よびごえ日誌


2020.06.11 【2020】よびごえ日誌 vol.003
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 こんにちは!A類音楽教育専攻3年の小金澤です。
 日誌を書くのはずいぶん久しぶりですね。最後に日誌を書いたのはいつだったかな…と探してみたところ、なんと昨年の9月下旬でした!半年以上経ってる……時が、経ってる……恐ろしい…。
 
 6/11は4回目のオンライン勉強会でした。流れは今までと同様なので、扱った曲と共有された意見について記録します。
 
 
【グループワーク】
「Pretender」(藤原聡 作詩/作曲)
 
〇作品の第一印象
・原曲とギャップがある(調、伴奏、テンポ等)
・歌いにくそう。
 
〇この作品を取り扱うにあたって予測される歌唱技術の側面から見た困難箇所
・知っている曲だからこそ、正しく歌いにくい。
・音取りが主旋律でさえ難しい。
・メロディの上下が激しい。発声に課題が出てきそう。
・和声が独特。メロディをよく知っているからこそハモリのパートが難しい。
・ポップス特有のリズム(アウフタクト、シンコペーションなど)があるため、楽譜通りに歌うことが難しい。そもそも楽譜通りに歌うことが良いのか。
・言葉のリズムと歌のリズムが一致していない。
・長い前奏の後に男声から始まる。
・フレーズの出だしが低音から始まることが多い。
・言葉が細かく、響きがなくなってしまいそう。
・男声パートにロングトーンがある。
・女声がdiv.からunis.になるのが難しい。
 
〇この作品ならではの体験・学び(特徴)
・よく知られているので取り組みやすさがある。
・耳から入るので楽譜を見たときに音程などを意識しやすい。
・歌詞に感情移入して歌う。
・移り替わる主旋律により旋律への意識が高まる。
・リズムを正しく縦を合わせる。
・ポップスを合唱でより美しくするためにどうすればよいのか。
 
〇この作品を取り扱った先に、合唱団にはどのような変化があってほしいか
・ポップスを歌うことから合唱や歌うことを好きになってほしい。自己肯定感の上昇。
・ポップス独特のリズムの歌い方等のポップス攻略ができる。
・歌詞に感情移入するきっかけになる。
・メロディを印象付けて歌える。
・合唱が好きになるきっかけになる(クラス等の場合)。
 
 
 初めて「Pretender」の合唱編曲を聴きました。個人的な第一印象は、お楽しみ会用だな、という感じです。この曲を、一般的に「合唱曲」といわれるものと同じように、作曲者や編曲者の意図を読み取ったり、楽曲分析したりなどは、正直できないんじゃないかな、と考えます。そもそもJ-POPとして消費されるつもりで作られたものに、歌唱技術の面からの合唱曲としての教育的な価値を見出そうとすることは、イチゴにバナナの味を求めるくらい見当違いな気がします。
 では、ポップスの曲を扱うことはタブーなのか。そういうわけではありません。小田さんは日常に反映できる聞き手としての資質・能力を育ててあげる、というようなことをおっしゃっていましたが、クラシックと日常の音楽が乖離していると認識されている今、このようなポップスを合唱にしたものはその橋渡し役になってくれるのではないか、と私も思います。
 何にどんな教育的な価値を見出すか、その曲をどう指導していくかは教育者によりますが、どんな曲を扱っても常に意図的でありたいと思います。
 
 
【個人ワーク】
「SLEEP」(C. A. Silvestri作詩/E. Whitacre作曲)
 
〇作品の第一印象
・声部が多く、厚い。荘厳な印象。
・多重録音でも指揮者がいる。
 
〇この作品を取り扱うにあたって予測される歌唱技術の側面から見た困難箇所
・純正律的に、和声を構成しなければいけない。
・英語の母音や子音の扱い方。
 
〇この作品ならではの体験・学び(特徴)
・特徴的な和音の響きを感じながら歌唱できる。
・「不協和音は汚い」という先入観を覆す。
・フレーズが短い、盛り上げ方を考える。
・英語の詩、文語特有の表現を学ぶ。
 
〇この作品を取り扱った先に、合唱団にはどのような変化があってほしいか
・詩という概念から音楽ができたことをわかる。世界に浸る、没入する。
・静と動を感じる。休符、終止でも動いているのをわかる。
 
 
 この曲は、もともと今の歌詞とは別の詩のための音楽だそうです。今の歌詞は後付けであるため、言葉と音符が一致しない箇所が多くあります。つまり、音楽を解釈する上で歌詞を理由にできないということになります。これは作曲者のコメントから得た情報ですが、これを知らず、他の合唱曲同様に歌詞の解釈を音楽に反映させることを安易にやっては解釈違いになってしまいます。
 
 また、今回この曲の音源はヴァーチャル・コアといわれる演奏でした。リモート合唱、と言った方が今は馴染みがあるかもしれません。これが合唱なのか、という議論がよくなされるようですが、これを判断するには合唱の定義を知らなくてはなりません。広辞苑で「合唱」を調べると、「①多くの人が声をそろえて歌うこと。また、同じ文句を一斉に唱えること。②多人数が2部・3部・4部などに分かれ、一つの響きをなすように歌い合わすこと。混声合唱・同声(男声・女声)合唱などがある。コーラス。」とあります。歌った時間や場所が違えど最後は同じところに集められますから、これに従えば、ヴァーチャル・コアは合唱ということができそうですね。
 そもそも「合唱」という言葉が一般的に、対面で、歌い手同士の距離が近くて、音楽が空間として共有されることを指すことが多いです。そういった合唱のイメージをヴァーチャル・コアに求めようとするから、それが合唱か合唱ではないか、という論争になるのだと思います。合唱か否かはどっちでもよくて、この論争自体に意味があるのか、というところが個人的な疑問、見解です。これは原曲がポップスの合唱曲が合唱曲か否かの論争でも同じことですが、合唱の神聖化がこのような論争を起こしているのだと考えます。それが合唱と認められようが、全く同じということはないので、それら論争の対象になるものは一般的な合唱とは少し違った価値があると思います。合唱としてのラベルがされようがされまいが、内容や目指すものはあまり変わらないのではないでしょうか。(ヴァーチャル・コアが対面での合唱の代替としての価値しかないのであれば話は別ですが。)
 
 
 オンライン授業が始まって1か月が経ちました。どの授業にも課題があって、他のタスクもあって、正直余裕がなくなってしまっています。まあ対面授業の時も余裕はなかったので、いつものことではありますが!(笑)
 様々な規制が緩和され、日常が戻りつつあります。吹奏楽業界では、オーケストラ同様に演奏時の飛沫を実験し、なんとか合奏できるように試行錯誤されています。隣の人の息遣いを感じながら歌える日はいつくるのでしょうか。早く、くるといいな。
 

 
 次回の日誌は今城さんです!最後までお読みいただきありがとうございました。

小金澤