よびごえ日誌
2024.06.21
【2024】よびごえ日誌 vol.3
タグ:合唱指導法 , 表現 , 解釈
みなさん、こんにちは。小田です。
前回のよびごえ日誌では、次回は新喜さんがご担当くださることになっておりましたが、今日は僕が書きたい!と思い、私の方で書かせていただくこと、申し訳ないです。新喜さんのよびごえ日誌を、ぜひまた楽しみにしていただけると嬉しいです😌
さて、今年度のよびごえは、新しいメンバー6名をお迎えし、8月19日に東京学芸大学芸術館で開催される本番に向けて、稽古を開始しています。
演奏曲は2曲です。
「僕が守る」(作詞:銀色夏生、作曲:上田真樹)
「あの空へ~青のジャンプ~」(作詞:石田衣良、作曲:大島ミチル)
この2曲の共通点は、いずれも、NHK全国学校音楽コンクール高等学校の部の課題曲だったことです。しかしこの2曲は、「合唱」において、ずいぶん異なる魅力をもった作品だと思っています。この2曲について、それぞれを解説したい気持ちがとてもありますが、今日の稽古に焦点を当てて、書きたいと思います。
今日は、新体制になってから、4回目の稽古でした。
2曲とも、音とりの段階は終わり、今日は「青のジャンプ」のスキャット部分で何をやるか、ということを研究したり、話し合ったり、試してみたり、という時間でした。
活動の流れは以下の通りです。
19:00~19:05 発声
19:00~19:20 女声・男声別 「青のジャンプ」の復習
19:20~19:35 全体 練習
19:35~19:50 「青のジャンプ」のスキャット部分の映像を10団体分見てみる
19:50~20:00 2グループに分かれて話し合い
①どこからどこまで、スキャットをする?
②具体的に何をやる?
20:00~20:15 全体 話し合った内容のシェア
20:15~20:20 全体 王道のスキャットを試してみる
20:20~20:30 全体 最初から最後まで通してみる
20:30~21:00 振り返り
今日の活動で特筆すべきは、スキャットの話し合いの内容でしょう!
グループ1,2の意見は次の通りでした。
グループ1
・72~83小節までが自由に動く範囲かなぁ。
・72小節~予兆があって、74小節のShout!でスイッチが入って、76小節~自由にって感じ?
・歌詞も、身体の動きも楽譜から変更してみたい。特に身体の動きについては、多くの団体が、団体として1つの動きを踏襲していたけど、1人1人が違う動きをするってどうかな?と考えた。
・オブリガードを入れるのも良いと思う。
・「みんなでこれをやりましょう!」と合意して、決めてしまうのではなく、もう少し柔軟に、直前まで検討し続けたい。
・「tu」よりも口角が上がりやすい発音に変えると、曲の雰囲気に合うんじゃないかな。
・もはや歌詞すらそろえなくていいんじゃない?
グループ2
・72~83小節までという範囲はグループ1に同じだけど、69~のShout!がきっかけとなってから72~のストーリーが始まるって感じがいいかも?
・72~ノルような動きが合って、72のYey!で何かをして、76~は裏拍でフィンガークラップをする感じ?
・80~は音楽が女声と男声でまとまっているので、動きも女声と男声で分けるとどうかな?
・あとはオブリガードもいいと思う。
・ウェーブも入れてみる???
みなさんの意見を聴きながら、少しずつ、今回の選曲の教育的意図が、動き始めたなぁと感じました。みなさんは、そんなことを考える必要はありませんが、今回の新体制の、お一人お一人の素敵なところが、たくさん感じられて、これは曲の力でもあり、みなさんの力でもあると思いました。
今日の振り返りで、井藤さんが、ソロと合唱について、お話してくれていたと思います。
ソロと合唱、この2つのスタイルを大きく分けているのは「人数」でしょう。人数が増え、その人たちが同じもの(時間や音楽的な空間)を共有しようとすると必要になるのは「ルール」です。
(私たちの社会も同じですね。一人だと好きにできるのは、ルールが少ないからですね。でもサークルに入ったり、合唱団に入ったり、職場についたりすると、そこにはルールが発生します。私たちは、世界のルールや日本独自のルールにも縛られ、授業開始時間には席に座っているみたいな大学のルールにも縛られ、ごはんを食べないと体が壊れてしまうという、ヒトという生物のルールにも縛られています。私たち人間はルールだらけの中で生きています。)
日本の合唱の歴史の中で、音の高さやリズムは正確に、発音のタイミングは合わせて・・・というように、(楽譜や指導者の創り出す)ルールを厳密に守れていることがなんらかの美的なものと共鳴し、人々はそれを「合唱」と理解するようになったと思います。その考えがより成熟したときに、理想的な発声が生まれ、隣の人と声を合わす必要が発生し、それゆえに大きなものが失われました。それは、「その人らしい声」です。少々歌いづらくても誰かの声にあわせることが良しとされ、場合によっては「〇〇さんの声がハマりきらないからそこは口パクで!」なんて指導があった時代もあります。それでとった金賞は何を意味するのでしょうか。
合唱が上手くなりたい人が持つべき技能も、ここから考えることができるでしょう。正確な音の高さやリズムで歌唱できる、発音のタイミングを合わせられること、「合唱らしい」発声であること、楽譜や指導者(ルールを創り出す人)の指示に従順であること等。
「青のジャンプ」は、そうした合唱の歴史に、まったく新しい要求をした作品だということができるように思います。演奏のスタイルとして、合唱が避けられないのは、人数が増えることで生まれた「ルール」でしょう。しかし、そのルールの中で、いかにルールをリリースできる時間や空間をつくっていくのか。それが「スキャット」の本当の意味なのではないかと思います。
つまりは、みなさんが話し合いで見つけてくれた、例えば「1人1人が違う動きをするってどうかな?」「もはや歌詞すらそろえなくていいんじゃない?」といったことは、かつての合唱とは異なる、新しい合唱なんじゃないかと思っています。
そうした新しい合唱をやろうとするとき、合唱団に求められているのは、「1人1人がクリエイティヴである」ということを、指導者や団全体が理解することでしょう。
そうした点で考えると、「先生の言うとおりにしていれば楽だからそうしたい」「自分で考えてって言ってるけど、結局先生はどうしてほしいの?」という思考がメンバーに生まれているとき、それは、団の意識改革が必要、ということでしょう。
僕が高校3年生の時、「青のジャンプ」が課題曲として発表され、楽譜を見たとき、びっくりしました。これまで求められていた合唱の力とは違う力が求められていることを瞬時に理解しました。それを今日は「はっちゃける力」と表現しましたが、当時の僕は、どれだけこの力と向き合えたのか、それでも、この曲がもっているエネルギーに感動したからこそ、今もこうして、よびごえのみなさんと一緒に挑戦してみたい、と思ったのは間違いありません。合唱界がかつて求めていた力とは大きく異なる、全く新しい合唱の力が要求され、それは合唱そのものを問い直す機会でもあったと思います。
「青のジャンプ」がとても革命的な作品だった、というような書き方をしてしまっていますが、実は日本の合唱の歴史の中で、こうした、合唱団にクリエイティヴを求めた作品は過去にもありました。作曲家のクリエイティビティと、合唱団によるクリエイティビティがかけあわさることで初めて音楽として成立するような作品です。
・・・と、ここから先、三善晃の話になってしまうと、本当に長くなりすぎますので、興味がある方は、小田に声をかけてください。語り合いましょう(笑)
さて、とても長く書いてしまいましたが、よびごえでこの作品に向き合う価値って、とても大きいと思います。「はっちゃける力」、みなさんはいま、どれくらい育っていますか?これからどうやって育てていきますか?
力を大切に育て、ぜひ演奏を通して、お客さんに届けてください。
ちなみにですが、「はっちゃける力」は、認知能力とは異なり、あればあるほど良い力ではないように思います(=非認知能力)。例えば、はっちゃけすぎていたら、合唱というルールのあるスタイルにはまりづらいかもしれません。しかし、その力がなければ、そもそも面白くありません。傾聴力が高ければ高いほど自分の意見を伝えづらくなったり、でも傾聴力がないと、協働的になにかに取り組むことはできませんね。それに似ているように思います。
この曲で求められている「はっちゃける力」のピントを、時間をかけて見つけてくれますように。
50分で3400字!
うーん、本当に僕の頭の中から言葉を引き出したまま、見直さずに、このまま投稿します(笑)
また次回、元気に会いましょう!
次のよびごえ日誌は誰が書いてくださるでしょうか?