よびごえ日誌
2025.01.20
【2024】よびごえ日誌 vol.19 お悩みへの回答編
タグ:号外 , 表現 , 解釈
こんばんは、小田です。
前回稽古の振り返りの際、おそらく花世さんがおっしゃっていたと思うのですが、「作品を通して伝えたいイメージをもって演奏しているのに、伝わらないと言われる」件について、相手に伝えるために音楽を構成する力の話なのか、場面にあった音色の選択の話なのか、分からなかったのですが、今回は前者だと想定して回答してみたいと思い、よびごえ日誌を更新します。もしかすると、メンバーのみなさんにも同じ悩みを持っている(持っていた)方がいるかもしれないと思い、少しでもお役に立てれば嬉しいな、という思いです。
※ダラダラと書いてしまったので、結論を急ぐ場合は「「音楽と効果」という言葉を出しましたが、~」からお読みください。
共通理解を得たいので、基礎的な観点からスタートしたいと思います。
重要な着眼点の1つ、「伝える」とはどういうことなのでしょう。これについては、例えば、不自由な言語におけるコミュニケーションを考えると分かりやすいかもしれません。海外に行くと、「こういうことを聞いてみたい」という、伝えたい内容はしっかり持っているのに、「ドイツ語ではなんて言ったらいいんだろう」と困る経験があるかもしれません。頭の中にあるイメージを相手に伝えるためには、ここではドイツ語の単語の知識、文法を用いて単語同士を組み合わせる力、慣習(ネイティヴにとって一般的な言い回し)など、実用的な言語の力が求められます。私が相手になにかを「伝える」ためには、私のなかに、➀相手に伝えたい内容があること、➁相手に伝わる実用的な言語の力があること、この2点が必要です。
重要な着眼点のもう1つ、「伝わる」とはどういうことなのでしょう。私たちは、日々、言葉を用いて誰かとコミュニケーションを取っています。しかし、上記の➀と➁を両方携えていたとしても、「伝わらない」という経験をしたことがある人もいるのではないでしょうか。宇宙人っぽいような、いつもナナメの発想をしている人は僕の周りにもいますし(そういう人、僕は好きです)、日本語としては聞き取れるけど、「何言ってるか意味わかんない」という、あれです。ここに「伝わる」の本質に迫るヒントがあります。
この内容について、もう少し、例を出してみます。「うどん」という言葉をみなさんが見たとき、さて、みなさんの頭の中には、どんなうどんが思い浮かぶでしょうか。讃岐うどん?稲庭うどん?武蔵野うどん?、ねぎが乗ってる?しょうがが乗ってる?天かすが乗ってる?、サイドにはおでんがある?いなり寿司?・・・。重要なのは、「うどん」という言葉は、「うどん」という食べ物を知っているという共通理解があれば、うどんというざっくりとした方向性を示す機能はあったとしても、その詳細を示す力は無い、ということです。加えて、「うどん」という言葉の意味(イメージ)は、話し手の「うどん」のイメージとは関係のない、「聞き手の想像によって意味が与えられる」こともとても重要です。「うどん」について、非常に細かくイメージを伝えたいならば、「言葉を足す」ことで、より一層、うどんのイメージを限定化することが可能になります(讃岐の、かけ並小で、ねぎとしょうがが乗っていて、サイドは無し)。しかし、結局は、聞き手の想像によって意味がつけられるため、どこまでいったとしても、だいたいの方向性しか言葉は伝達できないという限界があります(ねぎはどれくらいの量?ねぎはうどんの真ん中?どんぶりの淵にある?等)。
「聞き手の想像によって意味が与えられるのであれば、話し手と聞き手が、共通の体験をしていたり、文化を知っていれば、たとえ言葉に限界があったとしても、精度の高いコミュニケーションが可能になるのではないか?」という仮説を立てる方もいるかもしれません。これは、とっても、その通りです。例えば、僕(香川県出身)と佐藤さん(愛媛県出身)であれば、「うどん」について会話する際、そもそも「うどん」という言葉を聞いて、直感的には稲庭うどん(秋田県)は頭に浮かばないように思います。この理論がベースにあるからこそ、もはや1つ言えば10伝わるような友達ができるわけであり(共有しているコトが多い)、相手にかなり寄り添って話をしないと会話が成立しない人も出てくるわけです(共有しているコトが少ない)。
(この話は哲学のお話なので、難しかったらごめんなさい。こういう話に興味のある方は、ソシュールの『一般言語学講義』、言語学ではなく音楽として理解したい方は、ナティエの『音楽記号学』をお読みいただくと最高に楽しいと思います)。
前置きが長くなってしまいましたが、ここまでの話を整理すると、「作品を通して伝えたいイメージをもって演奏しているのに、伝わらないと言われる」件について、その解決に向けて2つの可能性が出てきました。1つは「伝える」の話から、「相手に伝わる実用的な言語の力」を身につけることで、「作品を通して伝えたいイメージ」が演奏を通して伝えられるようになる。もう1つは「伝わる」の話から、私が思っていることに近いイメージを相手にももってもらえるような言葉の使い方を心掛けること。
ここまでの話は、対話の場面を例にしてきましたが、対話も音楽も、音を用いたコミュニケーションであるため、原理は同じになります。つまりは、以下のように言い換えることが可能になります。
1.「相手に伝わる実用的な音楽言語の力」を身につけることで、「作品を通して伝えたいイメージ」が演奏を通して伝えられるようになる。
2.私が思っていることに近いイメージを相手にももってもらえるような音楽言語の使い方を心掛けること。
ここで新しいキーワード「音楽言語」を出しましたが、「音楽言語ってなんやねん」という方もいるかもしれません。この話をしだすと、さらに膨大な紙面が必要になるため、かなりはしょりますが、英語やドイツ語、日本語等の自然言語と呼ばれる言語には、単語同士が組み合わさるための文法があり、それは音楽にも存在するという考え方であり(主に和声)、加えて、音楽がコミュニケーションツールとしてより効果的にイメージを伝達するための(おおまかな)原則があるという、音楽を言語として捉える考え方です。
例えば、ある音楽を聴いて感動したり、深く共感できるような感覚があるとき、それは音楽の言語としての力を実感しているとき、と言っても良いかもしれません。それは、英語やドイツ語でのスピーチを聞いて感動することに近いかもしれません(何を言っているのか意味が想像できるから感動する)。
しかし、英語やドイツ語が聞き取れて、意味が分かり感動できることと(聞く力)、自分が話せること(表現する力)はずいぶん違うことをみなさんはご存知だと思います。音楽も同じです。
音楽で誰かに何かを伝える勉強する際に役に立つと考えられているのが、今日につながる西洋音楽の歴史のうち、なるべく古い時代の音楽を勉強することです。「結局はバッハ(バロック時代)に帰ってくる」というのは、このことなんだと思います。
バッハやヘンデル、スカルラッティ、ラモー等が築いた「音楽と効果」の関係の基礎は、ハイドンやモーツァルトに受け継がれ、ベートーヴェンで発展し、シューベルトやシューマン、ブラームス、ショパン、リストらによってゆるやかに発展し、フォーレやセヴラック、ドビュッシー、プーランク等では大きな広がりを持ちました。その流れを打ち壊そうとしたのがシェーンベルクらの新ウィーン学派や、J. ケージ以降のsilence(沈黙)や偶然性を取り入れた音楽でしたが、結局はロマン後期におけるマーラーやR. シュトラウス、コルンゴルトらの延長線上に、イギリスのイージーミュージックが生まれ、現在のJ-POP音楽までもが、西洋音楽におけるバロック時代の延長線上に位置づくこととなりました(十二音や偶然性を取り入れた“当時の”現代音楽は、結局、バロック時代の延長にいなかったからこそ一般化することはできなかったんじゃないかと個人的には思います。しかし、「新しいオンガク」を探究し、音楽の可能性を開発する上ではとても重要な取組でした)。
「音楽と効果」という言葉を出しましたが、これこそ、「勉強したらいいことあるかも!」な内容です(ここまでたどり着くために3000字かかったようです…本当にごめんなさい)。
「音楽と効果」は、おそらく、作曲家が最も考えていることのように思います(石丸さん、いかがでしょう?)。それは、どういう音を書いたらどういう風に伝わるか、ということそのものだからです。素晴らしい演奏家も必ず考えていることです。
ここでは一例を挙げるしかできませんが、いくつかを一緒に見てみましょう。
【テンポ】
「めっちゃ楽しい」というイメージを伝えたいならば、テンポは速い方がよいかもしれません。一方で、「悲しい」というイメージを伝えたいならば、テンポは遅い方がよいかもしれません。
【調性】
「穏やかな春」というイメージを伝えたいならば、長調がよいかもしれません。一方で、「死」というイメージを伝えたいならば、短調がよいかもしれません。
【音の強さ】
「怒り」というイメージを伝えたいならば、1つ1つの音を強く演奏する(アクセントをつける)とよいかもしれません。「和やかさ」というイメージを伝えたいならば、強すぎない音で演奏するとよいかもしれません。
【音色】
明るい音色は楽しさ、穏やかさ、平和、愛などのポジティヴな感情と結びつきがありますし、暗い音色は悲しさや怒り、悩みなどと結びつきがあります。
※音楽は音楽として独立して発達したわけではなく、演説や語りが原点でした。それを思うと、私たちの普段の生活の中にある音色を注視するように過ごしてみると、明るかったり暗かったり、中庸だったり、いろんな音色があることに気付くと思いますし、それに気づくと、自然と音楽にも活かすことができるでしょう。
実はこうした、表現したいイメージに対して、どういう音で表現するかということについては、バロック時代から試行錯誤がされ、彼らの発見は何冊も本として残されています。今日では「アフェクテンレーレ」や「音楽修辞学」というキーワードでヒットすると思いますし、音楽の認知心理学としても知られています。興味があれば図書館等で調べてみると、本が見つかると思います。
本で理論を学ぶだけでなく、具体的な作品を通して学ぶことでも、いろんなことが分かってくるかもしれません。教材として、僕のおすすめはヘンデルの『メサイア』ですかね。本当によくできた作品で、詩(聖書からの抜粋)の内容や、登場人物のキャラクター設定や感情が、音楽の表現と強く結びついていて、だからこそ、楽譜からテンポや音、リズムは読めても、その効果と結びつけて十分に作品を理解できていなければ、たとえ演奏できたとしても伝わらない演奏(俗に「つまらない」演奏)になります(ちゃんと演奏できるととても美しいし、とても楽しいし、とても神聖です)。聖書の理解が必須になりますが、苦労があったとしても、勉強しておいて損はない作品です。
まとめに入ります。
今回のお悩み「作品を通して伝えたいイメージをもって演奏しているのに、伝わらないと言われる」件は、演奏をする私たちにとって、ものすごく重要な内容で、これを深く考えずして良い演奏は無い、といっても過言ではないように思います(実際は、上記に書いたような単純なことではないのですが、入口としてご容赦ください)。
上記、2日間の大学業務のあとに残された体力での限界を感じる文章で本当に申し訳ないのですが、「どういう音の使い方をしたら何が伝わるのか」という、「音楽と効果」について考えてみること、そして「こうやったらこれが伝わるんじゃね?」というような実践を、毎回のレッスンやよびごえの稽古にて試す経験を重ねていってもらえると、”その悩み”は自然と解決に向かっていくのではないかと思います(とても重要な次の悩みに繋がっていくと思います。そして声楽の場合は「詩」がとても大きな働きをしていますので、ぜひ「詩」も勉強してもらいたいです。詩の世界(意味論だけでなく韻律や構造なども含めて)を、音楽の時間と空間として実現することが作曲家の技だったので・・・)。最も伝わりそうなテンポを探してみたり、1フレーズもしくは1曲の中で山はどこにもってくるのか(強弱)、DurとMollとで音色を変えてみたり…。「音色」が演奏効果を支配しますので、音色の探究もめっちゃ大事ですよね…。
➀心で作品を感じながら、「こうやったら伝わるかなぁ?」と考えながら演奏を“戦略的に”構成してみること、➁(音楽のことがよく分かっている)誰かに聴いてもらい、評価してもらうこと(フィードバックをもらうこと)、➂フィードバックを受けて演奏を再構成すること・・・、というこのプロセスを日常化していくことが効果的に思います。
「音色」の勉強については、前回の振り返りの時に、天才である改さんからヒントがあったと思いますが、音色だけについても、上記のように、➀~➂のサイクルを通して、いろんな音色のカードを増やしていくことが大切です。音色は、演奏者の心の豊かさであり、価値観の鏡であり、身体や楽器についてどれだけ知っているのかという知識の結晶でもあります。
さて、私は花世さんのお役に立てたのだろうか・・・。そういうことを聞きたかったんじゃない!ということだったら本当に申し訳ないです。
ただ、花世さんや、よびごえメンバーみなさんの成長を心から応援しています!
お悩み相談のよびごえ日誌でした!
1時30分、寝ます!