よびごえ日誌


2019.09.27 【2019】よびごえ日誌 vol.016
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B類音楽専攻3年の井出です。
数日前に3週間の教育実習が終わり、よびごえの活動に戻ってきました。
 
今日は私が発声を担当しました。数日前まで元気な中学生の歌声を聞いていたせいか、今日参加していたメンバーの声は深くて、個性が出ていて、でも揃っている、そんなオトナな声を久しぶりに聞き、その違いに衝撃を受けました(無論、どちらが良い、悪いといった次元の話ではありません)。あ、戻ってきたな、と感じましたし、今ここに存在する学習の場に感謝しなくては、と思いました。
 
今日の稽古では、前半に「知るや君」、後半に「お母さん」を行いました。
実習や長期休みでブランクのあるメンバーもいましたので、音の確認をしつつ何度か歌いました。特に「知るや君」に関しては私自身、初合わせでした。恥ずかしながら前日に音取りをしたもので、小田さんのピアノに導かれ、「こんな音が鳴るのか」と密かに感動しておりました。同じ学科に所属しているコントラバスを弾く彼から、オーケストラの初回合わせはほぼ初見で、更には参考音源をも聴かずに挑む、と聞いたことがあります。他パートのいわゆる「オイシイ」フレーズなどをその場で見聞きして、曲の理解を深めていくのが好き、だとか。今日の「知るや君」の練習は、私にとってはそれと似たような機会であったと思います。また、聞くポイント、歌うときに意識するポイントは提示がありましたが、いかに他パートの音に耳を向けるか、またその各パートの主張を聞いた結果、自分がどのように歌うべきかを瞬時に判断し演奏に活かす訓練だったと思っています。
 
「知るや君」の中で用いられているフーガの技法、主題の変奏の数について議論もしましたね。主題の変奏を楽譜から探す作業は個人的に楽しい時間でした。この時は楽譜を一つの絵画的な作品として見ていたわけです。所詮楽譜も記号の集まり、と言われれば確かにその通りですが、それを演奏すると音楽に変わります。演奏者が楽譜に真摯に向き合うことは、その楽譜を聴く側に伝えるという点で大切なことです。ここ、よびごえで学んでいるのは、「楽譜から作曲者の意図を読み取る術、その意図を明確に表現する術」だと思っています。これは一つとは限りません。和声的視点なのか、発声の問題なのか、音響学的?、はたまた美学的?なのかはその曲、その場合によりけりですが、今後私たちが一人で楽譜と向き合ったときに、ここで学んだ何かが役に立つのではないかと考えながら学習しています(この気持ちが大学1年のときからあれば、と後悔しています。今思えば、様々な意見が出ていたのにも関わらず、それらを受容できずにいました)。
 


 
「お母さん」の稽古では、中間部の雰囲気の変化をいかに表現するかという内容が主でした。日誌を見返してみると、7月の末に「恐怖にを表すためにどのような要素が必要だろうか」とパートごとに検討をしていました。それら要素が楽譜の中にたくさん隠れていることは分かりました。私たちは「音」という表現技法をもっています。徐々に恐怖を喚起させるために、どのように音を変化させれば伝わるのかを考え、練習を重ねました。用いる技術を整理したことで、明らかに変化したと思う瞬間もありましたし、また何か変化させようと努力している姿が印象的でした。変化させるには頭とエネルギーを使いますね。
 
さて、そろそろ稽古冒頭の発声練習を1年生にもお願いしたいなと思っています。あの時間は、自分が思うなぜ?どうして?を皆で試せる時間だと思っています。少なからず緊張します。ですが自分が何を大切にして発声練習を行っているか、この合唱団にとって必要なことは何かを考えるきっかけになると思いますのでぜひ。
 
実習についてはまたどこかでお話させてください。
次回の日誌は松本夏美さんにお願いしようと思います。

井出