よびごえ日誌
2022.04.21
【2022】よびごえ日誌 vol.3
タグ:ワークショップ , 技術的還元 , 新歓 , 解釈
こんにちは! 今回のよびごえ日誌を担当するのはA類音楽2年の大野菜々です。
今回は2回目の新歓でした。参加していただいた方々、本当にありがとうございます…(涙)
一般的な合唱団とは少し風変りな活動をしているよびごえですが、体験という形で参加していただくことで、1つでも発見を得ていただければ嬉しいなと感じています。個人的にはその楽しさにハマったらもう合唱の楽しさから抜け出せないような気がしています(笑)
さて、今回の稽古は主に詩の解釈、そしてそれをどのように技術に還元するのかという点についてをテーマとした活動でした。とはいっても、私が入団してからそのことばかり考えている気がしますね。稽古中に何気なく小田さんから与えられる課題に対して、1年前の私はあっぷあっぷしていたことを覚えています。周りの先輩方が素敵な意見発表しているのを見て、かっけえ、、、と思ったものです。また毎度のことではありますが、小田さんから与えられる疑問が毎回新鮮で、その視点の多さに驚かされています。自分が合唱指導に携わる際に、子ども達にそういった疑問に気づいてもらえるような稽古ができるのでしょうか… まだまだ人生経験が足りないような気がしています。よびごえ歴も1年程度の私ですが、この期間で様々な視点を手に入れることができました。自分の成長を感じる一方で、もう1年もたってしまったのか、と時の流れの速さを痛感しますね。
余談が過ぎましたが、ここからは今回の稽古で考えた問いについて記録します。
前回の「ぜんぶ」の稽古でも詩の解釈を行ったので、今回はその続きのような内容でした。今回与えられた課題は、【さくらももこの詩では繰り返されていない部分をどうして相澤直人は曲にする際に増やしたのだろう】という問いでした。2回繰り返される、というのはあらゆる分野においても製作者の強い意図を感じるポイントです。相澤直人はどういった思いでこのパートを作曲したのか、という点を考察しました。
そして次に考えるべき点は、じゃあ私たちはどのように演奏を変化させようか、という技術還元についてです。前回のよびごえ日誌でもあったように、音楽を作るうえでは雰囲気、ニュアンスを漠然と捉えるだけではなく、一歩踏み込んだ技術のことを考える、この過程が非常に重要です。
私はあまり合唱団に所属した経験が少ないので、中高の合唱コンクールでの経験を参考にしますが、学校での合唱指導では特に精神論が多かったように感じています。それは歌うことが自分の身体を使う技術という側面を持っているので、自身の気持ちが少なからず反映されるのは事実だからではないでしょうか。音科の学生さんの中でも「恋が自分の音楽に影響をもたらす」「天気が悪いからこの曲やりづらいな」などの意見がちらほら出ているのを日常的に耳にします。何なら私がその代表格です。天気が悪い日はレッスンだってうまくいかないし、雨が降っている時は調子が出なかったりします。でも、それってとても危険なことではないかな、と最近うすうす気づいてきました。例えば、学校の合唱コンクール。ここは明るい気持ちで歌おう、ここは寂しい感じだよね、事前にこういった打ち合わせをしたとして、いざステージに立ったら、緊張、焦り、そんな感情に支配された音楽が進んでいく。こう言った場面はきっとありふれた事例だろうし、気づいたころには本番は終わっていた経験は私にもあります。そんな事態を防ぐための対策が、私たちが常に向き合っている技術還元なのではないでしょうか。私は感情をそろえたうえで、どのような技術を用いることがふさわしいのかを考察し練習を重ねることで、より再現性のある合唱が可能になるのではないかと考えました。本番が終わった後に練習の成果を発揮することができたと思えるような合唱を披露するためにも、自分たちが感じ取ったものをどうやって技術に落とし込むのかを考えていく必要があるな、とよびごえでの経験を通して強く感じています。
私は常々音楽って不思議なものだなと感じています。音を通して作曲者が表現したかったものを感知したり、演奏者の表現したい情景を察知したり。誰にだってできる「音楽を発する」行為は実はものすごい情報量を抱えています。これが解析できるようになったら、音楽を通してのコミュニケーションがもっと実用的なものになるんじゃないかって思ってみたり。音楽は言語を用いないコミュニケーションツールだ、みたいな意見を耳にしたことがある気もします。誰かの演奏を聴いて、何かを感じる。当然のようだけど感じ方が文化によって違ってたり、逆に同じ文化には同じような傾向で伝わったりしそうですね。同じ情景を表現するにしても、日本人向けの演奏とアメリカ人向けの演奏が大きく異なったりするんでしょうか???
などと、これ以上は私の思考に収集がつかなくなってしまうので終わりにしたいと思います。自分の意見ばかり含んでしまったので、読みづらいものになってしまったかもしれません。よびごえでの自由にとことん甘えさせていただきます。
次回のよびごえ日誌は、2年A類の丸さんにお願いしました!!