よびごえ日誌


2021.08.23 【2021】よびごえ日誌 合唱祭の振り返り
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とっても時間が経ちましたが、よびごえメンバーより、合唱祭の演奏に関する感想と、前期の練習の運営について振り返りが欲しいとのことだったので、記録としてよびごえ日誌に綴ることとします。
 
まず、何度も言いますが、こうした状況下において、新入生と共に、みなさん自身の力で舞台に立ち、拍手をもらえたことはとても素晴らしいことだと感じています。運営に注力してくれた2,3年生にはとても感謝しています。本当にありがとうございました。そして、お疲れ様でした。
 
【演奏について】
合唱における演奏の良し悪しは、音程や和音、発音、複数の声部による有機的な音楽構成(解釈や空間づくり)といった「技術的な視点」だけでなく、パートや団としての声のまとまり、発声、選曲といった「個性が影響する視点」、さらに抽象化すると、気迫といった「雰囲気のようなもの」まで、いくつかの層が複雑に絡み合って決まってくるように思います。
それらを見渡したうえでも、総合的には、質の高い演奏だったと思います。それは、技術、個性、雰囲気を一定以上のクオリティで提供できていたこともありますし、それぞれの視点がよく練られている演奏だったとも言えます。
 
今後に向けた視点として、大きく2つの反省をしたいと思います。
1つ目は、マスクの壁を超えること。
 講評でもいただいておりましたが、マスクをしていたとしても会場で言葉がはっきりと聞き取れるよう、もう少し調整をすべきだったように思います。特に、柔らかい音楽の場面(音量が小さく、レガート気味の場面)において、閉口母音(i, u, e)の子音は、開口母音(a, o)よりも注意をすべきでした。例:”く”じら。 一方で、例えば、くじらの優しい感じを出そうとするために子音をソフトにするという判断は間違っていなかったと思いますので、ホールの奥の客席に坐っていて、ちょうどよいくらいの量感の子音であるためには…、と考えたときには、個人的にはあと少し強く、もしくはあと少し意識をして発音すべきだったということです。
 次に音量です。講評では、ホールの大きさと合唱団の人数に対して、立ち位置はベストの選択だったという声もいただきましたが、個人的には、みなさんの最大音量がしっかり出せていたのかが気になりました。合唱団よびごえの演奏としての魅力は、①作品解釈の深さと、②一人ひとりの思いの深さと、③少人数とは思えない音量の3点がすぐに思い浮かびます。マスクの影響は大きいと思いますが、マスクをつけていたとしても、音量の壁を超えれると思いました。ちなみに、合唱の場合、一人一人の声量が大きいだけでは、全体の音量は大きくなりづらいです。各パート内の音が良い感じで混ざり合い、さらに複数のパートが和音(倍音)の力を借りることで、初めて人数以上の迫力が成立します。今回は和音のはまり方は悪くなかったと思いますので、声量の意識がもう少し欲しかった、という反省と言えます。
 
2つ目は、力学を楽しむこと。
 よびごえとしては指揮者がいない初めての本番だったと思いますが(実は過去にも1回あったのですが、ただその時はピアノ伴奏がありました)、その割にはよく縦があっていた、という一定数の評価もある一方で、僕からすると、アンサンブルとしてはもう少しやれたのでは?と思っています。それは縦が合っていなかったということではなく、「私はこのテンポで歌いたいけど、そっちがそのテンポでいくならしょうがないなぁ、折れてやろう」というのを、楽しむことができていたかどうか、という視点です。
 少し脱線になるかもしれませんが、ソロでピアノを弾くのは完全に一人の世界なので他者から音楽を引っ張られるということは少ないと思いますが、例えば自分が歌い手だとして、伴奏がつくだけで一気に歌いにくくなったり、ここはこういう感じでブレスしたいのにな~、と思ったりすることはありませんか?たった一人共演者が増えるだけで、舞台上には力学(音楽の引っ張り合い)が発生します。自分はこうしたいけど、君がそうするならばこう歌ってあげてもいいよという具合です。自分一人で演奏する以外の時は、ほぼ確実にこうした状況が生まれると言ってよいと思います。つまりは、こうした力学は避けることはできないですし、自分の思い通りに歌えないということが悪いことではないということです。しかし、そういう力学を楽しめていたかどうか、という視点をみなさんにお示ししたいと思ったのは、こういう力学こそ、合唱なのではないか、と思うところがあるからです。(これは吹奏楽でも言えるのかもしれませんが。)
 パートの中には小さな力学があり、全体練習の時には大きな力学があるようにも思います。そうした音楽の引っ張り合いが、結果的によびごえらしいサウンドを創り出すように思いますし、指揮者がいないからこそ、この力学と今まで以上に向き合わざるを得ないとも思います。10人未満で、かつ指揮者無しで全国大会で堂々と歌う中学生、高校生の姿を見ると、こうした力学を楽しんでいるように僕には見えます。よびごえのみなさんにも、きっと、できるはず。そこには、新しい感覚が待っているのではないでしょうか。
 
【前期の練習の運営について】
コロナの変異株のことを思うと、少なくともよびごえの稽古に参加したことによって陽性者が出なかったことは本当に良かったと思いました。Zoomでも、思いのほか、音楽の内容については指導ができたことも良かったと思いますし、これまでのよびごえの稽古のように、みなさん1人1人に考えてもらい、それを積み上げて演奏を作っていくというプロセスもほぼほぼ再現できたと思います。
もし後期に向けてお願いしたいことがあるとすれば、指揮者がいないとき、テンポがどんどん遅くなることは本当によくあることです。そうしたときに、曲の途中であっても軽く振って(指揮をして)、音楽を前にもっていってくれるような人がいると大変助かると思いました。前期は最初と最後だけ、振ってくれたと思いますが、「春こん。」が無事に開催されることとなり、みなさんも参加したいと思ってくださるのであれば、作品の難易度はこれまでよりも高くせざるを得ないと思います。そうしたとき、前期のような、最初と最後だけを振るシステムでは完成まで持っていけない可能性を危惧しています。
感染症対策やオンラインを活用した稽古については、前期でほぼ確立できたと思いますので、あとは上述の、より難易度の高い作品にも対応できるようなシステムの構築ができれば来年以降にも役立つものになると思います。変拍子やテンポがころころ変わる曲、それぞれのパートがまったく合わないような曲など、高度な合唱作品が演奏できる能力を1人1人はもっていると思うのですが、それを指揮者無しでみんなであわせて、本番も指揮者無しで演奏できるようになるための方法を考えていきたいですね。これは後期に向けた僕の大きな宿題とも言えますし、みなさんと協力しながら解決したい課題です。
 
 
 
以上、改めて、先日の合唱祭はお疲れ様でした。
夏休み真っ最中で、エンジョイされている方も多いと思います。コロナには本当にお気を付けいただきつつも、楽しいことをたくさん経験してください。YouTubeで合唱を聴きまくったり、合唱指導の本を図書館から借りてきて、なるほど!とか、いや~ここは違うやろ~!とツッコミを入れてみたり。そして、勉強会の時は、メンバーみんなで一緒に合唱と向き合いましょう。
 
小田
 
おまけ:ねぷた金魚
青森の夏はそろそろ終わります。