よびごえ日誌


2024.03.04 【2023】よびごえ日誌 vol.13
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こんにちは、1Bの柳本泰佑です。よびごえ日誌なるものを初めて書いてみようと思います。私は他のメンバーのように文才がないので、稚拙で短い物となりますが、見返すときの未来の自分は優しいですよね?許してください。
 
よびごえに入って一年間、多くのことを学んだと思う。音程の取り方、和声の感じ方といった細かい技術から、音楽の形而上的な事柄まで。小田さんだけでなく、他のメンバーからも学ぶことがたくさんあった。よびごえの文化である、「振り返り」はよくできたものだと思う。その日に得た学びというものを、言語化というプロセスまでもっていき相手に伝える。一度言葉に変換できたものは忘れないし、その後の音楽活動の糧にできる。聞く人は、その人の人となりや価値観、音楽的な気づきを受け取ることができる。「振り返り」という時間が、歌い手の、そして合唱団の音楽を潤沢にしていることに気づいた。そしてよびごえ日誌もまさに振り返り。でもなかなか手を付けられず今日まで来てしまった。小田さんが下さったせっかくの機会を大切にしないとね。
 
春コン、お疲れさま。2曲とも、音程はすこぶる取れないし、味わい方を知らないと面白くもない、難曲でしたね。でも、これらの曲だからこそ、今まで以上に音楽に向き合えた。そしてまた、一つの言葉に出会った。それは「音楽が、技術に先行する」というもの。すべての音楽活動には、技術と音楽性の2つの要素が存在する。しかし、そこには順番があり、常に、こうしたいという音楽の理想の形が先にあって、それを実現するための手段として技術が待ち構えている。とかく、技巧的で、常人にはできない芸当をやってのける人が「うまい」や優秀と思われることが多い。でもそれは、技術が音楽性をおいて独り歩きしているように私は感じる。音楽を志す者は常に、どんな音色、風景、ニュアンスで、というものを頭の中で音響を正確に再現し、それと現実とのギャップを、技術を用いて埋めていく工程を繰り返す。そうしていく中で、自分自身がその音楽の良さを味わえるようになる。ここまでくれば、どんな音を聴いてほしいのか、何を表現したいかが明確になるし、そのころには身体もついてきてくれる。その結果、予定調和ではないその人の「心」から湧き出る音楽をステージの上で表現することができるのだと気づくことができた。一つ、その人の音楽性の高さや音楽の才能と呼ばれるものがあるならば、それは、その人が頭のなかで、ものすごく素敵で人の心を揺さぶるような音楽を創造できる力のことだと思う。
 
ほかにも学んだことは多くありますが、全部書くと全くまとまらなくなってしまうし、読み返す気がかなり失せる気がするのでこの辺で終わりにします。
 
小田先生、そしてよびごえの皆さん、この一年間ありがとうございました。これからもお世話になると思います。よろしくお願いいたします。

柳本泰佑