よびごえ日誌


2024.02.27 【2023】よびごえ日誌 vol.9 はるこんを終えて
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 今回のテーマは、はるこんを通して合唱について学んだことですので、そのテーマに沿って書いていこうと思います。
 
 さて、音楽には、二つの側面があると私は考えています。一つは純粋な遊びとしての側面。これはそのままの意味合いで、個人が自発的に、自身の心を満足させるために行う状態です。(遊びにも様々な定義がありますが、ここでは“子どもがするもの”や“片手間でするもの”という意味ではなく、行為自体が目的であるものをさします。大和言葉で管弦は“あそぶ”ものであって、英語では楽器がplayするものであることは、音楽のそういった側面を反映しているようにも思います。)もう一つは、人との結びつき、すなわちコミュニケーションや、社会を形成する側面です。こちらは、表現あるいは文化とされる音楽を主に指し、人と共有することをゴールとしています。聴き手、共演者、援助者や教育者、あるいは村や団体などの共同体、故人からのつながりなど、様々な結びつきを生んだり、強めたりするものです。合唱には一般的に、後者の側面を強く持っていると感じます。すなわち、“共有”を重視する側面です。共有物には幅広く様々なものがありますが、その中でも重要になってくるのは曲ではないかと思います。小田さんと、合唱の選曲についてお話ししたことを思い出し、選曲について自分なりに考察したことを述べさせていただきます。
 
 教育者として選曲をするとき、そこにはどのような意味合いがあるのでしょうか。先日見学したある小学校の授業で、選曲について興味深い話がありました。曲を子ども自身に選ばせたとき、商業的に成功しているものが多い、というものです。商業的に成功しているから、自然に耳に入る。多数の人が良いと感じたのは事実かもしれませんが、その成功にかかわっているのは純粋に曲のよさや好感度だけではないでしょう。そうした曲を子ども自らが選んだ時、それは自発性といえるのか、という議論でした。このことは、人が社会すなわち他の人の影響から逃れることができないということを示していると思います。自発性すらも、何らかの人の影響があってこそ、出てくるものであるのかもしれません。そう考えた時、子ども自身に選択をゆだねることも一つの方法ですが、様々な選択肢があることを示し、新しい世界を見せることも教師の重要な役割の一つではないかと思いました。教師が提示した曲によって、子どもは自分の中に新たな文化を内在化させ、そしてそこから外界の新たな文化とつながっていくこともあるでしょう。
 
 今回よびごえで歌った二曲にも、様々な要素が含まれています。二曲に共通する要素として小田さんが述べたのは、「願い」や「祈り」でした。願いや祈り、欲求というものは、生きる根本に深くかかわっているものである気がします。一人ひとり、そこから考えたことは異なったと思いますが、このテーマと選曲は私には、将来を考える時期も重なり、生きる意味を考える時間を与えてくれたと思います。皆さんにとっては、この選曲にはどのような意味合いがあったでしょうか。
 
 
 さて、今回は合唱について学んだこととして選曲というテーマを取り上げ、長々書いてしまいましたが、頭を使った話はおしまいにして、最後に少しだけ気持ちを書かせて下さい。
 
 一年前、一時期は本気でやめることを考えていたよびごえでしたが、一年終わってみるとここまで皆さんと時間を共にできて幸せだったな、と思います。執行代として大したことはできませんでしたが、よびごえを通じて、色々な新しい出会いもありました。卒団された先輩方から、今でも温かい言葉をいただくこともあります。前に、メンバーからなぜ専攻に声楽を選んだのかと聞かれたとき、理由がぱっと思いつかなかったのですが、私が歌が好きな理由は、音楽を通して人とかかわり、つながる時間が好きだったからだったなぁ、とふと思いました。よびごえもたった週に一回の稽古ですが、そうした色々な人との大切な場所の一つになっているし、これからも大切にしていきたいなと思います。そして、これからも合唱を通じて、大切な人や場所を増やしていきたいです。
 
 大変長くなりました。半年分を一気に詰め込んだと思い、お許しください。ここまでお読みくださり、ありがとうございます。

一柳優里愛