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タグ:解釈
04
July
2026
2026
【2026】よびごえ日誌 vol.7
みなさん、こんにちは。小田です。以前の僕の日誌では、合唱祭で演奏予定の2曲のうち、「あなたのことを」について書きましたので、今回の日誌では「星めぐりの歌」について、書いておきたいと思います。
この日誌を、ずっと書きたいと思い続けながらも、この1カ月、書いては消し、書いては消しを繰り返して、ついに今日になってしまいました。そうこうしているうちに、以前の稽古で、賢治の生涯のこと、信仰のこと、世界の見方のことを、簡単にですが共有し、さて、この日誌では、何を書き残そうかと思うこととなりました。
もう一度、この日誌をゼロから書き直すこととして、ただし、本番でみなさんに心の中で感じていただきたいことを、いまの僕の言葉で書き残しておきたいと思います。
宮沢賢治(1896-1933, 岩手県花巻市)
賢治は裕福な家に生まれ、勉強したいことをさせてもらえ、鉱物収集や星座、農芸化学、造園、宗教、音楽、演劇など、37年の生涯で、たくさんのことを知ろうとして、実践した人でした。彼の信仰は、〈南無妙法蓮華経〉とお題目を唱える法華経との結びつきで語られますが、父政次郎の浄土真宗、彼にとっては恋人のような存在だったとされる保阪嘉内(1896-1937, 山梨県)が影響を受けたキリスト教、妹トシの霊魂を求めて旅した際に出会ったアイヌ信仰など、様々な信仰の影響を受けながら彼独自の世界の見方が構築されていき、より良い生き方を探し求めていたと考えるのが妥当でしょう。
彼が生きた時代は西洋化が急速に進むニッポンであり、科学や合理的な思考が広がったことで、誰も見たことがない死後の世界に過度な期待をするよりも、今生きているこの世界のことをより深く知ったり、より良くしていくことに興味が湧くことは自然だったように思います。賢治もまた、その一人でした。
賢治は、この世界について知ったこと、考えたこと、気づいた真理(らしきもの)について、詩や童話という、書き物を通して表現しました。彼の作品の中には、たくさんの動物や植物、星座といった知識が出てきますし、この世界に生きるものはすべて、食べて・食べられるという強者と弱者の関係性の中にいること(この関係性から逃げ出そうとすることは死を意味すること)、そうした世界のなかでの本当の幸せとはなにかという問いが、いくつもの作品の根底に流れています。
ここから先は、僕個人の賢治の見方です。
結局のところ賢治は、この世界は美しいということに心の底からの確信をもちたかった、ただその一心で勉強し、草木も風も動物も星もアニミズムとして、すべてこの世界を構成する命ある存在として、人間と平等に捉えていました。
賢治の晩年に書かれた詩を1つ紹介します(著作権は切れています)。
眼にて云う
だめでせう
とまりませんな
がぶがぶ湧いてゐるですからな
ゆふべからねむらず血も出つづけなもんですから
そこらは青くしんしんとして
どうも間もなく死にさうです
けれどもなんといゝ風でせう
もう清明が近いので
あんなに青ぞらからもりあがって湧くやうに
きれいな風が来るですな
もみぢの嫩芽(わかめ)と毛のやうな花に
秋草のやうな波をたて
焼痕のある藺草(いぐさ)のむしろも青いです
あなたは医学会のお帰りか何かは知りませんが
黒いフロックコートを召して
こんなに本気にいろいろ手あてもしていたゞけば
これで死んでもまづは文句もありません
血がでてゐるにかゝはらず
こんなにのんきで苦しくないのは
魂魄なかばからだをはなれたのですかな
たゞどうも血のために
それを云へないがひどいです
あなたの方からみたらずゐぶんさんたんたるけしきでせうが
わたくしから見えるのは
やっぱりきれいな青ぞらと
すきとほった風ばかりです。…
07
June
2026
2026
【2026】よびごえ日誌 vol.5
みなさん、こんばんは。いよいよ、新体制での稽古がスタートしました。7月11日(土)に出演する合唱祭に向けて、今回は、以下2曲に取り組むこととしました。
「あなたのことを」(詩 銀色夏生/曲 上田真樹)
「星めぐりの歌」(詩曲 宮沢賢治/編 三宅悠太)
「あなたのことを」は、メンバーのみなさんの投票によって決定くださり、それを受けて僕の方でもう1曲、「星めぐりの歌」を選びました。この日誌では、「あなたのことを」について、僕なりのアイデアを書いておこうと思います。
*僕の考えが答えではありません。一アイデア程度に読んでもらえると嬉しいです。いつでも大切なのは、自身の考えです。
「あなたのことを」は、とても素直な作品で、詩も音楽もさわやかで優しいというのが、僕の第一印象でした。銀色夏生と上田真樹のコンビは、Nコン課題曲「僕が守る」が有名に思いますが、現代の合唱界において、こうした柔らかい作品を指導できる力は、指導者に求められているように思います。
余談ながら、上田真樹の作品のうちで、触れずにはいられないのは『夢の意味』(詩:林望)でしょう。2007年に発表された当時、とても優しい空間で、ドラマティックで、どこか切なくて、心にゆっくりと浸透してくるようなこの作品を繰り返し聴いていたのを覚えています。その後、男声版の初演に携わった方が学大の先輩にいて、男声版の楽譜を見せてもらって、すごく感動したのも思い出します。上田作品の特徴は、とにかくトップ(ソプラノやテノール)が高く、発声上、美しく歌うことが極めて難しいことです。曲が美しい分、挑戦したいと思ってしまいますが、技術的な難しさが合唱団を選ぶことから、僕はあんまり上田作品を積極的には選べずにいました。「僕が守る」が課題曲として発表された時も、なんて難しい作品だろうと思いました。
そんなこんなで、今回の「あなたのことを」を勉強する機会をみなさんからいただくことができ、本当にありがたい思いです。
この作品は、合唱団の整理された技術も求めていますが、それ以上に、心の豊かさを前提としているように見えます。優しく、柔らかい作品であればあるほど、心のない演奏というのは悪目立ちするもので、この作品の作り方としては、まずこの作品の感触と言いますか、質感を、メンバーの一人ひとりが、たしかに実感することが大事でしょう。次に、それをどうすれば音としてお客さんと共有できるか、という順番で、合唱団の一人ひとりのもつ知識や技能を総動員して、演奏をつくっていくのが良いように思います。
詩の内容は、考えていると気分が良くなったり、力が湧いてきたり、それまで悩んでいたことを忘れてしまうような〈あなた〉のことを考えている、〈わたし〉が主人公です。みなさん自身を〈わたし〉に置き換えたとき、みなさんにとって、〈あなた〉のような存在はいますか?
詩を読むとき、ちょっとしたコツがあるのですが、書かれてある言葉を頭から読んで、イメージを膨らませるのではなく、その詩の言葉が発せられる前段階があることをイメージすると、もう少し、深い読みが可能になります。前回の稽古で話題にしましたが、〈あなた〉のことを考えるとすごく気分が良くなるということについて、〈わたし〉はこの詩のこの場面で驚きとともに初めて気づいたのでしょうか、もしくはもっと前から知っていて、日常の延長線上の言葉だったのでしょうか。こうして問いを立てながら詩を読んでいくと、実は、音楽表現にいきてくることに気づけると思います。〈わたし〉にとって、驚くべき発見であったならば、強弱記号はきっと大きな音量で、発見の喜びが音色に含まれているでしょう。他方、このことは昔から知っていて、日常の一場面のようにこの言葉を発するならば、mpのような、繊細過ぎず、でも大きいわけでもない音量で、それでいてあなたのことを考えている穏やかさが音色に含まれているでしょう。
詩を読むことと、音楽表現を考えることは、決して別々の作業ではなく、右脳と左脳が脳梁でつながっているように、密に関係しあっています。むしろ、そういう詩の読み方ができていないと、もったいないとも言えますね。
〈わたし〉にとって、〈あなた〉のことを考えるとどうして元気が出るのかはよく分かっていないようです。書かれてある以上のことは、解釈の範囲で自由に想像すべきですが、僕個人としては、どうして元気が出るのかについて、〈わたし〉が何も考えていないわけではないと思っていて、考えても考えても、これというスッキリしたものが得られていないような状況なんじゃないかなと思います。みなさんはどう感じますか?
しかし、このスッキリしない状況というのは、〈わたし〉にとってはさほど問題ではなくて、よく分からないけど、元気が出るということだけは事実なんだから、まっいっか、というような〈わたし〉にも読めます。
この次に出てくる言葉は、とても〈わたし〉のキャラクターを表しているように僕は感じます。〈あなた〉のことを思い出しているうちは、弱い考え≒悩みの入る隙がない、というのは、〈わたし〉の発見なんだろうと思います。だから、〈わたし〉は〈あなた〉のことを考えて歩こうとしているんだろうと思います。
上田真樹は、この後にもう一度、詩の冒頭(あなたのことを考えてたよ)を繰り返します。それをテノールソロにしたのは、なんだか、すごくいい気分にさせてくれます。僕のような凡人であればソプラノソロで書いてしまいそうなところ、テノールの優しい音色でこの言葉をもう一度歌い、そのあとにtuttiで展開することで、この言葉の効果をさらに高めたいという意図を感じます。
この曲を歌っている間は、少なくとも〈わたし〉は悩みを忘れていて、〈あなた〉のことを考えることで得られる恩恵を得ているのでしょう。
みなさんが演奏するこの曲の前奏にも、歌いはじめにも、歌い終わりにも、よびごえのメンバー一人ひとりの体の中が、〈わたし〉と〈あなた〉のような温かい感触で満たされていること、そんな音楽を一緒に目指しましょう。それは、みなさんの中で感じているだけの見えない感触に留まるのではなく、そうした感覚があるからこそ、連動してブレスの質や音楽の流れが柔らかくなり、詩にリアルな音色を与えて、お客さんのもとに届いていきます。
最後に、
「温かさ」や「幸せ」という自分なりの感覚を感じることができるのは、だれかが、それを僕にくれたんだろうと考えることがあります。それは、家族かもしれませんし、親友かもしれません、僕のことを愛してくれただれかかもしれませんし、僕が愛したいと思っている人かもしれません。はっきりは分かりませんが、だれかがくれたこの特別な感覚を、僕たち音楽に生きる人間は、音楽に翻訳して、だれかに伝えることができます。
みなさんが先生になったときには、どうか、子どもたちに伝えてくれると嬉しいですし、子どもたちが「温かさ」や「幸せ」を感じてくれるよう、精一杯、愛してあげてほしいなと思います。 小田直弥…
15
May
2026
2026
【2026】よびごえ日誌 vol.3 新歓稽古①
みなさん、こんにちは。小田です。新歓稽古のために準備くださったみなさん、そして当日来てくださった1年生の方々にとても感謝しております。本当にありがとうございました。
新歓稽古の記録を残しておく意味でも、日誌を書いておきたいと思います。
ななみさんとはるとさんによる団の説明、自己紹介の進行のあと、小田がバトンをもらい、発声練習は本当にあっさりと、活動に入っていきました。今回はNコンの小学校の部の課題曲にもなった「ふるさと」(詩:小山薫堂 曲:youth case)を選んでくださり、混声四部(編曲:松本涼)を使用しました。さすがは学大生、10分で音取りが終わり、合わせをしても一発でキマっていくスタートでした。
今回の大きなテーマとして、「形と音色」を考えてみました。
少し抽象的に書いてしまいましたが、要は、正しい音高、リズム、強弱、アーティキュレーション等で演奏できていますか?ということが、「形」に当たると思います。しかし、それは決して、楽譜上に書かれてある記号を守れば良いというだけではなく、「書かれていなくても書かれてあること」を読めるかどうかが「形」を作るうえでは重要である、ということをみなさんと再確認したいと思い、活動に取り入れました。
最初は、まずはそれぞれの譜読みの通りに歌ってもらいました。その次に、出だしの4小節には、強弱記号としてmpが書かれてあるだけですが、ピークがある演奏を僕が示し(山本訓久先生の言葉で言えばSchwerpunkt=重心)、書かれてはいないけれども自然なcresc.とdecresc.があることを一緒に確認したうえで、ではなぜ、書かれてはいないのに、ピークを見つけることができるのか、という問いに連続していきました。
そこでは、①旋律の特徴(ドからラの音までなめらかに上行したら、次はなめらかに下行する)、②和声の特徴から説明をしてくれ、僕からはもう1つ、③日本語のラインの観点を提示しました。重要なこととして、ピークは、はっきりとは書かれていないけれども、少なくとも3観点から説明可能であり、これらを読める人にとっては、書かれてある情報に等しいということです。つまりは、読もうとしなければ読めないし、読める人には読める情報ということです。
さて、この発展として、実はこの曲の楽譜では、続く4小節も似たようなフレーズが続きますが、そこでは、ピークがきちんとmp – cresc. mf – decresc. と書かれてあることに着目してもらいました。では、「書かれてはいないけれども見つけられたピークと、実際に書かれてあるピーク、どうやって歌い分けますか?」という問題にもちろんぶち当たり、このあたりから、少しずつ僕の言わんとするメッセージ、つまりは楽譜の読み方が開けてきたんじゃないかな?と、感じていました。
いったん楽譜の読み方が開けてしまえば、「きっとみなさんならば応用してくれる!」と信じ、次の問いへ。
この曲には、3つの旋律の形(線)が出てきます。
1.なめらかに上行して下行する、4小節の旋律(Aメロ)
2.最初にアクセントをもってから下行していく、2小節の旋律(Bメロ)
3.上行して下行する旋律の、2小節+2小節+4小節の重ね技(サビ)
これらの旋律の特徴を、書かれてある強弱だけでなく、書かれていないけれども書かれてあることをしっかり読みながら、明確につくってみよう、ということをやってみました。
仕上げとして、線の質について、発展的な話をしました。人が息を吸い、吐く時には、あたかも一本の線が口から出ているというイメージの話から、それが細いのか太いのか、柔らかいのか硬いのか、繊細なのか決然としているのか、一本の線は1つのフレーズの中で質を変えながら紡がれたりもするのか(例:最初は力強かったけれども、次第に柔らかくなったり)等。
この話をした後にみなさんに歌っていただいたとき、ものすごく、「形」として、声の可能性を感じる音楽になっていたなぁと思います。
次に、「音色」の話に進んでいきました。
「形」は楽譜に書かれてあることを読むための技術が問われているように思いますが、「音色」は、「感性」との関わりの深いものです。殊に、音色にも答えがあるように考えている人もいるかもしれませんが、それは決して正しくなく、多くの人が共通してたどり着く音色があるために結果的に似通った演奏になっている、ということはあるかもしれませんが、音色の学びは、素晴らしい演奏家の音色を自分も作れるようになるという、真似をベースとした学びではありません。真似がベースになっているならば、新しい解釈は生まれないはずであり、音楽の多様性に矛盾する考え方になります。大切なのは、自らの感性を働かせて、自分が納得できる音色を選択できるようになること、その先に、作れるようになることです。
活動のスタートは、こんな発問からでした。
1.この主人公は、どんな人?何歳くらい?どんな性格?
なぜ、この詩でかかれているようなことを考えているの?
2.第1連について、音色(心の状況)はどう変化している?
どこで変化している?
みなさんの答えはこんな感じでしたね。
1.(チーム男声)20歳の大学生くらい。帰省で地元に帰っている。
(チーム女声)大学生か社会人くらい 忙しさがひと段落して、帰省している。
2.(チーム男声)最初は遠くにあったなつかしさだったけれど、だんだんといろんな人の顔が思い浮かんできて、いまははっきり見えている!みたいな変化。
(チーム女声)素朴で、感傷的なところもあって、それは安心したときの涙が出る手前みたいな感覚から、だんだんと、ひとりひとりの笑顔が見えてきて、前向きに明るくなっていく、という変化。
この発問には答えはありません。重要なのは、ひとりひとりが納得できる場面設定をもてること、そして共感的にこの作品のことを感じられるようになることが目的です。
次に、残りの詩全体を眺めながら、感情が見出せるところを書き出してみて、それをチームでシェアすることで、ざっくりとしたこの曲の感情のタイムラインを整理してみよう、と発展させました(一曲の中で、最初から最後に向かって、どのように感情が変化しているのか)。例えば、優しい感じ、決然とした感じ、温かい感じ、つらいけど踏ん張る感じなど。…
20
January
2025
2025
【2024】よびごえ日誌 vol.19 お悩みへの回答編
こんばんは、小田です。前回稽古の振り返りの際、おそらく花世さんがおっしゃっていたと思うのですが、「作品を通して伝えたいイメージをもって演奏しているのに、伝わらないと言われる」件について、相手に伝えるために音楽を構成する力の話なのか、場面にあった音色の選択の話なのか、分からなかったのですが、今回は前者だと想定して回答してみたいと思い、よびごえ日誌を更新します。もしかすると、メンバーのみなさんにも同じ悩みを持っている(持っていた)方がいるかもしれないと思い、少しでもお役に立てれば嬉しいな、という思いです。
※ダラダラと書いてしまったので、結論を急ぐ場合は「「音楽と効果」という言葉を出しましたが、~」からお読みください。
共通理解を得たいので、基礎的な観点からスタートしたいと思います。
重要な着眼点の1つ、「伝える」とはどういうことなのでしょう。これについては、例えば、不自由な言語におけるコミュニケーションを考えると分かりやすいかもしれません。海外に行くと、「こういうことを聞いてみたい」という、伝えたい内容はしっかり持っているのに、「ドイツ語ではなんて言ったらいいんだろう」と困る経験があるかもしれません。頭の中にあるイメージを相手に伝えるためには、ここではドイツ語の単語の知識、文法を用いて単語同士を組み合わせる力、慣習(ネイティヴにとって一般的な言い回し)など、実用的な言語の力が求められます。私が相手になにかを「伝える」ためには、私のなかに、➀相手に伝えたい内容があること、➁相手に伝わる実用的な言語の力があること、この2点が必要です。
重要な着眼点のもう1つ、「伝わる」とはどういうことなのでしょう。私たちは、日々、言葉を用いて誰かとコミュニケーションを取っています。しかし、上記の➀と➁を両方携えていたとしても、「伝わらない」という経験をしたことがある人もいるのではないでしょうか。宇宙人っぽいような、いつもナナメの発想をしている人は僕の周りにもいますし(そういう人、僕は好きです)、日本語としては聞き取れるけど、「何言ってるか意味わかんない」という、あれです。ここに「伝わる」の本質に迫るヒントがあります。
この内容について、もう少し、例を出してみます。「うどん」という言葉をみなさんが見たとき、さて、みなさんの頭の中には、どんなうどんが思い浮かぶでしょうか。讃岐うどん?稲庭うどん?武蔵野うどん?、ねぎが乗ってる?しょうがが乗ってる?天かすが乗ってる?、サイドにはおでんがある?いなり寿司?・・・。重要なのは、「うどん」という言葉は、「うどん」という食べ物を知っているという共通理解があれば、うどんというざっくりとした方向性を示す機能はあったとしても、その詳細を示す力は無い、ということです。加えて、「うどん」という言葉の意味(イメージ)は、話し手の「うどん」のイメージとは関係のない、「聞き手の想像によって意味が与えられる」こともとても重要です。「うどん」について、非常に細かくイメージを伝えたいならば、「言葉を足す」ことで、より一層、うどんのイメージを限定化することが可能になります(讃岐の、かけ並小で、ねぎとしょうがが乗っていて、サイドは無し)。しかし、結局は、聞き手の想像によって意味がつけられるため、どこまでいったとしても、だいたいの方向性しか言葉は伝達できないという限界があります(ねぎはどれくらいの量?ねぎはうどんの真ん中?どんぶりの淵にある?等)。
「聞き手の想像によって意味が与えられるのであれば、話し手と聞き手が、共通の体験をしていたり、文化を知っていれば、たとえ言葉に限界があったとしても、精度の高いコミュニケーションが可能になるのではないか?」という仮説を立てる方もいるかもしれません。これは、とっても、その通りです。例えば、僕(香川県出身)と佐藤さん(愛媛県出身)であれば、「うどん」について会話する際、そもそも「うどん」という言葉を聞いて、直感的には稲庭うどん(秋田県)は頭に浮かばないように思います。この理論がベースにあるからこそ、もはや1つ言えば10伝わるような友達ができるわけであり(共有しているコトが多い)、相手にかなり寄り添って話をしないと会話が成立しない人も出てくるわけです(共有しているコトが少ない)。
(この話は哲学のお話なので、難しかったらごめんなさい。こういう話に興味のある方は、ソシュールの『一般言語学講義』、言語学ではなく音楽として理解したい方は、ナティエの『音楽記号学』をお読みいただくと最高に楽しいと思います)。
前置きが長くなってしまいましたが、ここまでの話を整理すると、「作品を通して伝えたいイメージをもって演奏しているのに、伝わらないと言われる」件について、その解決に向けて2つの可能性が出てきました。1つは「伝える」の話から、「相手に伝わる実用的な言語の力」を身につけることで、「作品を通して伝えたいイメージ」が演奏を通して伝えられるようになる。もう1つは「伝わる」の話から、私が思っていることに近いイメージを相手にももってもらえるような言葉の使い方を心掛けること。
ここまでの話は、対話の場面を例にしてきましたが、対話も音楽も、音を用いたコミュニケーションであるため、原理は同じになります。つまりは、以下のように言い換えることが可能になります。
1.「相手に伝わる実用的な音楽言語の力」を身につけることで、「作品を通して伝えたいイメージ」が演奏を通して伝えられるようになる。
2.私が思っていることに近いイメージを相手にももってもらえるような音楽言語の使い方を心掛けること。
ここで新しいキーワード「音楽言語」を出しましたが、「音楽言語ってなんやねん」という方もいるかもしれません。この話をしだすと、さらに膨大な紙面が必要になるため、かなりはしょりますが、英語やドイツ語、日本語等の自然言語と呼ばれる言語には、単語同士が組み合わさるための文法があり、それは音楽にも存在するという考え方であり(主に和声)、加えて、音楽がコミュニケーションツールとしてより効果的にイメージを伝達するための(おおまかな)原則があるという、音楽を言語として捉える考え方です。
例えば、ある音楽を聴いて感動したり、深く共感できるような感覚があるとき、それは音楽の言語としての力を実感しているとき、と言っても良いかもしれません。それは、英語やドイツ語でのスピーチを聞いて感動することに近いかもしれません(何を言っているのか意味が想像できるから感動する)。
しかし、英語やドイツ語が聞き取れて、意味が分かり感動できることと(聞く力)、自分が話せること(表現する力)はずいぶん違うことをみなさんはご存知だと思います。音楽も同じです。
音楽で誰かに何かを伝える勉強する際に役に立つと考えられているのが、今日につながる西洋音楽の歴史のうち、なるべく古い時代の音楽を勉強することです。「結局はバッハ(バロック時代)に帰ってくる」というのは、このことなんだと思います。
バッハやヘンデル、スカルラッティ、ラモー等が築いた「音楽と効果」の関係の基礎は、ハイドンやモーツァルトに受け継がれ、ベートーヴェンで発展し、シューベルトやシューマン、ブラームス、ショパン、リストらによってゆるやかに発展し、フォーレやセヴラック、ドビュッシー、プーランク等では大きな広がりを持ちました。その流れを打ち壊そうとしたのがシェーンベルクらの新ウィーン学派や、J. ケージ以降のsilence(沈黙)や偶然性を取り入れた音楽でしたが、結局はロマン後期におけるマーラーやR. シュトラウス、コルンゴルトらの延長線上に、イギリスのイージーミュージックが生まれ、現在のJ-POP音楽までもが、西洋音楽におけるバロック時代の延長線上に位置づくこととなりました(十二音や偶然性を取り入れた“当時の”現代音楽は、結局、バロック時代の延長にいなかったからこそ一般化することはできなかったんじゃないかと個人的には思います。しかし、「新しいオンガク」を探究し、音楽の可能性を開発する上ではとても重要な取組でした)。
「音楽と効果」という言葉を出しましたが、これこそ、「勉強したらいいことあるかも!」な内容です(ここまでたどり着くために3000字かかったようです…本当にごめんなさい)。
「音楽と効果」は、おそらく、作曲家が最も考えていることのように思います(石丸さん、いかがでしょう?)。それは、どういう音を書いたらどういう風に伝わるか、ということそのものだからです。素晴らしい演奏家も必ず考えていることです。
ここでは一例を挙げるしかできませんが、いくつかを一緒に見てみましょう。
【テンポ】
「めっちゃ楽しい」というイメージを伝えたいならば、テンポは速い方がよいかもしれません。一方で、「悲しい」というイメージを伝えたいならば、テンポは遅い方がよいかもしれません。
【調性】
「穏やかな春」というイメージを伝えたいならば、長調がよいかもしれません。一方で、「死」というイメージを伝えたいならば、短調がよいかもしれません。
【音の強さ】
「怒り」というイメージを伝えたいならば、1つ1つの音を強く演奏する(アクセントをつける)とよいかもしれません。「和やかさ」というイメージを伝えたいならば、強すぎない音で演奏するとよいかもしれません。
【音色】
明るい音色は楽しさ、穏やかさ、平和、愛などのポジティヴな感情と結びつきがありますし、暗い音色は悲しさや怒り、悩みなどと結びつきがあります。
※音楽は音楽として独立して発達したわけではなく、演説や語りが原点でした。それを思うと、私たちの普段の生活の中にある音色を注視するように過ごしてみると、明るかったり暗かったり、中庸だったり、いろんな音色があることに気付くと思いますし、それに気づくと、自然と音楽にも活かすことができるでしょう。
実はこうした、表現したいイメージに対して、どういう音で表現するかということについては、バロック時代から試行錯誤がされ、彼らの発見は何冊も本として残されています。今日では「アフェクテンレーレ」や「音楽修辞学」というキーワードでヒットすると思いますし、音楽の認知心理学としても知られています。興味があれば図書館等で調べてみると、本が見つかると思います。
本で理論を学ぶだけでなく、具体的な作品を通して学ぶことでも、いろんなことが分かってくるかもしれません。教材として、僕のおすすめはヘンデルの『メサイア』ですかね。本当によくできた作品で、詩(聖書からの抜粋)の内容や、登場人物のキャラクター設定や感情が、音楽の表現と強く結びついていて、だからこそ、楽譜からテンポや音、リズムは読めても、その効果と結びつけて十分に作品を理解できていなければ、たとえ演奏できたとしても伝わらない演奏(俗に「つまらない」演奏)になります(ちゃんと演奏できるととても美しいし、とても楽しいし、とても神聖です)。聖書の理解が必須になりますが、苦労があったとしても、勉強しておいて損はない作品です。
まとめに入ります。
今回のお悩み「作品を通して伝えたいイメージをもって演奏しているのに、伝わらないと言われる」件は、演奏をする私たちにとって、ものすごく重要な内容で、これを深く考えずして良い演奏は無い、といっても過言ではないように思います(実際は、上記に書いたような単純なことではないのですが、入口としてご容赦ください)。
上記、2日間の大学業務のあとに残された体力での限界を感じる文章で本当に申し訳ないのですが、「どういう音の使い方をしたら何が伝わるのか」という、「音楽と効果」について考えてみること、そして「こうやったらこれが伝わるんじゃね?」というような実践を、毎回のレッスンやよびごえの稽古にて試す経験を重ねていってもらえると、”その悩み”は自然と解決に向かっていくのではないかと思います(とても重要な次の悩みに繋がっていくと思います。そして声楽の場合は「詩」がとても大きな働きをしていますので、ぜひ「詩」も勉強してもらいたいです。詩の世界(意味論だけでなく韻律や構造なども含めて)を、音楽の時間と空間として実現することが作曲家の技だったので・・・)。最も伝わりそうなテンポを探してみたり、1フレーズもしくは1曲の中で山はどこにもってくるのか(強弱)、DurとMollとで音色を変えてみたり…。「音色」が演奏効果を支配しますので、音色の探究もめっちゃ大事ですよね…。
➀心で作品を感じながら、「こうやったら伝わるかなぁ?」と考えながら演奏を“戦略的に”構成してみること、➁(音楽のことがよく分かっている)誰かに聴いてもらい、評価してもらうこと(フィードバックをもらうこと)、➂フィードバックを受けて演奏を再構成すること・・・、というこのプロセスを日常化していくことが効果的に思います。
「音色」の勉強については、前回の振り返りの時に、天才である改さんからヒントがあったと思いますが、音色だけについても、上記のように、➀~➂のサイクルを通して、いろんな音色のカードを増やしていくことが大切です。音色は、演奏者の心の豊かさであり、価値観の鏡であり、身体や楽器についてどれだけ知っているのかという知識の結晶でもあります。
さて、私は花世さんのお役に立てたのだろうか・・・。そういうことを聞きたかったんじゃない!ということだったら本当に申し訳ないです。…
05
January
2025
2025
【2024】よびごえ日誌 vol.17
こんにちは。ご無沙汰しております、4年一柳です。あけましておめでとうございます。寒い毎日ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか。さて、しだいに寒さを増す季節とは反比例に、よびごえ稽古は段々と熱を帯びてきて、この日は「あい」の歌詞解釈に入りました。「あい」は、先日お亡くなりになられました、谷川俊太郎さんの詩です。谷川俊太郎さんの詩には、音楽がつけられているものが非常に多くあり、JASRAC(日本音楽著作権協会)への登録楽曲数は武満徹の544曲や三善晃の1490曲、同じ詩人であればまどみちおの1290曲をはるかに上回る、2857曲(本学教授 中地雅之編著「声が世界を抱きしめます」参照)にも上ります。よびごえでこの曲を扱うことに決めたのは、谷川さんが亡くなられるよりも前のことでしたが、はからずも今回このタイミングで谷川さんの詩と向き合うこととなりました。谷川さんのご冥福をお祈りしながら、谷川さんが世に残されたこの作品と、しっかり向き合っていきたいと思います。
この詩は、ただひたすらに、「あい」について、谷川さんらしい簡潔な言葉で、短文を連ねていく形で綴られています。一見単純でわかりやすいようで、読み終わった頃にはよくわからなくなってしまう、そんな感じがします。すごく自分を重ねて共感することができるようで、でもどこか自分を超えたところにある気もします。だからこそ、一つひとつの言葉を何度もかみしめて、その中に垣間見える「あい」を浮かび上がらせたくなりますし、でも何度かみしめてもその像を決めきることのできないもどかしさに、考え続けたくなります。ふと、それが、「あい」の本質なのかもしれない、と考えたりもします。そんな詩です。
「あい」って、何なのでしょうか。私はまだ20代ですが、考えることがあります。小さい時には、周りの大人がよく使いたがる、大切にしたがる言葉、と感じていました。絵本にも、ディズニー映画にも、なんにでも大切なときによく出てくる言葉。そのときの私には、それがすべてであって、でもそれで「あい」の意味を知っているような気がしていました。「あい」は、「大好き」に似た、素晴らしいものなんだな、という印象でした。今、たった20年でも、人生が進むにつれて、色々な気持ちを味わって、「あい」という言葉が、前とは違ってみえる気がします。小さい時のようにポジティブ一色のようには今は感じられませんし、「大好き」とも異なる、より包括的な、大きなものに思えます。今の私にとっての「あい」は、小さいとき描いていたようなバラ色だけではなくて、きゅっと胸が痛むようなところもありますが、その代わりに加わった深みは前よりももっと、大切にすべきものに感じます。きっと、これからも少しずつ、様々な瞬間を経て、自分にとっての「あい」は変わっていくのでしょう。
私の名前には、最後に愛が入っています。そのせいで読みづらく、かつて恥ずかしいと感じたこともありましたが、今はなにより大切にしたい名前です。小田さんからいただいた、「この曲は私そのものでもある」という言葉の重みとありがたさを胸に、今の私なりに歌いきることができたらと思います。
団員一人ひとりの「あい」が重なり、交わって、どんな「あい」となっていくのか、楽しみに見守っていただけましたら幸いです。
それでは、団員の皆様、年明けの稽古でまたお会いしましょう!今年も皆様にとって、よい一年となりますように🐍🎍 一柳優里愛…
15
November
2024
2024
【2024】よびごえ日誌 vol.16
1年B類音楽の石丸徳と申します。今回私が初めてよびごえ日誌を執筆できることを大変嬉しく思います。
今回は春こんに向けて2曲目の「Nyon Nyon」(Jake Runestad)の稽古を致しました。私が初めてこの曲について小田さんから伺った際は、『きっとその可愛らしい題名に反してとんでもなく難解な曲に違いない』と確信しておりました。しかしながら譜読みを進めていく中で、この作品が見た目ほど難解な曲ではなく、むしろ明確な意図と方向性が窺える根源的な音楽であると感じるようになりました。
この作品においては「詩」という意味での歌詞は存在せず、その一つ一つの言葉は聴覚的な印象や音響的な効果が期待されて選ばれていると感じました。私が「Nyon Nyon」という音から感じた柔らかさも、この曲の素早く歯切れの良いテンポの中においては同一の発音を効果的に連続させる要素として働いてるのかもしれません。またこの作品は旋法的(H-ミクソリディア?)でありながら決して難解な和声が使用されている訳ではなく、むしろ主和音の保続と単純な和音交代によってある種のストレートさが表現されているように感じられます。そしてこの作品の大きな特徴として、詳細なデュナーミク指示と執拗な同型反復が挙げられます。この作品におけるデュナーミクの変化が与える音響的効果への影響は極めて大きく、合唱を1つの生命体のように活き活きとさせる作用が強くあるように感じられます。
上記のように申し上げましたが私はまだこの作品に触れ始めたばかりで、まだ消化どころか噛みきれてすらいないと感じています。これからの稽古の中でこの曲について皆さんと意見を交していけたら良いと考えています。
今回の稽古を通して議論になった点を箇条書きで下記の通りにまとめておきます。
・「Nyon」の母音の発音を「o」寄りにするか「a」寄りにするか。
・足踏み部分をどのように発音するか(本番の靴、舞台と併せて考えたい)。
・最後の1小節でブレスをするかどうか。
・最後の2小節間のテンポをどのようにするか。
・「ahh」ないしは「wahh」部分をどのように大きく発音するか(無声、h)。
・グリッサンドの開始点を記譜通りにするか遅らせるか。
さて、ここからは1曲目の「あい」(松下耕、谷川俊太郎)の話になります。
「愛という言葉に何を感じるか」という問いについて私なりの考えを述べたいと思います。
私は谷川俊太郎先生の詩の『愛 それは気持ちだけでもない(気持ちじゃない)』という部分に強い共感を抱きました。私にとって「愛」というのは感情的な部分以上に、むしろ例え感情と反していたとしても相手のために行動をしようとする「意思」あるいは「選択」のようなものであると考えています。よく結婚式などで『健やかなる時も病める時も愛すると誓いますか?』という文言を耳にします。結婚後に夫婦のお互いへの熱が冷めてしまうというのはよくある話ですが、相手を大切に扱う行動の根拠が自らの感情にのみある状態は「愛」としてあまりにも脆弱ではないかと感じてしまいます。私にとって結婚式の例の文言は「例えお互いへの熱が冷めてしまったとしても、夫婦として相手を大切にする選択をし続けると誓いますか?」と解釈でき、感情のみによらない普遍的な行動指針を持つことを期待しているようにも聞こえます。
ところで私はキリスト教を信仰しているクリスチャンなのですが、キリスト教においては聖書の中に『あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい』という言葉があります。そしてイエス・キリストは『むしろ自分の敵を愛しなさい』と説いています。私は敵対している人物を感情レベルで好きになることは難しいですが、それでも相手のために行動する選択と意思が「愛」であると考えています。もちろん「愛」に感情的な部分が存在していることを否定している意図はなく、そこに感情があるにしろ無いにしろ相手を尊重する行動の根拠を指す言葉として「愛」が解釈されても良いのではないかと考えました。
谷川俊太郎先生の詩では、「愛とは何か」という問いについて様々な可能性を挙げながら、ストレートな明言を避けているように感じられます。私の上記の主張も皆さんが「あい」という作品を解釈する視点の1つとして一緒に考えていただければ嬉しいです。 石丸徳…
28
October
2024
2024
【2024】よびごえ日誌 vol.13
こんにちは!2Aの小林です。久しぶりによびごえ日誌を書きます。現在よびごえは春こんの自由曲の一つとして「あい」に取り組んでいます。まっすぐな題からは想像のつかないような、複雑で歌うのが難しい作品です。ただ難しくはありますが、これから一体どんな音楽になっていくのか、とても楽しみでもあります。
この曲のテーマは読んで字の如く「愛」です。
『愛という言葉について、もしくは感覚について、みなさんはなにを思うでしょう』
ひとつ前の日誌で小田さんがこう問いかけていました。この問いの答えにはなっていないのですが、考えるなかでひとつ思ったことを書きます。
なにか作品に“感動する”とき、それは作品が表現している“愛”を感じているときなのではないか、ということです。
連続テレビ小説「虎に翼」ご覧になっていた方いらっしゃるでしょうか。今まで朝ドラは家族が観ていたのを横目でたまに観ていた程度だったのですが、「虎に翼」にはすっかり魅了されてしまい、スマホにNHK+を入れて毎日欠かさず観るほどでした。朝ドラのような放送形態の作品をお勧めするのはなかなかハードルが高いことは重々承知ですが、再放送などの機会がある時はぜひ観ていただきたい作品です。
日本で初めて法曹の世界に飛び込んだ女性が主人公のドラマなのですが、物語のひとつ重要な要素として「家庭裁判所の設立」が描かれています。
戦後の日本――外地から引き揚げてくる人々で道々は溢れかえり、家族は離れ離れ、親を失った大勢の子どもたちの非行問題が社会に暗い影を落としている中、滝藤賢一さん演じる多岐川幸四郎(モデルは「家庭裁判所の父」と呼ばれる裁判官の宇田川潤四郎)という人物が「愛の裁判所」の必要性を訴えたことから家庭裁判所は始まることになります。「愛の裁判所」とは一体?これから虎に翼を観るひとがどのくらいいるかはわからないものの、この期に及んでネタバレは避けたいので言及しませんが、その「愛」がドラマを通して伝わってきたとき、脚本のメッセージを確かに感じた時、心の深い部分で感動したのをよく覚えています。
何かに感動しているとき、それは朝ドラでも、映画でも、本でも、音楽でも、手紙でも、表現者の“愛”が伝わってくるときなのかもしれないと僕は思います。その愛が何に向いているのかは作品によりさまざまです。登場人物から登場人物へ、監督から観客へ、作者から読者へ、奏者から楽器へ、送り主から宛先へ、あるいは純粋な表現したいものそのものへ、作品の数だけきっとどこかに表現者の届けたい愛があるはずです。
だとするならば、感動できる音楽を届けたい僕たちができることは、きっと表現に対する愛を忘れないことなのではないでしょうか。愛のない演奏にきっと感動はありません。曲に対してでも、歌うことに対してでも、いっしょに演奏している人に対してでも、聴いてくれる誰かに対してでも、それぞれ表現の内に宿る何かに対する愛が、聴いてくれるひとの感動を呼ぶ大切な要素のひとつなのだと僕は思います。
表現を志すようになったその根幹にあったのはどんな愛なのか、何に対する愛が音楽を学ぶ自分を形作っているのか、よびごえで「あい」に取り組むいま、もう一度見つめなおしていきたいです。
終わります!お付き合いいただきありがとうございました。 小林翔人…
18
October
2024
2024
【2024】よびごえ日誌 vol.12
みなさん、こんにちは。小田です。今日から、後期の活動、春こんの稽古が始まりました。
今回の自由曲の1つは、詩は谷川俊太郎、曲は松下耕による「あい」にしました。
春こんでは、毎年、なんらかのテーマを設定して、選曲しています。あえて一言で表すならば、昨年は「願い」、2年前は「インドネシア」、3年前は「子ども」、4年前は「祈り」、5年前は「自然」、6年前は「沖縄」・・・といった具合です。
メンバー一人ひとりの顔を思い浮かべ、みんなとの思い出を振り返り、4年生と一緒に演奏できる最後の曲になることも考えながら、優しく、明るい、柔らかな現役メンバーとだからこそ一緒に取り組みたいテーマとして、今回、自然と思いついたのが「愛」でした。
愛という言葉について、もしくは感覚について、みなさんはなにを思うでしょう。
愛と言えば、特別な誰かへの思い、それは家族やパートナーに向けられるものもあるかもしれませんが、それだけでなく、大切な友だちや仲間への思い、好きなもの・ことへの情熱、もうこの世にはいない誰かへの思いもあるかもしれません。愛って、大切にしたい気持ち?なくなっちゃ困るもの?気がつくとあるもの?勇気や覚悟のいるもの?
愛とは何か・・・なんて難しいことは僕には分かりませんが、ただ、私たち人間が、紀元前もの昔からたしかに持っていたであろう気持ちや感覚なのだろうと思います。それは今を生きる私たちにも共通し、これからこの世界に生まれ出ようとする赤んぼうにも、生まれる前から、きっとたくさんの愛が向けられているのでしょう。
平成初期に生まれた僕の青春時代?には無かった言葉で、愛に近い最近の言葉として、「推し」をよく耳にするようになりました。
僕は未だに「推し」という感覚が分からないのですが、みなさんは実感できるものがあるでしょうか?
YOASOBIの「アイドル」が歌詞も音楽もかっこよくて、それきっかけで最近、「推しの子」というアニメを初めて見ました(シーズン1を見終えたところです)。嘘じゃない、本当の言葉を相手にぶつけることって、たしかに、簡単じゃないのかもしれません。僕からすると、親の目を見て「ありがとう」と言うのと同じくらいかもしれない、なんて思います。
憧れや夢、相思相愛ハッピーエンドだけでない、嘘、憎しみ、愛されたい、といった生々しさも描かれ、見ていて心の痛さも感じます。でも、たしかに、愛ってきれいなだけじゃないですよね。
昔からずっと好きなドラえもんの作品に「おばあちゃんの思い出」があるのですが、これも愛に満ちたお話です。いつまでもみんなが生きていることを当たり前のように考えやすいけれども、おばあちゃんもいつかはいなくなる、そうなる前に後悔の無いほどに「ありがとう」を伝えられているだろうか、と小学生ながらに考えさせられたお話でした。「のび太の結婚前夜」における結婚式前夜のしずかちゃんとお父さんとの会話では、自分が大切に思う以上に、相手から大切に思われている、ということもあるんだよなぁと気づかされました。
今回選曲した「あい」の谷川俊太郎の言葉に、松下耕の音楽に、みなさんはこれから何を見つけていくのでしょう。
今回の作品は、音が難しく、div.が多いという演奏上の難しさは確かに存在しますが、それを乗り越えた先に、とても大きな、大切なことを教えてくれる作品だと思っています。それは、いまのよびごえメンバーだからこそ気づけることであり、この作品を一歩一歩学び進めるごとに、1人1人がいままで以上に仲間と音楽を大切に思い、行動できる、最高のチームになってくれるといいなと、願っています。
最後になりますが、後期の動き出しのために、練習会場の確保や出欠確認、パート決めのために率先して動いてくれたり、みんなが迷わないようにと会場の地図を送ってくれたり、PCの準備、稽古場に早めについて鍵を開けてくれたり、稽古を録音してシェアしてくれたりなど、様々に動いてくださっているみなさん、本当にありがとうございます。
みんな、それぞれに大変さを抱えていると思いますため、決して任せっきりになることなく、学年関係なく自分にできることを探して、行動してもらえると嬉しいなと思います。それは、目に見える仕事でなくとも、音取りがしっかりできてると誰かの歌いやすさに貢献できるかもしれませんし、疲れてそうな人がいればさりげなく声をかけてくださるのも素敵だなと思います。「ありがとね」の一言で、救われる人もいるかもしれません。
あと2回の稽古で「あい」を通せるようにするぞー!!!おー!!! 小田直弥…
20
August
2024
2024
【2024】よびごえ日誌 vol.8 夏休み番外編
みなさん、こんにちは。小田です。昨日の勉強会に参加された皆さん、本当にお疲れさまでした!音源はまた後日もらえるものでしょうか?勉強会そのものの企画・運営をくださった室伏さん、小林さんをはじめ、参加団体の皆様等、すべてのみなさんに、感謝しています。こうした機会をつくってくださったこと、本当にありがとうございました。
さて、今日は、よびごえ初の試みとして、東京を飛び出し、とある高校のコーラス部さんの練習を見学させていただきました。今回のよびごえ日誌では、そのことについて綴ろうと思います。長くなると思いますが、僕の記録のためにも、感じたこと、考えたことの一部分を書き残したいと思います。
昨日、一足先に高校さんにお伺いし、稽古を見させていただきました。最初に目にしたのは、部活が始まる前に筋トレをしていたり(僕が見たのは腹筋)、楽譜を見ながら確認している姿だったり、小さなキーボードを持って1人1人が発声練習をしている様子でした。音楽室のこの感じ、「なつかしい!」というのが真っ先にありました。ノスタルジックな書き方をしたいわけではありませんが、高校生の頃、僕は一日中合唱について考えていたと言っても過言ではないくらいに、合唱が大好きで、授業中も、内容に不安が少ない教科については、「今日のパート練で何やろうかな」「あそこが歌えてないからもう少しこうしたいんだけど、どうやったら声が変わるんだろうか」と、そんなことを考えながら、窓の外を眺めていたことを思いだします。部活後の音楽室も好きで、男声でパート練をしていると「はよ帰らんかい~」と言われて帰っていたのを覚えています。大学にいると忘れがちな、現場の「匂い」とでも言いましょうか。大学の講義や教科書、論文には無いリアルです。
発声練習は、その流れが身体に染み込んでいるスムーズさで、無駄がなく、発声練習後は、ペアになっていた先輩が後輩に助言をするという、「教える」活動が組み込まれていました。「教える」ことには、知識も技能も求められますし、その人の言うことを聞こうという信頼関係も求められます。とりわけ、パート練を引っ張っている生徒さんは、声楽のアカデミックな用語をかなりご存じでいること、また自身の声について、課題と改善を明確に言語化できているのが印象的でした。
「響きを高く」「落とさない」、これは先生が繰り返しおっしゃっていた言葉です。とにかく生徒一人一人がより良い発声を目指しているし、その意識が徹底されていることが、なによりも素晴らしいと思いました。2日間の見学を通して、「より良い発声を追究し、声を使いこなすことが部員の仕事」、「より良い声と音楽を導き、モチベーションや心を支えることが先生の仕事」、それぞれが良い仕事をしたいと高みを目指している、そんな会社のようにも感じました。
僕にとって、今回訪問させていただいた高校さんは、特別な思いがある高校さんでした。高校生の時から、今に至るまで、18年くらい、ずっと頭にあり、録音や映像で拝見していました。高校の頃は、電車で40分くらいかけて通学していたのですが、MD、それからMP3プレーヤーなるものが流行っておりまして、合唱曲だけのMDや、MP3プレーヤーのリストを作って、その高校さんの演奏を、毎日、何回も何回も繰り返し聴いていました。
「やっぱり生は違う」。そんな当たり前のことですが、言葉では足りないほどの大きな感動がありました。思い出補正もあったのかもしれませんが、音楽室に響いていた音楽は、決してコンクールのための音楽でない、誰かの心に届けるための音楽だと感じましたし、大きな愛のある音楽でした。
さて、部活動の始めから終わりまでの流れについても、勉強になるものがありました。体操は無く、早速に➀発声が始まり、➁パート練からの➂全体練、コンクール間近ということもあってか➃録音通しからの➄返し練、⑥事務連絡等を済ませたら、最後は⑦自主練時間があって解散というものでした。
個人的な注目は、体操が無いことと、最後に自主練時間が予め組み込まれていることでした。体操は、多くの学校で形骸化しやすく、また運動部の筋トレや、体育の授業の準備運動をそのまま持ってきているような学校もあるため、生徒の中で、体操をやることと歌が上手くなることとがどのように関係しているのかを実感しづらいという点で、取り扱いが難しい活動だと感じています。その点で、どんな体操をしているのかな、と気になってはいたのですが、まさか、無かったので、「合理的!」と僕の中ですっと理解ができました。別に、体操があろうがなかろうが、ちゃんと中身の濃い活動していればいいんだ、というように捉えました。
最後の自主練の時間は、きっと、その日の学びを自分の力で整理したり、発展させるために設けられていたんだと、推測しています。そう考えると教育学的にはとても合理的です(学びの定着)。「今日もやりきった!終わった~」ではなく、「今日言われたことを整理して帰ろう 分かんなかったら先輩や先生もいるから聞いて、分かるように/できるようになってから帰ろう」、そうしてまた次の部活の前に自分一人で復習して、発声➡パート練➡全体練をして、また一人で整理、発展させる・・・こうしたサイクルは、非常に勉強になりました。大学生でこれをやろうとすると、「活動終わったからかーえろっ」となってしまうような気もしますが、よびごえのみなさん、後期の活動から試してみるのはどうですか…?
自主練の時間が終わっても、先生に質問をしていたり、次の部活に向けて打合せをする姿もあったり、音楽室が閉まっても、廊下でその日の指摘事項を一緒に声を出しながら確認していたり……、ずっとどこかで歌声が聴こえ、真剣さと穏やかさの入り交じった空間でした。
ここに書ききれないのは、あの、圧倒的な「響き」でしょう。
練習を見させていただきながら、春こんの時に、ほぼ毎年僕が「いま何割ぐらいで歌ってる?8割か9割にして」と言っていることを思い出していました。「ここは音量記号はピアノだけど、和音を鳴らさなきゃ」「もっとしっかり出して」と先生がおっしゃっていたことも、「そうなんだよな、息が流れて声量がある程度ないと、和音って鳴らないんだよな」と、共感していました。完全音程をしっかり決めたり、子音や母音のトーンをそろえることで和音が鳴る土台(準備)ができていれば、あとは声が正しいポジションに入れば、和音は一気に鳴り始めます。それが曲のエネルギー(legato)と重なると「音圧」という、ビリビリ、というものを体感できるまでに空気が鳴り始めます。よびごえのみなさんも、「音圧」のある合唱を、毎年春こんでは経験できていると思いますが、「もっとできる」、そう思いました。少人数でも鳴らすことはできるので、ここは僕の宿題でもありますし、みなさんと一緒に、もっと合唱の可能性を探してみたいポイントでもあると思いました。
ここで私たちが一緒に考えたいのは、「教師に求められる力とは何か」、ということです。
今回は、先生ご自身が声楽についての高度な知識・技能をお持ちでいらっしゃり、男声女声問わず、「人体の構造」という共通点から、発声をご指導されていました。僕個人の経験として、声楽は極論、男女問わず「身体をあけて息を流すだけだ」と習ったこともありますが、細かいことはさておき、つまりはそういうことなんだと思います。息の方向や、頭の中での母音のポジションのイメージを間違えると、声は平べったくなり、響きもきつくなりますが、十分に息を吸い、吸った通りの道を通って息が流れ出て、その道沿いに母音を置き、目の方向へ、それから前へと、どんどん息と母音が流れていけば、声は柔らかく、頭蓋骨全体がまろやかに響きますし、それは男声も女声も違うことはありません。そんなことを、ものすごくシンプルに、実演とともに要点をおさえてご説明されている先生のお姿から学ぶことはものすごく大きかったです。
こうして書くのは簡単ですが、これについて、それができるようになるまでにどういった困難さが起こりやすいのか、ということを予測して、それら1つ1つへの対処法をカードとして持っていくことが、まずは教師の力と言えますね。例えば、「なかなか声が前に出ないとき」「声のポジションが低くこもっているとき」「あごや舌の力が抜けないとき」「高音における息のスピードが遅いとき」「一番低いバスの低音が散ってまとまらないとき」にどんな手立てをもって関われるか、みなさんだったらどう指導するでしょう(これらはこの2日間で実際に相談を受けたものでした)。短時間で解決できるようなものはさくっと直してしまうのがベストですが、なかには筋力が必要なものや、感覚の洗練が必要なためにどうしても時間がかかるものもあります。その場合は、できるようになるまで介入し続ける必要があります。重要なこととして、小学生だとしても、高校生だとしても、声に関わる以上、健康に問題を起こしてはいけません。「声とその学びに関する正しい知識と判断力」が、教師には求められています。
教師の力は、そうした声に関する知識や技能だけではなく、作品の解釈やそれを伝える指導力、また生徒の目線で相談しやすく、受け止めてくれるような包容力もあるのではないかと思います。知識や技能を超えて、人間性までをも言い始めると、人それぞれという議論に陥りやすいですが、しかし、結局は、人となりこそがその場の雰囲気のベースとなることは否定できないのではないでしょうか。加えて、知識や技能に基づく的確な指導と、コンクール等における外部評価も総合して、教師と生徒との間に確かな信頼が構築されていくのではないかと思います。このような人となりや信頼の構築も、教師の力として捉えておきたいです。
よびごえのみなさんが、大学生のうちにできることは、まずは「発声に関する確かな知識と技能を学ぶこと」、そして「1曲でも多く、様々な合唱曲をしっかりと勉強・演奏すること」だと思います。それは声楽が専攻であるかどうかを抜きにして考える必要があります。なぜなら、これからみなさんが未来に出会うであろう児童・生徒からすると、みなさんが何専攻だろうが関係ないからです。先生は先生なのです。
最後になりますが、この日誌を書いている僕が、いま強く感じていることは「責任」です。冗談でなく、いつかこの先、「昔の人は部活で合唱やってたらしいよ」という時代がやってくるのではないかと危惧しています。そもそもの日本国の人口減少問題もありますが、おそらくコロナや部活動の地域移行の影響を大きく受けた合唱人口の減少があり、1980年代ごろから今日に至るまで、合唱界は、大規模から中規模、小規模へと、どんどん縮小してきた歩みがあります。コンクールの是非が議論としてあるのはいったん横に置いたとして、コンクールが成り立たないほどに日本国における合唱分野の縮小が起きたとき、そのあとは急速に合唱分野はかつての活気を失っていくことになろうと思います。そんな未来が来ないと良いなと思いますが、30年後(2054年)、というリアルな数字もざっくりと頭には浮かんでいます(よびごえのメンバーは、まだ現役で働いているはずですね)。
そこで考えなければいけないのは、「合唱は生徒の何を育てていたのか」という、合唱の教育としての価値(意義)なのだと思います。合唱という活動の価値を整理し、説明・説得できなければ、守る必要のない活動になるため、社会の流れに従って、自然消滅することになるでしょう。
今回訪問をお許しくださった高校の生徒さんを見ると、合唱をしたからこそ開発された知識や技能、態度は、非常に多くあったのではないかと考えています。それが、将来どのように活かされ、接続されるのかということはいったん横に置いて考えるのが良いと思いますが(なぜなら来るべき将来で求められる力は常に変化しているから)、「合唱を通して何が育ったのか」、この問いを持ちながら、今日の見学を振り返ってもらった時、みなさんの頭には何が思い浮かぶのでしょうか。またぜひ教えてください。 東京学芸大学で学んだみなさんが、これからの日本国の合唱と教育の最先端に立ち、全国の児童・生徒と、価値ある合唱活動をしていってほしい、そうしたみなさんの学びを支え、応援することが僕の仕事ですし、責任でもあると思っています。これは、とてもとても重い仕事ですが、これからの日本国の合唱と教育を考えたときに、ものすごく大切な仕事だと思っています。
そんなことを言いつつも、どうか引き続き、気を張らずにのびのびと合唱と教育を学んでいってもらえればと思いますが、「合唱を通して人を育てること」を、みなさんとの実践を通して、もっと一緒に考えていけると嬉しいなと思っています。
今日一日、本当にお疲れさまでした。
また後期に元気にお会いしましょう! 小田直弥…
19
July
2024
2024
【2024】よびごえ日誌 vol.6
まずは、よびごえ日誌が大変遅れてしまったこと、お詫び申し上げます…すみません。今回の日誌は、4年一柳です。最近は毎日溶けそうな暑さですね。さて、だいぶ前になってしまいましたが、7/19の稽古では、主に、今取り組んでいる「あの空へ~青のジャンプ~」のGの部分について自由に話し合いました。この部分の楽譜には、「76小節から83小節のスキャットの言葉(歌詞)は自由。ハンドクラップやフィンガースナップを加えたり、アドリブでソロを加えてもよい。」とあります。この曲には“Shout”と書かれた部分もあり、この時代の合唱の課題曲にしては斬新な、いろいろな意味で自由さがある曲になっています。当時のNコンのYouTubeなどを見ても、ダンスをしたり、歌詞を加えたり、即興的なソロを入れたり、それぞれの学校の個性が光っています。そこで、よびごえでも演出を考えてみようというわけです。なんの枠も設けず、本当に自由に話し合った結果、地声で叫ぶ人を作ったり、ハイタッチを入れたり、ボイスパーカッションを入れたり、言葉を変えたり、指パッチンしたり、さらには舞台上を大移動したりとあらゆる案が実現されました。時代が進み日本でも色々な合唱曲が生まれたとはいえ、今でもある程度のかっちりさや楽譜への忠実さを求める傾向のある日本の合唱という活動では、異色の活動だったのではないでしょうか。よびごえではかつて、インドネシア語の曲を歌ったとき、衣装を作り、メイクをし、踊りを踊った懐かしい思い出がありますが、その時はやはり曲の背景をよく考えた上での、ある程度の文化・時代的忠実さを求めた結果の総合表現だったので、今回ほど創造要素が強いものは少なくとも私の知っている限りは、やはりなかったのではと思います。慣れない活動に、最初は何から考えたらよいものか戸惑いを感じていた団員たちでしたが、やってみると意外とノリノリで楽しんでいました。自分の主体性を発揮できるって、戸惑いや恥ずかしさを感じることもありますが、楽しいなと思います。
音楽演奏というのは、基本的には再現芸術といわれています。しかし再現の過程で、演奏者の個性が加わり、それぞれの演奏が生まれていきます。作る主体と演奏する主体の比重(?という表現が正しいかはわかりませんが…)は、曲のジャンルによって様々で、クラシックであれば作る主体の比重が非常に大きい気がします。一方、民族音楽やジャズアレンジなど、世界には演奏する主体の比重が大きい音楽も多くあります。日本の学校音楽は圧倒的に、再現的な要素が強い音楽が多い気がしますが、その是非や、演奏する主体の比重が大きい楽曲を学校で扱うときの扱い方についても、今後考えていきたいと感じました。
最後に余談ですが、先日Nコンの東京予選を見に行きました。興味+自身の指導する合唱部で、来年度Nコン出場の話が出ていたこともあり見に行ったのですが、大切なよびごえの先輩が指導者として指揮をする姿、伴奏者として出ている姿、よびごえとして指導に行った学校さんが素晴らしい演奏をしている姿を見て、心を動かされたとともに、時の流れを静かに感じていました。(ちなみに、しっかりよびごえの後輩ちゃんたちとも遭遇しました笑)
わりと毎度になりつつある気がしますが、今回も長文ですみません。期末に書くと、大学の期末レポートの癖が抜けず気づいたらそのくらいになっちゃってます💦
お読みくださってありがとうございます。それでは皆様、暑さに溶けないように、涼しくしてアイスを食べたりもして、素敵な夏が過ごせますように🌻 一柳優里愛…
05
July
2024
2024
【2024】よびごえ日誌 vol.5
こんにちは◎2年の小林です。7月5日の稽古記録として、ひとつ日誌を残そうと思います。
今回は、現在取り組んでいる2曲のうち「僕が守る」の歌詞解釈に重点を置いて稽古を行いました。
“歌詞解釈”はよびごえの特徴的な活動のひとつであると僕は思います。歌詞について、曲の背景について、よびごえメンバー同士で考え話し合う-決して多くはない稽古の時間を歌の練習以外に使うというのは、ひとによっては抵抗を感じることかもしれません。実際僕も、よびごえに入る前まではいわゆる”練習至上主義”で、結局のところ練習の質と時間が演奏に直結する!!だからとにかく練習しよう!!!という考え方の人間でした。先に断っておくと、いまでもそれは大きくは変わっていません。大きく変わってはいませんが、よびごえの話し合い活動の有効性は確かに感じています。どんな風に有効で合唱が良くなるのか説明するのは難しいですが、少なくとも楽譜を読む視点が増えることは間違いありません。
以下、小田さんが送って下さった【「僕が守る」の詩の大枠を掴むための観点】を書いておきます↓
1.この詩って、「僕」目線の、「僕」と「君」の物語と言えると思うけど、「君」との関わりの中で、「僕」はどういう人でありたいと思っているのか?
2.詩の中に4回登場する「君」は、同じ人?それとも違う人?
3.つまるところ、この詩の持っているメッセージってなんなんだろう?(みなさんが演奏を通して、お客さんに伝えるべきメッセージ)
僕のグループでは出てきた他の話題から詩を考える時間も少しですがありました。印象に残ったのは、「『守る』とはなにか?」という話題です。誰かを命の危機から救うことは「守る」ことかもしれないけど、そんなことはいま生きていて起こることではない。でも僕たちはきっと誰かに守られているよね、それってどういうこと?そばにいることは「守る」こと?などなど色んな意見が出ました。
この詩の解釈における、好きだなと思った捉え方は「守る」ことは「肯定する」ことである、というものです。詩にでてくる「僕」は、想いや考えを誰にも認めてもらえない中(心細くて伸ばした手がどこにも触れない時)、「君」に認めてもらえたことをずっと憶えている。第三連からも、壮大な「肯定」であると読むことができる。そして最後(次は僕が 誰かを守りたい)、きっと「僕」は「君」のようにだれかを肯定して、受け入れられるひとになりたいと思っている。詩に触れるひと誰もが「僕」にも「君」にもなり得る、この詩の解釈として個人的にとてもしっくりきました。いっしょに話し合ってくれたななみんとめいめいのおかげです。
文章で説明するのは難しいですが、こういった話し合いの活動が有効になるのは「全員お互いの顔と名前が一致する関係であれる人数規模であること」、そして「音取りという作業にそれほどの時間を有さなくてよいこと」は少なくとも必要かなと個人的に思います。練習への取り入れ方は考えものです。
気取った堅い文章を書いてきてしまいましたが、最後にこれだけ書いて締めようと思います。
よびごえの話し合いはとっても楽しいです。これに尽きる、まで言ってしまうと大袈裟ですが、これからも大切にしていきたいなと心から思います。ここまで読んでくれてありがとうございました◎
小林翔人…
21
June
2024
2024
【2024】よびごえ日誌 vol.3
みなさん、こんにちは。小田です。前回のよびごえ日誌では、次回は新喜さんがご担当くださることになっておりましたが、今日は僕が書きたい!と思い、私の方で書かせていただくこと、申し訳ないです。新喜さんのよびごえ日誌を、ぜひまた楽しみにしていただけると嬉しいです😌
さて、今年度のよびごえは、新しいメンバー6名をお迎えし、8月19日に東京学芸大学芸術館で開催される本番に向けて、稽古を開始しています。
演奏曲は2曲です。
「僕が守る」(作詞:銀色夏生、作曲:上田真樹)
「あの空へ~青のジャンプ~」(作詞:石田衣良、作曲:大島ミチル)
この2曲の共通点は、いずれも、NHK全国学校音楽コンクール高等学校の部の課題曲だったことです。しかしこの2曲は、「合唱」において、ずいぶん異なる魅力をもった作品だと思っています。この2曲について、それぞれを解説したい気持ちがとてもありますが、今日の稽古に焦点を当てて、書きたいと思います。
今日は、新体制になってから、4回目の稽古でした。
2曲とも、音とりの段階は終わり、今日は「青のジャンプ」のスキャット部分で何をやるか、ということを研究したり、話し合ったり、試してみたり、という時間でした。
活動の流れは以下の通りです。
19:00~19:05 発声
19:00~19:20 女声・男声別 「青のジャンプ」の復習
19:20~19:35 全体 練習
19:35~19:50 「青のジャンプ」のスキャット部分の映像を10団体分見てみる
19:50~20:00 2グループに分かれて話し合い
①どこからどこまで、スキャットをする?
②具体的に何をやる?
20:00~20:15 全体 話し合った内容のシェア
20:15~20:20 全体 王道のスキャットを試してみる
20:20~20:30 全体 最初から最後まで通してみる
20:30~21:00 振り返り
今日の活動で特筆すべきは、スキャットの話し合いの内容でしょう!
グループ1,2の意見は次の通りでした。
グループ1
・72~83小節までが自由に動く範囲かなぁ。
・72小節~予兆があって、74小節のShout!でスイッチが入って、76小節~自由にって感じ?…
12
May
2023
2023
【2023】よびごえ日誌 vol.1
こんにちはお久しぶりです。3年A類の丸です。遅くなってしまいましたが新歓稽古、新歓コンの日誌を担当させていただきます。それよりもまず、今年度団長は私と大野になりました。この場をお借りして挨拶させていただきます。まだまだ新体制になって慣れないことばかりですが、執行代で協力して参りますのでよろしくお願いします。
そして、今回の新歓稽古、新歓コンにいらしてくれた新1年生のみなさん、何より私たちの演奏を聴いてよびごえに入団してくれたみなさん、本当にありがとうございます!これからみんなで新しいよびごえのハーモニーを奏でていきましょう。
それでは本題に移らせていただきます。まずは新歓稽古について。今年度の新歓稽古では相澤直人先生の「ぜんぶ(卒業式バージョン)」を取り扱いました。この曲を扱うのは私がよびごえに入団して2回目でしたが、歌う度にその時の境遇や生活環境で歌い方が変化するので、何度勉強しても面白い曲だと思います。感情についての歌詞が書かれているため、その時々の感情に少しばかり左右されてしまうのかなと(浅はかな考察ですみません)。
1回目の新歓稽古では「繰り返しをどう表現するか」という問いから、繰り返しの「大切なものはぜんぶここにある」の p を最初とどう表情を変えるか考えました。私は、最初が他者に自分の大切なことを伝えていて、繰り返しは自分自身に言い聞かせているようなイメージを持ちました。語りかける距離が違うような感覚です。他にも噛み締めているのではないかと言う意見や、広さが広いところから狭くなったなど、たくさんのイメージや意見が出て、面白かったです。さすがよびごえだなぁと実感しました。来てくれた1年生は曲にしていない歌詞にまで着目して意見を述べてくれて、ほんとに初めて参加したの!?と思うほど考えがまとまっていました。私が入りたての頃はなんとか意見を言うことで必死だったので、本当に感心してしまいました。よびごえの活動が凝縮されたような、新1年生にとっても私たちにとってもいい新歓稽古になったのではないかと思います。
ここからは新歓コンについて。新歓コンではここ最近お馴染みの「白日」そして中学校の合唱コンクール等では定番の「時の旅人」の2曲を歌わせていただきました。こちらの練習は団員みんな忙しい中時間を見つけて隙間時間に集まって練習しました。忙しい中協力してくれた槇さん、藤原さん、本当にありがとうございました。
「白日」はやはりいつもポップス×合唱の難しさに悩まされます。ポップスのビート感は感じ取りつつ、発声は合唱っぽく。16部音符の細かいリズムをうまく捉えて和音をはめるのはとても難しいなと改めて感じました。ですが何度も練習した曲なので、ポップス特有のノリと勢いでうまく歌い切れたのではないかと思います。「時の旅人」は直前の稽古まで重点的に和音をきめることを練習しました。子音を発する時からすでに次の音をイメージし、子音の段階で音を鳴らしているようなイメージ。そして階段のように音程関係をはっきり意識して歌うこと。この2点に気をつけるだけで音程が格段に良くなりました。また自分が和音のどの音を歌っているのかを意識する。これもやはり大切なことだと改めて感じました。新1年生が歌ったことのある、聴いたことのある曲だからこそ基本が疎かになってはいないか、当たり前ができているかを聴かれてしまうなと思いました。本番ではどちらの曲も練習通りに歌い上げることができたと思います。来てくださった1年生が私たちの「白日」と「時の旅人」を聴いて、少しでも思うこと・考えることがあったら嬉しいです。
これからは新体制で合唱祭に向けた稽古が始まります。昨年度とは違うよびごえの色に期待しつつ、自分がやるべきことを全うしていきます。そして団長としてよびごえを引っ張っていけるよう精一杯頑張ります。今年度もよろしくお願いいたします。 丸大喜…
21
April
2022
2022
【2022】よびごえ日誌 vol.3
こんにちは! 今回のよびごえ日誌を担当するのはA類音楽2年の大野菜々です。今回は2回目の新歓でした。参加していただいた方々、本当にありがとうございます…(涙)
一般的な合唱団とは少し風変りな活動をしているよびごえですが、体験という形で参加していただくことで、1つでも発見を得ていただければ嬉しいなと感じています。個人的にはその楽しさにハマったらもう合唱の楽しさから抜け出せないような気がしています(笑)
さて、今回の稽古は主に詩の解釈、そしてそれをどのように技術に還元するのかという点についてをテーマとした活動でした。とはいっても、私が入団してからそのことばかり考えている気がしますね。稽古中に何気なく小田さんから与えられる課題に対して、1年前の私はあっぷあっぷしていたことを覚えています。周りの先輩方が素敵な意見発表しているのを見て、かっけえ、、、と思ったものです。また毎度のことではありますが、小田さんから与えられる疑問が毎回新鮮で、その視点の多さに驚かされています。自分が合唱指導に携わる際に、子ども達にそういった疑問に気づいてもらえるような稽古ができるのでしょうか… まだまだ人生経験が足りないような気がしています。よびごえ歴も1年程度の私ですが、この期間で様々な視点を手に入れることができました。自分の成長を感じる一方で、もう1年もたってしまったのか、と時の流れの速さを痛感しますね。
余談が過ぎましたが、ここからは今回の稽古で考えた問いについて記録します。
前回の「ぜんぶ」の稽古でも詩の解釈を行ったので、今回はその続きのような内容でした。今回与えられた課題は、【さくらももこの詩では繰り返されていない部分をどうして相澤直人は曲にする際に増やしたのだろう】という問いでした。2回繰り返される、というのはあらゆる分野においても製作者の強い意図を感じるポイントです。相澤直人はどういった思いでこのパートを作曲したのか、という点を考察しました。
そして次に考えるべき点は、じゃあ私たちはどのように演奏を変化させようか、という技術還元についてです。前回のよびごえ日誌でもあったように、音楽を作るうえでは雰囲気、ニュアンスを漠然と捉えるだけではなく、一歩踏み込んだ技術のことを考える、この過程が非常に重要です。
私はあまり合唱団に所属した経験が少ないので、中高の合唱コンクールでの経験を参考にしますが、学校での合唱指導では特に精神論が多かったように感じています。それは歌うことが自分の身体を使う技術という側面を持っているので、自身の気持ちが少なからず反映されるのは事実だからではないでしょうか。音科の学生さんの中でも「恋が自分の音楽に影響をもたらす」「天気が悪いからこの曲やりづらいな」などの意見がちらほら出ているのを日常的に耳にします。何なら私がその代表格です。天気が悪い日はレッスンだってうまくいかないし、雨が降っている時は調子が出なかったりします。でも、それってとても危険なことではないかな、と最近うすうす気づいてきました。例えば、学校の合唱コンクール。ここは明るい気持ちで歌おう、ここは寂しい感じだよね、事前にこういった打ち合わせをしたとして、いざステージに立ったら、緊張、焦り、そんな感情に支配された音楽が進んでいく。こう言った場面はきっとありふれた事例だろうし、気づいたころには本番は終わっていた経験は私にもあります。そんな事態を防ぐための対策が、私たちが常に向き合っている技術還元なのではないでしょうか。私は感情をそろえたうえで、どのような技術を用いることがふさわしいのかを考察し練習を重ねることで、より再現性のある合唱が可能になるのではないかと考えました。本番が終わった後に練習の成果を発揮することができたと思えるような合唱を披露するためにも、自分たちが感じ取ったものをどうやって技術に落とし込むのかを考えていく必要があるな、とよびごえでの経験を通して強く感じています。
私は常々音楽って不思議なものだなと感じています。音を通して作曲者が表現したかったものを感知したり、演奏者の表現したい情景を察知したり。誰にだってできる「音楽を発する」行為は実はものすごい情報量を抱えています。これが解析できるようになったら、音楽を通してのコミュニケーションがもっと実用的なものになるんじゃないかって思ってみたり。音楽は言語を用いないコミュニケーションツールだ、みたいな意見を耳にしたことがある気もします。誰かの演奏を聴いて、何かを感じる。当然のようだけど感じ方が文化によって違ってたり、逆に同じ文化には同じような傾向で伝わったりしそうですね。同じ情景を表現するにしても、日本人向けの演奏とアメリカ人向けの演奏が大きく異なったりするんでしょうか???
などと、これ以上は私の思考に収集がつかなくなってしまうので終わりにしたいと思います。自分の意見ばかり含んでしまったので、読みづらいものになってしまったかもしれません。よびごえでの自由にとことん甘えさせていただきます。
次回のよびごえ日誌は、2年A類の丸さんにお願いしました!! 大野菜々…
14
April
2022
2022
【2022】よびごえ日誌 vol.2
こんにちは!A類音楽3年になりました、原田綾乃です。1回目の新歓を終えて、今回は新歓コンに向けての稽古でした。
今年の新歓コンでは、「春に」「彼方のノック」を演奏することになりました。春こん。から一転、両方とも日本語で、広く知られた曲です。客席の誰かにとっては中学校の授業で歌った曲だったり、違う誰かにとってはNコンの思い出が蘇る曲だったりするのかもしれません。稽古ではそんな2曲をよびごえらしく演奏できるように紐解いていきました。
以下稽古内容(と語り)です。
発声練習では、ハミングでブレスとポジションの確認、ア母音でポジションと息のスピードの確認、短い音で当てる練習をしました。22年度から私が発声練習を担当することが多いのですが、高校の時から弾きながら+聴きながら自分も発声、がなかなか難しくて苦手だなあと思っています。指導の引き出しを増やしながら、いろいろを同時にこなす技能も身に付けられるよう頑張ります!
その後パートごと音程の確認をして、全体稽古をしました。
○春に
まず、完全5度・4度をはめる、3度のキメはアルトが低くならないように、など細かい音程の確認をしました。気持ちよくきまるように、周りを聴いて丁寧に歌いたいです。
表現については、しかし しかも そして の3つの接続語の子音Sの表現について、ただ子音を出すだけではなく質感をcresc.とリンクさせることで歌詞の解釈とつなげる、ということをやりました。
何度歌っても、詩を読んでも新しい気づきがあって、改めてこの曲の深さを感じます。私は春になると新しさへの緊張や不安にばかり囚われてしまうのですが、この曲を歌っていると、なんとなくそわそわしたり、ドキドキしたりする気持ちのゆくえや変化、複雑さや多面性を、純粋に、そのまま感じていられる気がします。
○彼方のノック
今回の稽古では、全体の音やリズムの確認(伴奏とも初めて合わせをしました!)をしたあと、パートごと詩の解釈をしました。
廊下、扉、あなたとわたしとは何のメタファーなのか?
「ここから出して」〜「近づいて」は誰の言葉?
といった問いについて、
・「あなた」は「わたし」が認知していない「わたし」
・「あなた」は変化した先の「わたし」
・ここから出して どこかへ行きたい はあなた(変わった後)で、近づかないで でも近づいて はわたし(変わってしまうことへの恐怖)
というような意見が出ました。
そんな解釈を経て、歌い始めの表情は息を多めに使って表現することや、「駆けて」が2回繰り返される部分の必死な様子はkの硬さや強弱で表現できること、Cの転調、強弱の不安定さから“動き出した感”を出すことができるといった、具体的な演奏技術に還元させていきました。昨年度は技術的還元にたどり着けないことが多かったので、今年度はどうしたら伝えられるか?を1回の稽古で1つでも自分から見つけられるように頑張ります。
最後の振り返りでは、Nコン課題曲という先入観が歌詞の解釈の幅を狭めているのではないかという話が出ました。稽古の度に彼方のノックが好きになっている私ですが、コンクールというものに向き合うのがとても苦手なので、きっと彼方のノックにも“Nコン課題曲”というフィルターをかなりかけてしまっていたな、と思いました。私が高校時代にやっていた歌詞解釈も、「こういうテーマだから、こういう風に解釈させたいのではないか」とコンクールらしさのようなものを目指していたのかもしれないし、私が歌詞解釈とはそういうものだと思い込んでいたのかもしれません。
わかりそうでわからない、答えのない詩の世界観に熱をもって歌うこと、それをお客さんに伝わるように冷静に技術でコントロールすることを、どんな曲でも忘れずにいたいなあと感じた稽古でした。
いつも長くてすみません。新歓コン本番に向けて、頑張っていきましょう!
次回の日誌は2年生の大野さんにお願いしました!
原田綾乃…
07
April
2022
2022
【2022】よびごえ日誌 vol.1
よびごえの2022年度がはじまりました。vol.1のよびごえ日誌は小田が書きたいと思います。
今日は新入生の稽古見学(新歓)でした。
新入生の皆さん、ご入学をおめでとうございます。
新しい生活や学び、仲間にわくわくしていることと思います。
新しい何かに取り組むとき、自分が変わろうとするときは、葛藤や整理が必要だったり、疲労を要することもあるかもしれません。でも、その引き換えとして新しい思考や行動、またそうした習慣が獲得され、ゆるやかに新しい自分が形成されていくのだと思います。いまのよびごえメンバーに僕が何か貢献できているかと問われると、僕自身がもっと勉強しなきゃと反省が先にくるのですが、それでもこのよびごえという場がメンバーそれぞれの思考や行動を刺激し、お互いが変わり続けられるエネルギーの健康的な循環が存在しているようにも思います。
「学校の先生になる」という目標から逆算して「合唱指導ができるようになりたい」という意思でも良いですし、学校の先生になるかどうかは別として「合唱と向きあってみたい」という意思でも十分です。自分の能力はいったん不問として、自身の興味の有無で、よびごえをご検討ください。
さて、ここからは新歓1日目の記録と小田の語りです。
曲は2年生以上が決めてくれ、新歓で1年生と一緒に挑戦してみたい曲として「ぜんぶ」(詩:さくらももこ 曲:相澤直人)が選ばれました。
早速余談ですが、この曲は、よびごえとしては2017年の東京都合唱祭でも演奏したことがあり、その時はピアノ伴奏版で、かつ僕がなにかの本番と被っていたのか参加できず、指揮無しで演奏したことを覚えています。この時の演奏が相澤先生とよびごえの最初の接点で、相澤先生がこの演奏を気に入ってくださり、それ以降よびごえのことも気にかけてくださるようになりました。たった1回の演奏が人をつなぐことがある、ということを改めて感じました。
⇩2分30秒から(この時は6人くらいで歌ってたのかな…?)
https://bit.ly/3jhjejW
稽古の流れは次のとおりでした。
自己紹介、よびごえについての簡単な紹介(10分)
体操、発声(10分)
パート練習(10分)
全体練習(70分)
振り返り(20分)
全体練習でははじめに、①全体を通して曲全体の雰囲気を確認したり、②開離配置やdiv.の箇所はアルトの音量を大きめにするなどの和音のバランスをとったり、ざっくりと確認を行いました。
休憩後は、解釈の時間にしました。
「ぜんぶ」の解釈は、いくつかの点で困難をもっています。1つ目は、すでに歌ったことがある場合は、過去の解釈に引っ張られてしまったり、そこから自力で抜け出すことが難しい場合です。2つ目は、YouTube等で、質が高かったり、好きな演奏があったりしてしまうと、その演奏に寄せようとしてしまう場合です。特に相澤先生ご本人が指揮されていたり、ピアノ伴奏においてはピアノを弾かれている演奏もあり、その影響力は小さくありません。
1つ目については「いま」演奏する意味を、2つ目については「私たちが」演奏する意味を問わなければいけません。私たちが演奏する時は、その作品を「いま」「私たちが」演奏することで何を、誰に伝えたいのか、ということを意識する必要があります。
そのため、今回は、本当に基礎の基礎に立って、「ぜんぶ」が収められている詩集『まるむし帳』から、「一元性」という詩群を読むところから始めました。
「ぜんぶ」という詩だけを眺めたり、「ぜんぶ」の詩に付されたさくらももこの絵だけを眺めたり、相澤先生の付曲された音楽だけを聴いたりすると、アクセスする情報が部分的になってしまい、「ぜんぶ」という作品の全体性を俯瞰することができない可能性があります。
「一元性」の詩群を僕が朗読した後、メンバーの顔が不思議そうな顔をしていたのが印象的でした。「ぜんぶ」を前提にこの詩群を初めて読んだ時、僕は「え、もっと分かりよい、柔らかい世界が広がっていると思っていたのに」とギャップでした。でも、だからこそ面白いと思ったといいますか…。
その後、「ぜんぶ」の詩について2つのクエスチョンを立て、各パートで話し合ってもらいました。1つ目はこの詩で言われている「大切なこと」ってなにか、2つ目は「ここ」ってなにか。
各パートから出た意見を抜粋して紹介します。
「大切なこと」ってなにか
⇒自分が見ているすべてのこと、もの
⇒無いわけじゃないんだけどある、そういうもの
「ここ」ってなにか
⇒時間軸としてのいま、ここ
⇒自分の中の場所としての、ここ
⇒図を参照
この活動のねらいは正解を誘導するものではなく、詩の世界に接近するための方法として、問いを立てました。問いを立てることで、詩に向き合う理由をつくるとも言えます。
このあと、駆け足ですが、では相澤先生はこの詩から何を感じ、感じたことを音楽という方法でどのように表現したのか、楽譜を眺める時間をとりました。
cresc. decresc. や…
25
February
2022
2022
保護中: 【2021】よびごえ日誌 メッセージ(一柳)
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February
2022
2022
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February
2022
2022
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2022
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2022
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January
2022
2022
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November
2021
2021
【2021】よびごえ日誌 春こん編 vol.4
初めまして、こんにちは!今回の担当は、今年度から新たによびごえメンバーに加わりました、A類1年の一柳優里愛です。よろしくお願い致します…!さて、今回扱った曲は、春こん。に向けた2曲。武満徹「風の馬」より「第一ヴォカリーズ」、そしていつものマザーグースより3曲目「If all the seas were one sea,」です。ついに第一ヴォカリーズに取り組み始めました。
今日の稽古を楽しみにしつつも、少々恐れていたメンバーも多い様子。なぜか?日本一難しい合唱曲ともいわれるこの曲、なんと無調で、拍子も書いていないのです。おまけに6パートに分かれるため、1パートの人数も少なくなってしまいます。さすがのよびごえ団員でも、少し不安…。
そんな中始まった稽古。自分の歌っている音は、果たして合っているのか。調性がないことで和声が分からず、正解が見えません。…と、そこで発見が。こんなに複雑な音の重なりの中にも、実は和声がしっかり決まっている部分があったのです。不思議な音の絡まりの中に垣間見えるG-durやF-durの響き。最初は訳が分からない曲、と思ってしまいましたが、もしかしたら、ただ複雑なだけではないのかもしれない。少し、この曲を理解するための手掛かりとなるものが見えた気がしました。
マザーグースの3曲目では、楽譜にスラーが一つも書かれていないことに着目。歌の場合、楽譜に書かれているのは音符や記号だけではありません。歌詞、つまり言葉が書かれています。今回の曲の場合は言葉からフレーズを読み取ることができるため、わざわざスラーでフレーズを示す必要はなかったのです。マザーグースは、古くから口誦によって伝えられてきたイギリスの童謡で、言葉のリズムが印象的。スラーを書かなかったのは、その言葉のリズムを生かすための配慮なのでしょうか。
ずっと昔から人々に口ずさまれてきた、言葉ありきのマザーグースと、歌詞のない歌ヴォカリーズ。見方によっては対照的とも思える二つの作品を、一つのステージでどんな風に表現していくのか、今後の課題です。
ちなみに、余談ですが、ヴォカリーズが含まれる組曲の題名「風の馬」は、武満徹さんがこの曲をつくるにあたって触発された、チベットの仏教文化圏で行われる風習からきているもので、“ルンタ”と呼ばれる旗を指すそうです。ご興味あれば“ルンタ チベット”と調べてみてください。
早いもので、もう11月も終わってしまいますね。
最近は冷えますので、暖かくしてお過ごしください。
次回の日誌は同じく新メンバーの、稲村さんにお願いしました。お楽しみに! 一柳…
21
January
2021
2021
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January
2021
2021
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January
2021
2021
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December
2020
2020
【2020】よびごえ日誌
こんにちは、今回の担当は3年中島菜々子です。年内最後の練習です。全体での発声練習では、特に「ポイントの当て方」を意識して練習をしました。パートを交互に配置してお互いの声を聴きながら歌ったり、高音を出す際に息を止めないようにするなどについても意識して歌いました。また、高音をppで出す、というのは、自分で発声練習する際もあまり取り入れたことがなかったので、ぜひ試してみたいと思いました。
今回の「前へ」の練習では、詩の解釈、およびその表現方法について重点的に取り組みました。
この詩の中で何度も登場している「あなた」とは一体何を指しているのかといった歌詞の解釈から、「どうしてここに空白があるのか」といったように詩の書き方に込められた意図といった部分まで、細かく検討を行いました。また、解釈をしたらそれだけで終わるのではなく、技術的として還元する、といった点についても考えましたが、意外とこの実践が難しいということに改めて気づかされました。個人的に未だ解決できていないのは、「あなたと共に歌ったことを」の「共に」の表現方法です。この「共に」は特に大事に歌いたい、というような認識は共通していますが、ではそれを具体的に、技術的にどう工夫すればよいのか、ということがまだはっきりせず、言語化もできず、という状態で終わってしましました。他パートとの兼ね合いにも目を向けながら、引き続き検討していきたいと思っています。
今回は、パートごとに話し合い、どの部分をどのように工夫するか考える時間が複数回ありました。同じパートで実際に歌っているからこそ共感できる点も多々あり、意見を出し合って自分たちで工夫することで、「自分たちでつくっていく」という意識をより強く持つことができたと感じました。この場面で、私が特に興味深いと感じたのは、パートでの打ち合わせの後、まだ「具体的な方法」を引き出せていない状態でも、何らかの変化が生まれた、ということです。これはアルトパートで起こっていたことですが、パート内で話し合って、認識を共有しあったことで、無意識的にかもしれませんが歌声に変化が現れることもあるのだ、と知りました。また、こういった状態のとき、この時に限らず再現できるよう、どうして今うまくいったのか、と分析を行うことも重要だと感じました。
今回は特に詩の解釈・表現を重視した練習になりましたが、まだまだこの詩には多くのことが隠されていると思います。何度も細かいところまでこの詩を読み返して、たくさんの「なぜ?」を自分でも見つけていきたいです。
次回は、1年生の藤原くんに担当していただきます。フレッシュな視点を楽しみにしております。 中島
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17
December
2020
2020
【2020】よびごえ日誌
この日は、春こんの練習を始めて、3回目の稽古でした。発声練習では、息を吸うときの体の状態(①鼻をどう通るか 広い状態・狭い状態 ②その息がどこへいくか 背中側・お腹側)や、言語が求めている響きの位置があること、そのための練習の仕方を学習しました。息が鼻腔を通りながら、同時にハミングで音を出すということをしました。
Ave maris stellaでは、パート間の音程やブレスの位置、それに伴う息の使い方、ポイントが当たっている声であるかということを確認後、この曲の詩について、韻律の話がありました。12音節詩行であるというまとまりや、詩のリズム・意味から来るうねりがあること、そして私たちが分かっていることをどのようにしたら音楽で伝えることができるか、という問いが提示されました。また、そのうねりは3つのパートで時間軸が異なる部分と、tuttiで同じ波をつくる部分があること、aveという言葉から想起されるもの、韻をふんでいること等についても言及がありました。
前へでは、音程や開離に伴う歌い方等基本を確認しつつ、少しずつ曲の内面、表現に入っていきました。主旋律のエネルギーを他のパートに示し全体で共有していくこと、掛け合いや感嘆符をどう表現するか、どれくらいの決然さかなど、構成を考えた計画的かつ意志がある音の使い方を考えるためのヒントがありました。個人的に、「時間をかけてあたためるべきは、この曲のどれぐらい深いところにずっといられるか」という言葉が印象に残りました。
振り返りとしては以上です。話は変わりますが、最近、「炎」(Lisa)と「前へ」がどことなく似ているなと感じました。私は流行に乗り遅れて鬼滅の刃は見ておらず、曲の背景にあるものは分からないですが、なんとなく思いました。一人で歌う・複数人で歌う、曲が世に出た目的など違いは多くありますが、(だからこそ、)未来を考える想いや喪失の悲しみへのエネルギーを考えるヒントをもらえるような気がします。 佐藤
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06
January
2020
2020
【2019】よびごえ日誌 vol.029
明けましておめでとうございます。今回のよびごえ日誌はアルトパート1年の今城琴美が担当致します。
今日はストレッチから練習がスタートしました。
後ろに伸びたり、上に伸びたり…思ったより肩が凝っていてびっくり!全然腕が後ろにいきませんでした笑
そのあと2人組でのストレッチ。
1人は脱力して前屈して、もう1人がその人の背中を叩きます。前屈をしている人は背骨を1つずつ積み重ねるイメージでゆっくりと起き上がります。
その後の発声練習は、ソーーーファミレドーというように5度下降する音形で行いました。
高い音からスタートする発声は、思ったより高めを狙って歌い始めないとぶら下がりがちになります。しかし、アタックが強すぎると発音がきつくなるのでそれも注意しなければなりません。下降するにつれポジションが変わらないように気をつけるというのも課題となりました。
その後、BIN-NAM-MAでも出てくる、グリッサンドの練習も行いました。
1曲目は風紋の練習から!
まずは正確な音程、リズム、発音で歌唱できるかの確認です。
少しテンポを落として、器楽的にきっちりとダイナミクスの変化を表現することに意識して歌いました。
そして、今日は細かく楽曲分析をしていきました。
まず1つ目のポイントは『リズム』です。この楽曲は全体を通して大きく2つのリズムパターンに大別できます。それに注目して、楽譜にマーキングをしながら皆で確認しました。
まず、第1主題は2小節目の頭に向かった音形、つまり、フレーズの頂点に向かう過程が表現される音形です。クレシェンド、デクレシェンドをしっかり表現することが重要となってきます。
それとは対照的に、第2主題は裏拍の動き、つまり、いきなり始まります。これが第1主題との決定的な違いです。ファンファーレ的に、発音をしっかりと入ることでリズムの違いを浮き彫りにできます。
次に、2つ目のポイントは『歌詞』です。
私たちが今回歌う「風紋」は、風紋という楽曲の第四章です。私たちが実際は取り扱わない、第一章から第三章も含め、歌詞の意味を丁寧にみていきました。
第一章「風と砂丘」は、風でもなく砂丘でもなく第三者の視点から描かれています。第二章「あなたは風」はタイトルからも読み取れるように、“私”が砂丘であり、風である“あなた”へのメッセージとなっています。
そして第三章「おやすみ砂丘」は第二章と立場が逆転し、風から砂丘へのメッセージとなっています。
それでは第四楽章「風紋」は一体どの視点から描かれているのでしょうか?
これは砂丘で風の言葉を目にして想像を膨らました人間の視点なのではないかという意見などが出ました。
また、第三章の最後には「人は呼ぶ 風紋」という歌詞があります。人間はどんな現象にも名前をつけようとします。これは私たちにとってしか意味をなしません。自然は人間が及ばない神秘の世界の中のもので、風の言葉を風紋と言う言葉では認識していないのです。
そして、3つ目のポイントは『音楽と詩の関係』です。
私たちは日常的に、バーバル言語とノンバーバル言語を使っています。
バーバル言語とは、ある程度の人が何を指しているのか特定出来るものです。たとえば、ペットボトルという言葉などが例に挙げられます。詩、つまり言葉は具体的なイメージを共有するのにとても便利なのです。
一方、ノンバーバル言語は、指すものが統一されません。音楽など、個人によって感じることが違う、抽象的なもののことです。つまり音楽では、必ずしも同じ結果を共有することが出来るとは限りません。
歌というのは、詩というバーバル言語、音楽というノンバーバル言語、この2つが組み合わされたものです。
では風紋を歌う上でその2つを上手く表現するためにはどうすれば良いのでしょうか?
詩に寄り添えばいい演奏ができる合唱曲が近年多い中、この風紋は現代曲に近い形式であり、音楽が要求する合唱曲といえます。…
14
November
2019
2019
【2019】よびごえ日誌 vol.025
こんにちは、B類声楽専攻一年の松本です。約一ヶ月ぶり二度目の登場です。まずは小金井祭お疲れ様でした!皆さん、よびごえ以外にもたくさん出番を抱えていながらも、良い演奏ができたのではないでしょうか。私個人は反省点が多く満足はできていないのですが…ちなみに私は「お母さん」を実の母の前で歌いました。
発声練習は、一年生が音形や母音を決めて行いました。どんなことを達成して、そのためにどんな練習をするのか考えるのは大変なことだと改めて実感しました。高校までの合唱部では発声練習がワンパターンになりがちだったのですが、よびごえの稽古では毎回違うことをしています。よびごえの発声練習は必ず今後に活きてくると思っています。
今回からはついに!春こん。の稽古がスタートしました。
今年は「自然」をテーマに、こちらの二曲を選びました。
・混声合唱「風紋」より4.風紋 詞:岩谷時子 曲:石井歓
・BIN-NAM-MA(ビンナマ)曲:A.Grau
初回稽古ということで、風紋の音取りとビンナマの大まかな説明を行いました。
風紋はテンポを落として、正確な音とリズムで歌えることを目標に音取りを進めました。人数が少なく、女声2パートしかいませんでしたが、自分の声も周りの声もよく聞こえてきました。ソプラノとアルトは一緒に動くことが多いため、テンポを上げても今回と同じようなハーモニーを作れるよう練習したいと思います。
絶え間なく「風」という言葉が繰り返されますが、それぞれどんな風なんだろうと考えながら歌っていました。楽譜を見るだけでもひとつの風を感じることができます。これから稽古を重ねて、どんな風を吹かせることができるのか、とても楽しみです。
ビンナマには踊りを伴う箇所があり、その振り写しや動きの確認を担当している関係で、説明は私がさせていただきました。注釈がすべて英語で書かれているため、説明にはかなり苦労しました。(拙い説明を温かく聞いてくださった皆さんありがとうございます!)
踊りも一通りやってみましたが、私を含め、かなり苦戦していました。これを歌いながらやるのか…という心の声が聞こえるようでした。
実は、ビンナマという曲が完璧に演奏されたことはないと言われています。Web上にある動画をいくつか確認しましたが、全く同じ動きをする合唱団は二つとないのです。注釈には書かれていないアレンジを加えている団が多いです。振り写しの準備を少しずつ進めていますが、正直なところ動画はあまり参考になりません。しばらくは注釈に書いてあることだけをしようと思っています。
言ってみれば、楽譜に忠実に演奏するだけでもよびごえオリジナルのものになってしまうんですね。そう考えると少しだけ楽しくなってくるのは私だけでしょうか?
人生でここまでの難曲に取り組むことはそうないと思います。今はただ不安でいっぱいですが、この曲を乗り越えたら何も怖くなくなるはずです。地道に頑張りましょう!よろしくお願いします。
今回は稽古時の写真がないので、関係のない写真で恐縮ですが、こちらを載せます。
一年生7人で打ち上げをしました!小金井祭ではよびごえ全体の本番とは別に音楽科一年生の演奏カフェで二曲歌いました。みんなのリクエストで焼き肉食べ放題です。ほとんどノンストップで食べて話した90分でした。話題はやはり合唱のことばかりでした。
「春こんも頑張って、また美味しいご飯を食べよう」と約束しました。一年生はまだまだ成長します!
一気に冷えこんだせいで、体調を崩す人が増えています。皆さんお気をつけて…
次の日誌は、春こんからよびごえに復帰される四年生の笛木さんにお願いします!お楽しみに! 松本…
15
October
2019
2019
【2019】よびごえ日誌 vol.021
こんにちは。3年作曲専攻の森本侑花です。今日は、台風の影響でいつもと違う場所で行いました。しかし稽古のあと新歓行事があるのもあってか参加人数が多く、パート練習や「知るや君」の合唱をより充実した形で行えました。
私事ですが自分は9月の終わりによびごえに入ってからまだ間も無く、勿論はじめての日誌で、きっと拙い文章になると思いますがよろしくお願いします。
パート練習は、「知るや君」をパートに分かれて①自分たちだけで練習②小田さんとの練習 をローテーションする形で行いました。
実は前回の稽古のミーティングで、「パート練習が楽しく意味のあるものにするにはどうすればよいか」という話題がでましたが、今回のパート練習では、その解決案のひとつとして「目的・目標を持ちながら行う」ということができました。
私のパートであるアルトⅡは、「何回も出てくる「知るや君」という歌詞の”や”の発音のニュアンス(i-aの鋭さや柔らかさ)を各箇所どうするかパートの考えをまとめる」ということを行いました。パート練習が少人数なのもあり全員でよく意見を交わすことができました。音取りのパート練習とはまた違う、その次の段階のパート練習を行うことができ、とても楽しく意味のあるものになったのではないかと思います。
合唱練習は、「知るや君」を行い、今日から楽譜に書いてあることよりも1歩先のことについて取り組み始めました。「知るや君」は、楽譜に強弱や速さ、発想などの指示や、曲の性質上(フーガ形式であること、カデンツが多いこと、後半曲調がかわること、など)気をつけるべきポイントが多く設けられており、今まではその点について詳しく取り組んでいました。しかし今日から、それをふまえて「自分たちはどう歌いたいか」について考え始めました。
今日は主に前半のヴォカリーゼの部分について考えました。しかし小田さんから「どう歌いたいか」を問われた時、私たちは、殆ど意見を発することが出来ませんでした。そこで、小田さんがご自身の言葉で2択に絞るなとして誘導してくださいました。何回かそれを繰り返した結果、イメージが大体まとまりました(明るめ、静かめ、内なるエネルギーがある、など)。そのあと歌うと、まだ不完全なものの、以前より歌に命が吹き込まれたような印象になりました。
合唱をする際には、全員が全く同じ情景を思うとまではいかなくとも、全員が「同じベクトル」で歌うとよりまとまりが生まれるはずだ、という考え方のもと取り組みましたが、やはり「イメージを言葉にすること」の難しさに直面した取り組みでもありました。今日のミーティングでは、そのことについて多く触れられました。
私たちは教育学部の学生であり、今後もし先生になった際はそのように言葉を使って音楽のイメージをまとめるという場面が何回もあるはずです。不安になった反面、このよびごえの活動はこのことについて研鑽する良い機会だと思いました。
今日のミーティングで私は、今日新歓があるのもあり、よびごえに入った理由や音楽への思いを話しました。そのせいで新歓の時間が遅れたほど長めに熱く語ってしまったのですが、言葉をまとめるのが苦手な私が日誌で取り上げるとそれこそ大大大長文になってしまうので、今後よびごえ日誌を担当できた時に小出しにできたらなあと思います。(笑)
次は2年生の中島菜々子さんにお願いしようかなと思います! 森本…
10
October
2019
2019
【2019】よびごえ日誌 vol.020
こんにちは。佐藤花音です。ちょうど20回目のよびごえ日誌です。それぞれの様々な思いがつまった20回ですね。振り返って読んでいて楽しいです
今日は最初の15分発声をして、パート練習を40分ぐらい、残りの時間で全体の練習をしました。
今日の発声は、諸事情により、いつもと違う部屋で行いました。いつもより狭い部屋だったため、音が自然と空間に満ちており、聞こえ方が全く違いました。場所が違うだけで、こうも聞こえ方が違うのか、と思いました。練習している部屋の響きと本番歌う場所の響きはほとんどの場合異なるということですよね。念頭においておきたいと改めて思いました。
最初の発声の時間、2回に1回ぐらい前で進めさせていただいていますが、本当に学びがたくさんあります。考えて、試して、再考して、うまくいかなくて困っていることは相談にのっていただいてという場が本当にありがたいと感じます。自分自身の思考量と思考スピードの足りなさを切実になんとかしたいです…
続いてのパート練習は、『お母さん』のソプラノ・メゾとアルトに分かれて行いました。ソプラノ・メゾは、最初に音程等の確認をして、次に1人が詩を音読して、その音読したとおりにみんなで歌にしてみる、というのをしました。3人音読して、3パターン歌いました。結果的に3パターンそれぞれ全く違ったものになりました。同じ曲を歌っていてもこんなに違うものになるというのは不思議です。歌ったあとに、何をどう変えたのか、を発表しました。最後に「詩」だけをみるとそれぞれ全く違ったものになるけれど、曲を歌うときには、音楽からの側面にも注目したいということを確認しました。
全体での練習では、まず『知るや君』をしました。最初に通したのですが、あちらこちらがあぁぁあという感じで、うまくいってないように感じました。その後、音程が決まったことを体で感じること、強弱と音程の関係、音ひとつひとつではなく流れの中でとらえること、pで歌ってみる等のアドバイスをいただいて最初の3小節のみ練習しました。
次に『お母さん』です。ピアノと合わせるのは本日が2回目でした。音程の確認と、時間はずらさず書いてあることに忠実に演奏するなど、中田喜直が書いた作品であるという視点からの確認をしました。ピアノが入るとガラッと情報が増える感じがします。去年1年間が無伴奏の曲だけだったので、すごく新鮮です。
小金井祭までの練習回数も意外と少なくなってきたので、自分でできることは進めていけたらいいなと思います。暗譜頑張ります。
最後のミーティングは今日練習した2曲について、春こんについて、パート練習について、音楽の捉え方、などいろいろ挙がっていました。
パート練習については、中学の合唱コンクールのパート練習がパターン化していて楽しくなかった、中身があって演奏の上達につながるパート練習がしたい、楽しくパート練習がしたいけれどどうしたらいいか、など様々ありました。(そういえば、今年になってからよびごえでパート練習をしたのはおそらくこの日が初めてでした。変化があるとそこに意識が向くものなんだなぁ、と思いました。)少人数であることをいかしてパート練習ができたらいいなぁと思いつつ、でもそれってどうしたらいいのですかね。人数が減ると不安や緊張も生じますし。人数が少ないという普段とは違う関係性の中でバランスよく進めるにはどうしたらよいのだろう、と思います。
今校内の合唱コンクールの練習期間中の妹に「パート練習って難しくない?」と聞いたら、「基本的なことができているから、難しいと感じるんだよ。○○ちゃんたち(妹の名)は、基本的なことをやるから、難しいとは思わないよ。」と。「でも、同じこと繰り返していると、楽しくなくなってこない?」と聞くと、「繰り返してだんだん出来るようになっていくから楽しいんだよ」と。純粋。なんだかとても大切なことを妹に教えてもらった気がします。
次回、夏休み最後のよびごえ日誌は、森本侑花さんにお願いしようと思います! 佐藤…
04
October
2019
2019
【2019】よびごえ日誌 vol.018
学芸の木々は少しずつ黄金色になり、秋もすぐそこへと近づいてきました。なんと、学芸大学は未だ絶賛夏休み中でございます!私も教育実習に行ってまいりしたので、前回の稽古では約二か月ぶりにみんなと会うことができました。久しぶりに会うと、なんだか、みんなの顔つきが大人になっていました!大学院オペラに参加したり、帰郷して友達に会ったり、一人一人充実したいい刺激のある夏休みになったのかな。さて、本日のよびごえでは、島崎藤村作詞、相澤直人作曲の『知るや君』を中心に稽古を進めました。
前半は、國元さんによる音楽稽古です。曲自体は2分弱ですが、スケールが大きく、オーケストラ的な響きを連想させます。この曲を16人で奏でるのには、豊かな響きと繊細な表現力が必要です。パートが重なる箇所の、語頭の発音をそろえたり、フレージングを試行錯誤したり。かと思えば、表現に熱中するがあまり、発声が崩れると、あれここの音程が違う…と一進一退です。おそらく、この試練の時間は、長く私たちについてくるのですが、この時間を無くして納得のいく演奏ができたことは、経験上一度もありません。急がば回れで、丁寧に進めることが、後々活きてくるのかもしれません。
後半は、歌詞の解釈へと広がりました。佐藤さんの案で、パートごとに分かれて、歌詞について話し合いました。古文で書かれた歌詞を解釈するのには、時間がかかります。「一連からはじまり、最後に向けてだんだんと恋心が分かりやすく表れてくる。」「隠れてひそかに存在するものと、自身の隠れた恋心をかけている。」「もしかして告白がなかなかできないような人なのかな。」「『あやめ』は植物でもあるけど、『あやめもしらぬ』で『見分けもつかない』という意味になるので、ここは見分けもつかないくらい暗い夜となって、恋心の筋道が分からない様子を表しているのでは。」等、インテリな時間になりました。これらを踏まえ、一度曲に返ると、少し見えてくる景色が変わりました。冒頭のヴォカリーゼにかかる強弱記号の幅はどの程度なのか、全ての連に共通する『知るや君』はひとつずつどのように演奏されるべきか、どうして最後の連に当たる箇所は転調しtuttiになるのか、曲の骨格が以前よりはっきり見えてきました。
音形やハーモニーだけにとらわれすぎると、歌詞を越えたオーバーな解釈をしてしまう時もあります。また、歌詞だけにのめり込むと、聞き手に伝わらない自己満足な音楽になってしまうこともあります。演奏時に一番バランスの取れる立ち位置を探すのに、私も毎回苦戦します。より多角的に曲を捉えることによって、自分自身と曲のバランスも自ずと取れていくのかもしれません。私たちはよく、歌詞と音楽の大きな二面だけで曲を分析していますが、もしかしたらもっと細かく分解することができるかもしれませんね。どこから曲を見るか、視点絶賛募集中です。
ミーティングでは、「『情景を思い浮かべながら歌ってみよう』って音楽の授業でよくあるけど、はたして情景を思い浮かべることって曲に直接的な影響を与えるのかな。それを演奏に還元してこそ意味を成すのでは。」という、なんとも教育学部にぴったりな意見が出ました。まず、情景とは何ぞや。三省堂国語辞典第七班によれば、「事件やその場所などの、ありさま。」とのことです。面倒くさい性格でして、「ありさま」も調べました。「ものごとがどのようなものであるか、というようす。」だそうです。現在よびごえで取り組んでいる『知るや君』と『お母さん』の情景は、明らかに違う世界観を持っています。個人的な直感ですが、『知るや君』は青々しいにおいがするのに比べ、『お母さん』では線香のような何かが焼けるにおいがします。前回の『お母さん』の稽古で、「原爆を思い出す」との意見が出ましたが、これは私が感じる何かが焼けるにおいと共通する部分がありますね。歌詞と音楽が相互に影響しあって、私たちになにかしらの情景を連想させることは間違いありません。さて、どの部分がどんな情景をなぜ感じさせるのか、それと向き合うことができれば、私たちはどう演奏したいのか、自然と見つけ出すことができると思います。濃い芸術の秋になりそうですね。みなさんは、『知るや君』どんな情景を思い浮かべるでしょうか。最後に歌詞を残しておきたいと思います。
次回のよびごえ日誌は、歌もピアノもホルンもできる!マルチな伊藤さんに頼みたいと思います!実は彼女とは、なが~い付き合いで、中学生の時には隣でホルンを吹いていました。来週のよびごえ日誌もお楽しみに! 名嘉眞 「知るや君」(『若菜集』より)
島崎藤村
こゝろもあらぬ秋鳥の
聲にもれくる一ふしを
知るや君
深くも澄める朝潮の
底にかくるゝ眞珠を
知るや君
あやめもしらぬやみの夜に
靜にうごく星くづを
知るや君
まだ弾きも見ぬをとめごの
胸にひそめる琴の音を
知るや君…
01
October
2019
2019
【2019】よびごえ日誌 vol.017
はじめまして!1B声楽専攻の松本夏実です。こういった長い文章を書くのは得意ではなく、ずっと「日誌回ってきてほしくないな~」と思っていたのですが、いざ回ってくると書きたいことがたくさん出てきました。なるべく簡潔に書くよう努めます。
花音さんの発声練習からスタートしました。まずは肩甲骨をほぐすストレッチ。(私の肩は毎回ゴリゴリと良い音を立てるのですが、これって大丈夫なのでしょうか)
そして、a母音を使って今日の自分の声の確認。私は、自分の身体から声がうまく出て行っていないような気持ち悪さを感じながら歌っていました。
「考えすぎて、みんなから自由が奪われているような気がする」という花音さんの感想から、次は部屋を歩き回り、すれ違った人に会釈するという条件をつけて、同じ音形で歌ってみました。このときの皆さんの笑顔がすごく素敵だったのが印象に残っています。それに伴って良い声が出ていたのではないでしょうか?
最後は数人が発声練習を聴いて感想を述べる、という活動をしました。その中で最も多く出た意見が「歌っているときはわからないけれど、外に出てみるとみんなの声にばらつきがある」というものでした。それぞれの持つ声の質が違うのは当たり前のことですが、合唱ではそれをタブーとする場合が多いと感じます。少なくとも、私が今まで経験した合唱のほとんどがそのような方針をとっていました。
「肉声ではなく響きの統一を目指すべきではないか」という意見もありました。声が揃えられないのなら…ほかに揃えられるものがあるとしたら、やはり口の開け方や鳴らす位置なのだと思います。体のかたちにも個人差があるので、それもまた限界がありますが。
小田さんからもお話がありましたが、発声練習の20分間というのは、曲からは切り離された一人一人の本来の声を聴く貴重な時間です。『よびごえらしい声』とはどんな声なのか、これからのよびごえがどんな合唱団になっていくのか、私にはまだ見当がつきませんが、稽古を重ねる中でヒントを探っていきたいです。よびごえの未来がとても楽しみです。
今日のメインは「お母さん」の解釈を詰めることでした。言葉の意味はだいたい分かるけれど、どのような物語が展開されているかが掴みにくいこの曲。この歌詞に登場する『わたし』『お母さん』は何歳くらいなのか、なぜ母の名前を呼ぶのが「恥ずかしい」のか、等々、多くの疑問が生まれます。疑問点は楽譜の上にもあります。例えば、19ページ2段目はなぜmpで歌わなければならないのか。これには「お母さんが去っていくことにうろたえている」など興味深い意見が出てきましたが、私の中ではまだしっくり来ておりません。次回以降で何か見つかればいいのですが。
長くなりそうなのですが、備忘録としてここに私なりの詩の解釈を載せておきます。次に日誌を書くのは、きっと次の目標に向かって練習をしている頃だと思いますので…
ミーティングでも少しお話しましたが詩の中の『わたし』(以下『』省略)は母の着物の匂いを嗅いだあと眠りに落ちてしまったのだと想像します。熟睡ではなく、うたた寝くらいの浅さです。浅い眠りのときにはよく夢を見ると言われていますよね。「何十年もむかし こんな風に臥ていた日」からは、わたしはまさに母の夢を見ていると思うのです。夢の中で生前の母と再会し、安心したのもつかの間、実際に起きたのと同じように母は何らかの理由でわたしの元から去ってしまう。その次は「痛い」「苦しい」とあるから、戦火の中での別れだったのでしょうか?それとも、ここからは現実のわたしと夢の中の幼いわたしが混ざって、現実の苦しみが夢にまで出てきているのでしょうか。「冷たいお茶がほしい」「夜はいや 朝にして」という口調から、わたしは完全に幼い頃に戻って母に甘えています。「どこへも行っちゃいや」でわたしの悲痛な願いは最も強くなりますが、ここで夢は醒めてしまいます。そのあとのピアノが、母がもういないことの絶望を表している…ここまでが、解釈と呼べるかわからないほどの解釈(仮)です。まだ分からないこと、腑に落ちないことはたくさんあります。
今回、詩から何かを感じ取ることはできたわけですが、それを自分でどう歌唱に反映させるかが難しいところです。演奏者が曲から何か感じていても、それが演奏に変化をもたらさなければ、意味がない…この日一番、心に刺さったひとことでした。
目には見えないが、確かにそこに存在するもの(≒詩の世界)を想像するという活動は、とても楽しい時間でした。こうした歌詞読みの活動は今まで何度も行ってきましたが、そのたびに、人は見えているものよりも見えないものに心惹かれる傾向にあるのかなと思います。
サン=テグジュペリの代表作『星の王子様』にも「本当に大切なものは、目には見えないんだよ」という台詞があります。私はこの台詞が好きで、初めて読んだときは軽い衝撃を受けたものです。しかし、人はいつから見えないものの重要性に気づき、光を当てようとしてきたのでしょう。私がこの台詞にハッとさせられるのは、目に見えているものがすべてではない、目に見えないものこそが大事だという教訓が浸透した現代に生きているからなのかもしれません。
…話がかなり逸れてしまいましたね。
小金井祭で演奏予定のもうひとつの曲「知るや君」も、目に見えない大切なものを描いています。「恋」を「琴の音」と言い換えるなんて、なんて素敵なのでしょう。島崎藤村の情感溢れる詩にときめきながら、転調後の盛り上がりを楽しんでいます。私はアルトのセカンドを歌っているのですが、このパートは全体を通してカデンツの役割を持っています。曲のカギになる音がたくさん散りばめられており、アルトであることの喜びを歌うたびにかみしめています。相澤直人先生の作品って、アルトが美味しいものが多い気がしませんか?私は低いEsがあまり鳴らず苦戦していますが、もっと全体を意識しながらより良い演奏ができるよう努力します!次回の稽古はこちらの解釈の詰めです。頑張ります。
この日の集合写真は、なんといっても人が多い!密度が高い!夏休み中はたった6人での稽古もあったので、これだけの人数で歌えて嬉しかったです。最近のよびごえは写真に面白さを求めています。今回はあえて真顔で撮ってみました(何人か堪えきれずに笑ってしまっていますが)。よびごえには真面目な人が多いので、ゆっくり少しずつ弾けていきましょう。
次の日誌は、しーずーさんにお願いします!(^O^) 松本…
27
September
2019
2019
【2019】よびごえ日誌 vol.016
B類音楽専攻3年の井出です。数日前に3週間の教育実習が終わり、よびごえの活動に戻ってきました。
今日は私が発声を担当しました。数日前まで元気な中学生の歌声を聞いていたせいか、今日参加していたメンバーの声は深くて、個性が出ていて、でも揃っている、そんなオトナな声を久しぶりに聞き、その違いに衝撃を受けました(無論、どちらが良い、悪いといった次元の話ではありません)。あ、戻ってきたな、と感じましたし、今ここに存在する学習の場に感謝しなくては、と思いました。
今日の稽古では、前半に「知るや君」、後半に「お母さん」を行いました。
実習や長期休みでブランクのあるメンバーもいましたので、音の確認をしつつ何度か歌いました。特に「知るや君」に関しては私自身、初合わせでした。恥ずかしながら前日に音取りをしたもので、小田さんのピアノに導かれ、「こんな音が鳴るのか」と密かに感動しておりました。同じ学科に所属しているコントラバスを弾く彼から、オーケストラの初回合わせはほぼ初見で、更には参考音源をも聴かずに挑む、と聞いたことがあります。他パートのいわゆる「オイシイ」フレーズなどをその場で見聞きして、曲の理解を深めていくのが好き、だとか。今日の「知るや君」の練習は、私にとってはそれと似たような機会であったと思います。また、聞くポイント、歌うときに意識するポイントは提示がありましたが、いかに他パートの音に耳を向けるか、またその各パートの主張を聞いた結果、自分がどのように歌うべきかを瞬時に判断し演奏に活かす訓練だったと思っています。
「知るや君」の中で用いられているフーガの技法、主題の変奏の数について議論もしましたね。主題の変奏を楽譜から探す作業は個人的に楽しい時間でした。この時は楽譜を一つの絵画的な作品として見ていたわけです。所詮楽譜も記号の集まり、と言われれば確かにその通りですが、それを演奏すると音楽に変わります。演奏者が楽譜に真摯に向き合うことは、その楽譜を聴く側に伝えるという点で大切なことです。ここ、よびごえで学んでいるのは、「楽譜から作曲者の意図を読み取る術、その意図を明確に表現する術」だと思っています。これは一つとは限りません。和声的視点なのか、発声の問題なのか、音響学的?、はたまた美学的?なのかはその曲、その場合によりけりですが、今後私たちが一人で楽譜と向き合ったときに、ここで学んだ何かが役に立つのではないかと考えながら学習しています(この気持ちが大学1年のときからあれば、と後悔しています。今思えば、様々な意見が出ていたのにも関わらず、それらを受容できずにいました)。
「お母さん」の稽古では、中間部の雰囲気の変化をいかに表現するかという内容が主でした。日誌を見返してみると、7月の末に「恐怖にを表すためにどのような要素が必要だろうか」とパートごとに検討をしていました。それら要素が楽譜の中にたくさん隠れていることは分かりました。私たちは「音」という表現技法をもっています。徐々に恐怖を喚起させるために、どのように音を変化させれば伝わるのかを考え、練習を重ねました。用いる技術を整理したことで、明らかに変化したと思う瞬間もありましたし、また何か変化させようと努力している姿が印象的でした。変化させるには頭とエネルギーを使いますね。
さて、そろそろ稽古冒頭の発声練習を1年生にもお願いしたいなと思っています。あの時間は、自分が思うなぜ?どうして?を皆で試せる時間だと思っています。少なからず緊張します。ですが自分が何を大切にして発声練習を行っているか、この合唱団にとって必要なことは何かを考えるきっかけになると思いますのでぜひ。
実習についてはまたどこかでお話させてください。
次回の日誌は松本夏美さんにお願いしようと思います。 井出…
16
September
2019
2019
【2019】よびごえ日誌 vol.014
こんにちは!初めまして、1年B類フルート専攻のソプラノパート神谷咲妃です。今回の練習は夏休みに入って初めての練習だったので、それぞれまず発声を思い出すことから始めました。発声練習では、みんなで円になって内側を向いて歌うのと外側を向いて歌うのでは聞こえ方や自分の歌い心地はどう変わるのか、実験を行いました。結果は内側を向いて歌うと周りの人の顔が見られる安心感があることで、リラックスできたり自分の声が全員の声に調和して聞こえて歌い心地は良かったという意見がほとんどでした。対して外側を向いて歌うと周りの声と自分の声が分離して聞こえるので、不安になるという人やそれによって自分の声をよく聞けて向き合えるといった意見が出ました。わたしは外側を向いて歌う方がみんなの声と自分の声を比較しながら歌えるので、馴染むようにどうすればいいかな、などと自身の声と向き合えて外側を向いて歌う感覚は好きでした。また前回に続いて指導言についても考えました。母音を深く歌うとは具体的にどういうことなのか、図を用いながら小田さんが説明してくださいました。音楽指導では吹奏楽や管弦楽でもよく柔らかく吹いて!だったり、力強く!などと抽象的で曖昧な指示が多いですが、それを柔らかく演奏するために、音量を自在に操れるように、こういった体の使い方をするんだよ、と正しく教えることは難しいけれど、体を壊さずに上達していくためには絶対に必要なことではないかと思いました。これから多くの人が教員を目指していくこの環境だからこそ学べることがとても多く、人への指導へはもちろん、自分の練習のヒントにもなることばかりでとても勉強になります。
さて今回練習した曲は、夏休み前に引き続き「お母さん」と今回初めて取り掛かった「知るや君」でした。
どちらも音取りの確認を主に練習を進め、7度や半音などといった一見ぶつかって和声から排除して考えてしまいそうな部分をきっちりはめて枠組みをつくりながら各パート組み合わせながら歌うという練習をしました。
「知るや君」の練習では、今後表現を加えるのにあたってどのような表現が適切なのか、注意するべきポイントを挙げました。
まず1つ目はこの曲は最初フーガ形式で始まり、転調の前になくなるのですが、どのようにして聴衆にフーガと伝える歌い方をするのかということでした。2つ目はフーガの主題が繰り返されるときに伴う部分転調の歌い方です。それとなく転調していくのが良いのか、それともしっかり転調を感じられるように間を利用しながら歌うのが良いのか。そして3つ目は詩が文語体で書かれている意味を考えるということです。この曲の詩の作者は島崎藤村(1872~1943)という方で、彼の生きた時代から考えると文語体で書かれたということに意味があるはずだと考えました。また英訳された歌詞も書かれてるので、そこからも歌詞の世界観を感じ取ることが出来るのではないかという意見も出ました。わたしも英訳された歌詞を読んだのですが、もとが七五調なので「知るや君」が「Do you know this, my dear?」と訳されていて、そんな表現になるのかと興味深いのと同時に少し疑問に感じる点もありました。
以上の点を踏まえてそれぞれ表現方法を考え、これからの練習で曲の世界観を創っていこうということで練習を終えました。どちらの曲も重みを感じるような独特な世界観の曲なので、それをどのようにしたら音に歌詞をのせながらでも聴衆に伝わるのか、重いからこそダイレクトに自分たちの感じた重さを伝えられる演奏を出来るように悩みながら練習をしていきたいと思います。
次のよびごえ日誌はフルートの先輩でもあるこがもえさんにお願いしたいと思います!(よびごえにフルート専攻3人もいると昨日改めて知ってびっくり。!!) 神谷…
15
July
2019
2019
【2019】よびごえ日誌 vol.011
はじめまして。今回の担当は、1年アルトの谷夏七星です。季節の変わり目になってきたからなのか、最近は学校中で体調不良者が続出しているようです。私も先日、風邪を引いてしまい声が出なくなりました。体調管理には気をつけたいですね!
今回の練習は、まずいつも通り発声練習を行い、その後、11月に開催される小金井祭のステージに向けて
『美しい訣れの朝』より「お母さん」(阪田寛夫作詩/中田喜直作曲)
の練習を開始しました。合唱祭で歌った2曲とは印象がかなり違う曲です。
音取りをするとともに、小田さんがこの組曲の詩を朗読してくださり、パートごとに次の2つのポイントについて話し合いました。
1.この組曲を、何か一言で表すとしたら何にするか。
2.この組曲の中で、3曲めの「お母さん」をどう歌われるべきか。
1点目については、どのパートも少し悩んでいるようでした。最終的に各パートで意見はまとめましたが、メゾとアルトは自分たちの出した答えに満足がいかず「何かもっと良い言葉があるはず!」と、なんとなくスッキリしませんでした。結局、他パートの意見を聞いても団員のほとんどが納得しきれずに終わってしまいましたが、今後の練習を通して何か一つでも、「こんな言葉が良いのではないか」と思えるような答えを見出すことができれば良いなと思います。また、初めは答えを出すことができなくても、「どんな言葉で表せるんだろう」と考えていることも曲の理解へ繋がると思うので、練習するときには常に意識して歌っていたいです。
2点目については、どのパートからも似たような意見が出されました。「お母さん」は、詩だけ見ても、他の4曲よりも激しく「苦しい」などの感情がダイレクトに言葉で表されているので、「最も感情的に歌う、死に対する本音を出している」といったような意見が多くありました。
初めて取り組む合唱曲がどんな曲なのかは、音源を聴いて知り、捉えることが多いと思います。ですが今回は音源を聴くのではなく、まず朗読を聴いて、その曲がつくられる元となった“詩”そのものから何を感じるのかということから始めました。音源から入ると、和声感やリズム・強弱などに注目してしまい、肝心な詩は後回しになりがちな気がします。もちろん、和声感などがあってこそ曲として完成されていますが、まずは詩本来の持つ言葉の意味や作詩者が伝えたかったことを汲み取ることで、本当の意味で、歌い始められるのではないかと思い、とても新鮮な練習内容でした!
また、音とりを進めるときに、「同じ四分休符でも、その後の歌詞によって休符の質感を変える」ということを全員が意識して歌いました。冒頭部分はソプラノとメゾが歌詞をうたっていてアルトはずっと休符かハミングで歌詞がありませんが、休符を意識しない時と意識した時では、ソプラノとメゾが歌っている歌詞から感じるものが全く違いました。「休符は単なる休みや準備ではなく、休符も音楽だ」とよく言われますが、これは正にこの言葉のことだなあ、と思いました。作曲者はなぜそこに休符を書いたのか、そこには必ず理由が存在します。「その休符を入れることで何を伝えられるんだろう?」と常に考えて歌うことで、音楽はより立体的に、メッセージ性を持つようになるのだと思います。
これから「お母さん」と向き合っていくことがとても楽しみになった練習でした。私(1年生)にとっては、初めての小金井祭!!団員全員で頑張っていきたいと思います!
次回のよびごえ日誌の担当は、いつもほんわか笑顔の堀切彩愛ちゃんです! 谷…
27
June
2019
2019
【2019】よびごえ日誌 vol.008
A類1年の滝澤奏有美です。1年生も、練習を重ねるうちに段々慣れてきました。東京都合唱祭まで残りわずか、暗譜練習も始まり曲を深めています。この日は、発声を井出さん、『恋』と『雨のあと』を小田さんに指導していただきました。まず、2人でペアをつくって、お互いの声が聞きやすい位置をとります。その状態で、できるだけ強く、かつ良い声で、aのlegatoで発声をしました。パートが違う2人でペアになり3度音程でやった時は、普段遠くてよく聴けないメンバーの声も意識して聴くことが出来て、他の人の声を聴きながら歌うことの難しさ、大切さを再確認できた練習でした。
『恋』の練習では、まず発声が浅いという指摘を受けました。周りに声を合わせようとして、自分たちの本来の声楽での発声ができていませんでした。前回の練習で学んだポジションのことを思い出すために、母音で歌う練習を行いました。また、「息をはやく」という抽象的な現象を確認するために、鼻を指で軽く塞いで、摩擦音によって息の量を認識することもしました。感覚だけでなく、客観的に発声を理解することで、確信として歌うことができると感じました。
『雨のあと』では、なぜ作曲者がこのような音をつけたのか、このようなテンポに設定したのか、ということに引き続き留意して練習しました。最後のコーダ部分では、作曲者が、実際の詩にはないものをかなり付け加えて曲の盛り上がりを作っています。普通はこういうことはNGだけど、これは作曲者に「自分も作品の一部として入れて欲しい」という思いがあってのことで、つまり詩だけでなく作曲者の特徴も感じながら歌うべきである、という観点は、今までの自分にはないものでした。また、技術とイメージのバランスをよくとることで、表現を磨いていけるということを学習しました。
合唱祭まで残り一回の練習となりました。焦りもありますが、昼練も加えて、残りの時間で曲を磨いていきたいと思います。
次の日誌は今城琴美ちゃんにお願いします! 滝澤…
08
April
2019
2019
【2019】よびごえ日誌 vol.001
2019年度の新歓1日目は、ミニコンサートで「にじ色の魚」「夢みたものは…」「今日の日」「狩俣ぬくいちゃ」を歌い、その後は見学に来てくれたみなさんと一緒にワークをしました。最初のワークは、まず「夢みたものは…」の前半を音取りしたあと、「楽譜通りに歌う」ということを意識して歌唱しました。その後、では「楽譜通り」と言われてなにを意識したのか、1人1つずつ発言しました。例えば、以下のような意見がでました。
・強弱
・音の長さ
・拍子感
・音程
・フレーズ感
・言葉の節目
・言葉のニュアンス
・歌詞をまちがえない
これは、楽譜にはどのような情報が書かれてあるのか、私は楽譜に何が書いてあると認識しているのか、これらを改めて考えるためのワークです。「楽譜ってそもそも何…?」という意見も出ましたが、これはとても良い問いだと感じましたし、いろいろな情報が含まれている楽譜をもう1度捉え直すきっかけになったのではないかと思います。
例えば、誰が読んでも同様に読み取れる情報として、調性や和声、形態(アカペラ、混声3部合唱等)などが楽譜に書かれている一方で、可変的な情報も含まれています。例えば、詩や強弱記号等、「私」と「あなた」ではその意味や程度が異なる可能性があるものです。楽譜とはそのような情報の総体であり、「楽譜通りに歌う」という試みは、自分と音楽の関係を問い直すためのキーワードなのかもしれません。
2つ目のワークでは、上記の中に出てこなかった、無意識の中で感じている音楽へのバイアス、というものを取り扱いました。今回、「夢みたものは…」を歌う時、だれ一人として荒っぽい歌い方をせず、自然に柔らかく歌唱しようとしていましたが、楽譜のどのような条件が私たちをそのような歌唱へと導くのか、考える事にしました。
全体を5つのチームに分け、チーム名を考え、各チーム最低5つは要素を出すこととしました。チーム名は、「タピオカ元年」「八宝菜」「チーム女子力」「1/2長野県民」「いちごGUMI」など、個性が結集しました。
「mpから始まる指示があるから強くは歌えないのではないか」「タイトルに『夢』がつくからそのイメージにひっぱられるのではないか」「和声構造がシンプルなことに原因があるのではないか」など、全員の意見を共有することで、「柔らかい」と感じてしまう音楽の条件が自然と整理されていきました。
なぜ私たちはある音楽を柔らかいと感じ、ある音楽は固いと感じるのか。今回は「夢みたものは…」の持つ質感を「柔らかい」というキーワードを頼りに考えてみましたが、この先、日常生活のなかにありふれているモノの「柔らかい」と音楽における「柔らかい」の間に共通点を探そうとするとき、そこにはきっと、学びが拡がっていく喜びがあるのだと思います。
今回のワークは計1時間のため、各自が疑問やもやもやを持ち帰ってくれるといいな、と思い課題を設定しましたが、それらを抱えながら、これから始まる大学4年間の学びのスタートしてくれるといいな、と感じています。
みんな、入学おめでとう!楽しい学びの世界が拓かれますように!
小田…
