よびごえ日誌


2024.10.28 【2024】よびごえ日誌 vol.13
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こんにちは!2Aの小林です。久しぶりによびごえ日誌を書きます。
現在よびごえは春こんの自由曲の一つとして「あい」に取り組んでいます。まっすぐな題からは想像のつかないような、複雑で歌うのが難しい作品です。ただ難しくはありますが、これから一体どんな音楽になっていくのか、とても楽しみでもあります。
 
この曲のテーマは読んで字の如く「愛」です。
『愛という言葉について、もしくは感覚について、みなさんはなにを思うでしょう』
ひとつ前の日誌で小田さんがこう問いかけていました。この問いの答えにはなっていないのですが、考えるなかでひとつ思ったことを書きます。
なにか作品に“感動する”とき、それは作品が表現している“愛”を感じているときなのではないか、ということです。
 
連続テレビ小説「虎に翼」ご覧になっていた方いらっしゃるでしょうか。今まで朝ドラは家族が観ていたのを横目でたまに観ていた程度だったのですが、「虎に翼」にはすっかり魅了されてしまい、スマホにNHK+を入れて毎日欠かさず観るほどでした。朝ドラのような放送形態の作品をお勧めするのはなかなかハードルが高いことは重々承知ですが、再放送などの機会がある時はぜひ観ていただきたい作品です。
日本で初めて法曹の世界に飛び込んだ女性が主人公のドラマなのですが、物語のひとつ重要な要素として「家庭裁判所の設立」が描かれています。
戦後の日本――外地から引き揚げてくる人々で道々は溢れかえり、家族は離れ離れ、親を失った大勢の子どもたちの非行問題が社会に暗い影を落としている中、滝藤賢一さん演じる多岐川幸四郎(モデルは「家庭裁判所の父」と呼ばれる裁判官の宇田川潤四郎)という人物が「愛の裁判所」の必要性を訴えたことから家庭裁判所は始まることになります。「愛の裁判所」とは一体?これから虎に翼を観るひとがどのくらいいるかはわからないものの、この期に及んでネタバレは避けたいので言及しませんが、その「愛」がドラマを通して伝わってきたとき、脚本のメッセージを確かに感じた時、心の深い部分で感動したのをよく覚えています。
 
何かに感動しているとき、それは朝ドラでも、映画でも、本でも、音楽でも、手紙でも、表現者の“愛”が伝わってくるときなのかもしれないと僕は思います。その愛が何に向いているのかは作品によりさまざまです。登場人物から登場人物へ、監督から観客へ、作者から読者へ、奏者から楽器へ、送り主から宛先へ、あるいは純粋な表現したいものそのものへ、作品の数だけきっとどこかに表現者の届けたい愛があるはずです。
だとするならば、感動できる音楽を届けたい僕たちができることは、きっと表現に対する愛を忘れないことなのではないでしょうか。愛のない演奏にきっと感動はありません。曲に対してでも、歌うことに対してでも、いっしょに演奏している人に対してでも、聴いてくれる誰かに対してでも、それぞれ表現の内に宿る何かに対する愛が、聴いてくれるひとの感動を呼ぶ大切な要素のひとつなのだと僕は思います。
 
表現を志すようになったその根幹にあったのはどんな愛なのか、何に対する愛が音楽を学ぶ自分を形作っているのか、よびごえで「あい」に取り組むいま、もう一度見つめなおしていきたいです。
 
終わります!お付き合いいただきありがとうございました。

小林翔人