元についてです。前回のよびごえ日誌でもあったように、音楽を作るうえでは雰囲気、ニュアンスを漠然と捉えるだけではなく、一歩踏み込んだ技術のことを考える、この過程が非常に重要です。
私はあまり合唱団に所属した経験が少ないので、中高の合唱コンクールでの経験を参考にしますが、学校での合唱指導では特に精神論が多かったように感じています。それは歌うことが自分の身体を使う技術という側面を持っているので、自身の気持ちが少なからず反映されるのは事実だからではないでしょうか。音科の学生さんの中でも「恋が自分の音楽に影響をもたらす」「天気が悪いからこの曲やりづらいな」などの意見がちらほら出ているのを日常的に耳にします。何なら私がその代表格です。天気が悪い日はレッスンだってうまくいかないし、雨が降っている時は調子が出なかったりします。でも、それってとても危険なことではないかな、と最近うすうす気づいてきました。例えば、学校の合唱コンクール。ここは明るい気持ちで歌おう、ここは寂しい感じだよね、事前にこういった打ち合わせをしたとして、いざステージに立ったら、緊張、焦り、そんな感情に支配された音楽が進んでいく。こう言った場面はきっとありふれた事例だろうし、気づいたころには本番は終わっていた経験は私にもあります。そんな事態を防ぐための対策が、私たちが常に向き合っている技術還元なのではないでしょうか。私は感情をそろえたうえで、どのような技術を用いることがふさわしいのかを考察し練習を重ねることで、より再現性のある合唱が可能になるのではないかと考えました。本番が終わった後に練習の成果を発揮することができたと思えるような合唱を披露するためにも、自分たちが感じ取ったものをどうやって技術に落とし込むのかを考えていく必要があるな、とよびごえでの経験を通して強く感じています。
 
私は常々音楽って不思議なものだなと感じています。音を通して作曲者が表現したかったものを感知したり、演奏者の表現したい情景を察知したり。誰にだってできる「音楽を発する」行為は実はものすごい情報量を抱えています。これが解析できるようになったら、音楽を通してのコミュニケーションがもっと実用的なものになるんじゃないかって思ってみたり。音楽は言語を用いないコミュニケーションツールだ、みたいな意見を耳にしたことがある気もします。誰かの演奏を聴いて、何かを感じる。当然のようだけど感じ方が文化によって違ってたり、逆に同じ文化には同じような傾向で伝わったりしそうですね。同じ情景を表現するにしても、日本人向けの演奏とアメリカ人向けの演奏が大きく異なったりするんでしょうか???
 
などと、これ以上は私の思考に収集がつかなくなってしまうので終わりにしたいと思います。自分の意見ばかり含んでしまったので、読みづらいものになってしまったかもしれません。よびごえでの自由にとことん甘えさせていただきます。
 
次回のよびごえ日誌は、2年A類の丸さんにお願いしました!! 大野菜々…
14
April
2022

【2022】よびごえ日誌 vol.2

こんにちは!A類音楽3年になりました、原田綾乃です。
1回目の新歓を終えて、今回は新歓コンに向けての稽古でした。
 
今年の新歓コンでは、「春に」「彼方のノック」を演奏することになりました。春こん。から一転、両方とも日本語で、広く知られた曲です。客席の誰かにとっては中学校の授業で歌った曲だったり、違う誰かにとってはNコンの思い出が蘇る曲だったりするのかもしれません。稽古ではそんな2曲をよびごえらしく演奏できるように紐解いていきました。
 
以下稽古内容(と語り)です。
 
発声練習では、ハミングでブレスとポジションの確認、ア母音でポジションと息のスピードの確認、短い音で当てる練習をしました。22年度から私が発声練習を担当することが多いのですが、高校の時から弾きながら+聴きながら自分も発声、がなかなか難しくて苦手だなあと思っています。指導の引き出しを増やしながら、いろいろを同時にこなす技能も身に付けられるよう頑張ります!
 
その後パートごと音程の確認をして、全体稽古をしました。
 
○春に
まず、完全5度・4度をはめる、3度のキメはアルトが低くならないように、など細かい音程の確認をしました。気持ちよくきまるように、周りを聴いて丁寧に歌いたいです。
表現については、しかし しかも そして の3つの接続語の子音Sの表現について、ただ子音を出すだけではなく質感をcresc.とリンクさせることで歌詞の解釈とつなげる、ということをやりました。
 
何度歌っても、詩を読んでも新しい気づきがあって、改めてこの曲の深さを感じます。私は春になると新しさへの緊張や不安にばかり囚われてしまうのですが、この曲を歌っていると、なんとなくそわそわしたり、ドキドキしたりする気持ちのゆくえや変化、複雑さや多面性を、純粋に、そのまま感じていられる気がします。
 
 
○彼方のノック
今回の稽古では、全体の音やリズムの確認(伴奏とも初めて合わせをしました!)をしたあと、パートごと詩の解釈をしました。
廊下、扉、あなたとわたしとは何のメタファーなのか?
「ここから出して」〜「近づいて」は誰の言葉?
といった問いについて、
 
・「あなた」は「わたし」が認知していない「わたし」
・「あなた」は変化した先の「わたし」
・ここから出して どこかへ行きたい はあなた(変わった後)で、近づかないで でも近づいて はわたし(変わってしまうことへの恐怖)
というような意見が出ました。
 
そんな解釈を経て、歌い始めの表情は息を多めに使って表現することや、「駆けて」が2回繰り返される部分の必死な様子はkの硬さや強弱で表現できること、Cの転調、強弱の不安定さから“動き出した感”を出すことができるといった、具体的な演奏技術に還元させていきました。昨年度は技術的還元にたどり着けないことが多かったので、今年度はどうしたら伝えられるか?を1回の稽古で1つでも自分から見つけられるように頑張ります。
 
 
最後の振り返りでは、Nコン課題曲という先入観が歌詞の解釈の幅を狭めているのではないかという話が出ました。稽古の度に彼方のノックが好きになっている私ですが、コンクールというものに向き合うのがとても苦手なので、きっと彼方のノックにも“Nコン課題曲”というフィルターをかなりかけてしまっていたな、と思いました。私が高校時代にやっていた歌詞解釈も、「こういうテーマだから、こういう風に解釈させたいのではないか」とコンクールらしさのようなものを目指していたのかもしれないし、私が歌詞解釈とはそういうものだと思い込んでいたのかもしれません。
 
わかりそうでわからない、答えのない詩の世界観に熱をもって歌うこと、それをお客さんに伝わるように冷静に技術でコントロールすることを、どんな曲でも忘れずにいたいなあと感じた稽古でした。
 
 
いつも長くてすみません。新歓コン本番に向けて、頑張っていきましょう!
次回の日誌は2年生の大野さんにお願いしました!
  

  原田綾乃…
07
April
2022

【2022】よびごえ日誌 vol.1

よびごえの2022年度がはじまりました。
vol.1のよびごえ日誌は小田が書きたいと思います。
 
今日は新入生の稽古見学(新歓)でした。
新入生の皆さん、ご入学をおめでとうございます。
新しい生活や学び、仲間にわくわくしていることと思います。
新しい何かに取り組むとき、自分が変わろうとするときは、葛藤や整理が必要だったり、疲労を要することもあるかもしれません。でも、その引き換えとして新しい思考や行動、またそうした習慣が獲得され、ゆるやかに新しい自分が形成されていくのだと思います。いまのよびごえメンバーに僕が何か貢献できているかと問われると、僕自身がもっと勉強しなきゃと反省が先にくるのですが、それでもこのよびごえという場がメンバーそれぞれの思考や行動を刺激し、お互いが変わり続けられるエネルギーの健康的な循環が存在しているようにも思います。
「学校の先生になる」という目標から逆算して「合唱指導ができるようになりたい」という意思でも良いですし、学校の先生になるかどうかは別として「合唱と向きあってみたい」という意思でも十分です。自分の能力はいったん不問として、自身の興味の有無で、よびごえをご検討ください。
 
 
さて、ここからは新歓1日目の記録と小田の語りです。
 
曲は2年生以上が決めてくれ、新歓で1年生と一緒に挑戦してみたい曲として「ぜんぶ」(詩:さくらももこ 曲:相澤直人)が選ばれました。
 
早速余談ですが、この曲は、よびごえとしては2017年の東京都合唱祭でも演奏したことがあり、その時はピアノ伴奏版で、かつ僕がなにかの本番と被っていたのか参加できず、指揮無しで演奏したことを覚えています。この時の演奏が相澤先生とよびごえの最初の接点で、相澤先生がこの演奏を気に入ってくださり、それ以降よびごえのことも気にかけてくださるようになりました。たった1回の演奏が人をつなぐことがある、ということを改めて感じました。
 
⇩2分30秒から(この時は6人くらいで歌ってたのかな…?)
https://bit.ly/3jhjejW
 
稽古の流れは次のとおりでした。
 自己紹介、よびごえについての簡単な紹介(10分)
 体操、発声(10分)
 パート練習(10分)
 全体練習(70分) 
 振り返り(20分)
 
全体練習でははじめに、①全体を通して曲全体の雰囲気を確認したり、②開離配置やdiv.の箇所はアルトの音量を大きめにするなどの和音のバランスをとったり、ざっくりと確認を行いました。
 
休憩後は、解釈の時間にしました。
「ぜんぶ」の解釈は、いくつかの点で困難をもっています。1つ目は、すでに歌ったことがある場合は、過去の解釈に引っ張られてしまったり、そこから自力で抜け出すことが難しい場合です。2つ目は、YouTube等で、質が高かったり、好きな演奏があったりしてしまうと、その演奏に寄せようとしてしまう場合です。特に相澤先生ご本人が指揮されていたり、ピアノ伴奏においてはピアノを弾かれている演奏もあり、その影響力は小さくありません。
1つ目については「いま」演奏する意味を、2つ目については「私たちが」演奏する意味を問わなければいけません。私たちが演奏する時は、その作品を「いま」「私たちが」演奏することで何を、誰に伝えたいのか、ということを意識する必要があります。
 
そのため、今回は、本当に基礎の基礎に立って、「ぜんぶ」が収められている詩集『まるむし帳』から、「一元性」という詩群を読むところから始めました。
 
 

 
 
「ぜんぶ」という詩だけを眺めたり、「ぜんぶ」の詩に付されたさくらももこの絵だけを眺めたり、相澤先生の付曲された音楽だけを聴いたりすると、アクセスする情報が部分的になってしまい、「ぜんぶ」という作品の全体性を俯瞰することができない可能性があります。
 
「一元性」の詩群を僕が朗読した後、メンバーの顔が不思議そうな顔をしていたのが印象的でした。「ぜんぶ」を前提にこの詩群を初めて読んだ時、僕は「え、もっと分かりよい、柔らかい世界が広がっていると思っていたのに」とギャップでした。でも、だからこそ面白いと思ったといいますか…。
 
その後、「ぜんぶ」の詩について2つのクエスチョンを立て、各パートで話し合ってもらいました。1つ目はこの詩で言われている「大切なこと」ってなにか、2つ目は「ここ」ってなにか。
 
各パートから出た意見を抜粋して紹介します。
 「大切なこと」ってなにか
  ⇒自分が見ているすべてのこと、もの
  ⇒無いわけじゃないんだけどある、そういうもの
 
 「ここ」ってなにか
  ⇒時間軸としてのいま、ここ
  ⇒自分の中の場所としての、ここ
  ⇒図を参照

 
この活動のねらいは正解を誘導するものではなく、詩の世界に接近するための方法として、問いを立てました。問いを立てることで、詩に向き合う理由をつくるとも言えます。
 
このあと、駆け足ですが、では相澤先生はこの詩から何を感じ、感じたことを音楽という方法でどのように表現したのか、楽譜を眺める時間をとりました。
 
cresc. decresc. や…
17
March
2022

【2022】よびごえ日誌 vol.0

こんにちは。3A大瀧夏未です。新歓に向けての練習が始まりました。
 
〈稽古メモ〉
発声練習→パートで音取り(春に、ぜんぶ、彼方のノック)→合わせ(ぜんぶ、春に)
・歌ったことがある人も、過去の思い出や歌い方を一回リセットしよう
 
●ぜんぶ
・密集と開離を整理する
・ソプ1段目 Esが最高音ということを前提とした響き
・ソプ1小節目 BからCは近いのでなめらかに、次の小節のGからEsは遠いので違う上がり方を
・アルト 1小節目〜 裏拍で音楽を動かしている
・ソプ 5小節目 「たいせつ」は大幅に上がり、「ここにある」の「ある」は4度で狭い
・全員 「ぜんぶ」の“ん”で急にいなくならないように
 
●春に
・文字を「子音と母音の間にスペースがあるもの(例えば、こ、き、ち)」と「子音と母音がくっついてるもの(も、な、ん)」でわける。どの瞬間にハーモニーが出来るのか意識。
・言葉の歌い終わりをどうするか考える。
・7ページ初め 「さけびと“なって”」の“な”のハーモニーをきめることで“て”が落ち着く。“な”は開口母音、じゅうぶんに開ける。(その前が閉口だから気をつける)
・ソプアルト 7ページ 「こみあげる」の終わりがカクっとしないように
・7ページ後半 “u ” 深め
・9ページ初め 「こころ」は全部テヌート。サクッと行きすぎず、重くもならず、いい感じに待つ。
・掛け合いの良さ
 
〈新年度になって〉
新年度の活動が始まりました。
私にとって、よびごえで過ごすはじめての春。どんな一年になるのか楽しみです。
 
(四月も半ばになり曲への考え方は変わりましたが、3月時点での下書きを基に書いていこうと思います。)
 
今は新歓シーズンで「春に」「彼方のノック」「ぜんぶ」と、The 合唱曲というよびごえには珍しい曲に取り組んでいます。これらの曲は合唱をやっている人なら誰でも知っていて、みんな好きな合唱曲と言っても過言ではないと思います。(私が高校で合唱部に入るまでの“合唱”のイメージそのものです。)綺麗で、柔らかくて、大切にしたくなる。そんなイメージが今回の曲の魅力の一つで、また合唱の醍醐味の一つでもあると思います。
 
一方で、まっすぐすぎてどう歌うべきか迷うことも多いです。素直に歌いたい気持ちはありますが、ただ感情に浸るだけでは十分でないと思うし、かと言ってテクニックばかりに傾倒するのも曲の良さを潰してしまう気がします。誰もが知っている曲を歌うからこその、自分たちだけの表現を模索していきたいです。…
01
March
2022

保護中: 【2021】よびごえ日誌 メッセージ(松本)

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25
February
2022

保護中: 【2021】よびごえ日誌 メッセージ(一柳)

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15
February
2022

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15
February
2022

保護中: 【2021】よびごえ日誌 メッセージ(原田)

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14
February
2022

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14
February
2022

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14
February
2022

保護中: 【2021】よびごえ日誌 メッセージ(大瀧)

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13
February
2022

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13
February
2022

保護中: 【2021】よびごえ日誌 メッセージ(伊藤)

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13
February
2022

保護中: 【2021】よびごえ日誌 メッセージ(小金澤)

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22
January
2022

保護中: 【2021】よびごえ日誌 春こん編

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25
November
2021

【2021】よびごえ日誌 春こん編 vol.4

初めまして、こんにちは!今回の担当は、今年度から新たによびごえメンバーに加わりました、A類1年の一柳優里愛です。よろしくお願い致します…!
さて、今回扱った曲は、春こん。に向けた2曲。武満徹「風の馬」より「第一ヴォカリーズ」、そしていつものマザーグースより3曲目「If all the seas were one sea,」です。ついに第一ヴォカリーズに取り組み始めました。
今日の稽古を楽しみにしつつも、少々恐れていたメンバーも多い様子。なぜか?日本一難しい合唱曲ともいわれるこの曲、なんと無調で、拍子も書いていないのです。おまけに6パートに分かれるため、1パートの人数も少なくなってしまいます。さすがのよびごえ団員でも、少し不安…。
そんな中始まった稽古。自分の歌っている音は、果たして合っているのか。調性がないことで和声が分からず、正解が見えません。…と、そこで発見が。こんなに複雑な音の重なりの中にも、実は和声がしっかり決まっている部分があったのです。不思議な音の絡まりの中に垣間見えるG-durやF-durの響き。最初は訳が分からない曲、と思ってしまいましたが、もしかしたら、ただ複雑なだけではないのかもしれない。少し、この曲を理解するための手掛かりとなるものが見えた気がしました。
マザーグースの3曲目では、楽譜にスラーが一つも書かれていないことに着目。歌の場合、楽譜に書かれているのは音符や記号だけではありません。歌詞、つまり言葉が書かれています。今回の曲の場合は言葉からフレーズを読み取ることができるため、わざわざスラーでフレーズを示す必要はなかったのです。マザーグースは、古くから口誦によって伝えられてきたイギリスの童謡で、言葉のリズムが印象的。スラーを書かなかったのは、その言葉のリズムを生かすための配慮なのでしょうか。
ずっと昔から人々に口ずさまれてきた、言葉ありきのマザーグースと、歌詞のない歌ヴォカリーズ。見方によっては対照的とも思える二つの作品を、一つのステージでどんな風に表現していくのか、今後の課題です。
ちなみに、余談ですが、ヴォカリーズが含まれる組曲の題名「風の馬」は、武満徹さんがこの曲をつくるにあたって触発された、チベットの仏教文化圏で行われる風習からきているもので、“ルンタ”と呼ばれる旗を指すそうです。ご興味あれば“ルンタ チベット”と調べてみてください。
 
早いもので、もう11月も終わってしまいますね。
最近は冷えますので、暖かくしてお過ごしください。
次回の日誌は同じく新メンバーの、稲村さんにお願いしました。お楽しみに! 一柳…
18
November
2021

【2021】よびごえ日誌 春こん編 vol.3

はじめまして!A類音楽選修2年の原田綾乃です。
 
夏からよびごえの活動に参加させていただいております。
初日誌、よろしくお願いします…!
 
まず発声練習では、ポジションが変わる音域をハミングで滑らかに歌う練習、「マリア」で母音間での響きを均す練習をしました。稽古でも小田さんから口腔内の体積、響かせる位置を意識するというお話があったので、滑らかな発音や響きを目指して練習したいと思いました。
 
春こん。に向けた4回目の稽古では、マザーグースの3曲目の音取りを終わらせたあと、3曲の合わせをしました。以下、稽古内容です。
 
○3曲目
・全員 p.14 2段目頭 F durきめる
・A1 p.16 2小節目 Eのピッチ
・A1.2 2段目最後の半音階正確に
 
○2曲目
・全員 p.8 thoughtの和声きめる
・全員 p.10 2小節目頭のbitの和声 S1ピッチ高め
・全員 p.12 半音階正確に
 
○1曲目(p.5)
・S2 Why did it〜 ピッチ安定させる
・A1.2 Because bit my finger so…
11
November
2021

【2021】よびごえ日誌 春こん編 vol.2

こんにちは。2Aの大瀧夏未です。
 
〈発声〉
前回の録音で“k”が聞こえにくかったということで、今日の発声練習には“k”の練習を取り入れてくださいました。kを発音するには意外とエネルギーがいるのだと思うと同時に、発声練習と曲の練習をつなげて考える重要性を再確認できました。
 
 
〈内容〉
マザーグース2曲目 最後まで音取り→合わせ
マザーグース3曲目 P16、3小節目まで音取り 発音練習
マザーグース1曲目 軽く通す
 
マザーグースの音取りがどんどん進んでいます。
 
○マザーグース2曲目
・全員(全体)i 母音がポイント のばすところチェック
 明るく、しかし深くなく
・S2 A1,2(P11、1段目最後) Gきめる
・全員(P12、1段目最後)Instead of two cats ポイント
 ねこは一ぴきになりたかったのに、二ひきともいなくなってしまう
・S2 A1,2(P12、2段目2拍目~)シ♭ドレ 聴きあって
 
○3曲目
・全員(P14、2段目2小節目)axes 八分音符にわける
・全員(p14、2段目~) 曲線よりもかために発音
 
○1曲目
・全員
 rightのrの発音
 
 
 
私は今年の7月下旬によびごえに入りました。よびごえでの活動は、楽しく充実したものですが、なかでもいろいろな人の考え方に触れられるという点でとても貴重な時間だと感じています。実際に教員になったら音楽の先生はだいたい学校に一人だと思うので、今の活動を通していろいろな視点を吸収したいと思っています。
 
そして、春こん。受験を乗り越え、ゆっくりめに上京して、合唱団に入って、私にとって久しぶりの本番です!予想以上に音を取るのが難しく、自分の音の居場所を見つけるのもとても難しいです。今はまだ音程か発音のどちらかだけに集中してしまいます。しかし、小田さんがハーモニーを伝えてくださったり、同じパートの奏有美さんが母音の規則性を教えて下さったりして、少しずつ輪郭が見えてきた部分もあります。少しのことで歌いやすくなるところがたくさんあります。初めはこんな難しい曲を歌うのか!と驚きましたが、木曜日の稽古に集中して取り組めるように、よくさらっておきたいと思います。健康に気を付けながら頑張ります。
 
これからよろしくお願いいたします。…
04
November
2021

【2021】よびごえ日誌 春こん編 vol.1

こんにちは!
A類音楽選修3年の伊野綾那です。
 
今日は、春こん。に向けた2回目の練習を行いました。
音とりを進めつつ、英語の発音を確認し、子音を意識して練習していきました。
以下、活動・稽古内容の詳細です。
 
〈活動内容〉
・第一ヴォカリーズ パート決め
・マザーグース1曲目 復習
・マザーグース2曲目 9ページまで音取り
 
〈稽古内容〉
○1曲目
・全員 p.7 on the right の前でブレス
・全員 Es-dur の和音決める
・ソプ fffの和音ソプ2のesから5度と4度決める
 
○2曲目
・全員 語尾の「t」鋭く!!きびしく!!(cat,fit,fought,bit,weren’t )
・全員 ma-ny母音変わってもピッチ変えない
・全員 最初はストーリーを考えて
・全員 最初とバトルシーンとのメリハリ
・ソプ1 fought and fit and下の段、アクセントの度にクレッシェンド…
25
September
2021

【2021】よびごえ日誌 夏休み勉強会編③

こんにちは、4年の中島菜々子です!
 
 今回の勉強会は、「各学校の『らしさ』を探そう!」です!
 全国合唱コンクールなどでも名が知られているような合唱の名門校をいくつか取り上げ、その学校の演奏を聴きます。そして、その学校ごとの合唱の特徴を考えました。
 着眼点としては、発声、子音・母音、姿勢、表情、選曲など様々。勿論曲によって変わる部分もありますが、中には、何年経っても変わらない、「その学校らしさ」が現れている部分があります。
 個別でのワークを終え、全員で発表を行うと、やはりその「らしさ」は様々でした。どの学校も、全国常連レベルだけあってやはり上手いのですが、一口に「上手い」といってもこれほど違うのか、と驚きました。
 
 そして、今日一番考えたかったことは、その「らしさ」が生徒達に及ぼす影響です。それぞれの学校の特徴は、生徒達の合唱に対する思いに影響してきます。例えば、「きれいな音楽こそ合唱。」といったイメージもあれば、「皆で音楽を楽しむ」ことを良しとしている合唱団もあります。合唱に対して異なる認識を持った人達同士が集まって合唱をする時、教育者はどのように働きかければよいのか。これが今回の勉強会を経て得た新たな課題です。
 
 また、今回の内容に関連して話題に上がったのが、合唱団員の「帰属意識」についてです。
 皆さんの周りでも、かつて一緒に歌っていた仲間が今は合唱から離れてしまっている、という人が少なくないと思います。その原因の一つとして考えられるのがこの「帰属意識」です。合唱団員の絆が強いほど、その合唱団での活動を楽しいと感じるほど、他団体での合唱に魅力を感じなくなってしまう或いは適応できなくなってしまう、といった可能性が考えられます。
 指導者として、今の合唱団をどうよりよくしていくか工夫していくことは勿論必要ですが、団員が今後合唱と長く付き合えるようにするためにどのように働きかけていけばよいのか。このように長いスパンを見据えて指導する必要性を強く感じました。
 
さて、最後になりました。
 よびごえの勉強会はただ研究するだけでなく、その後私たち自身が考えるべき課題が見えてくるのが非常に良いなと感じています。これからも、この貴重な機会を存分に活用していきたいと思います。 中島…
26
August
2021

【2021】よびごえ日誌 夏休み勉強会編①


よびごえでは、夏休みの間に計4回の勉強会が計画されており(ありがとうございます)、今日はその一回目で、発声練習について考えました。
 
各自が今までに経験したことのある発声練習を挙げ、その教育的ねらいはなんだったのか(何の能力が育つことが目的か)、また、そのねらいはどのようなカテゴリーに分けられるか(響き、母音、など)、ということをグループごとに考えました。自分でねらいを考えてもよくわからなかった発声練習も、他の人と話して考えつつまとめていって、グループでまとめたものを最後に全体で共有しました。
 
それぞれの発声練習について細かく書くことは割愛しますが、振り返り等ででてきたいくつかの視点について、以下書いてみます。
 
・発声練習の音程、子音、母音、動きの意味。
・年齢のちがいも考慮する必要がある。
(例えば、私が紹介した発声練習は既存の曲を使うものが多かったのですが、それは小学生の時に体験したものであり、飽きずに楽しく取り組むためにそのように構成されていたのではないかと思います。)
・ねらいを伝えるか伝えないか
メタ認知など、発達的な側面や、先生がどれくらい子どもたちと関わる時間があるか、自主性やモチベーションの状態にもよる。注意するときにはずさない(できていないときに止め忘れない)ことで、ねらいを伝えるということや、体で変わっていくのを認知するという考え方もできる。
・コンビネーションについて 
発声練習の時間をどう構成し、曲の練習やパート練習につなげるか。取り組みやすいものと応用的なものの段階。
 
 
以上、振り返りでした。
 
発声練習について考えていて思い出しましたが、私の小学校の合唱団は、フロッピーディスクに発声練習に使う曲が入っていて、それを電子オルガンに入れて使っていました。音を上げたり、速度を速くしたりするのもその電子オルガンでできて、毎日取り組む型として共通認識ができていて、もし先生がいなくてもできる状態になっていました。
 
今日のワークを通して、発声練習を選択するには、前提として(または同時に)、どういう声で歌いたいか、どういう合唱をしたいかについて、方向性があることが必要だと思いました。そのうえで、効率性、分かりやすさ、楽しさなどの点で、対象年齢や発達についても考慮しつつ、工夫することが可能なのだと分かりました。
 

 
Zoomではあるものの、久しぶりによびごえの学びの場に参加できて、楽しかったです~!
 
次回は、伊藤さんにお願いします! 佐藤…
23
August
2021

【2021】よびごえ日誌 合唱祭の振り返り

とっても時間が経ちましたが、よびごえメンバーより、合唱祭の演奏に関する感想と、前期の練習の運営について振り返りが欲しいとのことだったので、記録としてよびごえ日誌に綴ることとします。
 
まず、何度も言いますが、こうした状況下において、新入生と共に、みなさん自身の力で舞台に立ち、拍手をもらえたことはとても素晴らしいことだと感じています。運営に注力してくれた2,3年生にはとても感謝しています。本当にありがとうございました。そして、お疲れ様でした。
 
【演奏について】
合唱における演奏の良し悪しは、音程や和音、発音、複数の声部による有機的な音楽構成(解釈や空間づくり)といった「技術的な視点」だけでなく、パートや団としての声のまとまり、発声、選曲といった「個性が影響する視点」、さらに抽象化すると、気迫といった「雰囲気のようなもの」まで、いくつかの層が複雑に絡み合って決まってくるように思います。
それらを見渡したうえでも、総合的には、質の高い演奏だったと思います。それは、技術、個性、雰囲気を一定以上のクオリティで提供できていたこともありますし、それぞれの視点がよく練られている演奏だったとも言えます。
 
今後に向けた視点として、大きく2つの反省をしたいと思います。
1つ目は、マスクの壁を超えること。
 講評でもいただいておりましたが、マスクをしていたとしても会場で言葉がはっきりと聞き取れるよう、もう少し調整をすべきだったように思います。特に、柔らかい音楽の場面(音量が小さく、レガート気味の場面)において、閉口母音(i, u, e)の子音は、開口母音(a, o)よりも注意をすべきでした。例:”く”じら。 一方で、例えば、くじらの優しい感じを出そうとするために子音をソフトにするという判断は間違っていなかったと思いますので、ホールの奥の客席に坐っていて、ちょうどよいくらいの量感の子音であるためには…、と考えたときには、個人的にはあと少し強く、もしくはあと少し意識をして発音すべきだったということです。
 次に音量です。講評では、ホールの大きさと合唱団の人数に対して、立ち位置はベストの選択だったという声もいただきましたが、個人的には、みなさんの最大音量がしっかり出せていたのかが気になりました。合唱団よびごえの演奏としての魅力は、①作品解釈の深さと、②一人ひとりの思いの深さと、③少人数とは思えない音量の3点がすぐに思い浮かびます。マスクの影響は大きいと思いますが、マスクをつけていたとしても、音量の壁を超えれると思いました。ちなみに、合唱の場合、一人一人の声量が大きいだけでは、全体の音量は大きくなりづらいです。各パート内の音が良い感じで混ざり合い、さらに複数のパートが和音(倍音)の力を借りることで、初めて人数以上の迫力が成立します。今回は和音のはまり方は悪くなかったと思いますので、声量の意識がもう少し欲しかった、という反省と言えます。
 
2つ目は、力学を楽しむこと。
 よびごえとしては指揮者がいない初めての本番だったと思いますが(実は過去にも1回あったのですが、ただその時はピアノ伴奏がありました)、その割にはよく縦があっていた、という一定数の評価もある一方で、僕からすると、アンサンブルとしてはもう少しやれたのでは?と思っています。それは縦が合っていなかったということではなく、「私はこのテンポで歌いたいけど、そっちがそのテンポでいくならしょうがないなぁ、折れてやろう」というのを、楽しむことができていたかどうか、という視点です。
 少し脱線になるかもしれませんが、ソロでピアノを弾くのは完全に一人の世界なので他者から音楽を引っ張られるということは少ないと思いますが、例えば自分が歌い手だとして、伴奏がつくだけで一気に歌いにくくなったり、ここはこういう感じでブレスしたいのにな~、と思ったりすることはありませんか?たった一人共演者が増えるだけで、舞台上には力学(音楽の引っ張り合い)が発生します。自分はこうしたいけど、君がそうするならばこう歌ってあげてもいいよという具合です。自分一人で演奏する以外の時は、ほぼ確実にこうした状況が生まれると言ってよいと思います。つまりは、こうした力学は避けることはできないですし、自分の思い通りに歌えないということが悪いことではないということです。しかし、そういう力学を楽しめていたかどうか、という視点をみなさんにお示ししたいと思ったのは、こういう力学こそ、合唱なのではないか、と思うところがあるからです。(これは吹奏楽でも言えるのかもしれませんが。)
 パートの中には小さな力学があり、全体練習の時には大きな力学があるようにも思います。そうした音楽の引っ張り合いが、結果的によびごえらしいサウンドを創り出すように思いますし、指揮者がいないからこそ、この力学と今まで以上に向き合わざるを得ないとも思います。10人未満で、かつ指揮者無しで全国大会で堂々と歌う中学生、高校生の姿を見ると、こうした力学を楽しんでいるように僕には見えます。よびごえのみなさんにも、きっと、できるはず。そこには、新しい感覚が待っているのではないでしょうか。
 
【前期の練習の運営について】
コロナの変異株のことを思うと、少なくともよびごえの稽古に参加したことによって陽性者が出なかったことは本当に良かったと思いました。Zoomでも、思いのほか、音楽の内容については指導ができたことも良かったと思いますし、これまでのよびごえの稽古のように、みなさん1人1人に考えてもらい、それを積み上げて演奏を作っていくというプロセスもほぼほぼ再現できたと思います。
もし後期に向けてお願いしたいことがあるとすれば、指揮者がいないとき、テンポがどんどん遅くなることは本当によくあることです。そうしたときに、曲の途中であっても軽く振って(指揮をして)、音楽を前にもっていってくれるような人がいると大変助かると思いました。前期は最初と最後だけ、振ってくれたと思いますが、「春こん。」が無事に開催されることとなり、みなさんも参加したいと思ってくださるのであれば、作品の難易度はこれまでよりも高くせざるを得ないと思います。そうしたとき、前期のような、最初と最後だけを振るシステムでは完成まで持っていけない可能性を危惧しています。
感染症対策やオンラインを活用した稽古については、前期でほぼ確立できたと思いますので、あとは上述の、より難易度の高い作品にも対応できるようなシステムの構築ができれば来年以降にも役立つものになると思います。変拍子やテンポがころころ変わる曲、それぞれのパートがまったく合わないような曲など、高度な合唱作品が演奏できる能力を1人1人はもっていると思うのですが、それを指揮者無しでみんなであわせて、本番も指揮者無しで演奏できるようになるための方法を考えていきたいですね。これは後期に向けた僕の大きな宿題とも言えますし、みなさんと協力しながら解決したい課題です。
 
 
 
以上、改めて、先日の合唱祭はお疲れ様でした。
夏休み真っ最中で、エンジョイされている方も多いと思います。コロナには本当にお気を付けいただきつつも、楽しいことをたくさん経験してください。YouTubeで合唱を聴きまくったり、合唱指導の本を図書館から借りてきて、なるほど!とか、いや~ここは違うやろ~!とツッコミを入れてみたり。そして、勉強会の時は、メンバーみんなで一緒に合唱と向き合いましょう。
 
小田
 
おまけ:ねぷた金魚
青森の夏はそろそろ終わります。
 
11
June
2021

【2021】よびごえ日誌 小田より

みなさん、こんにちは。小田です。
2021年度、初めての投稿が6月になってしまったこと、
例年のよびごえ日誌を思うと、とても遅いようですが、
一方で、この記事の裏側で、よびごえメンバーがどれほどの思いで
学びを継続しようと努力していることか、想像いただけることと思います。
 
さて、新年度を迎えたこともあり、いくつか
合唱団よびごえで合唱を学ぶということについて、
参考になりそうなことをメモをしておきたいと思います。
 
1.大学に入るまでに経験してきた様々な合唱
大人数で声を合わせて歌うということを合唱という場合、
学校は合唱をする機会が比較的多いように思います。
それは、例えば英語の時間以外で英語を使うことと
音楽の時間以外で音楽をすることを比較しても分かりやすいかもしれません。
行事のたびに校歌を歌うかもしれませんし、
「朝の歌」というものを設定している学校では
月によって歌をかえながらも、みんなで歌うと思います。
音楽集会や校内合唱コンクールに視点をよせると、
それは合唱することに重きを置いたイベントのようにも思います。
さらには、クラブ活動や部活動として、合唱に没頭することもできます。
 
授業としての合唱のみでなく、行事としての合唱、特別活動としての合唱、
こうした様々な合唱体験を経て、いま、私たちは大学で音楽を専攻しているのだということを
今一度認識しておくのは有益だと思います。
 
2.合唱の教育的成果を左右する要因を探すために
教員を目指す・目指さないを別として、
今日的に、合唱をテーマとした研究で何が言われているのか
その一端を知っておくことに損はないと思います。
 
研究論文や研究報告をいくつか眺めてみると、
合唱団という組織そのものの効用として、
合唱団の存在によって、所属団員と地域の人が繋がることができる
というものがあげられていたり(「地域における児童合唱団の機能と役割」, 2020年)、
合唱活動についての効用としては、
合唱活動を通して得られたあらゆる人とのつながりが醸成され、
それによって参加者自身がコミュニティへの帰属意識を高め、
さらには精神的健康への影響が考えられること、
また、そうした土台の上で情操の豊かさや身体的健康、well-beingへと
繋がっていく可能性が言われています
(Benefits of choral…
04
March
2021

【2020】よびごえ日誌 メッセージ(國元)


長らくうちに置いてあった合唱団よびごえの看板を、本日返納してきました。よびごえのメンバーとして合唱することももうないのかと、何とも言えぬ喪失感のようなものを感じています。だけど、人とかモノって終わりがあるからこそありがたみや大切さが身に染みてわかるものですよね。4年前何となく入ったよびごえをこんな思いで卒業するとは、当時の私には想像もつかないだろうと思います。よびごえは、ただの歌がうまい人たちの集まりではありません。ここでの合唱は、ただ単に歌うことを楽しむとかいう次元ではなく、音楽は思考や感情を伴う学問であり、音楽を前に圧倒的敗北を味わい、盛大に悩みながら少しずつ答えらしきものが出てくる、という何ともヘビーでハードなものでした。合唱ってこんなにも頭を回転させなければならないのかと、しかしそれがめちゃくちゃ楽しかったりもするんですね。ゴールが遠くに見えていたり、なんか頑張ればできそうなことって、私は少しつまらないと感じます。だけどよびごえは、私では到底太刀打ちできない世界が広がっていて、自分の非力さを感じるけれど同時にとてもワクワクするような、そんな不思議な場所でした。無知すぎる自分に幻滅したり、こんなの考えても分かるはずがないと放り投げたくなったり、自分が小さすぎることがわかった時、あぁ自分では敵わないなと敗北を確信した時、そこで初めて答えが見えてきたり本当の楽しさとか面白さがわかってくるのだと思います。そんな場を提供してもらった私は、同じような場を今度は子どもたちに提供しなければなりません。よびごえで合唱をやってきた者として、これから教育現場に出る私には日本の合唱教育を支えていく使命があります。技術とか選曲とか練習方法諸々、学校の音楽の授業だからと妥協するのではなく、わからない苦しさもできない無力さもすべて面白いと思わせられるような、合唱の本当の価値を提供できるような、そんな音楽教師になりたいです、なります。よびごえで学んだこと、めちゃ歌がうまくて頭の良い尊敬する先輩同期後輩と一緒に歌ったこと、小田さんの想い、全部、宝物です。本当に、素敵な場所でした。この大学に入って、皆に出会えて、小田さんに出会えて、幸せです。ありがとうございました。 國元…
27
February
2021

【2020】よびごえ日誌 本番後の振り返り編(森本)

会場での練習なしで客席から舞台に出るというのが新鮮で、客席に出た瞬間に緊張が押し寄せてきて少し大変でした。段々とこの舞台の空気感に慣れ、歌うことの楽しみを感じながら歌えました。気持ちが最初から作れなかったのが悔しいですが、このような状況下のなかでも本番を迎えられて本当に良かったです。
 
そして卒団の時を迎えました。本番終了後のミーティングでも話しましたが、短い間の所属だったもののよびごえで本当に濃い経験ができました。私は作曲専攻ですが、よびごえで、実際に音楽を演奏する活動でなければ経験できない、音楽を形作ること、音楽を伝えること、音楽を共有することについて、よびごえならではの濃さをもって、沢山経験できました。そしてそれらは私の創作活動に良い影響をもたらしています。おそらく、それが、惜しくも演奏されることはなかった、よびごえの新歓コンサートのために作曲した女声合唱にも現れていたかと思います。よびごえの活動なしではこの曲は生まれていませんでした。
 
私は今後大学院で作曲を続けますが、このように、これからも、音楽に向き合ったり音楽と仲良くしようとしたり、または時には違う視点をも持ったりして様々な経験をし、そんな自分だから作れる新しい音楽を生み出していきたいと強く思います。また、教育(人に音楽を言葉などで伝えたり教えたり、その音楽の良さを発信することも含み)にも興味があるので、その点もよびごえでの経験をいかして引き続き探究していきたいと思います。
今までありがとうございました。 森本…
18
February
2021

保護中: 【2020】よびごえ日誌

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18
February
2021

【2020】よびごえ日誌 番外編

みなさん、こんにちは。小田です。
まもなく、初めてだらけの2020年度が終わりを迎えます。
 
この1年、例年とは異なる角度からも合唱について考える機会を得ることができた点では、良かったこともあったと言えるかもしれませんが、一方でみなさんにはたくさんの我慢をしていただいたこと、それでもよびごえのために様々なご協力をいただいたことに心から感謝をしています。
 
この1年の締めくくりとして、それぞれ目標をもって、現メンバーでの残された時間を悔いなく過ごしてほしいと思います。
 
遅くなりましたが、これまでお寄せいただいていた「よびごえ日誌」を一気に公開しました。
また、みなさんで一緒に決めたパスワードを付した記事もあります。
 
よびごえ日誌は、通常、年度ごとに通し番号を付していますが、
もしかすると、担当になったけれどもまだ提出できていない方もいるかと思いましたので、
最後の最後に通し番号を付そうと思います。
 
今年度は、本当に様々な負担がみなさんにあったと思いますので、
「担当だったのによびごえ日誌が書けてない!」という方も、焦らず、完成したら小田までお送りください。
お送りいただけたら、随時公開していきます。
(担当が割り当てられていない箇所は、なるべく小田が記録用に書き起こすようにします。すみません。)
 
それでは今年度もあと少し、とにかく悔いのないようにお過ごしください。 小田…
21
January
2021

保護中: 【2020】よびごえ日誌

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14
January
2021

保護中: 【2020】よびごえ日誌

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11
January
2021

保護中: 【2020】よびごえ日誌

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24
December
2020

【2020】よびごえ日誌

こんにちは、今回の担当は3年中島菜々子です。年内最後の練習です。
 
全体での発声練習では、特に「ポイントの当て方」を意識して練習をしました。パートを交互に配置してお互いの声を聴きながら歌ったり、高音を出す際に息を止めないようにするなどについても意識して歌いました。また、高音をppで出す、というのは、自分で発声練習する際もあまり取り入れたことがなかったので、ぜひ試してみたいと思いました。
 
今回の「前へ」の練習では、詩の解釈、およびその表現方法について重点的に取り組みました。
 

 
この詩の中で何度も登場している「あなた」とは一体何を指しているのかといった歌詞の解釈から、「どうしてここに空白があるのか」といったように詩の書き方に込められた意図といった部分まで、細かく検討を行いました。また、解釈をしたらそれだけで終わるのではなく、技術的として還元する、といった点についても考えましたが、意外とこの実践が難しいということに改めて気づかされました。個人的に未だ解決できていないのは、「あなたと共に歌ったことを」の「共に」の表現方法です。この「共に」は特に大事に歌いたい、というような認識は共通していますが、ではそれを具体的に、技術的にどう工夫すればよいのか、ということがまだはっきりせず、言語化もできず、という状態で終わってしましました。他パートとの兼ね合いにも目を向けながら、引き続き検討していきたいと思っています。
 
今回は、パートごとに話し合い、どの部分をどのように工夫するか考える時間が複数回ありました。同じパートで実際に歌っているからこそ共感できる点も多々あり、意見を出し合って自分たちで工夫することで、「自分たちでつくっていく」という意識をより強く持つことができたと感じました。この場面で、私が特に興味深いと感じたのは、パートでの打ち合わせの後、まだ「具体的な方法」を引き出せていない状態でも、何らかの変化が生まれた、ということです。これはアルトパートで起こっていたことですが、パート内で話し合って、認識を共有しあったことで、無意識的にかもしれませんが歌声に変化が現れることもあるのだ、と知りました。また、こういった状態のとき、この時に限らず再現できるよう、どうして今うまくいったのか、と分析を行うことも重要だと感じました。
 

 

 
今回は特に詩の解釈・表現を重視した練習になりましたが、まだまだこの詩には多くのことが隠されていると思います。何度も細かいところまでこの詩を読み返して、たくさんの「なぜ?」を自分でも見つけていきたいです。
 

 
次回は、1年生の藤原くんに担当していただきます。フレッシュな視点を楽しみにしております。 中島  
17
December
2020

【2020】よびごえ日誌

この日は、春こんの練習を始めて、3回目の稽古でした。
 
発声練習では、息を吸うときの体の状態(①鼻をどう通るか 広い状態・狭い状態 ②その息がどこへいくか 背中側・お腹側)や、言語が求めている響きの位置があること、そのための練習の仕方を学習しました。息が鼻腔を通りながら、同時にハミングで音を出すということをしました。
 
Ave maris stellaでは、パート間の音程やブレスの位置、それに伴う息の使い方、ポイントが当たっている声であるかということを確認後、この曲の詩について、韻律の話がありました。12音節詩行であるというまとまりや、詩のリズム・意味から来るうねりがあること、そして私たちが分かっていることをどのようにしたら音楽で伝えることができるか、という問いが提示されました。また、そのうねりは3つのパートで時間軸が異なる部分と、tuttiで同じ波をつくる部分があること、aveという言葉から想起されるもの、韻をふんでいること等についても言及がありました。
 

 
前へでは、音程や開離に伴う歌い方等基本を確認しつつ、少しずつ曲の内面、表現に入っていきました。主旋律のエネルギーを他のパートに示し全体で共有していくこと、掛け合いや感嘆符をどう表現するか、どれくらいの決然さかなど、構成を考えた計画的かつ意志がある音の使い方を考えるためのヒントがありました。個人的に、「時間をかけてあたためるべきは、この曲のどれぐらい深いところにずっといられるか」という言葉が印象に残りました。
 
振り返りとしては以上です。話は変わりますが、最近、「炎」(Lisa)と「前へ」がどことなく似ているなと感じました。私は流行に乗り遅れて鬼滅の刃は見ておらず、曲の背景にあるものは分からないですが、なんとなく思いました。一人で歌う・複数人で歌う、曲が世に出た目的など違いは多くありますが、(だからこそ、)未来を考える想いや喪失の悲しみへのエネルギーを考えるヒントをもらえるような気がします。 佐藤  
10
December
2020

【2020】よびごえ日誌

皆さんこんにちは。A類音楽3年の伊藤真緒が担当します。
約5か月ぶりのよびごえ日誌です!
よびごえは長らくオンラインのみで活動を行っていたのですが、遂に12月から対面での練習が再開されました。感染への不安はまだまだ続く状況ですが、各自対策に取り組みながら春こんに向けて頑張りたいと思います。
 
ではさっそく、2回目の稽古の内容を書き留めていきます。
 
◆発声練習
オープニングは、発声練習から始まります。私は、自分以外の人と歌うという機会がよびごえにしかないので、1番声だけに集中できるこの時間はとても貴重です。
最近の発声練習でよく指摘されるポイントとして、「高さが変わっても母音のポジションを変えないこと」「音が高くなるほど息のスピードは速くなる」の2つが挙がります。歌や合唱を練習するときに考えることは沢山ありますが、他のことは一旦無視して1つのことのみに意識を集中する練習も有効な方法だと思いました。ある程度の時間強く意識して行うと、その後に別のことをやっていてもさっきのことは無意識にできるようになっているらしいです。確かに!今日も発声で集中してできたことは、曲中でも自然にできていたと思います。次の練習でも同じことをできるようにしたいですね。
 
◆1曲目「Ave maris stella」DUBRA,Rihards作曲
春こんで歌う1曲目です。今日は通しで歌うところまでいき、曲の全体像を捉えることができました。和音が決まらないと話にならないこの曲、そこが難しくも面白いところかなと感じています。私は特に、随所で発揮される7度のエネルギーをぶつけるところが良いなぁと思いました。アルトは人数が多いのに何故かブレスの場所が被るという以心伝心っぷりで、カンニングブレスを毎回相談し直しています(小声)。
 
換気ついでに、小田さんがキリスト教についてお話して下さいました。というのも、よびごえで宗教曲を扱うのは初めて(?)で、基本的な知識がほとんど無い!(多分私が知らないだけかもしれない。)
Ave maris stellaで称える聖母マリアは人間のカーストでいうトップで、もうめちゃくちゃに手の届かない存在であるという話、人は死んだら天国・煉獄・地獄にいく話、地獄にも階層(第9圏が最も極悪)がある話など、本当に入り口のところを学びました。第9圏にいくような人はどんなことをしたのか気になりますね。練習が終わった後に、団員数名でダンテの『神曲』をパラパラーっと見ましたが、「積読になりそうだ」という話になりました。
キリスト教について新しいことを吸収しても、そこで終わりにせず、音楽につなげるということを忘れずにいたいです。
 

 
◆2曲目「前へ」佐藤賢太郎 作曲
春こんで歌う2曲目です。
このよびごえ日誌を書きながら録音を聴いていますが、客観的に聴くことで課題をより明確に突きつけられている気がします。今日重点的に練習した跳躍の部分もそうですが、シンプルそうで難しい。いやシンプルだから難しい(?)。
知名度も高く、コンクールでやるのはなかなか厳しいと分かっていながらも挑戦するこの曲。ありきたりな言葉だけれど、やっぱり、聴いてる人の心に響くような音楽に仕上げたいです。といってもまだまだ土台が(;_;)まずは今年中に和音やバランスを文句なしと言われるまで持っていきたいです。
 
練習後には、恒例になりつつある写真撮影をしました。
この日は12月10日世界人権デーだったので、「LOVE&PEACE・・・♡」ハートに見えますか?? 
 

 
寒い日が続きますが、皆様お体にお気をつけくださいませ。
次回の日誌は、同期の佐藤さんです。よろしくお願いします! 伊藤…
12
November
2020

【2020】よびごえ日誌

こんにちは!B類理科3年の荒川です!
11月12日は、第3回目のオンライン勉強会でした!
この後期のオンライン勉強会は、音楽の教育について事柄を取り上げて考えていく勉強会です。音楽の先生は、各学校に1人であることが多く、1人で決めなければいけないことが多いです。その時に役に立つような事柄について考えていく勉強会です。
 
今回のお題は、「赴任したその年にはじめて合唱部(合唱クラブ)ができました。その時、最初に生徒にやってもらう曲はあなたならどうしますか?アカペラ曲にしますか?伴奏つきの曲にしますか?」です。
アカペラ曲、伴奏つき、2グループに分かれて良いところを出していきました。
 
大まかな流れとしては
1. アカペラ曲、伴奏つきの曲、どちらの良いところを考えたいかを選択する。
2. 各グループに分かれて、15分ほどかけて良いところを出していく。この時、自分が選択しなかった方の意見を否定しない。(Zoomで行ったのでブレイクアウト機能を使って各グループに分かれた)
3. 中間発表を行う。小田さんから意見などをもらう。
4. 中間発表で気づいたことや、小田さんからの意見などを基に、もう1度良いところを探していく。
5. 最終発表を行う。
6. まとめ
このようになります。
 
実際に各グループでどのような意見が出たのか、原文をそのまま載せたいと思います。
 
 
【中間発表時】
 
~アカペラ曲グループ~
 
・一人一人の声がわかる→周りの声きく、自分の声もきく
・音とり、アンサンブル能力
・部活動としての特有さ(授業にはない経験、意識)
・なんとなくじゃ済まない→責任が重い→パート練ちゃんとやるのでは?
・課題にぶつかりやすい→成長、できた時の達成感
・難易度が高い曲が多い
・どこでもできる
・伴奏いらない(人が減らない)
・コミュニケーション、意見を出し合う
 →人間関係的なところ
・伴奏→アカペラだと、抵抗感あるけど最初にアカペラやっておくとハードル下がる気がす る
・「声だけ」の響きを味わえる、より合唱っぽい!!
・指揮を見る。
・ピアノに声量負けるっていう問題が一つ減る
・最低2人でもできる
・各パートの役割がけっこうはっきりしている(メロディー、伴奏っぽい)自分の役割→責任
 
 
~伴奏つきの曲グループ~…
16
July
2020

【2020】よびごえ日誌 vol.008

こんにちは!B類音楽専攻の神谷咲妃です。
梅雨も終わり、夏の暑さが続く日々となりました。そして学芸大学もようやく春学期が終わり、長い夏休みが始まりました。また7月から対面授業が一部再開されましたが、やっぱりレッスンは対面に限る!と改めて思いましたし、何より先生や同期に会えるというだけで刺激になります。
さて本日のよびごえ勉強会では、普段のようにグループワークと個人ワークでそれぞれ1作品について考え、そして今回は最後に当団3年生佐藤花音さんによる課題研究の発表も行いました。以下、ワーク内で出た皆さんの意見を挙げていきたいと思います。
 
 
【グループワーク】
『マザーグースの5つの歌』より『ソロモン・グランディ』
谷川俊太郎作詞/青島広志作曲
 
①第一印象
◇スウィングの楽しい曲調なのに、歌詞が物騒
◇お客さんを巻き込む作品→演奏会向け
◇自由表現の「騒ぐ」部分が面白い
◇無邪気
 
②予測される歌唱技術面での困難箇所
◇波線部分(=自由表現)で何をするか
◇テンポが速い、跳躍や付点のリズムが多いということによる譜読みの難しさ
◇モチーフの付点のリズムをどうとるか(正確さ、ジャズ調のどちらに合わせるか)
◇「騒ぐ」部分からpへの急激な移行
◇冒頭のbunのコントラバスのモチーフの歌い方
◇最後の高音の伸ばしと和声
◇指導者としての舵取り
 
③この作品ならではの体験・学び
◇日本語に訳された曲のため、原曲との比較鑑賞が可能
◇「マザーグース」について、ジャズ調の歌唱法についての学習
◇楽しさを共有する術、また恥ずかしがらずに表現するということの学習
◇歌詞に込められている「皮肉」の読み取り
◇技術を土台とし、その上で「遊ぶ」ということ
 
④この作品を取り扱った先に、合唱団にどのような変化があってほしいか
◇固定観念に囚われない作品との向き合い方を学ぶ
◇音楽を楽しむものということを思い出す
◇「自由」に立ち向かう勇気
 
 
【個人ワーク】
『ゆずり葉の木の下で』より『モン・パパ』
谷川俊太郎作詞/信長貴富作曲…
09
July
2020

【2020】よびごえ日誌 vol.007

こんにちは!2年A類音楽選修の伊野綾那です。
先日、Google フォトのアーカイブに、昨年の東京都合唱祭の写真が出てきました!「あれからもう1年が経ったのか…!」と時の流れを感じるとともに、同じ空間で合唱をしていたことが夢のように感じられ、何とも言えない不思議な感覚になりました。
 
さて、今回のテーマは、「『戦争』『死』『差別』といったシビアな作品を通して、どのような学び・体験を提供することができるか?」というものでした。
まずは、それぞれのワークで出た、皆さんの意見を挙げていきます。
 
 
 
【グループワーク】
『しゅうりりえんえん』「ゆうきすいぎん(有機水銀)」
石牟礼道子作詩/荻久保和明作曲
 
①第一印象
・強い怒り、悲しみの強さを感じる
・Fの低音が怖い、シンゴジラを感じる
・オワオワといった意味のない言葉が怖い
・演劇的  
・器楽的に声を使う箇所がある
 
②予測される歌唱技術面での困難箇所
・無調に近く音が細かいため、音取りが大変そう
・細かく記された強弱の変化を忠実に再現すること
・器楽的な部分を、どのような効果を狙っているのかを理解し、演奏に反映させること
・語りの部分の音程、アーティキュレーションのバランス
 
③この作品ならではの体験・学び
・その時代に生きていた人々の目線から水俣病について知る体験
・詩の一人称になりきる体験
・演劇的な歌唱の体験
・自分の演奏と演奏効果についての学び
・自分よりも幼い人が死ぬという疑似体験
 
④この作品を取り扱った先に、合唱団にどのような変化があってほしいか
・合唱作品が人に与える影響の大きさ、それを歌う責任の重さを知ってほしい
・感動などから音楽が生まれるだけではないという実感
「こういった伝えなきゃいけないことを伝えるためにも歌って生まれるのだな」
・感情をあらわに、殻を破る
・水俣病、死、重い内容への考え方が変わる、実感が変わってほしい
 …
02
July
2020

【2020】よびごえ日誌 vol.006

こんにちは!A類2年の滝澤奏有美です。梅雨が続いていて、豪雨被害が出ているようで心配な毎日です…
今回は、「小学生の歌とは?」をテーマに楽曲探究を行いました。観点ごとに皆さんから出た意見をまとめます。
 
【グループワーク】
童声合唱とピアノのための組曲「わらべうた」より『あきかんうた』(谷川俊太郎/三善晃)
 
〇作品の第一印象
・言葉遊び。リズミカルで楽しい
・言葉が無意味。心を空っぽにして歌う曲。「みんなで協力して歌おう!」という意志がわかりやすい
・二部に聴こえないくらい音の響きが充実している
・「春が来た」挿入の意味は?
 
〇予測される歌唱技術的な困難箇所
・パート間の掛け合いが多くテンポが速いため、はめるのが難しい
・最後ページ、ソプラノの高音持続やアルトのオクターブ跳躍
・言葉が多い。しっかり言いたい
・臨時記号が多く音取りが大変
・「春が来た」のメロディーとの重なりを聴く
 
〇この作品ならではの体験・学び
・いい意味で歌ではないみたい。話し言葉に近い形で歌に触れられる
・言葉遊びや軽やかな語感を味わえる
・強拍にアクセントが多いので拍子感がとらえやすい
 
〇この作品を取り扱った先に、合唱団にどのような変化があってほしいか
・言葉の質感に興味を持てるようになる。
・リズムや拍子が分かりやすい曲なので、曲の構成の初歩的なことを知る
・テーマのある曲とない曲の違い、テーマのない曲を何のために歌うのか考える
・発音の楽しさを知る、言葉と音のつながりに対する抵抗をなくす
・昔のこどもたちの遊びの楽しさを知る
 
☆この曲は、途中で童謡「春が来た」が挿入されます。曲中で突然「春が来た」を重ねる意味について考えたところ、メンバーからとっても素敵な意見が出てきました!
・遊びの最中、別の子供集団がやってきて、または空き缶遊びに飽きた一部の子供たちが、「春が来た」を歌いだす。子供たちの自由奔放な様子を表している
・冬は寒くて缶蹴りができなかったけど、春が来てやっと遊べる喜びを表している
・5時になると町に流れるチャイムの音楽。生活になじんでいる曲だけど、ある意味突然である。「5時だ、そろそろ帰らなきゃ!」
 
「春が来た」挿入の意味、私は考えても全く思い浮かばなかったのですが、皆さんのひらめきは素晴らしいです…どの意見にも感動しました…。
 
 
【個人ワーク】…
25
June
2020

【2020】よびごえ日誌 vol.005

こんにちは!A類音楽選修2年の堀切彩愛です。今回も楽曲探求と事例研究を行いました。最初に小田さんから合唱に関する視点として、ドイツの声楽教育についてや演劇と音楽の関係について、また音と言葉の関係についてや文学と音楽の関係について、他の楽器から学ぶことについて、建築と音楽の関係についての本の紹介がありました。
 
~楽曲探求~
今回のテーマ:同じ曲で違う編曲 どういう理由でどっちを選ぶ?
【グループワーク】
「サッカーによせて」(谷川俊太郎作詩/木下牧子作曲 アカペラ)
1. 作品の第一印象
 爽やかで明るい曲 元気・素直
 はつらつとしている
 メロディーがキャッチー
 詩にメッセージ性がある
 一体感がある
 歌詞が好き
 歌いやすそう
 青春っぽい
 
2. この作品を取り扱うにあたって予測される歌唱技術の側面から見た困難箇所
 跳躍が多い(6度、4度)
 疾走感、テンポ感を保つこと(男声が刻みで女声がその上に乗っかるイメージ)
 各パートがメロディーを分担するので役割意識を持つこと
 リズムが走ってしまいそう(自分のパートが単独メロディーの所は特に)
 高い音も多いのでブレスのコントロールが必要…
18
June
2020

【2020】よびごえ日誌 vol.004

こんにちは!B類2年の今城琴美です。
いつの間にか二年生になり三か月がたち、六月も下旬に差し掛かってきました。部分的にですが七月には大学に行ける兆しが見えてきて嬉しい限りです。よびごえも合唱はできていませんが、オンライン勉強会という形で、毎週密度の高い2時間を過ごせていることに感謝しています。
 
さて、オンライン勉強会もあっという間に第四回目となりました。
毎回行っている「作品を通した体験探求」ですが、今日は最初に、これへの取り組みをより深めるために、新たな視点やアプローチの仕方を小田さんからお話し頂きました。
この探求は、曲をみる角度を養うことを目的に行っていますが、曲をみる視点というのはどうしても固まりがちです。このように、作品に向き合うときの癖が出てきたというのはアイデンティティの表出と捉えると良いものでもあります。よびごえ勉強会の中では人との意見交換をする中で、他の方の視点を知ることが出来るのでそれだけでも一つの学びになるでしょう。ですが、もっと各個人が自分の中に様々な視点を持てるようにと、ドイツの歌唱力の定義(一例)を紹介していただきました。
 
私も自分の、曲をみる視点がいつも同じでもっと視野を広げたいと思いつつも、どのようにアプローチしてよいのか分からず困っていたので今回このお話をしていただけてとてもためになりました。確かに、このよびごえ勉強会の中では、他の方の考えをお聞きすることが出来るので最終的には様々な視点から曲をみることが出来ますが、実際に教師となって楽曲を扱う際には自分一人の視点から曲に向き合うこととなります。その時のためにも今から様々な視点を持っておくことは重要だと私自身も感じました。
 
ドイツの学校教育での声楽指導の指針を例に取り上げ、まずは楽曲探求の中で「歌唱技術の側面から見た困難箇所」を考える際に役立つヒントを示してくださいました。
・リズム(リズムの反復)
・音域(音域の広がり)
・音(転調への対応)
・声の発達(健康な声の響きと声量・発音)
・表現(曲想にあった声の使用)
・読譜(フレーズの終わりを見つけて歌唱)
・身体(一定の調整を保って歌唱)
・認知(聴いた音を真似、音の違いを認識して歌唱)
ドイツのとある教科書では歌唱力の定義としてざっくりとはこのように分類されています。
 
また「この曲を通して何を学んでほしいのか、合唱団にはどのような変化があってほしいのか」という、到達目標にあたる部分を考える際のヒントも示してくださいました。
・音楽の構造を理解して歌唱に繋げる
・歌うことと話すことの違いを考える
・声をどう使って歌唱を通した芸術作品を創出するかを学ぶ
・楽器としての声を知る
・感情と表現の関係を考える
・声と息の練習
・感情と声の関係を考える
・話し言葉による作品と韻律を持つ詞作品の違いを学ぶ
・人の声について知る、人の声でどのようなことができるか
日本では指導要領にもみられるように広い概念的な到達目標が多いですが、ここで出てくるような具体的なものをこのワークの中で到達目標に設定しても構わないとお話しくださいました。
 
小田さんが仰っていたように、ワークシートとの向き合い方、作品との向き合い方をここでもう一度考え直すきっかけとなりました。そして、自分の考えやすいテーマから考えるだけでなく、もっと外に目を向けて違う視点を持って取り組んでほしいという願いが伝わってきました。
このような学びのヒントをいただけたという意味だけでも今回はとても意義のある勉強会だったなあと私は開始10分で満足していました(笑)
 
 
【グループワーク】
「Zefiro torna」(F. Petrarva作詩/L.…
11
June
2020

【2020】よびごえ日誌 vol.003

こんにちは!A類音楽教育専攻3年の小金澤です。
 日誌を書くのはずいぶん久しぶりですね。最後に日誌を書いたのはいつだったかな…と探してみたところ、なんと昨年の9月下旬でした!半年以上経ってる……時が、経ってる……恐ろしい…。
 
 6/11は4回目のオンライン勉強会でした。流れは今までと同様なので、扱った曲と共有された意見について記録します。
 
 
【グループワーク】
「Pretender」(藤原聡 作詩/作曲)
 
〇作品の第一印象
・原曲とギャップがある(調、伴奏、テンポ等)
・歌いにくそう。
 
〇この作品を取り扱うにあたって予測される歌唱技術の側面から見た困難箇所
・知っている曲だからこそ、正しく歌いにくい。
・音取りが主旋律でさえ難しい。
・メロディの上下が激しい。発声に課題が出てきそう。
・和声が独特。メロディをよく知っているからこそハモリのパートが難しい。
・ポップス特有のリズム(アウフタクト、シンコペーションなど)があるため、楽譜通りに歌うことが難しい。そもそも楽譜通りに歌うことが良いのか。
・言葉のリズムと歌のリズムが一致していない。
・長い前奏の後に男声から始まる。
・フレーズの出だしが低音から始まることが多い。
・言葉が細かく、響きがなくなってしまいそう。
・男声パートにロングトーンがある。
・女声がdiv.からunis.になるのが難しい。
 
〇この作品ならではの体験・学び(特徴)
・よく知られているので取り組みやすさがある。
・耳から入るので楽譜を見たときに音程などを意識しやすい。
・歌詞に感情移入して歌う。
・移り替わる主旋律により旋律への意識が高まる。
・リズムを正しく縦を合わせる。
・ポップスを合唱でより美しくするためにどうすればよいのか。
 
〇この作品を取り扱った先に、合唱団にはどのような変化があってほしいか
・ポップスを歌うことから合唱や歌うことを好きになってほしい。自己肯定感の上昇。
・ポップス独特のリズムの歌い方等のポップス攻略ができる。
・歌詞に感情移入するきっかけになる。
・メロディを印象付けて歌える。…
28
May
2020

【2020】よびごえ日誌 vol.002

こんにちは!A類2年生の谷夏七星です。学校のオンライン授業が始まってもうすぐ1カ月が経ちますが、私はようやくオンラインに慣れてきたところです…。早く皆さんに会いたいです!!
 
 今日は、オンライン勉強会第2回が開催されました。前回はオリエンテーションがほとんどでしたが、今日から本格的に勉強会が始動です!〈教育学的な視点〉この曲では何を体験し、学ぶことができるのかということを2曲について考えました。
 
 1曲目は『獅子の子幻想』より「都の春」(蓬莱泰三 作詩/鈴木輝昭 作曲)を、以下の流れでワークしました。
 
①小田さんによる曲についての説明
②音源を聴き、グループワーク
③グループワークの検討内容の共有
 
 ①では、新潟を発祥とする角兵衛獅子を題材とする作品で、角兵衛獅子とは、昔、芸を見せ出稼ぎをしていた貧しい家庭の子どもたちのことであることを初めて知りました。この作品は、作詩者である蓬莱泰三さんが、当時かなり悲惨な状況であった角兵衛獅子の様子を表現として幾分かやわらげたい、と仰っていることや、『獅子の子幻想』の4曲の詩や流れ、描かれている内容についても見ていきました。1曲目の「都の春」は、語り・事実のナレーション・主人公(角兵衛獅子)の心情、この3つの視点が錯綜して書かれていました。
 ②では、少人数に分かれてワークを、「作品の第一印象はどうか→作品を取り扱う上での技術的な困難箇所はどこか→作品特有の学び・体験は何か→作品を取り扱った先に、合唱団にどのような変化があってほしいか」という流れで、以上の4点について検討しました。
 最後に③では、②で出た各グループの意見を共有しました。その内容を、簡単にまとめました。
 
・技術的な困難箇所
言葉が速いことによる発音・発声の統一に難しさがある。変拍子をなじませることが難しい。Legato部分と十六分音符が多用される部分の表情のコントラストを出すことが難しそう(伴奏が先行して雰囲気を変えてくれるため、そこまで困難ではないのでは?という考えもありました)。
 
・この作品特有の学び・体験
言葉と音楽の関連性を感じる。方言のようなものが音楽に与える影響を知る。語り・事実・心情の歌い分けができる。伝統文化の背景を知る。
 
・合唱団にあってほしい変化
自分が体験していないことでも物語の世界に入って歌うことができるようになる。ほかの作品でも、多様な視点から歌詞や楽譜を捉えられるようになる。決意や感情をこめて表現することに喜びを感じるようになる。
 
 ここに記した以外にも、様々な意見が出ました。
 
 この作品の譜面は複雑で、技術的な困難箇所を挙げればきりがないと思います。しかし複雑な音形や変拍子にとらわれると、その作品の本質や本当の魅力を知らず、技術を身に付けようとするだけで終わってしまうことを、この作品を通して私たちは学びました。私はこの作品を中学生の頃に歌いましたが、当時ここまで深く考えることは全くできていませんでした。〈教育的な視点〉から曲を分析することで、曲の本質や、指導される側では気付けなかった魅力を探ることができ、とても有意義なワークでした。
 

 
 2曲目に扱った作品は、Ave Maria(Javier Busto 作曲)です。小田さんからの説明の後、グループではなく個人でワークをし、検討内容の共有をしました。個人ワークでの検討内容は、グループワークのときと同じです。
まず、ドイツ人の批評家Sven Hinzさんのこの作品に対する批評を確認しました。Hinzさんはこの作品を、「シンプルなメロディーラインで描かれた作品である。冒頭部分にある五度の2回の上行は神聖なものの表れであり、楽譜を図形として見たときに信者・信仰の素朴さや純潔さが見て取れる。」と論じているそうです。
次に、個人ワークを行い、意見の共有(各項目2,3人ずつ)を行いました。
 
・第一印象
全体的に包み込まれるような印象をもった。和声がとても幸せだった。もっと宗教曲を聴きたくなった。…
21
May
2020

【2020】よびごえ日誌 vol.001

こんにちは!A類3年生の伊藤真緒です。久しぶりのよびごえ日誌ですね。
 現在、新型コロナウイルスの影響で対面での活動ができず、例年のよびごえとは全く違う新年度を迎えています。合唱をすることはできませんが、合唱好きな人達が集まったメンバーなので、オンラインでも出来る形で学び続けようと頑張っています。「合唱作品をもっとたくさん知りたい!」という声が多かったこと、そして将来合唱指導や教育に関わりたい人が多いということで、作品探究と事例研究を中心としたオンライン勉強会を小田さんが計画して下さいました。一人だとなかなか踏み出せない時も、何かを一緒に始めてくれる仲間がいること、それを手助けして下さる小田さんには感謝しています。
 

 
 ということで、さっそく今日はオンライン勉強会第1回目です!
なんとこの勉強会では団員だけでなく、新入生や卒業生、他学科の方等…多方面の方が興味を持って下さり、総勢20人でZoomを行いました。
今日の流れは、
○各紹介
○オンライン勉強会の概要説明
○作品を通した体験研究(概要・目標の共有、進め方について)
○今日の振り返り
です。
 自己紹介はコンパクトなものでしたが、しっかり顔と名前は一致しました。(Zoomは常に名前が表示されているので有難いです)
 
 この勉強会では、合唱作品を《体験的な価値(教育学的な視点)》から探究していきます。また、指導法も切り離して考えるので、まさに作品そのものが持つ教育的可能性にフォーカスしていくということです。その作品を体験することで得られることや他の作品とは違う楽しさを見つけ、合唱指導において選曲をする際に役立てたいと思います。
 
 第1回目なのでメインの研究に時間を取ることはできませんでしたが、今日は『きっと ほんとは みんな』「きっと ほんとは みんな」(里乃塚玲央作詩/大田桜子作曲)を取り扱いました。私はこの曲を知らなかったのですが、同じ曲集の中の「学校へ行きたい」は印象に残っている作品の一つです。小学校6年生の時(2011年度?)に県大会でこの曲を初めて聴き、強い衝撃を受けたのですが、その年のNコンブロック大会でも全国大会でも金賞を取った学校が「学校へ行きたい」を歌っていたのを思い出しました。他に、大田桜子さんの作品では『地球のてっぺん』や『にんげんとせかいのふしぎ』が好きです。
 話が逸れてしまいましたが…、これを「歌っていて楽しい」「なんか心動かされる」ではなく、「この作品ならではの体験・学びは何か」「この作品を取り扱った先にどのような変化があるのだろう」という風に考えていくわけです。「きっと ほんとは みんな」でいえば、歌詞に多く登場する「好き」の歌い分けによって強弱や発音の効果について考えるようになる、掛け合いの部分で他パートを意識し始める、といった変化が子供たちに現れるのではないかと思いました。私は楽譜と音源からこのようなことを考えましたが、まず詩に着目してみる人もいるかもしれませんし、他のメンバーや小田さんからは全く違った視点・距離感からの考えを得られると思います。いつも課題に一人で向かう時間が多いので、いろんな人の視点に触れる機会はとても楽しみです。
 
 終わりに。よびごえ日誌のアーカイブを読み返していると、楽譜とにらめっこしながら意見を交わしたり、本番に向けて練習に励んだり、今日は何人いるんだっけ~と言いながら椅子を並べていた日々すらも恋しいです(笑) が、いつかこれを見返した未来の自分が「こんな不況もあったけど有意義な時間だったな」と思えることを願って…!
今できることを頑張りたいと思います。
 
次回のよびごえ日誌は谷さん、お願いします! 伊藤…
05
April
2020

【2020】よびごえ日誌 号外

みなさん、2020年度がやってきました。100年に一度の非常事態の真っ只中、いま日本中に蔓延している不安は、少しでも傍で咳をする人がいれば距離を取り、いつも十分にあるはずの商品があと少ししかないと「とりあえず買っておこう」という発想を生むなど、普段の私ではない”特殊な私”を増殖させているように思います。”特殊な私”は冷静な判断を鈍らせたり、視野を狭くし、利己主義の発想を誘導したりと、どんどん自分自身を社会と切り離し、孤立へと向かっていく性質があるのかもしれません。僕が怖いと思っているのは、今の自分が自分でも気づかないうちに”特殊な私”になってしまっていて、無意識にそのような行動をとってしまうことです。クレヨンしんちゃんに出てくる上尾先生のように、眼鏡の着脱のような明確なスイッチがあるわけではないのです。自分のことは自分でしっかりと見つめること。そして、こういうときこそ身の周りの人に優しくあってほしいと思います。
 
さて、よびごえの活動がいつ再開できるのか、先行きは見えないのですが、せっかくなので僕の中学・高校時代を振り返りながら、よびごえのみなさんには合唱について考えを深めて頂けるような「探究テーマ」(宿題)を提供できればと思います。
 
▽▽▽
 
僕が最初に合唱に出会ったのは全くの偶然でした。小学校の時から音楽集会や卒業式、授業中も音楽の先生に代わって伴奏を弾いていた記憶すらありますが、あらゆる場面でピアノを弾いていたことが中学校の先生にも引き継がれ、中学1年の終わりの頃、音楽の先生から「Nコンの伴奏をしてみない?」と言われました。もちろん引き受けました。当時の楽譜がこれです。(平成17年度中学校の部課題曲「花と一緒」)
 

 
今見ると、間違った解釈の箇所もありますが、ただこれを見る限り、少年なりにのびのびと楽譜を勉強し、また既に細かい少年だったのだと思います。この曲の伴奏について明確に覚えているのは、歌の最後の切りとピアノの切りを同時にするのではなく、ピアノのペダルをほんの少しだけ残すことで、空間をふわっと仕上げようということにこだわっていたことです。また、歌の旋律とピアノの旋律が会話するようにしたいというメモもあり、ここでも歌とピアノが互いの役割を果たしあうことで得られる効果を期待していたとも思われます。この翌年は「虹」が課題曲で、その時には歌とピアノが会場でどのように混ざるかという意味でのバランスにもこだわっていたので、この頃から、なにか伴奏へのこだわりが芽生え始めたとも言えると思います。
(探究テーマ「1.合唱の伴奏のあり方」)
 
実際に歌い手として合唱を始めたのも、初めてNコンの伴奏をした年でした。きっかけは、Nコンの自由曲がアカペラだったことです。もちろん先生にはこう言われます。「課題曲を弾いた後、自由曲は歌わない?」この時、実はものすごく悩みました。なぜならば、歌が苦手だと自負していたからです。ただ、中学1年の校内合唱コンクールにて、合唱部が当時のNコン課題曲だった「信じる」と、自由曲「合唱のためのコンポジションⅠ」(間宮芳生作曲)を歌っていたのを思い出して、それがやたらとかっこよかったのです。当時の自由曲は「五木の子守唄」「おてもやん」(若松正司編曲)で、この作品はどちらかと言えば「合唱のためのコンポジションⅠ」のような現代的な作曲手法が一部採用されており、掛け声の多用や、各パートがハンドベルのように重なっていくなど、作品自体の面白さがありました。その翌年は課題曲が「虹」に対して、自由曲は「44わのべにすずめ」(木下牧子作曲)でした。この頃にはハーモニーが決まったことによる快感はすでに覚えていて、さらに心に刺さった合唱作品の楽譜を収集し始めていました。
(探究テーマ「2.歌うことが好きになるヒントはどこにあるのか?」)
 
 こうして、みるみるうちに合唱の楽しさに気づいていった僕でしたが、ある時こんなことを思いました。それは、「この曲すごい!」と直感的な感動を覚えるけれども、なぜ「すごい!」と思ったのか分からない、ということに気づいたのです。中学3年生の僕は、「なにか僕がこの曲を好きな理由があるはずだ!」と思い至り、当時もっともはまっていた曲の楽譜を買ってもらい、分析してみることにしました。それが、鈴木輝昭作曲の『ひみつ』から「うそ」でした。(特にこの最後の小節が、不思議で不思議でしょうがなかったのです。)
 

 
当時はもちろん楽典も知らないわけなので、そもそもどうすれば分析できるのか(一定のルールに従ってすべての音を調査できるのか)、その方法を開発するところから始めました。その時の僕の方法は、ピアノパートと合唱パートを頭から弾いていき、特に心に刺さった箇所をメモして、それらに法則性がないかと整理をしていきました。
僕はこの分析作業から多くのことを学びました。例えば、「半音でぶつかっている音も、1オクターブ、2オクターブと離れていくことで直接的な不快感を避けることができ、むしろ独特の美しさを持つこと」「歌のパートではフレーズの終わりで和声が解決していなくともそれにつながるピアノが和声を回収すること」「輝昭の用いる変拍子は日本語のリズムからすると全く当然の割り振りであって楽譜の見方を変えるととても読みやすい楽譜であること」「曲全体に不協和音がちりばめられているにもかかわらず最後の最後で最もシンプルな和声を長時間鳴らすことで異様な印象を覚えること」等。
(探究テーマ「3.私にとって魅力的だと思う作品の秘密はどこにあるのか?」)
  
こうして、我流の分析方法を手にした私は、中学校で配られる「コーラスフェスティバル」に載っている作品のうち、やはり好きな作品を分析したり、当時はやり始めた信長貴富の作品を分析したりしていました。分析をすればするほど、たまっていくのは「僕がその作品を好きだと思う理由」だけでなく、「こういうタイミングでこういう音を書けば感動するかもしれない」という作曲意欲でした。そうです、作曲を始めたのです。
「そうだ、作曲をしよう!」と思いたった僕は、当たり前のように合唱曲を書こうと思っていました。そのため、詩を探さなければいけなかったのですが、どういう経緯かは忘れてしまったのですが、選んだ詩は立原道造の「虹とひとと」でした。
詩を選んだから、「早速曲を書いてみよう!」と思い、ピアノに向かい、言葉のリズムを無視しないよう、混声四部でいきなり楽譜を書き始めたのですが、詩の一行分に音をつけるとアイデアがとまり、また一行分に音をつけると、次はその前のセクションと音楽的に繋がらないことに気づきました。ここで、とても大事なことに気づいたのです。それは、「詩の全体像を理解していないと作曲ができない!」ということでした。実は、これに気づくまで数週間はかかったと思います。どうして書き進められないのか、一行分につけた音は自分では満足していたのに、次の一行分の音と合わせると、一気に構成が崩れる気がしたのです。その曲は中学3年生を卒業するころに無理やり完成させて、いまではお蔵入りしていますが、それでもこの作業は僕にとても大きな学びを提供してくれました。
(探究テーマ「4.なぜ詩の全体像が分からないと作曲できないのか?」)
 
さて、ここまではまだ僕の中学時代しかお話していません。この時点で、相当、合唱や音楽そのもの、また詩にも踏み込んでいる僕ですが、これらの経験を持って、次は高校で合唱を続けることになります。
高校は、俗にいう合唱が強い学校でした。稽古方法も極めて効率的で、それでいて人懐っこい雰囲気のある、オン・オフのはっきりした部活でした。
 
僕の高校は、日本の現代作品を取り扱うことが多く、特殊な演奏法が出てくる作品は部員全員が「普通のこと」だと思っていました。「変拍子だから難しい」「演奏方法が分からないから難しい」といった声は一度も聞いたことがありませんでした。むしろ、特殊な演奏法を楽しんでいる雰囲気すらありました。例えば、『海の詩』(岩間芳樹作詩/廣瀬量平作曲)の「内なる怪魚 シーラカンス」では、水を入れたコップにストローを差し、息を吹き込んでぶくぶくさせる、ということが楽譜に指示されており、では誰がそのぶくぶく係をやるのか、ということでとても盛り上がりましたし、『氷河の馬』(大手拓次作詩/西村朗作曲)の「氷河の馬」では、男声が4部に分かれて裏声でクラスターをする箇所があるのですが、裏声ができないメンバーにとっては鍛錬でしかありませんでしたが、みんなで休憩時間に遊んだりすることで少しずつ楽しさへと変わっていきました。
(探究テーマ「5.一風変わった作品の要素をいかに合唱の喜びに繋げていけるのか?」)
 
合唱部の年間スケジュールはタイトで、1時間程度の新歓コンサートが新年度一発目で、そこから地域の合唱祭、全国総合文化祭全国大会、全日本とNHKコンクールの県大会、ブロック大会、あがよくば全国大会、そして合唱部の定期演奏会、アンサンブルコンテストが毎年のほぼマストで、それに慰問演奏や市のイベントでの出張演奏などが入ります。使いまわす曲もありますが、今思うととてつもない量の暗譜をして、1曲にかけられる稽古時間も2回の部活で本番というのもありました。新曲を読むときは、だいたい最初のパート練ですべて音を取り、2回目以降のパート練は解釈・表現にすべての時間を使っていました。
僕がパートリーダーになったとき、そんな強行スケジュールで鍛えられた「効率」は、今僕が持っている時間感覚にも大きく影響しています。1回のパート練習は50分程度。その間で複数の曲を練習しなければいけない。しかし新曲も音を取らなければいけない。となると、新曲の音取りをいかに効率的に終わらせ、各自がいったん認知した音を繰り返し反復させて自信を持たせてあげることができるか、全体の合わせになってもパニックにならずに同じことができるのか、そのためのパート練習をすることに特化しました。その結果、「あの空へ~青のジャンプ~」(石田衣良作詩/大島ミチル作曲)のような曲であれば、15分~20分で音取りが終了できていました。
では「どうやってパート練習の効率化を行ったのか」ということですが、大きくは2つのことを意識していました。
1つ目はパート練習がスムーズにいくような人間関係を築くことです。パートリーダーの言うことを素直に聞いてくれる環境はとても重要ですが、それは単純に厳しくすればいいわけではないのは皆さんご承知の通りですね。そして、高校といえば、ただでさえもいろんなイベントがあるわけです。体育祭や文化祭、定期考査、それに加えて家庭の事情もあります。この人の言うことだったら信じてみてもいいか、という関係を作るのは容易ではありませんし、キレやすい部員もいたり、人間関係のいざこざで部活に来れなくなりそうなのも僕にできる限り支えて、守ってあげなければいけません。みんなのことを第一に思っていることを感じてもらい、とにかく仲間を大事に、それでいて僕は本気でみんなと良い音楽をしたいことを伝え続けました。
2つ目は、稽古の緩急です。楽典が分かるわけでもない当時の僕たちは、いかに印象的に耳で覚えるかが重要でした。そのため、複雑な和声の箇所でも、シンプルな和声に置き換えて音を取ってみたり、「この音ってこの曲のここに似てない?もはやパクりじゃね?」などとたわごとを言うことで、過去の記憶を活用しながら新しい旋律にも親近感を覚えやすくなるような工夫をしていました。また、「早く音取りが終われば、今日のパートは全部休憩にしよう!」などと、エサで釣ることもありました。
僕のパートリーダー生活は、1時間目~6時間目までの通常授業の時に、いつもパートの仲間のことと、「今日はどうやってパート練習をしよう?」ということだけを考えていたと言っても過言ではありません。…
24
February
2020

【2019】よびごえ日誌 vol.036

お久しぶりです、2年アルトの中島菜々子です。
今回の練習は、いつもの大学ではなく、とある公民館の一室をお借りし、あたたかなお日様の光に照らされながら、遂に一週間後に迫ったコンクールに向け最終調整を行いました。
 
発声練習では、「ko」で歌う練習や、ハミングを用いた練習を行いました。前回の練習でも指摘があった、速いテンポ下での母音の響かせ方を意識することができました。今回の2曲はどちらも比較的テンポが速い部分があるので、緊張などでいつも通りにいくか分からない本番でも確実にできるよう、常に意識していきたいと思います。
 
 風紋の練習では、曲中の強弱を、より明確に聴いている人に伝わるよう工夫しました。また、曲の冒頭から、集まった声で歌いだせるように、息の吸い方、頭の空間の使い方、ポジションなどのポイントをおさえながら、練習しました。今回の曲は勿論のこと、他のあらゆる場面でも応用できるよう、もっと追究していきたいと思います。
 
 今回は、本番と同じ衣装、靴を身に付けての練習だったため、BIN-NA-MAの練習では、足踏みの音などにも注目しました。また、部分で取り出して、より細かく曲をつくりました。また、皆からも気になる点などを出し合い、それぞれが納得して歌うことができました。
 

 
 ついに、コンクールまで一週間を切りました。それぞれができることをやりつくして、いい演奏ができるよう、より集中して練習に取り組んでいきたいと思います。
 
 次回のよびごえ日誌は、同じくアルトパートの1年生・谷 夏七星さんにお願いしたいと思います! 中島…
20
February
2020

【2019】よびごえ日誌 vol.035

本日のよびごえ日誌は、A類2年アルトパートの伊藤が担当します!寒さの中にも春の足音が聞こえてくる今日この頃、皆様はいかがお過ごしでしょうか。よびごえが出場する春コンもいよいよ来週と迫っており、団員一同日々の練習に励んでいます。
 
まず初めに、発声練習です。今日は時間が無かったのですが、「腕を上下させジャンプしながら『どんぐりころころ』を歌う」というものを佐藤さんが提案してくれました。佐藤さんが小学生の時に「心拍数を一回高いところまで上げると、次にもう一度その心拍数になった時に慣れてキツくない」という話を聞いたらしく、みんなでヒーヒー言いながら「どんぐりころころ」を歌いました。私たちが春コンで歌う「風紋」も「ビンナマ」もそれぞれパワーが必要なので、体力も肺活量もすごく大事です!!
 
さて、本番も近づく今日の練習テーマは、暗譜☆と細かい部分の修正でした。毎回と言っていいほど“暗譜”という敵が纏わりつきます。今回特に「ビンナマ」では動きも入るため、非常に焦っていました。しかし、練習の前にアンプ会をしたり、暇な時にブツブツ唱えたりしていると、自然と覚えるようになっていました。何回も繰り返してとにかく体に染み込ませる人、規則性を見出して論理的に覚える人、楽譜自体をスクリーンショットのように記憶できる人、暗譜の仕方は人それぞれのようです。
 暗譜をしながら思ったことは、未だにアクセントの位置が曖昧であるということです。Bin-nam-maではbinに>がつくところもあれば、namについたり、maについたりします。楽譜を外して歌うとあまり意識せず歌っていたなと気づきました。また、他パートが主旋律の時はそれを意識しているけれど、それ以外の時に他パートが何をやっているか気に留めていなかったなと思いました。二曲目は立ち位置がソプラノの隣なので、もし暗譜が飛んだりしても混乱しないように、普段から自分以外に耳を傾ける余裕も大切にします。
 
 また、「風紋」でも「ビンナマ」でも子音が多いところで声が前のほうに出てきてしまうので、それを修正しました。摩擦音を出すために狭くした口を一瞬で開けるのを、無意識でやるのは難しいです。しっかり開ける、顎を下げる、と考えながら歌うことが必要です。詰めの時期になっても、発声や体の使い方は絶対に基本となるので、時々確認する機会は大事にしたいです。
 

 
写真は練習後のミーティングの様子です!
春コンまで残りわずかですが、限られた時間を有効に、よびごえらしく、楽しく、最後まで磨いていきます。
P.S.出番は3/1(日)浜離宮朝日ホール11:08頃の予定です。私たちの合唱を、ぜひ多くの人に聴いて頂けると嬉しいです(*^^*)!!!
 
次回のよびごえ日誌は、は私と同じ二年生でアルトパートの中島さんにお願いしたいと思います!♡ 伊藤…
13
February
2020

【2019】よびごえ日誌 vol.034

こんにちは!1年ソプラノパートの伊野綾那です。
今日は秋学期の授業最終日。ようやく春休み突入ということで、大学がいつもより静かな気がしました。しかし、練習室のある音楽棟4階はいつもと変わらず、活気に溢れていました!それもそのはず、試験が終われば次の曲が待っていますからね!今、私も新しい曲の譜読みに取り掛かっているところです。休みだからといって気を抜かず、こつこつ練習していきたいと思います。
 
 さて、今回の練習はかのんさんが発声練習を担当して下さいました。最初の体ほぐしでは、前屈をした状態で脚の後ろ側全体を伸ばしたり、しばらく小刻みに揺れて脱力してから止まり、体の軸を感じたりしました。止まった時に何とも言えないふらふら感があり、体が安定する場所を自然に見つけていく感覚を味わうことができました。次に、風紋を意識したクレッシェンド、デクレッシェンドの練習をしました。強弱の幅を全体で統一するため、隣の人の声に耳を傾けながら歌ってみると、自分は思ったより声を押しすぎていて、発声が乱れていることに気づきました。今度は先程とは逆に、デクレッシェンド、クレッシェンドの順での練習です。これは思ったより難しく、多くの人が苦戦しているようでした。音が3度上がったときに弱くなっても、声に芯を残し、かつ強弱の差もしっかり出す、というのが難点でした。しかし、このような地道な練習の積み重ねが、曲の中で使える表現を増やす近道なのかもしれません。
 
 今回の稽古は、細かい確認をしてから通しを行いました。風紋では、ソプラノとアルトの4度、5度、8度の響きを決めるということに焦点を当てていきました。冒頭の女声はユニゾンから始まり、ソプラノの音が高くなることで偶数小節が3度、4度、5度と徐々に音程が広くなっていきます。ただ音楽の流れにのって音程に関して無意識で歌っていては、4度と5度はなかなか決まりません。そこで、音が高くなるにつれて息のスピードを速くし、発した瞬間に音を当てる練習をしました。その際、「来る」「貝」のKの子音で息が遮断してしまうが流れを止めないこと、ポジションは後ろ、息の量は少なく一点に集中させることが課題となりました。テンポが速い曲の中でも音を確実に当てることができるよう、体の準備の仕方、タイミングなどを染みこませていきたいです。
 
 BIN-NAM-MAは、表現一つ一つの違いを明確に、そしてよりシャープな音をつくる、というのが今回のテーマでした。テノールとバスがずれてクレッシェンド、デクレッシェンドする複雑性、クレッシェンドしては音量をがっと落としてまたクレッシェンドする再現性など、この曲には恐怖や不気味さを感じさせる細かい表現がぎっしりと詰まっています。お客さんに気持ち悪いと感じて(楽しんで)もらうためには、その一つ一つを極端に明確に表現しなければなりません。そして、子音の入れ方、ロングトーン、体を叩く音、地面を踏み鳴らす音すらもシャープな音を目指します。いつもはホールの響きが私たちを助けてくれますが、今回ばかりは、シャープな私たちの表現を邪魔してきそうです。柔らかい響きに飲み込まれない鋭さを、これからもっと突き詰めていきます。
 
お客さんの目にBIN-NAM-MAがどう映るか気になるところですが、忘れてはいけないのがインディアンとベネズエラの大洪水で犠牲になられた方々の目です。自分の肉体と痛みを捧げ、自然の平安を願ったインディアンのダンス。災害の絶望から立ち直っていく人々の姿。思いを馳せるにはあまりにも遠い存在ではありますが、この曲を通して知ることのできた人々の心情を少しでも体恤し、音楽を作り上げていきたいです。
 
少々重くなってしまいました。最後は井出さんを明るく送り出して締めましょう!
教育実習頑張ってください!私たちも、本番までまだまだグレードアップしていきます!
 

  伊野…
10
February
2020

【2019】よびごえ日誌 vol.033

こんにちは、3年の國元美乃里です。秋学期は今週で終了ということで、テストや試験が佳境を迎えており、学芸大学は非常に盛り上がっております。と同時に3年生の名乗ることができるのも残りわずかとなり、ついこの前大学に入ったばかりなのになあと、時の流れの速さに驚いております。
 
 練習は、ななせちゃんの発声から始まります。ハミングで8拍間、2拍ずつのクレッシェンドデクレッシェンドを繰り返します。最初はどのくらいの音量で、最高音量はどの程度で、と計画的にやらないと、2拍はあっという間に流れてしまいます。次は、『カケキコクコキケカケキコク』(あってる?)を音階で歌っていきます。カ行は意識して発音しないとうまく当たらなかったり、母音の違いで響きの違いも分かりやすいため、合わせるのがとても難しいです。今回の発声メニューは初めて取り組むものも多く、きっとななせちゃんが、どうやったら風紋やビンナマにつなげられるのかと試行錯誤を重ねて、毎週持ってきてくれているのだと思います。ありがとうございます。
 
 頭を使って机やいすをコンパクトに並べ替え、できる限り本番のステージの広さを確保します。いつも通り、まず初めは風紋の通しから始まります。私たちの強みは何と言ってもこの人数。しかもそのほとんどが、声を出すことをお得意とする声楽専攻で、他団体に負けない音量を出すことができます。その強みを生かし、風紋ではビル風のような、強烈で圧倒的な風を吹かせ、それに匹敵する大きな愛を表現したいと思います。
 
 この練習の前に何人かでビンナマの暗譜稽古を行ったのですが、同じような音形、同じような言葉が繰り返され、微妙に変化していくこの曲を暗譜するには、規則性を見出すことが一番の近道であると感じました。中学の頃から、テストに出る何の関連性もない用語たちを、勝手に意味づけして記憶していくことが得意だった私(テストは全部それで乗り切っていた)。とっとと暗譜するんだ!!!ということで、話がずれましたが、ビンナマではまず、Pの表現の仕方を考えます。ただ小さい音で歌えばいいという話ではありません。音色を柔らかくする、その前の音を強く固く歌い相対的にPに聞こえさせる、息を混ぜる、など音量以外のアプローチはいろいろ考えられます。次に課題にあがったのが、M⤴の歌い方です。この場面では不満を表現したいのですが、言葉ではないこの音でこの世界の異質さを表現しなければなりません。いまはまだ、個人個人のイメージや方法が統一できておらず、まとまっていない状態なので、早急な課題として取り組んでいきたいと思います。ビンナマは何となく、歌っているときの頭の中や声はそれっぽくなってきたのですが、身体が追い付いていないという感じがしています。身体は意識しないと動きません。どこかに冷静な視点はもちつつ、呪術的かつ神秘的かつ幻想的な踊りで観客の皆さんを感動させることができたらと思います。
 

 
 つぎの日誌は同じソプラノパート1年生のやあなちゃんにお願いしたいと思います。とっとと暗譜します!!!
  國元…
06
February
2020

【2019】よびごえ日誌 vol.032

こんにちは。3年の井出です。
2月前半のぽかぽか陽気から一転、急に寒くなりました。私は大学1年のときから早朝バイトを続けていますが、毎年この冬の時期の早朝は、手が凍るほど寒いです(そしてなかなか起きれない!)。
 
今日は、花音さんの発声練習、と思いきや、いきなり「どんぐりころころ」を歌いました。
しかも隣の人の肩をたたきながら。体だけでなく、その場の空気もほぐれました。そういえば昨日、「春こん。」の中学校・高等学校の部のお手伝いをしてきました。終演まで舞台袖にいたのですが、約8割(!)の団体が、演奏前に肩たたきをしていました。どこかの本にでも書いてあるのかしら、と思ったほどでした。また、学校・団体によって本番前の空気は様々です。生徒全員と握手をする先生、ギリギリまで生徒と演奏の確認をする先生、生徒とは話さず楽譜や指揮の確認を黙々と続ける先生など、様々でした(どれがよい、というわけではありません)。一つ言えることは、その空気は先生次第なのかな、ということです。部活動の指導方針でもあるのかもしれませんが、先生によって育つ子どもは全然違うのだなあ、と。言葉では分かっていましたが、実際に間近で見てヒシヒシと感じました。
 
さて、話が逸れました。今日の練習では、はじめに「風紋」を扱いました。通しの録音をし、その録音を聞き、改善点を出し合いました。課題はまだまだたくさんですが、一つひとつ解決をしていきたいですね。言われたことを何個も一度にやろうとすると、かえって上手くいきませんでした。
後半は「BIN-NAM-MA」です。本番の並びを確認し、また演奏も形になってきたと感じています。楽譜に書かれている演奏記号を中心に、細かく確認を行いました。楽譜を読み込んでいる、と思っていても、見落としている記号があるものです。形になってきたのは、そのような細かい作業を繰り返した結果なのかな、と思います。終わりのミーティングでも、「やっと曲を掴めた」との声が多数。暗譜も含め、今後も頑張りましょう!
 
そしてもう一つ。今日の練習から、ベースに助っ人が来てくれています。バリトンパートをお願いしましたが、彼が入ったことで一段と音の鳴りが豊かになりました。練習も違った視点で見てくれているようで、よびごえに新しい風を吹き込んでくれそうです。これからもよろしくお願いしますね。
 

 
次回は同学年の國元さんにお願いしようと思います。 井出…
03
February
2020

【2019】よびごえ日誌 vol.031

こんにちは。佐藤花音です。
寒いですね。中学、高校、大学受験シーズンですね。受験生が落ちついて力を出しきれることを心から祈っています。
大学内も試験、試験、試験と毎日追われています…がんばります…
 
今日は発声の時にテヌートとアクセントの歌い分けについて考えました。二人組で行い、片方の人が歌った後2人で振り返りをします。発声を進めてくれたななせさんの指示で、まず歌い終わった人が、違いを表現するために変えたことを言った後に、聞いていた人が感じたことを言いました。ただ聞いていた人が感じたことを言うだけよりも、まず歌った人が振り返ることから始める方が、深く考えられるなぁ、と思いました。表現について、意見を聞くというより、自分の感覚や判断基準について、意見を聞く感じになるからかなと思います。先日教育法の授業でこれに関連する内容を聞いたのを思い出しました。授業で学んだことを実践の中で捉え直すことで学びが深まるのは楽しいです。
 
風紋は今まで部分部分で練習していたところのつなぎを確認し、その後に通しました。その際録音をして改善点を出しました。子音のタイミングや強さ、フレーズの終わり、リズムの出し方などについて言及があり、それらについて確認した後に、もう一度通しました。
風紋は息継ぎのタイミングが難しいのもあり後半になるとだんだん疲れてきます。疲れてきたときに自分の歌い方がどう変化するか知り、計算して歌うよう、また、一度に全部はできなくていいから1つずつうまくなっていってと、お話がありました。
 
ビンナマはいままでよりも細かく表現の仕方について練習しました。強弱、動き、アクセント、スタッカート、テヌート、どんな声質で歌うか、などの点について、数小節ずつ丁寧につくっていきました。考えることが盛りだくさんで、練習時間があっというまに過ぎていきます。野性的・非日常的な表現をめざす部分がありますが、このような世界観の曲は今まであまり出会ったことがなくて新鮮です!最後に前半と後半に分けて、通しました。分けてであっても、通したのは今日が初めてでした。通してみて改めて感じたのは、場面の変化・音楽の変化がめまぐるしい曲だということです。気持ちと思考と感覚がきちんと伴っていけるよう、1つずつ頭と体に浸透させていきたいです。
 

 
次回は井出さんにお願いします! 佐藤…
16
January
2020

【2019】よびごえ日誌 vol.030

こんにちは!今回のよびごえ日誌はA類1年アルトパートの堀切彩愛が担当します。
今日の練習はまずストレッチから始まりました。1人で首回し等をした後、2人組で背中合わせになって、手首を持って前に倒れて引っ張り合うストレッチをしました。普段あまり伸ばせないところも伸ばせた感じがしてとても気持ち良よく、組体操みたいで楽しかったです!
その後に発声練習をしました。ドレミレドの音形で、ハミングやka,ア母音で最初だけkの子音を付ける等段階を追って練習しました。今回の練習では、「空間で音をまとめるとはどんなことか」をテーマに、指揮者がいるあたりに声を集めるポイントを設定したり、空間全体を意識したりしながら、息のスピードや子音にかける時間を調整しました。本番のホールでの聞こえ方を意識しながら練習することが大切だと感じました。
 
今日の稽古では、BIN-NAM-MAをメインに練習しました。パート内や全体で決めておくべき約束事を話し合って解決していきます。1つ目に話し合ったのは、アルトに出てくるウィスパーボイスでのテヌートの付け方です。滑らかなクレッシェンドディクレッシェンドではなく、テヌートの部分で止まった時間を作る,gの子音を長めにとる等の結論になりました。次はソプラノのウィスパーボイスの部分で、楽譜の表記が3度高くなっている箇所をどう表現するかということです。音の高さは喉を締めることで表現できるという結論になりました。次に、途中に出てくる体全体を使ったリズムパターンをどう表現するかという話し合いになり、何かしらの動作を楽譜通りすることは決まりましたが、細かいことは保留になりました。またHに出てくる矢印付きのOMは有声にすることを確認しました。さらに、バツ印の付いたmaはかわいく唇の破裂音が聞こえるような歌い方にすることも確認しました。その後、楽譜の細かい所を確認していきます。「不満げに」という指示をどう技術的に還元していくのか個人で試してみたり、テヌートや細かいクレッシェンド,ディクレッシェンドを的確に表現できるよう練習したりしました。P.9にあるクレッシェンドからのフォルテ、その後のスビトピアノの流れについては特に重要で何度も練習しました。私は今までこの曲の振りや音を一通り通り歌うことに気を取られ、細かい所にまで目を向けられていなかったことをとても反省した稽古だったのですが、細かい表現は全員で共有して的確に表現していけると良いなと思いました。
最後に小田さんからの宿題として、今は日本人っぽく歌いすぎているので、舌根を落としたようなkumの言い方と南米の人の感情表現,南米についてを各自研究しようということになりました。本番までもうあまり時間が無いので、自分でも曲の理解をどんどん深めていきたいと思います。
 

次回のよびごえ日誌は谷さんにお願いしたいと思います!
成人された先輩方、おめでとうございます! 堀切…
06
January
2020

【2019】よびごえ日誌 vol.029

明けましておめでとうございます。
今回のよびごえ日誌はアルトパート1年の今城琴美が担当致します。
 

 
今日はストレッチから練習がスタートしました。
後ろに伸びたり、上に伸びたり…思ったより肩が凝っていてびっくり!全然腕が後ろにいきませんでした笑
そのあと2人組でのストレッチ。
1人は脱力して前屈して、もう1人がその人の背中を叩きます。前屈をしている人は背骨を1つずつ積み重ねるイメージでゆっくりと起き上がります。
 
その後の発声練習は、ソーーーファミレドーというように5度下降する音形で行いました。
高い音からスタートする発声は、思ったより高めを狙って歌い始めないとぶら下がりがちになります。しかし、アタックが強すぎると発音がきつくなるのでそれも注意しなければなりません。下降するにつれポジションが変わらないように気をつけるというのも課題となりました。
その後、BIN-NAM-MAでも出てくる、グリッサンドの練習も行いました。
 
 
1曲目は風紋の練習から!
まずは正確な音程、リズム、発音で歌唱できるかの確認です。
少しテンポを落として、器楽的にきっちりとダイナミクスの変化を表現することに意識して歌いました。
 
そして、今日は細かく楽曲分析をしていきました。
まず1つ目のポイントは『リズム』です。この楽曲は全体を通して大きく2つのリズムパターンに大別できます。それに注目して、楽譜にマーキングをしながら皆で確認しました。
まず、第1主題は2小節目の頭に向かった音形、つまり、フレーズの頂点に向かう過程が表現される音形です。クレシェンド、デクレシェンドをしっかり表現することが重要となってきます。
それとは対照的に、第2主題は裏拍の動き、つまり、いきなり始まります。これが第1主題との決定的な違いです。ファンファーレ的に、発音をしっかりと入ることでリズムの違いを浮き彫りにできます。
 
次に、2つ目のポイントは『歌詞』です。
私たちが今回歌う「風紋」は、風紋という楽曲の第四章です。私たちが実際は取り扱わない、第一章から第三章も含め、歌詞の意味を丁寧にみていきました。
第一章「風と砂丘」は、風でもなく砂丘でもなく第三者の視点から描かれています。第二章「あなたは風」はタイトルからも読み取れるように、“私”が砂丘であり、風である“あなた”へのメッセージとなっています。
そして第三章「おやすみ砂丘」は第二章と立場が逆転し、風から砂丘へのメッセージとなっています。
それでは第四楽章「風紋」は一体どの視点から描かれているのでしょうか?
これは砂丘で風の言葉を目にして想像を膨らました人間の視点なのではないかという意見などが出ました。
また、第三章の最後には「人は呼ぶ 風紋」という歌詞があります。人間はどんな現象にも名前をつけようとします。これは私たちにとってしか意味をなしません。自然は人間が及ばない神秘の世界の中のもので、風の言葉を風紋と言う言葉では認識していないのです。
 
そして、3つ目のポイントは『音楽と詩の関係』です。
私たちは日常的に、バーバル言語とノンバーバル言語を使っています。
バーバル言語とは、ある程度の人が何を指しているのか特定出来るものです。たとえば、ペットボトルという言葉などが例に挙げられます。詩、つまり言葉は具体的なイメージを共有するのにとても便利なのです。
一方、ノンバーバル言語は、指すものが統一されません。音楽など、個人によって感じることが違う、抽象的なもののことです。つまり音楽では、必ずしも同じ結果を共有することが出来るとは限りません。
歌というのは、詩というバーバル言語、音楽というノンバーバル言語、この2つが組み合わされたものです。
 
では風紋を歌う上でその2つを上手く表現するためにはどうすれば良いのでしょうか?
詩に寄り添えばいい演奏ができる合唱曲が近年多い中、この風紋は現代曲に近い形式であり、音楽が要求する合唱曲といえます。…
16
December
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.028

Merry Christmas!!
はじめまして。本⽇の⽇誌は、4年声楽専攻テノールパートの濱野瑞貴が担当します。
 
まず、今回の練習では、発声練習を⼆年⽣の花⾳さんが仕切ってくれました。”ieieioiou”といった⺟⾳唱を⽤いて、いくつかのアイデアを試しました。たとえば、、全員で⼀緒に歌う以外にも、2パートにわかれて輪唱のように追いかけっこをして、先に歌い出したパートの歌い⽅を後を追いかけるパートが真似をして練習しました。その後、パートを交代して歌ったり、もう⼀度全員同じタイミングで歌ったりしながら、⾳を揃えていきました。私のひとまずの感想は「カエルの歌みたいで楽しかった」です。笑もちろん楽しいだけでは、上達は無いのかもしれませんが、楽しんで練習できることはとても重要なことだと感じました。
私事ですが、来年から教員になることが決まっており、どうしたら中⾼⽣が楽しみながら、⾳楽が好き!という気持ちを持ち続けながら、合唱練習に取り組んでいけるのか?と良く考えています。曲を思ったように歌いこなすためには、発声練習も必須ですが、⽣徒に前向きに取り組んでもらうためには、様々な⼯夫が必要だと思います。各々が思いついたことを実験的に取り⼊れたりしながら、いろいろな発声の取り組みができるのもよびごえの魅⼒かな、と思いました。
⼜、”Ma”のシラブルと3度幅の⾳程を使い、crescendoして頂点を迎え、次第にdecrescendoする練習も⾏いました。ここではcrescendo(⼜はdecrescendo)の幅や⼤きく(⼩さく)なっていくタイミングを揃えることを意識しました。ここでは発声練習としての、いわば⾃由な⾳楽表現に繋げるための技術練習ですから、楽譜に書かれている強弱記号とは少し意味合いが変わってくるのかもしれませんが、楽譜を読む際には、何故ここにcrescendoがあるのか、どういった演奏効果を狙って書かれたのかを考える事はとても重要なことだと思います。今、取り組んでいる、「⾵紋」にも強弱記号が沢⼭使われています。強弱記号をただの数値的な記号(fが1だとしたらffが2といったように、、)としてしか捉えられなかったら、演奏は無味乾燥なものになるでしょう。楽譜を読むということは本当に難しいな、、と感じるばかりですが、そのf(フォルテ)は柔らかいf?硬いf?どんな⾊?どんな⾹りがして、どんな気持ちになる??想像したら果てしなくありますが、あと本番まで2ヶ⽉ほど曲と向き合って、私たちらしい演奏ができたら良いなと、思います。やや発声の話から脱線した気もしますが、、笑笑
 
そして、今年最後の練習ということで、前々から⽬標にしていた「BIN-NAM-MA」の通しをしました。本当に通した“だけ”です笑 今回はそれぞれのパート毎に練習する時間をとり、練習の最後には全員で合わせられるようにしました。まだまだこれからです。練習においてこの期⽇までに、これをできるようにする!という⼩さな⽬標はとても⼤事ですよね。とりあえず、年末までの⽬標は達成しました!!ただ、この曲を演奏するにあたり、ただ通せて良かった、みんなで歌えて楽しいといったことの更に先にやる事はたくさんあるのではないか?そのような次元(という⾔い⽅が正しいかは分かりませんが)よりもっと上で、どうやって曲を表現するかを考えていかなければならないのではないか?、、何故なら多くの⼈が亡くなっている背景が曲に込められているのだから。といったことが、練習後のミーティングで団員から挙がりました。この曲はベネズエラで起こった⼤洪⽔をもとにつくられましたが、私が1番に思い出したのは、今年の9⽉に、私の故郷千葉県を襲った台⾵です。幸い私の住んでいる市はあまり⼤した被害ではありませんでしたし、千葉県全体でも死者、負傷者数としてはベネズエラの洪⽔に⽐べれば、軽かった(?)のかも知れません。しかし多くの⼈の⽣活に被害をもたらしたことには変わりなく、⾃然災害の恐ろしさや⾃然を前にした時の⼈間の無⼒さを感じます。練習に疲れても帰る家があることや、スイッチを押せば電気がつくこと、蛇⼝を捻れば⽔がでることすら、当たり前に感じていますが、本当はもっと感謝すべきことなんだな、と、、
 
⽇誌が若⼲シリアス展開になりましたが、当たり前のことを⼤事にして感謝できる⼀年にします。(あ、新年の抱負です。気が早いですが笑)
今回はこの辺で終わりにしたいと思います。次回は1年⽣の今城さんにお願いします。皆さん良いお年をお迎えください!! 濱野  
12
December
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.027

はじめまして。4年声楽専攻の鈴木慧です。
もう12月中旬ですね。冬は私が好きな季節です。空気が冷たく、木々は枯れ、どこか物悲しげな雰囲気がありますが、クリスマスやお正月などの行事があり、気持ちは高揚します。また、寒ければ寒いほど、春への憧れが募る気がしています。冬は風が強くて、自転車が漕ぎづらいので、歩いて生活してみるのもおすすめです。新しい発見があるかもしれません。
 
進路の関係でよびごえをおやすみしていましたが、日誌は読むようにしていて、そこから学び、着想を得て、時には団員の姿を見て元気をもらっていました。いざ自分が書くとなると、とてもわくわくします。
創立当初と比べると、団員も増え、組織としても整ってきたよびごえ。これからも、団としてはもちろん、それぞれが思いを書くこの日誌も続いていくといいなぁと思っています。
 
さて、今回の練習はまず1年生の谷さんが発声練習を担当してくれました。今回取り組む「風紋」という曲には、5度音程で響かせる箇所が多いため、それを中心に彼女の工夫が散りばめられたものでした。低声パートが根音、高声パートが5度音を歌い、ばらばらに並び、響きが混ざるようにする、2.3人のグループをつくり5度音程でクレッシェンド、デクレッシェンドをグループ内で手の動きで示し、体現するというものでした。手の動きで示すという視覚化をすると、わかりやすいです。
グループによっては手の動きが何かの儀式のようでアイスブレイクになった、終始にこやかな発声練習でした。初めて担当してくれた谷さんに拍手です!
 
 続いて「BIN-NAM-MA(ビンナマ)」の練習です。ダンス経験者の松本さんを中心に振り付けの確認をしました。ビンナマは注訳がスペイン語、英語で書かれていて、団員一同大苦戦しています。私も英訳をしましたが、解釈が難しい箇所がありスッキリする答えがなかなか見つかりません。
作曲者はなぜこのような振り付けを入れたのだろう、なにを表しているのだろうと考え、1人に任せるのではなく、それぞれが考え、全員の表現が集まったよびごえオリジナルのビンナマが作り出せればと思います。
また、毎回の練習でここまではやるという小さな目標を設けて、本番という大きな目標を見据えたいものです。そして本番という目標の先には、より大きなものが待ち構えているのだろうと思います。結果も大切ですが、そこに至るまでの過程は、より大切にしていきたいとしみじみと感じています。
次回の練習では音と動きを伴った練習、「風紋」にも取り組みたいです。
松本さん、先導を切ってくれてありがとう!
 
 練習後のミーティングでは、全員が思ったことや感じたことを発言し、お互いに気遣いながらも伸び伸びとしていました。久しぶりに練習に参加した私を快く受け入れてくれた団員たちに感謝しています。
 

 
 春コンまでの練習回数をざっと数えるともうあと1桁です。私がよびごえとして活動できるのもそれまでだと思うと、自然と春コンに対する思い入れが強くなります。今年は難曲ですが、これだけ人数がいれば、それぞれの得意分野を活かし、意見を出し合い、能動的に動くと、今のよびごえにとって難曲ではないかもしれません。はやく曲を楽しみ、作曲者や作詩者の意図を汲めるようにしたいです。個人的な目標は1月頭の練習までに暗譜です。がんばります!
 
次のよびごえ日誌は、歌もピアノも楽器をなんでもできて、笑顔が素敵でみんなのアイドル!スーパーマルチプレイヤー濱野瑞貴にお願いしたいと思います。
 
皆さんお体にお気をつけてお過ごしください。それでは! 鈴木…
02
December
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.026

こんにちは。本日のよびごえ日誌はテノールパート4年の笛木和人がお届けします。
常連の皆様には初めまして。お邪魔します。さあ何を書こうかな。ワクワクしますね。随所に余談を散りばめておきますので、どうか最後まで読んでいってください。
 
まず簡単に私の自己紹介をしておきます。所属はB類音楽専攻声楽科。好きな食べ物はミラノ風ドリアです。よびごえには1年生の頃からお世話になっていますが、その頃のよびごえはまだできたてほやほやでしたから、ホームページに交代で日誌を書くという文化はおろか、団体としての役職や制度などもあやふやでした。その辺りも随分きちんと整えられたものです。小田さんには頭が上がりません。
 
気づけば師走に突入してしまいましたね。教師の卵たちも大忙しです。
何より厄介なのは寒さです。寒いので暖房を効かせますね。すると冷気はどんどん下に溜まるので足下は余計に寒く、暖気はその上を覆うので呼吸すれば喉はカラカラに。歌えやしない。「いい歌はいい空気から」ということで、本日のボイトレは稽古場の空気をかきまわすところからスタート。
 
雨乞いの如く繰り返し腕を上げ下げする団員たち。そして部屋中をうろうろと歩き回る。ついでに(?)発声もする。腕の上下に応じて声量に強弱をつけます。成程、声と身体表現を連動させ声量を可視化することでより自然に息をコントロールでき、無理なく声が流れていきますね。
 
いい感じに暖気と冷気が混ざってきたので、次は隣の人の声を聞く練習。隣の人の声量に合わせて自分のそれも同じくらいに調節します。これを一列に並んでやってみると、強弱の意思がまるでウェーブのように伝わって楽しいです。
 
今回のボイトレで感じた課題は、一人ひとりがもっと幅広い強弱を出せるといいね、ということでした。早い話が、持ち得る強弱の幅が表現力に直結するのです。無論、いくらfと指示が書いてあったとしても、パートとしてのバランスを欠いてしまってはお話になりませんけども。たとえばBIN-NAM-MAにはp,mp,mf,f,ff,fffの6段階に渡る強弱記号が存在します。正確にはpiù forteとpoco più forteを加えた8段階になりますし、さらに厳密にいえば声の強弱はデジタルではなくアナログですから、その間隙を埋める無数の強弱段階が在ることを私たちは知っています。
 
ふと、自分にはどれだけの引き出しがあるのか気になりました。たまには自分の限界を知っておくのもいいかもしれませんね。
 

 
さて本日の稽古はというと、機械的な音取りと演奏指示の確認という緻密な譜読みの一時間でした。
時折ものすごい不協和音が鳴り響いてびっくりしますが、楽譜をよく見るとどうやら合っているらしい。こんな感じで手探りで少しずつ進んでいきます。これがなんだか懐かしい感覚で、えも言われぬ面白さです。普段は接しないような異様な合唱曲に取り組んでいると「あ、よびごえだな」という正体不明の安心感に囚われます。もはや感動すら覚えます。
 
音取りが中心となるとあまり実況向きの内容ではないかと思いきや、一つ興味深い発見があったのでご紹介しましょう。
 
鍵盤ハーモニカ。
 
小学生の頃に触れた覚えがありますか?あれです。ピアノのように鍵盤楽器でありながら、息によって音色をコントロールするという特徴を持つため、歌うような旋律を奏でることができるのです。音取りの際「このように」と言って模倣させるだけなら、ピアノよりも優れていると言っても過言ではないでしょう。すごいでしょう鍵盤ハーモニカ。たまには押入れから引っ張り出してきませんか。シールとか貼ってあったら懐かしい気分に浸れると思いますよ。知りませんけど。
 
いかがでしたでしょうか。とりとめもないことで埋め尽くしたきらいもありますが、これで私のよびごえ日誌は終えようと思います。特に大したことは書いていませんね。それでも実に自分らしい文章が書けたと思います。私はそれだけで満足です。
 
次回は同期の4年生で同門の鈴木慧にお願いしようと思います。これからも朝晩はぐんと冷え込みますから、くれぐれもご自愛くださいね。それでは。 笛木…
14
November
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.025

こんにちは、B類声楽専攻一年の松本です。約一ヶ月ぶり二度目の登場です。
 
まずは小金井祭お疲れ様でした!皆さん、よびごえ以外にもたくさん出番を抱えていながらも、良い演奏ができたのではないでしょうか。私個人は反省点が多く満足はできていないのですが…ちなみに私は「お母さん」を実の母の前で歌いました。
 
発声練習は、一年生が音形や母音を決めて行いました。どんなことを達成して、そのためにどんな練習をするのか考えるのは大変なことだと改めて実感しました。高校までの合唱部では発声練習がワンパターンになりがちだったのですが、よびごえの稽古では毎回違うことをしています。よびごえの発声練習は必ず今後に活きてくると思っています。
 
今回からはついに!春こん。の稽古がスタートしました。
今年は「自然」をテーマに、こちらの二曲を選びました。
 
・混声合唱「風紋」より4.風紋 詞:岩谷時子 曲:石井歓
 
・BIN-NAM-MA(ビンナマ)曲:A.Grau
 
初回稽古ということで、風紋の音取りとビンナマの大まかな説明を行いました。
風紋はテンポを落として、正確な音とリズムで歌えることを目標に音取りを進めました。人数が少なく、女声2パートしかいませんでしたが、自分の声も周りの声もよく聞こえてきました。ソプラノとアルトは一緒に動くことが多いため、テンポを上げても今回と同じようなハーモニーを作れるよう練習したいと思います。
絶え間なく「風」という言葉が繰り返されますが、それぞれどんな風なんだろうと考えながら歌っていました。楽譜を見るだけでもひとつの風を感じることができます。これから稽古を重ねて、どんな風を吹かせることができるのか、とても楽しみです。
 
ビンナマには踊りを伴う箇所があり、その振り写しや動きの確認を担当している関係で、説明は私がさせていただきました。注釈がすべて英語で書かれているため、説明にはかなり苦労しました。(拙い説明を温かく聞いてくださった皆さんありがとうございます!)
踊りも一通りやってみましたが、私を含め、かなり苦戦していました。これを歌いながらやるのか…という心の声が聞こえるようでした。
 
実は、ビンナマという曲が完璧に演奏されたことはないと言われています。Web上にある動画をいくつか確認しましたが、全く同じ動きをする合唱団は二つとないのです。注釈には書かれていないアレンジを加えている団が多いです。振り写しの準備を少しずつ進めていますが、正直なところ動画はあまり参考になりません。しばらくは注釈に書いてあることだけをしようと思っています。
言ってみれば、楽譜に忠実に演奏するだけでもよびごえオリジナルのものになってしまうんですね。そう考えると少しだけ楽しくなってくるのは私だけでしょうか?
人生でここまでの難曲に取り組むことはそうないと思います。今はただ不安でいっぱいですが、この曲を乗り越えたら何も怖くなくなるはずです。地道に頑張りましょう!よろしくお願いします。
 
今回は稽古時の写真がないので、関係のない写真で恐縮ですが、こちらを載せます。
 

 
一年生7人で打ち上げをしました!小金井祭ではよびごえ全体の本番とは別に音楽科一年生の演奏カフェで二曲歌いました。みんなのリクエストで焼き肉食べ放題です。ほとんどノンストップで食べて話した90分でした。話題はやはり合唱のことばかりでした。
「春こんも頑張って、また美味しいご飯を食べよう」と約束しました。一年生はまだまだ成長します!
 
一気に冷えこんだせいで、体調を崩す人が増えています。皆さんお気をつけて…
次の日誌は、春こんからよびごえに復帰される四年生の笛木さんにお願いします!お楽しみに! 松本…
04
November
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.024

こんにちは!B類1年ソプラノパートの神谷咲妃です。
今回は11月2日から4日にかけて開催された東京学芸大学の学祭“小金井祭”について書き留めたいと思います。小金井祭では音楽科でコンサートを催しているのですが、今回はコンサート最終日の大トリで『美しい訣れの朝』より「3.お母さん」、「知るや君」の2曲を歌わせて頂きました。
 

 
前回の合唱祭での本番とは違い、学内の知り合いや家族など身内を主としたお客さんの中で歌うのはより一層緊張感がありました。
お母さんの死への恐怖感を伝えるにはどうしたら良いのか、それとは正反対とも思われる「知るや君」の美しい自然の風景を誰かに伝えたいという詩を最大限引き出すにはどうしたら良いのか。曲を読み始めてから3ヶ月ほどに渡って歌ってきた私たちが曲から受けた感動、恐怖をダイレクトに聴衆に伝えるためには、どうすれば良いのか。今までの練習で何度も話し合ってきました。曲想、歌い方に関しては練習、リハーサルで準備万端でした。では本番という練習にはない様々な要素をどう曲に活かせるでしょうか。本番直前のミーティングで小田さんからヒントを頂きました。まず入場での歩き方、表情。1曲目にお母さんを歌うのなら、微笑ましく登場するのでは恐怖の世界観は作れません。歩き方も背筋を伸ばして緊張感を持った方がより張り詰めた空気を作れると思います。そして曲間。張り詰めた空気か暖かで穏やかな空気に変える。表情を柔らかくしたり、身体の力を一度抜いてみたり…。それぞれの方法で美しい自然の風景について歌う準備をしました。
 
こんなに本番に向けて曲想の入念の練り込みができるということはとても幸せなことです。普段の学校生活では目まぐるしく本番がやってくるので、なかなか準備万端な状態では迎えられず、後悔することもしばしばあります。そんな中でこのよびごえでの活動は技術面から曲想の練り込み、表現方法の追求までしっかり出来るのはとても勉強になるし、他の本番にも活かしたいと毎回思わされます。
次の本番は春こんです。BIN-NAM-MAと風紋、どちらも難しそうで特にBIN-NAM-MAは特殊奏法がいくつかあり譜読みから怖気付いていますが、また次の目標に向かって頑張っていきたいと思います。
小金井祭に来てくださった皆さまありがとうございました。
 
次回のよびごえ日誌は、よびごえ1年生唯一の声楽専攻の松本夏実ちゃんにお願いしようと思います! 神谷…
31
October
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.023

こんにちは、名嘉眞です。学芸大学は、学園祭でにぎわっています。音楽科でも、毎年恒例小金井祭コンサートが開かれ、私たちの出番もいよいよ明日となりました。
 
今回は、本番直前の稽古ということで、歌をうたう前のスイッチの入れ方がメインとなりました。というのも、本番では、場所、隊形、緊張状態など、いつもと違うことが起こります。またこれは、個人の問題ではなく、私たちが合唱という集団芸術のかたちである以上、お互いに影響しあいます。本番特有の緊張や興奮状態の中でしか生まれない、熱い演奏も、本番の楽しみではあります。しかし一方で、曲が常に持っている熱量や世界観を、着実に再生していくための仕掛けとして、スイッチが必要です。
 
今回初めに曲を通した時、何か全然まとまらなかったな、という印象でした。同じベクトルに向いているはずなのに、集団だからこそ生まれる、音楽の大きなうねりが感じられません。いつもと隊形が違うことで、聞こえ方が変わり、曲に集中することよりも、周辺の環境に気を配りすぎるがあまり、私たち個人が硬直してしまい、結果的に音楽が硬直してしまいました。小田さんからその後、「死生観」についての話があったり、曲のイメージを音楽的要素と詩から再統合することで、みんなの中の音楽が潤いを取り戻しはじめ、だんだんと動いてきました。個人の状態も安定し、音楽と向き合う情緒的な基盤が作られて、ようやく曲と一体となることができるのだと知りました。
 
実は、今回の稽古には美術科からスペシャルゲストが4人来てくれました!たった二時間で音楽がどんどん変容していくのが面白かった。音楽を通して、自分と向き合うことができた。音楽をするという行為は、究極の鑑賞だと思った。など、私たちでは発見することのできない、美術科ならではの視点もあり、お互いにとって有意義な時間となったのではないでしょうか。学芸大学には各教科のオタク…ではなく、専門家がたくさんいます。自分の領域に熱中するがあまり、他学科との交流は少なくなりがちですが、よびごえが鎖国することなく、開かれた空間であってほしいな、というのが、1つわたしの願望であったりもします。
 

 
ここからは美術科のみなさんのお話を受けて、お話しします。私たちは、演奏することを通して、自分の中に他者を生み出します。曲と初めて向き合ったとき、楽譜は他者です。しかし、練習を重ね、曲と向き合う時間が増え、曲を理解するということが、いつの間にか、曲に描かれた、他者を理解するという行為になります。他者理解をしたうえで、表現というアウトプットの行為に及んだ時、自分の中に他者が生まれるのです。そして、身体の中から出てきた演奏は、自分でもなく他者でもない、入り交じった第三者となって、聞き手の耳に届きます。『究極の鑑賞』というのは、音楽そのものを鑑賞することだけでなく、自分自身の鑑賞という意味にもなるかもしれません。聞き手のみなさんの中に何かを残せる演奏ができるよう、真心を込めて演奏したいと思います。
 
次回のよびごえ日誌は、小金井祭でよびごえとしての初舞台を迎える、一年生の1人、神谷咲妃さんにお願いします!
 
それでは、4日16時音楽ホールにて、お会いしましょう! 名嘉眞…
21
October
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.022

こんにちは、中島菜々子です。
小金井祭を2週間後に控え、今回は途中でリハーサルを含めた練習となりました。
 
最初の20分間は、いつものように発声をしました。今日は、いつもより少し広い場所をいっぱいに使い、散らばって皆で歌いました。自分の周りの狭い範囲だけにとどまらず、広げることで、隣の人と離れていても一体感を持って歌うことができました。
 
リハーサル前の練習では、「お母さん」の細かい部分の修正を行いました。上手くいかない部分がでてきたときに、すぐに他のメンバーから、「ここはどういうことを表現したいのか」という問いがあげられました。常に表現したいことを持って、そのためにはどういった技術が必要なのか、というプロセスを考えられることができるのは、本当に大切なことだと思いました。
 
リハーサルを終えた後の練習では、会場での響き方に合わせて調節を行いました。私がこのとき言われて印象に残ったのは、「相手に伝えられなかったら圧倒的な失敗である」ということです。普段個人で演奏するときも忘れがちなことで、どうしても目先の技術的な失敗を恐れて、相手に伝えようとする意識が薄れてしまうのです。もちろん技術を高めることは必要です。しかし、その大元の目的が「伝える」ことであることを常に念頭に置いておかなければならないと改めて感じました。
 

 
本番まであと少しです。雨ばかりで鬱になりそうですが頑張ります!!
次回のよびごえ日誌は、私たちの先輩、國元先輩にお願いしたいと思います!
  中島…
15
October
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.021

こんにちは。3年作曲専攻の森本侑花です。
今日は、台風の影響でいつもと違う場所で行いました。しかし稽古のあと新歓行事があるのもあってか参加人数が多く、パート練習や「知るや君」の合唱をより充実した形で行えました。
 
私事ですが自分は9月の終わりによびごえに入ってからまだ間も無く、勿論はじめての日誌で、きっと拙い文章になると思いますがよろしくお願いします。
 
パート練習は、「知るや君」をパートに分かれて①自分たちだけで練習②小田さんとの練習 をローテーションする形で行いました。
実は前回の稽古のミーティングで、「パート練習が楽しく意味のあるものにするにはどうすればよいか」という話題がでましたが、今回のパート練習では、その解決案のひとつとして「目的・目標を持ちながら行う」ということができました。
私のパートであるアルトⅡは、「何回も出てくる「知るや君」という歌詞の”や”の発音のニュアンス(i-aの鋭さや柔らかさ)を各箇所どうするかパートの考えをまとめる」ということを行いました。パート練習が少人数なのもあり全員でよく意見を交わすことができました。音取りのパート練習とはまた違う、その次の段階のパート練習を行うことができ、とても楽しく意味のあるものになったのではないかと思います。
 
合唱練習は、「知るや君」を行い、今日から楽譜に書いてあることよりも1歩先のことについて取り組み始めました。「知るや君」は、楽譜に強弱や速さ、発想などの指示や、曲の性質上(フーガ形式であること、カデンツが多いこと、後半曲調がかわること、など)気をつけるべきポイントが多く設けられており、今まではその点について詳しく取り組んでいました。しかし今日から、それをふまえて「自分たちはどう歌いたいか」について考え始めました。
今日は主に前半のヴォカリーゼの部分について考えました。しかし小田さんから「どう歌いたいか」を問われた時、私たちは、殆ど意見を発することが出来ませんでした。そこで、小田さんがご自身の言葉で2択に絞るなとして誘導してくださいました。何回かそれを繰り返した結果、イメージが大体まとまりました(明るめ、静かめ、内なるエネルギーがある、など)。そのあと歌うと、まだ不完全なものの、以前より歌に命が吹き込まれたような印象になりました。
 

 
合唱をする際には、全員が全く同じ情景を思うとまではいかなくとも、全員が「同じベクトル」で歌うとよりまとまりが生まれるはずだ、という考え方のもと取り組みましたが、やはり「イメージを言葉にすること」の難しさに直面した取り組みでもありました。今日のミーティングでは、そのことについて多く触れられました。
私たちは教育学部の学生であり、今後もし先生になった際はそのように言葉を使って音楽のイメージをまとめるという場面が何回もあるはずです。不安になった反面、このよびごえの活動はこのことについて研鑽する良い機会だと思いました。
 
今日のミーティングで私は、今日新歓があるのもあり、よびごえに入った理由や音楽への思いを話しました。そのせいで新歓の時間が遅れたほど長めに熱く語ってしまったのですが、言葉をまとめるのが苦手な私が日誌で取り上げるとそれこそ大大大長文になってしまうので、今後よびごえ日誌を担当できた時に小出しにできたらなあと思います。(笑)
 
次は2年生の中島菜々子さんにお願いしようかなと思います! 森本…
10
October
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.020

こんにちは。佐藤花音です。
ちょうど20回目のよびごえ日誌です。それぞれの様々な思いがつまった20回ですね。振り返って読んでいて楽しいです
 

 
今日は最初の15分発声をして、パート練習を40分ぐらい、残りの時間で全体の練習をしました。
今日の発声は、諸事情により、いつもと違う部屋で行いました。いつもより狭い部屋だったため、音が自然と空間に満ちており、聞こえ方が全く違いました。場所が違うだけで、こうも聞こえ方が違うのか、と思いました。練習している部屋の響きと本番歌う場所の響きはほとんどの場合異なるということですよね。念頭においておきたいと改めて思いました。
最初の発声の時間、2回に1回ぐらい前で進めさせていただいていますが、本当に学びがたくさんあります。考えて、試して、再考して、うまくいかなくて困っていることは相談にのっていただいてという場が本当にありがたいと感じます。自分自身の思考量と思考スピードの足りなさを切実になんとかしたいです…
 
続いてのパート練習は、『お母さん』のソプラノ・メゾとアルトに分かれて行いました。ソプラノ・メゾは、最初に音程等の確認をして、次に1人が詩を音読して、その音読したとおりにみんなで歌にしてみる、というのをしました。3人音読して、3パターン歌いました。結果的に3パターンそれぞれ全く違ったものになりました。同じ曲を歌っていてもこんなに違うものになるというのは不思議です。歌ったあとに、何をどう変えたのか、を発表しました。最後に「詩」だけをみるとそれぞれ全く違ったものになるけれど、曲を歌うときには、音楽からの側面にも注目したいということを確認しました。
 
全体での練習では、まず『知るや君』をしました。最初に通したのですが、あちらこちらがあぁぁあという感じで、うまくいってないように感じました。その後、音程が決まったことを体で感じること、強弱と音程の関係、音ひとつひとつではなく流れの中でとらえること、pで歌ってみる等のアドバイスをいただいて最初の3小節のみ練習しました。
次に『お母さん』です。ピアノと合わせるのは本日が2回目でした。音程の確認と、時間はずらさず書いてあることに忠実に演奏するなど、中田喜直が書いた作品であるという視点からの確認をしました。ピアノが入るとガラッと情報が増える感じがします。去年1年間が無伴奏の曲だけだったので、すごく新鮮です。
小金井祭までの練習回数も意外と少なくなってきたので、自分でできることは進めていけたらいいなと思います。暗譜頑張ります。
 
最後のミーティングは今日練習した2曲について、春こんについて、パート練習について、音楽の捉え方、などいろいろ挙がっていました。
パート練習については、中学の合唱コンクールのパート練習がパターン化していて楽しくなかった、中身があって演奏の上達につながるパート練習がしたい、楽しくパート練習がしたいけれどどうしたらいいか、など様々ありました。(そういえば、今年になってからよびごえでパート練習をしたのはおそらくこの日が初めてでした。変化があるとそこに意識が向くものなんだなぁ、と思いました。)少人数であることをいかしてパート練習ができたらいいなぁと思いつつ、でもそれってどうしたらいいのですかね。人数が減ると不安や緊張も生じますし。人数が少ないという普段とは違う関係性の中でバランスよく進めるにはどうしたらよいのだろう、と思います。
今校内の合唱コンクールの練習期間中の妹に「パート練習って難しくない?」と聞いたら、「基本的なことができているから、難しいと感じるんだよ。○○ちゃんたち(妹の名)は、基本的なことをやるから、難しいとは思わないよ。」と。「でも、同じこと繰り返していると、楽しくなくなってこない?」と聞くと、「繰り返してだんだん出来るようになっていくから楽しいんだよ」と。純粋。なんだかとても大切なことを妹に教えてもらった気がします。
 
次回、夏休み最後のよびごえ日誌は、森本侑花さんにお願いしようと思います! 佐藤…
07
October
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.019

こんにちは!初めまして、A類音楽科2年の伊藤真緒です。
最近だんだんと涼しくなってきて、秋を感じる頃となりました。私は秋風を肌に感じると、なぜだか寂しい気持ちになるのですが、秋といったら芸術の秋、スポーツの秋、食欲の秋・・・楽しみなことも沢山ありますね(^^)学芸大生の皆さんは、残りわずかの夏休み(もはや秋休み)を楽しみましょう!!!
 
さて、今日の練習についてお話していきたいと思います。
 
この日は、いつも興味深いアイデアで発声練習を担当してくれる花音さんの発声から始まりました。今日は「ハミングからア母音につなげよう」という内容で、mのハミング→nのハミング→アー といった順番で発声を行いました。ハミングをした時の響きの感覚と、息の使い方をかなり意識しながら母音につなげていきました。花音さんの意図した結果かはわかりませんが、いつもよりも結果的に声がまとまった!という意見がありました。確か前々回に、「肉声を揃える」「響きを揃える」という話が出たと思うのですが、「響きを揃える」という点でハミングは使える手の一つかもしれませんね。
 
次に、井出さんを中心として「知るや君」を練習しました。
そういえば!今日はなんとソプラノが一人もいないという珍しいパート構成だったのです!!いつもと違う和声感や響きを聴きながらも、ソプラノのメロディを自分なりに思い浮かべながら歌い深めていきました。
まず、井出さんがこの曲と同じ歌詞で映像(絵)がついている「知るや君」の動画を引っ張り出してきたので、それを全員で見ました。NHK番組「シャキーン」で流れていたものです。
 

 
映像を見て、「私の歌詞解釈と、映像の絵がほとんど合っていた」「相澤さんの曲は『知るや君』と次の歌詞が重なりながらメロディが進むけど、この曲は一連ごとに『知るや君』で完結しているね」等の意見が挙がりました。私は小学生の時、この曲を学校に行く前に聴いていたのですごく懐かしい気持ちになりました(笑) 
 
そして、前回の歌詞解釈、また先ほど見た映像や自分のイメージをどうやって曲に反映するのかをパートごとに考えていきました。人の考えを聴くことができる充実した時間で、私はいつもわくわくしながら意見を共有し合うのですが、パート内で話し合うだけでもかなりの時間がかかります。私が所属するAltoⅠでは、詩の連ごとに単調に歌うのかドラマチックに歌うのかを分けてみた、歌詞ごとに声の質を変えてみた(上澄みっぽい声なのか深めなのか)、後半に向かって音量を盛り上げた、言葉の入りだけでなく処理はどうしたらよいかな?という意見が出ました。
その後、パートで話し合ったことを全員で共有せずにそのまま曲を歌ったことで、伝えたいことが表現できている部分と、何がやりたいか分からない部分というのが浮き彫りになりました。このような話し合いの後はパートごとに発表する、というのが一般的なプロセスだと思っていたのですが、あえて発表しないことで他パートがどう表現しているか・何を変えたのかを歌いながら意識して耳で感じることができました。新しい発見!
 
続いて「お母さん」の初伴奏合わせをしました。指揮がないこともあり、合わない部分はありましたが、今までよりも曲の全体像が見えましたし、特に痛みや苦しみがよりリアルに感じられました。しかし、逆に伴奏がない前半の部分が最大の課題だと思います。
小金井祭まであと一か月もないという事実に焦りを感じているのですが、本番までにどれだけこの曲を深められ、本番でどう観客に伝わるのかという点では楽しみでもあります。今日の練習で歌いながら違和感を持ったところや、上手く発音できなかったところがあったので(「ほ」「ふ」の発音って難しくないですか?)、団での練習以外でも自分にできることを見つけて詰めていきたいです。
 
こうやって日誌を書くと、よびごえでの2時間は密度が高いものだなぁと実感します。私は小学生の時から日常生活で日記をつける習慣があるのですが、人に見られるものだと思って書くと、日誌って難しいですね…。
 

 
今日の集合写真は、セルフタイマーで撮ってみました。特に意味はありません。次回のよびごえ日誌は、二回目の登場である佐藤かのんさんにお願いしたいと思います!次回もお楽しみに~☆ 伊藤…
04
October
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.018

学芸の木々は少しずつ黄金色になり、秋もすぐそこへと近づいてきました。なんと、学芸大学は未だ絶賛夏休み中でございます!私も教育実習に行ってまいりしたので、前回の稽古では約二か月ぶりにみんなと会うことができました。久しぶりに会うと、なんだか、みんなの顔つきが大人になっていました!大学院オペラに参加したり、帰郷して友達に会ったり、一人一人充実したいい刺激のある夏休みになったのかな。
 

 
さて、本日のよびごえでは、島崎藤村作詞、相澤直人作曲の『知るや君』を中心に稽古を進めました。
 
前半は、國元さんによる音楽稽古です。曲自体は2分弱ですが、スケールが大きく、オーケストラ的な響きを連想させます。この曲を16人で奏でるのには、豊かな響きと繊細な表現力が必要です。パートが重なる箇所の、語頭の発音をそろえたり、フレージングを試行錯誤したり。かと思えば、表現に熱中するがあまり、発声が崩れると、あれここの音程が違う…と一進一退です。おそらく、この試練の時間は、長く私たちについてくるのですが、この時間を無くして納得のいく演奏ができたことは、経験上一度もありません。急がば回れで、丁寧に進めることが、後々活きてくるのかもしれません。
 
 後半は、歌詞の解釈へと広がりました。佐藤さんの案で、パートごとに分かれて、歌詞について話し合いました。古文で書かれた歌詞を解釈するのには、時間がかかります。「一連からはじまり、最後に向けてだんだんと恋心が分かりやすく表れてくる。」「隠れてひそかに存在するものと、自身の隠れた恋心をかけている。」「もしかして告白がなかなかできないような人なのかな。」「『あやめ』は植物でもあるけど、『あやめもしらぬ』で『見分けもつかない』という意味になるので、ここは見分けもつかないくらい暗い夜となって、恋心の筋道が分からない様子を表しているのでは。」等、インテリな時間になりました。これらを踏まえ、一度曲に返ると、少し見えてくる景色が変わりました。冒頭のヴォカリーゼにかかる強弱記号の幅はどの程度なのか、全ての連に共通する『知るや君』はひとつずつどのように演奏されるべきか、どうして最後の連に当たる箇所は転調しtuttiになるのか、曲の骨格が以前よりはっきり見えてきました。
 
 音形やハーモニーだけにとらわれすぎると、歌詞を越えたオーバーな解釈をしてしまう時もあります。また、歌詞だけにのめり込むと、聞き手に伝わらない自己満足な音楽になってしまうこともあります。演奏時に一番バランスの取れる立ち位置を探すのに、私も毎回苦戦します。より多角的に曲を捉えることによって、自分自身と曲のバランスも自ずと取れていくのかもしれません。私たちはよく、歌詞と音楽の大きな二面だけで曲を分析していますが、もしかしたらもっと細かく分解することができるかもしれませんね。どこから曲を見るか、視点絶賛募集中です。
 
 ミーティングでは、「『情景を思い浮かべながら歌ってみよう』って音楽の授業でよくあるけど、はたして情景を思い浮かべることって曲に直接的な影響を与えるのかな。それを演奏に還元してこそ意味を成すのでは。」という、なんとも教育学部にぴったりな意見が出ました。まず、情景とは何ぞや。三省堂国語辞典第七班によれば、「事件やその場所などの、ありさま。」とのことです。面倒くさい性格でして、「ありさま」も調べました。「ものごとがどのようなものであるか、というようす。」だそうです。現在よびごえで取り組んでいる『知るや君』と『お母さん』の情景は、明らかに違う世界観を持っています。個人的な直感ですが、『知るや君』は青々しいにおいがするのに比べ、『お母さん』では線香のような何かが焼けるにおいがします。前回の『お母さん』の稽古で、「原爆を思い出す」との意見が出ましたが、これは私が感じる何かが焼けるにおいと共通する部分がありますね。歌詞と音楽が相互に影響しあって、私たちになにかしらの情景を連想させることは間違いありません。さて、どの部分がどんな情景をなぜ感じさせるのか、それと向き合うことができれば、私たちはどう演奏したいのか、自然と見つけ出すことができると思います。濃い芸術の秋になりそうですね。みなさんは、『知るや君』どんな情景を思い浮かべるでしょうか。最後に歌詞を残しておきたいと思います。
 
 次回のよびごえ日誌は、歌もピアノもホルンもできる!マルチな伊藤さんに頼みたいと思います!実は彼女とは、なが~い付き合いで、中学生の時には隣でホルンを吹いていました。来週のよびごえ日誌もお楽しみに! 名嘉眞 「知るや君」(『若菜集』より)
        島崎藤村
 
こゝろもあらぬ秋鳥の
聲にもれくる一ふしを
        知るや君
 
深くも澄める朝潮の
底にかくるゝ眞珠を
        知るや君
 
あやめもしらぬやみの夜に
靜にうごく星くづを
        知るや君
 
まだ弾きも見ぬをとめごの
胸にひそめる琴の音を
        知るや君…
01
October
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.017

はじめまして!1B声楽専攻の松本夏実です。
こういった長い文章を書くのは得意ではなく、ずっと「日誌回ってきてほしくないな~」と思っていたのですが、いざ回ってくると書きたいことがたくさん出てきました。なるべく簡潔に書くよう努めます。
 
花音さんの発声練習からスタートしました。まずは肩甲骨をほぐすストレッチ。(私の肩は毎回ゴリゴリと良い音を立てるのですが、これって大丈夫なのでしょうか)
そして、a母音を使って今日の自分の声の確認。私は、自分の身体から声がうまく出て行っていないような気持ち悪さを感じながら歌っていました。
「考えすぎて、みんなから自由が奪われているような気がする」という花音さんの感想から、次は部屋を歩き回り、すれ違った人に会釈するという条件をつけて、同じ音形で歌ってみました。このときの皆さんの笑顔がすごく素敵だったのが印象に残っています。それに伴って良い声が出ていたのではないでしょうか?
 

 
最後は数人が発声練習を聴いて感想を述べる、という活動をしました。その中で最も多く出た意見が「歌っているときはわからないけれど、外に出てみるとみんなの声にばらつきがある」というものでした。それぞれの持つ声の質が違うのは当たり前のことですが、合唱ではそれをタブーとする場合が多いと感じます。少なくとも、私が今まで経験した合唱のほとんどがそのような方針をとっていました。
「肉声ではなく響きの統一を目指すべきではないか」という意見もありました。声が揃えられないのなら…ほかに揃えられるものがあるとしたら、やはり口の開け方や鳴らす位置なのだと思います。体のかたちにも個人差があるので、それもまた限界がありますが。
小田さんからもお話がありましたが、発声練習の20分間というのは、曲からは切り離された一人一人の本来の声を聴く貴重な時間です。『よびごえらしい声』とはどんな声なのか、これからのよびごえがどんな合唱団になっていくのか、私にはまだ見当がつきませんが、稽古を重ねる中でヒントを探っていきたいです。よびごえの未来がとても楽しみです。
 
今日のメインは「お母さん」の解釈を詰めることでした。言葉の意味はだいたい分かるけれど、どのような物語が展開されているかが掴みにくいこの曲。この歌詞に登場する『わたし』『お母さん』は何歳くらいなのか、なぜ母の名前を呼ぶのが「恥ずかしい」のか、等々、多くの疑問が生まれます。疑問点は楽譜の上にもあります。例えば、19ページ2段目はなぜmpで歌わなければならないのか。これには「お母さんが去っていくことにうろたえている」など興味深い意見が出てきましたが、私の中ではまだしっくり来ておりません。次回以降で何か見つかればいいのですが。
 
長くなりそうなのですが、備忘録としてここに私なりの詩の解釈を載せておきます。次に日誌を書くのは、きっと次の目標に向かって練習をしている頃だと思いますので…
 
ミーティングでも少しお話しましたが詩の中の『わたし』(以下『』省略)は母の着物の匂いを嗅いだあと眠りに落ちてしまったのだと想像します。熟睡ではなく、うたた寝くらいの浅さです。浅い眠りのときにはよく夢を見ると言われていますよね。「何十年もむかし こんな風に臥ていた日」からは、わたしはまさに母の夢を見ていると思うのです。夢の中で生前の母と再会し、安心したのもつかの間、実際に起きたのと同じように母は何らかの理由でわたしの元から去ってしまう。その次は「痛い」「苦しい」とあるから、戦火の中での別れだったのでしょうか?それとも、ここからは現実のわたしと夢の中の幼いわたしが混ざって、現実の苦しみが夢にまで出てきているのでしょうか。「冷たいお茶がほしい」「夜はいや 朝にして」という口調から、わたしは完全に幼い頃に戻って母に甘えています。「どこへも行っちゃいや」でわたしの悲痛な願いは最も強くなりますが、ここで夢は醒めてしまいます。そのあとのピアノが、母がもういないことの絶望を表している…ここまでが、解釈と呼べるかわからないほどの解釈(仮)です。まだ分からないこと、腑に落ちないことはたくさんあります。
 
今回、詩から何かを感じ取ることはできたわけですが、それを自分でどう歌唱に反映させるかが難しいところです。演奏者が曲から何か感じていても、それが演奏に変化をもたらさなければ、意味がない…この日一番、心に刺さったひとことでした。
 
目には見えないが、確かにそこに存在するもの(≒詩の世界)を想像するという活動は、とても楽しい時間でした。こうした歌詞読みの活動は今まで何度も行ってきましたが、そのたびに、人は見えているものよりも見えないものに心惹かれる傾向にあるのかなと思います。
サン=テグジュペリの代表作『星の王子様』にも「本当に大切なものは、目には見えないんだよ」という台詞があります。私はこの台詞が好きで、初めて読んだときは軽い衝撃を受けたものです。しかし、人はいつから見えないものの重要性に気づき、光を当てようとしてきたのでしょう。私がこの台詞にハッとさせられるのは、目に見えているものがすべてではない、目に見えないものこそが大事だという教訓が浸透した現代に生きているからなのかもしれません。
 
…話がかなり逸れてしまいましたね。
 
小金井祭で演奏予定のもうひとつの曲「知るや君」も、目に見えない大切なものを描いています。「恋」を「琴の音」と言い換えるなんて、なんて素敵なのでしょう。島崎藤村の情感溢れる詩にときめきながら、転調後の盛り上がりを楽しんでいます。私はアルトのセカンドを歌っているのですが、このパートは全体を通してカデンツの役割を持っています。曲のカギになる音がたくさん散りばめられており、アルトであることの喜びを歌うたびにかみしめています。相澤直人先生の作品って、アルトが美味しいものが多い気がしませんか?私は低いEsがあまり鳴らず苦戦していますが、もっと全体を意識しながらより良い演奏ができるよう努力します!次回の稽古はこちらの解釈の詰めです。頑張ります。
 

 
この日の集合写真は、なんといっても人が多い!密度が高い!夏休み中はたった6人での稽古もあったので、これだけの人数で歌えて嬉しかったです。最近のよびごえは写真に面白さを求めています。今回はあえて真顔で撮ってみました(何人か堪えきれずに笑ってしまっていますが)。よびごえには真面目な人が多いので、ゆっくり少しずつ弾けていきましょう。
 
次の日誌は、しーずーさんにお願いします!(^O^) 松本…
27
September
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.016

B類音楽専攻3年の井出です。
数日前に3週間の教育実習が終わり、よびごえの活動に戻ってきました。
 
今日は私が発声を担当しました。数日前まで元気な中学生の歌声を聞いていたせいか、今日参加していたメンバーの声は深くて、個性が出ていて、でも揃っている、そんなオトナな声を久しぶりに聞き、その違いに衝撃を受けました(無論、どちらが良い、悪いといった次元の話ではありません)。あ、戻ってきたな、と感じましたし、今ここに存在する学習の場に感謝しなくては、と思いました。
 
今日の稽古では、前半に「知るや君」、後半に「お母さん」を行いました。
実習や長期休みでブランクのあるメンバーもいましたので、音の確認をしつつ何度か歌いました。特に「知るや君」に関しては私自身、初合わせでした。恥ずかしながら前日に音取りをしたもので、小田さんのピアノに導かれ、「こんな音が鳴るのか」と密かに感動しておりました。同じ学科に所属しているコントラバスを弾く彼から、オーケストラの初回合わせはほぼ初見で、更には参考音源をも聴かずに挑む、と聞いたことがあります。他パートのいわゆる「オイシイ」フレーズなどをその場で見聞きして、曲の理解を深めていくのが好き、だとか。今日の「知るや君」の練習は、私にとってはそれと似たような機会であったと思います。また、聞くポイント、歌うときに意識するポイントは提示がありましたが、いかに他パートの音に耳を向けるか、またその各パートの主張を聞いた結果、自分がどのように歌うべきかを瞬時に判断し演奏に活かす訓練だったと思っています。
 
「知るや君」の中で用いられているフーガの技法、主題の変奏の数について議論もしましたね。主題の変奏を楽譜から探す作業は個人的に楽しい時間でした。この時は楽譜を一つの絵画的な作品として見ていたわけです。所詮楽譜も記号の集まり、と言われれば確かにその通りですが、それを演奏すると音楽に変わります。演奏者が楽譜に真摯に向き合うことは、その楽譜を聴く側に伝えるという点で大切なことです。ここ、よびごえで学んでいるのは、「楽譜から作曲者の意図を読み取る術、その意図を明確に表現する術」だと思っています。これは一つとは限りません。和声的視点なのか、発声の問題なのか、音響学的?、はたまた美学的?なのかはその曲、その場合によりけりですが、今後私たちが一人で楽譜と向き合ったときに、ここで学んだ何かが役に立つのではないかと考えながら学習しています(この気持ちが大学1年のときからあれば、と後悔しています。今思えば、様々な意見が出ていたのにも関わらず、それらを受容できずにいました)。
 


 
「お母さん」の稽古では、中間部の雰囲気の変化をいかに表現するかという内容が主でした。日誌を見返してみると、7月の末に「恐怖にを表すためにどのような要素が必要だろうか」とパートごとに検討をしていました。それら要素が楽譜の中にたくさん隠れていることは分かりました。私たちは「音」という表現技法をもっています。徐々に恐怖を喚起させるために、どのように音を変化させれば伝わるのかを考え、練習を重ねました。用いる技術を整理したことで、明らかに変化したと思う瞬間もありましたし、また何か変化させようと努力している姿が印象的でした。変化させるには頭とエネルギーを使いますね。
 
さて、そろそろ稽古冒頭の発声練習を1年生にもお願いしたいなと思っています。あの時間は、自分が思うなぜ?どうして?を皆で試せる時間だと思っています。少なからず緊張します。ですが自分が何を大切にして発声練習を行っているか、この合唱団にとって必要なことは何かを考えるきっかけになると思いますのでぜひ。
 
実習についてはまたどこかでお話させてください。
次回の日誌は松本夏美さんにお願いしようと思います。 井出…
23
September
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.015

初めまして。A類音楽選修2年の小金澤萌花です。
何を書いたらいいんだろう、と過去のよびごえ日誌をさかのぼりましたが、皆さん内容を詳しく真面目に書いていらして、少々困惑しております。
 
この日も花音さん担当の発声からスタートしました。
初めに好きなように歩き回ってみて、好きなところで立ち止まり、そこで声を出していくものでしたが、皆だいたい自分の席に近いところに立っていて、日本人だな、と思いました(笑)。pで発声することから始め、コントロールを身につけるというもので、実は管楽器でもそのような基礎練習は存在するので、声と管楽器の共通点のようなものを感じ、面白いと思いました。ただ個人的には、朝イチだったので、その発声練習のみですとあまり声が出ないまま曲の稽古に突入してしまいました。私は朝に弱いです。次は発声してから発声に臨みたいと思います。
 
今回も稽古した曲は、「お母さん」と「知るや君」の2曲でした。小金井祭で演奏する予定の曲ですね。
各パートの個人的な音取りはだいたい済んだので、他パートとの音程のかかわりや場面にあった歌い方などの、少し進んだ内容に取り組むことができました。
今回考えてみたのは、「お母さん」の冒頭に書かれている、『語るように』という指示についてです。『語るように』とは具体的に何をしているのか、『語るように』を達成するために何を意識するのかを考えました。
(下ブ画像をご参照ください。)
自分がやったことのなかった、頭の中で漢字に変換する(楽譜はすべてひらがななので)という方法も出て、驚きました。
『語るように』というのは抽象的な指示ですね。また、この指示を達成するために、音ではなく歌詞の作用について考えてみたいと感じました。
よびごえに1年生が入団してくれたことで、夏の東京都合唱祭から女声合唱という新体制になりました。私のパートはアルトなので一番下です。
普段はフルートで高音のメロディを演奏することが多いので、経験のない低音パートの動きにワクワクしています。しかも今回小金井祭で演奏する「知るや君」の最低音はE♭3という女声の範疇を超える超低音です。地声がとても低いことに定評がある私の出番が来た!と勝手に思っております(笑)。
 

 
最後のミーティングの内容、自分が何を話したのかあまり覚えていませんが、ある団員の方が、「自分が所属しているほかの団体で、音楽を専攻していないにもかかわらず、自分より知識が豊富な方がいる」というような話をされていたのが印象に残りました。それに対し小田さんは、ご自身の経験から、「その人たちは、知識は持っていても人を感動させるような技術がない。プロとしてやっていく我々とは評価軸がちがう」と答えられていました(解釈違いでしたらすみません)。この方の場合、評価軸が違う、というところには納得できました。
私の知り合いにも、音楽専攻でないにも関わらず、知識が豊富で、技術もある(実は私より長くフルートを吹かれている)方がいらっしゃいます。その方と出会った頃は、劣等感のようなものを感じていましたが、いつのまにかあまり気にしなくなっていました。おそらく、彼と私では得意なことが違い、彼の方が得意な分野は力を借りつつ自分の蓄えにしていこう、と思えるようになったことが作用したのだと思います。評価軸が違う、で論理的には納得できますが、この経験をきっかけに変わろうと思えたなら、それはそれで出会えてラッキー!くらいで構えても良いのではないでしょうか。
 
実は私、よびごえのTwitterの中の人なのですが、いつも同じような集合写真になってしまうことが悩みでした。ですので今回は、あえてブレ写真を撮るという手法に出てみました!いかがでしょうか?
何事も変化がないとだれてしまうので、稽古のあった日の集合写真も変化に富んだものにしていきたいですね。
何か良いネタがありましたらよびごえのTwitterアカウントまでご一報ください。
 

 
もともと話を短くまとめるのが苦手です。ダラダラとしゃべっているのが好きなんでしょうね。校長先生になったら生徒から嫌われてしまうタイプの人間です。長々とお付き合いいただきありがとうございました!
次のよびごえ日誌は実習終わりたての井出さんにお願いしようと思います!3年生の皆さん実習お疲れ様です! 小金澤…
16
September
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.014

こんにちは!初めまして、1年B類フルート専攻のソプラノパート神谷咲妃です。
 

 
今回の練習は夏休みに入って初めての練習だったので、それぞれまず発声を思い出すことから始めました。発声練習では、みんなで円になって内側を向いて歌うのと外側を向いて歌うのでは聞こえ方や自分の歌い心地はどう変わるのか、実験を行いました。結果は内側を向いて歌うと周りの人の顔が見られる安心感があることで、リラックスできたり自分の声が全員の声に調和して聞こえて歌い心地は良かったという意見がほとんどでした。対して外側を向いて歌うと周りの声と自分の声が分離して聞こえるので、不安になるという人やそれによって自分の声をよく聞けて向き合えるといった意見が出ました。わたしは外側を向いて歌う方がみんなの声と自分の声を比較しながら歌えるので、馴染むようにどうすればいいかな、などと自身の声と向き合えて外側を向いて歌う感覚は好きでした。また前回に続いて指導言についても考えました。母音を深く歌うとは具体的にどういうことなのか、図を用いながら小田さんが説明してくださいました。音楽指導では吹奏楽や管弦楽でもよく柔らかく吹いて!だったり、力強く!などと抽象的で曖昧な指示が多いですが、それを柔らかく演奏するために、音量を自在に操れるように、こういった体の使い方をするんだよ、と正しく教えることは難しいけれど、体を壊さずに上達していくためには絶対に必要なことではないかと思いました。これから多くの人が教員を目指していくこの環境だからこそ学べることがとても多く、人への指導へはもちろん、自分の練習のヒントにもなることばかりでとても勉強になります。
 

 
さて今回練習した曲は、夏休み前に引き続き「お母さん」と今回初めて取り掛かった「知るや君」でした。
どちらも音取りの確認を主に練習を進め、7度や半音などといった一見ぶつかって和声から排除して考えてしまいそうな部分をきっちりはめて枠組みをつくりながら各パート組み合わせながら歌うという練習をしました。
「知るや君」の練習では、今後表現を加えるのにあたってどのような表現が適切なのか、注意するべきポイントを挙げました。
まず1つ目はこの曲は最初フーガ形式で始まり、転調の前になくなるのですが、どのようにして聴衆にフーガと伝える歌い方をするのかということでした。2つ目はフーガの主題が繰り返されるときに伴う部分転調の歌い方です。それとなく転調していくのが良いのか、それともしっかり転調を感じられるように間を利用しながら歌うのが良いのか。そして3つ目は詩が文語体で書かれている意味を考えるということです。この曲の詩の作者は島崎藤村(1872~1943)という方で、彼の生きた時代から考えると文語体で書かれたということに意味があるはずだと考えました。また英訳された歌詞も書かれてるので、そこからも歌詞の世界観を感じ取ることが出来るのではないかという意見も出ました。わたしも英訳された歌詞を読んだのですが、もとが七五調なので「知るや君」が「Do you know this, my dear?」と訳されていて、そんな表現になるのかと興味深いのと同時に少し疑問に感じる点もありました。
以上の点を踏まえてそれぞれ表現方法を考え、これからの練習で曲の世界観を創っていこうということで練習を終えました。どちらの曲も重みを感じるような独特な世界観の曲なので、それをどのようにしたら音に歌詞をのせながらでも聴衆に伝わるのか、重いからこそダイレクトに自分たちの感じた重さを伝えられる演奏を出来るように悩みながら練習をしていきたいと思います。
 

 
次のよびごえ日誌はフルートの先輩でもあるこがもえさんにお願いしたいと思います!(よびごえにフルート専攻3人もいると昨日改めて知ってびっくり。!!) 神谷…
29
July
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.013

こんにちは、滝澤奏有美です。
今回の練習では、まずストレッチをして、アキレス腱を伸ばすことから始めました。次に発声練習で、声のポジションについて考えました。2人組になって、そのうちの1人の手の上下運動に合わせてもう1人が声のポジションを前後させて歌うという練習でした。ポジションの前後と口の開け方の連動性についても気づくきっかけになりました。同じポジションを求めたくても、人によって口の形の変化が違うという発見や、深い→浅いは簡単だけど、浅い→深いは難しいという声もありました。
 
前回で「お母さん」の音取りが完了していたので、小田さんの進行のもとで、一度通して歌ってみました。時々和音を確認しながらの練習でした。
次に、「恐怖」というものは技術的にどうやって表せるのか、「恐怖」を表現するにはどのような要素が必要だと思うかについてパートごとに話し合い、全体で共有しました。
 

 

 

 
何が起こるのか分からない’急な変化’、不自然な子音、暗さ、調の不安定さ・無調、2度などのぶつかる音程、同音の連続、低音のアクセント、半音の動き、ずっと同じ幅での平行な音程、減七音程などが、「恐怖」を想起させる要素としてあがりました。怖さには色々あって、そしてそれは状況によって違うもので、常に普遍的な感情ではないということも学びました。「お母さん」には、技法的には、話し合いであがったような「恐怖」のピースは揃っています。楽譜からそのサインを見つけて、それを活かして「恐怖」を再現できるようになることが、この曲を練習するうえでの課題だと思いました。
 
この日が夏休み前最後の練習ということで、今後の方針を考える為にも、これからよびごえで何を学びたいかを1人ずつ出し合いました。あがったのは、指導言について、声を「合わせる」とは何か、複数の音の中で自分の音を正確に歌唱する方法、指導実践、歌う前の体ほぐしやストレッチは本当に有効なのか、解釈と実践の関連、音楽を通した先にある学び、一斉指導の限界、歌うための環境づくり ということです。多様な言語の発音、体と行動の関係、そもそも合唱の発声とは何か、楽譜を解釈する方法論、子どもの状態を見取って教育にフィードバックすること、合唱団内部の人間関係の構築について、ということも、勉強すべき事項だと話がありました。夏休みの、時間があるうちに、それぞれで研究を進めたいと思います。
 
次の日誌は、神谷咲妃ちゃんにお願いします! 滝澤…
25
July
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.012

はじめまして!今回の担当は、1年A類アルトの堀切彩愛です。
今回の練習では、まず小金井祭で歌うもう1つの曲を決めました。メンバーがそれぞれ候補として出した曲を3曲まで絞り、楽譜を見ながら再度曲を聴いて最終的に『知るや君』(島崎藤村作詞 相澤直人作曲)に決定しました。音源だけ聴くのと楽譜も一緒に見るのとでは気付くことが違い、ディビジョンや伸ばす音の高さなども確認したうえで自分たちに合った曲かどうか考えて選ぶことができました。これから小金井祭までどこまで曲について深められるかとても楽しみです。
 

 
その後はいつも通り発声練習を行いました。今回はOで歌いながら口を縦に大きく開ける練習をし、補助として手のひらで頬を押さえながら意識的に口を開けて歌いました。やってみると声がとても良く響くようになり、発声練習ではその日の声が出るポイントを見つけ、歌の中で必要以上に響きをセーブしてしまわないようにすることが大事だということを皆で確認しました。
 
発声練習の後は『お母さん』の音取りをしました。まず初めに、音取りでは合っていても間違っていても声をしっかり出すことが大事だということを確認しました。自信の無さから声をしっかり出さないと、自分でも音が取れているのか分からないためです。
音取りはパートごとに別の場所でやるのではなく、お互いの音取りを聴き合いながら行いました。合わせる練習を始めるとそれぞれのパートをじっくり聴くことが少なくなるので、自分以外のパートがどんなことをしているのか知っておく良い機会にもなりました。音取りの際には音楽的なことを排除しがちですが、今回は「ここのテンポ,休符,強弱はどのようにするのだろうか」と考えながら音取りをしました。歌詞の朗読も行い、その場面での感情も想像しました。疑問を見つけながら音取りをしておくことで、練習が進んだときに表現を深めやすくなると感じました。音価,音程,パート同士の音の関係についても丁寧に確認し、最後まで音取りを完了することができました。『お母さん』は音程が難しく苦戦した場所もいくつかあったので、今回の練習をもとに自分でしっかり復習しておきたいです。
 
この曲はこの間の音楽祭で歌った曲とは雰囲気がガラリと変わり、死や恐怖などが大事なキーワードになってくると感じました。曲の表す感情やストーリーを自分の中に落とし込み、裏付けのある音楽的表現ができるように、これから本番まで練習していきたいです。
 
次回のよびごえ日誌の担当は、滝澤奏有美ちゃんにお願いします! 堀切…
15
July
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.011

はじめまして。今回の担当は、1年アルトの谷夏七星です。
季節の変わり目になってきたからなのか、最近は学校中で体調不良者が続出しているようです。私も先日、風邪を引いてしまい声が出なくなりました。体調管理には気をつけたいですね!
 
今回の練習は、まずいつも通り発声練習を行い、その後、11月に開催される小金井祭のステージに向けて
『美しい訣れの朝』より「お母さん」(阪田寛夫作詩/中田喜直作曲)
の練習を開始しました。合唱祭で歌った2曲とは印象がかなり違う曲です。
 
音取りをするとともに、小田さんがこの組曲の詩を朗読してくださり、パートごとに次の2つのポイントについて話し合いました。
1.この組曲を、何か一言で表すとしたら何にするか。
2.この組曲の中で、3曲めの「お母さん」をどう歌われるべきか。
 
1点目については、どのパートも少し悩んでいるようでした。最終的に各パートで意見はまとめましたが、メゾとアルトは自分たちの出した答えに満足がいかず「何かもっと良い言葉があるはず!」と、なんとなくスッキリしませんでした。結局、他パートの意見を聞いても団員のほとんどが納得しきれずに終わってしまいましたが、今後の練習を通して何か一つでも、「こんな言葉が良いのではないか」と思えるような答えを見出すことができれば良いなと思います。また、初めは答えを出すことができなくても、「どんな言葉で表せるんだろう」と考えていることも曲の理解へ繋がると思うので、練習するときには常に意識して歌っていたいです。
 
2点目については、どのパートからも似たような意見が出されました。「お母さん」は、詩だけ見ても、他の4曲よりも激しく「苦しい」などの感情がダイレクトに言葉で表されているので、「最も感情的に歌う、死に対する本音を出している」といったような意見が多くありました。
 
初めて取り組む合唱曲がどんな曲なのかは、音源を聴いて知り、捉えることが多いと思います。ですが今回は音源を聴くのではなく、まず朗読を聴いて、その曲がつくられる元となった“詩”そのものから何を感じるのかということから始めました。音源から入ると、和声感やリズム・強弱などに注目してしまい、肝心な詩は後回しになりがちな気がします。もちろん、和声感などがあってこそ曲として完成されていますが、まずは詩本来の持つ言葉の意味や作詩者が伝えたかったことを汲み取ることで、本当の意味で、歌い始められるのではないかと思い、とても新鮮な練習内容でした!
 

 
また、音とりを進めるときに、「同じ四分休符でも、その後の歌詞によって休符の質感を変える」ということを全員が意識して歌いました。冒頭部分はソプラノとメゾが歌詞をうたっていてアルトはずっと休符かハミングで歌詞がありませんが、休符を意識しない時と意識した時では、ソプラノとメゾが歌っている歌詞から感じるものが全く違いました。「休符は単なる休みや準備ではなく、休符も音楽だ」とよく言われますが、これは正にこの言葉のことだなあ、と思いました。作曲者はなぜそこに休符を書いたのか、そこには必ず理由が存在します。「その休符を入れることで何を伝えられるんだろう?」と常に考えて歌うことで、音楽はより立体的に、メッセージ性を持つようになるのだと思います。
 
これから「お母さん」と向き合っていくことがとても楽しみになった練習でした。私(1年生)にとっては、初めての小金井祭!!団員全員で頑張っていきたいと思います!
 
次回のよびごえ日誌の担当は、いつもほんわか笑顔の堀切彩愛ちゃんです! 谷…
07
July
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.010

こんにちは!1年A類の伊野綾那です。今回は、今年度初のステージ!7月7日(日)の東京都合唱祭について書き留めたいと思います。
 
実は、私は高校の合唱部時代からこの合唱祭に毎年参加していました。そのため、会場の新宿文化センターはもはや思い出の場所です。しかし、どれだけ同じ舞台に立ったことがあったとしても、毎回見える景色は違いますし、この空間でどんな演奏ができるのかという緊張と興奮は、毎回湧き上がってくるものですね。
 
さて、早朝の最終練習を終えて、静かな雨の中会場に向かうと、続々と出演される合唱団の方々が集まってきました。合唱を愛し、仲間とともに楽しんでいる方々が、これだけいるのか!と驚かずにはいられませんでした。合唱祭が始まり、実際に演奏を聞いていくと、年齢、人数、ジャンル、演奏形態など、非常に様々でした。コンクールのように規則、審査、順位…などに縛られず、表現したいものを表現する。まさにお祭りという名にふさわしい、楽しい時間でした。
 
それでは逆に、私たちよびごえは何を伝えることができたでしょうか。目標であった「自分たちが感動し、感動させる音楽」、そして「爆発した本番でしか作れない音楽」を作れることはできたでしょうか。ここで、講評、他の団体からの感想文の一部を紹介します。
《良かった点》
・透明感のある歌声で12人とは思えない豊かな響きだった
・優しさ、温かさ、人間とは…などが伝わってくる英知ある演奏だった
《改善点》
・メゾ、アルトがソプラノに消されがちだった
・各パートが音楽の流れを作り出せるとさらに良い
・言葉一つ一つの表情を表現してほしい
など多くのご意見をいただき、嬉しさを噛みしめつつも、よびごえの次なる課題が見えてきました。もちろんそれは、「感動をはらんだ音楽を届ける」ための手段であることを忘れず、これからの音楽作りに活かしていきたいと思います。
 

 
最後に、私の個人的な感想になってしまいますが一つ。感想文を読んでいるとき、「今後も歌い続けてください。」という言葉が深く心に響き、感動が溢れてきたのです。よびごえの歌声をまた聴きたい、他の誰かにも聴いてほしい、と願いのこもった一言のように感じられ、こんな私も歌って良いんだ、と本当に心が救われました。音楽は、自分のためではなく、聴いてくださる誰かのためにあるのだ、ということを改めて確信した瞬間でした。感動を生んだ音楽が、演奏する者の喜びとなり、また別の場所で感動を生み出していく。音楽の力って本当にすごいですね!!!
 
約3か月間、向き合ってきた『恋』『雨のあと』の練習は一旦終了し、これからは、小金井祭に向けて再出発です。ひと夏をかけて、さらに進化したよびごえの姿をお見せできるよう頑張ります!
 
次回のよびごえ日誌は笑顔のかわいい谷夏七星さんです!お楽しみに! 伊野…
01
July
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.009

はじめまして!1年フルート専攻の今城琴美です。今回は合唱祭前の最後の練習でした。
 
各自発声をした後、まず通し練習を行いました。立ち位置の確認や歌い始めのタイミングの確認をし、本番をイメージした練習となりました。歌う前に、心を落ち着けてその曲の歌詞に思いを馳せ、気持ちを作って準備することが大切だと感じました。
 
まず『恋』の練習では、テンポの変わり目などのアインザッツの確認をしました。
曲の始めは特に私自身も不安に思っている部分だったので慣れるまで何度か練習することが出来て良かったと思います。
タイミングを揃えることを意識しすぎるとどうしてもためらいが生まれてしまい、余計にずれてしまったり、テンポも引きずりがちになってしまったりするので全員が自信を持って思い切って入ることが大切だと思いました。
 
『雨のあと』の練習では、アルトパートはメロディーの部分で明るい声で歌おうとするあまり、声が浅くなってしまっているという指摘を受けました。奥に響きのある声を出しつつ、歌詞の明るいニュアンスを出す歌い方を出来るよう工夫しようと思います。
また「かわく」という言葉が何度も繰り返されていることに着目し、それは何故なのか、どのように歌えばいいのか、ということを考えました。「涙のあとがもうかわく」という言葉から、かわいてほしいという思いを感じるという意見や明るくキラキラとしたイメージを持つという意見がありました。
 

 
また全体を通して、小田さんから「感動を届ける演奏をしよう」というお話がありました。
ただ上手な演奏をすることは求めていない、1人でもいいので誰かに感動を届けられる演奏をすることを今回の合唱祭の目標にしようということでした。
みんな一生懸命に和声分析や、楽譜の読み取りをしがちだけど、それはあくまでも心に響く演奏をするための手段であって本来の目的を忘れてはならないと気付かされました。
 
いよいよ7日の日曜日が本番です。4月に入団して3ヶ月余り向き合ってきた『恋』と『雨のあと』を皆さんに聴いていただけることがとても楽しみです。
聴きに来てくださる方々に曲に込めた私たちの思いを届け、心に響く音楽を作りあげたいと思います。
 
次のよびごえ日誌は、ソプラノの1年生の伊野綾那ちゃんにお願いします! 今城…
27
June
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.008

A類1年の滝澤奏有美です。1年生も、練習を重ねるうちに段々慣れてきました。東京都合唱祭まで残りわずか、暗譜練習も始まり曲を深めています。
 
この日は、発声を井出さん、『恋』と『雨のあと』を小田さんに指導していただきました。まず、2人でペアをつくって、お互いの声が聞きやすい位置をとります。その状態で、できるだけ強く、かつ良い声で、aのlegatoで発声をしました。パートが違う2人でペアになり3度音程でやった時は、普段遠くてよく聴けないメンバーの声も意識して聴くことが出来て、他の人の声を聴きながら歌うことの難しさ、大切さを再確認できた練習でした。
 

 
『恋』の練習では、まず発声が浅いという指摘を受けました。周りに声を合わせようとして、自分たちの本来の声楽での発声ができていませんでした。前回の練習で学んだポジションのことを思い出すために、母音で歌う練習を行いました。また、「息をはやく」という抽象的な現象を確認するために、鼻を指で軽く塞いで、摩擦音によって息の量を認識することもしました。感覚だけでなく、客観的に発声を理解することで、確信として歌うことができると感じました。
 
『雨のあと』では、なぜ作曲者がこのような音をつけたのか、このようなテンポに設定したのか、ということに引き続き留意して練習しました。最後のコーダ部分では、作曲者が、実際の詩にはないものをかなり付け加えて曲の盛り上がりを作っています。普通はこういうことはNGだけど、これは作曲者に「自分も作品の一部として入れて欲しい」という思いがあってのことで、つまり詩だけでなく作曲者の特徴も感じながら歌うべきである、という観点は、今までの自分にはないものでした。また、技術とイメージのバランスをよくとることで、表現を磨いていけるということを学習しました。
 
合唱祭まで残り一回の練習となりました。焦りもありますが、昼練も加えて、残りの時間で曲を磨いていきたいと思います。
次の日誌は今城琴美ちゃんにお願いします! 滝澤…
17
June
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.007

こんにちは。2年声楽専攻の佐藤花音です。雨が降ったりやんだりしてはっきりしない天気ですね。あまり好きな季節ではないですが、『雨のあと』について考えを深めるには最適なことに気づきました!雨が上がったときの雰囲気を味わっておこうと思います!
 
この日は、発声を井出さん、『恋』を草野君、『雨のあと』を小田さんが指導してくださいました。
まず、最初20分の発声の時間は、唇を閉じてのハミングからだんだんa母音に近づけていき、最後はkaで歌いました。kの子音の強さによって、聞いている人が受ける印象にどんな違いがあるか、どのような感情を呼び起こすか、というところまで踏み込みつつ行いました。合唱祭で歌う『恋』の冒頭のkに生かしていきたいです。
 
さてさて、その『恋』ですが、今日は後半部分を中心に取り組みました。「子音を使って、ニュアンスをだしてみよう。子音を発する前の時間をうまく使ってみよう。」ということが今日の1つの大きなテーマだったように思います。「ほのか」「ともしび」などの言葉の語頭に意識をむけて練習しました。この日私は調子が悪かったため、声は出さずに見学していたのですが、アドバイスを受けて歌が変化していく様子は聞いていて楽しかったですし、見ていて勉強になりました。子音の使い方を考えるためには、まず、どのような気持ちなのか、何を伝えたいのかということを、いかに具体的に考えそして自分自身の身近な感情と結び付けられるかが鍵な気がします。この日確認した、この曲の詩が書かれている視点についても踏まえつつ、考えを深めます。
 
もう1曲の『雨のあと』は、作曲者が意図したニュアンスに考慮しながら、テンポや予備拍など基本的なことについての認識を共有した後に、冒頭8小節とその後でのテンポの違いはどうしてなのかを考えました。前奏部分と本編だからという意見や、雨が降っている時のあまり動いていない感じから雨が上がって活動している感じへの変化という意見などがありました。ここの部分に限らず、何のために変えるのか、どんな感情があったのか、を大事にし、そしてそのためにはどう技術を使ったらいいか考え、言語化し、人に伝えられるようになる。これが目標なのですが、私は特に、どう技術を使ったら表現したいものが表現できるのかを考えるところが難しいなぁ、と感じています。試行錯誤を重ねます!
また、歌うときのポジションについても学びました。声楽の発声における理想は深く広く。自分自身が感じる真ん中を基準として前に出してみたり、後ろに持って行ったりいろいろ試した後、合唱団よびごえでのポジションの認識を共有しました。
 

 
最後のミーティングでは、声を合わせるとは?合唱とは?という類のコメントが多かったような気がします。とても個人的な話になり、申し訳ないのですが、この前人生で初めて一人で美術館に行きました。画家が描きたかったことそのままを、直接見ることができる美術作品と違い、音楽は作曲家が表現したかったことが演奏者を介して伝わるという点が面白くもあり、難しくもあるなぁと改めて思いました。歌の場合は作曲家の前に詩人や作家がいるからなおさらです。絵を見たときに感じることが人それぞれ違うのと同じように、楽譜を見たとき・詩を読んだときに感じることも人それぞれ違うというのに、複数人で1つの曲を一緒に歌うのだから、合唱って不思議だなぁと思いました。
 
次のよびごえ日誌は、合唱祭で同じパートを歌う滝澤奏有美ちゃんにお願いしようと思います! 佐藤…
13
June
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.006

今回よびごえ日誌を担当するのは2年声楽専攻で、今回「恋」の指揮を振っている草野圭祐です。昨年までは、学生が指揮をするという場面は少なかったため、慣れないこともありますが、団員の皆さんの協力の下最近はやっとペースが掴めてきたかな、という感じです。
 
今回の練習では、まず「雨のあと」をやりました。今回の大きな議題は「葉っぱ」という言葉の「葉」と「ぱ」の間に休符があるのは何故か、ということでした。歌い手からの視点、聞き手としての視点、作曲者はどのような演奏効果をもたらしたかったのか、そこに介在する感情について、空間的な広がりについて、などの多角的な方面からこの議題について考えました。話し合いながら考えると、一人では持たないであろう視点を取り入れつつ議論を進めることができるため、とても面白い話し合いになったのではないかと思います。
 

 
次に、「恋」ですが、今回は子音がもたらす演奏効果について、ということに焦点を当てて練習を行いました。どのような言語にも子音と母音は存在し、歌唱する上でその二つは非常に大きな要因を占めますが、私たちが普段声楽をするときは母音ばかりを気にしてしまい、子音を使うということをおろそかにしてしまっているのではないかと思ったので今回は子音に焦点を当てました。結果として、私が想像していたよりもとてもよい演奏効果が得られ、団員の皆さんもたくさん考え、それを表現してくれたので、よい学びになったのではないかなと思います。
 

 
私が合唱について考えるときに一つ軸にしているのは、必ずしも指揮者の求める音楽に批准することが正しいわけではない、ということです。団員がいればその人数分の表現方法や感じ方、伝えたい想いがあってしかるべきであるし、様々な価値観が団員の中にあればこそ聞いてくださる方の心に刺さる部分も増えていくのではないかと私は考えています。単一の情報を極めることも合唱の美しさだと思いますが、よびごえの皆さんには是非情報量の多い合唱をしてほしいな、と思います。きっとこのよびごえは合唱の新しい可能性を探すのに最適な場であるはずなので、皆さん一人一人の考えを大切にしてほしいなと思います。
次の日誌は、私と同学年のかのんさんにお願いしたいと思います。最後まで読んでいただきありがとうございました。 草野…
03
June
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.005

今回担当しますのは、3年声楽専攻の國元美乃里です。よびごえのメンバーはそれぞれ忙しいながらも、出席率がとても良いのがすばらしい!きっとそれはここがみんなにとってそれだけ価値のある場所だからではないでしょうか。
 
さて、今日の練習は前回に引き続き佐藤さんの発声指導から始まります。前回の反省をふまえ、今回はより体系化された発声指導となっていました。二人組を作り、前後に並びます。前にいる人が声を出し、後ろにいる人は前の人の声に溶け込むように後から入ります。後ろの人が入ったのがわかったら前の人は手を上げます。前の人はかなり意識して耳を使わないと、後ろの人がいつ入ったのかわかりません。合唱において、周りの声をよく聞き、声を合わせるというのは常に求められることです。普段注意していても案外周りの音を聞けていないこともあります。このような練習の積み重ねが、曲に応用できる力を育むのですね。
 

 
今日は「恋」を草野君が、「雨のあと」を小田さんが指導してくださいました。今回の大きなテーマは、「歌詞をどう表現するか」。私たちは小田さんから、「ドラえもん深読みガイド」(小学館)の中のある一ページを渡されました。そこには、のび太君とドラえもんの会話があります。アイドル歌手のファンであるドラえもんに、のび太君が「そんなに好きなの?」と問いかけ、「ン、モウ大大大ファン!!」とドラえもんが熱を上げて発言する、という場面。この二人のセリフを音楽記号で表すとしたらどう表すか、それぞれグループに分かれ、考えます。のび太君はこんな性格だから、とか、ドラえもんの興奮度はsffで表そう、とか、実際にセリフを読んでみたり、様々な工夫がなされた答えが上がりました。そして、これを楽譜で考えてみます。作曲者はどうしてここにmfを使ったのか。逆に、どうしてmfとしか書かなかったのか。作曲者が楽譜に表した理由、表さなかった理由。私たちは同じ人間ではないので考え方が違うのは当然ですが、しかし、それを考え自分なりに表現することに意味があるのです。歌詞を書いた人、曲を書いた人、歌う人、聴く人、多くの人の心と身体を通って、それぞれの人の感じ方でその音楽を受け止める、音楽の素晴らしいところは、こういうところにあるのだと感じました。
 

 
本番まで残り一か月となりました。残された練習時間もだんだんと少なくなっていきます。今回の練習で考えたこと、できるようになったことを、次回の練習での新たな発見につなげられるように、私も個人練習を頑張ります!暗譜も頑張ります!
よし!次回のよびごえ日誌は、「恋」の指揮を担当してくれている草野くんにお願いしよう!お楽しみに!!! 國元…
30
May
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.004

はじめまして。4年声楽専攻の、名嘉眞静香です。
初めてのよびごえ日誌にワクワクしています。7人で始まったよびごえが、今年は新入生が7人。今日はよびごえ日誌vol.004。vol.100のとき、vol.999のとき、どんなよびごえがあるのだろうと、想像するだけでうれしくてにんまりしてしまいます。
 
さて、今日のよびごえ。まずは、佐藤さんが発声練習を担当してくれました。彼女が発声練習を担当するときには、新しい発想や試み、工夫がいっぱいです。今日は他の人の声をよく聞こう、というもの。3、4人でグループを組み、前後に1人ずつ並びます。前の人は1音を伸ばし続け、それに重ねるように、後ろの人が途中から歌い始めます。後ろの人が歌い始めたと思ったところで、前の人は手を挙げます。後ろの人が実際に歌い始め、前の人がそれを認知するまでにどれくらいの時間がかかったかを、もう1人の人が確認します。「思ったより後ろの人が歌い始めてから気づくのに時間がかかった」、「和音でやったらどうだろう」、「2人でもできるのでは」など。たくさんの意見・感想が積極的に飛び交いました。みんな、よびごえをよくしたいという気持ちに変わりはないですね。1つの提案を、よりよいものにするにはどうしたらいいかを、みんなで話し合えるというのは、とても有意義な時間だと感じます。この練習法はまた続くようなので、次回も楽しみです。
 
今日は合唱祭に向けての練習も3週目。草野さん、小金澤さん、私で稽古をしました。音程やハーモニーは、よく指摘される要素です。これらを、どういう切り口から切り込んでいくのかを考えるには、なにで音程感とハーモニーが構成されているのかを知る必要があり、まだまだ勉強しなくてはと意気込んでいます。自分が前に立って稽古した後、「あの練習法を実践してみたらよかった」、「あの時の声かけよりも、もっと適切なものがあったのでは」と振り返ります。計画→実践→振り返りのサイクルをこなしていく事によって、自分自身のよりよい学習につながるだろうと、粘り強く信じて前進したいです。
 

 
稽古の最後には、私の1番の楽しみであるミーティングが始まります。団員も増え、さらに私たちはよく考え、よく喋る!どんどんミーティングの時間が長くなっていくような気がしています(笑)元気な人もいれば、お疲れ気味の人もいたり、それぞれが合唱を通して、お互いを知り、時間を共有し、なんとなく気づかったり、励ましたり。1人1人の悩みや葛藤、喜びが、よびごえ全体を突き動かすエネルギーになっているのを、強く感じます。よびごえ日誌vol.999でも、みんながありのままに伸び伸びいられる、よびごえでありますように!
 
次回のよびごえ日誌は、我らが団長、山口のエンターテイナー國元さんです!お楽しみに。 名嘉眞…
20
May
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.003

2019年度も本格的に稽古が進み始めました。
みなさんには申し訳ないながらも、私が稽古に参加できる日が少なく、ほとんどの稽古を団員が担ってくれています。
音が取れるようになること、全パートと合わせる中で自信をもって歌唱できるようになること、まずはこれらの目標に向けてどのような手順を使えばよいのか、一人一人が試行錯誤をしているのではないかと感じています。
 
今日の稽古は少しだけ顔を出すことができたため、伊藤さんが指導しているところから見学ができました。楽譜に書いてある音と、実際に鳴っている音を聴き比べながら丁寧に音を合わせていく稽古でした。1フレーズ歌い終わると、団員からは「ここの音が取れないんだよね…」「ここはこんな感じでいきますね」など、パート内で声が漏れ、全体の指導を受けていながらも、音楽が少しでも良くなるように自分たちでも工夫をし、1人1人が主体的な試行錯誤をする場となっていました。
 

 
私も少しだけ稽古に首を突っ込みましたが、そこではアカペラの曲に伴奏をつけて弾いてみたり、「この曲の良いところを5つ言ってみて!」とアルトに答えてもらったり、どうしてみんなはこの曲を柔らかく歌おうって思ったの?(どうして荒く歌ってはいけないのか)、と曲のイメージを生成するためのアクションや質問を重ねました。
 
どうしても常套的な合唱指導はまずテクニック面を音楽の本質から切り離して稽古し、ある程度安定してきたときに曲の解釈、表現の仕上げを行う傾向があります。これは1つの方法として確立されていますし、まずは正確に歌えないと本番上手に歌えないのではないか、という不安が残るがゆえに定評を得ているのではないかと、個人的には感じています。
 
三善晃は、自身が譜読みを行う際に、曲が何を言わんとしているのか、どんな音楽的な世界がそこに拡がっているのか、イメージを十分に形成したうえで、その世界観に到達できるための稽古を重ねることを推奨しています。この考え方を上記の従来の指導法と突き合わせてみると、従来の指導法では「音取り➡曲の解釈➡表現の調整(仕上げ)」、三善流だと「曲の解釈➡音取り+表現」となります。どちらが良いか、それを安易に断言することはできませんが、少なくとも両者では、そのプロセス間での「合唱体験」が異なることは重要な点です。
 
従来型の指導法は、合唱作品を仕上げるための要素を分断し、1つずつ丁寧に積み上げていこうとする傾向がある反面、それ以外の要素を排除するという側面も持っています。そのため、音をとる段階では、曲の内容は知らなくても実施できる、という状況が生まれます。
一方、三善流の場合は、曲の世界観や背景を分かったうえで音をとるため、要素が混同しているとも言えます。しかし、音をとる段階から作品の世界に自身の身を置くことができるため、淡々と音をとる際にも、その音の質感を考慮することができます。
つまり両者について、音取りという活動の質が異なり、それゆえに団員の「合唱体験」は異なっている、と言えるでしょう。
 
たった1つのプロセスの違いでも、合唱という場の意味は変わってきます。
まずは様々な合唱指導のスタイルを経験し、自分でも実施してみることはとても大事です。そうした試行錯誤を重ねること、またその試行錯誤を目前にすることで、団員1人1人が成長していくことを期待しています。
 
 
 
そんなことを思いながら稽古の見学や実施を終え、振り返りでは、詩について意識が向いていなかったこと、詩を振り返ると丸い言葉が多いこと、「ゐ」が使われているのが良い!という詩に目を向けた意見や、次に来る和音が予測できないから音取りがしづらい、合唱も声楽の発声で良いと言われるけどよくわからないという歌唱技術に着目した意見、全体の前で指導することの難しさを実感したという指導法に関する意見などが出ました。
 
それぞれの課題をとりあえず共有してみる、というところから、自分の課題を誰かの頭が考えてくれる、ということが始まります。自分の課題を自分の力で解決することも大切ですが、時には、誰かの頭を借りて一緒に考えてもらうことも良いかもしれません。そうして、仲間ができていくのかもしれませんね。
 
5月病、梅雨に負けずにがんばりましょう!
  小田…
13
May
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.002

2019年度、1年生を含めた新体制の初回稽古が始まりました。
 

 
7月7日(日)出演予定の東京都合唱祭の曲が以下に決まったため、まずはそれに向けたパート分けを行いました。
 
 『きまぐれうた』「恋」(みなづきみのり作詩/土田豊貴作曲)
 『なみだうた』「雨のあと」(金子みすゞ作詩/信長貴富作曲)
 
つい数か月前まで混声合唱を行っていたよびごえですが、今年度は女声合唱からのスタートです。
混声合唱には混声合唱の響き、女声合唱には女声合唱の響きがあると個人的には考えており、これは単純に、複数人が集まって声を出し合うだけで成立するものではありません。響きを作るための理論と合唱の歴史的文脈の中で形成されてきた価値観とがポイントになると思われます。
 
そこで今日は、女声合唱の響きを自分たちなりに整理するためのワークを行いました。
 
ワークの内容として、まず、3つのグループ(パートごと)に分かれ、じゃんけん等を行いリーダーを決めました。
 
その後、事前に準備した以下の4曲を順に聞き、その演奏の特徴をグループごとに整理しました。
また、今回選択した2つの時代を考慮に入れ、約30年前と今、その時代ごとの発声や言葉のさばき、音楽の表現などに変化が見られるかどうかを整理しました。
 
1989年 鹿児島女子高等学校 「いま」 (阪田寛夫作詩/尾形敏幸作曲) 1991年 安積女子高等学校  「聞こえる」 (岩間芳樹作詩/新実徳英作曲) 2017年 大妻中野高等学校  「君が君に歌う歌」 (Elvis Woodstock作詩/大島ミチル作曲) 2018年 豊島岡女子学園高等学校 「ポジティブ太郎~いつでも始まり~」 (つんく作詩/上田真樹作曲)  
時間の都合があるにせよ、たった4曲を聴いただけで時代比較を行うことは強引なのですが、ただし、女声合唱が約30年を経てどのように変化したのか、そしてこれから30年後の女声合唱はどうなっているのだろうか、という問いを得るためにこのワークを行いました。
 
1989-1991年から2017-2018年に向けて女声合唱はどのように変化したのかについて、学生の意見をカテゴリーごとに整理してみました。
 …
08
April
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.001

2019年度の新歓1日目は、ミニコンサートで「にじ色の魚」「夢みたものは…」「今日の日」「狩俣ぬくいちゃ」を歌い、その後は見学に来てくれたみなさんと一緒にワークをしました。
 
最初のワークは、まず「夢みたものは…」の前半を音取りしたあと、「楽譜通りに歌う」ということを意識して歌唱しました。その後、では「楽譜通り」と言われてなにを意識したのか、1人1つずつ発言しました。例えば、以下のような意見がでました。
 
 ・強弱
 ・音の長さ
 ・拍子感
 ・音程
 ・フレーズ感
 ・言葉の節目
 ・言葉のニュアンス
 ・歌詞をまちがえない
 
これは、楽譜にはどのような情報が書かれてあるのか、私は楽譜に何が書いてあると認識しているのか、これらを改めて考えるためのワークです。「楽譜ってそもそも何…?」という意見も出ましたが、これはとても良い問いだと感じましたし、いろいろな情報が含まれている楽譜をもう1度捉え直すきっかけになったのではないかと思います。
 
例えば、誰が読んでも同様に読み取れる情報として、調性や和声、形態(アカペラ、混声3部合唱等)などが楽譜に書かれている一方で、可変的な情報も含まれています。例えば、詩や強弱記号等、「私」と「あなた」ではその意味や程度が異なる可能性があるものです。楽譜とはそのような情報の総体であり、「楽譜通りに歌う」という試みは、自分と音楽の関係を問い直すためのキーワードなのかもしれません。
 
2つ目のワークでは、上記の中に出てこなかった、無意識の中で感じている音楽へのバイアス、というものを取り扱いました。今回、「夢みたものは…」を歌う時、だれ一人として荒っぽい歌い方をせず、自然に柔らかく歌唱しようとしていましたが、楽譜のどのような条件が私たちをそのような歌唱へと導くのか、考える事にしました。
 
全体を5つのチームに分け、チーム名を考え、各チーム最低5つは要素を出すこととしました。チーム名は、「タピオカ元年」「八宝菜」「チーム女子力」「1/2長野県民」「いちごGUMI」など、個性が結集しました。
 

 
「mpから始まる指示があるから強くは歌えないのではないか」「タイトルに『夢』がつくからそのイメージにひっぱられるのではないか」「和声構造がシンプルなことに原因があるのではないか」など、全員の意見を共有することで、「柔らかい」と感じてしまう音楽の条件が自然と整理されていきました。
 
なぜ私たちはある音楽を柔らかいと感じ、ある音楽は固いと感じるのか。今回は「夢みたものは…」の持つ質感を「柔らかい」というキーワードを頼りに考えてみましたが、この先、日常生活のなかにありふれているモノの「柔らかい」と音楽における「柔らかい」の間に共通点を探そうとするとき、そこにはきっと、学びが拡がっていく喜びがあるのだと思います。
 
今回のワークは計1時間のため、各自が疑問やもやもやを持ち帰ってくれるといいな、と思い課題を設定しましたが、それらを抱えながら、これから始まる大学4年間の学びのスタートしてくれるといいな、と感じています。
 
みんな、入学おめでとう!楽しい学びの世界が拓かれますように!
 
  小田…