よびごえ日誌
2026.10.07
【2026】よびごえ日誌 vol.9
タグ:春こん
3年B類加藤優奈です。
春こんに向けたお稽古がはじまり、またよびごえの皆さん、小田さんとご一緒できることを嬉しく思います。新しい曲を聴いたばかりの頃の新鮮味は、練習すればするほど忘れていくものなのかもしれません。今日の女声練習で感じた素直な感想やギモンにも価値があると信じ、ゆっくりと理解を深めていきたいです。
よびごえの活動そのものから離れた話が多いですがお許しください…!
◎音楽のしもべであるということ
教育実習が終わり、春こんの2曲の楽譜とやっと対峙しました。今回よびごえが取り組む曲は、日本語とはいえ沖縄と宮古諸島の民謡であり、歌詞の意味は調べないと分かりません(←私は)(いつもハミングorリップロール、特定の母音、母音唱、歌詞と音取りを進めるのですが、現在満足な母音唱に達せていません涙)。
私は実習で共通歌唱教材の授業を行いました。文語調で書かれていること、約100年前の曲であることを学んだあと、「どうして○○(現代語訳)のほうがみんな意味がわかるのに、わざわざ☆☆(歌詞)になっているのか」という問いをもった生徒がいました。正直、その曲を知ったときの私は、○○って書いてあるからそれはそれでしかない、と思って歌っていたのでこの生徒の視点に驚かされました。
演奏者は音楽のしもべでなくてはならない、という意見を聞いたことがあります。自己顕示のためではなく、作品へのリスペクトを前提とした解釈、表現がされるべき、というものです。子どもたちは、音楽(曲)に対して、楽しく歌おう、上手になりたい、授業だから好きじゃないけどやる、といったさまざまな向き合い方をします。授業で歌詞・時代背景について丁寧に扱うこと、生徒と一緒にアナリーゼをすることで、楽譜を見ることと音を出すことの間に思考が生まれます。私は、これが授業で音楽をやる意味のひとつだと思います。子どもたちに音楽のしもべになれ、とダイレクトにいうのではなく、音楽を深堀りすることの面白さを一緒に感じることで、センスや音楽経験に頼らない、音楽の本質にせまった授業ができるのではないでしょうか。ただもうひとつ、「生徒はやっぱり『うまくなりたい』んだ、上手にできると楽しいんだ」という気づきもあったのですが、あまりにも脱線するので書くのはやめます!
「てぃんさぐぬ花」「狩俣ぬくいちゃ」は、合唱の楽譜に加え、元の民謡や歌詞を知ることで一層面白くなる曲だとYouTubeを徘徊していて感じました。皆さんとこの曲を面白がれる日が楽しみです!
◎「言語化する」ということ
私はずっと、あらゆることを言語化しようと思って過ごしていました。それが癖づいていた気もします。人への感情、思い付きの行動などについても、出来事そのもの+当時の感情をどこかしらに記録していました。
そんな加藤はこの夏休みにある本を読んで、言語化すること=選ばれた言葉になること、なのではないかと思いました。こと感情においては言葉にできないもの、まどろっこしいものがたくさんあって、それでもそれらを言い当てる言葉を探していた気がします。ぼんやりとした感情に言葉をあてがうことで安心したかったのかもしれません。しかし、感情を毎度言語化し、ラベリングをしなくてもいいのだ、と思いました。私が好きな音楽の「エモさ」の理由を探したいから和声や韻律などを学ぶ、というモチベーションは持ち続けますし、今後真面目に文章を書く機会はあるかと思いますが、「なんか好きだな」「エモい」で終わる軽やかな感情があってもいい気がしました(^^)
長文をお読みいただきありがとうございました。よびごえ日誌を思考の整理場所のように活用させていただいています、おゆるしください。秋学期もよろしくお願いいたします!
