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04
March
2024

【2023】よびごえ日誌 vol.13

こんにちは、1Bの柳本泰佑です。よびごえ日誌なるものを初めて書いてみようと思います。私は他のメンバーのように文才がないので、稚拙で短い物となりますが、見返すときの未来の自分は優しいですよね?許してください。
 
よびごえに入って一年間、多くのことを学んだと思う。音程の取り方、和声の感じ方といった細かい技術から、音楽の形而上的な事柄まで。小田さんだけでなく、他のメンバーからも学ぶことがたくさんあった。よびごえの文化である、「振り返り」はよくできたものだと思う。その日に得た学びというものを、言語化というプロセスまでもっていき相手に伝える。一度言葉に変換できたものは忘れないし、その後の音楽活動の糧にできる。聞く人は、その人の人となりや価値観、音楽的な気づきを受け取ることができる。「振り返り」という時間が、歌い手の、そして合唱団の音楽を潤沢にしていることに気づいた。そしてよびごえ日誌もまさに振り返り。でもなかなか手を付けられず今日まで来てしまった。小田さんが下さったせっかくの機会を大切にしないとね。
 
春コン、お疲れさま。2曲とも、音程はすこぶる取れないし、味わい方を知らないと面白くもない、難曲でしたね。でも、これらの曲だからこそ、今まで以上に音楽に向き合えた。そしてまた、一つの言葉に出会った。それは「音楽が、技術に先行する」というもの。すべての音楽活動には、技術と音楽性の2つの要素が存在する。しかし、そこには順番があり、常に、こうしたいという音楽の理想の形が先にあって、それを実現するための手段として技術が待ち構えている。とかく、技巧的で、常人にはできない芸当をやってのける人が「うまい」や優秀と思われることが多い。でもそれは、技術が音楽性をおいて独り歩きしているように私は感じる。音楽を志す者は常に、どんな音色、風景、ニュアンスで、というものを頭の中で音響を正確に再現し、それと現実とのギャップを、技術を用いて埋めていく工程を繰り返す。そうしていく中で、自分自身がその音楽の良さを味わえるようになる。ここまでくれば、どんな音を聴いてほしいのか、何を表現したいかが明確になるし、そのころには身体もついてきてくれる。その結果、予定調和ではないその人の「心」から湧き出る音楽をステージの上で表現することができるのだと気づくことができた。一つ、その人の音楽性の高さや音楽の才能と呼ばれるものがあるならば、それは、その人が頭のなかで、ものすごく素敵で人の心を揺さぶるような音楽を創造できる力のことだと思う。
 
ほかにも学んだことは多くありますが、全部書くと全くまとまらなくなってしまうし、読み返す気がかなり失せる気がするのでこの辺で終わりにします。
 
小田先生、そしてよびごえの皆さん、この一年間ありがとうございました。これからもお世話になると思います。よろしくお願いいたします。 柳本泰佑…
28
February
2024

【2023】よびごえ日誌 vol.11 春こん。を終えて

こんにちは、1Bの井藤です。
合唱団よびごえに入団してもうすぐ一年経つことを考えると、大学生活1年目があっという間だったな、と感じます。大学に入って自分のコミュニティが以前と比べ物にならないほど広がったことで今までの自分とは違った視点で物事を考えることが多く、教育的な面・音楽的な面共にとても充実した日々を送ることができました。
 
さて、今日のよびごえ日誌は春こんや春こん本番までの稽古について、またこの1年間を振り返って考えたことなどを書いていこうと思います。
 
まずは、春こんお疲れさまでした&ありがとうございました!
今回のよびごえの活動でも、春学期の合唱祭以上にたくさんの経験を積むことができたと思っています。
実は、春こんに向けて動き出した時、私はかなり不安でした。小田さんのLINEの内容、「春こんの曲を覚悟することができた」という文面を見て、「いったいどんな難曲が選曲されたのだろう、僕は歌えるのかな…」と考えていました。
そうして小田さんセレクトを受けた『だるまさんがころんだ』と『「風の馬」より第三ヴォカリーズ』の2曲。どちらの曲も譜読みから難しく、音取り用の音源を小田さん・藤原さんに作っていただき、それを聴いて練習しても初めは全然うまくいきませんでした。さらに2曲とも歌うパートが自分1人になる箇所(『第三ヴォカリーズ』に限っては曲のほとんどの部分・・)があり、「頑張ろう!」という気持ちはあれど「あれ、これ皆と合わせできるのかな…」という不安が大きくなっていきました。1回目のよびごえ稽古では、他のパートの音は聴かずに、まずは自分の音が合わせでも正確に取れるように意識しましたが、やはりうまくいきません。しかし悩んでいるのは自分だけでなく、皆が必死になって練習している光景は自分にとって何より勇気をくれるものでした。
だんだんと練習を重ねる中で正確に音が取れるようになってくると自信が付き、他パートの音源を聴きながら歌えるようにも練習しました。しかし…いざ稽古で合わせてみると、練習の時とは雲泥の差。実際の生の音は歌いながらだととても聴きづらく合わせづらいもので、音源と人の生で聴く声がまったくの別物だということを痛感させられると同時に、毎週の稽古の重要さも身に染みました。
 
そして、待ちに待った(?) 初の小田さんとの対面稽古。改めて気づかされることの連続でした。特に発声では、「空気をどのように吸って・身体のどこに溜めて・どこを通って出ていくか」を意識しながら行うこと、「この高さの音は出ない、と自分自身で決めつけないこと」など、今まで自分が行ってきた発声が如何に無意識に声を出していただけだった、ということが露わとなるようなことばかりでした。いつかの稽古の振り返りで、自分は高校の先生が「本番前に10発10中ではなく100発100中になるように練習しなさい」と言われたことについて話しました。小田さんはよびごえの稽古で皆がわかりやすいように明確に言語化して、つまり理論的に、発声や歌のヒントを提示してくれました。小田さんの教え方から、「100発100中」も大きなイメージではなく、1つ1つの身体の動きやテクニックに理由と方法論を用いて技術を構築していくことで「まぐれ」を無くしていく工程、と捉えられるのではないか、と思います。       
音がそろってくると、今度は歌詞や音程間の解釈に取り掛かりました。まだよびごえに入団して1年も経っていませんが、他のメンバーと意見交換をしながら時間をかけて曲の解釈を深めていく過程は、よびごえならではのとても良い活動だな、と思っています。1人ではきっと気づかなかったであろう新たな表現方法を発見したり、音楽に対する視野が広がったり、様々な視点からの歌詞解釈ができたりと、とても楽しい時間でした。この時間が無ければ、『だるまさんがころんだ』では怖く感じるイメージだった音形が温かく感じることはなかったし、『第三ヴォカリーズ』では曲の流れをはっきりと言語化することはできなかったと思います。
 
そして迎えた、春こん本番。今までの練習や稽古で取り組んできたことが多かったため、成果を出し切れるか、ホールでしっかり響く声で歌えるかと若干の緊張がありました。ですが、「音楽は、最後は心だから」という小田さんの言葉で、楽しく歌い切ることができました。曲の出だしの音量が違うといった点もあると思うのですが、夏に合唱祭で歌った時と同じホールだとは思えない程、第一声を出した瞬間にホールがよく響いていることがわかりました。練習でできたことが100%できた、とは言えないのが本番の怖いところですが、当日1人も欠けずに楽しんで演奏できたことは自身のとても素晴らしい思い出になりました。
 
4月からは大学2年生となりますが、この1年間で学んだことを活かして、自分に足りていない力を付けられる1年にしていきたいと思います。小田さんが春こんに向けたよびごえ日誌に「より良い合唱活動を実施できるようになるためには、たくさんの作品を知っておくことも大切」と書いていました。私が合唱団よびごえの一員として歌ってきた曲は今まで知らなかった曲の方が多く、知識・技術含めたくさんの経験を積むことができました。来年度からよびごえも新たなメンバーとなりますが、新1年生も一員に加わり、より多くの経験を一緒に積んでいけることを楽しみにしています。
 
長々と書いてしまいましたが、これで最後です。お付き合いください。
「教師はネガティブではいけない、ポジティブであれ。」少し言い切った形で書きましたが、稽古で小田さんがおっしゃった言葉です。東京学芸大学で1年学び、入学前より教壇に立つことが楽しみな反面、教師の裏側も思っていた以上に大変そうです。正直に言って、自分はポジティブではありません。理解していても、気が付くとネガティブ方向に偏っていきます。よびごえの活動含め、少なくとも大学4年になった時、このよびごえ日誌に自分がポジティブになれた、といった表現がより多く書かれていることを願っています。
ありがとうございました。
  井藤一輝…
27
February
2024

【2023】よびごえ日誌 vol.10

こんにちは、1Aの小林です。
1年前の今頃はちょうど前期受験を終え、後期受験の不安と闘い、合否発表の日が来るのを震えながら待っていたことを想うと、改めて月日の流れの速さを感じます。あっという間ではあったけれど、この1年は自分にとって出会いと学びと音楽に恵まれた、すてきな1年でした。
 
さて今回は、春こんという1つの行事を終え、年度内の活動が終わった節目ということでよびごえ日誌を書いています。前回の日誌で小田さんからお譲りいただいた稽古の様子を含め、自分なりに考えたことや稽古を通して変わったことをお話しできたらと思っています。お付き合いください。
 
今年の春こんで僕たちが歌ったのは、『だるまさんがころんだ(詩:矢川澄子 曲:長谷部雅彦)』よりⅠと、『風の馬(曲:武満徹)』より「第三ヴォカリーズ」という2曲です。いま、本番前に見たのを最後に久しく開いていなかった楽譜を眺めながら書いています。書き込みがいっぱいです。大変に難解な2曲でした。
 
まずはだるまさんについて。初めて曲名を聞いたとき、知らない曲だ、YouTubeで聴いてみようと思い一番上に出てきた動画をタップしました。流れてきたのはなんと打ち込みの機械音声。衝撃を受けました。一つ下にあった動画からはひとの声が聴こえてきたので安心しましたが、流れていくだるまさんの応酬に?が止まりません。かと思えばそれは参考視聴用の音源だったので1分たらずで終わってしまいました。YouTubeの世界に存在するこの曲の音源は、僕が観測できた限りこの2つだけ。これはやばそうだぞ、と、だるまさんに対する第一印象は不安でいっぱいでした。
風の馬について、こちらは演奏の参考音源にこそ(だるまさんに比べれば)困りませんでしたが、曲の難解さはだるまさんと同等かそれ以上だったように思います。日本語として聴きとれる歌詞がないこと、不安を誘うような和音の連続、そして何より突然やってくる終結部、最初に聴き終えたときはこの曲を自分が歌うんだということを忘れてしまうような呆然とした感覚になりました。
2曲に共通して言えることは、全然好きになれそうになかったということです。
 
譜読みしてみても、合ってるんだか合ってないんだかさっぱりわからないまま稽古は始まりました。みんなといっしょに歌ったらわかるのかな?と思ったりしたこともありましたが、そんなことないどころかむしろ逆でした。こんな難しい曲に挑んでいるのに、先輩方は「よびごえっぽい」「こういうのにもきっとすぐ慣れちゃうよ」「私たちもそんな風にわけわかんない時期があったなァ」とニコニコしていて、マジかよと思いながらついていくので必死でした。
 
後期の活動に入って初めて体験する出来事がありました。対面稽古です。オフラインの小田さんは、勝手に持っていたイメージよりずっと背が高いひとでした。対面稽古を通じて何より強く感じられたことは、自分の声が持っている可能性です。うまく文章にはできないけれど、声域的な意味でも声質的な意味でも、自分はもっと幅を広げられる、それを表現に活かす余地が無限にあるのだという前向きな気持ちになりました。これはよびごえの活動についてだけでなく、ソロで歌うときにも活きています。技術と表現の「分けて考えるべき部分」と「双方向に繋げて考えるべき部分」という二面性、音楽をやっていくうえで不断に挑み続けなければならないこの課題に対するヒントやアイデアをたくさん吸収できた時間でした。
 
年が明けてから、一気に稽古の空気が変わったように自分は感じています。初めのころは「訳が分からない」「音が取れている気がしない」「あってるはずの和音が気持ち悪い」とプラスな考えが浮かぶ兆しがほとんどなかったのに、年明けの稽古からは歌っていて楽しいと思える音やフレーズが1つ、2つと増えていきました。終盤の稽古になって取り入れられた、パートバラバラで2グループに分かれて歌う練習は特に楽しかったです。普段近くで歌うことがないひとたちの声が近くに聴こえて、自分の声部の役回りを強く感じられました。最初は頭がいっぱいで苦しかった通し稽古も、回を重ねるごとに面白くなってきて、ここ決まった!うれしい!!と思えることがどんどん増えていきました。今考えてもとても不思議です。最初は全然好きじゃないとか思っていたのに。
きっとたくさん考えたことを共有して、たくさん気づいて、たくさん歌った稽古の蓄積と、それから小田さんの魔法と計算のおかげだったのだと思います。
 
本番は本当に楽しく歌えました。ホールが鳴っているのが聴こえて、拍手のあと観客の「すごい、、」というつぶやきも聞こえて、表現や技術的にもっとできたことはもちろんあったとは思いますが、充足感の得られる本番になりました。よびごえの一員として出場出来てよかったと、胸を張って言えます。
 
4月からはまた新たな体制で、新しいメンバーで、新しいよびごえが始まります。この1年で先輩方から得られたようなことを周りに与えられるように、そして自分だからこそ与えられることを周りに与えられるように、来年の春こんを終えてまたこの日誌を読み返している自分が今よりすてきな表現者になっているように、新しい1年も大切に豊かに過ごしていきたいです。
 
今頃ちょうど前期受験を終え、後期受験の不安と闘い、合否発表の日が来るのを震えながら待っているであろう次の1年生が、1人でも多く合唱団よびごえに興味を持ち、やがてチームになって、「私たちもそんな風にわけわかんない時期があったなァ」とニコニコ言う側になる日が来ることを願って、今回の日誌を終わります。
ありがとうございました。
  小林翔人…
27
February
2024

【2023】よびごえ日誌 vol.9 はるこんを終えて

今回のテーマは、はるこんを通して合唱について学んだことですので、そのテーマに沿って書いていこうと思います。
 
 さて、音楽には、二つの側面があると私は考えています。一つは純粋な遊びとしての側面。これはそのままの意味合いで、個人が自発的に、自身の心を満足させるために行う状態です。(遊びにも様々な定義がありますが、ここでは“子どもがするもの”や“片手間でするもの”という意味ではなく、行為自体が目的であるものをさします。大和言葉で管弦は“あそぶ”ものであって、英語では楽器がplayするものであることは、音楽のそういった側面を反映しているようにも思います。)もう一つは、人との結びつき、すなわちコミュニケーションや、社会を形成する側面です。こちらは、表現あるいは文化とされる音楽を主に指し、人と共有することをゴールとしています。聴き手、共演者、援助者や教育者、あるいは村や団体などの共同体、故人からのつながりなど、様々な結びつきを生んだり、強めたりするものです。合唱には一般的に、後者の側面を強く持っていると感じます。すなわち、“共有”を重視する側面です。共有物には幅広く様々なものがありますが、その中でも重要になってくるのは曲ではないかと思います。小田さんと、合唱の選曲についてお話ししたことを思い出し、選曲について自分なりに考察したことを述べさせていただきます。
 
 教育者として選曲をするとき、そこにはどのような意味合いがあるのでしょうか。先日見学したある小学校の授業で、選曲について興味深い話がありました。曲を子ども自身に選ばせたとき、商業的に成功しているものが多い、というものです。商業的に成功しているから、自然に耳に入る。多数の人が良いと感じたのは事実かもしれませんが、その成功にかかわっているのは純粋に曲のよさや好感度だけではないでしょう。そうした曲を子ども自らが選んだ時、それは自発性といえるのか、という議論でした。このことは、人が社会すなわち他の人の影響から逃れることができないということを示していると思います。自発性すらも、何らかの人の影響があってこそ、出てくるものであるのかもしれません。そう考えた時、子ども自身に選択をゆだねることも一つの方法ですが、様々な選択肢があることを示し、新しい世界を見せることも教師の重要な役割の一つではないかと思いました。教師が提示した曲によって、子どもは自分の中に新たな文化を内在化させ、そしてそこから外界の新たな文化とつながっていくこともあるでしょう。
 
 今回よびごえで歌った二曲にも、様々な要素が含まれています。二曲に共通する要素として小田さんが述べたのは、「願い」や「祈り」でした。願いや祈り、欲求というものは、生きる根本に深くかかわっているものである気がします。一人ひとり、そこから考えたことは異なったと思いますが、このテーマと選曲は私には、将来を考える時期も重なり、生きる意味を考える時間を与えてくれたと思います。皆さんにとっては、この選曲にはどのような意味合いがあったでしょうか。
 
 
 さて、今回は合唱について学んだこととして選曲というテーマを取り上げ、長々書いてしまいましたが、頭を使った話はおしまいにして、最後に少しだけ気持ちを書かせて下さい。
 
 一年前、一時期は本気でやめることを考えていたよびごえでしたが、一年終わってみるとここまで皆さんと時間を共にできて幸せだったな、と思います。執行代として大したことはできませんでしたが、よびごえを通じて、色々な新しい出会いもありました。卒団された先輩方から、今でも温かい言葉をいただくこともあります。前に、メンバーからなぜ専攻に声楽を選んだのかと聞かれたとき、理由がぱっと思いつかなかったのですが、私が歌が好きな理由は、音楽を通して人とかかわり、つながる時間が好きだったからだったなぁ、とふと思いました。よびごえもたった週に一回の稽古ですが、そうした色々な人との大切な場所の一つになっているし、これからも大切にしていきたいなと思います。そして、これからも合唱を通じて、大切な人や場所を増やしていきたいです。
 
 大変長くなりました。半年分を一気に詰め込んだと思い、お許しください。ここまでお読みくださり、ありがとうございます。 一柳優里愛…
12
May
2023

【2023】よびごえ日誌 vol.1

こんにちはお久しぶりです。3年A類の丸です。遅くなってしまいましたが新歓稽古、新歓コンの日誌を担当させていただきます。
 
それよりもまず、今年度団長は私と大野になりました。この場をお借りして挨拶させていただきます。まだまだ新体制になって慣れないことばかりですが、執行代で協力して参りますのでよろしくお願いします。
 
そして、今回の新歓稽古、新歓コンにいらしてくれた新1年生のみなさん、何より私たちの演奏を聴いてよびごえに入団してくれたみなさん、本当にありがとうございます!これからみんなで新しいよびごえのハーモニーを奏でていきましょう。
 
それでは本題に移らせていただきます。まずは新歓稽古について。今年度の新歓稽古では相澤直人先生の「ぜんぶ(卒業式バージョン)」を取り扱いました。この曲を扱うのは私がよびごえに入団して2回目でしたが、歌う度にその時の境遇や生活環境で歌い方が変化するので、何度勉強しても面白い曲だと思います。感情についての歌詞が書かれているため、その時々の感情に少しばかり左右されてしまうのかなと(浅はかな考察ですみません)。
 
1回目の新歓稽古では「繰り返しをどう表現するか」という問いから、繰り返しの「大切なものはぜんぶここにある」の p を最初とどう表情を変えるか考えました。私は、最初が他者に自分の大切なことを伝えていて、繰り返しは自分自身に言い聞かせているようなイメージを持ちました。語りかける距離が違うような感覚です。他にも噛み締めているのではないかと言う意見や、広さが広いところから狭くなったなど、たくさんのイメージや意見が出て、面白かったです。さすがよびごえだなぁと実感しました。来てくれた1年生は曲にしていない歌詞にまで着目して意見を述べてくれて、ほんとに初めて参加したの!?と思うほど考えがまとまっていました。私が入りたての頃はなんとか意見を言うことで必死だったので、本当に感心してしまいました。よびごえの活動が凝縮されたような、新1年生にとっても私たちにとってもいい新歓稽古になったのではないかと思います。
 
ここからは新歓コンについて。新歓コンではここ最近お馴染みの「白日」そして中学校の合唱コンクール等では定番の「時の旅人」の2曲を歌わせていただきました。こちらの練習は団員みんな忙しい中時間を見つけて隙間時間に集まって練習しました。忙しい中協力してくれた槇さん、藤原さん、本当にありがとうございました。
 
「白日」はやはりいつもポップス×合唱の難しさに悩まされます。ポップスのビート感は感じ取りつつ、発声は合唱っぽく。16部音符の細かいリズムをうまく捉えて和音をはめるのはとても難しいなと改めて感じました。ですが何度も練習した曲なので、ポップス特有のノリと勢いでうまく歌い切れたのではないかと思います。「時の旅人」は直前の稽古まで重点的に和音をきめることを練習しました。子音を発する時からすでに次の音をイメージし、子音の段階で音を鳴らしているようなイメージ。そして階段のように音程関係をはっきり意識して歌うこと。この2点に気をつけるだけで音程が格段に良くなりました。また自分が和音のどの音を歌っているのかを意識する。これもやはり大切なことだと改めて感じました。新1年生が歌ったことのある、聴いたことのある曲だからこそ基本が疎かになってはいないか、当たり前ができているかを聴かれてしまうなと思いました。本番ではどちらの曲も練習通りに歌い上げることができたと思います。来てくださった1年生が私たちの「白日」と「時の旅人」を聴いて、少しでも思うこと・考えることがあったら嬉しいです。
 
これからは新体制で合唱祭に向けた稽古が始まります。昨年度とは違うよびごえの色に期待しつつ、自分がやるべきことを全うしていきます。そして団長としてよびごえを引っ張っていけるよう精一杯頑張ります。今年度もよろしくお願いいたします。 丸大喜…
21
February
2023

【2022】よびごえ日誌 メッセージ(原田)

こんにちは、3A原田です。
 
春こん。ありがとうございました!
今年も本当にあっという間で、でも私なりにたくさん学んだ稽古期間でした。せっかくなので、去年の私と同じ3つのテーマで振り返ってみようと思います。この間書いたばかりなのに、また長くてすみません……
 
◎歌唱技術について
いつかの稽古の帰り、“発声はファンタジーじゃない”と小田さんに言われたのが印象に残っています。また、稽古では声量で感動させる、という話があって、アルト1全体で求められていたほど声量アップできたのかは分かりませんが、4ヶ月で少しは気持ちよくクレッシェンドできるようになった気がしています。指導者として「もっと元気に!ffで!」という指示をするのは簡単ですが、体をどう使えば大きい声が出せるのか、どんな練習や環境構成が効果的か、まで考えなければいけないな、と実感しましたし、そうして学んだ技術が増えれば増えるほど、曲での表現の幅が増えるのだと思いました。
余談ですが、私は発声中の小田さんの「筋肉と会話して」「ブレスから勝負は始まっている」といったパワーフレーズが好きで、この4ヶ月でも楽しい指導言がたくさんメモできて嬉しいです。「OK?」と優しく聞いてくださるのも好きなので、今度の実習で使ってみたいなと思います。
 
◎曲について
今年取り組んだ2曲は、インドネシア スマトラ島北部のパクパク族民謡と、リアウ諸島の民謡でした。稽古では、詩を一語ずつ訳して、インドネシアの文化にも触れながら、詩の解釈をしていきました。子どもは何歳でどこにいるのか、どんな抑揚をつけたら民謡らしくなるか、この部分にはどんな気持ちが隠れているのか、それはどんな技術で表現できるのか、など、没入感をもって歌うための解釈をたくさんできたように感じています。没入感といえば、先日声楽のレッスン中、突然ゾーンに入ったような、曲の世界観に閉じ込められたような気分になったことがあって、私、成長できているかもしれない……!と嬉しくなりました。表現するには、正解を察することではなくて、自分なりの解釈に入り込むことが必要なのだと最近ようやくわかってきた気がします。教育現場で扱う外国の音楽も、子どもなりの解釈ができるよう文化への理解を深めることで、よくわからないまま綺麗に演奏する、ということはなくなるのかもしれないと思いました。
また、今回は詩と音楽だけではなく、踊りの稽古もありました。視覚的な一体感は強烈でしたし、合わせて作った衣装もインパクトがあって、本番も変なことしてる感じが面白かったです。振りが付いているChikala le Pong Pongでは、詩から踊り方のイメージを膨らませたり、それぞれの動きに込められた意味を感じることで音楽の方向性が決まったりと、それぞれが影響し合ってを曲を作っていることが実感できました。
そして、この2曲は、民謡として誰かの人生の中で実際に歌われている曲という特徴もあります。合唱団ではなくても歌う人がいて、コンクールのステージでなくても歌われるタイミングと場所がある曲。それゆえの難しさがあったとは思うのですが、最後の稽古で“この曲は春こんが終わっても、明日も明後日も歌われる曲だよ”という話があったとき、なぜか少し嬉しくなりました。それは、ステージの本番のために準備する曲があるのと同じように、大切な人のために歌う曲、自分のために歌う曲があって、私の中でそれはどれも同じように大切だから、かもしれません。個人的な意見ですが、私は、“歌いたい”という衝動は本来、ステージ上よりも寧ろ日常の、どうしようもなく悲しいときや嬉しくてたまらないときの方が湧いてくるのではないか、と思っています。そうした衝動を、表現に繋げられたら、言われた通り歌うだけの合唱にはならないのかなあ、と考えたりもしました。音楽科にいるからこそ、日常の中の音楽、生活の中の歌の価値、意味にも気持ちが向けられたらいいな、と思います。
 
◎合唱について
大学に入ってから、たくさんの人のおかげで歌を歌うことが本当に楽しくて幸せだなあと思っています。ですが、それと同じくらい、合唱をすることにたくさん悩んできた気がします。私は歌うと元気になるはずなのに、合唱をするとなんで疲れるんだろう?とか、やっぱりコンクールは苦手だなあ……とか。「合唱が大好き!」と嬉しそうに振り返りをしているよびごえメンバーを見て羨ましく思ったり、声楽ではできることが合唱だとうまくいかなくて落ち込んだりもしました。それでも、合唱は私にとって楽しいものですし、そう思えているのはよびごえのおかげだなと思っています。素敵な環境にいられて嬉しいです。
去年の日誌で「関係性」の話をしたのですが、合唱団の中の関係性というのは、常に変化するものです。去年の私は先輩方に追いつこうと必死で歌っていましたが、今年は逆にパート練を進める立場になって、自分の歌唱技術を頼りにしなければならない場面がたくさんありました。そこには責任感のようなものが生まれていたのだと思います。このような変化が至る所で起こっているのが集団というもので、教育現場での合唱は、そういった関係性の変化が大きく演奏に影響するのではないかと思います。指導者との関係性、曲との関係性もありますね。合唱指導をするということは、広い視野とバランス感覚をもって、そういった変化にも敏感にならないといけません。声を合わせて、と簡単に言うけれど、楽器で音色を合わせるよりも声を合わせるのは感情を消費する作業だよなあと思ったり。これまで素直に歌えていたのに指導者の一言で歌いづらさを感じるということがあれば、逆に歌いやすくなることもあるなあと思ったり。賞がつくと頑張れる人がいる反面、音楽に…賞…?と心がざわつく人もいるかもしれません。歌うことを好きでいてほしい、と願うほど、合唱指導は難しいなあと感じます。
コンクールについては、夏の勉強会で“子どもの学びを支える合唱作品”の重要性を感じるとともに、歌い手が充実感をもてるコンクールへの向かい方について、春こん稽古からもヒントを得られた気がして嬉しいです。価値ある合唱指導、正解があるわけではないですが、歌い手側の思考を促す指導は大切にしたいと思います。絶対的な理想を押し付けられるのではなく、子どもたちが自由に考えてそれを主体的に歌にできる……コンクールに出たことで、その過程を経験できるような指導をしたいです。先生にお守りで貰った金のキーホルダーを見ながら、金賞じゃないとだめなのか…と不思議がっていた私のような小学生も満足する指導ができたら、当時の私も喜んでくれる気がします(笑)。
それにしても、周りのブレスを感じて、自分の声と同じパートの人の声を、自分とは違う音との重なりを感じながら、解釈の受け渡しをし、指揮者の要求にも応えつつ、最終的に伝えるものは空間全体にある音楽で……と考えると、様々な要因を含んだ、複雑で繊細なことをしているんですね。でも、いや、だからこそ、連帯感、親近感、一体感……でしょうか?一緒に歌うことでしか味わえない感動や魅力が合唱にはあって、私はそれが好きなのかな、と思います。
そして、よびごえでの時間はいつも、これまでの人生で一番真剣に、そしてマイペースに合唱と向き合える時間だと思います。こんな書き方をすると、いつものように各方面から考えすぎだの思いつめすぎだのと声をかけられそうですが、寧ろ逆で、こういう時間が欲しかったので嬉しいです。私は小学生にどんな気持ちで歌を歌ってほしいのか、合唱からどんなことを学んでほしいのか、それにはどんな手立てが必要なのか。先生になる前にもう少し深くまで考えてみたいです。
 
改めて、
4年生の先輩方、卒団おめでとうございます。関われた期間は1年ほどですが、先輩と一緒に歌えて嬉しかったです。ありがとうございました!
 
そんな偉大な4年生さんと、優しい同期、頼もしい2年生、かわいい1年生、こんな濃いメンバーで毎週一緒に歌える場所があるってすごいことですよね。いつもありがとうございます。幸せです。
 
小田さん、面白くて新鮮で楽しい稽古をありがとうございました。よびごえからもらったたくさんの学びを、自分なりに広げていけるように頑張ります。
 
春こん。本当にお疲れさまでした!
 
  原田綾乃…
16
November
2022

【2022】よびごえ日誌 スタコン終了

小田です。小金井祭に出場されたみなさん、本当にお疲れ様でした。
先日、僕が書いたよびごえ日誌で、「Salve Regina」と「白日」を選んだ理由については、少し語ってみましたので、みなさんの演奏を聴いて、合唱の学びの深いところと僕が思っていることについて、少しだけ共有を試みたいと思います。
 
みなさんよりも少し先輩のよびごえメンバーで、吹奏楽と合唱の違いについて、振り返りの時によくご発言くださる方がいました。「合唱にはテキストがある、それを教育資源として活かせるようになりたい」というような趣旨のことをおっしゃっていたと思います。
これについて、異論を唱える方はいないと思います。確かに、吹奏楽と合唱では、テキストの有無は表現の差異として認められると思います。
 
音楽は言葉である、ということについて、みなさんはどの程度、考えたことがあるでしょう。
これについて考えるとき、そもそも「言葉とは何か」ということを考える必要もあるでしょう。
では、改めて問いますが、「言葉とは何か」ということについてみなさんはどの程度考えたことがあるでしょう。また、みなさんは言葉とはなんだと説明しますか?
 
教科書的で明確な答えを探そうとすることよりも、ここではみなさんが普段使っている「言葉」について振り返り、その特性を今一度捉えてほしいことを目的として問うています。
 
 
 
僕の考えです。言葉は、自分以外の誰かに、何かを伝える必要性がなければ発達してこなかったと考えています。
最もプリミティヴなレベルでいうと、何かを伝えあうことが生存状態を維持することに有利であり、そのために時間をかけて複雑に発達させてきたのだと思われます(複雑な情報をより正確に共有できることは生存に有利だったのでしょう)。
つまりは、言葉の本質は、誰かに何かを伝える、ということであって、むしろそれだけの概念なんだと思います。
そう思うと、誰かに何かを伝えるものであれば、そのすべてを「言葉」と呼んで良いと思っています。
 
きっとこうした考えは僕だけのものではありません。書き言葉やしゃべり言葉といった、特定の文化圏で発達した、俗に ~語 と呼ばれるものだけが言葉なのではなく、ジェスチャーも何かを伝えますし、ダンスや美術作品、そして音楽も何かを伝えるので「言葉」なんだという考え方は、古くから西洋を中心に存在していました。
 
~語と呼ばれるものについては、新しい単語が開発されたり、単語と単語をどう結び付けることでどういう意味作用を期待するのかという統語(文法)という考えが発達していくことで、「言葉」としての豊かさを見出すわけですが、音楽はどうだったのでしょう。音楽は、多分にしゃべり言葉や書き言葉の影響を受けることで、音と音がいかに結びつくのか、ということが開発されていったと考えられています。これについては、レナード・バーンスタインの「答えのない質問」がとても面白い視点を与えてくれると思います。図書館で夢中になって毎日視聴覚ブースでビデオを見ていたころを思い出します。バーンスタインとしては、音楽にも文法があって、音と音が結びつくとき、例えばそこにはカデンツみたいなルールがある、それは言葉が 主語と述語 の組み合わせを基礎として多様なヴァラエティを持つことと似ている、というように説明しています。
 
さて、なぜ急に小田がこんなことを言い出したのか、ということにゆっくりと立ち返りたいと思いますが、「Salve Regina」のように私たちの私生活ではなかなか使用しない言語を歌唱するとき、テキストはよく分からないけれども、音楽的にはこういうフレーズで処理したらいいんじゃない?という「直感」が働く人もいるかもしれません。でも、言い方を変えれば、なぜその直感が作動しうるのかというと、音楽とテキストがそれぞれ異なった「言葉」だからであり、合唱作品(歌唱作品)は、そうした2つの言葉が併存するということが形態の独自性となっているからです。
 
声楽作品の作曲様相の歴史的変遷を思うと、歌唱作品にはそもそも2つの言葉(音楽、テキスト)が内在しているということを作曲家の中で自明のこととし、基本的にはテキストのもつリズム感や単語と単語の結びつきの強さの程度、意味などをいかに音楽に自然な形で反映していけるのかということが重要な技法とされてきました。例えば、作品を評する際に「テキストと音楽がよく合ってる」なんて言葉を耳にすることもありますが、まさにそうした価値観のことを指します。しかしもちろん、時代が新しくなるにつれ、テキストの内容について、いかに音楽という言葉によって広がりを持たせられるのか、ということが作曲家の興味の対象になってきます。つまりは、いつまでもテキストに迎合した音楽であることを良しとせず、声楽作品の中での「音楽」の表現を問うようになってきます。歌唱作品を構成する2つの言葉の力関係に変化が起ころうとしているということです。テキスト優位の場合は、音楽はテキストのしもべとなって、ペットのようについていくわけですが、テキストと音楽がともに独自の位置を見出した作品については、例えば「テキストと音楽の結婚」という美しい表現で言われることもあります。
 
つまりは、冒頭で引用したみなさんの先輩の発言を思い返すと、その方がおっしゃっていたのは、吹奏楽と合唱の違いを、表現形態に内在する言葉の数で捉えようとしていたこと、また合唱にはテキストがあるよね、というシンプルな問題ではなく、2つの言葉の関係性をいかに教育的に活用できるのか、ということを言っていたのではないかと思うのです。
 
さて、結論なのですが、「Salve Regina」と「白日」について、2つの言葉の関係性はどうなっていたのでしょうか。実は、一柳さんが初期の稽古の振り返りで少しおっしゃっていたようにも思いますが、この2つの作品については、こうした観点からも異なるタイプの作品であったように個人的には振り返っています。Salve Reginaはラテン語のテキストからアプローチ? 白日はノリや音楽からアプローチ? もしかすると、知らず知らずのうちに、この2つの言葉についてみなさんは直感的に捉え、それを演奏法につなげていたのかもしれません。そんなことを、みなさんの小金井祭での演奏を聴きながら考えていました。
 
最後に、今回の春こんの自由曲。その1曲については3つの言葉が併存していることにはお気づきでしょうか?音楽、テキスト、そして踊り。音楽では何を伝えられるのか、テキストでは何を伝えられるのか、踊りでは何を伝えられるのか。そして、そうした3つの言葉をもつ作品というのは、2つの言葉をもつ作品と比べて、お客さんへの届き方は何かが異なるのでしょうか?いろいろと、楽しく考えてみてください。
 
問いをもつこと、チャレンジすること、よびごえはもっともっと、合唱の本質に迫ることができます。合唱を究めてください。そして、それが将来の子どもたちとの合唱活動のエネルギーになることに心からの願いを込めて。 小田  
15
November
2022

【2022】よびごえ日誌 スタコン練習編03

こんにちは。B類3年藤原改です。今日はスタコン本番に向けた最後の練習で、本番曲の「Salve regina」「白日」を練習しました。
本番前最後の練習ということで、今回は細かい表現以外にも本番への向かい方について意識するような稽古になりました。
 
【Salve regina】
・響きを小さく作らない!自分たちの近くで響きを揃えようとせず、空間全体に響かせて「観客を包む」
・合わせるために遅くなる/小さくなることはないように!基礎はなっているからこそ前向きに歌う
・歌詞の単語間のエネルギー(修辞学的な意識)を大切に
・音/音程が何かを象徴すること・その違いを理解する
・語尾の処理を適切に行えるような場所/深さのブレスを心がける
 
 
【白日】
・この曲全体のトーンはどう設定するべき?
「諧謔的な(全てを見下ろすトーン)」「強め」「乱暴に見えて本当は傷ついてる」etc… 何かしらの意思を持つ
・原曲を踏まえた曲中でのテンポ変化について共通認識を持つ(ピアノの8ビートによるテンポキープ!)
・各声部のバランスと音程の最終確認
 
本番に歌うメンバー全員での稽古が実施できたため、バランスや音程など地盤となる音楽づくりの部分については念入りに確認が行えました。男声パートを担当している私個人の実感としては、混声四部合唱に比べて混声三部合唱の方が男声パートが担当する役割/音域が広く、根音として全体のハーモニーを支えるのか(混声四部合唱におけるBassの標準的な役割)、内声のような役割を果たすのか(SopとPianoの左手がそれぞれ外声の役割を果たしてアルトパートと男声パートで内声を担当する、といった動きは混声三部合唱にありがちだと勝手に感じています)、それぞれの役割に応じて声量感がかなり異なるため、すごく練習を始めたころは頭を使って歌っていた記憶があります。
 
7月の合唱祭に向けて取り組み始め、もう半年間この曲と向き合ったわけですが、だいぶそういった点については無意識に演奏できるようになってきたなと感じました。
ただ、だからこそ変な癖がついてしまった部分には気づきにくくなっているのもまた事実でした。音楽づくりの点においては、そういった癖をとり改めてこの曲の細かい部分と向き合う作業ができたなと感じています。
 
 
また、今回の稽古は「本番への向かい方を意識する稽古になった」と前述しましたが、それは前の段落で述べた「音楽面の最終調整」と別に、「本番の演奏を意識した稽古」たらしめる何かがあったからだと感じます。
それは具体的な文言が、というよりは稽古全体の雰囲気(小田さんの発言の端々から、また、団員の姿勢から)なのかなと思いますが…具体的にはあまり答えが出ません。
 
でもこの「本番前最後の練習」特有の感覚は、かなり経験した事があるものです。特に、何日も何か月も、たった1曲2曲に費やして練習していた中学高校の合唱部時代はいつも存在する感覚でした。
一度練習のすべてを手放して、頭に、身体に染みついている音楽を精一杯表現するような感覚。今回の稽古でも「練習してきたことは全部忘れて」という発言がありましたし(前後を省略しているせいで誤解を招いたら申し訳ないですが)、今までも様々な先生にそう言っていただいた記憶があります。そしてなぜだか、そうやってのびのびと楽しんだ演奏の方が九割九分上手くいくんですよね…。
 
指導者側の立場で考えると、この「本番前最後の練習」で児童生徒にどういった声がけを、指導をするかはとても本番の状態に関わると思います。絶対的な正解があるわけではなく、対象とする集団の年齢や雰囲気、本番の目的などによって変化するものだと思いますが、児童生徒たちにとってその時その時の本番がより素敵なものになるための一助となれるように、都度考えていきたいなと感じました。
 
私の怠慢で日誌の筆がなかなか進まず、気づいたらもう本番当日ですが、のびのびと演奏出来たらなと思います!
次回の日誌もお楽しみに! 藤原…
02
October
2022

【2022】よびごえ日誌 合唱祭辞退と夏休みインライ編📷

今年度、よびごえの夏休みの活動は、1.2年生チームと、3年生チームに分かれて実施しました。
 
今年度の夏休みの活動の背景には、よびごえ結成以降、途絶えることなく出場していた東京都合唱祭への出場ができなくなったことがあります。今年もたくさんの新しいメンバーがよびごえの活動に加わってくださり、団としても声が新しくなったので、合唱祭では自分たちで合唱を創る活動を楽しめる曲、これからの合唱活動の基盤となる「音楽」を考えられるような曲と願いを込めて、King Gnuの「白日」の合唱編曲版、K. Bikkembergs作曲の「Salve Regina」を演奏予定でした。
 
白日とSalve Reginaと聞くと、「え、ほぼ真逆の曲やん」と思われるかもしれません。その通りです。
でも、実はこの2曲、いずれも混声3部合唱の作品であるからこそ選んだという理由もあります。
音楽作品の類似もしくは相違を見ようとするとき、例えばポップスや宗教曲といった「ジャンル」の視点や、混声3部合唱や同声2部合唱など「編成」という視点からも見ることができます。今回の2曲はジャンルという視点から見たときには相違が認められますが、編成という別の視点からみると類似が認められるという位置にあります。今回の2作品は、この2作品の組み合わせだからこそこうした複雑さをもつわけで、「え、ほぼ真逆の曲やん」と最初に思った方がいれば、合唱祭の本番が終わるころには「あ~この2曲はたしかにこういう視点から見ると全然違うけど、こういう視点から見てると似てるよね~」と、作品間の複雑性を実感をベースに当たり前に語れるように変化してくれたら、それは俗に「成長」という言葉に当てはめてもよいのかな、と思っていました。
 
もちろん、そんな概念的なことを学びと限定せずとも、ポップスを合唱として演奏することの難しさを肌で感じ、どうすれば解決できるのかという解決学習の意図もありました。音楽の仕上げ方という意味では普通の合唱作品のように詩からのアプローチではなく、音そのものの「ノリ」(みなさんの口からもたくさん出てきましたね)やビート感など、そういった方法でのアプローチも有効であることを共有できました(音楽言語からのアプローチ)。一方で宗教作品を扱うときには、やはり言葉の壁はあると思いますが、今日の主流な合唱指導のスタイルである詩からのアプローチを共に学ぶ時間にできたように思います。単語のアクセントや単語と単語がつながるときはどの言葉が大事なのかという、単語のもつアクセントと、文章としてのアクセントの違いから音楽をつくっていけるというアプローチも行いましたし、言葉の意味論からせめる場合は、やはりキリスト教に視点を向け、その世界を前提として、マリアとはどういった存在なのか、そういったマリアに対し私(作品の中での私)はどう思っているのか、ではそういう思いはどういう声で歌われるべきなのか、では具体的な歌唱としてはどういう技を使って歌うのか(ここにフォルテやピアノ、暗い声、明るい声が位置づいてきますね)、というふうに進めていくことができました。このアプローチの根幹は、指導者主導ではなく、指導者はファシリテーターになっているというところにあると思います。僕からは情報と問いを投げかけ、実際にマリアがどういった存在なのか、作品中の私であればマリアに対しどういう感情を感じるのか、それはみなさんに委ねました。
 
そんな音楽言語的アプローチや詩からのアプローチなど学びの仕掛けを準備していたということと、みなさんもきっと、稽古の中でたくさんのことを感じ、考えてくれたこの2曲を合唱祭で発表できなかったことに残念な思いもあったと思います。一方で、しょうがないことでくよくよしても前には進めないので、みなさんで挽回の機を考えてもらった結果、1.2年生から出てきたアイデアが「インスタライヴ」(インライ)でした。
 
よびごえ初のインライは、以下にて開催予定です。
ちなみに明日のインライの曲はすべて混声3部です(1.2年生の作戦だったのでしょうか?)。編成としてはすべて同じ。だけどもジャンルも違えば、作品に与えられたテーマも違う。教育目的で書かれた作品とそうでない作品など、様々な視点を感じさせる曲たちから、演奏とナレーション(司会)を通してどれだけの合唱の広がりをお客さんと共有できるのか。僕も、みなさんのインライから合唱を楽しみたいと思います。
全力での真剣勝負、よい本番になりますように願っています。
 
Instagram Live!!
👉 yobigoe_tgu_chorus
👉 10月3日(月) 19時 スタート
👉 君とみた海(若松歓作詞作曲)
  白日(常田大希作詞作曲、田中和音編曲)
  With You Smile(水本誠作詞作曲、水本英美作詞、富澤裕作曲)
  Salve Regina(K. Bikkembergs作曲)
  虹(森山直太朗/御徒町凧作詞作曲、信長貴富編曲)
 

 

(司会の音量チェック中)
 
3年生の夏休みの活動は、勉強会を開催し、3年生は3年生での合唱を行っていました。
僕が忙しさを理由によびごえ日誌を更新できていないという怠慢でしかないのですが、時間を見つけてアップしますので、3年生の皆さん、ご容赦ください…。 小田直弥…
07
July
2022

【2022】よびごえ日誌 vol.9

はじめまして!1年A類音楽の新喜真由音です。今年度からよびごえに新しく入団しました!今回初めてのよびごえ日誌を書かさせていただきます。これからよびごえの一員として恥じないように活動していきたいと思いますのでよろしくお願いします!
 
今回は7/18の合唱祭へ向けて発声→全体稽古→通し稽古→パート練の流れで練習しました。
 
発声では、まずブレスを使って歌っている時に重心を下に保つことが大切だということを確かめました。その後、音程と母音を付けた発声をしました。その際、低い音は意識しなくても重心がしっかりしていますが、高音になるにつれて音とともに意識も上の方に向かってしまう傾向があります。なので高い音ほど重心を感じる必要があるのだと改めて気づきました。常に上半身だけでなく全身を意識して歌いたいと思います。
 
白日では、初めの女声二部の部分でほとんどの印象が決まってしまうということについて考えさせられました。小田さんに、はじめを大切に愛情を持って歌う、と指摘していただきました。しかしその後に歌ってみると、真面目で原曲のよさが少し失われてしまったという話がありました。私は専攻のピアノでも、「真面目すぎるからもう少し遊び心が欲しい」と言われることがあり、その度に遊び心とは…?と悩まされます。今までにいろいろなことを考えましたが、今回の活動で思ったことは、”リズムや強弱を工夫して面白いものを作ろうとする”だけでは聴いてる人には伝わるものは少ないのだろうということです。自分たちが心からその曲を楽しむ気持ちや「こう歌いたい」という意志の強さなども演奏には大切な要素なのだと感じました。しかし、これはリズムや強弱と違って非常に抽象的なことなので、どうしたら形にできるのかより学んでいきたいと思いました。
 
Salve Reginaでは、先週に引き続きフレーズごとの音色の変化について考えました。パート練習の時、先輩方が「音色の変化といっても明るいと暗い以外に何があるのだろう」と話されてました。私はその時全然思いつきませんでしたが、やはりこれも感情的な部分が大きくなってくるのかなと感じました。まだ考えはまとまらなかったので、本番まで残り少ないですが深めていけたらと思います。
 
よびごえに入団して1,2カ月ほど経ちましたが、議論についての自分の考えの浅さや頭の硬さを痛感しています。もっと積極的に音楽を創り上げていきたいので頑張ります!
 
次のよびごえ日誌は3Bの藤原改さんにお願いしました。よろしくお願いします🙇‍♀ 新喜真由音…
30
June
2022

【2022】よびごえ日誌 vol.8

こんにちは!3年アルトの原田綾乃です。今日は、体操と発声のあと、Salve Reginaと白日の全体稽古を経て本番を想定した通し稽古を行い、最後にパートで気になったところの確認を行いました。
 
 
今日の発声では、体操で無理のない立ち方を確認したあと、決められた拍で息を吐ききるブレスの練習をしました。白日のようなポップスを扱うとこのような基本的なところが崩れてしまうこともあると思うので、丁寧に確認できてよかったです。次にやったハミング→曖昧な母音→母音という流れで響きの位置を確認する練習では、ハミングから母音への間に一つ入れるだけで、ハミングの鼻腔内共鳴の感覚を母音のときも意識できていいな、と思いました。個人的に、普段の練習で発声練習を充実させることができていないと感じているので、本番前だからこそ、個人で練習するときも、発声にもこだわって練習したいと思いました!
 
その後の全体稽古では通し稽古に向けて2曲の確認を行いました。
 
Salve Reginaでは、歌詞の意味に応じて音色を変えるという話がありました。これまでのよびごえの活動でも行ってきたことですが、朗読が先にあって曲が生まれた、という背景を持つ宗教曲ではより一層音色の変化に意味を持たせることが重要なのではないかと感じます。歌詞を読みこんで、自分なりの表現を考えたいです。
 
白日では、音程のことやテンポのことなどの確認とともに、徐々に白日のモードに入るのではなく、切り替えることに気を付けました。今年の合唱祭に向けての稽古では、合唱としてポップスを扱うことについて、発声のことやビート感の出し方の工夫、ポップスと合唱のよさを出せる演奏を目指して試行錯誤しています。私は本番になるとどうしても「成功させなければ」と保守的な演奏をしてしまうので、自分で考えた表現を客席まで届ける意識をしっかり持って、本番まで面白い白日を研究したいです!
 
 
また、通し稽古は本番独特の緊張感を感じられるのと同時に、自分の中に定着していない部分がわかるなあ、と思いました。抜き出して歌えばできるものも、通すとうまくいかないということがよくあるので、本番を見据えて、常にできる定着した表現を増やしていきたいと思います。
 

 
今日の写真は、なつみちゃんお誕生日おめでとう〜ショットです!
素敵な一年になりますように!
 
次回は1Aの新喜さんにお願いしました!お楽しみに!
 
  原田綾乃…
12
May
2022

【2022】よびごえ日誌 vol.4

こんにちは!今回はA類音楽2年の丸大喜がよびごえ日誌を書かせていただきます。今日の稽古は新歓コン前最後の練習で、団員各々が本番に対する意気込みや不安など、様々な感情を抱えながら臨んだ稽古だったのではないかと思います。
 
新歓コンで演奏する二曲「春に」と「彼方のノック」。どちらもthe合唱曲という感じで、この前の春こん。とは良くも悪くも雰囲気がガラッと変わります。有名曲で、音楽に携わる人なら知っている曲であろうからこそ、“ただ上手に歌う”だけではだめなのではないかというのが今日の大きなテーマになったと思います。もちろんいつも考えていることではありますが、いつも以上に考えていたのではないでしょうか。どうすれば新入生たちを惹き付けられるか。よびごえにしかできない演奏、出せない響きを模索した内容の濃い時間だったように思います。
 
初めに、今日の稽古内容をまとめてみます。まず稽古の流れとして、発声、パート練、一曲通して振り返り、一曲通して振り返り、最後に二曲通すという流れでした。次に曲ごとに細かい内容や思ったことを書かせてください。
 
○春に
一曲通した後の小田さんの言葉で少しハッとさせられたのは覚えています。「相当なインパクトがなければ新入生には流される。リズムを正確に、発声、和音を決める。それができるのはお手本のような演奏にすぎない。そうではなく、大学で学んだことでどれだけ変わったのかを伝えなければならない」。これは音楽の本質だと私はいつも思います。上手な演奏をする人が周りにいくらでもいる世界だからこそ、上手なだけの演奏というのは、どこか心に届くものがないなと感じます。そこをベースに自分たちの表現や感情が加わることで初めて聴衆に届く演奏になるのです。しかし私たちは技術を高めることだけに気持ちが向いてしまいがちです。そうではなく私たちは聴衆に何を届けたいのかを考え、それはどうすれば伝わるのかを試行錯誤するのがよびごえという合唱団です。今回も音楽の本質を思い出す機会というのを小田さんが与えてくださったことに感謝したいです。
 
では聴衆に伝わる演奏をするにはどうすればいいのか。挙がったポイントは「歌い始め」でした。「この気持ちは何だろう・・・。」とはじまるわけですが、ここをせーのと拍通りに入るのでは何も気持ちがこもっていません。自分の中にあるもやもや、あるいは言葉にできないものなど、団員それぞれの中にあるものを思い浮かべることで自然と出てくる「この気持ちは何だろう…。」とはじまる方がより伝えたいことが明確になります。初めのインパクトで新入生を惹き付ける演奏に変わったと思います。
 
○彼方のノック
この曲もまず挙がったポイントとして、曲の歌い始めでした。初めで新入生にアッと思わせる。初めが勝負だと私も思いました。ユニゾンの単調なメロディだからこそ気持ちを込めなければつまらない始まり方になるのは目に見えています。やはりどんな曲においても初めと終わりは特に重要だなと感じますね。
 
そしてもう一つ挙がったのは、75小節目でのブレスの有無です。フレーズ感的にはしない方がいいという意見や、母音が同じだから言葉がわかりやすいようにブレスを入れて切った方がいいという意見もありました。このように一つの個所を吟味していろいろな観点から議論するのはよびごえの代名詞だと思いますし、難しいですけどいろいろな考え方が聞けて楽しい時間でもあります。ここでは後者の意見を採用しブレスありの方向で意見が合致しました。
 
今回の稽古ではもう曲が完成していて、通すということを優先していたため、あまり深いところまでできませんでしたが、とてもよびごえらしい有意義な活動になったと思います。これから新歓コンで私たちの演奏が始まりますが(現在時刻5/13.17:35)、どうか私たちの演奏を聴いて、聴きに来てくださっている新入生の皆さんに私たちの思いが伝わったと思ってくれるようなステージにできるよう、頑張りたいと思います。
 
来週は2年A類の稲村歌乃さんによびごえ日誌をお願いしました。よろしくお願いします。 丸大喜…
01
March
2022

保護中: 【2021】よびごえ日誌 メッセージ(松本)

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25
February
2022

保護中: 【2021】よびごえ日誌 メッセージ(一柳)

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15
February
2022

保護中: 【2021】よびごえ日誌 メッセージ(堀切)

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15
February
2022

保護中: 【2021】よびごえ日誌 メッセージ(原田)

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14
February
2022

保護中: 【2021】よびごえ日誌 メッセージ(佐藤)

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14
February
2022

保護中: 【2021】よびごえ日誌 メッセージ(滝澤)

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14
February
2022

保護中: 【2021】よびごえ日誌 メッセージ(大瀧)

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13
February
2022

保護中: 【2021】よびごえ日誌 メッセージ(小田)

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13
February
2022

保護中: 【2021】よびごえ日誌 メッセージ(伊藤)

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13
February
2022

保護中: 【2021】よびごえ日誌 メッセージ(小金澤)

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13
February
2022

保護中: 【2021】よびごえ日誌 春こん編 12/23の日誌と、本番前日に思うこと

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23
August
2021

【2021】よびごえ日誌 合唱祭の振り返り

とっても時間が経ちましたが、よびごえメンバーより、合唱祭の演奏に関する感想と、前期の練習の運営について振り返りが欲しいとのことだったので、記録としてよびごえ日誌に綴ることとします。
 
まず、何度も言いますが、こうした状況下において、新入生と共に、みなさん自身の力で舞台に立ち、拍手をもらえたことはとても素晴らしいことだと感じています。運営に注力してくれた2,3年生にはとても感謝しています。本当にありがとうございました。そして、お疲れ様でした。
 
【演奏について】
合唱における演奏の良し悪しは、音程や和音、発音、複数の声部による有機的な音楽構成(解釈や空間づくり)といった「技術的な視点」だけでなく、パートや団としての声のまとまり、発声、選曲といった「個性が影響する視点」、さらに抽象化すると、気迫といった「雰囲気のようなもの」まで、いくつかの層が複雑に絡み合って決まってくるように思います。
それらを見渡したうえでも、総合的には、質の高い演奏だったと思います。それは、技術、個性、雰囲気を一定以上のクオリティで提供できていたこともありますし、それぞれの視点がよく練られている演奏だったとも言えます。
 
今後に向けた視点として、大きく2つの反省をしたいと思います。
1つ目は、マスクの壁を超えること。
 講評でもいただいておりましたが、マスクをしていたとしても会場で言葉がはっきりと聞き取れるよう、もう少し調整をすべきだったように思います。特に、柔らかい音楽の場面(音量が小さく、レガート気味の場面)において、閉口母音(i, u, e)の子音は、開口母音(a, o)よりも注意をすべきでした。例:”く”じら。 一方で、例えば、くじらの優しい感じを出そうとするために子音をソフトにするという判断は間違っていなかったと思いますので、ホールの奥の客席に坐っていて、ちょうどよいくらいの量感の子音であるためには…、と考えたときには、個人的にはあと少し強く、もしくはあと少し意識をして発音すべきだったということです。
 次に音量です。講評では、ホールの大きさと合唱団の人数に対して、立ち位置はベストの選択だったという声もいただきましたが、個人的には、みなさんの最大音量がしっかり出せていたのかが気になりました。合唱団よびごえの演奏としての魅力は、①作品解釈の深さと、②一人ひとりの思いの深さと、③少人数とは思えない音量の3点がすぐに思い浮かびます。マスクの影響は大きいと思いますが、マスクをつけていたとしても、音量の壁を超えれると思いました。ちなみに、合唱の場合、一人一人の声量が大きいだけでは、全体の音量は大きくなりづらいです。各パート内の音が良い感じで混ざり合い、さらに複数のパートが和音(倍音)の力を借りることで、初めて人数以上の迫力が成立します。今回は和音のはまり方は悪くなかったと思いますので、声量の意識がもう少し欲しかった、という反省と言えます。
 
2つ目は、力学を楽しむこと。
 よびごえとしては指揮者がいない初めての本番だったと思いますが(実は過去にも1回あったのですが、ただその時はピアノ伴奏がありました)、その割にはよく縦があっていた、という一定数の評価もある一方で、僕からすると、アンサンブルとしてはもう少しやれたのでは?と思っています。それは縦が合っていなかったということではなく、「私はこのテンポで歌いたいけど、そっちがそのテンポでいくならしょうがないなぁ、折れてやろう」というのを、楽しむことができていたかどうか、という視点です。
 少し脱線になるかもしれませんが、ソロでピアノを弾くのは完全に一人の世界なので他者から音楽を引っ張られるということは少ないと思いますが、例えば自分が歌い手だとして、伴奏がつくだけで一気に歌いにくくなったり、ここはこういう感じでブレスしたいのにな~、と思ったりすることはありませんか?たった一人共演者が増えるだけで、舞台上には力学(音楽の引っ張り合い)が発生します。自分はこうしたいけど、君がそうするならばこう歌ってあげてもいいよという具合です。自分一人で演奏する以外の時は、ほぼ確実にこうした状況が生まれると言ってよいと思います。つまりは、こうした力学は避けることはできないですし、自分の思い通りに歌えないということが悪いことではないということです。しかし、そういう力学を楽しめていたかどうか、という視点をみなさんにお示ししたいと思ったのは、こういう力学こそ、合唱なのではないか、と思うところがあるからです。(これは吹奏楽でも言えるのかもしれませんが。)
 パートの中には小さな力学があり、全体練習の時には大きな力学があるようにも思います。そうした音楽の引っ張り合いが、結果的によびごえらしいサウンドを創り出すように思いますし、指揮者がいないからこそ、この力学と今まで以上に向き合わざるを得ないとも思います。10人未満で、かつ指揮者無しで全国大会で堂々と歌う中学生、高校生の姿を見ると、こうした力学を楽しんでいるように僕には見えます。よびごえのみなさんにも、きっと、できるはず。そこには、新しい感覚が待っているのではないでしょうか。
 
【前期の練習の運営について】
コロナの変異株のことを思うと、少なくともよびごえの稽古に参加したことによって陽性者が出なかったことは本当に良かったと思いました。Zoomでも、思いのほか、音楽の内容については指導ができたことも良かったと思いますし、これまでのよびごえの稽古のように、みなさん1人1人に考えてもらい、それを積み上げて演奏を作っていくというプロセスもほぼほぼ再現できたと思います。
もし後期に向けてお願いしたいことがあるとすれば、指揮者がいないとき、テンポがどんどん遅くなることは本当によくあることです。そうしたときに、曲の途中であっても軽く振って(指揮をして)、音楽を前にもっていってくれるような人がいると大変助かると思いました。前期は最初と最後だけ、振ってくれたと思いますが、「春こん。」が無事に開催されることとなり、みなさんも参加したいと思ってくださるのであれば、作品の難易度はこれまでよりも高くせざるを得ないと思います。そうしたとき、前期のような、最初と最後だけを振るシステムでは完成まで持っていけない可能性を危惧しています。
感染症対策やオンラインを活用した稽古については、前期でほぼ確立できたと思いますので、あとは上述の、より難易度の高い作品にも対応できるようなシステムの構築ができれば来年以降にも役立つものになると思います。変拍子やテンポがころころ変わる曲、それぞれのパートがまったく合わないような曲など、高度な合唱作品が演奏できる能力を1人1人はもっていると思うのですが、それを指揮者無しでみんなであわせて、本番も指揮者無しで演奏できるようになるための方法を考えていきたいですね。これは後期に向けた僕の大きな宿題とも言えますし、みなさんと協力しながら解決したい課題です。
 
 
 
以上、改めて、先日の合唱祭はお疲れ様でした。
夏休み真っ最中で、エンジョイされている方も多いと思います。コロナには本当にお気を付けいただきつつも、楽しいことをたくさん経験してください。YouTubeで合唱を聴きまくったり、合唱指導の本を図書館から借りてきて、なるほど!とか、いや~ここは違うやろ~!とツッコミを入れてみたり。そして、勉強会の時は、メンバーみんなで一緒に合唱と向き合いましょう。
 
小田
 
おまけ:ねぷた金魚
青森の夏はそろそろ終わります。
 
27
February
2021

【2020】よびごえ日誌 本番後の振り返り編(森本)

会場での練習なしで客席から舞台に出るというのが新鮮で、客席に出た瞬間に緊張が押し寄せてきて少し大変でした。段々とこの舞台の空気感に慣れ、歌うことの楽しみを感じながら歌えました。気持ちが最初から作れなかったのが悔しいですが、このような状況下のなかでも本番を迎えられて本当に良かったです。
 
そして卒団の時を迎えました。本番終了後のミーティングでも話しましたが、短い間の所属だったもののよびごえで本当に濃い経験ができました。私は作曲専攻ですが、よびごえで、実際に音楽を演奏する活動でなければ経験できない、音楽を形作ること、音楽を伝えること、音楽を共有することについて、よびごえならではの濃さをもって、沢山経験できました。そしてそれらは私の創作活動に良い影響をもたらしています。おそらく、それが、惜しくも演奏されることはなかった、よびごえの新歓コンサートのために作曲した女声合唱にも現れていたかと思います。よびごえの活動なしではこの曲は生まれていませんでした。
 
私は今後大学院で作曲を続けますが、このように、これからも、音楽に向き合ったり音楽と仲良くしようとしたり、または時には違う視点をも持ったりして様々な経験をし、そんな自分だから作れる新しい音楽を生み出していきたいと強く思います。また、教育(人に音楽を言葉などで伝えたり教えたり、その音楽の良さを発信することも含み)にも興味があるので、その点もよびごえでの経験をいかして引き続き探究していきたいと思います。
今までありがとうございました。 森本…
24
February
2020

【2019】よびごえ日誌 vol.036

お久しぶりです、2年アルトの中島菜々子です。
今回の練習は、いつもの大学ではなく、とある公民館の一室をお借りし、あたたかなお日様の光に照らされながら、遂に一週間後に迫ったコンクールに向け最終調整を行いました。
 
発声練習では、「ko」で歌う練習や、ハミングを用いた練習を行いました。前回の練習でも指摘があった、速いテンポ下での母音の響かせ方を意識することができました。今回の2曲はどちらも比較的テンポが速い部分があるので、緊張などでいつも通りにいくか分からない本番でも確実にできるよう、常に意識していきたいと思います。
 
 風紋の練習では、曲中の強弱を、より明確に聴いている人に伝わるよう工夫しました。また、曲の冒頭から、集まった声で歌いだせるように、息の吸い方、頭の空間の使い方、ポジションなどのポイントをおさえながら、練習しました。今回の曲は勿論のこと、他のあらゆる場面でも応用できるよう、もっと追究していきたいと思います。
 
 今回は、本番と同じ衣装、靴を身に付けての練習だったため、BIN-NA-MAの練習では、足踏みの音などにも注目しました。また、部分で取り出して、より細かく曲をつくりました。また、皆からも気になる点などを出し合い、それぞれが納得して歌うことができました。
 

 
 ついに、コンクールまで一週間を切りました。それぞれができることをやりつくして、いい演奏ができるよう、より集中して練習に取り組んでいきたいと思います。
 
 次回のよびごえ日誌は、同じくアルトパートの1年生・谷 夏七星さんにお願いしたいと思います! 中島…
06
February
2020

【2019】よびごえ日誌 vol.032

こんにちは。3年の井出です。
2月前半のぽかぽか陽気から一転、急に寒くなりました。私は大学1年のときから早朝バイトを続けていますが、毎年この冬の時期の早朝は、手が凍るほど寒いです(そしてなかなか起きれない!)。
 
今日は、花音さんの発声練習、と思いきや、いきなり「どんぐりころころ」を歌いました。
しかも隣の人の肩をたたきながら。体だけでなく、その場の空気もほぐれました。そういえば昨日、「春こん。」の中学校・高等学校の部のお手伝いをしてきました。終演まで舞台袖にいたのですが、約8割(!)の団体が、演奏前に肩たたきをしていました。どこかの本にでも書いてあるのかしら、と思ったほどでした。また、学校・団体によって本番前の空気は様々です。生徒全員と握手をする先生、ギリギリまで生徒と演奏の確認をする先生、生徒とは話さず楽譜や指揮の確認を黙々と続ける先生など、様々でした(どれがよい、というわけではありません)。一つ言えることは、その空気は先生次第なのかな、ということです。部活動の指導方針でもあるのかもしれませんが、先生によって育つ子どもは全然違うのだなあ、と。言葉では分かっていましたが、実際に間近で見てヒシヒシと感じました。
 
さて、話が逸れました。今日の練習では、はじめに「風紋」を扱いました。通しの録音をし、その録音を聞き、改善点を出し合いました。課題はまだまだたくさんですが、一つひとつ解決をしていきたいですね。言われたことを何個も一度にやろうとすると、かえって上手くいきませんでした。
後半は「BIN-NAM-MA」です。本番の並びを確認し、また演奏も形になってきたと感じています。楽譜に書かれている演奏記号を中心に、細かく確認を行いました。楽譜を読み込んでいる、と思っていても、見落としている記号があるものです。形になってきたのは、そのような細かい作業を繰り返した結果なのかな、と思います。終わりのミーティングでも、「やっと曲を掴めた」との声が多数。暗譜も含め、今後も頑張りましょう!
 
そしてもう一つ。今日の練習から、ベースに助っ人が来てくれています。バリトンパートをお願いしましたが、彼が入ったことで一段と音の鳴りが豊かになりました。練習も違った視点で見てくれているようで、よびごえに新しい風を吹き込んでくれそうです。これからもよろしくお願いしますね。
 

 
次回は同学年の國元さんにお願いしようと思います。 井出…
04
November
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.024

こんにちは!B類1年ソプラノパートの神谷咲妃です。
今回は11月2日から4日にかけて開催された東京学芸大学の学祭“小金井祭”について書き留めたいと思います。小金井祭では音楽科でコンサートを催しているのですが、今回はコンサート最終日の大トリで『美しい訣れの朝』より「3.お母さん」、「知るや君」の2曲を歌わせて頂きました。
 

 
前回の合唱祭での本番とは違い、学内の知り合いや家族など身内を主としたお客さんの中で歌うのはより一層緊張感がありました。
お母さんの死への恐怖感を伝えるにはどうしたら良いのか、それとは正反対とも思われる「知るや君」の美しい自然の風景を誰かに伝えたいという詩を最大限引き出すにはどうしたら良いのか。曲を読み始めてから3ヶ月ほどに渡って歌ってきた私たちが曲から受けた感動、恐怖をダイレクトに聴衆に伝えるためには、どうすれば良いのか。今までの練習で何度も話し合ってきました。曲想、歌い方に関しては練習、リハーサルで準備万端でした。では本番という練習にはない様々な要素をどう曲に活かせるでしょうか。本番直前のミーティングで小田さんからヒントを頂きました。まず入場での歩き方、表情。1曲目にお母さんを歌うのなら、微笑ましく登場するのでは恐怖の世界観は作れません。歩き方も背筋を伸ばして緊張感を持った方がより張り詰めた空気を作れると思います。そして曲間。張り詰めた空気か暖かで穏やかな空気に変える。表情を柔らかくしたり、身体の力を一度抜いてみたり…。それぞれの方法で美しい自然の風景について歌う準備をしました。
 
こんなに本番に向けて曲想の入念の練り込みができるということはとても幸せなことです。普段の学校生活では目まぐるしく本番がやってくるので、なかなか準備万端な状態では迎えられず、後悔することもしばしばあります。そんな中でこのよびごえでの活動は技術面から曲想の練り込み、表現方法の追求までしっかり出来るのはとても勉強になるし、他の本番にも活かしたいと毎回思わされます。
次の本番は春こんです。BIN-NAM-MAと風紋、どちらも難しそうで特にBIN-NAM-MAは特殊奏法がいくつかあり譜読みから怖気付いていますが、また次の目標に向かって頑張っていきたいと思います。
小金井祭に来てくださった皆さまありがとうございました。
 
次回のよびごえ日誌は、よびごえ1年生唯一の声楽専攻の松本夏実ちゃんにお願いしようと思います! 神谷…
31
October
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.023

こんにちは、名嘉眞です。学芸大学は、学園祭でにぎわっています。音楽科でも、毎年恒例小金井祭コンサートが開かれ、私たちの出番もいよいよ明日となりました。
 
今回は、本番直前の稽古ということで、歌をうたう前のスイッチの入れ方がメインとなりました。というのも、本番では、場所、隊形、緊張状態など、いつもと違うことが起こります。またこれは、個人の問題ではなく、私たちが合唱という集団芸術のかたちである以上、お互いに影響しあいます。本番特有の緊張や興奮状態の中でしか生まれない、熱い演奏も、本番の楽しみではあります。しかし一方で、曲が常に持っている熱量や世界観を、着実に再生していくための仕掛けとして、スイッチが必要です。
 
今回初めに曲を通した時、何か全然まとまらなかったな、という印象でした。同じベクトルに向いているはずなのに、集団だからこそ生まれる、音楽の大きなうねりが感じられません。いつもと隊形が違うことで、聞こえ方が変わり、曲に集中することよりも、周辺の環境に気を配りすぎるがあまり、私たち個人が硬直してしまい、結果的に音楽が硬直してしまいました。小田さんからその後、「死生観」についての話があったり、曲のイメージを音楽的要素と詩から再統合することで、みんなの中の音楽が潤いを取り戻しはじめ、だんだんと動いてきました。個人の状態も安定し、音楽と向き合う情緒的な基盤が作られて、ようやく曲と一体となることができるのだと知りました。
 
実は、今回の稽古には美術科からスペシャルゲストが4人来てくれました!たった二時間で音楽がどんどん変容していくのが面白かった。音楽を通して、自分と向き合うことができた。音楽をするという行為は、究極の鑑賞だと思った。など、私たちでは発見することのできない、美術科ならではの視点もあり、お互いにとって有意義な時間となったのではないでしょうか。学芸大学には各教科のオタク…ではなく、専門家がたくさんいます。自分の領域に熱中するがあまり、他学科との交流は少なくなりがちですが、よびごえが鎖国することなく、開かれた空間であってほしいな、というのが、1つわたしの願望であったりもします。
 

 
ここからは美術科のみなさんのお話を受けて、お話しします。私たちは、演奏することを通して、自分の中に他者を生み出します。曲と初めて向き合ったとき、楽譜は他者です。しかし、練習を重ね、曲と向き合う時間が増え、曲を理解するということが、いつの間にか、曲に描かれた、他者を理解するという行為になります。他者理解をしたうえで、表現というアウトプットの行為に及んだ時、自分の中に他者が生まれるのです。そして、身体の中から出てきた演奏は、自分でもなく他者でもない、入り交じった第三者となって、聞き手の耳に届きます。『究極の鑑賞』というのは、音楽そのものを鑑賞することだけでなく、自分自身の鑑賞という意味にもなるかもしれません。聞き手のみなさんの中に何かを残せる演奏ができるよう、真心を込めて演奏したいと思います。
 
次回のよびごえ日誌は、小金井祭でよびごえとしての初舞台を迎える、一年生の1人、神谷咲妃さんにお願いします!
 
それでは、4日16時音楽ホールにて、お会いしましょう! 名嘉眞…
21
October
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.022

こんにちは、中島菜々子です。
小金井祭を2週間後に控え、今回は途中でリハーサルを含めた練習となりました。
 
最初の20分間は、いつものように発声をしました。今日は、いつもより少し広い場所をいっぱいに使い、散らばって皆で歌いました。自分の周りの狭い範囲だけにとどまらず、広げることで、隣の人と離れていても一体感を持って歌うことができました。
 
リハーサル前の練習では、「お母さん」の細かい部分の修正を行いました。上手くいかない部分がでてきたときに、すぐに他のメンバーから、「ここはどういうことを表現したいのか」という問いがあげられました。常に表現したいことを持って、そのためにはどういった技術が必要なのか、というプロセスを考えられることができるのは、本当に大切なことだと思いました。
 
リハーサルを終えた後の練習では、会場での響き方に合わせて調節を行いました。私がこのとき言われて印象に残ったのは、「相手に伝えられなかったら圧倒的な失敗である」ということです。普段個人で演奏するときも忘れがちなことで、どうしても目先の技術的な失敗を恐れて、相手に伝えようとする意識が薄れてしまうのです。もちろん技術を高めることは必要です。しかし、その大元の目的が「伝える」ことであることを常に念頭に置いておかなければならないと改めて感じました。
 

 
本番まであと少しです。雨ばかりで鬱になりそうですが頑張ります!!
次回のよびごえ日誌は、私たちの先輩、國元先輩にお願いしたいと思います!
  中島…
07
July
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.010

こんにちは!1年A類の伊野綾那です。今回は、今年度初のステージ!7月7日(日)の東京都合唱祭について書き留めたいと思います。
 
実は、私は高校の合唱部時代からこの合唱祭に毎年参加していました。そのため、会場の新宿文化センターはもはや思い出の場所です。しかし、どれだけ同じ舞台に立ったことがあったとしても、毎回見える景色は違いますし、この空間でどんな演奏ができるのかという緊張と興奮は、毎回湧き上がってくるものですね。
 
さて、早朝の最終練習を終えて、静かな雨の中会場に向かうと、続々と出演される合唱団の方々が集まってきました。合唱を愛し、仲間とともに楽しんでいる方々が、これだけいるのか!と驚かずにはいられませんでした。合唱祭が始まり、実際に演奏を聞いていくと、年齢、人数、ジャンル、演奏形態など、非常に様々でした。コンクールのように規則、審査、順位…などに縛られず、表現したいものを表現する。まさにお祭りという名にふさわしい、楽しい時間でした。
 
それでは逆に、私たちよびごえは何を伝えることができたでしょうか。目標であった「自分たちが感動し、感動させる音楽」、そして「爆発した本番でしか作れない音楽」を作れることはできたでしょうか。ここで、講評、他の団体からの感想文の一部を紹介します。
《良かった点》
・透明感のある歌声で12人とは思えない豊かな響きだった
・優しさ、温かさ、人間とは…などが伝わってくる英知ある演奏だった
《改善点》
・メゾ、アルトがソプラノに消されがちだった
・各パートが音楽の流れを作り出せるとさらに良い
・言葉一つ一つの表情を表現してほしい
など多くのご意見をいただき、嬉しさを噛みしめつつも、よびごえの次なる課題が見えてきました。もちろんそれは、「感動をはらんだ音楽を届ける」ための手段であることを忘れず、これからの音楽作りに活かしていきたいと思います。
 

 
最後に、私の個人的な感想になってしまいますが一つ。感想文を読んでいるとき、「今後も歌い続けてください。」という言葉が深く心に響き、感動が溢れてきたのです。よびごえの歌声をまた聴きたい、他の誰かにも聴いてほしい、と願いのこもった一言のように感じられ、こんな私も歌って良いんだ、と本当に心が救われました。音楽は、自分のためではなく、聴いてくださる誰かのためにあるのだ、ということを改めて確信した瞬間でした。感動を生んだ音楽が、演奏する者の喜びとなり、また別の場所で感動を生み出していく。音楽の力って本当にすごいですね!!!
 
約3か月間、向き合ってきた『恋』『雨のあと』の練習は一旦終了し、これからは、小金井祭に向けて再出発です。ひと夏をかけて、さらに進化したよびごえの姿をお見せできるよう頑張ります!
 
次回のよびごえ日誌は笑顔のかわいい谷夏七星さんです!お楽しみに! 伊野…
01
July
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.009

はじめまして!1年フルート専攻の今城琴美です。今回は合唱祭前の最後の練習でした。
 
各自発声をした後、まず通し練習を行いました。立ち位置の確認や歌い始めのタイミングの確認をし、本番をイメージした練習となりました。歌う前に、心を落ち着けてその曲の歌詞に思いを馳せ、気持ちを作って準備することが大切だと感じました。
 
まず『恋』の練習では、テンポの変わり目などのアインザッツの確認をしました。
曲の始めは特に私自身も不安に思っている部分だったので慣れるまで何度か練習することが出来て良かったと思います。
タイミングを揃えることを意識しすぎるとどうしてもためらいが生まれてしまい、余計にずれてしまったり、テンポも引きずりがちになってしまったりするので全員が自信を持って思い切って入ることが大切だと思いました。
 
『雨のあと』の練習では、アルトパートはメロディーの部分で明るい声で歌おうとするあまり、声が浅くなってしまっているという指摘を受けました。奥に響きのある声を出しつつ、歌詞の明るいニュアンスを出す歌い方を出来るよう工夫しようと思います。
また「かわく」という言葉が何度も繰り返されていることに着目し、それは何故なのか、どのように歌えばいいのか、ということを考えました。「涙のあとがもうかわく」という言葉から、かわいてほしいという思いを感じるという意見や明るくキラキラとしたイメージを持つという意見がありました。
 

 
また全体を通して、小田さんから「感動を届ける演奏をしよう」というお話がありました。
ただ上手な演奏をすることは求めていない、1人でもいいので誰かに感動を届けられる演奏をすることを今回の合唱祭の目標にしようということでした。
みんな一生懸命に和声分析や、楽譜の読み取りをしがちだけど、それはあくまでも心に響く演奏をするための手段であって本来の目的を忘れてはならないと気付かされました。
 
いよいよ7日の日曜日が本番です。4月に入団して3ヶ月余り向き合ってきた『恋』と『雨のあと』を皆さんに聴いていただけることがとても楽しみです。
聴きに来てくださる方々に曲に込めた私たちの思いを届け、心に響く音楽を作りあげたいと思います。
 
次のよびごえ日誌は、ソプラノの1年生の伊野綾那ちゃんにお願いします! 今城…