タグ:メッセージ


01
March
2022

保護中: 【2021】よびごえ日誌 メッセージ(松本)

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25
February
2022

保護中: 【2021】よびごえ日誌 メッセージ(一柳)

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15
February
2022

保護中: 【2021】よびごえ日誌 メッセージ(堀切)

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15
February
2022

保護中: 【2021】よびごえ日誌 メッセージ(原田)

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14
February
2022

保護中: 【2021】よびごえ日誌 メッセージ(佐藤)

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14
February
2022

保護中: 【2021】よびごえ日誌 メッセージ(滝澤)

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14
February
2022

保護中: 【2021】よびごえ日誌 メッセージ(大瀧)

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13
February
2022

保護中: 【2021】よびごえ日誌 メッセージ(小田)

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February
2022

保護中: 【2021】よびごえ日誌 メッセージ(伊藤)

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13
February
2022

保護中: 【2021】よびごえ日誌 メッセージ(小金澤)

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13
February
2022

保護中: 【2021】よびごえ日誌 春こん編 12/23の日誌と、本番前日に思うこと

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23
August
2021

【2021】よびごえ日誌 合唱祭の振り返り

とっても時間が経ちましたが、よびごえメンバーより、合唱祭の演奏に関する感想と、前期の練習の運営について振り返りが欲しいとのことだったので、記録としてよびごえ日誌に綴ることとします。
 
まず、何度も言いますが、こうした状況下において、新入生と共に、みなさん自身の力で舞台に立ち、拍手をもらえたことはとても素晴らしいことだと感じています。運営に注力してくれた2,3年生にはとても感謝しています。本当にありがとうございました。そして、お疲れ様でした。
 
【演奏について】
合唱における演奏の良し悪しは、音程や和音、発音、複数の声部による有機的な音楽構成(解釈や空間づくり)といった「技術的な視点」だけでなく、パートや団としての声のまとまり、発声、選曲といった「個性が影響する視点」、さらに抽象化すると、気迫といった「雰囲気のようなもの」まで、いくつかの層が複雑に絡み合って決まってくるように思います。
それらを見渡したうえでも、総合的には、質の高い演奏だったと思います。それは、技術、個性、雰囲気を一定以上のクオリティで提供できていたこともありますし、それぞれの視点がよく練られている演奏だったとも言えます。
 
今後に向けた視点として、大きく2つの反省をしたいと思います。
1つ目は、マスクの壁を超えること。
 講評でもいただいておりましたが、マスクをしていたとしても会場で言葉がはっきりと聞き取れるよう、もう少し調整をすべきだったように思います。特に、柔らかい音楽の場面(音量が小さく、レガート気味の場面)において、閉口母音(i, u, e)の子音は、開口母音(a, o)よりも注意をすべきでした。例:”く”じら。 一方で、例えば、くじらの優しい感じを出そうとするために子音をソフトにするという判断は間違っていなかったと思いますので、ホールの奥の客席に坐っていて、ちょうどよいくらいの量感の子音であるためには…、と考えたときには、個人的にはあと少し強く、もしくはあと少し意識をして発音すべきだったということです。
 次に音量です。講評では、ホールの大きさと合唱団の人数に対して、立ち位置はベストの選択だったという声もいただきましたが、個人的には、みなさんの最大音量がしっかり出せていたのかが気になりました。合唱団よびごえの演奏としての魅力は、①作品解釈の深さと、②一人ひとりの思いの深さと、③少人数とは思えない音量の3点がすぐに思い浮かびます。マスクの影響は大きいと思いますが、マスクをつけていたとしても、音量の壁を超えれると思いました。ちなみに、合唱の場合、一人一人の声量が大きいだけでは、全体の音量は大きくなりづらいです。各パート内の音が良い感じで混ざり合い、さらに複数のパートが和音(倍音)の力を借りることで、初めて人数以上の迫力が成立します。今回は和音のはまり方は悪くなかったと思いますので、声量の意識がもう少し欲しかった、という反省と言えます。
 
2つ目は、力学を楽しむこと。
 よびごえとしては指揮者がいない初めての本番だったと思いますが(実は過去にも1回あったのですが、ただその時はピアノ伴奏がありました)、その割にはよく縦があっていた、という一定数の評価もある一方で、僕からすると、アンサンブルとしてはもう少しやれたのでは?と思っています。それは縦が合っていなかったということではなく、「私はこのテンポで歌いたいけど、そっちがそのテンポでいくならしょうがないなぁ、折れてやろう」というのを、楽しむことができていたかどうか、という視点です。
 少し脱線になるかもしれませんが、ソロでピアノを弾くのは完全に一人の世界なので他者から音楽を引っ張られるということは少ないと思いますが、例えば自分が歌い手だとして、伴奏がつくだけで一気に歌いにくくなったり、ここはこういう感じでブレスしたいのにな~、と思ったりすることはありませんか?たった一人共演者が増えるだけで、舞台上には力学(音楽の引っ張り合い)が発生します。自分はこうしたいけど、君がそうするならばこう歌ってあげてもいいよという具合です。自分一人で演奏する以外の時は、ほぼ確実にこうした状況が生まれると言ってよいと思います。つまりは、こうした力学は避けることはできないですし、自分の思い通りに歌えないということが悪いことではないということです。しかし、そういう力学を楽しめていたかどうか、という視点をみなさんにお示ししたいと思ったのは、こういう力学こそ、合唱なのではないか、と思うところがあるからです。(これは吹奏楽でも言えるのかもしれませんが。)
 パートの中には小さな力学があり、全体練習の時には大きな力学があるようにも思います。そうした音楽の引っ張り合いが、結果的によびごえらしいサウンドを創り出すように思いますし、指揮者がいないからこそ、この力学と今まで以上に向き合わざるを得ないとも思います。10人未満で、かつ指揮者無しで全国大会で堂々と歌う中学生、高校生の姿を見ると、こうした力学を楽しんでいるように僕には見えます。よびごえのみなさんにも、きっと、できるはず。そこには、新しい感覚が待っているのではないでしょうか。
 
【前期の練習の運営について】
コロナの変異株のことを思うと、少なくともよびごえの稽古に参加したことによって陽性者が出なかったことは本当に良かったと思いました。Zoomでも、思いのほか、音楽の内容については指導ができたことも良かったと思いますし、これまでのよびごえの稽古のように、みなさん1人1人に考えてもらい、それを積み上げて演奏を作っていくというプロセスもほぼほぼ再現できたと思います。
もし後期に向けてお願いしたいことがあるとすれば、指揮者がいないとき、テンポがどんどん遅くなることは本当によくあることです。そうしたときに、曲の途中であっても軽く振って(指揮をして)、音楽を前にもっていってくれるような人がいると大変助かると思いました。前期は最初と最後だけ、振ってくれたと思いますが、「春こん。」が無事に開催されることとなり、みなさんも参加したいと思ってくださるのであれば、作品の難易度はこれまでよりも高くせざるを得ないと思います。そうしたとき、前期のような、最初と最後だけを振るシステムでは完成まで持っていけない可能性を危惧しています。
感染症対策やオンラインを活用した稽古については、前期でほぼ確立できたと思いますので、あとは上述の、より難易度の高い作品にも対応できるようなシステムの構築ができれば来年以降にも役立つものになると思います。変拍子やテンポがころころ変わる曲、それぞれのパートがまったく合わないような曲など、高度な合唱作品が演奏できる能力を1人1人はもっていると思うのですが、それを指揮者無しでみんなであわせて、本番も指揮者無しで演奏できるようになるための方法を考えていきたいですね。これは後期に向けた僕の大きな宿題とも言えますし、みなさんと協力しながら解決したい課題です。
 
 
 
以上、改めて、先日の合唱祭はお疲れ様でした。
夏休み真っ最中で、エンジョイされている方も多いと思います。コロナには本当にお気を付けいただきつつも、楽しいことをたくさん経験してください。YouTubeで合唱を聴きまくったり、合唱指導の本を図書館から借りてきて、なるほど!とか、いや~ここは違うやろ~!とツッコミを入れてみたり。そして、勉強会の時は、メンバーみんなで一緒に合唱と向き合いましょう。
 
小田
 
おまけ:ねぷた金魚
青森の夏はそろそろ終わります。
 
11
June
2021

【2021】よびごえ日誌 小田より

みなさん、こんにちは。小田です。
2021年度、初めての投稿が6月になってしまったこと、
例年のよびごえ日誌を思うと、とても遅いようですが、
一方で、この記事の裏側で、よびごえメンバーがどれほどの思いで
学びを継続しようと努力していることか、想像いただけることと思います。
 
さて、新年度を迎えたこともあり、いくつか
合唱団よびごえで合唱を学ぶということについて、
参考になりそうなことをメモをしておきたいと思います。
 
1.大学に入るまでに経験してきた様々な合唱
大人数で声を合わせて歌うということを合唱という場合、
学校は合唱をする機会が比較的多いように思います。
それは、例えば英語の時間以外で英語を使うことと
音楽の時間以外で音楽をすることを比較しても分かりやすいかもしれません。
行事のたびに校歌を歌うかもしれませんし、
「朝の歌」というものを設定している学校では
月によって歌をかえながらも、みんなで歌うと思います。
音楽集会や校内合唱コンクールに視点をよせると、
それは合唱することに重きを置いたイベントのようにも思います。
さらには、クラブ活動や部活動として、合唱に没頭することもできます。
 
授業としての合唱のみでなく、行事としての合唱、特別活動としての合唱、
こうした様々な合唱体験を経て、いま、私たちは大学で音楽を専攻しているのだということを
今一度認識しておくのは有益だと思います。
 
2.合唱の教育的成果を左右する要因を探すために
教員を目指す・目指さないを別として、
今日的に、合唱をテーマとした研究で何が言われているのか
その一端を知っておくことに損はないと思います。
 
研究論文や研究報告をいくつか眺めてみると、
合唱団という組織そのものの効用として、
合唱団の存在によって、所属団員と地域の人が繋がることができる
というものがあげられていたり(「地域における児童合唱団の機能と役割」, 2020年)、
合唱活動についての効用としては、
合唱活動を通して得られたあらゆる人とのつながりが醸成され、
それによって参加者自身がコミュニティへの帰属意識を高め、
さらには精神的健康への影響が考えられること、
また、そうした土台の上で情操の豊かさや身体的健康、well-beingへと
繋がっていく可能性が言われています
(Benefits of choral…
04
March
2021

【2020】よびごえ日誌 メッセージ(國元)


長らくうちに置いてあった合唱団よびごえの看板を、本日返納してきました。よびごえのメンバーとして合唱することももうないのかと、何とも言えぬ喪失感のようなものを感じています。だけど、人とかモノって終わりがあるからこそありがたみや大切さが身に染みてわかるものですよね。4年前何となく入ったよびごえをこんな思いで卒業するとは、当時の私には想像もつかないだろうと思います。よびごえは、ただの歌がうまい人たちの集まりではありません。ここでの合唱は、ただ単に歌うことを楽しむとかいう次元ではなく、音楽は思考や感情を伴う学問であり、音楽を前に圧倒的敗北を味わい、盛大に悩みながら少しずつ答えらしきものが出てくる、という何ともヘビーでハードなものでした。合唱ってこんなにも頭を回転させなければならないのかと、しかしそれがめちゃくちゃ楽しかったりもするんですね。ゴールが遠くに見えていたり、なんか頑張ればできそうなことって、私は少しつまらないと感じます。だけどよびごえは、私では到底太刀打ちできない世界が広がっていて、自分の非力さを感じるけれど同時にとてもワクワクするような、そんな不思議な場所でした。無知すぎる自分に幻滅したり、こんなの考えても分かるはずがないと放り投げたくなったり、自分が小さすぎることがわかった時、あぁ自分では敵わないなと敗北を確信した時、そこで初めて答えが見えてきたり本当の楽しさとか面白さがわかってくるのだと思います。そんな場を提供してもらった私は、同じような場を今度は子どもたちに提供しなければなりません。よびごえで合唱をやってきた者として、これから教育現場に出る私には日本の合唱教育を支えていく使命があります。技術とか選曲とか練習方法諸々、学校の音楽の授業だからと妥協するのではなく、わからない苦しさもできない無力さもすべて面白いと思わせられるような、合唱の本当の価値を提供できるような、そんな音楽教師になりたいです、なります。よびごえで学んだこと、めちゃ歌がうまくて頭の良い尊敬する先輩同期後輩と一緒に歌ったこと、小田さんの想い、全部、宝物です。本当に、素敵な場所でした。この大学に入って、皆に出会えて、小田さんに出会えて、幸せです。ありがとうございました。 國元…
27
February
2021

【2020】よびごえ日誌 本番後の振り返り編(森本)

会場での練習なしで客席から舞台に出るというのが新鮮で、客席に出た瞬間に緊張が押し寄せてきて少し大変でした。段々とこの舞台の空気感に慣れ、歌うことの楽しみを感じながら歌えました。気持ちが最初から作れなかったのが悔しいですが、このような状況下のなかでも本番を迎えられて本当に良かったです。
 
そして卒団の時を迎えました。本番終了後のミーティングでも話しましたが、短い間の所属だったもののよびごえで本当に濃い経験ができました。私は作曲専攻ですが、よびごえで、実際に音楽を演奏する活動でなければ経験できない、音楽を形作ること、音楽を伝えること、音楽を共有することについて、よびごえならではの濃さをもって、沢山経験できました。そしてそれらは私の創作活動に良い影響をもたらしています。おそらく、それが、惜しくも演奏されることはなかった、よびごえの新歓コンサートのために作曲した女声合唱にも現れていたかと思います。よびごえの活動なしではこの曲は生まれていませんでした。
 
私は今後大学院で作曲を続けますが、このように、これからも、音楽に向き合ったり音楽と仲良くしようとしたり、または時には違う視点をも持ったりして様々な経験をし、そんな自分だから作れる新しい音楽を生み出していきたいと強く思います。また、教育(人に音楽を言葉などで伝えたり教えたり、その音楽の良さを発信することも含み)にも興味があるので、その点もよびごえでの経験をいかして引き続き探究していきたいと思います。
今までありがとうございました。 森本…
05
April
2020

【2020】よびごえ日誌 号外

みなさん、2020年度がやってきました。100年に一度の非常事態の真っ只中、いま日本中に蔓延している不安は、少しでも傍で咳をする人がいれば距離を取り、いつも十分にあるはずの商品があと少ししかないと「とりあえず買っておこう」という発想を生むなど、普段の私ではない”特殊な私”を増殖させているように思います。”特殊な私”は冷静な判断を鈍らせたり、視野を狭くし、利己主義の発想を誘導したりと、どんどん自分自身を社会と切り離し、孤立へと向かっていく性質があるのかもしれません。僕が怖いと思っているのは、今の自分が自分でも気づかないうちに”特殊な私”になってしまっていて、無意識にそのような行動をとってしまうことです。クレヨンしんちゃんに出てくる上尾先生のように、眼鏡の着脱のような明確なスイッチがあるわけではないのです。自分のことは自分でしっかりと見つめること。そして、こういうときこそ身の周りの人に優しくあってほしいと思います。
 
さて、よびごえの活動がいつ再開できるのか、先行きは見えないのですが、せっかくなので僕の中学・高校時代を振り返りながら、よびごえのみなさんには合唱について考えを深めて頂けるような「探究テーマ」(宿題)を提供できればと思います。
 
▽▽▽
 
僕が最初に合唱に出会ったのは全くの偶然でした。小学校の時から音楽集会や卒業式、授業中も音楽の先生に代わって伴奏を弾いていた記憶すらありますが、あらゆる場面でピアノを弾いていたことが中学校の先生にも引き継がれ、中学1年の終わりの頃、音楽の先生から「Nコンの伴奏をしてみない?」と言われました。もちろん引き受けました。当時の楽譜がこれです。(平成17年度中学校の部課題曲「花と一緒」)
 

 
今見ると、間違った解釈の箇所もありますが、ただこれを見る限り、少年なりにのびのびと楽譜を勉強し、また既に細かい少年だったのだと思います。この曲の伴奏について明確に覚えているのは、歌の最後の切りとピアノの切りを同時にするのではなく、ピアノのペダルをほんの少しだけ残すことで、空間をふわっと仕上げようということにこだわっていたことです。また、歌の旋律とピアノの旋律が会話するようにしたいというメモもあり、ここでも歌とピアノが互いの役割を果たしあうことで得られる効果を期待していたとも思われます。この翌年は「虹」が課題曲で、その時には歌とピアノが会場でどのように混ざるかという意味でのバランスにもこだわっていたので、この頃から、なにか伴奏へのこだわりが芽生え始めたとも言えると思います。
(探究テーマ「1.合唱の伴奏のあり方」)
 
実際に歌い手として合唱を始めたのも、初めてNコンの伴奏をした年でした。きっかけは、Nコンの自由曲がアカペラだったことです。もちろん先生にはこう言われます。「課題曲を弾いた後、自由曲は歌わない?」この時、実はものすごく悩みました。なぜならば、歌が苦手だと自負していたからです。ただ、中学1年の校内合唱コンクールにて、合唱部が当時のNコン課題曲だった「信じる」と、自由曲「合唱のためのコンポジションⅠ」(間宮芳生作曲)を歌っていたのを思い出して、それがやたらとかっこよかったのです。当時の自由曲は「五木の子守唄」「おてもやん」(若松正司編曲)で、この作品はどちらかと言えば「合唱のためのコンポジションⅠ」のような現代的な作曲手法が一部採用されており、掛け声の多用や、各パートがハンドベルのように重なっていくなど、作品自体の面白さがありました。その翌年は課題曲が「虹」に対して、自由曲は「44わのべにすずめ」(木下牧子作曲)でした。この頃にはハーモニーが決まったことによる快感はすでに覚えていて、さらに心に刺さった合唱作品の楽譜を収集し始めていました。
(探究テーマ「2.歌うことが好きになるヒントはどこにあるのか?」)
 
 こうして、みるみるうちに合唱の楽しさに気づいていった僕でしたが、ある時こんなことを思いました。それは、「この曲すごい!」と直感的な感動を覚えるけれども、なぜ「すごい!」と思ったのか分からない、ということに気づいたのです。中学3年生の僕は、「なにか僕がこの曲を好きな理由があるはずだ!」と思い至り、当時もっともはまっていた曲の楽譜を買ってもらい、分析してみることにしました。それが、鈴木輝昭作曲の『ひみつ』から「うそ」でした。(特にこの最後の小節が、不思議で不思議でしょうがなかったのです。)
 

 
当時はもちろん楽典も知らないわけなので、そもそもどうすれば分析できるのか(一定のルールに従ってすべての音を調査できるのか)、その方法を開発するところから始めました。その時の僕の方法は、ピアノパートと合唱パートを頭から弾いていき、特に心に刺さった箇所をメモして、それらに法則性がないかと整理をしていきました。
僕はこの分析作業から多くのことを学びました。例えば、「半音でぶつかっている音も、1オクターブ、2オクターブと離れていくことで直接的な不快感を避けることができ、むしろ独特の美しさを持つこと」「歌のパートではフレーズの終わりで和声が解決していなくともそれにつながるピアノが和声を回収すること」「輝昭の用いる変拍子は日本語のリズムからすると全く当然の割り振りであって楽譜の見方を変えるととても読みやすい楽譜であること」「曲全体に不協和音がちりばめられているにもかかわらず最後の最後で最もシンプルな和声を長時間鳴らすことで異様な印象を覚えること」等。
(探究テーマ「3.私にとって魅力的だと思う作品の秘密はどこにあるのか?」)
  
こうして、我流の分析方法を手にした私は、中学校で配られる「コーラスフェスティバル」に載っている作品のうち、やはり好きな作品を分析したり、当時はやり始めた信長貴富の作品を分析したりしていました。分析をすればするほど、たまっていくのは「僕がその作品を好きだと思う理由」だけでなく、「こういうタイミングでこういう音を書けば感動するかもしれない」という作曲意欲でした。そうです、作曲を始めたのです。
「そうだ、作曲をしよう!」と思いたった僕は、当たり前のように合唱曲を書こうと思っていました。そのため、詩を探さなければいけなかったのですが、どういう経緯かは忘れてしまったのですが、選んだ詩は立原道造の「虹とひとと」でした。
詩を選んだから、「早速曲を書いてみよう!」と思い、ピアノに向かい、言葉のリズムを無視しないよう、混声四部でいきなり楽譜を書き始めたのですが、詩の一行分に音をつけるとアイデアがとまり、また一行分に音をつけると、次はその前のセクションと音楽的に繋がらないことに気づきました。ここで、とても大事なことに気づいたのです。それは、「詩の全体像を理解していないと作曲ができない!」ということでした。実は、これに気づくまで数週間はかかったと思います。どうして書き進められないのか、一行分につけた音は自分では満足していたのに、次の一行分の音と合わせると、一気に構成が崩れる気がしたのです。その曲は中学3年生を卒業するころに無理やり完成させて、いまではお蔵入りしていますが、それでもこの作業は僕にとても大きな学びを提供してくれました。
(探究テーマ「4.なぜ詩の全体像が分からないと作曲できないのか?」)
 
さて、ここまではまだ僕の中学時代しかお話していません。この時点で、相当、合唱や音楽そのもの、また詩にも踏み込んでいる僕ですが、これらの経験を持って、次は高校で合唱を続けることになります。
高校は、俗にいう合唱が強い学校でした。稽古方法も極めて効率的で、それでいて人懐っこい雰囲気のある、オン・オフのはっきりした部活でした。
 
僕の高校は、日本の現代作品を取り扱うことが多く、特殊な演奏法が出てくる作品は部員全員が「普通のこと」だと思っていました。「変拍子だから難しい」「演奏方法が分からないから難しい」といった声は一度も聞いたことがありませんでした。むしろ、特殊な演奏法を楽しんでいる雰囲気すらありました。例えば、『海の詩』(岩間芳樹作詩/廣瀬量平作曲)の「内なる怪魚 シーラカンス」では、水を入れたコップにストローを差し、息を吹き込んでぶくぶくさせる、ということが楽譜に指示されており、では誰がそのぶくぶく係をやるのか、ということでとても盛り上がりましたし、『氷河の馬』(大手拓次作詩/西村朗作曲)の「氷河の馬」では、男声が4部に分かれて裏声でクラスターをする箇所があるのですが、裏声ができないメンバーにとっては鍛錬でしかありませんでしたが、みんなで休憩時間に遊んだりすることで少しずつ楽しさへと変わっていきました。
(探究テーマ「5.一風変わった作品の要素をいかに合唱の喜びに繋げていけるのか?」)
 
合唱部の年間スケジュールはタイトで、1時間程度の新歓コンサートが新年度一発目で、そこから地域の合唱祭、全国総合文化祭全国大会、全日本とNHKコンクールの県大会、ブロック大会、あがよくば全国大会、そして合唱部の定期演奏会、アンサンブルコンテストが毎年のほぼマストで、それに慰問演奏や市のイベントでの出張演奏などが入ります。使いまわす曲もありますが、今思うととてつもない量の暗譜をして、1曲にかけられる稽古時間も2回の部活で本番というのもありました。新曲を読むときは、だいたい最初のパート練ですべて音を取り、2回目以降のパート練は解釈・表現にすべての時間を使っていました。
僕がパートリーダーになったとき、そんな強行スケジュールで鍛えられた「効率」は、今僕が持っている時間感覚にも大きく影響しています。1回のパート練習は50分程度。その間で複数の曲を練習しなければいけない。しかし新曲も音を取らなければいけない。となると、新曲の音取りをいかに効率的に終わらせ、各自がいったん認知した音を繰り返し反復させて自信を持たせてあげることができるか、全体の合わせになってもパニックにならずに同じことができるのか、そのためのパート練習をすることに特化しました。その結果、「あの空へ~青のジャンプ~」(石田衣良作詩/大島ミチル作曲)のような曲であれば、15分~20分で音取りが終了できていました。
では「どうやってパート練習の効率化を行ったのか」ということですが、大きくは2つのことを意識していました。
1つ目はパート練習がスムーズにいくような人間関係を築くことです。パートリーダーの言うことを素直に聞いてくれる環境はとても重要ですが、それは単純に厳しくすればいいわけではないのは皆さんご承知の通りですね。そして、高校といえば、ただでさえもいろんなイベントがあるわけです。体育祭や文化祭、定期考査、それに加えて家庭の事情もあります。この人の言うことだったら信じてみてもいいか、という関係を作るのは容易ではありませんし、キレやすい部員もいたり、人間関係のいざこざで部活に来れなくなりそうなのも僕にできる限り支えて、守ってあげなければいけません。みんなのことを第一に思っていることを感じてもらい、とにかく仲間を大事に、それでいて僕は本気でみんなと良い音楽をしたいことを伝え続けました。
2つ目は、稽古の緩急です。楽典が分かるわけでもない当時の僕たちは、いかに印象的に耳で覚えるかが重要でした。そのため、複雑な和声の箇所でも、シンプルな和声に置き換えて音を取ってみたり、「この音ってこの曲のここに似てない?もはやパクりじゃね?」などとたわごとを言うことで、過去の記憶を活用しながら新しい旋律にも親近感を覚えやすくなるような工夫をしていました。また、「早く音取りが終われば、今日のパートは全部休憩にしよう!」などと、エサで釣ることもありました。
僕のパートリーダー生活は、1時間目~6時間目までの通常授業の時に、いつもパートの仲間のことと、「今日はどうやってパート練習をしよう?」ということだけを考えていたと言っても過言ではありません。…
08
April
2019

【2019】よびごえ日誌 vol.001

2019年度の新歓1日目は、ミニコンサートで「にじ色の魚」「夢みたものは…」「今日の日」「狩俣ぬくいちゃ」を歌い、その後は見学に来てくれたみなさんと一緒にワークをしました。
 
最初のワークは、まず「夢みたものは…」の前半を音取りしたあと、「楽譜通りに歌う」ということを意識して歌唱しました。その後、では「楽譜通り」と言われてなにを意識したのか、1人1つずつ発言しました。例えば、以下のような意見がでました。
 
 ・強弱
 ・音の長さ
 ・拍子感
 ・音程
 ・フレーズ感
 ・言葉の節目
 ・言葉のニュアンス
 ・歌詞をまちがえない
 
これは、楽譜にはどのような情報が書かれてあるのか、私は楽譜に何が書いてあると認識しているのか、これらを改めて考えるためのワークです。「楽譜ってそもそも何…?」という意見も出ましたが、これはとても良い問いだと感じましたし、いろいろな情報が含まれている楽譜をもう1度捉え直すきっかけになったのではないかと思います。
 
例えば、誰が読んでも同様に読み取れる情報として、調性や和声、形態(アカペラ、混声3部合唱等)などが楽譜に書かれている一方で、可変的な情報も含まれています。例えば、詩や強弱記号等、「私」と「あなた」ではその意味や程度が異なる可能性があるものです。楽譜とはそのような情報の総体であり、「楽譜通りに歌う」という試みは、自分と音楽の関係を問い直すためのキーワードなのかもしれません。
 
2つ目のワークでは、上記の中に出てこなかった、無意識の中で感じている音楽へのバイアス、というものを取り扱いました。今回、「夢みたものは…」を歌う時、だれ一人として荒っぽい歌い方をせず、自然に柔らかく歌唱しようとしていましたが、楽譜のどのような条件が私たちをそのような歌唱へと導くのか、考える事にしました。
 
全体を5つのチームに分け、チーム名を考え、各チーム最低5つは要素を出すこととしました。チーム名は、「タピオカ元年」「八宝菜」「チーム女子力」「1/2長野県民」「いちごGUMI」など、個性が結集しました。
 

 
「mpから始まる指示があるから強くは歌えないのではないか」「タイトルに『夢』がつくからそのイメージにひっぱられるのではないか」「和声構造がシンプルなことに原因があるのではないか」など、全員の意見を共有することで、「柔らかい」と感じてしまう音楽の条件が自然と整理されていきました。
 
なぜ私たちはある音楽を柔らかいと感じ、ある音楽は固いと感じるのか。今回は「夢みたものは…」の持つ質感を「柔らかい」というキーワードを頼りに考えてみましたが、この先、日常生活のなかにありふれているモノの「柔らかい」と音楽における「柔らかい」の間に共通点を探そうとするとき、そこにはきっと、学びが拡がっていく喜びがあるのだと思います。
 
今回のワークは計1時間のため、各自が疑問やもやもやを持ち帰ってくれるといいな、と思い課題を設定しましたが、それらを抱えながら、これから始まる大学4年間の学びのスタートしてくれるといいな、と感じています。
 
みんな、入学おめでとう!楽しい学びの世界が拓かれますように!
 
  小田…