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20
August
2024

【2024】よびごえ日誌 vol.8 夏休み番外編

みなさん、こんにちは。小田です。
昨日の勉強会に参加された皆さん、本当にお疲れさまでした!音源はまた後日もらえるものでしょうか?勉強会そのものの企画・運営をくださった室伏さん、小林さんをはじめ、参加団体の皆様等、すべてのみなさんに、感謝しています。こうした機会をつくってくださったこと、本当にありがとうございました。
 
さて、今日は、よびごえ初の試みとして、東京を飛び出し、とある高校のコーラス部さんの練習を見学させていただきました。今回のよびごえ日誌では、そのことについて綴ろうと思います。長くなると思いますが、僕の記録のためにも、感じたこと、考えたことの一部分を書き残したいと思います。
 
昨日、一足先に高校さんにお伺いし、稽古を見させていただきました。最初に目にしたのは、部活が始まる前に筋トレをしていたり(僕が見たのは腹筋)、楽譜を見ながら確認している姿だったり、小さなキーボードを持って1人1人が発声練習をしている様子でした。音楽室のこの感じ、「なつかしい!」というのが真っ先にありました。ノスタルジックな書き方をしたいわけではありませんが、高校生の頃、僕は一日中合唱について考えていたと言っても過言ではないくらいに、合唱が大好きで、授業中も、内容に不安が少ない教科については、「今日のパート練で何やろうかな」「あそこが歌えてないからもう少しこうしたいんだけど、どうやったら声が変わるんだろうか」と、そんなことを考えながら、窓の外を眺めていたことを思いだします。部活後の音楽室も好きで、男声でパート練をしていると「はよ帰らんかい~」と言われて帰っていたのを覚えています。大学にいると忘れがちな、現場の「匂い」とでも言いましょうか。大学の講義や教科書、論文には無いリアルです。
発声練習は、その流れが身体に染み込んでいるスムーズさで、無駄がなく、発声練習後は、ペアになっていた先輩が後輩に助言をするという、「教える」活動が組み込まれていました。「教える」ことには、知識も技能も求められますし、その人の言うことを聞こうという信頼関係も求められます。とりわけ、パート練を引っ張っている生徒さんは、声楽のアカデミックな用語をかなりご存じでいること、また自身の声について、課題と改善を明確に言語化できているのが印象的でした。
「響きを高く」「落とさない」、これは先生が繰り返しおっしゃっていた言葉です。とにかく生徒一人一人がより良い発声を目指しているし、その意識が徹底されていることが、なによりも素晴らしいと思いました。2日間の見学を通して、「より良い発声を追究し、声を使いこなすことが部員の仕事」、「より良い声と音楽を導き、モチベーションや心を支えることが先生の仕事」、それぞれが良い仕事をしたいと高みを目指している、そんな会社のようにも感じました。
 
僕にとって、今回訪問させていただいた高校さんは、特別な思いがある高校さんでした。高校生の時から、今に至るまで、18年くらい、ずっと頭にあり、録音や映像で拝見していました。高校の頃は、電車で40分くらいかけて通学していたのですが、MD、それからMP3プレーヤーなるものが流行っておりまして、合唱曲だけのMDや、MP3プレーヤーのリストを作って、その高校さんの演奏を、毎日、何回も何回も繰り返し聴いていました。
「やっぱり生は違う」。そんな当たり前のことですが、言葉では足りないほどの大きな感動がありました。思い出補正もあったのかもしれませんが、音楽室に響いていた音楽は、決してコンクールのための音楽でない、誰かの心に届けるための音楽だと感じましたし、大きな愛のある音楽でした。
 
さて、部活動の始めから終わりまでの流れについても、勉強になるものがありました。体操は無く、早速に➀発声が始まり、➁パート練からの➂全体練、コンクール間近ということもあってか➃録音通しからの➄返し練、⑥事務連絡等を済ませたら、最後は⑦自主練時間があって解散というものでした。
個人的な注目は、体操が無いことと、最後に自主練時間が予め組み込まれていることでした。体操は、多くの学校で形骸化しやすく、また運動部の筋トレや、体育の授業の準備運動をそのまま持ってきているような学校もあるため、生徒の中で、体操をやることと歌が上手くなることとがどのように関係しているのかを実感しづらいという点で、取り扱いが難しい活動だと感じています。その点で、どんな体操をしているのかな、と気になってはいたのですが、まさか、無かったので、「合理的!」と僕の中ですっと理解ができました。別に、体操があろうがなかろうが、ちゃんと中身の濃い活動していればいいんだ、というように捉えました。
最後の自主練の時間は、きっと、その日の学びを自分の力で整理したり、発展させるために設けられていたんだと、推測しています。そう考えると教育学的にはとても合理的です(学びの定着)。「今日もやりきった!終わった~」ではなく、「今日言われたことを整理して帰ろう 分かんなかったら先輩や先生もいるから聞いて、分かるように/できるようになってから帰ろう」、そうしてまた次の部活の前に自分一人で復習して、発声➡パート練➡全体練をして、また一人で整理、発展させる・・・こうしたサイクルは、非常に勉強になりました。大学生でこれをやろうとすると、「活動終わったからかーえろっ」となってしまうような気もしますが、よびごえのみなさん、後期の活動から試してみるのはどうですか…?
 
自主練の時間が終わっても、先生に質問をしていたり、次の部活に向けて打合せをする姿もあったり、音楽室が閉まっても、廊下でその日の指摘事項を一緒に声を出しながら確認していたり……、ずっとどこかで歌声が聴こえ、真剣さと穏やかさの入り交じった空間でした。
 
ここに書ききれないのは、あの、圧倒的な「響き」でしょう。
練習を見させていただきながら、春こんの時に、ほぼ毎年僕が「いま何割ぐらいで歌ってる?8割か9割にして」と言っていることを思い出していました。「ここは音量記号はピアノだけど、和音を鳴らさなきゃ」「もっとしっかり出して」と先生がおっしゃっていたことも、「そうなんだよな、息が流れて声量がある程度ないと、和音って鳴らないんだよな」と、共感していました。完全音程をしっかり決めたり、子音や母音のトーンをそろえることで和音が鳴る土台(準備)ができていれば、あとは声が正しいポジションに入れば、和音は一気に鳴り始めます。それが曲のエネルギー(legato)と重なると「音圧」という、ビリビリ、というものを体感できるまでに空気が鳴り始めます。よびごえのみなさんも、「音圧」のある合唱を、毎年春こんでは経験できていると思いますが、「もっとできる」、そう思いました。少人数でも鳴らすことはできるので、ここは僕の宿題でもありますし、みなさんと一緒に、もっと合唱の可能性を探してみたいポイントでもあると思いました。
 
 
 
ここで私たちが一緒に考えたいのは、「教師に求められる力とは何か」、ということです。
今回は、先生ご自身が声楽についての高度な知識・技能をお持ちでいらっしゃり、男声女声問わず、「人体の構造」という共通点から、発声をご指導されていました。僕個人の経験として、声楽は極論、男女問わず「身体をあけて息を流すだけだ」と習ったこともありますが、細かいことはさておき、つまりはそういうことなんだと思います。息の方向や、頭の中での母音のポジションのイメージを間違えると、声は平べったくなり、響きもきつくなりますが、十分に息を吸い、吸った通りの道を通って息が流れ出て、その道沿いに母音を置き、目の方向へ、それから前へと、どんどん息と母音が流れていけば、声は柔らかく、頭蓋骨全体がまろやかに響きますし、それは男声も女声も違うことはありません。そんなことを、ものすごくシンプルに、実演とともに要点をおさえてご説明されている先生のお姿から学ぶことはものすごく大きかったです。
こうして書くのは簡単ですが、これについて、それができるようになるまでにどういった困難さが起こりやすいのか、ということを予測して、それら1つ1つへの対処法をカードとして持っていくことが、まずは教師の力と言えますね。例えば、「なかなか声が前に出ないとき」「声のポジションが低くこもっているとき」「あごや舌の力が抜けないとき」「高音における息のスピードが遅いとき」「一番低いバスの低音が散ってまとまらないとき」にどんな手立てをもって関われるか、みなさんだったらどう指導するでしょう(これらはこの2日間で実際に相談を受けたものでした)。短時間で解決できるようなものはさくっと直してしまうのがベストですが、なかには筋力が必要なものや、感覚の洗練が必要なためにどうしても時間がかかるものもあります。その場合は、できるようになるまで介入し続ける必要があります。重要なこととして、小学生だとしても、高校生だとしても、声に関わる以上、健康に問題を起こしてはいけません。「声とその学びに関する正しい知識と判断力」が、教師には求められています。
教師の力は、そうした声に関する知識や技能だけではなく、作品の解釈やそれを伝える指導力、また生徒の目線で相談しやすく、受け止めてくれるような包容力もあるのではないかと思います。知識や技能を超えて、人間性までをも言い始めると、人それぞれという議論に陥りやすいですが、しかし、結局は、人となりこそがその場の雰囲気のベースとなることは否定できないのではないでしょうか。加えて、知識や技能に基づく的確な指導と、コンクール等における外部評価も総合して、教師と生徒との間に確かな信頼が構築されていくのではないかと思います。このような人となりや信頼の構築も、教師の力として捉えておきたいです。
 
よびごえのみなさんが、大学生のうちにできることは、まずは「発声に関する確かな知識と技能を学ぶこと」、そして「1曲でも多く、様々な合唱曲をしっかりと勉強・演奏すること」だと思います。それは声楽が専攻であるかどうかを抜きにして考える必要があります。なぜなら、これからみなさんが未来に出会うであろう児童・生徒からすると、みなさんが何専攻だろうが関係ないからです。先生は先生なのです。
 
最後になりますが、この日誌を書いている僕が、いま強く感じていることは「責任」です。冗談でなく、いつかこの先、「昔の人は部活で合唱やってたらしいよ」という時代がやってくるのではないかと危惧しています。そもそもの日本国の人口減少問題もありますが、おそらくコロナや部活動の地域移行の影響を大きく受けた合唱人口の減少があり、1980年代ごろから今日に至るまで、合唱界は、大規模から中規模、小規模へと、どんどん縮小してきた歩みがあります。コンクールの是非が議論としてあるのはいったん横に置いたとして、コンクールが成り立たないほどに日本国における合唱分野の縮小が起きたとき、そのあとは急速に合唱分野はかつての活気を失っていくことになろうと思います。そんな未来が来ないと良いなと思いますが、30年後(2054年)、というリアルな数字もざっくりと頭には浮かんでいます(よびごえのメンバーは、まだ現役で働いているはずですね)。
そこで考えなければいけないのは、「合唱は生徒の何を育てていたのか」という、合唱の教育としての価値(意義)なのだと思います。合唱という活動の価値を整理し、説明・説得できなければ、守る必要のない活動になるため、社会の流れに従って、自然消滅することになるでしょう。
今回訪問をお許しくださった高校の生徒さんを見ると、合唱をしたからこそ開発された知識や技能、態度は、非常に多くあったのではないかと考えています。それが、将来どのように活かされ、接続されるのかということはいったん横に置いて考えるのが良いと思いますが(なぜなら来るべき将来で求められる力は常に変化しているから)、「合唱を通して何が育ったのか」、この問いを持ちながら、今日の見学を振り返ってもらった時、みなさんの頭には何が思い浮かぶのでしょうか。またぜひ教えてください。 東京学芸大学で学んだみなさんが、これからの日本国の合唱と教育の最先端に立ち、全国の児童・生徒と、価値ある合唱活動をしていってほしい、そうしたみなさんの学びを支え、応援することが僕の仕事ですし、責任でもあると思っています。これは、とてもとても重い仕事ですが、これからの日本国の合唱と教育を考えたときに、ものすごく大切な仕事だと思っています。
そんなことを言いつつも、どうか引き続き、気を張らずにのびのびと合唱と教育を学んでいってもらえればと思いますが、「合唱を通して人を育てること」を、みなさんとの実践を通して、もっと一緒に考えていけると嬉しいなと思っています。
 
今日一日、本当にお疲れさまでした。
また後期に元気にお会いしましょう! 小田直弥…
19
July
2024

【2024】よびごえ日誌 vol.6

まずは、よびごえ日誌が大変遅れてしまったこと、お詫び申し上げます…すみません。今回の日誌は、4年一柳です。最近は毎日溶けそうな暑さですね。
 
さて、だいぶ前になってしまいましたが、7/19の稽古では、主に、今取り組んでいる「あの空へ~青のジャンプ~」のGの部分について自由に話し合いました。この部分の楽譜には、「76小節から83小節のスキャットの言葉(歌詞)は自由。ハンドクラップやフィンガースナップを加えたり、アドリブでソロを加えてもよい。」とあります。この曲には“Shout”と書かれた部分もあり、この時代の合唱の課題曲にしては斬新な、いろいろな意味で自由さがある曲になっています。当時のNコンのYouTubeなどを見ても、ダンスをしたり、歌詞を加えたり、即興的なソロを入れたり、それぞれの学校の個性が光っています。そこで、よびごえでも演出を考えてみようというわけです。なんの枠も設けず、本当に自由に話し合った結果、地声で叫ぶ人を作ったり、ハイタッチを入れたり、ボイスパーカッションを入れたり、言葉を変えたり、指パッチンしたり、さらには舞台上を大移動したりとあらゆる案が実現されました。時代が進み日本でも色々な合唱曲が生まれたとはいえ、今でもある程度のかっちりさや楽譜への忠実さを求める傾向のある日本の合唱という活動では、異色の活動だったのではないでしょうか。よびごえではかつて、インドネシア語の曲を歌ったとき、衣装を作り、メイクをし、踊りを踊った懐かしい思い出がありますが、その時はやはり曲の背景をよく考えた上での、ある程度の文化・時代的忠実さを求めた結果の総合表現だったので、今回ほど創造要素が強いものは少なくとも私の知っている限りは、やはりなかったのではと思います。慣れない活動に、最初は何から考えたらよいものか戸惑いを感じていた団員たちでしたが、やってみると意外とノリノリで楽しんでいました。自分の主体性を発揮できるって、戸惑いや恥ずかしさを感じることもありますが、楽しいなと思います。
 
音楽演奏というのは、基本的には再現芸術といわれています。しかし再現の過程で、演奏者の個性が加わり、それぞれの演奏が生まれていきます。作る主体と演奏する主体の比重(?という表現が正しいかはわかりませんが…)は、曲のジャンルによって様々で、クラシックであれば作る主体の比重が非常に大きい気がします。一方、民族音楽やジャズアレンジなど、世界には演奏する主体の比重が大きい音楽も多くあります。日本の学校音楽は圧倒的に、再現的な要素が強い音楽が多い気がしますが、その是非や、演奏する主体の比重が大きい楽曲を学校で扱うときの扱い方についても、今後考えていきたいと感じました。
 
最後に余談ですが、先日Nコンの東京予選を見に行きました。興味+自身の指導する合唱部で、来年度Nコン出場の話が出ていたこともあり見に行ったのですが、大切なよびごえの先輩が指導者として指揮をする姿、伴奏者として出ている姿、よびごえとして指導に行った学校さんが素晴らしい演奏をしている姿を見て、心を動かされたとともに、時の流れを静かに感じていました。(ちなみに、しっかりよびごえの後輩ちゃんたちとも遭遇しました笑)
 
わりと毎度になりつつある気がしますが、今回も長文ですみません。期末に書くと、大学の期末レポートの癖が抜けず気づいたらそのくらいになっちゃってます💦
お読みくださってありがとうございます。それでは皆様、暑さに溶けないように、涼しくしてアイスを食べたりもして、素敵な夏が過ごせますように🌻 一柳優里愛…
05
July
2024

【2024】よびごえ日誌 vol.5

こんにちは◎
2年の小林です。7月5日の稽古記録として、ひとつ日誌を残そうと思います。
 
今回は、現在取り組んでいる2曲のうち「僕が守る」の歌詞解釈に重点を置いて稽古を行いました。
“歌詞解釈”はよびごえの特徴的な活動のひとつであると僕は思います。歌詞について、曲の背景について、よびごえメンバー同士で考え話し合う-決して多くはない稽古の時間を歌の練習以外に使うというのは、ひとによっては抵抗を感じることかもしれません。実際僕も、よびごえに入る前まではいわゆる”練習至上主義”で、結局のところ練習の質と時間が演奏に直結する!!だからとにかく練習しよう!!!という考え方の人間でした。先に断っておくと、いまでもそれは大きくは変わっていません。大きく変わってはいませんが、よびごえの話し合い活動の有効性は確かに感じています。どんな風に有効で合唱が良くなるのか説明するのは難しいですが、少なくとも楽譜を読む視点が増えることは間違いありません。
 
以下、小田さんが送って下さった【「僕が守る」の詩の大枠を掴むための観点】を書いておきます↓
1.この詩って、「僕」目線の、「僕」と「君」の物語と言えると思うけど、「君」との関わりの中で、「僕」はどういう人でありたいと思っているのか?
2.詩の中に4回登場する「君」は、同じ人?それとも違う人?
3.つまるところ、この詩の持っているメッセージってなんなんだろう?(みなさんが演奏を通して、お客さんに伝えるべきメッセージ)
 
僕のグループでは出てきた他の話題から詩を考える時間も少しですがありました。印象に残ったのは、「『守る』とはなにか?」という話題です。誰かを命の危機から救うことは「守る」ことかもしれないけど、そんなことはいま生きていて起こることではない。でも僕たちはきっと誰かに守られているよね、それってどういうこと?そばにいることは「守る」こと?などなど色んな意見が出ました。
この詩の解釈における、好きだなと思った捉え方は「守る」ことは「肯定する」ことである、というものです。詩にでてくる「僕」は、想いや考えを誰にも認めてもらえない中(心細くて伸ばした手がどこにも触れない時)、「君」に認めてもらえたことをずっと憶えている。第三連からも、壮大な「肯定」であると読むことができる。そして最後(次は僕が 誰かを守りたい)、きっと「僕」は「君」のようにだれかを肯定して、受け入れられるひとになりたいと思っている。詩に触れるひと誰もが「僕」にも「君」にもなり得る、この詩の解釈として個人的にとてもしっくりきました。いっしょに話し合ってくれたななみんとめいめいのおかげです。
 
文章で説明するのは難しいですが、こういった話し合いの活動が有効になるのは「全員お互いの顔と名前が一致する関係であれる人数規模であること」、そして「音取りという作業にそれほどの時間を有さなくてよいこと」は少なくとも必要かなと個人的に思います。練習への取り入れ方は考えものです。
 
気取った堅い文章を書いてきてしまいましたが、最後にこれだけ書いて締めようと思います。
よびごえの話し合いはとっても楽しいです。これに尽きる、まで言ってしまうと大袈裟ですが、これからも大切にしていきたいなと心から思います。ここまで読んでくれてありがとうございました◎
  小林翔人…
21
June
2024

【2024】よびごえ日誌 vol.3

みなさん、こんにちは。小田です。
前回のよびごえ日誌では、次回は新喜さんがご担当くださることになっておりましたが、今日は僕が書きたい!と思い、私の方で書かせていただくこと、申し訳ないです。新喜さんのよびごえ日誌を、ぜひまた楽しみにしていただけると嬉しいです😌
 
さて、今年度のよびごえは、新しいメンバー6名をお迎えし、8月19日に東京学芸大学芸術館で開催される本番に向けて、稽古を開始しています。
演奏曲は2曲です。
 
「僕が守る」(作詞:銀色夏生、作曲:上田真樹)
「あの空へ~青のジャンプ~」(作詞:石田衣良、作曲:大島ミチル)
 
この2曲の共通点は、いずれも、NHK全国学校音楽コンクール高等学校の部の課題曲だったことです。しかしこの2曲は、「合唱」において、ずいぶん異なる魅力をもった作品だと思っています。この2曲について、それぞれを解説したい気持ちがとてもありますが、今日の稽古に焦点を当てて、書きたいと思います。
 
今日は、新体制になってから、4回目の稽古でした。
2曲とも、音とりの段階は終わり、今日は「青のジャンプ」のスキャット部分で何をやるか、ということを研究したり、話し合ったり、試してみたり、という時間でした。
 
活動の流れは以下の通りです。
 19:00~19:05 発声
 19:00~19:20 女声・男声別 「青のジャンプ」の復習
 19:20~19:35 全体 練習 
 19:35~19:50 「青のジャンプ」のスキャット部分の映像を10団体分見てみる
 19:50~20:00 2グループに分かれて話し合い
         ①どこからどこまで、スキャットをする?
         ②具体的に何をやる?
 20:00~20:15 全体 話し合った内容のシェア
 20:15~20:20 全体 王道のスキャットを試してみる
 20:20~20:30 全体 最初から最後まで通してみる
 20:30~21:00 振り返り
 
今日の活動で特筆すべきは、スキャットの話し合いの内容でしょう!
グループ1,2の意見は次の通りでした。
 
 
グループ1
・72~83小節までが自由に動く範囲かなぁ。
・72小節~予兆があって、74小節のShout!でスイッチが入って、76小節~自由にって感じ?…
01
June
2024

【2024】よびごえ日誌 vol.2

新体制になってはじめのよびごえ日誌は、4年稲村が担当します。
よびごえに6人のメンバーが加わりました!みんなフレッシュでまぶしかったですが、2年生以上のメンバーもフレッシュさでは負けていません。
稽古は終始和気藹々とした雰囲気で、幸先の良いスタートが切れました。
 
 
〈今日の稽古の流れ〉
① 発声
② 「僕が守る」パートに分かれて音取り後、全体で合わせる
 
 
① 発声
2年小林くんが担当してくれました。こうやってみてください、と彼が軽く例を示す感じで歌った場面があったのですが、すごくいい声でびっくり。
◇ハミング
4拍かけて息を吸い、8拍ハミング→2拍かけて吸い、4拍ハミング
「天井の高い家になってください」という伝え方が面白かったです。
 
◇「あえいあおう」(長調⇔短調)
母音の明るさや暗さをコントロールすることが難しかったです。これまでは曲調に明暗を委ねていたなと気づかされました。明るさや暗さの配合が自由にできれば、表現の幅もぐっと広がると思い、個人でもこの発声を取り入れたいです。
 
 
② パートに分かれて音取り→全体で合わせる
よびごえは夏の本番に向け、『僕が守る』(作詞:銀色夏生 作曲:上田真樹)に取り組むことになりました。この曲は第78回NHK全国学校音楽コンクール高等学校の部の課題曲で、ずっと歌いたかった大好きな一曲だというよびごえメンバーも。今回の稽古は音取りが主でした。まず曲を前半後半の2つに分け、前半部分をパートに分かれて音取り、その後全体で合わせ、次に後半部分を再びパートに分かれて音を取り、また全体で合わせました。音取りは前半後半ともに10分。初見で臨んだ団員もいましたが、短い時間で音が取れていて、流石だなと思いました。全体で合わせた際には、上田真樹さんや木下牧子さんが作曲された曲は、楽譜には書かれていないクレッシェンドをかけることが、曲を前に運ぶために重要だという技術的な学びがありました。
 
 
新しい曲が決まっての初稽古は、毎回緊張しますし、自分と戦っています。メンバーは約20分で曲全体の音が取れていて、みんなの積み重ねてきた時間や努力がそれを可能にしていると思うと本当にすごいなと思います。一方私は、稽古に向けてコソコソ練習し、2時間以上かけてリズムがはまったぞ、なんとか音が取れたぞ、となったのですが、今回全体で合わせてみると他のパートに引っ張られてしまったり、音程が分からなくなって声が出なかったりという感じで、不甲斐ないし情けないし、自分の能力の低さを痛感して気分が落ち込みました。家に帰って一人で歌ってみると今度は歌えて、より不甲斐ないというか惨めな気持ちになりました。できなくても落ち込むし、できたらできたで、こんなこともできなかったのかと落ち込むという、中々に良い性格しているなと思います。
自分にがっかりして終わる初回稽古にならないように、時間を作って準備をしてきたつもりだったのですが、結局駄目で、今回もちゃんとメンタルにきました(笑)
来週は、曲や歌詞の内容に踏み込んだ稽古になるかと思うので、それまでにどうにか自立して歌えるよう練習に励みます。練習方法も見直してみようと思います。
 
 
小学校や中学校の吹奏楽部のボランティアに行った際、譜読みが大きな壁となっているケースをよく見かけます。私も楽器を始めた小学生のとき、それまでに楽譜を読んだことがなかったため、譜読みにとても苦労したのを覚えています。譜読みの段階で何度心が折れたことか。大学生になってからもよびごえで歌う曲の譜読みで何回も心が折れて、しまいには粉々になっていました。塵です。なので新しく楽器を始めた子には、単純なリズムや吹きやすい音域のところから譜読みを始め、音を確認してから吹いてみるということをおすすめしていますし、それを一緒にします。簡単なところができたら、そのリズムを応用していたり、似ていたりするところを探してまた一緒に取り組みます。少し複雑なリズムが登場する部分は、言葉をあてはめてみたり、面白い文章を作ってみたりして、譜読みの段階も楽しんでもらえたらいいなと思っています。よびごえでは、メンバーのレベルが高く、全体を見渡して簡単そうなところから音を取ることは今までしたことがないと思います。みんな素直に曲の冒頭から始めてそのまま終わりまで見ていくことが普通な様で、そういえば自分が1年生だった時にこの譜読みのスタイルに驚いたなということを思い出しました。今回のよびごえで取り組む『僕が守る』は、はじめ~Ⓐ直前→24小節目~Ⓑ直前→51小節目~Ⓓ→Ⓕ~最後→…と自分の中で取り組みやすいところから音を取ってみました。何年たってもin Cで音程を取ることが苦手なので、あまり跳躍がなかったり、横の流れがつかみやすいなと思ったりしたところから取り組みました。リズムに関しての不安は特にないので、自分の課題はやはり音程を捉えることだなと思います。(4年生にもなってこんな状態で恥ずかしいですが。)
また、新曲にあたるとき、音取りと表現はわけて、まず音を取って次に表現をつけていくという風によびごえの稽古は進んでいると思います。私も器楽曲に取り組む際はそのようにしていますが、最近は、曲の解釈から始まって、次に音取りと表現をつけるというように慣れた順番を逆にして取り組むことは可能なのかなと考えたりしています。
 
 
先日、よびごえカラーなるものを発見しました。
正確には、「呼び声」という色のマニキュアと出会ったよという話なのですが、黄緑と若草色を混ぜたような色で、爽やかさもあるけど、どこか温かく落ち着いた感じもある素敵な色でした。今年度のよびごえはどんなカラーになっていくのでしょうか。よびごえは少人数のチームだからこそなのか、毎年カラーが違って面白いです。新体制での初稽古を終えて、今年度のカラーも好きになれる予感がしました。
 
次の日誌担当は、3年新喜さんです。彼女の考察やぶっちゃけトークが個人的に好きなので、今から次の日誌を読むことが楽しみです。乞うご期待。 稲村歌乃…
12
May
2023

【2023】よびごえ日誌 vol.1

こんにちはお久しぶりです。3年A類の丸です。遅くなってしまいましたが新歓稽古、新歓コンの日誌を担当させていただきます。
 
それよりもまず、今年度団長は私と大野になりました。この場をお借りして挨拶させていただきます。まだまだ新体制になって慣れないことばかりですが、執行代で協力して参りますのでよろしくお願いします。
 
そして、今回の新歓稽古、新歓コンにいらしてくれた新1年生のみなさん、何より私たちの演奏を聴いてよびごえに入団してくれたみなさん、本当にありがとうございます!これからみんなで新しいよびごえのハーモニーを奏でていきましょう。
 
それでは本題に移らせていただきます。まずは新歓稽古について。今年度の新歓稽古では相澤直人先生の「ぜんぶ(卒業式バージョン)」を取り扱いました。この曲を扱うのは私がよびごえに入団して2回目でしたが、歌う度にその時の境遇や生活環境で歌い方が変化するので、何度勉強しても面白い曲だと思います。感情についての歌詞が書かれているため、その時々の感情に少しばかり左右されてしまうのかなと(浅はかな考察ですみません)。
 
1回目の新歓稽古では「繰り返しをどう表現するか」という問いから、繰り返しの「大切なものはぜんぶここにある」の p を最初とどう表情を変えるか考えました。私は、最初が他者に自分の大切なことを伝えていて、繰り返しは自分自身に言い聞かせているようなイメージを持ちました。語りかける距離が違うような感覚です。他にも噛み締めているのではないかと言う意見や、広さが広いところから狭くなったなど、たくさんのイメージや意見が出て、面白かったです。さすがよびごえだなぁと実感しました。来てくれた1年生は曲にしていない歌詞にまで着目して意見を述べてくれて、ほんとに初めて参加したの!?と思うほど考えがまとまっていました。私が入りたての頃はなんとか意見を言うことで必死だったので、本当に感心してしまいました。よびごえの活動が凝縮されたような、新1年生にとっても私たちにとってもいい新歓稽古になったのではないかと思います。
 
ここからは新歓コンについて。新歓コンではここ最近お馴染みの「白日」そして中学校の合唱コンクール等では定番の「時の旅人」の2曲を歌わせていただきました。こちらの練習は団員みんな忙しい中時間を見つけて隙間時間に集まって練習しました。忙しい中協力してくれた槇さん、藤原さん、本当にありがとうございました。
 
「白日」はやはりいつもポップス×合唱の難しさに悩まされます。ポップスのビート感は感じ取りつつ、発声は合唱っぽく。16部音符の細かいリズムをうまく捉えて和音をはめるのはとても難しいなと改めて感じました。ですが何度も練習した曲なので、ポップス特有のノリと勢いでうまく歌い切れたのではないかと思います。「時の旅人」は直前の稽古まで重点的に和音をきめることを練習しました。子音を発する時からすでに次の音をイメージし、子音の段階で音を鳴らしているようなイメージ。そして階段のように音程関係をはっきり意識して歌うこと。この2点に気をつけるだけで音程が格段に良くなりました。また自分が和音のどの音を歌っているのかを意識する。これもやはり大切なことだと改めて感じました。新1年生が歌ったことのある、聴いたことのある曲だからこそ基本が疎かになってはいないか、当たり前ができているかを聴かれてしまうなと思いました。本番ではどちらの曲も練習通りに歌い上げることができたと思います。来てくださった1年生が私たちの「白日」と「時の旅人」を聴いて、少しでも思うこと・考えることがあったら嬉しいです。
 
これからは新体制で合唱祭に向けた稽古が始まります。昨年度とは違うよびごえの色に期待しつつ、自分がやるべきことを全うしていきます。そして団長としてよびごえを引っ張っていけるよう精一杯頑張ります。今年度もよろしくお願いいたします。 丸大喜…
05
January
2023

【2022】よびごえ日誌 vol.12

こんにちは!3A原田です。
2023年もよろしくお願いします!
 
新年一発目の稽古は、小田さんが大学まで来てくださり、Zoom越しではなく対面で行いました。以下稽古の流れです。
 
発声(ハミング・a母音で声量意識!)
2曲通し
2パート練(Sop./Alt.)
全体稽古
振り返り
 
まず発声では、ハミングで徐々に跳躍の幅を広げて息のスピードを速くする練習、a母音でクレッシェンド、fで出す練習をしました。大きい声を出すとき、私はまだ別のところに力が入ってしまったり、息の通り道の意識が薄れてしまったりと、百発百中で気持ちよく大きい声が出せないので、春こんまでの課題だなと思っています。
 
その後は、一度通しをしてから2パート練。そして全体稽古をしました。
 
Cikala le Pong Pongでは、息のスピードを速く、というのと、とにかく輪郭をはっきりすることが個人的な課題だと感じました。全体稽古のなかでは、リズムで勢いを出したり整えたりすることがテーマだったように感じています。フレーズ間の引力への意識だったり、パートごとのリズムを立てる場面だったりという意識が、客席で聴いてくれる方の聴きやすさ、ノリやすさにつながるのだと思います。また、最後のHei!のテンション感についても、もう少し意味を持たせられるといいな、と思います。
 
Soleramでは、勢いを保って大きく捉えて歌うことが重要だなと思いました。そのためにもやはり声量を出せるように練習したいです。また、2パート練でアルト2の声を聴きながら、インドネシア語、マレー語をはっきり伝える意識が足りていないな、と感じました。去年も感じたことですが、外国語に対してはどうしても日本語よりも「伝える」という感覚が薄れてしまうように感じます。言語として音を理解して、それを客席に届けられるように歌いたいな、と稽古を経て感じました。私自身、一人で歌うときはどうしても内的な楽しみ方をしてしまうので、自分の外側へ、伝えるという意識をしながら歌える環境は貴重だなと思います。
 
本番まで日が迫ってきましたが、後悔のないように、よびごえメンバーみんなで曲と向き合えるといいな、と思います。一団員としても、執行代としても頑張ります! 原田…
07
July
2022

【2022】よびごえ日誌 vol.9

はじめまして!1年A類音楽の新喜真由音です。今年度からよびごえに新しく入団しました!今回初めてのよびごえ日誌を書かさせていただきます。これからよびごえの一員として恥じないように活動していきたいと思いますのでよろしくお願いします!
 
今回は7/18の合唱祭へ向けて発声→全体稽古→通し稽古→パート練の流れで練習しました。
 
発声では、まずブレスを使って歌っている時に重心を下に保つことが大切だということを確かめました。その後、音程と母音を付けた発声をしました。その際、低い音は意識しなくても重心がしっかりしていますが、高音になるにつれて音とともに意識も上の方に向かってしまう傾向があります。なので高い音ほど重心を感じる必要があるのだと改めて気づきました。常に上半身だけでなく全身を意識して歌いたいと思います。
 
白日では、初めの女声二部の部分でほとんどの印象が決まってしまうということについて考えさせられました。小田さんに、はじめを大切に愛情を持って歌う、と指摘していただきました。しかしその後に歌ってみると、真面目で原曲のよさが少し失われてしまったという話がありました。私は専攻のピアノでも、「真面目すぎるからもう少し遊び心が欲しい」と言われることがあり、その度に遊び心とは…?と悩まされます。今までにいろいろなことを考えましたが、今回の活動で思ったことは、”リズムや強弱を工夫して面白いものを作ろうとする”だけでは聴いてる人には伝わるものは少ないのだろうということです。自分たちが心からその曲を楽しむ気持ちや「こう歌いたい」という意志の強さなども演奏には大切な要素なのだと感じました。しかし、これはリズムや強弱と違って非常に抽象的なことなので、どうしたら形にできるのかより学んでいきたいと思いました。
 
Salve Reginaでは、先週に引き続きフレーズごとの音色の変化について考えました。パート練習の時、先輩方が「音色の変化といっても明るいと暗い以外に何があるのだろう」と話されてました。私はその時全然思いつきませんでしたが、やはりこれも感情的な部分が大きくなってくるのかなと感じました。まだ考えはまとまらなかったので、本番まで残り少ないですが深めていけたらと思います。
 
よびごえに入団して1,2カ月ほど経ちましたが、議論についての自分の考えの浅さや頭の硬さを痛感しています。もっと積極的に音楽を創り上げていきたいので頑張ります!
 
次のよびごえ日誌は3Bの藤原改さんにお願いしました。よろしくお願いします🙇‍♀ 新喜真由音…
16
June
2022

【2022】よびごえ日誌 vol.7

1番初めは「Salve Regina」を行いました。
まずはキリスト教についてのお話から。キリスト教の曲は、キリスト教についてしっかり理解した上で歌うことが大切で、木下牧子さんの曲を歌う時と同じように歌うと違うものになってしまう、ということを学びました。
 
その後歌詞の意味を確認しました。例えば冒頭では「ごきけんよう、お妃様」という意味になるので、元気よく「ごきげんよう〜!」と歌うのではなく、厳かに歌う、といったように歌詞からの表現を確認しました。
 
 
次に言葉のアクセントとフレーズについて。
日本語で考えると、「おはようございます」という言葉は、もともと「おはよう」と「ございます」の2語で、その二つの言葉と言葉がくっつく統語的エネルギーが発生することで、「おはようございます」という一つの言葉になります。この理論で考えると、Salveとreginaは二つの言葉なのでアクセントはそれぞれ2つですが、統合的エネルギーが発生することで「Salve Regina」と一つになります。つまりSalveと言い始めた時はreginaに向かってエネルギーが発生し、アクセントを持っていくことになります。このように言葉についてじっくり考え、アクセントに向かって一音ずつクレッシェンドをかけるなどして歌い方を工夫していきました。
 
以上のように、言葉の意味とアクセントから歌い方について考えることをするのは私自身初めてで、曲が全く違うものに聴こえるくらい変化が感じられてとても興味深かったです。さらにはっきりとした変化を付けられるようにしていきたいと思いました。
 
次に「白日」です。伴奏と合わせて練習しました🎹
一回通した後小田さんから、「もっと面白い演奏にするにはどうしたら良いか」という問いを頂き、それぞれ個人で考えた後もう一度歌いました。サビのところで少し地声っぽく歌うことや、拍を細かく縦にとることなどの意見が出ました。
 
小田さんが、この「白日」を本番の合唱祭で歌った後、「やっぱり声楽を勉強している人たちだから綺麗、上手だね」と言われたらそれはこの曲をやった意図とは違うよね、とおっしゃっていて、これからの練習でもつねに「面白い演奏」について考えていきたいと思いました。 槇佳絵子…
02
June
2022

【2022】よびごえ日誌 vol.6

発声→サルヴェレジーナ→白日
 
💫サルヴェレジーナ
発音の確認
音楽と宗教について
・科学的ではないこと、説明できないことに理由をつける。
 →安心、平和を見出そうとする。より平和に。
・「いただきます」、「ごちそうさまでした」など、日本は宗教を文化的なものとして扱っている。
・キリスト教について
 キリストはパワーマン、超人的。自分達とは違うすごいひと。
 この世界を変えたのは、キリスト自身か、キリストを生んだマグダラのマリアか。
宗教に関わる音楽に触れるときには、文化的背景をより理解することで曲への理解がより深まる。
 
💫白日
前回までは…「再現的に歌うか、二次創作的に歌うか」
・パートごとに工夫して歌う。
 →前回よりも変化があった!
・一番盛り上がるところは?
 →「L」だ!音量を大きくする?子音を立てる?
・休符の扱い方
・工夫した部分が言葉なしに伝わるように。
 →授業では工夫したところを言語化して共有できるが、演奏会ではそれはできない。
 
個人的な感想
今回の活動で印象的だったことが2つあります。
まず1つ目は、「工夫した場所が言葉なしに伝わるように」というお話です。実際の本番ではここをこうして頑張った!ということは聞いて頂く方々に言葉でお伝えすることができないので、演奏でお伝えするしかありません。その中で私たちが伝えたい表現や音楽はどれくらい伝わるのだろうか…と思いました。また、音楽の目的についても考えました。私はあまり人前で演奏することが好きではなく、自分のために音楽をしている、という感覚で日々演奏しています。しかし、演奏会や試験となると自分のために演奏しているだけでは足りず、何か相手に伝える、という目的が生まれるような気がします。聞き手に伝わる演奏は気持ちの面でも技術的な面でも難しいな、と考えさせられました。
2つ目は曲と曲との切り替えについてです。これについては振り返りの際に多くの方が話されていましたが、私は曲と曲との切り替えに全く抵抗を感じませんでした。なので、切り替えが大変、とお話しされているのを聞いてかなり驚きました。それだけ一つ一つの曲に集中力を持って、こだわりを持って、演奏しているということなのかなと思い、素敵だと感じました。また、ひとつ前の話と通ずることではありますが、歌い手が抵抗を感じるなら、聞き手も同じなのではないかと考えました。曲間の雰囲気や表情、2曲目の曲の始まりなどを工夫して、歌い手も聞き手もみんなが2曲目に入り込むことができるようにしたいなと感じました。 土橋咲良…
23
August
2021

【2021】よびごえ日誌 合唱祭の振り返り

とっても時間が経ちましたが、よびごえメンバーより、合唱祭の演奏に関する感想と、前期の練習の運営について振り返りが欲しいとのことだったので、記録としてよびごえ日誌に綴ることとします。
 
まず、何度も言いますが、こうした状況下において、新入生と共に、みなさん自身の力で舞台に立ち、拍手をもらえたことはとても素晴らしいことだと感じています。運営に注力してくれた2,3年生にはとても感謝しています。本当にありがとうございました。そして、お疲れ様でした。
 
【演奏について】
合唱における演奏の良し悪しは、音程や和音、発音、複数の声部による有機的な音楽構成(解釈や空間づくり)といった「技術的な視点」だけでなく、パートや団としての声のまとまり、発声、選曲といった「個性が影響する視点」、さらに抽象化すると、気迫といった「雰囲気のようなもの」まで、いくつかの層が複雑に絡み合って決まってくるように思います。
それらを見渡したうえでも、総合的には、質の高い演奏だったと思います。それは、技術、個性、雰囲気を一定以上のクオリティで提供できていたこともありますし、それぞれの視点がよく練られている演奏だったとも言えます。
 
今後に向けた視点として、大きく2つの反省をしたいと思います。
1つ目は、マスクの壁を超えること。
 講評でもいただいておりましたが、マスクをしていたとしても会場で言葉がはっきりと聞き取れるよう、もう少し調整をすべきだったように思います。特に、柔らかい音楽の場面(音量が小さく、レガート気味の場面)において、閉口母音(i, u, e)の子音は、開口母音(a, o)よりも注意をすべきでした。例:”く”じら。 一方で、例えば、くじらの優しい感じを出そうとするために子音をソフトにするという判断は間違っていなかったと思いますので、ホールの奥の客席に坐っていて、ちょうどよいくらいの量感の子音であるためには…、と考えたときには、個人的にはあと少し強く、もしくはあと少し意識をして発音すべきだったということです。
 次に音量です。講評では、ホールの大きさと合唱団の人数に対して、立ち位置はベストの選択だったという声もいただきましたが、個人的には、みなさんの最大音量がしっかり出せていたのかが気になりました。合唱団よびごえの演奏としての魅力は、①作品解釈の深さと、②一人ひとりの思いの深さと、③少人数とは思えない音量の3点がすぐに思い浮かびます。マスクの影響は大きいと思いますが、マスクをつけていたとしても、音量の壁を超えれると思いました。ちなみに、合唱の場合、一人一人の声量が大きいだけでは、全体の音量は大きくなりづらいです。各パート内の音が良い感じで混ざり合い、さらに複数のパートが和音(倍音)の力を借りることで、初めて人数以上の迫力が成立します。今回は和音のはまり方は悪くなかったと思いますので、声量の意識がもう少し欲しかった、という反省と言えます。
 
2つ目は、力学を楽しむこと。
 よびごえとしては指揮者がいない初めての本番だったと思いますが(実は過去にも1回あったのですが、ただその時はピアノ伴奏がありました)、その割にはよく縦があっていた、という一定数の評価もある一方で、僕からすると、アンサンブルとしてはもう少しやれたのでは?と思っています。それは縦が合っていなかったということではなく、「私はこのテンポで歌いたいけど、そっちがそのテンポでいくならしょうがないなぁ、折れてやろう」というのを、楽しむことができていたかどうか、という視点です。
 少し脱線になるかもしれませんが、ソロでピアノを弾くのは完全に一人の世界なので他者から音楽を引っ張られるということは少ないと思いますが、例えば自分が歌い手だとして、伴奏がつくだけで一気に歌いにくくなったり、ここはこういう感じでブレスしたいのにな~、と思ったりすることはありませんか?たった一人共演者が増えるだけで、舞台上には力学(音楽の引っ張り合い)が発生します。自分はこうしたいけど、君がそうするならばこう歌ってあげてもいいよという具合です。自分一人で演奏する以外の時は、ほぼ確実にこうした状況が生まれると言ってよいと思います。つまりは、こうした力学は避けることはできないですし、自分の思い通りに歌えないということが悪いことではないということです。しかし、そういう力学を楽しめていたかどうか、という視点をみなさんにお示ししたいと思ったのは、こういう力学こそ、合唱なのではないか、と思うところがあるからです。(これは吹奏楽でも言えるのかもしれませんが。)
 パートの中には小さな力学があり、全体練習の時には大きな力学があるようにも思います。そうした音楽の引っ張り合いが、結果的によびごえらしいサウンドを創り出すように思いますし、指揮者がいないからこそ、この力学と今まで以上に向き合わざるを得ないとも思います。10人未満で、かつ指揮者無しで全国大会で堂々と歌う中学生、高校生の姿を見ると、こうした力学を楽しんでいるように僕には見えます。よびごえのみなさんにも、きっと、できるはず。そこには、新しい感覚が待っているのではないでしょうか。
 
【前期の練習の運営について】
コロナの変異株のことを思うと、少なくともよびごえの稽古に参加したことによって陽性者が出なかったことは本当に良かったと思いました。Zoomでも、思いのほか、音楽の内容については指導ができたことも良かったと思いますし、これまでのよびごえの稽古のように、みなさん1人1人に考えてもらい、それを積み上げて演奏を作っていくというプロセスもほぼほぼ再現できたと思います。
もし後期に向けてお願いしたいことがあるとすれば、指揮者がいないとき、テンポがどんどん遅くなることは本当によくあることです。そうしたときに、曲の途中であっても軽く振って(指揮をして)、音楽を前にもっていってくれるような人がいると大変助かると思いました。前期は最初と最後だけ、振ってくれたと思いますが、「春こん。」が無事に開催されることとなり、みなさんも参加したいと思ってくださるのであれば、作品の難易度はこれまでよりも高くせざるを得ないと思います。そうしたとき、前期のような、最初と最後だけを振るシステムでは完成まで持っていけない可能性を危惧しています。
感染症対策やオンラインを活用した稽古については、前期でほぼ確立できたと思いますので、あとは上述の、より難易度の高い作品にも対応できるようなシステムの構築ができれば来年以降にも役立つものになると思います。変拍子やテンポがころころ変わる曲、それぞれのパートがまったく合わないような曲など、高度な合唱作品が演奏できる能力を1人1人はもっていると思うのですが、それを指揮者無しでみんなであわせて、本番も指揮者無しで演奏できるようになるための方法を考えていきたいですね。これは後期に向けた僕の大きな宿題とも言えますし、みなさんと協力しながら解決したい課題です。
 
 
 
以上、改めて、先日の合唱祭はお疲れ様でした。
夏休み真っ最中で、エンジョイされている方も多いと思います。コロナには本当にお気を付けいただきつつも、楽しいことをたくさん経験してください。YouTubeで合唱を聴きまくったり、合唱指導の本を図書館から借りてきて、なるほど!とか、いや~ここは違うやろ~!とツッコミを入れてみたり。そして、勉強会の時は、メンバーみんなで一緒に合唱と向き合いましょう。
 
小田
 
おまけ:ねぷた金魚
青森の夏はそろそろ終わります。
 
18
February
2021

保護中: 【2020】よびごえ日誌

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18
February
2021

【2020】よびごえ日誌 番外編

みなさん、こんにちは。小田です。
まもなく、初めてだらけの2020年度が終わりを迎えます。
 
この1年、例年とは異なる角度からも合唱について考える機会を得ることができた点では、良かったこともあったと言えるかもしれませんが、一方でみなさんにはたくさんの我慢をしていただいたこと、それでもよびごえのために様々なご協力をいただいたことに心から感謝をしています。
 
この1年の締めくくりとして、それぞれ目標をもって、現メンバーでの残された時間を悔いなく過ごしてほしいと思います。
 
遅くなりましたが、これまでお寄せいただいていた「よびごえ日誌」を一気に公開しました。
また、みなさんで一緒に決めたパスワードを付した記事もあります。
 
よびごえ日誌は、通常、年度ごとに通し番号を付していますが、
もしかすると、担当になったけれどもまだ提出できていない方もいるかと思いましたので、
最後の最後に通し番号を付そうと思います。
 
今年度は、本当に様々な負担がみなさんにあったと思いますので、
「担当だったのによびごえ日誌が書けてない!」という方も、焦らず、完成したら小田までお送りください。
お送りいただけたら、随時公開していきます。
(担当が割り当てられていない箇所は、なるべく小田が記録用に書き起こすようにします。すみません。)
 
それでは今年度もあと少し、とにかく悔いのないようにお過ごしください。 小田…
21
January
2021

保護中: 【2020】よびごえ日誌

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06
January
2020

【2019】よびごえ日誌 vol.029

明けましておめでとうございます。
今回のよびごえ日誌はアルトパート1年の今城琴美が担当致します。
 

 
今日はストレッチから練習がスタートしました。
後ろに伸びたり、上に伸びたり…思ったより肩が凝っていてびっくり!全然腕が後ろにいきませんでした笑
そのあと2人組でのストレッチ。
1人は脱力して前屈して、もう1人がその人の背中を叩きます。前屈をしている人は背骨を1つずつ積み重ねるイメージでゆっくりと起き上がります。
 
その後の発声練習は、ソーーーファミレドーというように5度下降する音形で行いました。
高い音からスタートする発声は、思ったより高めを狙って歌い始めないとぶら下がりがちになります。しかし、アタックが強すぎると発音がきつくなるのでそれも注意しなければなりません。下降するにつれポジションが変わらないように気をつけるというのも課題となりました。
その後、BIN-NAM-MAでも出てくる、グリッサンドの練習も行いました。
 
 
1曲目は風紋の練習から!
まずは正確な音程、リズム、発音で歌唱できるかの確認です。
少しテンポを落として、器楽的にきっちりとダイナミクスの変化を表現することに意識して歌いました。
 
そして、今日は細かく楽曲分析をしていきました。
まず1つ目のポイントは『リズム』です。この楽曲は全体を通して大きく2つのリズムパターンに大別できます。それに注目して、楽譜にマーキングをしながら皆で確認しました。
まず、第1主題は2小節目の頭に向かった音形、つまり、フレーズの頂点に向かう過程が表現される音形です。クレシェンド、デクレシェンドをしっかり表現することが重要となってきます。
それとは対照的に、第2主題は裏拍の動き、つまり、いきなり始まります。これが第1主題との決定的な違いです。ファンファーレ的に、発音をしっかりと入ることでリズムの違いを浮き彫りにできます。
 
次に、2つ目のポイントは『歌詞』です。
私たちが今回歌う「風紋」は、風紋という楽曲の第四章です。私たちが実際は取り扱わない、第一章から第三章も含め、歌詞の意味を丁寧にみていきました。
第一章「風と砂丘」は、風でもなく砂丘でもなく第三者の視点から描かれています。第二章「あなたは風」はタイトルからも読み取れるように、“私”が砂丘であり、風である“あなた”へのメッセージとなっています。
そして第三章「おやすみ砂丘」は第二章と立場が逆転し、風から砂丘へのメッセージとなっています。
それでは第四楽章「風紋」は一体どの視点から描かれているのでしょうか?
これは砂丘で風の言葉を目にして想像を膨らました人間の視点なのではないかという意見などが出ました。
また、第三章の最後には「人は呼ぶ 風紋」という歌詞があります。人間はどんな現象にも名前をつけようとします。これは私たちにとってしか意味をなしません。自然は人間が及ばない神秘の世界の中のもので、風の言葉を風紋と言う言葉では認識していないのです。
 
そして、3つ目のポイントは『音楽と詩の関係』です。
私たちは日常的に、バーバル言語とノンバーバル言語を使っています。
バーバル言語とは、ある程度の人が何を指しているのか特定出来るものです。たとえば、ペットボトルという言葉などが例に挙げられます。詩、つまり言葉は具体的なイメージを共有するのにとても便利なのです。
一方、ノンバーバル言語は、指すものが統一されません。音楽など、個人によって感じることが違う、抽象的なもののことです。つまり音楽では、必ずしも同じ結果を共有することが出来るとは限りません。
歌というのは、詩というバーバル言語、音楽というノンバーバル言語、この2つが組み合わされたものです。
 
では風紋を歌う上でその2つを上手く表現するためにはどうすれば良いのでしょうか?
詩に寄り添えばいい演奏ができる合唱曲が近年多い中、この風紋は現代曲に近い形式であり、音楽が要求する合唱曲といえます。…
16
December
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.028

Merry Christmas!!
はじめまして。本⽇の⽇誌は、4年声楽専攻テノールパートの濱野瑞貴が担当します。
 
まず、今回の練習では、発声練習を⼆年⽣の花⾳さんが仕切ってくれました。”ieieioiou”といった⺟⾳唱を⽤いて、いくつかのアイデアを試しました。たとえば、、全員で⼀緒に歌う以外にも、2パートにわかれて輪唱のように追いかけっこをして、先に歌い出したパートの歌い⽅を後を追いかけるパートが真似をして練習しました。その後、パートを交代して歌ったり、もう⼀度全員同じタイミングで歌ったりしながら、⾳を揃えていきました。私のひとまずの感想は「カエルの歌みたいで楽しかった」です。笑もちろん楽しいだけでは、上達は無いのかもしれませんが、楽しんで練習できることはとても重要なことだと感じました。
私事ですが、来年から教員になることが決まっており、どうしたら中⾼⽣が楽しみながら、⾳楽が好き!という気持ちを持ち続けながら、合唱練習に取り組んでいけるのか?と良く考えています。曲を思ったように歌いこなすためには、発声練習も必須ですが、⽣徒に前向きに取り組んでもらうためには、様々な⼯夫が必要だと思います。各々が思いついたことを実験的に取り⼊れたりしながら、いろいろな発声の取り組みができるのもよびごえの魅⼒かな、と思いました。
⼜、”Ma”のシラブルと3度幅の⾳程を使い、crescendoして頂点を迎え、次第にdecrescendoする練習も⾏いました。ここではcrescendo(⼜はdecrescendo)の幅や⼤きく(⼩さく)なっていくタイミングを揃えることを意識しました。ここでは発声練習としての、いわば⾃由な⾳楽表現に繋げるための技術練習ですから、楽譜に書かれている強弱記号とは少し意味合いが変わってくるのかもしれませんが、楽譜を読む際には、何故ここにcrescendoがあるのか、どういった演奏効果を狙って書かれたのかを考える事はとても重要なことだと思います。今、取り組んでいる、「⾵紋」にも強弱記号が沢⼭使われています。強弱記号をただの数値的な記号(fが1だとしたらffが2といったように、、)としてしか捉えられなかったら、演奏は無味乾燥なものになるでしょう。楽譜を読むということは本当に難しいな、、と感じるばかりですが、そのf(フォルテ)は柔らかいf?硬いf?どんな⾊?どんな⾹りがして、どんな気持ちになる??想像したら果てしなくありますが、あと本番まで2ヶ⽉ほど曲と向き合って、私たちらしい演奏ができたら良いなと、思います。やや発声の話から脱線した気もしますが、、笑笑
 
そして、今年最後の練習ということで、前々から⽬標にしていた「BIN-NAM-MA」の通しをしました。本当に通した“だけ”です笑 今回はそれぞれのパート毎に練習する時間をとり、練習の最後には全員で合わせられるようにしました。まだまだこれからです。練習においてこの期⽇までに、これをできるようにする!という⼩さな⽬標はとても⼤事ですよね。とりあえず、年末までの⽬標は達成しました!!ただ、この曲を演奏するにあたり、ただ通せて良かった、みんなで歌えて楽しいといったことの更に先にやる事はたくさんあるのではないか?そのような次元(という⾔い⽅が正しいかは分かりませんが)よりもっと上で、どうやって曲を表現するかを考えていかなければならないのではないか?、、何故なら多くの⼈が亡くなっている背景が曲に込められているのだから。といったことが、練習後のミーティングで団員から挙がりました。この曲はベネズエラで起こった⼤洪⽔をもとにつくられましたが、私が1番に思い出したのは、今年の9⽉に、私の故郷千葉県を襲った台⾵です。幸い私の住んでいる市はあまり⼤した被害ではありませんでしたし、千葉県全体でも死者、負傷者数としてはベネズエラの洪⽔に⽐べれば、軽かった(?)のかも知れません。しかし多くの⼈の⽣活に被害をもたらしたことには変わりなく、⾃然災害の恐ろしさや⾃然を前にした時の⼈間の無⼒さを感じます。練習に疲れても帰る家があることや、スイッチを押せば電気がつくこと、蛇⼝を捻れば⽔がでることすら、当たり前に感じていますが、本当はもっと感謝すべきことなんだな、と、、
 
⽇誌が若⼲シリアス展開になりましたが、当たり前のことを⼤事にして感謝できる⼀年にします。(あ、新年の抱負です。気が早いですが笑)
今回はこの辺で終わりにしたいと思います。次回は1年⽣の今城さんにお願いします。皆さん良いお年をお迎えください!! 濱野  
16
September
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.014

こんにちは!初めまして、1年B類フルート専攻のソプラノパート神谷咲妃です。
 

 
今回の練習は夏休みに入って初めての練習だったので、それぞれまず発声を思い出すことから始めました。発声練習では、みんなで円になって内側を向いて歌うのと外側を向いて歌うのでは聞こえ方や自分の歌い心地はどう変わるのか、実験を行いました。結果は内側を向いて歌うと周りの人の顔が見られる安心感があることで、リラックスできたり自分の声が全員の声に調和して聞こえて歌い心地は良かったという意見がほとんどでした。対して外側を向いて歌うと周りの声と自分の声が分離して聞こえるので、不安になるという人やそれによって自分の声をよく聞けて向き合えるといった意見が出ました。わたしは外側を向いて歌う方がみんなの声と自分の声を比較しながら歌えるので、馴染むようにどうすればいいかな、などと自身の声と向き合えて外側を向いて歌う感覚は好きでした。また前回に続いて指導言についても考えました。母音を深く歌うとは具体的にどういうことなのか、図を用いながら小田さんが説明してくださいました。音楽指導では吹奏楽や管弦楽でもよく柔らかく吹いて!だったり、力強く!などと抽象的で曖昧な指示が多いですが、それを柔らかく演奏するために、音量を自在に操れるように、こういった体の使い方をするんだよ、と正しく教えることは難しいけれど、体を壊さずに上達していくためには絶対に必要なことではないかと思いました。これから多くの人が教員を目指していくこの環境だからこそ学べることがとても多く、人への指導へはもちろん、自分の練習のヒントにもなることばかりでとても勉強になります。
 

 
さて今回練習した曲は、夏休み前に引き続き「お母さん」と今回初めて取り掛かった「知るや君」でした。
どちらも音取りの確認を主に練習を進め、7度や半音などといった一見ぶつかって和声から排除して考えてしまいそうな部分をきっちりはめて枠組みをつくりながら各パート組み合わせながら歌うという練習をしました。
「知るや君」の練習では、今後表現を加えるのにあたってどのような表現が適切なのか、注意するべきポイントを挙げました。
まず1つ目はこの曲は最初フーガ形式で始まり、転調の前になくなるのですが、どのようにして聴衆にフーガと伝える歌い方をするのかということでした。2つ目はフーガの主題が繰り返されるときに伴う部分転調の歌い方です。それとなく転調していくのが良いのか、それともしっかり転調を感じられるように間を利用しながら歌うのが良いのか。そして3つ目は詩が文語体で書かれている意味を考えるということです。この曲の詩の作者は島崎藤村(1872~1943)という方で、彼の生きた時代から考えると文語体で書かれたということに意味があるはずだと考えました。また英訳された歌詞も書かれてるので、そこからも歌詞の世界観を感じ取ることが出来るのではないかという意見も出ました。わたしも英訳された歌詞を読んだのですが、もとが七五調なので「知るや君」が「Do you know this, my dear?」と訳されていて、そんな表現になるのかと興味深いのと同時に少し疑問に感じる点もありました。
以上の点を踏まえてそれぞれ表現方法を考え、これからの練習で曲の世界観を創っていこうということで練習を終えました。どちらの曲も重みを感じるような独特な世界観の曲なので、それをどのようにしたら音に歌詞をのせながらでも聴衆に伝わるのか、重いからこそダイレクトに自分たちの感じた重さを伝えられる演奏を出来るように悩みながら練習をしていきたいと思います。
 

 
次のよびごえ日誌はフルートの先輩でもあるこがもえさんにお願いしたいと思います!(よびごえにフルート専攻3人もいると昨日改めて知ってびっくり。!!) 神谷…
15
July
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.011

はじめまして。今回の担当は、1年アルトの谷夏七星です。
季節の変わり目になってきたからなのか、最近は学校中で体調不良者が続出しているようです。私も先日、風邪を引いてしまい声が出なくなりました。体調管理には気をつけたいですね!
 
今回の練習は、まずいつも通り発声練習を行い、その後、11月に開催される小金井祭のステージに向けて
『美しい訣れの朝』より「お母さん」(阪田寛夫作詩/中田喜直作曲)
の練習を開始しました。合唱祭で歌った2曲とは印象がかなり違う曲です。
 
音取りをするとともに、小田さんがこの組曲の詩を朗読してくださり、パートごとに次の2つのポイントについて話し合いました。
1.この組曲を、何か一言で表すとしたら何にするか。
2.この組曲の中で、3曲めの「お母さん」をどう歌われるべきか。
 
1点目については、どのパートも少し悩んでいるようでした。最終的に各パートで意見はまとめましたが、メゾとアルトは自分たちの出した答えに満足がいかず「何かもっと良い言葉があるはず!」と、なんとなくスッキリしませんでした。結局、他パートの意見を聞いても団員のほとんどが納得しきれずに終わってしまいましたが、今後の練習を通して何か一つでも、「こんな言葉が良いのではないか」と思えるような答えを見出すことができれば良いなと思います。また、初めは答えを出すことができなくても、「どんな言葉で表せるんだろう」と考えていることも曲の理解へ繋がると思うので、練習するときには常に意識して歌っていたいです。
 
2点目については、どのパートからも似たような意見が出されました。「お母さん」は、詩だけ見ても、他の4曲よりも激しく「苦しい」などの感情がダイレクトに言葉で表されているので、「最も感情的に歌う、死に対する本音を出している」といったような意見が多くありました。
 
初めて取り組む合唱曲がどんな曲なのかは、音源を聴いて知り、捉えることが多いと思います。ですが今回は音源を聴くのではなく、まず朗読を聴いて、その曲がつくられる元となった“詩”そのものから何を感じるのかということから始めました。音源から入ると、和声感やリズム・強弱などに注目してしまい、肝心な詩は後回しになりがちな気がします。もちろん、和声感などがあってこそ曲として完成されていますが、まずは詩本来の持つ言葉の意味や作詩者が伝えたかったことを汲み取ることで、本当の意味で、歌い始められるのではないかと思い、とても新鮮な練習内容でした!
 

 
また、音とりを進めるときに、「同じ四分休符でも、その後の歌詞によって休符の質感を変える」ということを全員が意識して歌いました。冒頭部分はソプラノとメゾが歌詞をうたっていてアルトはずっと休符かハミングで歌詞がありませんが、休符を意識しない時と意識した時では、ソプラノとメゾが歌っている歌詞から感じるものが全く違いました。「休符は単なる休みや準備ではなく、休符も音楽だ」とよく言われますが、これは正にこの言葉のことだなあ、と思いました。作曲者はなぜそこに休符を書いたのか、そこには必ず理由が存在します。「その休符を入れることで何を伝えられるんだろう?」と常に考えて歌うことで、音楽はより立体的に、メッセージ性を持つようになるのだと思います。
 
これから「お母さん」と向き合っていくことがとても楽しみになった練習でした。私(1年生)にとっては、初めての小金井祭!!団員全員で頑張っていきたいと思います!
 
次回のよびごえ日誌の担当は、いつもほんわか笑顔の堀切彩愛ちゃんです! 谷…
17
June
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.007

こんにちは。2年声楽専攻の佐藤花音です。雨が降ったりやんだりしてはっきりしない天気ですね。あまり好きな季節ではないですが、『雨のあと』について考えを深めるには最適なことに気づきました!雨が上がったときの雰囲気を味わっておこうと思います!
 
この日は、発声を井出さん、『恋』を草野君、『雨のあと』を小田さんが指導してくださいました。
まず、最初20分の発声の時間は、唇を閉じてのハミングからだんだんa母音に近づけていき、最後はkaで歌いました。kの子音の強さによって、聞いている人が受ける印象にどんな違いがあるか、どのような感情を呼び起こすか、というところまで踏み込みつつ行いました。合唱祭で歌う『恋』の冒頭のkに生かしていきたいです。
 
さてさて、その『恋』ですが、今日は後半部分を中心に取り組みました。「子音を使って、ニュアンスをだしてみよう。子音を発する前の時間をうまく使ってみよう。」ということが今日の1つの大きなテーマだったように思います。「ほのか」「ともしび」などの言葉の語頭に意識をむけて練習しました。この日私は調子が悪かったため、声は出さずに見学していたのですが、アドバイスを受けて歌が変化していく様子は聞いていて楽しかったですし、見ていて勉強になりました。子音の使い方を考えるためには、まず、どのような気持ちなのか、何を伝えたいのかということを、いかに具体的に考えそして自分自身の身近な感情と結び付けられるかが鍵な気がします。この日確認した、この曲の詩が書かれている視点についても踏まえつつ、考えを深めます。
 
もう1曲の『雨のあと』は、作曲者が意図したニュアンスに考慮しながら、テンポや予備拍など基本的なことについての認識を共有した後に、冒頭8小節とその後でのテンポの違いはどうしてなのかを考えました。前奏部分と本編だからという意見や、雨が降っている時のあまり動いていない感じから雨が上がって活動している感じへの変化という意見などがありました。ここの部分に限らず、何のために変えるのか、どんな感情があったのか、を大事にし、そしてそのためにはどう技術を使ったらいいか考え、言語化し、人に伝えられるようになる。これが目標なのですが、私は特に、どう技術を使ったら表現したいものが表現できるのかを考えるところが難しいなぁ、と感じています。試行錯誤を重ねます!
また、歌うときのポジションについても学びました。声楽の発声における理想は深く広く。自分自身が感じる真ん中を基準として前に出してみたり、後ろに持って行ったりいろいろ試した後、合唱団よびごえでのポジションの認識を共有しました。
 

 
最後のミーティングでは、声を合わせるとは?合唱とは?という類のコメントが多かったような気がします。とても個人的な話になり、申し訳ないのですが、この前人生で初めて一人で美術館に行きました。画家が描きたかったことそのままを、直接見ることができる美術作品と違い、音楽は作曲家が表現したかったことが演奏者を介して伝わるという点が面白くもあり、難しくもあるなぁと改めて思いました。歌の場合は作曲家の前に詩人や作家がいるからなおさらです。絵を見たときに感じることが人それぞれ違うのと同じように、楽譜を見たとき・詩を読んだときに感じることも人それぞれ違うというのに、複数人で1つの曲を一緒に歌うのだから、合唱って不思議だなぁと思いました。
 
次のよびごえ日誌は、合唱祭で同じパートを歌う滝澤奏有美ちゃんにお願いしようと思います! 佐藤…
13
June
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.006

今回よびごえ日誌を担当するのは2年声楽専攻で、今回「恋」の指揮を振っている草野圭祐です。昨年までは、学生が指揮をするという場面は少なかったため、慣れないこともありますが、団員の皆さんの協力の下最近はやっとペースが掴めてきたかな、という感じです。
 
今回の練習では、まず「雨のあと」をやりました。今回の大きな議題は「葉っぱ」という言葉の「葉」と「ぱ」の間に休符があるのは何故か、ということでした。歌い手からの視点、聞き手としての視点、作曲者はどのような演奏効果をもたらしたかったのか、そこに介在する感情について、空間的な広がりについて、などの多角的な方面からこの議題について考えました。話し合いながら考えると、一人では持たないであろう視点を取り入れつつ議論を進めることができるため、とても面白い話し合いになったのではないかと思います。
 

 
次に、「恋」ですが、今回は子音がもたらす演奏効果について、ということに焦点を当てて練習を行いました。どのような言語にも子音と母音は存在し、歌唱する上でその二つは非常に大きな要因を占めますが、私たちが普段声楽をするときは母音ばかりを気にしてしまい、子音を使うということをおろそかにしてしまっているのではないかと思ったので今回は子音に焦点を当てました。結果として、私が想像していたよりもとてもよい演奏効果が得られ、団員の皆さんもたくさん考え、それを表現してくれたので、よい学びになったのではないかなと思います。
 

 
私が合唱について考えるときに一つ軸にしているのは、必ずしも指揮者の求める音楽に批准することが正しいわけではない、ということです。団員がいればその人数分の表現方法や感じ方、伝えたい想いがあってしかるべきであるし、様々な価値観が団員の中にあればこそ聞いてくださる方の心に刺さる部分も増えていくのではないかと私は考えています。単一の情報を極めることも合唱の美しさだと思いますが、よびごえの皆さんには是非情報量の多い合唱をしてほしいな、と思います。きっとこのよびごえは合唱の新しい可能性を探すのに最適な場であるはずなので、皆さん一人一人の考えを大切にしてほしいなと思います。
次の日誌は、私と同学年のかのんさんにお願いしたいと思います。最後まで読んでいただきありがとうございました。 草野…
03
June
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.005

今回担当しますのは、3年声楽専攻の國元美乃里です。よびごえのメンバーはそれぞれ忙しいながらも、出席率がとても良いのがすばらしい!きっとそれはここがみんなにとってそれだけ価値のある場所だからではないでしょうか。
 
さて、今日の練習は前回に引き続き佐藤さんの発声指導から始まります。前回の反省をふまえ、今回はより体系化された発声指導となっていました。二人組を作り、前後に並びます。前にいる人が声を出し、後ろにいる人は前の人の声に溶け込むように後から入ります。後ろの人が入ったのがわかったら前の人は手を上げます。前の人はかなり意識して耳を使わないと、後ろの人がいつ入ったのかわかりません。合唱において、周りの声をよく聞き、声を合わせるというのは常に求められることです。普段注意していても案外周りの音を聞けていないこともあります。このような練習の積み重ねが、曲に応用できる力を育むのですね。
 

 
今日は「恋」を草野君が、「雨のあと」を小田さんが指導してくださいました。今回の大きなテーマは、「歌詞をどう表現するか」。私たちは小田さんから、「ドラえもん深読みガイド」(小学館)の中のある一ページを渡されました。そこには、のび太君とドラえもんの会話があります。アイドル歌手のファンであるドラえもんに、のび太君が「そんなに好きなの?」と問いかけ、「ン、モウ大大大ファン!!」とドラえもんが熱を上げて発言する、という場面。この二人のセリフを音楽記号で表すとしたらどう表すか、それぞれグループに分かれ、考えます。のび太君はこんな性格だから、とか、ドラえもんの興奮度はsffで表そう、とか、実際にセリフを読んでみたり、様々な工夫がなされた答えが上がりました。そして、これを楽譜で考えてみます。作曲者はどうしてここにmfを使ったのか。逆に、どうしてmfとしか書かなかったのか。作曲者が楽譜に表した理由、表さなかった理由。私たちは同じ人間ではないので考え方が違うのは当然ですが、しかし、それを考え自分なりに表現することに意味があるのです。歌詞を書いた人、曲を書いた人、歌う人、聴く人、多くの人の心と身体を通って、それぞれの人の感じ方でその音楽を受け止める、音楽の素晴らしいところは、こういうところにあるのだと感じました。
 

 
本番まで残り一か月となりました。残された練習時間もだんだんと少なくなっていきます。今回の練習で考えたこと、できるようになったことを、次回の練習での新たな発見につなげられるように、私も個人練習を頑張ります!暗譜も頑張ります!
よし!次回のよびごえ日誌は、「恋」の指揮を担当してくれている草野くんにお願いしよう!お楽しみに!!! 國元…