よびごえ日誌


2022.04.07 【2022】よびごえ日誌 vol.1
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よびごえの2022年度がはじまりました。
vol.1のよびごえ日誌は小田が書きたいと思います。
 
今日は新入生の稽古見学(新歓)でした。
新入生の皆さん、ご入学をおめでとうございます。
新しい生活や学び、仲間にわくわくしていることと思います。
新しい何かに取り組むとき、自分が変わろうとするときは、葛藤や整理が必要だったり、疲労を要することもあるかもしれません。でも、その引き換えとして新しい思考や行動、またそうした習慣が獲得され、ゆるやかに新しい自分が形成されていくのだと思います。いまのよびごえメンバーに僕が何か貢献できているかと問われると、僕自身がもっと勉強しなきゃと反省が先にくるのですが、それでもこのよびごえという場がメンバーそれぞれの思考や行動を刺激し、お互いが変わり続けられるエネルギーの健康的な循環が存在しているようにも思います。
「学校の先生になる」という目標から逆算して「合唱指導ができるようになりたい」という意思でも良いですし、学校の先生になるかどうかは別として「合唱と向きあってみたい」という意思でも十分です。自分の能力はいったん不問として、自身の興味の有無で、よびごえをご検討ください。
 
 
さて、ここからは新歓1日目の記録と小田の語りです。
 
曲は2年生以上が決めてくれ、新歓で1年生と一緒に挑戦してみたい曲として「ぜんぶ」(詩:さくらももこ 曲:相澤直人)が選ばれました。
 
早速余談ですが、この曲は、よびごえとしては2017年の東京都合唱祭でも演奏したことがあり、その時はピアノ伴奏版で、かつ僕がなにかの本番と被っていたのか参加できず、指揮無しで演奏したことを覚えています。この時の演奏が相澤先生とよびごえの最初の接点で、相澤先生がこの演奏を気に入ってくださり、それ以降よびごえのことも気にかけてくださるようになりました。たった1回の演奏が人をつなぐことがある、ということを改めて感じました。
 
⇩2分30秒から(この時は6人くらいで歌ってたのかな…?)
https://bit.ly/3jhjejW
 
稽古の流れは次のとおりでした。
 自己紹介、よびごえについての簡単な紹介(10分)
 体操、発声(10分)
 パート練習(10分)
 全体練習(70分) 
 振り返り(20分)
 
全体練習でははじめに、①全体を通して曲全体の雰囲気を確認したり、②開離配置やdiv.の箇所はアルトの音量を大きめにするなどの和音のバランスをとったり、ざっくりと確認を行いました。
 
休憩後は、解釈の時間にしました。
「ぜんぶ」の解釈は、いくつかの点で困難をもっています。1つ目は、すでに歌ったことがある場合は、過去の解釈に引っ張られてしまったり、そこから自力で抜け出すことが難しい場合です。2つ目は、YouTube等で、質が高かったり、好きな演奏があったりしてしまうと、その演奏に寄せようとしてしまう場合です。特に相澤先生ご本人が指揮されていたり、ピアノ伴奏においてはピアノを弾かれている演奏もあり、その影響力は小さくありません。
1つ目については「いま」演奏する意味を、2つ目については「私たちが」演奏する意味を問わなければいけません。私たちが演奏する時は、その作品を「いま」「私たちが」演奏することで何を、誰に伝えたいのか、ということを意識する必要があります。
 
そのため、今回は、本当に基礎の基礎に立って、「ぜんぶ」が収められている詩集『まるむし帳』から、「一元性」という詩群を読むところから始めました。
 
 

 
 
「ぜんぶ」という詩だけを眺めたり、「ぜんぶ」の詩に付されたさくらももこの絵だけを眺めたり、相澤先生の付曲された音楽だけを聴いたりすると、アクセスする情報が部分的になってしまい、「ぜんぶ」という作品の全体性を俯瞰することができない可能性があります。
 
「一元性」の詩群を僕が朗読した後、メンバーの顔が不思議そうな顔をしていたのが印象的でした。「ぜんぶ」を前提にこの詩群を初めて読んだ時、僕は「え、もっと分かりよい、柔らかい世界が広がっていると思っていたのに」とギャップでした。でも、だからこそ面白いと思ったといいますか…。
 
その後、「ぜんぶ」の詩について2つのクエスチョンを立て、各パートで話し合ってもらいました。1つ目はこの詩で言われている「大切なこと」ってなにか、2つ目は「ここ」ってなにか。
 
各パートから出た意見を抜粋して紹介します。
 「大切なこと」ってなにか
  ⇒自分が見ているすべてのこと、もの
  ⇒無いわけじゃないんだけどある、そういうもの
 
 「ここ」ってなにか
  ⇒時間軸としてのいま、ここ
  ⇒自分の中の場所としての、ここ
  ⇒図を参照

 
この活動のねらいは正解を誘導するものではなく、詩の世界に接近するための方法として、問いを立てました。問いを立てることで、詩に向き合う理由をつくるとも言えます。
 
このあと、駆け足ですが、では相澤先生はこの詩から何を感じ、感じたことを音楽という方法でどのように表現したのか、楽譜を眺める時間をとりました。
 
cresc. decresc. や mp, mfといった強弱記号、brillanteといった表現を方向付ける記号、詩の言葉を一部付曲せずに、また最後には冒頭の言葉をもう一度使用したり。この作品の全体の構造としても、例えば最初はヴォカリーズから始まってますが、これは相澤先生のなかでどういう必然性があったのでしょうか。この問いについては、メンバーから、「大切なこと」とか「ここ」とか、言葉では言い切れないものを表現するためにヴォカリーズを設定したのではないか、とありました。たしかに、特定の意味を指し示す言葉は含んでいないのに、音が空間に広がるだけでなにかが伝わってくることってありますよね。
 
ここまで、詩と向きあい、楽譜を問う活動をしました。そうしたらあとは、それを演奏するわけですが、重要なのは、詩と向きあって分かったこと、楽譜を問うて分かったこと、これらを分かって歌えばそれだけでお客さんに想いが伝わるかというと、必ずしもそうではないということです。
 
想いをお客さんと共有するためには、お客さんに伝えることができると期待できる技術を用いる必要があります。難しい書き方をしていますが、シンプルに言うと、「思ったことは言葉にしないと伝わらない」というのと一緒です。この例えの場合は、おそらく「話す/書く」という手段で思ったことを他者に伝えていますが、合唱の場合は、主に「歌う」という手段で思ったことを他者に伝えます。どういう声のポジションで発声するのか、子音はどの程度立てたり柔らかくするのか、レガートなのかマルカートなのか、強弱はどうするか、こうした具体的な歌唱技術を駆使して、詩と向きあい、楽譜を問うて得た私たちなりの想いをお客さんに伝えること、これがとても重要なプロセスなのだと思います。
 
そんな考えに基づいて、最初のヴォカリーズはどのように歌い出すのか、「たいせつなことは~」とどう歌い出すのか、中間部の盛り上がりはどう歌うのか…という感じで稽古を終えました。
 
 
今回取り組んだ内容は、よびごえの本来の稽古の場合、数回に分けて実施することなので、駆け足になって説明不足になったり、不親切なところも多分にあったと思います。申し訳ありませんでした。
 
再来週、2回目の新歓も、楽しい稽古を考えます。
 
今年度も私たちらしい合唱をしましょう。
それでは、また元気にお会いしましょう。

小田直弥