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16
November
2022

【2022】よびごえ日誌 スタコン終了

小田です。小金井祭に出場されたみなさん、本当にお疲れ様でした。
先日、僕が書いたよびごえ日誌で、「Salve Regina」と「白日」を選んだ理由については、少し語ってみましたので、みなさんの演奏を聴いて、合唱の学びの深いところと僕が思っていることについて、少しだけ共有を試みたいと思います。
 
みなさんよりも少し先輩のよびごえメンバーで、吹奏楽と合唱の違いについて、振り返りの時によくご発言くださる方がいました。「合唱にはテキストがある、それを教育資源として活かせるようになりたい」というような趣旨のことをおっしゃっていたと思います。
これについて、異論を唱える方はいないと思います。確かに、吹奏楽と合唱では、テキストの有無は表現の差異として認められると思います。
 
音楽は言葉である、ということについて、みなさんはどの程度、考えたことがあるでしょう。
これについて考えるとき、そもそも「言葉とは何か」ということを考える必要もあるでしょう。
では、改めて問いますが、「言葉とは何か」ということについてみなさんはどの程度考えたことがあるでしょう。また、みなさんは言葉とはなんだと説明しますか?
 
教科書的で明確な答えを探そうとすることよりも、ここではみなさんが普段使っている「言葉」について振り返り、その特性を今一度捉えてほしいことを目的として問うています。
 
 
 
僕の考えです。言葉は、自分以外の誰かに、何かを伝える必要性がなければ発達してこなかったと考えています。
最もプリミティヴなレベルでいうと、何かを伝えあうことが生存状態を維持することに有利であり、そのために時間をかけて複雑に発達させてきたのだと思われます(複雑な情報をより正確に共有できることは生存に有利だったのでしょう)。
つまりは、言葉の本質は、誰かに何かを伝える、ということであって、むしろそれだけの概念なんだと思います。
そう思うと、誰かに何かを伝えるものであれば、そのすべてを「言葉」と呼んで良いと思っています。
 
きっとこうした考えは僕だけのものではありません。書き言葉やしゃべり言葉といった、特定の文化圏で発達した、俗に ~語 と呼ばれるものだけが言葉なのではなく、ジェスチャーも何かを伝えますし、ダンスや美術作品、そして音楽も何かを伝えるので「言葉」なんだという考え方は、古くから西洋を中心に存在していました。
 
~語と呼ばれるものについては、新しい単語が開発されたり、単語と単語をどう結び付けることでどういう意味作用を期待するのかという統語(文法)という考えが発達していくことで、「言葉」としての豊かさを見出すわけですが、音楽はどうだったのでしょう。音楽は、多分にしゃべり言葉や書き言葉の影響を受けることで、音と音がいかに結びつくのか、ということが開発されていったと考えられています。これについては、レナード・バーンスタインの「答えのない質問」がとても面白い視点を与えてくれると思います。図書館で夢中になって毎日視聴覚ブースでビデオを見ていたころを思い出します。バーンスタインとしては、音楽にも文法があって、音と音が結びつくとき、例えばそこにはカデンツみたいなルールがある、それは言葉が 主語と述語 の組み合わせを基礎として多様なヴァラエティを持つことと似ている、というように説明しています。
 
さて、なぜ急に小田がこんなことを言い出したのか、ということにゆっくりと立ち返りたいと思いますが、「Salve Regina」のように私たちの私生活ではなかなか使用しない言語を歌唱するとき、テキストはよく分からないけれども、音楽的にはこういうフレーズで処理したらいいんじゃない?という「直感」が働く人もいるかもしれません。でも、言い方を変えれば、なぜその直感が作動しうるのかというと、音楽とテキストがそれぞれ異なった「言葉」だからであり、合唱作品(歌唱作品)は、そうした2つの言葉が併存するということが形態の独自性となっているからです。
 
声楽作品の作曲様相の歴史的変遷を思うと、歌唱作品にはそもそも2つの言葉(音楽、テキスト)が内在しているということを作曲家の中で自明のこととし、基本的にはテキストのもつリズム感や単語と単語の結びつきの強さの程度、意味などをいかに音楽に自然な形で反映していけるのかということが重要な技法とされてきました。例えば、作品を評する際に「テキストと音楽がよく合ってる」なんて言葉を耳にすることもありますが、まさにそうした価値観のことを指します。しかしもちろん、時代が新しくなるにつれ、テキストの内容について、いかに音楽という言葉によって広がりを持たせられるのか、ということが作曲家の興味の対象になってきます。つまりは、いつまでもテキストに迎合した音楽であることを良しとせず、声楽作品の中での「音楽」の表現を問うようになってきます。歌唱作品を構成する2つの言葉の力関係に変化が起ころうとしているということです。テキスト優位の場合は、音楽はテキストのしもべとなって、ペットのようについていくわけですが、テキストと音楽がともに独自の位置を見出した作品については、例えば「テキストと音楽の結婚」という美しい表現で言われることもあります。
 
つまりは、冒頭で引用したみなさんの先輩の発言を思い返すと、その方がおっしゃっていたのは、吹奏楽と合唱の違いを、表現形態に内在する言葉の数で捉えようとしていたこと、また合唱にはテキストがあるよね、というシンプルな問題ではなく、2つの言葉の関係性をいかに教育的に活用できるのか、ということを言っていたのではないかと思うのです。
 
さて、結論なのですが、「Salve Regina」と「白日」について、2つの言葉の関係性はどうなっていたのでしょうか。実は、一柳さんが初期の稽古の振り返りで少しおっしゃっていたようにも思いますが、この2つの作品については、こうした観点からも異なるタイプの作品であったように個人的には振り返っています。Salve Reginaはラテン語のテキストからアプローチ? 白日はノリや音楽からアプローチ? もしかすると、知らず知らずのうちに、この2つの言葉についてみなさんは直感的に捉え、それを演奏法につなげていたのかもしれません。そんなことを、みなさんの小金井祭での演奏を聴きながら考えていました。
 
最後に、今回の春こんの自由曲。その1曲については3つの言葉が併存していることにはお気づきでしょうか?音楽、テキスト、そして踊り。音楽では何を伝えられるのか、テキストでは何を伝えられるのか、踊りでは何を伝えられるのか。そして、そうした3つの言葉をもつ作品というのは、2つの言葉をもつ作品と比べて、お客さんへの届き方は何かが異なるのでしょうか?いろいろと、楽しく考えてみてください。
 
問いをもつこと、チャレンジすること、よびごえはもっともっと、合唱の本質に迫ることができます。合唱を究めてください。そして、それが将来の子どもたちとの合唱活動のエネルギーになることに心からの願いを込めて。 小田  
15
November
2022

【2022】よびごえ日誌 スタコン練習編03

こんにちは。B類3年藤原改です。今日はスタコン本番に向けた最後の練習で、本番曲の「Salve regina」「白日」を練習しました。
本番前最後の練習ということで、今回は細かい表現以外にも本番への向かい方について意識するような稽古になりました。
 
【Salve regina】
・響きを小さく作らない!自分たちの近くで響きを揃えようとせず、空間全体に響かせて「観客を包む」
・合わせるために遅くなる/小さくなることはないように!基礎はなっているからこそ前向きに歌う
・歌詞の単語間のエネルギー(修辞学的な意識)を大切に
・音/音程が何かを象徴すること・その違いを理解する
・語尾の処理を適切に行えるような場所/深さのブレスを心がける
 
 
【白日】
・この曲全体のトーンはどう設定するべき?
「諧謔的な(全てを見下ろすトーン)」「強め」「乱暴に見えて本当は傷ついてる」etc… 何かしらの意思を持つ
・原曲を踏まえた曲中でのテンポ変化について共通認識を持つ(ピアノの8ビートによるテンポキープ!)
・各声部のバランスと音程の最終確認
 
本番に歌うメンバー全員での稽古が実施できたため、バランスや音程など地盤となる音楽づくりの部分については念入りに確認が行えました。男声パートを担当している私個人の実感としては、混声四部合唱に比べて混声三部合唱の方が男声パートが担当する役割/音域が広く、根音として全体のハーモニーを支えるのか(混声四部合唱におけるBassの標準的な役割)、内声のような役割を果たすのか(SopとPianoの左手がそれぞれ外声の役割を果たしてアルトパートと男声パートで内声を担当する、といった動きは混声三部合唱にありがちだと勝手に感じています)、それぞれの役割に応じて声量感がかなり異なるため、すごく練習を始めたころは頭を使って歌っていた記憶があります。
 
7月の合唱祭に向けて取り組み始め、もう半年間この曲と向き合ったわけですが、だいぶそういった点については無意識に演奏できるようになってきたなと感じました。
ただ、だからこそ変な癖がついてしまった部分には気づきにくくなっているのもまた事実でした。音楽づくりの点においては、そういった癖をとり改めてこの曲の細かい部分と向き合う作業ができたなと感じています。
 
 
また、今回の稽古は「本番への向かい方を意識する稽古になった」と前述しましたが、それは前の段落で述べた「音楽面の最終調整」と別に、「本番の演奏を意識した稽古」たらしめる何かがあったからだと感じます。
それは具体的な文言が、というよりは稽古全体の雰囲気(小田さんの発言の端々から、また、団員の姿勢から)なのかなと思いますが…具体的にはあまり答えが出ません。
 
でもこの「本番前最後の練習」特有の感覚は、かなり経験した事があるものです。特に、何日も何か月も、たった1曲2曲に費やして練習していた中学高校の合唱部時代はいつも存在する感覚でした。
一度練習のすべてを手放して、頭に、身体に染みついている音楽を精一杯表現するような感覚。今回の稽古でも「練習してきたことは全部忘れて」という発言がありましたし(前後を省略しているせいで誤解を招いたら申し訳ないですが)、今までも様々な先生にそう言っていただいた記憶があります。そしてなぜだか、そうやってのびのびと楽しんだ演奏の方が九割九分上手くいくんですよね…。
 
指導者側の立場で考えると、この「本番前最後の練習」で児童生徒にどういった声がけを、指導をするかはとても本番の状態に関わると思います。絶対的な正解があるわけではなく、対象とする集団の年齢や雰囲気、本番の目的などによって変化するものだと思いますが、児童生徒たちにとってその時その時の本番がより素敵なものになるための一助となれるように、都度考えていきたいなと感じました。
 
私の怠慢で日誌の筆がなかなか進まず、気づいたらもう本番当日ですが、のびのびと演奏出来たらなと思います!
次回の日誌もお楽しみに! 藤原…
02
November
2022

【2022】よびごえ日誌 スタコン練習編02

こんにちは、A類3年原田綾乃です。今日はスタコン本番に向けた練習でした。
白日、Salve Reginaを練習しましたが、前回に引き続き発声についての内容が多かったように思います。
 
〇白日
ピアノ1/4開 アルトが低くなる場所など他パート音量注意
冒頭ときにはの「き」i母音すぐ鳴らす(息のスピード速く)
同じ音が続いたときの音程高めに
i→aなど、閉口母音から開口母音に移るとき浅くならないよう注意
発声の基本は合唱で、リズムや子音でポップス感を出す
 
〇Salve Regina
子音(語尾、語中)はっきり
5小節目アルトC高めに(C durの根音のようなイメージ) 2度ぶつける
アルト低音はペットボイス(胸に響かせる)を使って
ブレス早めに 3-5秒くらい前に!
 
母音については、チェックポイントを決めて、どこで浅くなりがちなのか、どこで息のスピードが必要なのかといったことを知ったうえで歌うのが大事だと思いました。個人的に、録音などを注意深く聴かないと自分の母音の深さには敏感になれないように感じているので、気を付けたいです。
ペットボイスについては、準備して単体で出すことはできても頭声との使い分けをするのが以前から個人的に課題だと思っていたので、うまくできるようになりたいと思いました。
 
また、今日の稽古では、小田さんが具体的な体の使い方を言葉で説明してくださっているのが印象的でした。
私自身は発声やブレスなどの体の使い方を習得するのにとても時間がかかるタイプなので、最終的には何回も回数をこなすことも必要ですが、頭で理解しているだけでも定着までのスピードや練習の効率は違うと思うので、言語化することも忘れずにいたいです。
指導者側の立場としても、夏休みの実習を経て、範唱で示すのはもちろん、言語化して伝わる指示や発問をすることの重要性を感じたため、体の使い方やイメージの共有の仕方など、伝わる表現を探していきたいです。
 
 
春学期から長く歌っている曲ですが、歌うたびに新しい学びが得られて、着眼点次第でいくらでも練習を広げられるのだなあ、と思います。
合唱祭で披露できなかったものの、ポップスと合唱それぞれのよさについて、宗教曲の解釈について、混声3部合唱についてなど、様々な視点からよびごえらしい演奏をできるようにたくさん考えを深めてきた曲なので、スタコン本番でもよびごえらしい表現をしたいと思います。ありがたいことに秋冬でたくさんの本番があって、抱えている曲もどんどん増えてしまっていますが、よびごえの稽古に来ると、「考えて歌う」ということの面白さについて改めて感じられます。どんな曲も自分なりに解釈して、表現を考えることを止めないでいたいと思います。頑張ります!
 
次回の日誌もお楽しみに! 原田…
23
October
2022

【2022】よびごえ日誌 スタコン練習編01

最近は、急に冷え込んできましたね…!マフラーやセーターを出した方も多いようで、冬が迫ってきていることを感じるこの頃です。
さて、今回は、11月に行われる秋の音楽科スターダムコンサート2022、通称スタコンに向けての練習を行いました。曲は、合唱祭で歌うことが叶わなかった、白日とSalve Reginaの2曲。前回の稽古では、同じ曲でも、発表の場が違えば歌い方や見せ方も同じではないのでは?なんて意見が出て、とても納得させられました。ちなみに、結果として、曲順が合唱祭で予定していたものとは逆になっています。今回の稽古では、発声についてのお話がメインだったかと思います。今回の稽古については、振り返りを皆さんに書いてもらいましたので、以下にまとめて掲載します。
 
稲村さん
白日では、時間をかけてたっぷりブレスを取ることを意識しました。器楽のレッスンでも最近は呼吸が課題なので、大学で学んだことと結びつけながら試行錯誤してみようと思いました。
Salve Reginaは、最大音量を1音1音に乗せ繋げることで、太い流れが見えるような見えないようなという感じに終わりました。ペットヴォイスの仕組みについても少し教わり、ソプラノとアルトの発声の違いについてはじめの一歩を知ることができておもしろかったです。
次に合わせたときに、3年生からの「わー(すごい)」を引き出せるように練習に励みたいです。
 
新喜さん
今回小田さんからアルトパートに向けて胸を使った発声についてのお話がありましたが、その時合唱に様々な声部がある理由を考えました。アルトは身体の重心の方に響かせるイメージを持つけど、ソプラノはそれをしてはいけなくてひたすら高い位置をイメージするという話をお聞きして、そうすることでアルトとソプラノの違いを出すことができ、立体感のある演奏になるのだと個人的に腑に落ちた点があります。たしかに、合唱の声部はその人の音域で分けることになると思いますが、それだけでなくそのパートを最大限に活かす歌い方があることが新たな発見でした。ただ高い低いの概念ではなく、声の質により注目して練習に励もうと思います。
 
萩原さん
《発声》
・始めは一言一言アクセントで歌う。(点と点)
・アクセントとは、クレッシェンドの最速バージョン。
・音量が最大(山?)になったところから常にその音量をキープして歌う。(点どうしを繋げて線に)そこで初めて息がどのくらい足りないのか体感→歌い切れる息の量を考えてもう一度。
・低声の発声の仕方として4パターン
①溝落ちが前後に動く+肋開かない
②‥ が動かない+肋開かない
③鎖骨(肩)が上下に動く+肋開く
④‥ が動かない+肋開く
・④を『ペットボイス』という
↑↑アルトは実践。ソプラノは声が重くなる(?)からNG
 
最後に私(一柳)も少し書かせていただきます。
今回の稽古では、普段歌では感覚ですまされがちな、発声のメカニズムについてのお話がありました。高い音は頭声、低い音は胸声を使うとよく響くこと、胸声の際は胸に響くので、胸に空間が必要なことなどを学びました。その際に出たのが、体格の話。もともと胸の部分の空間が広い方は、低い音が響きやすい傾向にあるということ。触れにくい部分ではありますが、歌は、生まれもった身体や声帯が非常に重要な役割を果たす演奏活動です。自分の力ではどうしようもない部分もあるのかもしれません。学校現場でも、中学校などでは特に、常に考えなくてはならない部分だと思います。でも、それぞれ違う個性のある声で、一つのものをつくる合唱という活動は、面白いな、と改めて感じました。
 
スタコンも春こんもで忙しいですが、寒さに負けず頑張りましょう!
今回はこのへんで。お読み下さりありがとうございました。次回もお楽しみに! 稲村、新喜、萩原、一柳…
04
November
2019

東京学芸大学 小金井祭 音楽科コンサート

女声合唱組曲『美しい訣れの朝』より「お母さん」(坂田寛夫作詩/中田喜直作曲)
無伴奏女声合唱のための「知るや君」(島崎藤村作詩/相澤直人作曲)
 

 
 ※聴いてくださる際は音量を大きくしてください。ヘッドホンの方が良いかもしれません。
 
 
04
November
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.024

こんにちは!B類1年ソプラノパートの神谷咲妃です。
今回は11月2日から4日にかけて開催された東京学芸大学の学祭“小金井祭”について書き留めたいと思います。小金井祭では音楽科でコンサートを催しているのですが、今回はコンサート最終日の大トリで『美しい訣れの朝』より「3.お母さん」、「知るや君」の2曲を歌わせて頂きました。
 

 
前回の合唱祭での本番とは違い、学内の知り合いや家族など身内を主としたお客さんの中で歌うのはより一層緊張感がありました。
お母さんの死への恐怖感を伝えるにはどうしたら良いのか、それとは正反対とも思われる「知るや君」の美しい自然の風景を誰かに伝えたいという詩を最大限引き出すにはどうしたら良いのか。曲を読み始めてから3ヶ月ほどに渡って歌ってきた私たちが曲から受けた感動、恐怖をダイレクトに聴衆に伝えるためには、どうすれば良いのか。今までの練習で何度も話し合ってきました。曲想、歌い方に関しては練習、リハーサルで準備万端でした。では本番という練習にはない様々な要素をどう曲に活かせるでしょうか。本番直前のミーティングで小田さんからヒントを頂きました。まず入場での歩き方、表情。1曲目にお母さんを歌うのなら、微笑ましく登場するのでは恐怖の世界観は作れません。歩き方も背筋を伸ばして緊張感を持った方がより張り詰めた空気を作れると思います。そして曲間。張り詰めた空気か暖かで穏やかな空気に変える。表情を柔らかくしたり、身体の力を一度抜いてみたり…。それぞれの方法で美しい自然の風景について歌う準備をしました。
 
こんなに本番に向けて曲想の入念の練り込みができるということはとても幸せなことです。普段の学校生活では目まぐるしく本番がやってくるので、なかなか準備万端な状態では迎えられず、後悔することもしばしばあります。そんな中でこのよびごえでの活動は技術面から曲想の練り込み、表現方法の追求までしっかり出来るのはとても勉強になるし、他の本番にも活かしたいと毎回思わされます。
次の本番は春こんです。BIN-NAM-MAと風紋、どちらも難しそうで特にBIN-NAM-MAは特殊奏法がいくつかあり譜読みから怖気付いていますが、また次の目標に向かって頑張っていきたいと思います。
小金井祭に来てくださった皆さまありがとうございました。
 
次回のよびごえ日誌は、よびごえ1年生唯一の声楽専攻の松本夏実ちゃんにお願いしようと思います! 神谷…
31
October
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.023

こんにちは、名嘉眞です。学芸大学は、学園祭でにぎわっています。音楽科でも、毎年恒例小金井祭コンサートが開かれ、私たちの出番もいよいよ明日となりました。
 
今回は、本番直前の稽古ということで、歌をうたう前のスイッチの入れ方がメインとなりました。というのも、本番では、場所、隊形、緊張状態など、いつもと違うことが起こります。またこれは、個人の問題ではなく、私たちが合唱という集団芸術のかたちである以上、お互いに影響しあいます。本番特有の緊張や興奮状態の中でしか生まれない、熱い演奏も、本番の楽しみではあります。しかし一方で、曲が常に持っている熱量や世界観を、着実に再生していくための仕掛けとして、スイッチが必要です。
 
今回初めに曲を通した時、何か全然まとまらなかったな、という印象でした。同じベクトルに向いているはずなのに、集団だからこそ生まれる、音楽の大きなうねりが感じられません。いつもと隊形が違うことで、聞こえ方が変わり、曲に集中することよりも、周辺の環境に気を配りすぎるがあまり、私たち個人が硬直してしまい、結果的に音楽が硬直してしまいました。小田さんからその後、「死生観」についての話があったり、曲のイメージを音楽的要素と詩から再統合することで、みんなの中の音楽が潤いを取り戻しはじめ、だんだんと動いてきました。個人の状態も安定し、音楽と向き合う情緒的な基盤が作られて、ようやく曲と一体となることができるのだと知りました。
 
実は、今回の稽古には美術科からスペシャルゲストが4人来てくれました!たった二時間で音楽がどんどん変容していくのが面白かった。音楽を通して、自分と向き合うことができた。音楽をするという行為は、究極の鑑賞だと思った。など、私たちでは発見することのできない、美術科ならではの視点もあり、お互いにとって有意義な時間となったのではないでしょうか。学芸大学には各教科のオタク…ではなく、専門家がたくさんいます。自分の領域に熱中するがあまり、他学科との交流は少なくなりがちですが、よびごえが鎖国することなく、開かれた空間であってほしいな、というのが、1つわたしの願望であったりもします。
 

 
ここからは美術科のみなさんのお話を受けて、お話しします。私たちは、演奏することを通して、自分の中に他者を生み出します。曲と初めて向き合ったとき、楽譜は他者です。しかし、練習を重ね、曲と向き合う時間が増え、曲を理解するということが、いつの間にか、曲に描かれた、他者を理解するという行為になります。他者理解をしたうえで、表現というアウトプットの行為に及んだ時、自分の中に他者が生まれるのです。そして、身体の中から出てきた演奏は、自分でもなく他者でもない、入り交じった第三者となって、聞き手の耳に届きます。『究極の鑑賞』というのは、音楽そのものを鑑賞することだけでなく、自分自身の鑑賞という意味にもなるかもしれません。聞き手のみなさんの中に何かを残せる演奏ができるよう、真心を込めて演奏したいと思います。
 
次回のよびごえ日誌は、小金井祭でよびごえとしての初舞台を迎える、一年生の1人、神谷咲妃さんにお願いします!
 
それでは、4日16時音楽ホールにて、お会いしましょう! 名嘉眞…
21
October
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.022

こんにちは、中島菜々子です。
小金井祭を2週間後に控え、今回は途中でリハーサルを含めた練習となりました。
 
最初の20分間は、いつものように発声をしました。今日は、いつもより少し広い場所をいっぱいに使い、散らばって皆で歌いました。自分の周りの狭い範囲だけにとどまらず、広げることで、隣の人と離れていても一体感を持って歌うことができました。
 
リハーサル前の練習では、「お母さん」の細かい部分の修正を行いました。上手くいかない部分がでてきたときに、すぐに他のメンバーから、「ここはどういうことを表現したいのか」という問いがあげられました。常に表現したいことを持って、そのためにはどういった技術が必要なのか、というプロセスを考えられることができるのは、本当に大切なことだと思いました。
 
リハーサルを終えた後の練習では、会場での響き方に合わせて調節を行いました。私がこのとき言われて印象に残ったのは、「相手に伝えられなかったら圧倒的な失敗である」ということです。普段個人で演奏するときも忘れがちなことで、どうしても目先の技術的な失敗を恐れて、相手に伝えようとする意識が薄れてしまうのです。もちろん技術を高めることは必要です。しかし、その大元の目的が「伝える」ことであることを常に念頭に置いておかなければならないと改めて感じました。
 

 
本番まであと少しです。雨ばかりで鬱になりそうですが頑張ります!!
次回のよびごえ日誌は、私たちの先輩、國元先輩にお願いしたいと思います!
  中島…
15
October
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.021

こんにちは。3年作曲専攻の森本侑花です。
今日は、台風の影響でいつもと違う場所で行いました。しかし稽古のあと新歓行事があるのもあってか参加人数が多く、パート練習や「知るや君」の合唱をより充実した形で行えました。
 
私事ですが自分は9月の終わりによびごえに入ってからまだ間も無く、勿論はじめての日誌で、きっと拙い文章になると思いますがよろしくお願いします。
 
パート練習は、「知るや君」をパートに分かれて①自分たちだけで練習②小田さんとの練習 をローテーションする形で行いました。
実は前回の稽古のミーティングで、「パート練習が楽しく意味のあるものにするにはどうすればよいか」という話題がでましたが、今回のパート練習では、その解決案のひとつとして「目的・目標を持ちながら行う」ということができました。
私のパートであるアルトⅡは、「何回も出てくる「知るや君」という歌詞の”や”の発音のニュアンス(i-aの鋭さや柔らかさ)を各箇所どうするかパートの考えをまとめる」ということを行いました。パート練習が少人数なのもあり全員でよく意見を交わすことができました。音取りのパート練習とはまた違う、その次の段階のパート練習を行うことができ、とても楽しく意味のあるものになったのではないかと思います。
 
合唱練習は、「知るや君」を行い、今日から楽譜に書いてあることよりも1歩先のことについて取り組み始めました。「知るや君」は、楽譜に強弱や速さ、発想などの指示や、曲の性質上(フーガ形式であること、カデンツが多いこと、後半曲調がかわること、など)気をつけるべきポイントが多く設けられており、今まではその点について詳しく取り組んでいました。しかし今日から、それをふまえて「自分たちはどう歌いたいか」について考え始めました。
今日は主に前半のヴォカリーゼの部分について考えました。しかし小田さんから「どう歌いたいか」を問われた時、私たちは、殆ど意見を発することが出来ませんでした。そこで、小田さんがご自身の言葉で2択に絞るなとして誘導してくださいました。何回かそれを繰り返した結果、イメージが大体まとまりました(明るめ、静かめ、内なるエネルギーがある、など)。そのあと歌うと、まだ不完全なものの、以前より歌に命が吹き込まれたような印象になりました。
 

 
合唱をする際には、全員が全く同じ情景を思うとまではいかなくとも、全員が「同じベクトル」で歌うとよりまとまりが生まれるはずだ、という考え方のもと取り組みましたが、やはり「イメージを言葉にすること」の難しさに直面した取り組みでもありました。今日のミーティングでは、そのことについて多く触れられました。
私たちは教育学部の学生であり、今後もし先生になった際はそのように言葉を使って音楽のイメージをまとめるという場面が何回もあるはずです。不安になった反面、このよびごえの活動はこのことについて研鑽する良い機会だと思いました。
 
今日のミーティングで私は、今日新歓があるのもあり、よびごえに入った理由や音楽への思いを話しました。そのせいで新歓の時間が遅れたほど長めに熱く語ってしまったのですが、言葉をまとめるのが苦手な私が日誌で取り上げるとそれこそ大大大長文になってしまうので、今後よびごえ日誌を担当できた時に小出しにできたらなあと思います。(笑)
 
次は2年生の中島菜々子さんにお願いしようかなと思います! 森本…
10
October
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.020

こんにちは。佐藤花音です。
ちょうど20回目のよびごえ日誌です。それぞれの様々な思いがつまった20回ですね。振り返って読んでいて楽しいです
 

 
今日は最初の15分発声をして、パート練習を40分ぐらい、残りの時間で全体の練習をしました。
今日の発声は、諸事情により、いつもと違う部屋で行いました。いつもより狭い部屋だったため、音が自然と空間に満ちており、聞こえ方が全く違いました。場所が違うだけで、こうも聞こえ方が違うのか、と思いました。練習している部屋の響きと本番歌う場所の響きはほとんどの場合異なるということですよね。念頭においておきたいと改めて思いました。
最初の発声の時間、2回に1回ぐらい前で進めさせていただいていますが、本当に学びがたくさんあります。考えて、試して、再考して、うまくいかなくて困っていることは相談にのっていただいてという場が本当にありがたいと感じます。自分自身の思考量と思考スピードの足りなさを切実になんとかしたいです…
 
続いてのパート練習は、『お母さん』のソプラノ・メゾとアルトに分かれて行いました。ソプラノ・メゾは、最初に音程等の確認をして、次に1人が詩を音読して、その音読したとおりにみんなで歌にしてみる、というのをしました。3人音読して、3パターン歌いました。結果的に3パターンそれぞれ全く違ったものになりました。同じ曲を歌っていてもこんなに違うものになるというのは不思議です。歌ったあとに、何をどう変えたのか、を発表しました。最後に「詩」だけをみるとそれぞれ全く違ったものになるけれど、曲を歌うときには、音楽からの側面にも注目したいということを確認しました。
 
全体での練習では、まず『知るや君』をしました。最初に通したのですが、あちらこちらがあぁぁあという感じで、うまくいってないように感じました。その後、音程が決まったことを体で感じること、強弱と音程の関係、音ひとつひとつではなく流れの中でとらえること、pで歌ってみる等のアドバイスをいただいて最初の3小節のみ練習しました。
次に『お母さん』です。ピアノと合わせるのは本日が2回目でした。音程の確認と、時間はずらさず書いてあることに忠実に演奏するなど、中田喜直が書いた作品であるという視点からの確認をしました。ピアノが入るとガラッと情報が増える感じがします。去年1年間が無伴奏の曲だけだったので、すごく新鮮です。
小金井祭までの練習回数も意外と少なくなってきたので、自分でできることは進めていけたらいいなと思います。暗譜頑張ります。
 
最後のミーティングは今日練習した2曲について、春こんについて、パート練習について、音楽の捉え方、などいろいろ挙がっていました。
パート練習については、中学の合唱コンクールのパート練習がパターン化していて楽しくなかった、中身があって演奏の上達につながるパート練習がしたい、楽しくパート練習がしたいけれどどうしたらいいか、など様々ありました。(そういえば、今年になってからよびごえでパート練習をしたのはおそらくこの日が初めてでした。変化があるとそこに意識が向くものなんだなぁ、と思いました。)少人数であることをいかしてパート練習ができたらいいなぁと思いつつ、でもそれってどうしたらいいのですかね。人数が減ると不安や緊張も生じますし。人数が少ないという普段とは違う関係性の中でバランスよく進めるにはどうしたらよいのだろう、と思います。
今校内の合唱コンクールの練習期間中の妹に「パート練習って難しくない?」と聞いたら、「基本的なことができているから、難しいと感じるんだよ。○○ちゃんたち(妹の名)は、基本的なことをやるから、難しいとは思わないよ。」と。「でも、同じこと繰り返していると、楽しくなくなってこない?」と聞くと、「繰り返してだんだん出来るようになっていくから楽しいんだよ」と。純粋。なんだかとても大切なことを妹に教えてもらった気がします。
 
次回、夏休み最後のよびごえ日誌は、森本侑花さんにお願いしようと思います! 佐藤…
07
October
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.019

こんにちは!初めまして、A類音楽科2年の伊藤真緒です。
最近だんだんと涼しくなってきて、秋を感じる頃となりました。私は秋風を肌に感じると、なぜだか寂しい気持ちになるのですが、秋といったら芸術の秋、スポーツの秋、食欲の秋・・・楽しみなことも沢山ありますね(^^)学芸大生の皆さんは、残りわずかの夏休み(もはや秋休み)を楽しみましょう!!!
 
さて、今日の練習についてお話していきたいと思います。
 
この日は、いつも興味深いアイデアで発声練習を担当してくれる花音さんの発声から始まりました。今日は「ハミングからア母音につなげよう」という内容で、mのハミング→nのハミング→アー といった順番で発声を行いました。ハミングをした時の響きの感覚と、息の使い方をかなり意識しながら母音につなげていきました。花音さんの意図した結果かはわかりませんが、いつもよりも結果的に声がまとまった!という意見がありました。確か前々回に、「肉声を揃える」「響きを揃える」という話が出たと思うのですが、「響きを揃える」という点でハミングは使える手の一つかもしれませんね。
 
次に、井出さんを中心として「知るや君」を練習しました。
そういえば!今日はなんとソプラノが一人もいないという珍しいパート構成だったのです!!いつもと違う和声感や響きを聴きながらも、ソプラノのメロディを自分なりに思い浮かべながら歌い深めていきました。
まず、井出さんがこの曲と同じ歌詞で映像(絵)がついている「知るや君」の動画を引っ張り出してきたので、それを全員で見ました。NHK番組「シャキーン」で流れていたものです。
 

 
映像を見て、「私の歌詞解釈と、映像の絵がほとんど合っていた」「相澤さんの曲は『知るや君』と次の歌詞が重なりながらメロディが進むけど、この曲は一連ごとに『知るや君』で完結しているね」等の意見が挙がりました。私は小学生の時、この曲を学校に行く前に聴いていたのですごく懐かしい気持ちになりました(笑) 
 
そして、前回の歌詞解釈、また先ほど見た映像や自分のイメージをどうやって曲に反映するのかをパートごとに考えていきました。人の考えを聴くことができる充実した時間で、私はいつもわくわくしながら意見を共有し合うのですが、パート内で話し合うだけでもかなりの時間がかかります。私が所属するAltoⅠでは、詩の連ごとに単調に歌うのかドラマチックに歌うのかを分けてみた、歌詞ごとに声の質を変えてみた(上澄みっぽい声なのか深めなのか)、後半に向かって音量を盛り上げた、言葉の入りだけでなく処理はどうしたらよいかな?という意見が出ました。
その後、パートで話し合ったことを全員で共有せずにそのまま曲を歌ったことで、伝えたいことが表現できている部分と、何がやりたいか分からない部分というのが浮き彫りになりました。このような話し合いの後はパートごとに発表する、というのが一般的なプロセスだと思っていたのですが、あえて発表しないことで他パートがどう表現しているか・何を変えたのかを歌いながら意識して耳で感じることができました。新しい発見!
 
続いて「お母さん」の初伴奏合わせをしました。指揮がないこともあり、合わない部分はありましたが、今までよりも曲の全体像が見えましたし、特に痛みや苦しみがよりリアルに感じられました。しかし、逆に伴奏がない前半の部分が最大の課題だと思います。
小金井祭まであと一か月もないという事実に焦りを感じているのですが、本番までにどれだけこの曲を深められ、本番でどう観客に伝わるのかという点では楽しみでもあります。今日の練習で歌いながら違和感を持ったところや、上手く発音できなかったところがあったので(「ほ」「ふ」の発音って難しくないですか?)、団での練習以外でも自分にできることを見つけて詰めていきたいです。
 
こうやって日誌を書くと、よびごえでの2時間は密度が高いものだなぁと実感します。私は小学生の時から日常生活で日記をつける習慣があるのですが、人に見られるものだと思って書くと、日誌って難しいですね…。
 

 
今日の集合写真は、セルフタイマーで撮ってみました。特に意味はありません。次回のよびごえ日誌は、二回目の登場である佐藤かのんさんにお願いしたいと思います!次回もお楽しみに~☆ 伊藤…
04
October
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.018

学芸の木々は少しずつ黄金色になり、秋もすぐそこへと近づいてきました。なんと、学芸大学は未だ絶賛夏休み中でございます!私も教育実習に行ってまいりしたので、前回の稽古では約二か月ぶりにみんなと会うことができました。久しぶりに会うと、なんだか、みんなの顔つきが大人になっていました!大学院オペラに参加したり、帰郷して友達に会ったり、一人一人充実したいい刺激のある夏休みになったのかな。
 

 
さて、本日のよびごえでは、島崎藤村作詞、相澤直人作曲の『知るや君』を中心に稽古を進めました。
 
前半は、國元さんによる音楽稽古です。曲自体は2分弱ですが、スケールが大きく、オーケストラ的な響きを連想させます。この曲を16人で奏でるのには、豊かな響きと繊細な表現力が必要です。パートが重なる箇所の、語頭の発音をそろえたり、フレージングを試行錯誤したり。かと思えば、表現に熱中するがあまり、発声が崩れると、あれここの音程が違う…と一進一退です。おそらく、この試練の時間は、長く私たちについてくるのですが、この時間を無くして納得のいく演奏ができたことは、経験上一度もありません。急がば回れで、丁寧に進めることが、後々活きてくるのかもしれません。
 
 後半は、歌詞の解釈へと広がりました。佐藤さんの案で、パートごとに分かれて、歌詞について話し合いました。古文で書かれた歌詞を解釈するのには、時間がかかります。「一連からはじまり、最後に向けてだんだんと恋心が分かりやすく表れてくる。」「隠れてひそかに存在するものと、自身の隠れた恋心をかけている。」「もしかして告白がなかなかできないような人なのかな。」「『あやめ』は植物でもあるけど、『あやめもしらぬ』で『見分けもつかない』という意味になるので、ここは見分けもつかないくらい暗い夜となって、恋心の筋道が分からない様子を表しているのでは。」等、インテリな時間になりました。これらを踏まえ、一度曲に返ると、少し見えてくる景色が変わりました。冒頭のヴォカリーゼにかかる強弱記号の幅はどの程度なのか、全ての連に共通する『知るや君』はひとつずつどのように演奏されるべきか、どうして最後の連に当たる箇所は転調しtuttiになるのか、曲の骨格が以前よりはっきり見えてきました。
 
 音形やハーモニーだけにとらわれすぎると、歌詞を越えたオーバーな解釈をしてしまう時もあります。また、歌詞だけにのめり込むと、聞き手に伝わらない自己満足な音楽になってしまうこともあります。演奏時に一番バランスの取れる立ち位置を探すのに、私も毎回苦戦します。より多角的に曲を捉えることによって、自分自身と曲のバランスも自ずと取れていくのかもしれません。私たちはよく、歌詞と音楽の大きな二面だけで曲を分析していますが、もしかしたらもっと細かく分解することができるかもしれませんね。どこから曲を見るか、視点絶賛募集中です。
 
 ミーティングでは、「『情景を思い浮かべながら歌ってみよう』って音楽の授業でよくあるけど、はたして情景を思い浮かべることって曲に直接的な影響を与えるのかな。それを演奏に還元してこそ意味を成すのでは。」という、なんとも教育学部にぴったりな意見が出ました。まず、情景とは何ぞや。三省堂国語辞典第七班によれば、「事件やその場所などの、ありさま。」とのことです。面倒くさい性格でして、「ありさま」も調べました。「ものごとがどのようなものであるか、というようす。」だそうです。現在よびごえで取り組んでいる『知るや君』と『お母さん』の情景は、明らかに違う世界観を持っています。個人的な直感ですが、『知るや君』は青々しいにおいがするのに比べ、『お母さん』では線香のような何かが焼けるにおいがします。前回の『お母さん』の稽古で、「原爆を思い出す」との意見が出ましたが、これは私が感じる何かが焼けるにおいと共通する部分がありますね。歌詞と音楽が相互に影響しあって、私たちになにかしらの情景を連想させることは間違いありません。さて、どの部分がどんな情景をなぜ感じさせるのか、それと向き合うことができれば、私たちはどう演奏したいのか、自然と見つけ出すことができると思います。濃い芸術の秋になりそうですね。みなさんは、『知るや君』どんな情景を思い浮かべるでしょうか。最後に歌詞を残しておきたいと思います。
 
 次回のよびごえ日誌は、歌もピアノもホルンもできる!マルチな伊藤さんに頼みたいと思います!実は彼女とは、なが~い付き合いで、中学生の時には隣でホルンを吹いていました。来週のよびごえ日誌もお楽しみに! 名嘉眞 「知るや君」(『若菜集』より)
        島崎藤村
 
こゝろもあらぬ秋鳥の
聲にもれくる一ふしを
        知るや君
 
深くも澄める朝潮の
底にかくるゝ眞珠を
        知るや君
 
あやめもしらぬやみの夜に
靜にうごく星くづを
        知るや君
 
まだ弾きも見ぬをとめごの
胸にひそめる琴の音を
        知るや君…
01
October
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.017

はじめまして!1B声楽専攻の松本夏実です。
こういった長い文章を書くのは得意ではなく、ずっと「日誌回ってきてほしくないな~」と思っていたのですが、いざ回ってくると書きたいことがたくさん出てきました。なるべく簡潔に書くよう努めます。
 
花音さんの発声練習からスタートしました。まずは肩甲骨をほぐすストレッチ。(私の肩は毎回ゴリゴリと良い音を立てるのですが、これって大丈夫なのでしょうか)
そして、a母音を使って今日の自分の声の確認。私は、自分の身体から声がうまく出て行っていないような気持ち悪さを感じながら歌っていました。
「考えすぎて、みんなから自由が奪われているような気がする」という花音さんの感想から、次は部屋を歩き回り、すれ違った人に会釈するという条件をつけて、同じ音形で歌ってみました。このときの皆さんの笑顔がすごく素敵だったのが印象に残っています。それに伴って良い声が出ていたのではないでしょうか?
 

 
最後は数人が発声練習を聴いて感想を述べる、という活動をしました。その中で最も多く出た意見が「歌っているときはわからないけれど、外に出てみるとみんなの声にばらつきがある」というものでした。それぞれの持つ声の質が違うのは当たり前のことですが、合唱ではそれをタブーとする場合が多いと感じます。少なくとも、私が今まで経験した合唱のほとんどがそのような方針をとっていました。
「肉声ではなく響きの統一を目指すべきではないか」という意見もありました。声が揃えられないのなら…ほかに揃えられるものがあるとしたら、やはり口の開け方や鳴らす位置なのだと思います。体のかたちにも個人差があるので、それもまた限界がありますが。
小田さんからもお話がありましたが、発声練習の20分間というのは、曲からは切り離された一人一人の本来の声を聴く貴重な時間です。『よびごえらしい声』とはどんな声なのか、これからのよびごえがどんな合唱団になっていくのか、私にはまだ見当がつきませんが、稽古を重ねる中でヒントを探っていきたいです。よびごえの未来がとても楽しみです。
 
今日のメインは「お母さん」の解釈を詰めることでした。言葉の意味はだいたい分かるけれど、どのような物語が展開されているかが掴みにくいこの曲。この歌詞に登場する『わたし』『お母さん』は何歳くらいなのか、なぜ母の名前を呼ぶのが「恥ずかしい」のか、等々、多くの疑問が生まれます。疑問点は楽譜の上にもあります。例えば、19ページ2段目はなぜmpで歌わなければならないのか。これには「お母さんが去っていくことにうろたえている」など興味深い意見が出てきましたが、私の中ではまだしっくり来ておりません。次回以降で何か見つかればいいのですが。
 
長くなりそうなのですが、備忘録としてここに私なりの詩の解釈を載せておきます。次に日誌を書くのは、きっと次の目標に向かって練習をしている頃だと思いますので…
 
ミーティングでも少しお話しましたが詩の中の『わたし』(以下『』省略)は母の着物の匂いを嗅いだあと眠りに落ちてしまったのだと想像します。熟睡ではなく、うたた寝くらいの浅さです。浅い眠りのときにはよく夢を見ると言われていますよね。「何十年もむかし こんな風に臥ていた日」からは、わたしはまさに母の夢を見ていると思うのです。夢の中で生前の母と再会し、安心したのもつかの間、実際に起きたのと同じように母は何らかの理由でわたしの元から去ってしまう。その次は「痛い」「苦しい」とあるから、戦火の中での別れだったのでしょうか?それとも、ここからは現実のわたしと夢の中の幼いわたしが混ざって、現実の苦しみが夢にまで出てきているのでしょうか。「冷たいお茶がほしい」「夜はいや 朝にして」という口調から、わたしは完全に幼い頃に戻って母に甘えています。「どこへも行っちゃいや」でわたしの悲痛な願いは最も強くなりますが、ここで夢は醒めてしまいます。そのあとのピアノが、母がもういないことの絶望を表している…ここまでが、解釈と呼べるかわからないほどの解釈(仮)です。まだ分からないこと、腑に落ちないことはたくさんあります。
 
今回、詩から何かを感じ取ることはできたわけですが、それを自分でどう歌唱に反映させるかが難しいところです。演奏者が曲から何か感じていても、それが演奏に変化をもたらさなければ、意味がない…この日一番、心に刺さったひとことでした。
 
目には見えないが、確かにそこに存在するもの(≒詩の世界)を想像するという活動は、とても楽しい時間でした。こうした歌詞読みの活動は今まで何度も行ってきましたが、そのたびに、人は見えているものよりも見えないものに心惹かれる傾向にあるのかなと思います。
サン=テグジュペリの代表作『星の王子様』にも「本当に大切なものは、目には見えないんだよ」という台詞があります。私はこの台詞が好きで、初めて読んだときは軽い衝撃を受けたものです。しかし、人はいつから見えないものの重要性に気づき、光を当てようとしてきたのでしょう。私がこの台詞にハッとさせられるのは、目に見えているものがすべてではない、目に見えないものこそが大事だという教訓が浸透した現代に生きているからなのかもしれません。
 
…話がかなり逸れてしまいましたね。
 
小金井祭で演奏予定のもうひとつの曲「知るや君」も、目に見えない大切なものを描いています。「恋」を「琴の音」と言い換えるなんて、なんて素敵なのでしょう。島崎藤村の情感溢れる詩にときめきながら、転調後の盛り上がりを楽しんでいます。私はアルトのセカンドを歌っているのですが、このパートは全体を通してカデンツの役割を持っています。曲のカギになる音がたくさん散りばめられており、アルトであることの喜びを歌うたびにかみしめています。相澤直人先生の作品って、アルトが美味しいものが多い気がしませんか?私は低いEsがあまり鳴らず苦戦していますが、もっと全体を意識しながらより良い演奏ができるよう努力します!次回の稽古はこちらの解釈の詰めです。頑張ります。
 

 
この日の集合写真は、なんといっても人が多い!密度が高い!夏休み中はたった6人での稽古もあったので、これだけの人数で歌えて嬉しかったです。最近のよびごえは写真に面白さを求めています。今回はあえて真顔で撮ってみました(何人か堪えきれずに笑ってしまっていますが)。よびごえには真面目な人が多いので、ゆっくり少しずつ弾けていきましょう。
 
次の日誌は、しーずーさんにお願いします!(^O^) 松本…
27
September
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.016

B類音楽専攻3年の井出です。
数日前に3週間の教育実習が終わり、よびごえの活動に戻ってきました。
 
今日は私が発声を担当しました。数日前まで元気な中学生の歌声を聞いていたせいか、今日参加していたメンバーの声は深くて、個性が出ていて、でも揃っている、そんなオトナな声を久しぶりに聞き、その違いに衝撃を受けました(無論、どちらが良い、悪いといった次元の話ではありません)。あ、戻ってきたな、と感じましたし、今ここに存在する学習の場に感謝しなくては、と思いました。
 
今日の稽古では、前半に「知るや君」、後半に「お母さん」を行いました。
実習や長期休みでブランクのあるメンバーもいましたので、音の確認をしつつ何度か歌いました。特に「知るや君」に関しては私自身、初合わせでした。恥ずかしながら前日に音取りをしたもので、小田さんのピアノに導かれ、「こんな音が鳴るのか」と密かに感動しておりました。同じ学科に所属しているコントラバスを弾く彼から、オーケストラの初回合わせはほぼ初見で、更には参考音源をも聴かずに挑む、と聞いたことがあります。他パートのいわゆる「オイシイ」フレーズなどをその場で見聞きして、曲の理解を深めていくのが好き、だとか。今日の「知るや君」の練習は、私にとってはそれと似たような機会であったと思います。また、聞くポイント、歌うときに意識するポイントは提示がありましたが、いかに他パートの音に耳を向けるか、またその各パートの主張を聞いた結果、自分がどのように歌うべきかを瞬時に判断し演奏に活かす訓練だったと思っています。
 
「知るや君」の中で用いられているフーガの技法、主題の変奏の数について議論もしましたね。主題の変奏を楽譜から探す作業は個人的に楽しい時間でした。この時は楽譜を一つの絵画的な作品として見ていたわけです。所詮楽譜も記号の集まり、と言われれば確かにその通りですが、それを演奏すると音楽に変わります。演奏者が楽譜に真摯に向き合うことは、その楽譜を聴く側に伝えるという点で大切なことです。ここ、よびごえで学んでいるのは、「楽譜から作曲者の意図を読み取る術、その意図を明確に表現する術」だと思っています。これは一つとは限りません。和声的視点なのか、発声の問題なのか、音響学的?、はたまた美学的?なのかはその曲、その場合によりけりですが、今後私たちが一人で楽譜と向き合ったときに、ここで学んだ何かが役に立つのではないかと考えながら学習しています(この気持ちが大学1年のときからあれば、と後悔しています。今思えば、様々な意見が出ていたのにも関わらず、それらを受容できずにいました)。
 


 
「お母さん」の稽古では、中間部の雰囲気の変化をいかに表現するかという内容が主でした。日誌を見返してみると、7月の末に「恐怖にを表すためにどのような要素が必要だろうか」とパートごとに検討をしていました。それら要素が楽譜の中にたくさん隠れていることは分かりました。私たちは「音」という表現技法をもっています。徐々に恐怖を喚起させるために、どのように音を変化させれば伝わるのかを考え、練習を重ねました。用いる技術を整理したことで、明らかに変化したと思う瞬間もありましたし、また何か変化させようと努力している姿が印象的でした。変化させるには頭とエネルギーを使いますね。
 
さて、そろそろ稽古冒頭の発声練習を1年生にもお願いしたいなと思っています。あの時間は、自分が思うなぜ?どうして?を皆で試せる時間だと思っています。少なからず緊張します。ですが自分が何を大切にして発声練習を行っているか、この合唱団にとって必要なことは何かを考えるきっかけになると思いますのでぜひ。
 
実習についてはまたどこかでお話させてください。
次回の日誌は松本夏美さんにお願いしようと思います。 井出…
23
September
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.015

初めまして。A類音楽選修2年の小金澤萌花です。
何を書いたらいいんだろう、と過去のよびごえ日誌をさかのぼりましたが、皆さん内容を詳しく真面目に書いていらして、少々困惑しております。
 
この日も花音さん担当の発声からスタートしました。
初めに好きなように歩き回ってみて、好きなところで立ち止まり、そこで声を出していくものでしたが、皆だいたい自分の席に近いところに立っていて、日本人だな、と思いました(笑)。pで発声することから始め、コントロールを身につけるというもので、実は管楽器でもそのような基礎練習は存在するので、声と管楽器の共通点のようなものを感じ、面白いと思いました。ただ個人的には、朝イチだったので、その発声練習のみですとあまり声が出ないまま曲の稽古に突入してしまいました。私は朝に弱いです。次は発声してから発声に臨みたいと思います。
 
今回も稽古した曲は、「お母さん」と「知るや君」の2曲でした。小金井祭で演奏する予定の曲ですね。
各パートの個人的な音取りはだいたい済んだので、他パートとの音程のかかわりや場面にあった歌い方などの、少し進んだ内容に取り組むことができました。
今回考えてみたのは、「お母さん」の冒頭に書かれている、『語るように』という指示についてです。『語るように』とは具体的に何をしているのか、『語るように』を達成するために何を意識するのかを考えました。
(下ブ画像をご参照ください。)
自分がやったことのなかった、頭の中で漢字に変換する(楽譜はすべてひらがななので)という方法も出て、驚きました。
『語るように』というのは抽象的な指示ですね。また、この指示を達成するために、音ではなく歌詞の作用について考えてみたいと感じました。
よびごえに1年生が入団してくれたことで、夏の東京都合唱祭から女声合唱という新体制になりました。私のパートはアルトなので一番下です。
普段はフルートで高音のメロディを演奏することが多いので、経験のない低音パートの動きにワクワクしています。しかも今回小金井祭で演奏する「知るや君」の最低音はE♭3という女声の範疇を超える超低音です。地声がとても低いことに定評がある私の出番が来た!と勝手に思っております(笑)。
 

 
最後のミーティングの内容、自分が何を話したのかあまり覚えていませんが、ある団員の方が、「自分が所属しているほかの団体で、音楽を専攻していないにもかかわらず、自分より知識が豊富な方がいる」というような話をされていたのが印象に残りました。それに対し小田さんは、ご自身の経験から、「その人たちは、知識は持っていても人を感動させるような技術がない。プロとしてやっていく我々とは評価軸がちがう」と答えられていました(解釈違いでしたらすみません)。この方の場合、評価軸が違う、というところには納得できました。
私の知り合いにも、音楽専攻でないにも関わらず、知識が豊富で、技術もある(実は私より長くフルートを吹かれている)方がいらっしゃいます。その方と出会った頃は、劣等感のようなものを感じていましたが、いつのまにかあまり気にしなくなっていました。おそらく、彼と私では得意なことが違い、彼の方が得意な分野は力を借りつつ自分の蓄えにしていこう、と思えるようになったことが作用したのだと思います。評価軸が違う、で論理的には納得できますが、この経験をきっかけに変わろうと思えたなら、それはそれで出会えてラッキー!くらいで構えても良いのではないでしょうか。
 
実は私、よびごえのTwitterの中の人なのですが、いつも同じような集合写真になってしまうことが悩みでした。ですので今回は、あえてブレ写真を撮るという手法に出てみました!いかがでしょうか?
何事も変化がないとだれてしまうので、稽古のあった日の集合写真も変化に富んだものにしていきたいですね。
何か良いネタがありましたらよびごえのTwitterアカウントまでご一報ください。
 

 
もともと話を短くまとめるのが苦手です。ダラダラとしゃべっているのが好きなんでしょうね。校長先生になったら生徒から嫌われてしまうタイプの人間です。長々とお付き合いいただきありがとうございました!
次のよびごえ日誌は実習終わりたての井出さんにお願いしようと思います!3年生の皆さん実習お疲れ様です! 小金澤…
16
September
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.014

こんにちは!初めまして、1年B類フルート専攻のソプラノパート神谷咲妃です。
 

 
今回の練習は夏休みに入って初めての練習だったので、それぞれまず発声を思い出すことから始めました。発声練習では、みんなで円になって内側を向いて歌うのと外側を向いて歌うのでは聞こえ方や自分の歌い心地はどう変わるのか、実験を行いました。結果は内側を向いて歌うと周りの人の顔が見られる安心感があることで、リラックスできたり自分の声が全員の声に調和して聞こえて歌い心地は良かったという意見がほとんどでした。対して外側を向いて歌うと周りの声と自分の声が分離して聞こえるので、不安になるという人やそれによって自分の声をよく聞けて向き合えるといった意見が出ました。わたしは外側を向いて歌う方がみんなの声と自分の声を比較しながら歌えるので、馴染むようにどうすればいいかな、などと自身の声と向き合えて外側を向いて歌う感覚は好きでした。また前回に続いて指導言についても考えました。母音を深く歌うとは具体的にどういうことなのか、図を用いながら小田さんが説明してくださいました。音楽指導では吹奏楽や管弦楽でもよく柔らかく吹いて!だったり、力強く!などと抽象的で曖昧な指示が多いですが、それを柔らかく演奏するために、音量を自在に操れるように、こういった体の使い方をするんだよ、と正しく教えることは難しいけれど、体を壊さずに上達していくためには絶対に必要なことではないかと思いました。これから多くの人が教員を目指していくこの環境だからこそ学べることがとても多く、人への指導へはもちろん、自分の練習のヒントにもなることばかりでとても勉強になります。
 

 
さて今回練習した曲は、夏休み前に引き続き「お母さん」と今回初めて取り掛かった「知るや君」でした。
どちらも音取りの確認を主に練習を進め、7度や半音などといった一見ぶつかって和声から排除して考えてしまいそうな部分をきっちりはめて枠組みをつくりながら各パート組み合わせながら歌うという練習をしました。
「知るや君」の練習では、今後表現を加えるのにあたってどのような表現が適切なのか、注意するべきポイントを挙げました。
まず1つ目はこの曲は最初フーガ形式で始まり、転調の前になくなるのですが、どのようにして聴衆にフーガと伝える歌い方をするのかということでした。2つ目はフーガの主題が繰り返されるときに伴う部分転調の歌い方です。それとなく転調していくのが良いのか、それともしっかり転調を感じられるように間を利用しながら歌うのが良いのか。そして3つ目は詩が文語体で書かれている意味を考えるということです。この曲の詩の作者は島崎藤村(1872~1943)という方で、彼の生きた時代から考えると文語体で書かれたということに意味があるはずだと考えました。また英訳された歌詞も書かれてるので、そこからも歌詞の世界観を感じ取ることが出来るのではないかという意見も出ました。わたしも英訳された歌詞を読んだのですが、もとが七五調なので「知るや君」が「Do you know this, my dear?」と訳されていて、そんな表現になるのかと興味深いのと同時に少し疑問に感じる点もありました。
以上の点を踏まえてそれぞれ表現方法を考え、これからの練習で曲の世界観を創っていこうということで練習を終えました。どちらの曲も重みを感じるような独特な世界観の曲なので、それをどのようにしたら音に歌詞をのせながらでも聴衆に伝わるのか、重いからこそダイレクトに自分たちの感じた重さを伝えられる演奏を出来るように悩みながら練習をしていきたいと思います。
 

 
次のよびごえ日誌はフルートの先輩でもあるこがもえさんにお願いしたいと思います!(よびごえにフルート専攻3人もいると昨日改めて知ってびっくり。!!) 神谷…
29
July
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.013

こんにちは、滝澤奏有美です。
今回の練習では、まずストレッチをして、アキレス腱を伸ばすことから始めました。次に発声練習で、声のポジションについて考えました。2人組になって、そのうちの1人の手の上下運動に合わせてもう1人が声のポジションを前後させて歌うという練習でした。ポジションの前後と口の開け方の連動性についても気づくきっかけになりました。同じポジションを求めたくても、人によって口の形の変化が違うという発見や、深い→浅いは簡単だけど、浅い→深いは難しいという声もありました。
 
前回で「お母さん」の音取りが完了していたので、小田さんの進行のもとで、一度通して歌ってみました。時々和音を確認しながらの練習でした。
次に、「恐怖」というものは技術的にどうやって表せるのか、「恐怖」を表現するにはどのような要素が必要だと思うかについてパートごとに話し合い、全体で共有しました。
 

 

 

 
何が起こるのか分からない’急な変化’、不自然な子音、暗さ、調の不安定さ・無調、2度などのぶつかる音程、同音の連続、低音のアクセント、半音の動き、ずっと同じ幅での平行な音程、減七音程などが、「恐怖」を想起させる要素としてあがりました。怖さには色々あって、そしてそれは状況によって違うもので、常に普遍的な感情ではないということも学びました。「お母さん」には、技法的には、話し合いであがったような「恐怖」のピースは揃っています。楽譜からそのサインを見つけて、それを活かして「恐怖」を再現できるようになることが、この曲を練習するうえでの課題だと思いました。
 
この日が夏休み前最後の練習ということで、今後の方針を考える為にも、これからよびごえで何を学びたいかを1人ずつ出し合いました。あがったのは、指導言について、声を「合わせる」とは何か、複数の音の中で自分の音を正確に歌唱する方法、指導実践、歌う前の体ほぐしやストレッチは本当に有効なのか、解釈と実践の関連、音楽を通した先にある学び、一斉指導の限界、歌うための環境づくり ということです。多様な言語の発音、体と行動の関係、そもそも合唱の発声とは何か、楽譜を解釈する方法論、子どもの状態を見取って教育にフィードバックすること、合唱団内部の人間関係の構築について、ということも、勉強すべき事項だと話がありました。夏休みの、時間があるうちに、それぞれで研究を進めたいと思います。
 
次の日誌は、神谷咲妃ちゃんにお願いします! 滝澤…
25
July
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.012

はじめまして!今回の担当は、1年A類アルトの堀切彩愛です。
今回の練習では、まず小金井祭で歌うもう1つの曲を決めました。メンバーがそれぞれ候補として出した曲を3曲まで絞り、楽譜を見ながら再度曲を聴いて最終的に『知るや君』(島崎藤村作詞 相澤直人作曲)に決定しました。音源だけ聴くのと楽譜も一緒に見るのとでは気付くことが違い、ディビジョンや伸ばす音の高さなども確認したうえで自分たちに合った曲かどうか考えて選ぶことができました。これから小金井祭までどこまで曲について深められるかとても楽しみです。
 

 
その後はいつも通り発声練習を行いました。今回はOで歌いながら口を縦に大きく開ける練習をし、補助として手のひらで頬を押さえながら意識的に口を開けて歌いました。やってみると声がとても良く響くようになり、発声練習ではその日の声が出るポイントを見つけ、歌の中で必要以上に響きをセーブしてしまわないようにすることが大事だということを皆で確認しました。
 
発声練習の後は『お母さん』の音取りをしました。まず初めに、音取りでは合っていても間違っていても声をしっかり出すことが大事だということを確認しました。自信の無さから声をしっかり出さないと、自分でも音が取れているのか分からないためです。
音取りはパートごとに別の場所でやるのではなく、お互いの音取りを聴き合いながら行いました。合わせる練習を始めるとそれぞれのパートをじっくり聴くことが少なくなるので、自分以外のパートがどんなことをしているのか知っておく良い機会にもなりました。音取りの際には音楽的なことを排除しがちですが、今回は「ここのテンポ,休符,強弱はどのようにするのだろうか」と考えながら音取りをしました。歌詞の朗読も行い、その場面での感情も想像しました。疑問を見つけながら音取りをしておくことで、練習が進んだときに表現を深めやすくなると感じました。音価,音程,パート同士の音の関係についても丁寧に確認し、最後まで音取りを完了することができました。『お母さん』は音程が難しく苦戦した場所もいくつかあったので、今回の練習をもとに自分でしっかり復習しておきたいです。
 
この曲はこの間の音楽祭で歌った曲とは雰囲気がガラリと変わり、死や恐怖などが大事なキーワードになってくると感じました。曲の表す感情やストーリーを自分の中に落とし込み、裏付けのある音楽的表現ができるように、これから本番まで練習していきたいです。
 
次回のよびごえ日誌の担当は、滝澤奏有美ちゃんにお願いします! 堀切…
15
July
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.011

はじめまして。今回の担当は、1年アルトの谷夏七星です。
季節の変わり目になってきたからなのか、最近は学校中で体調不良者が続出しているようです。私も先日、風邪を引いてしまい声が出なくなりました。体調管理には気をつけたいですね!
 
今回の練習は、まずいつも通り発声練習を行い、その後、11月に開催される小金井祭のステージに向けて
『美しい訣れの朝』より「お母さん」(阪田寛夫作詩/中田喜直作曲)
の練習を開始しました。合唱祭で歌った2曲とは印象がかなり違う曲です。
 
音取りをするとともに、小田さんがこの組曲の詩を朗読してくださり、パートごとに次の2つのポイントについて話し合いました。
1.この組曲を、何か一言で表すとしたら何にするか。
2.この組曲の中で、3曲めの「お母さん」をどう歌われるべきか。
 
1点目については、どのパートも少し悩んでいるようでした。最終的に各パートで意見はまとめましたが、メゾとアルトは自分たちの出した答えに満足がいかず「何かもっと良い言葉があるはず!」と、なんとなくスッキリしませんでした。結局、他パートの意見を聞いても団員のほとんどが納得しきれずに終わってしまいましたが、今後の練習を通して何か一つでも、「こんな言葉が良いのではないか」と思えるような答えを見出すことができれば良いなと思います。また、初めは答えを出すことができなくても、「どんな言葉で表せるんだろう」と考えていることも曲の理解へ繋がると思うので、練習するときには常に意識して歌っていたいです。
 
2点目については、どのパートからも似たような意見が出されました。「お母さん」は、詩だけ見ても、他の4曲よりも激しく「苦しい」などの感情がダイレクトに言葉で表されているので、「最も感情的に歌う、死に対する本音を出している」といったような意見が多くありました。
 
初めて取り組む合唱曲がどんな曲なのかは、音源を聴いて知り、捉えることが多いと思います。ですが今回は音源を聴くのではなく、まず朗読を聴いて、その曲がつくられる元となった“詩”そのものから何を感じるのかということから始めました。音源から入ると、和声感やリズム・強弱などに注目してしまい、肝心な詩は後回しになりがちな気がします。もちろん、和声感などがあってこそ曲として完成されていますが、まずは詩本来の持つ言葉の意味や作詩者が伝えたかったことを汲み取ることで、本当の意味で、歌い始められるのではないかと思い、とても新鮮な練習内容でした!
 

 
また、音とりを進めるときに、「同じ四分休符でも、その後の歌詞によって休符の質感を変える」ということを全員が意識して歌いました。冒頭部分はソプラノとメゾが歌詞をうたっていてアルトはずっと休符かハミングで歌詞がありませんが、休符を意識しない時と意識した時では、ソプラノとメゾが歌っている歌詞から感じるものが全く違いました。「休符は単なる休みや準備ではなく、休符も音楽だ」とよく言われますが、これは正にこの言葉のことだなあ、と思いました。作曲者はなぜそこに休符を書いたのか、そこには必ず理由が存在します。「その休符を入れることで何を伝えられるんだろう?」と常に考えて歌うことで、音楽はより立体的に、メッセージ性を持つようになるのだと思います。
 
これから「お母さん」と向き合っていくことがとても楽しみになった練習でした。私(1年生)にとっては、初めての小金井祭!!団員全員で頑張っていきたいと思います!
 
次回のよびごえ日誌の担当は、いつもほんわか笑顔の堀切彩愛ちゃんです! 谷…
04
November
2018

東京学芸大学 小金井祭 音楽科コンサート

混声合唱曲集『にじ色の魚』より「にじ色の魚」(村野四郎作詩/木下牧子作曲)
混声合唱のための『方丈記』より「夜もすがら」(鴨長明作/千原英喜作曲)
 
02
November
2017

東京学芸大学 小金井祭 音楽科コンサート

合唱のためのコンポジション第7番『マンモスの墓』より
「第1楽章」(間宮芳生作詩/作曲)
“4 Motets”より Sing Ye Praises to Our King(Aaron Copland作曲)…