よびごえ日誌


2025.03.04 【2024】よびごえ日誌 vol.24
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1年B類加藤優奈です。
 
春こん。ありがとうございました!
 
こんなに「コンクール」であることを意識しなかった本番は、私にとってはじめてでした。曲がもつ力を聴衆に届けること、すなわち「より良い音楽をすること」を目指した半年間はとても充実していました。14人の皆さんと小田さんに感謝でいっぱいです。もっともっと感謝を綴りたいのですが、湿っぽくなりそうなのでひとまずこのくらいにしておきます。「これまで(春こんに向けた取り組み)のことは今日をピークに忘れていく。音楽は時間の芸術であるから。」という小田さんのお言葉が私の中に深く刻まれ、この文章を書き始めました。前半、私の昔話が多くなってしまい申し訳ないです。ななめ読みでお願いします。
 
 
うたの語源は「訴える」であるときいたことがあります。我々の演奏は誰になにを訴えることができたのでしょうか。コンクールの演奏の率直な感想を直接お聞きする機会はなかなかありませんが、一人でも多くの方に「あい」と「Nyon Nyon」の魅力を感じていただけたことを願います。
 
とはいえ、結果が出るのがコンクールです。合唱団よびごえは銀賞、絶対評価の審査基準によって80点以上85点未満という結果でした(19団体中金賞2団体、銀賞2団体、銅賞1 団体、優秀賞1団体)。結果をどう捉えるかは人によって異なり、それが合唱など複数人で挑むコンクールの難しさだと思います。私は今日、喜びや悔しさを強くは感じませんでした。決してよびごえに思い入れがないわけではないのに…自分の感情に驚いています。
 
以前お話しさせていただきましたが、私の過去の合唱経験には「審査」「金賞」の文字が基本的に隣にありました。もちろんそれがすべてではなかったですし、結果以外に得られたものは数えきれないほどあります。しかし、コンクール直前期はどこか苦しかったです。私はありがたいことに音楽そのものの素晴らしさを知っていましたが、ほかのメンバーにとってこれ(部活動としての合唱)が初めての音楽体験だったとしたら、音楽(合唱)は結果主義!という価値観を持って生きていくのではないか、という恐怖、やり切れなさ。コンクール直前になると、高校生の分際でめちゃくちゃ大袈裟ですが、こんなことを考えていました。余談ですが、のちにあるメンバーから、あなたのおかげで合唱の楽しさを知った、音楽を愛すことができた、と言われ、杞憂であったことが分かりました。嬉しかったです。
 
さて、(いち大学生の経験から中高生の部活動と教育学部での学びを比較する意図は断じてありませんが)学芸大、よびごえにて経験している合唱は、先述した通り「より良い音楽をすること」が究極の目標です。小田さんや先生方のご指導から、技術の上達そのものではなく、指導において有効な文言はどのようなものか、「良い音楽」とはなにか、といった普遍的なメッセージを頂戴する日々です。「より良い音楽」のために皆さんで楽譜を分析し、発声・発語について学ぶことの繰り返しでした。特効薬や近道はないからこそ、2曲と地道に冷静に向き合い、感情任せでない音楽ができたのだと思います。加えて精神年齢も上がった(?)おかげで、先述した通り今回の結果に一喜一憂しなかったのかもしれません。
 
入賞する音楽、審査員から評価される演奏を追求することは、結果に繋がれば達成感に満ちたものになると思います。目指すものは「○賞」「○○大会進出」と明確であるので、団の共通目標は一見定まりやすいでしょう。しかしうまくいかなかったとき、敗北感や虚無感だけが残る本番はあまりに辛いです。「より良い音楽」の追求は、コンクールの結果がどんなものであっても収穫があると信じたいです。そして私のエゴですが、そういう音楽づくりをしてきた団体が賞という形で認められてほしいなとも思います。ただ「良い音楽」というのは極めて抽象的であり、その意図をメンバーと共有するには時間が必要です。発声、デュナーミク、声のブレンド、歌詞解釈など様々なエッセンスを日頃のお稽古で散りばめ、各々がどこかのタイミングで自分なりの「良い音楽」と出会える…そんな活動が理想だと今の私は考えています。その経験をする前に合唱を辞める人もいますが(涙)。
 
別の観点ですと、コンクール会場ではたくさんの合唱人の営みを見ることができます。特に東京に来て、一般の部の合唱団の数に驚かされた一年でした。日本の合唱人口の減少が危ぶまれている今日、合唱団や合唱人は内輪のノリで楽しく歌うだけでなく、誰かに音楽や言葉を届けたいという気持ちを忘れてはならないと思います。そして少し下衆な話ですが、合唱を含む芸術をするにはお金が必要です。楽譜代はもちろん、衣装代や交通費。そして、合唱を通じて出会えた大切な人たちと過ごすためのお金、気持ちのこもったお金があります。私はそこはケチをしたくないなと思います。表現が難しく語弊があるかもしれないため、ここに書くか迷いましたが、義務教育の範囲外であれば避けられないことだと思い、触れることにしました。音楽活動には、ジャンルや年齢を問わずそうした話がつきものです。教育現場ではきれいごとだけでは片付かない大変さがあるかもしれませんし、表彰式でのお話にあったように、災害の発生や金銭的な事情により音楽との出会いを失う子どもがいるかもしれません。今の私はこれ以上述べられませんが、こうしてここで合唱ができるのはとても恵まれており、幸せなことなのだということを忘れずにいたいです。いつかそれを社会に還元できる人間になれるよう、学び続けていきます。
 
最後に、私がよびごえのお稽古で学んだことをひとつだけ書き留めたいと思います。それは、合唱の歌詞解釈とその表現において、個々がこだわりを持つことの重要性です。
 
具体的には、「あい」でソプラノに主旋律を与えられた「はるかな過去を忘れないこと 見えない未来を信じること」という一節の歌い方についてです。歌詞解釈とその表現方法については個人的にずっと悩んでおり、「この解釈であっているのか?」→「みんなと違うようだ。どうしよう」→「とりあえず音を揃えることが大事だし、個人的な(歌詞への)こだわりは一旦捨てよう。ただ旋律と日本語があるだけだ」という感じで歌うことが多くありました。自分の歌い方、嫌じゃないけど、好きじゃない。フラストレーションがたまり、独唱なら楽なのかな、と内心投げやりになったこともありました。しかし、合唱において自我を100%捨てる必要はないこと、心のない歌を歌う、自分の心に嘘をついて歌うのはナンセンスであることを学びました。合唱と独唱とで声を使い分ける必要はない、という話とともにストンと腑に落ちました。そもそも解釈に正解を求めていた私は浅はかだったなぁと思いますし、それらを共有し受け止めあえるよびごえというチームは、本当に素敵だなと思います。
 
3000 字…どの期末レポートよりも長文になってしまいました。申し訳ありません。そのくらい学びがあった!ということでポジティブにいこうと思います(?)。未熟者のひとりごとのような文章をお読みいただき、ありがとうございました。
 
4年生の先輩方からいただいたお手紙、宝物にします。今年度のチームよびごえが大好きです。これまでデザインしてくださったよびごえカラーを使って、新しい色を生み出していけるチームになりたいです。

加藤優奈